そんなに吸いたいですか

4月27日(月)

北海道や東北地方を中心に真夏日となり、全国的に多くの地点で今年最高の気温が記録されました。学校の前から空を見上げると、春にしては見通しの利きそうな青空でした。できればこの青空は来週の連休まで取っておきたかったのですが…。週間予報によると、私が旅行に行く関西地方は来週の月曜日あたりは曇りがちとか。

授業で教室に入ると、何気に窓が開いていました。気温が高いとは言ってもまだ冷房に頼るほどではなく、また、窓から入ってくる外気のほうが人工的に冷やされたくうきよりも気持ちがいいのでしょう。

そういうわけだかどうだか知りませんが、煙草を吸いに公園まで行ってしまう学生が出てきました。確かに、KCPの喫煙室は狭苦しいです。しかし、だからと言って灰皿もないところで吸っていいということにはなりません。喫煙が規制されるのは世界的な傾向です。本人の健康にも悪いし、煙によって周りの人にも迷惑をかけるし、火事の原因にもなりかねません。まさに百害あって一利なしです。初夏と言ってもよい公園のさわやかな空気を吸おうとしたらヤニ臭い空気を吸わされた、なんてことになったら、腹の一つも立てたくなります。

学校は煙草が吸いにくいから煙草を我慢しようとかやめようとかいう方向に考えないのでしょうか。何が何でも吸ってやろうという気持ちにしかならないのでしょうか。それとも、ゲーム感覚で、スリルを味わうために、公園あたりまで出かけるのでしょうか。そもそも、教師の目の届かないところならどこでも吸ってもいいと思っているのでしょうか。いずれにしても、快晴の青空とは裏腹の、暗澹たる気分です。

新しい環境

4月25日(土)

夕方、立て続けに卒業生が3人来ました。3人ともサークル活動を始めるなど、大学生活にも慣れて、それぞれの専門の勉強に踏み出したことを熱く語ってくれました。大学の講義の日本語は難しいようですが、それを上回る情熱でカバーしている様子がうかがえました。

Yさんは進学したS大学がいたく気に入ったみたいで、図書館や研究室のよさやすばらしい先生がいらっしゃること、友人関係にも恵まれていると話していました。第一志望の大学ではありませんでしたが、完全にS大学のとりこになっていました。

TさんもHさんも、大学の中で友人ができ、新しい人間関係を築きつつあるようです。よいネットワークの中に入れれば、留学生活は半分成功したようなものです。2人は理系学部で、女性が少ないことを嘆いていましたが、大学生は何はともあれ学問ですよ。

3人とも数学が難しいと言っていました。数学は理系の学問の言語ですから、わからないではすまされません。でも、1年生のときに勉強した数学が理解できるのは、数学を言語として書かれている専門書を読むようになってからです。もっと言ってしまうと、研究を始めて自分の頭で理屈をこね出して、「ああそうか、あのときの数学はこういう意味だったんだ」と納得がいくようになります。さらに、就職して大学で学んだことを現場で応用してみると、「あの時はわかったと思ったけど、実はぜんぜんわかっていなかったんだ」ということがわかります。数学って、それぐらい奥深いものなのです。だから、1年生の数学は、単位を落としさえしなければぎりぎりの成績でもいいのです。まあ、本当に優秀な人はこんなことはないんでしょうけどね。

3人の話を聞いていたら、私も大学に入学したばかりの頃を思い出しました。それから今まで、あっという間のような気もしますが、実は40年近い年月が流れているのです…。

Mさんの変身

4月24日(金)

夕方、職員室で仕事をしていてふと目を上げると、カウンターにMさんがいるではありませんか。Mさんは今年の卒業生で、今月からB専門学校に通っています。

学校は大変だと言っていましたが、表情には悲壮感はなく、むしろその大変さを楽しんでいるようでした。学校は毎日朝から夕方まで、宿題もたくさん出ますから学校以外で4時間ぐらい勉強しているそうです。学校へは定刻の30分ぐらい前に行きます。遅刻が多く、出てきても予習してこないこともたびたびだったKCP時代からは想像もつきません。

専門の勉強が大変なら、高度な専門性を身に付けるために進学したのですから、当然のことですね。だから、まだ始まってから1か月も経っていませんが、順調な滑り出しではないでしょうか。日本語はどうかって聞いたら、動機の留学生の中で自分が一番話すのがうまいと言っていました。学校で一言もしゃべらない留学生もいるとか。MさんはKCPの発話訓練をがっちり受けていきましたから、これもまた当然の結果ですね。KCPの厳しさの意味がわかったとも。そんなことを話すMさんの話し方は、1か月ちょっと前までに比べると明らかに進歩していました。

Mさんが日本語でつぶれていないことを聞き、日本語を教えた立場としては一安心です。送り出すときは少し不安な日本語力でしたが、本当に好きなことが勉強できるとなると、私たちが感じる以上の力が沸いてくるのでしょう。こう考えると、専門の勉強の力って偉大なものです。KCPのように留学の入り口の学校が持ち得ない、留学生をひきつけ脱皮させる力があります。うらやましく感じます。

でも、きっと逆もまた真なりで、専門学校や大学がうらやむ条件がKCPにもあるはずです。それを見つけて、教えることそのものを楽しみたいです。

真っ赤な例文帳

4月23日(木)

授業で扱った文法や語彙を使うチャンスを与えるために、毎日のように例文を書かせています。同時に、文法や語彙が定着しているかどうかも見ることができます。そんなに御大層な文である必要は全くないのですが、気の利いた文を書いてくる学生もいればこじ付けみたいな文を作ってくる学生もいます。こういうあたりにセンスというか吸収力というか、まあ言ってみれば伸びていけそうかどうかの差を感じます。

センスのある学生は、自然な場面設定ができます。課題となっている文法や語彙がどんな場面や状況で使われるのかを的確に把握し、それに具体性を持たせることができます。そして、自分の現有の語彙や文法でそれを文として表現するのです。

一方、センスのない学生は、特異な例しか想像できなかったり、妙な勘違いに捕らわれてそこで頭が固まってしまったりしています。あるいは教科書や教師が提示した例文の亜流を作るのがやっとです。さもなければ、想像力がたくましすぎて、一般庶民の頭ではついていけないような文を作ります。

センスのある学生は、たとえ使い方が間違っていても、ちょっと方向性を示唆すれば自力で軌道修正できます。センスのない学生は、結局、間違いを何度も直されながら時間をかけて覚えていくしかないのです。語学の速習法なんていうのは、所詮はセンスがある人たちにしかできません。

だから、私たちは学生たちに間違える機会をいかに多く与えるかに腐心すべきなのです。作文でも会話でも何でもかんでも、間違える舞台をどんどん用意して、そこで思う存分躍らせて、最初に習ってから半年とか1年とかかけて、真の意味での定着を図っていくのです。

今学期私が受け持っている初級クラスの学生たちは、「上手」になるためにはまだまだ泣いてもらわなければなりません。明日もまた、真っ赤に添削された例文シートが学生の手元に返されます。

ある退学

4月22日(水)

先学期私が担任をしたクラスだったWさんが退学しました。先学期のWさんは成績も学習態度も出席率もどれも芳しくなく、留学を続けられるとはとても思えませんでした。退学勧告も含めてじっくり話がしたいと思っていましたが、本人が姿を現さないため、できないでいました。

漏れ伝わってきたところによると、Wさん自身も自分は勉強があまり好きではなく、日本の生活も大変なので、帰国したいと思っていたようでした。出席しても心ここにあらずという感じのことが多かったですから、うなずける話です。Wさんは3月に一時帰国して話し合ったものの、ご両親からは完全帰国に強力に反対されました。それで意に反して留学を継続したというわけです。

ご両親に帰ってくるなと言われたWさんにとって、この世での居場所はKCPしかありませんでした。そのKCPも、好きではない勉強を続けることが在籍を続ける条件ですから、居心地のよいものではありません。こう考えると、先学期さんざん厳しいことを言いましたが、かなりかわいそうなものがあります。

Wさんのご両親はどういうつもりで子供を留学に出したのでしょう。千尋の谷に突き落として這い上がってこいと子供を鍛え上げようとしたのでしょうか。それだったら、突き落とす谷を間違えていたと思います。Wさんにとって日本留学は手がかり足がかりのある谷ではなく、蜘蛛の糸すら垂れてこない地獄落ちだったに違いありません。もし、外国に送り出しさえすればマルチリンガルの国際人になって戻ってくるなんて考えていたとしたら、それは偉大なる勘違いです。

Wさんがどういう交渉をしてご両親に帰国を認めともらったのかは定かではありませんが、いい形で話しがついたと思います。Wさんが新しい道で大きく成長することを祈るばかりです。

選択授業の前に

4月21日(火)

今学期は選択授業の曜日に初級クラスに入っているため、先週の木曜日から始まっている中級以上の選択授業もどこか別世界の出来事のように感じられます。3年前に選択授業が始まってから、毎学期何らかの形でかかわってきましたが、完全に外れるのは初めてです。

初級はみんなで一緒に基礎固めという発想で、選択授業は設けていません。どういう進路にせよ必須で身に付けておかなければならない日本語を勉強しているのが、KCPで言えばレベル1から3までです。やはり「みんなの日本語」は疎かにはできません。また、逆に言うと、「みんなの日本語」の文法を確実に使いこなせれば、入試の面接だって小論文だって怖くはありません。

そうやって築いた基礎の上に、レベル4以上で自分の夢に手が届くような楼閣を組み立てていきます。どんな楼閣にするかは各学生次第ですが、基礎がいい加減だったらまさに砂上の楼閣になり、夢はついえてしまいます。

ところが、学生たちは無理をしたがるんですよね。少しでも早くという気持ちはわかりますが、「急がば回れ」とか「急いてはことを仕損じる」とか言いますから、無理を重ねて見切り発車じゃ、留学が将来の肥やしにならなくなってしまいます。

その無理をしたがる学生の気持ちに付け込むような学校が、最近増えてきたように思います。青田買い的に日本語が未熟な学生を集めて、いったいどういう教育をしているのだろうという学校です。教育は安売りすべきではありません。高等教育はちょっとお高く止まっているくらいでちょうどいいのです。大衆化、国際化と言えば聞こえはいいですが、その実が学生の頭数合わせや入学金稼ぎだったら、羊頭狗肉もはなはだしいです。

学生たちには夢を叶えてほしいです。でも、日本で夢を叶えようというなら、日本語の基礎をつけてからですよ。

C評価をどうしよう

4月20日(月)

先週の火曜日に書かせた初級クラスの作文を明日返さなければならないので、午前中、その採点をしました。先週のうちに下読みをしておいたので、採点基準に従って成績を決めていきました。すると、かろうじてB評価という程度の学生ばかりで、C評価も続出というありさまでした。

意味不明の文を書いている学生はあまりいませんでしたが、文法や表記のミスで次々と点が引かれ、不合格を何とか免れたという成績になってしまいました。授業ではよく短文を書く課題がありますが、日本語で長い文章を書く練習はあまりしていません。そのため、同じような内容の文を繰り返したり、主語と述語が合っていないねじれ文になったり、難しい表現を使おうとして自滅したりしたため、大きく減点された学生もいます。

作文指導は、今まで中級以上ばかりをしてきましたが、その時点で日本語の文構造がわかっていないと思われる学生が多々おりました。今学期はもう一段階前の学生たちが相手ですから、そういう芽をつぶしていこうと意気込んでいました。しかし、どうもそれ以前のところから指導していかなければならないようです。

どの言語でも、四技能のうち「書く」が一番難しいと思います。情報を受信するよりは発信する、音声言語よりは文字言語のほうが難しいものです(英語を「読む」より「話す」ほうが難しいという日本人は例外的存在?)。これをこなしてこそ、語学の最高峰に立てるのであり、大学や大学院の入試に「書く」課題が多いのも首肯すべきことです。私が受け持っているクラスの学生の大半は日本での進学を考えていますから、この山を乗り越えないことにはどうにもなりません。

さて、明日はどうやってこの作文を次へのステップにつなげましょうか。これからそれを考えます。

気軽にキャンセル

4月17日(金)

午後、受験講座の授業の準備をしていると、カウンターからSさんに呼ばれました。行って話を聞いてみると、明日から始まる受験講座・JLPTをキャンセルしたいと言います。

受験講座の各科目は強制的に受けさせる性質のものではありませんから、キャンセル自体は別にかまいません。しかし、自分自身で受講を申し込んでおいて、1度も受講する前にキャンセルするのはいかがなものかと思います。あまりに計画性がないではありませんか。自分の勉強ですよ。将来の自分に対する投資ですよ。それがこんな無計画でいいのでしょうか。ホテルの予約のキャンセルとわけが違います。

Sさんに限らず、何名かの学生が受験講座の受講登録取り消しを求めてきました。そのたびに同じことを思いました。それどころか、何の申し出もなく欠席を続けているPさんのような学生もいます。Pさんがずっと学校を休んでいるという話は聞いていません。受験講座だけ無断欠席しているのです。本気で進学するつもりなのでしょうか。

「とりあえず登録しておこう」という態度は好ましくありませんが、「とりあえずでも登録したんだから、とりあえず出てみよう」ってならないんですかねえ。進路を決めかねているなら、可能性の間口を広げておいて、その中から自分が真に進みたい方向を決めるっていうのが、将来を一番豊かにすると思います。

半年後、受験シーズンのピークで、SさんやPさんはどんな顔をしているのでしょうか。泣きっ面は拝みたくないです。

引導を渡す

4月16日(木)

受験講座が始まっています。新しくやる気にあふれた顔が加わり、教師のほうも気合を入れ直しています。私の担当している理科は、今週は各科目のオリエンテーション。今日の化学では少し脅しをかけました。

この講座を受ける学生たちは、理系大学への進学を目指しているくらいですから、国でもそれなり以上に理科の勉強をしてきています。でも、その勉強や実力がそっくりそのまま日本で通用するとは限りません。そうでない例を多数見てきました。少なくとも、現時点で学生たちが狙っている大学に入るには、平坦な大通りではなく険阻な山道を歩まねばなりません。そのことをわからせたかったのです。

化学といえば、何はともあれ周期表であり元素ですが、その元素名にはナトリウム、マンガン、ニッケルなど、カタカナ語が主力です。有機化学となると、ベンゼン、エチレン、アセチルサリチル酸、ポリエチレンテレフタラートなど、さらにカタカナ語の度合いが進みます。その他、ハーバー・ボッシュ法、ファンデルワールス力など、いくらでも出てきます。これをどばっと見せると、楽勝と思っていた学生たちの顔色が変わり、頬を引きつらせたりあきれて笑ってしまったりと、十人十色の反応でした。

毎年、カタカナ語がどうにもならなくて理系の進学をあきらめる学生が何名かいます。あきらめるのはしかたがない面もありますが、文系へと方向転換する時期が遅くなると、文系の勉強も間に合わなくなり、日本での進学自体をあきらめざるを得ない状況にも追い込まれかねません。今、思い切って理系を捨てて文系に進むと決断すれば、11月のEJUには何とか間に合います。どんなに遅くても連休明け直後がクリティカルポイントです。

だから、理系がいかに大変かということを示して、あきらめる人にはすぐに新しい道に進んでもらおうと思ったのです。消去法で理系を選んだ学生には、点を取るためにカタカナ語を覚えるという勉強はしんどいでしょう。一刻も早く方向転換したほうが、本人のためです。

今のところ、誰もやめるとは言ってきていません。今学期はファイトのある学生が集まったと思っていいのかな。

クルマより人

4月15日(水)

京都市が市内随一のメインストリートである四条通の車道幅を半減するそうです。その分、歩道を広げます。今の歩道幅は狭くて、車いすも満足に通れなければ、バス待ちの人がいると歩行者のすれ違いにすら苦労します。これでは日本を代表する観光都市として恥ずかしいということで、車道をつぶして歩道を広げようというわけです。

1980年代ぐらいから、日本は目に見えてクルマに優しい国になっていきました。クルマに乗ることを前提に国づくりが進められたと言ってもいいでしょう。中心街がさびれ、郊外の幹線道路沿いに広い駐車場つきの大規模なショッピングモールが造られ、数十キロも離れたショッピングモールどうしがクルマで来る客を奪い合うようになりました。安房トンネルを始め、峠道を貫くトンネルがどんどんできています。高速道路は国の隅々まで通じているように思われますが、それでもまだ建設されつつあります。街中でも、自転車は車道から歩道に追いやられ、歩行者はその自転車と歩道を貫く電柱を避けながら細々と歩く始末です。クルマなら1回の信号待ちで入れる道に、歩行者は2回の信号待ちが必要なことはよくあります。

そうではなく、歩行者や自転車に優しい街づくりが必要だと思っていました。京都市の方針は、まさにわが意を得たりと言ったところです。減ったとはいえ、去年も4000人以上もの命が交通事故によって奪われています。クルマを全面否定するつもりはありませんが、現状はクルマに甘い国になりすぎていると思います。道って本来は歩く人が主役なんじゃないでしょうか。

KCPの前の道は、学生たちがわがもの顔で振舞うせいか、ほかよりはだいぶ歩く人のための道になっていると思います。でも、クルマが来ると学生たちはあわてて道端によけます。この界隈、無理にクルマが通らなくても生活や業務に支障ないんじゃないかな。ですから、生活道路とかっていうのにして、指定車両以外通行禁止にできないものでしょうか。これは、クルマを持たない人間の発想かな。