元日

4月1日(水)

今日からKCPに新人の職員・Oさんが入りました。KCPの教職員で初めての平成生まれです。学歴が昭和で完結してしまっている私なんかからすると、平成元年なんてほんに昨日ですよ。学生はもうだいぶ前から平成生まれが入っていて、今では昭和生まれは貴重な存在です。でも職員ですからね。これから仕事を頼んだり頼まれたりする間柄ですからね。感慨もひとしおと言うか、新鮮な驚きがあります。

Oさんは大学を出た後アメリカで働いていて、英語はペラペラだとか。今日は初日で英語を使う場面はありませんでしたが、そのうち実力を遺憾なく発揮するところが見られることでしょう。KCPの場合、英語が流暢なだけでは勤まりません。学生の気持ちをくみ取り、学生の心に訴えるコミュニケーションが求められます。英語に血が通っていなければなりません。

お昼過ぎにOさんから挨拶のメールが。簡にして要を得たメールで、しっかりした人柄が感じられました。私がKCPに入ったときはまだメールが普及しておらず、みんなの前でまとめて挨拶して終わりだったような気がします。もしメールがあったら、これだけの文章が書けただろうかと思いました。

Oさんのメールに感心するちょっと前に、来週月曜の入学式で在校生代表として挨拶することになっているCさんが原稿を持って来ました。何か所か手を加えましたが、こちらもまた感心させられる内容でした。新入生には翻訳文を通しての訴えとなりますが、ぜひとも耳を傾けてもらいたい話です。

OさんとCさん、今日は2人の小気味いい文章に触れられました。おかげで、2015年度の元日から、幸先のいいスタートが切れました。

上がる、ほしいです

3月31日(火)

初級のYさんは今学期の成績が思わしくなく、上のレベルに進級できません。それを伝えるためにYさんに電話を掛けました。私がその旨を伝えると、予想通りYさんはごねました。もう少し正確に言うと、口調から何とか上がりたいと言っているのであろうと感じ取ったのであり、Yさんの言葉そのものは何を言っているのか今一つわかりませんでした。そして、ついに、「先生、上のレベル、上がる、ほしいです。いいですか」ときました。これを聞くに及んで、もう完全にダメだと思いました。だって、これは誰が考えたって「上のレベルに上がりたいです」でしょ。一番下のレベルで習う文法ですよ。Yさんは進級どころか降級したほうがいいです。

誰だって進級したいでしょうが、無理に進級したっていいことは1つもありません。Yさんは期末テストの全ての科目で不合格でしたから、上のレベルの授業は何一つわからないでしょう。言葉のレベルが低すぎて、いずれクラスの誰からも相手にされなくなるでしょう。母国語でおしゃべりするときだけ元気な学生じゃ、その程度のお付き合いしかしてもらえません。

20分ぐらい粘った末に、Yさんはついにあきらめました。会って相談したい(Yさんは「明日、相談してあげてもいいです」と言いました)という頼みも、会っても答えは変わらないと突っぱねました。Yさんは一生懸命勉強したと言いましたが、勉強したとは思えません。必死に勉強してこんな程度の日本語しか身に付かないのなら、日本語の習得に割く時間を別のことに使ったほうがYさんの人生のためです。

Yさんは日本で進学するつもりでいます。それならなおのこと、ここで基礎固めをして踏ん張らねばなりません。それがわかっているのかな…。

伸ばせなかった

3月27日(金)

成績表をまとめていると、この1学期に伸びた学生とそれほどでもなかった学生とがはっきりしてきます。

Tさんは打てば響くような学生で、なんでもぐいぐい吸収していきました。すばらしい成績でしたから飛び級を勧めたのですが、自分は1つずつ階段を上がっていきたいとのことで、通常の進級をすることに。

Dさんは、授業中はちょっと斜に構えたような態度をしていましたが、自分がわからないこと、知らないことを扱っているときは目の色を変えて真剣に聞いていました。すばらしい成績とは言い難いですが、着実に力を伸ばしたと言っていいでしょう。

Lさん、Fさん、Cさんも、授業中はおとなしいですがこちらの意図することをきちんとくみ取り、力をつけてきました。もう少ししゃべってくれれば自信を持って次のレベルの先生にお渡しできるのですが…。

Yさんはがんばってはいたのですが、そのがんばりが形になりませんでした。Aさんも宿題は全てきちんと出していたのですが、合格点は取れませんでした。2人とも、学期の最後は他の学生との差が歴然としていました。努力をしていただけに、次学期も同じレベルをもう一度勉強しなさいと伝えるのに辛いものがあります。これに対して、Hさんは大した努力もせず欠席も多かったですから、伸びなかったのも当然です。

Bさんも伸び悩み組みでしょう。同じぐらいの力だったGさんは順調に力をつけて成績上位に食い込んだのに対し、Bさんは不合格点を取ってしまいました。自分ではできるつもりみたいなのが厄介なところです。Gさんはきちんと予復習をして実力を積み上げてきたのに、Bさんにはそういう緻密さがありませんでした。やるべきことをやった人とやらなかった人がこんなに違ってくるっていう好例になってしまいました。

伸びた学生も、次の学期は当然勉強が難しくなりますから、油断せずに取り組んでもらいたいです。伸びなかった学生は、今学期の自分をきちんと分析して敗者復活につなげてもらいたいです。

教える立場からすると、Tさんは自然に伸びた学生、Lさんたちは伸ばせた学生、YさんやBさんは伸ばせなかった学生、Hさんは伸びようとしなかった学生ということになるでしょうか。伸ばせなかった学生に対して何かできることはなかったかというのが、新学期が始まるまでの宿題です。

熱がない

3月26日(木)

久しぶりに風邪をひきました。今週になってから咳が出て、本人はそれほどでもないと思っているのですが、周りの先生方によると、明らかに鼻声だそうです。おとといぐらいから、私にとっての風邪の万能薬・龍角散を飲んでいます。墨汁くさいとかいう声にもめげず、1日に数回、いやもっと多いかもしれません、粉を口に放り込んでいます。

ゆうべ帰り際に、「そんなにひどい鼻声なんですから、きっと熱がありますよ」と言われたので、熱っぽい感じはしませんでしたが、家で熱を測りました。熱があったらどうしようと思いながら目盛りを見ると、36度ちょうど。あれ、いつもより低いじゃないかと思い、測り直してみましたが、やっぱり36.0度。ということは、平熱はもしかすると35度台ってこと?

去年ぐらいから冬が寒く感じられるようになりました。数年前までは夏でも冬でも同じ下着で平気だったのですが、今は冬はヒートッテクで完全防備じゃないともちません。朝一番で職員室に入ると、以前は他の先生方のために室内を暖めておこうと思って暖房を入れましたが、最近は自分のためにエアコンのスイッチを押します。家でも、暖房を入れる時間が一冬ごとに長くなっているような気がしてなりません。

子供の頃、祖母の平熱が35.5度ぐらいでした。その当時の祖母の年齢にはまだ10年ほど足りませんが、体内のエネルギー発生状況はその域に近づきつつあるようです。昨日あたりも半袖で期末テストを受けている学生がいましたが、腕のぴちぴちした力こぶがうらやましかったです。

明日は老化に起因する慢性病のチェックのため、病院へ行ってきます。

美質

3月25日(水)

KCPでは授業が終わって教室を出るとき、椅子をひっくり返して机の上に載せることになっています。中間テストや期末テストの日は、最後のテスト(だいたい漢字)の答案を出したら帰ってもいいことになっていますが、そのときでも椅子を上げてから帰るのは同じです。

通常授業のときは、終業のチャイムが鳴って教室内がざわざわしていますから、椅子を机にぶつけてゴーンとかカーンとかいう音を出しても大勢に影響はありません。しかし、テストの日はまだ問題を解いているクラスメートがいます。そんなときに大きな音を立てるのは、デリカシーに欠けるというものです。こういうときに周りに気を使ってそろーっと椅子を載せるような人は、一流の素養がある人だと思います。

自分さえよければという人は、たとえばトイレの使い方もいい加減です。汚しっぱなしで出て行ってしまいます。次に使う人やそこを掃除する人のことなど、眼中にありません。めぐりめぐって自分がまたその汚いトイレを使うことになるという、きわめて単純なことにさえ考えが及びません。こんなことばかりしているようじゃ、多少成績がよくても尊敬される人間にはなれないでしょう。

今日私が試験監督に入ったクラスは、1人を除いて静かに椅子を上げていました。答案用紙には間違いがだいぶありましたが、人間的には立派なものだと思いました。次の学期は、君たちのこの美質を周りに広めてくださいね。

伝わったかな

3月24日(火)

今学期の授業が終わり、あとは期末テストを残すだけです。と言っても私の通常クラスの授業は昨日で終わっており、今日は受験講座・物理と来学期の受験講座・英語のレベルテストの監督でした。午前中は私が受け持っていた上級クラスの期末テストを作りました。

この学期の卒業生の多いクラスは、とかくあわただしさに追われて終わりがちですが、何か1本筋を通さないと卒業式後に残る学生たちに対して失礼です。私としては、それを中間テストと期末テストを通して示したつもりですが、明日期末を受ける学生たちに伝わるでしょうか。

昨日は初級クラスの最後の授業でしたが、君たちはこの3か月でずいぶん進歩したよっていうメッセージを十分に伝えられずに終わってしまったような気がします。短文を重ねて物を言うのがやっとだった学生たちが、含みや余韻を残す言い方ができるようになったんですからね。何名かはそこには遠く及ばず、もう一度同じレベルをやってもらうことになりそうなのが少々残念ですが…。次に彼らに会うのは、中級か上級の教室でしょう。それまでにさらに力を伸ばして、私を大いに驚かせてほしいです。

受験講座は6月のEJUを控えた来学期が本番ですから、通常クラスほどセンチな気分にはなれません。授業外でもフル回転することになるでしょう。物理の時間に青色LEDなんて余計な話までしちゃいましたが、次の学期はそんな暇があったら過去問の1つも解かなきゃならないでしょうね。

桜のシーズン

3月23日(月)

週末は暖かかったと思ったら、西日本は東京以上に暖かく、鹿児島や名古屋から桜の開花のニュースが届きました。今朝、私の定点観測木である地下鉄四ッ谷駅ホーム脇の桜を見ると、まだつぼみが膨らみきっていないかなという感じで、東京の開花はもうちょっと先かなと思っていました。新宿御苑前駅で降りると、ホームには桜の花びらの地に書かれた新宿御苑の大木戸門と新宿門への案内の張り紙が出されていました。これが出ると花見シーズンが近いんですよね。

そんな表示を見て気分が少しばかり浮き立っていたところ、午前中に開花宣言が出されるではありませんか。そういうつもりで花園小学校校庭の桜を見てみましたが、四ツ谷の桜と同じでもう一息というところでした。今年は靖国神社の桜が特別早かったのかなあ。

今日は最高気温が17度まで上がりましたが、明日から木曜日ぐらいまではそんなに上がらないそうです。暖かい日が続くと一気に満開になり散ってしまいますから、多少ひんやりするぐらいがちょうどいいのです。でも、週末からは20度を上回る日が続くとも言っていますから、今度の週末が最初で最後のお花見のチャンスかもしれません。学生たちのフェイスブックにもたくさんの桜が咲くことでしょう。

東京は桜の開花宣言ですが、CさんやSさんやWさんが進学した北海道や東北地方の街には、まだ数十センチの積雪があります。春まだ浅いどころか冬真っ只中です。3人の入学式のころには、多少春らしくなるのでしょうか。

濃いクラス

3月20日(金)

アメリカの大学のプログラムでKCPへ来ている学生たちは、学期末に発話テストがあります。今週は何人かの学生のテストをしました。毎学期このテストをすると十人十色だと思います。アメリカは世界中から人が集まっていることを強く感じさせられます。

今学期は「主婦の友」を読んでいるというHさんがいちばん特徴的だったでしょうか。日本の女性史について研究しているというだけあって、その方面に関しては私も太刀打ちできないほど専門的な話が日本語でできます。テストであることを忘れて、自分の興味であれこれ聞いてしまいました。

その一方で、Sさんはほとんど会話が成り立ちませんでした。普通はゼロで入学しても3か月勉強したら自分の身近なことは話せるようになるのですが、Sさんは「いつアメリカへ帰りますか」なんていうのもジェスチャーを交えなければ通じませんでした。「専門は何ですか」は、もちろん「???」。「先生、それはSさんにとっては上級の質問内容ですよ」と、Sさんを教えているT先生。

そのT先生の話によると、確かにSさんは授業についてこられない状態ですが、授業には参加しようとしているそうです。断片的にでも理解できることがあると、そこから何とか話題に食いつこうとするのだとか。私との会話テストではコミュニケーションを取ることなど到底不可能だと思いましたが、コミュニケーションを取ることは好きなのでしょう。

初級のMさんは、漢字が全然だから今のレベルをもう一度やりたいと、上級クラスに入れてもやっていけそうなくらいの流暢さで話していました。Mさんは漢字以外は自信を持っているようでしたから、来学期からの教師が上手に育てていけば、Mさんの留学期間が終わる半年後にはかなりの使い手になるだろうと期待しています。

こういう濃い学生がクラスにいると、クラスが刺激的になります。アジアの学生は、そういうクラスを求めています。私たちもただアメリカの学生におんぶしてもらってクラスを作り上げていくのではなく、どちらの学生も力が発揮できる、お互いに伸ばしあっていける空気を醸し出していかねばなりません。

同国人のわな

3月19日(木)

Bさんは今学期の新入生で、日本の生活に慣れてきた先月からアルバイトを始めました。国の人が経営していれば有利な条件でアルバイトできるだろう、多少の無理も聞いてもらえるだろうと思って、そういう店を選びました。

ところが、同国人なら無理を聞いてもらえるだろうと考えたのは経営者も同じで、Bさんは毎日のように仕事の時間を延ばされ、最初の契約などないに等しい状況に陥りました。疲れて学校に通えないほど働かされ、最近は欠席者リストの常連になってしまいました。

Bさんもこれでは本末転倒だと思い、今週始めにそのアルバイトをやめました。そして、昨日からまた以前のように明るい笑顔で教室に戻ってきました。

私は海外で生活したことがありませんから、外国暮らしにおける同国人の重さやありがたさがわかりません。私は群れるのはあまり好きじゃありませんが、そういう環境に置かれたらやっぱり日本人を頼るのかもしれません。だから頭ごなしにBさんを叱り飛ばす気にはなれません。1か月で抜け出したのは賢明な判断だったと思います。こうして痛い目に遭ったのですから、今度アルバイトを始めるときは、こんなブラック企業並みのひどいところには引っかからないようにしてもらいたいです。

Bさんにとっては高い授業料だったと思います。欠席が続いたため、進級が危うくなってしまったのですから。期末テストまでよほど奮起しないと、来学期も同じレベルです。もしそうなったら、3か月という時間と1学期分の授業料を捨てたのに等しいです。まだ若いですからやり直しが利くとはいえ、心の傷は深いものになるでしょう。

だから、Bさん、これから期末テストまでは、あなたの人生を左右しかねない重要な時間なんですよ。わかってますか。

山の向こう側へ

3月18日(水)

初級の最後のクラスの会話期末テストに立ち会いました。場面が与えられて、その場面にふさわしくかつ独創性のある会話を作り、それをペアで演じるというものです。会話を考えて練習する時間は15分、会話の時間は1グループあたり3分と決まっていましたが、各グループとも4~5分の会話を発表しました。

冗長に感じられたグループもありましたが、「初級」ということを考えると、上出来と言っていいでしょう。4~5分間、ある内容を持った会話を続けたというところが立派です。このレベルの会話テストに立ち会うのは初めてでしたが、驚かされました。

でも、今日の学生たちが4月から上がるであろう中級レベルは私もしょっちゅう受け持っており、学期の最初の状況を考えると、これぐらいはできてもらわなければとも思います。中級以上では私はそんなに手加減をしませんから、あんまりたどたどしい話し方だと困ります。

話すことは語学の基本です。太古の時代は人類は音声言語しか持っていなかったのですから、話せることがコミュニケーションできることだったに違いありません。今日の学生たちの発表を聞いていると、彼らはこの基本を身に付け、日本語によるコミュニケーションがそれなり以上にできるようになったと感じました。初級と中級を隔てる山を乗り越えて、日本の社会で生きていくパスポートを手にしたのではないでしょうか。

もしかすると、来学期彼らを受け持つかもしれません。鍛えがいのありそうな学生たちで、春の訪れが一層楽しみになりました。