久しぶりの揺れ

5月25日(月)

授業中地震がありました。毎度のように私よりも学生のほうが敏感に揺れを感じ取りました。「先生、地震」と言われてしばらく経って、本格的な揺れが来てやっと、地震に感づきました。学生が心配そうな顔をしたので、外を見て電線が揺れていないことを確かめ、大きな地震ではないと宣言し、学生を安心させました。

3.11のときには、KCPの正面のビルが左右に大きく揺れました。あのビルが倒れて隣も倒れて、なんていうことになったら大変だと、とっさに最悪の事態も想像したものです。向かいのビルから見たら、KCPのビル(旧校舎)も心配になるくらい揺れたことでしょう。

しかし、その後、校舎を建て直して、現在の校舎は3.11クラスの地震でもびくともしないビルになっています。へたに外に逃げ出すよりも校舎内のほうがずっと安全です。また、教室で多少なりとも落下する可能性があるものといえば、せいぜい柱にかけてある時計ぐらいです。だから、授業中に大きな地震が起きても、なんらあわてることなく机の下に隠れるなどの行動を取ればいいのです。

揺れが完全に収まってから、そんなことを学生に言いました。この校舎にいる限り安全なのだから、地震が来てもいたずらにおびえることはないのです。また、教科書にちょうど非常袋が出てきたところだったので、それについてもちょっと話しました。非常袋を用意している学生は1人もいませんでした。

地震らしい地震(?)は久しぶりでしたから、クラスの中には来日後初めてどころか、生まれて初めて大地が揺れるのに出会った学生もいたかもしれません。でも、その大地がしょっちゅう揺れる国を留学先として選んでしまったのはあなた自身なのですからね。地震も日本文化を形作ってきた重要な一要素として、体験し学んでほしいですね。

毎日続ける

5月23日(土)

昨日が運動会でしたから、今日の受験講座は気が抜けて休んでしまう学生が多いだろうと思い、プリントの印刷部数を少なめにしようと思いました。でも、それは学生に対して失礼だと思い返し、先週の出席者数と同じ部数だけ刷りました。

少し早めに教室に入ると、机がまばらに埋まっている程度でした。やっぱりなと思いながら始業のチャイムと同時に出席を取り始めると、数名がばたばたと駆け込んできました。出席を取り終わってプリントを配ろうとすると、さらに何名かが入り、この時点でプリントにほとんど余裕がなくなりました。その後、学生たちがプリントの問題をやっているときにもう3名入室し、ついにプリントが足りなくなってしまいました。結局、出席者数は先週より2名多くなりました。

遅刻はほめられたことではありませんが、運動会の翌日で休みたい気持ちもあったにもかかわらず学校まで出てきたのは、立派な心がけです。毎日勉強しなければならないことはわかっていても、「運動会の翌日だから」「誕生日だから」「久しぶりに国の友達にあったから」などと、何かと理由をつけてサボりたくなるものです。しかし、受験の神様は、そういう気持ちを抑えて毎日コツコツと努力を続けた受験生にだけ微笑むのです。

勉強に例外を設けてはいけません。例外は「アリの一穴」です。どんどん広がって、やがては土台から崩れ去ってしまいます。どんなに苦しくてもペースを乱さず続けることが肝心です。「じゃあ、風邪をひいて熱があっても頭が痛くても、頭に何も入らなくても勉強しなければならないんですか」と聞かれそうですが、私は病気にならないことも受験生のすべきことだと思っています。健康管理も受験勉強のうちです。

今日の受験講座に出てきた面々は、みんな努力が続けられそうな学生たちです。これからも勉強する気をくじくようなことにぶつかるかもしれませんが、そんなことに負けずに前進し続けてもらいたいです。

盛り上がりの支え

5月22日(金)

「荷物、体育館に入れて」。9時に運動会会場の体育館が開場されると、すでに集まっていた学生たちに向かって担当のM先生の号令がかかりました。今回も最上級レベルの学生たちはスタッフとして私たち教職員のお手伝いをしてくれます。

朝の私の担当は、会場のライン引き。特にトラックのコーナーの部分は、TさんとKさんのおかげでとても滑らかなカーブが描けました。私からの面倒な注文にもかかわらず、Tさんは汗をぬぐいながらラインテープを張ってくれました。その後1日中、何十人もの学生が当たり前のようにそのカーブを曲がっていきましたが、その陰の努力にまでは気付かなかったでしょうね。

午前中の競技が終わった後に、腹筋運動が何回できるかを競う自由参加の競技が行われました。私なんかはせいぜい3回ぐらいでしょうけど、女性の優勝者は64回、男性にいたっては200回までやっても勝敗が付かず、優勝者3名ということになりました。100回、150回と回数が上がっていくにつれて観客席から大きな声援と拍手がわきあがり、200回にまでなったときにはそれがしばらく鳴り止みませんでした。

綱引きの決勝は綱のすぐそばでの応援に。選手も応援する学生も一体となって、一種のトランス状態になっていました。予選敗退チームの学生も、観客席で自分たちを破ったチームの成り行きを興奮しながら見つめていました。そんな中でも、私と一緒に審判をしてくれたCさん、Sさん、Oさんは冷静で、きっちり勝敗を判定してくれました。

午前の競技の進行が遅れ気味で一時はどうなることかと思いましたが、学生スタッフの活躍もあり、予定通りの時間に終わらせることができました。一人でスマホをいじるのではなく、みんなで力を合わせて何かをする、チームで一つの目標に向かうということの楽しさを味わってくれたことと思います。会場近くのお店で最上級クラスの面々が打ち上げをしているのを横目で見ながら、家路に就きました。

夜明けの雷

5月21日(木)

今朝は雷で目が覚めました。半分寝ぼけていた私の目に稲光が突き刺さり、起きてしまいました。雷鳴はそうでもなかったのですが、稲光はだんだん勢いを増してきました。朝刊がビニール袋に入っていましたから、雨も降ってきたんだなと思いました。その朝刊を読みながら食事をしていると、腹に響くような雷鳴も聞こえてくるではありませんか。電車が動いてくれるだろうかと、心配になってきました。

家を出る頃は結構な降りでした。気温も半袖の腕がひやんとするくらいまで下がり、寒冷前線の通過を感じさせられました。だから雷も発生したのでしょう。4時半といえばいつもはもう明るいのですが、今朝は厚い雲の下でまだ夜の帳の中という雰囲気でした。しかし、風はさほどひどくなく、雲の切れ間も見えてきました。

丸の内線が地上に顔を出す四谷ではすでに雨が上がっている気配で、新宿御苑前駅で降りて外に出ると、もう傘は不要でした。そして、7時半ごろいらっしゃったN先生は、開口一番「今日はさわやかですね」。日が高くなるにつれて湿度はどんどん下がり、気温は25度をちょっと超えた程度でしたから、気持ちのいい1日でした。

おとといは奄美地方が、昨日は沖縄地方が梅雨入りし、雨の季節の足音が次第に近づいてきました。それだけにこのさわやかさを存分に味わっておきたかったのですが、授業だなんだかんだで、校舎の外には出られませんでした。

明日は運動会。屋内だからお天気は関係ないとはいえ、やっぱり青空を仰ぎたいです。

読解の採点

5月20日(水)

中間テストの採点をしました。上級クラスの読解を担当しましたが、結果は一言で表すと「まだまだ」です。

文章が読めていないのではありません。選択肢のある問題や本文の一部を抜き出す問題は、そこそこできます。しかし、作問者の意図をくみ取り、その意図するところに答える力や、読み取ったことを文字化するところに難点があります。記述式になると、何を問われているかつかみきれない姿や、表現力不足で頭の中を伝えられない様子が思い浮かびました。非常に好意的に採点したつもりですが、それでもばっさり減点せざるを得ない答案が何枚かありました。夏から始まる大学や大学院の入試を考えると、不安を覚えずにはいられません。

何名かの学生が模範答案に近い答えを出してきていますから、問題が難しすぎたとは思っていません。それ以外の学生は、文章全体を俯瞰して答えるという、上級の読解問題に必要な問題の解き方が身に付いていないのです。設問に答えながら文章の理解度を深めるという読み方が足りません。読解の授業は、教師からの質問に答えていきながら、文章の表面から見えない何物かに気付いていくものです。教師側もその追究に甘さがあったかもしれません。

さて、この学生たちの読解力はどう伸ばしていけばいいでしょうか。彼らの人生を左右する試験が迫りつつあります。それまでに何とか形にしてあげなければなりません。

いい学生じゃなくても

5月19日(火)

私のクラスのSさんは、ふだんからどことなく落ち着きがありません。かまってもらいたいというか、じっとしていられないというか、集中できる時間型の学生に比べて短いのです。だから、中間テストの座席を教卓のまん前にしました。試験監督の先生ににらまれていれば、気持ちがテストに向かっている時間が少しは長くなるだろうと思ったからです。

ところが、これが試験監督のK先生に大不評。Sさんがきょろきょろしないようにずっと見張っていなければならず、他の学生に目が届かなかったとのことです。隣に学生がいない教卓の横の席のほうがよかったようです。

KCPには世界中から学生が集まっていますから、考え方も行動様式も性格も特徴も、文字通り多種多様な人々がいます。Sさんは、私の頭の中にある基準、学生とはこうあるべきだという規範からは外れています。私にとってSさんはいい学生とは言いがたいです。しかし、だからといって、Sさんを切り捨ててしまうことはできません。Sさんがこの社会で生きていく上で、どんな形で力になれるかを考えています。

もしかすると、おとなしくテストを受ける人間が標準だという日本社会は、Sさんにとって住みにくい世界かもしれません。でも、Sさんは日本が好きで留学に来てくれたのです。その気持ちには何とかこたえてあげたいと思っています。

140万分の1万

5月18日(月)

昨日、「大阪都」構想の是非をめぐる住民投票が行われ、反対票が賛成票を上回りました。この結果、これからも従来の大阪府と大阪市が存続することになりました。

反対票が賛成票を上回ったといっても、その差は投票総数140万票あまりのわずかに1万票です。橋下市長にとっては文字通りの惜敗でした。また、投票率は66.83%と、大阪市で行われた選挙にしては近年まれに見る高さでした。それでも、昨年行われたスコットランド独立住民投票の85%には遠く及びませんが。

投票率が66.83%だったということは、約3分の1の有権者が棄権したということです。賛否の票差が1万票だったことを考えると、棄権した約70万人の責任は重いと言わざるを得ません。どういった理由で投票に行かなかったのかはわかりませんが、この人たちの一部分でも投票していたら逆の結果になっていたかもしれません。

連休に大阪へ行ったとき、市営地下鉄では投票を呼びかけるアナウンスをしていましたが、賛成・反対どちらの街頭演説にも出会いませんでした。山の中ばかりではなく、難波、日本橋、梅田と、繁華街も歩いたんですけどね。また、ポスターは、首長選挙や議会選挙と違って公共のポスター掲示板があるわけではなく、街角の電柱や塀などに控えめに括り付けられたり張られたりしていただけでした。

そんな大阪の雰囲気を味わってきて、本当に盛り上がっているのかなと思いながら帰京しただけに、この投票率には驚きました。だから、棄権した人々の責任を追及したくなるのです。自分の1票では世の中は変わらないと思いがちですが、今回は変えられたかもしれなかったのです。大阪市民1人1人がキャスティングボートを握っていたのに、それに気付かずやり過ごしてしまった人が3分の1もいました。

今回の例は結果論ですが、これは全ての選挙に言えることではないでしょうか。サイレントマジョリティーなんてカタカナ語で言うとかっこよく聞こえますが、要するに何も決められないか自分の社会に対して責任を持とうとしないだけです。選挙権の引き下げに向かって動いている中、若い人たちには今回の結果を自分たちのこととしてとらえてもらいたいです。

絵を描くのが好きです

5月16日(土)

土曜日は学生の数が少ないからか、顔を出しに来てくれる卒業生の姿が目立ちます。卒業生も平日は進学先の授業が忙しいでしょうから、必然的に土曜日が多くなるという面もあります。さらに、ビザ更新に必要な書類を取りに来る卒業生が多いことも事実です。

午後、美術系の大学に進学したLさん、Yさん、Oさんが来ました。来週の運動会の準備をしていたM先生は、すぐにその3人を捕まえて、初級の学生に説明するときに使う絵などを描いてもらっていました。さすが美術系だけあって、さらさらって描くんですがよく描けているんですね。また、急に頼まれたそういう仕事を楽しそうにしていました。絵を描くことが本当に好きなんでしょう。

美術系の学校に進学する人たちは、ちょっとでも時間が空くとすぐ絵を描き始めます。今学期の私のクラスではGさんがそういう学生です。テストでも、答えを書き終わると、必ず答案用紙の余白に何か描くのです。目に映ったものではなく、頭の中の映像を絵にしているような感じです。それがまたうまいんだな。絵心が全くない私には理解の彼方です。3人も、落書きというにはあまりに上手すぎる絵を描いていましたっけ。

もうひとり、Tさんも書類を取りに来ました。こちらは理科系の大学に進学していますから、私の守備範囲内です。授業は厳しいけれどもおもしろく、授業外でも活躍しているようで、進学した大学には満足しているようです。思ったよりもいい大学に進学できたと喜んでいました。こういう大学に、今年の学生をどんどん入れていきたいです。

私は中間テストの問題を作りました。月曜日にもう一度見直して、印刷します。

さわやかな朝

5月15日(金)

毎朝、学校の玄関の鍵を開けるのと同時に、学校の前の駐車場や道路にごみが落ちていないか見回ります。そうすると、1週間に2日ぐらいは何かが落ちています。吸殻が一番多いですね。お菓子か何かのビニールのフィルム、ガム、コンビニ袋、紙くずなど、大きなものでなありませんが美観を損ねるものが捨てられています。木の葉が飛んでてもそんなに見苦しいとは思いませんが、フィルターだけになった吸殻が1本落ちているだけで、神経に引っかかるものがあります。

学生が学校の敷地内や前の道に吸殻やごみを捨てるとは思えません。そんな学生がいたら放校ものですよ。小さなものが大半ですから、どこかから風邪に飛ばされてきたことも十分に考えられます。でも、吸殻やガムはその場に捨てられたものじゃないかな。

とすると、犯人はおそらく日本人。日中は人目もありますからそんな投げ捨てはしないでしょう。しかし、夜は、職員室の道路に面した窓のロールカーテンも下りているし、人通りも少ないし、ちょうどいい具合に道路から引っ込んでいるから、ポイッといきたくなるんじゃないでしょうか。

そんなことを考えながら、ごみを拾います。同時に、こんな公徳心のない日本人がいることに情けなさを感じます。日本人を見習いたいと言っている学生たちには、恥ずかしくて見せられないなと思います。これは三流の日本人の仕業だと思えば少しは気が楽になりますが、その三流日本人がごみをポイ捨てするときの卑しい顔を想像すると、やっぱり心は曇り空になります。朝、ごみを見つけると、こんなふうに、朝から気持ちが落ち込んでしまいます。

来週の金曜日は運動会。会場の小豆沢体育館は、ごみは原則持ち帰りです。学生たちには卑しい日本人のまねをしてもらいたくないです。

電源を開ける

5月14日(木)

来学期中級に上がるべき初級最後のレベルの学生のクラスが伸び悩んでいます。文法テストでなかなか合格点が取れないのです。来週火曜日の中間テストが非常に気懸かりな状況です。

最大の原因は、問題文をよく読まないことです。助詞をきちんと読み取っていないから自動詞と他動詞を間違えたり、空欄の前後しか読まないから文全体が表す状況にそぐわない言葉を入れてしまったりしています。満点に近い成績を挙げる学生もいますから、他の学生も、同じくらいの成績とは言わないまでも、少なくとも合格点ぐらいは取れるはずです。詰めの甘さがさらけ出されています。

次に、母語の影響を脱しきれていない学生が多いことです。「下週」と書いて、その上に「らいしゅう」と読み仮名を振った学生もいました。「電源を開ける」という答えは1人2人ではありませんでした。このクラスの1つ上のレベルではこんな間違え方をする学生はいません。この両レベルの差は思った以上にあるようです。また、このギャップを飛び越えることが、初級から中級への最終関門の通過を意味するのでしょう。

そして、今までいい加減に覚えてきたことのつけが一気に表面化してきたのです。活用とか単語の発音とか助詞と動詞の組み合わせとか、そういった事柄の正確性のなさが、中級を目前にした学生たちの足を引っ張っています。これはきちんと定着させてこなかった教師の側にも原因があり、私たちも大いに反省しなければなりません。文法事項が学生の頭にこびりつくまでしつこく練習してこなかったから、初級を卒業しようかというときに馬脚を現してしまったのです。

原因を分析したところで学生たちの実力が急に伸びるわけではありません。しかし、初級最後の学期の残り半分で、学生たちの穴を1つでも埋めていくことが、私たちに課せられた仕事です。