独立を果たした

5月13日(水)

夕方、テストの採点をしていると、「卒業生のKさんが先生に会いたいって言ってますよ」と呼び出されました。受付まで出て行くと、9年前に卒業したKさんでした。かつての面影も残っていましたが、何より、白くて細かい歯が並ぶ笑ったときの口元が全く変わっていませんでした。

Kさんは、KCP卒業後、B専門学校に進学し、そこを卒業してから日本で就職し、昨年末に独立を果たしたと、今までの歩みを語ってくれました。仕事はきつかったけれども、その合間を縫って起業家セミナーなどにも参加して、知識を得るとともに人脈も築いていったそうです。

進学先を卒業したら日本で就職し、経験を積んで、いずれは自分の会社を作る――学生たちはそんなふうに自分の夢を語りますが、それを実現させられる学生は少ないです。大学や専門学校に入れば自動的に知識や技術が身に付き、就職しさえすれば自然に経験が積めて、自分が思い描いたような社長への道が開けると思っている学生が多いのではないでしょうか。現実がそうではないことは言うまでもありません。

KさんはKCPにいたころから積極的で、授業で習った言葉や文法をすぐにアルバイト先で使ってみたり、スピーチコンテストで賞を取ったり、入学式で在校生代表で挨拶したり、奨学金に応募してそれを勝ち取ったり、卒業生代表に立候補して見事にその務めを果たしたりと、自分の手で自分の道を切り開いてきました。こういう人物だからこそ日本で就職できたのであり、自分の将来に資する知識や経験を選び取り身に付けられたのであり、今は自分1人の事務所とはいえ、独立できたのです。

Kさんの話す日本語は、ら抜き言葉の入り具合まで日本人的であり、同窓会会報に載せる近況報告を書く筆の進みようも非常に滑らかで、ビジネスの世界にしっかり根を下ろしていることがうかがわれました。Kさんの会社で従業員を雇うときにはKCPの学生もよろしくねなんて、頼んじゃったりもしました。Kさんのビジネスが大きく羽ばたくことを祈ってやみません。

台風接近…せず

5月12日(火)

学生たちは、明日台風で休校になることを期待していたようですが、すでに台風は温帯低気圧寸前で、どうやら夜中にちょっと強めの雨が降って終わりになりそうです。明日は朝から晴れという予報が出ています。

昨日の今頃はまだかなりの勢力を保っていましたが、この時期は本州付近の海水温がまだ十分に上がっていないため、北上するにつれて急速に衰え、少々の雨を降らすのがやっとというところに落ち着きました。温暖化が進んだらこの時期の台風も弱まらずに本州に襲い掛かるようになるのですから、恐ろしい限りです。

さて、「先生、明日は学校休みですか」と期待に胸躍らせて(?)聞いてきた学生たちですが、「明日台風で休みになったら、期末テストの次の日に授業をします。それが嫌なら今度の日曜日です。どっちがいいですか」と聞き返してやると、「んぎゃっ」と何とも形容しがたい声を出して沈んでしまいました。実際、このクラスは進度が遅れ気味なので、臨時休校なんてなったらその後よっぽど急がないと所定のところまで勉強が進まなくなってしまいます。勉強をはしょわれて結局どこかでしわ寄せを食うのは彼ら自身です。台風で外にも出られない日が休みになっても、何のご利益もありません。普通どおりに学校で勉強するのが一番いいのです。

毎日続けることが力になると、学生たちもわかってはいるのでしょうが、それを信じて実行することは難しいです。臨時休校の日にきちんと自宅学習できる学生は、努力の価値をしている学生で、目標到達までがんばり続けられる学生でしょう。これ幸いと遊んでしまう学生は、堕落の芽をはらんでいる学生だと思います。これから半年前後続く受験競争ですが、台風で休校などという僥倖を当てにしないで、しっかり力をつけて勝利をつかんでもらいたいです。

全員出席

5月11日(月)

やっぱりクラス全員がそろうと気分がいいですね。教室に入った瞬間パッと見渡して空いている机がなく、出席を取って全員から返事があると、こちらも気合が入るというものです。学生たちも、スカスカの教室より友達が全員顔を見せているほうがやる気が湧くんじゃないのかな。教室は多少狭く感じるくらいでちょうどいいのです。

もちろん、日本語学校のような20人ぐらいのクラスの教え方もあれば、10人ぐらいのクラスや数人規模の学習者への教え方もあります。だから、20人のクラスで10人欠席したら10人クラスの教え方をすればいいというものではありません。表面的にはそうするかもしれませんが、学生側の気持ちや教師のノリが10人のクラスで10人が来たときとは大きく違うのです。

私は、欠席が多かったら、出席した学生に出てきた甲斐があったと思ってもらえるような授業を心がけます。何かそういう目標を掲げないと気力が続きませんし、スーパーの雨の日サービスじゃありませんが、お得感も持たせないとね。

今日のクラスは最初から全員出席で、気持ちよく授業ができました。予定よりみっちりした授業ができました。密度の高い授業は、学習者の数が少ないときにできるものではなく、最適の学習者数のときになされるのであり、その最適の学習者数とはクラスの学生数なのです。

ここしばらく誰かが欠席しているという状態が続いていたので、なんだか学生の顔つきも明るく感じられました。これは私の思い込みも入っているでしょうが、今日の教室に活気があったことは確かです。明日は別のクラスですが、またこういう授業ができるといいと思っています。

活動再開

5月9日(土)

朝の受験講座が終わってから、ボランティアクラブの学生たちが募金箱を作り始めました。来週からネパールの地震の被災者に送る募金を始めます。

学生たちの中にネパールとつながりのある人はいないでしょう。地震の少ない国から来た学生には、地震で家を失うとか生活の基盤が消えるとかという事態が、最初はピンとこないかもしれません。自分を被災者の立場に置いて、そういう状況がいかにとんでもないものかを理解し、縁もゆかりもないところの被災者にお金を出す、という思考や行為は、学生たちを成長させます。自分の主体的な行動が遠い世界とつながっているという実感を、若いときから持ってもらいたいです。

ネパールのど遠くじゃなくても、ボランティアのネタはいくらでもあります。日本へ来てから献血を始めたという学生も、今まで何人かいました。母国の天災を知り自らが発起人となって募金活動を始めた卒業生もいました。家の近くの公園を掃除しているという学生の話も耳にしたことがあります。そういう気持ちを大きく育てていくと、一回りも二回りも大きな人物になれるでしょう。

ボランティアクラブは、旧校舎の時代には東日本大震災の募金をはじめ、けっこう活躍していたのですが、仮校舎に移ってからは活動休止状態が続いていました。それがこのたびようやく復活し、最初の活動がこの募金というわけです。募金以外にも、毎学期実施しているバザー(収益は親と一緒に暮らせない子供の施設に寄付)のお手伝いなど、いろいろと活動計画があるようです。

募金箱を作っている面々も、受験講座を受けているくらいですから受験生です。自分の勉強を最優先にしたいでしょうが、その気持ちを抑えて、だれかのために貴重な時間と労力を割いています。この心意気は大いに買ってあげたいです。

効き目なし

5月8日(金)

Xさんは毎日のように授業中ケータイをいじっては先生に叱られています。今日も私がふとXさんに目を向けるとケータイをいじっている様子でした。

「何をしているんですか。授業中にケータイはダメだと毎日先生が言っているでしょ」「すみません」「どうして授業中にケータイを見るんですか」「すみません」「理由を聞いています。理由を答えてください」「ありません」「理由がありませんがケータイを触ります?」「はい」「じゃあ、病気ですね。病気の人は出て行ってください」「病気じゃありません」「じゃあ、勉強したくないんですね。うちへ帰ってください」「勉強します」「勉強したいんですね」「はい」「じゃあ、立ってください。立っていたらケータイに触れませんね」

ということで、その後Xさんを立たせたまま授業を進めました。かなり本気だったつもりですが、その本気がどうも伝わらなかったようです。周りの学生たちは私が怒っているのを見て相当ビビッたみたいですが、Xさん本人はケロッとしていました。肝が太いと言ってしまえばそうかもしれませんが、こういう肝の太さは周囲の顰蹙を買うだけで、本人に幸せをもたらすとは思えません。

最近この手の若い学生が増えてきた気がします。よく言えばマイペースですが、単にわがままで他人の心を推し量ることができないというのが実情だと思います。こういう学生が日本の大学や大学院に進学したらどうなるのでしょうか。進学先でもトラブルメーカーになるんでしょうね。そうならないようにと、勉強以外の面のしつけにも力を入れてきましたが、力及ばずと感じることもままあります。

Xさんには来週の月曜日にもクラスで顔を合わせます。どんな態度で授業を受けるのでしょうか。連休のリフレッシュがいっぺんに帳消しになってしまったできごとでした。

幸せの分け前

5月7日(木)

朝一番にもかかわらず、河内長野駅発のバスは座席がさらっと埋まるほどの乗客がありました。その大半が30分の乗車、金剛登山口バス停で降り、私以外の人たちはみんな登山口へ。私は千早城跡へと向かう急な階段へ。楠木正成が立てこもり、自軍の数十倍になる北条の大軍を引き付け、鎌倉幕府滅亡のきっかけを作りました。城跡にはそんな生々しい戦いのあとを示すものはありませんでしたが、そこに至るまでの急峻ながけを登っていると、楠木正成の知略のかけらが見えるような気がしました。

千早城跡は標高が600mあまりで、そこからさらに500m登ったところが金剛山の山頂です。お天気は下り坂という予報でしたから大急ぎで登った甲斐があり、山頂からは大阪平野はもちろん、関西空港や淡路島、明石海峡大橋まで望めました。キンキンに冷やしやお茶がおいしかったです。

ロープウェイで下山すると、上りのロープウェイは定員いっぱい、麓の駅は乗車待ちの人たちであふれていました。駐車場は満車になりつつあり、バスも立ち客が出る満員でした。しかも、小雨がぽつぽつと。まさに早起きは三文の得です。

春日大社は式年造替で、御神霊が仮殿に移っているので、ふだんは近づけない御本殿が間近で拝観できます。また、神が宿っているともされる磐座(いわくら)も見られました。日本の神は実体が明らかになっているわけではなく、気配(神気)を感じてその存在を悟るものです。御本殿や磐座は視覚的には印象が強いものではありませんでしたが、私のような凡人でも“何か”を感じました。

ここで、ちょっとした事件が。ある参拝者が撮影禁止領域でカメラを構えたのです。それを見つけた神職は烈火のごとく怒り、データを消せと厳しく命じました。その参拝者は撮影はしていないと言い訳していましたが、神職はなぜ疑われるような行動をしたのかと怒りを納めませんでした。神職の怒りは当然だと思います。デジカメになってからは気軽にとって気安く消すという、写真の無駄遣いというか真剣みのない撮影が横行しています。怒られた参拝者は無意識にカメラを向け、起こられてもおそらく反省はしておらず、今後もまたどこかで同じことをするでしょう。こういう何でも見境なく撮ろうとする人を見かけると、無関係なこちらまで不愉快になってきます。

その後、若草山に登りました。若草山は標高342mですが、山頂からは奈良盆地や大和三山が一望でき、前々日に登った金剛山もかすかに見えました。西方面は生駒山、信貴山、二上山、葛城山が連なり大阪平野までは見えませんでしたが、その穏やかな山並みもまた心を和ませてくれます。

大阪には、こういうふうに気軽に登れる山がたくさんあります。そしてその頂上からは絶景が望めます。大阪から金剛山まで直線距離で35kmほど。新宿ー筑波山はその倍の約70km。高尾山は40km強。大阪―生駒山はわずかに20km弱。大阪の人たちは幸せだと思います。今年の連休は、大阪の人たちの幸せを少し分けてもらいました。

国際貢献

5月1日(月)

ネパールの地震の犠牲者が時とともに増え、6300人を超えたと報じられています。この勢いでいくと、阪神淡路大震災の死亡者数6434人(ほかに行方不明が3人)を上回ってしまうかもしれません。地震発生域の人口密度を考えると、現時点ですでに阪神淡路大震災以上だと言ってもいいでしょう。

ネパール地震の写真を見ると、レンガ造りのいかにももろそうな家がつぶれています。ネパールは日本と同様にプレート境界上にあります。インドが南からユーラシア大陸にぶつかってできたのがヒマラヤだと言われていますから、地表面下の地殻のせめぎあいは激しいものがあるはずです。そういう国に、こういう大災害が起きる前に、震災先進国と言っていい日本が何かできなかったものでしょうか。災害救助隊をいち早く送ることも大切ですが、災害を予防する観点から何かできなかったのだろうか思わずにはいられません。

安倍さんはアメリカの議会で演説して非常に得意げですが、世界的規模で考えると、上述のような形のほうがより日本らしい、日本ならではの国際貢献だと思います。他国ができない貢献をしていくことこそ、日本の世界における地位を向上させるのです。

昨日、初級の読解の授業で地震に関する文章を読みました。阪神淡路大震災で横倒しになった高速道路の写真や、東日本大震災での津波の映像を見せました。学生に対しては、こういう地震の多い国で暮らしているのだから、日頃からその対策を怠らないようにというまとめをしました。

上級の授業なら、ここからさらに発展させ、日本がすべき国際貢献っていうあたりに話を持っていくんですがね。このクラスの学生に上級でまた会うことがあったら、そんなことも考えてもらいましょう。

半袖がさわやかですね

4月30日(木)

昨日は、お天気もまあまあだったので、たんすの中身を完全に夏物にしました。部屋着も半袖短パンにし、冬物は衣装箱の底にしまいました。来月半ばにはクールビズにしますから、それ用の半袖のワイシャツを衣装箱の上のいつでもすぐ取り出せるところに移しました。コートはこの前の日曜日に開店したクリーニング屋の半額オープンセールに出していますから、これで冬のかけらがなくなりました。

学生は私なんかまだマフラーをしているころから半袖を着ていますからあまりあてになりませんが、ここのところ通勤電車の中でも半袖が目立つようになりましたから、季節は初夏になりつつあるようです。日の出はいつの間にか4時台に。朝が早い私は、日没よりも朝日の早さで季節の進み具合を感じます。私は半袖の着始めのころに腕に感じる心地よい空気の冷たさがとても好きです。秋口に感じる半袖の腕のひんやり感は、気を引き締めていかなきゃっていう感じにさせられますが、この時期の半袖の腕には開放感を覚えます。

学校へ出てくると、いつもより早めに出勤したO先生たちが鯉のぼりを飾り付けてくれました。校舎の正面はビルの谷間で若干青空が狭いのですが、それでも風になびく姿には優美かつ雄大なものがあります。半袖の学生が鯉のぼりにカメラを向ける姿は、とても伸びやかですがすがしいです。明日は、学校の中で端午の節句の催しをします。

そして、あさってからは5連休。私は半袖を着て恒例の関西旅行に出かけます。天気がいい日を見て、金剛山に登ってこようかなと思っています。

持ち帰らない

4月28日(火)

明日は昭和の日でお休み。いよいよ大型連休が始まります。学校はカレンダーどおりに休みですが、教職員の中には仕事を家に持ち帰る方もいます。私は仕事を家に持ち帰りません。帰宅が遅くなろうとも、仕事は学校で片付けます。

まず、学生の宿題などの書類を持ち帰ろうとしてその書類をなくしてしまったら、その責任は取れないからです。学生が私を信頼して個人的なことを書いた作文を電車の中で採点していて隣の人に読まれてしまったら、私はその学生に合わせる顔がありません。学校の機密にかかわることだったら、なおさらのことです。私はそう簡単に持ち物をなくしませんが、万が一のことを考えると、気安く持ち帰ろうという気は起こりません。

それから、「私」の時間に「公」を持ち込みたくないのです。「私」が「公」に侵入する公私混同が許されないのなら、同様に「公」が「私」を侵略するのもおかしいです。ほかの人はともかく、私は24時間仕事のことばかり考えていたらいい仕事はできません。かつて、職場も住まいも同じ敷地内という環境だったことがありますが、頭がおかしくなりそうでした。仕事を完全に離れる時間が、私には必要なのです。

もちろん、学校を一歩離れたら日本語教育について全く考えないなどということではありません。毎朝新聞を読んで、教材になりそうな記事はしっかりチェックを入れますし、長期休暇で旅行に出ても、旅先で授業のネタに反応することはあります。ただ、それを義務だと思った瞬間に、日常生活も旅行も重苦しいものになってしまうような気がするのです。それゆえ、“私公混同”を恐れているのです。

午後は受験講座がびっしりつまっていましたから、午前中の授業の後始末がまだ完全には終わっていません。でも全ての仕事が納期に間に合うような計画は立てています。今週末からは、例年通り、思いっきり遊ぶつもりです。

そんなに吸いたいですか

4月27日(月)

北海道や東北地方を中心に真夏日となり、全国的に多くの地点で今年最高の気温が記録されました。学校の前から空を見上げると、春にしては見通しの利きそうな青空でした。できればこの青空は来週の連休まで取っておきたかったのですが…。週間予報によると、私が旅行に行く関西地方は来週の月曜日あたりは曇りがちとか。

授業で教室に入ると、何気に窓が開いていました。気温が高いとは言ってもまだ冷房に頼るほどではなく、また、窓から入ってくる外気のほうが人工的に冷やされたくうきよりも気持ちがいいのでしょう。

そういうわけだかどうだか知りませんが、煙草を吸いに公園まで行ってしまう学生が出てきました。確かに、KCPの喫煙室は狭苦しいです。しかし、だからと言って灰皿もないところで吸っていいということにはなりません。喫煙が規制されるのは世界的な傾向です。本人の健康にも悪いし、煙によって周りの人にも迷惑をかけるし、火事の原因にもなりかねません。まさに百害あって一利なしです。初夏と言ってもよい公園のさわやかな空気を吸おうとしたらヤニ臭い空気を吸わされた、なんてことになったら、腹の一つも立てたくなります。

学校は煙草が吸いにくいから煙草を我慢しようとかやめようとかいう方向に考えないのでしょうか。何が何でも吸ってやろうという気持ちにしかならないのでしょうか。それとも、ゲーム感覚で、スリルを味わうために、公園あたりまで出かけるのでしょうか。そもそも、教師の目の届かないところならどこでも吸ってもいいと思っているのでしょうか。いずれにしても、快晴の青空とは裏腹の、暗澹たる気分です。