キックオフ

6月5日(金)

午前の授業が終わり、職員室で簡単な事務処理をしてから講堂に向かうと、講堂は大変なことになっていました。進学フェアに参加した学生で、立錐の余地もないほどでした。どの大学のブースもすでに大勢の学生が並んでいていましたが、学生たちは、志望校の情報を得ようと、みんな神妙な顔つきでおとなしく並んでいました。

話を聞いている面々を見ていると、大学院志望の学生がかなり来ていました。中には自分の研究計画書みたいなものを入れたタブレットを見せて相談している学生も。そこまでいかなくても、知りたいことをまとめたメモを見ながら質問している学生はけっこういました。事前に聞きたいことをまとめておくようにと学生に言っておきましたが、こちらの想像以上に周到な準備をしてきた学生が多かったようです。

去年までは、ブースによっては学生が途切れる瞬間もあったのですが、今回は時間が来るまで引きも切らずという状態でした。もちろん、「お前が〇〇大学? 絶対無理」っていう学生もいましたから、まだ夢を見ている学生も多いです。だからブースを訪れた学生全員がその大学を受けるわけではありません。大学院志望ならなおのこと、そんなに何校も受けることなどできませんから、本当に受験する学生は、ごく一部でしょう。合格し、入学するとなると、さらにもっと少ないです。でも、この場でその大学を知り、オープンキャンパスなどに参加していくうちに、「いいなあ」から「好き」、「入りたい」、「入ろう」、「絶対入るぞ」と気持ちを育てて、本当にその大学に進学する学生もいないとも限りません。

来週から、この進学フェアに基づいた進学相談も来ることでしょう。この進学フェアは、受験シーズンのキックオフです。

評判落とされた

6月4日(木)

Jさんは21日のEJUを受ける上級の学生です。毎日のように職員室へEJUの過去問を借りに来ます。もう直前の追い込みの時期ですから、過去問をがんがんやってもらうのはいいことです。ところが、Jさんは職員室の先生方の受けがよくないのです。それは、あいさつをしないからです。

無言で職員室に入り、必要最小限の言葉で過去問を借りようとし、返すときもぶっきらぼうとくれば、そういう評判もやむをえないところかもしれません。職員室に入るときは「失礼します」と声をかける、用件をきちんとはっきり伝えるなど、コミュニケーションの基本以前の姿勢についても、私たちは指導してきています。その指導を無視しているかのようにも見えますから、評判が悪いのもしかたがありません。「あんまりしゃべらないから、初級の学生かと思った」とおっしゃる先生も。

終わりよければ全てよしで、Jさんが最終的に「いい大学」に入ってしまえば、こんなことも笑い話になってしまうのかもしれません。でも、同時に、「あの大学、Jさんみたいにしゃべれない学生でも受かるんだ」と心の底で思う先生もいらっしゃることでしょう。Jさんの行為は、自分が受かった大学の評判まで落としてしまいかねないのです。

学生たちにはオープンキャンパスに行けと言いつつも、私たち自身が、学生たちが受ける大学に足を運ぶことはめったにありません。その大学に進学した学生の成績や人となり、卒業生の声が私たちの最大の情報源なのです。間口が狭く偏った見方だと思いますが、こういう思考回路は一朝一夕には変えられないでしょう。進学した学生が異口同音にいい大学に入れたと言っているS大学は評価の高い大学の代表です。一方、好き放題のことをして出て行った学生が不思議と受かるF大学は、私にとって変な大学の最右翼です。

明日は進学フェアが講堂であります。私の心の中の一流大学も来てくれます。その大学の先生とお話して、学生を引き付ける根源を見つけ出したいです。

受験したい

6月3日(水)

初級のOさんは17年に国立大学に入りたいと言っています。学部は、「よくわからないけど、将来貿易会社に入りたい」とのことでした。また、国立大学なら東京や東京近郊にはこだわりません。

要するに、漠然と国立大学に入りたいと思っているだけです。そう思うことはとても大切ですが、まだ受験勉強の大変さを知らないので、この気持ちを最後まで持ち続けられるかは疑問です。進学コースの学生は入学と同時に厳しくしごかれるので、Oさんと同じぐらいのレベルの学生ならもう少し具体像を描いていますし、初志を維持する難しさもだんだん感じてきています。進学コースではないOさんは、そこのところから始めなければなりません。

先学期私が担当した初級クラスの学生だったHさんは、学期末に急に「大学進学したい」と言い始め、受験講座に申し込み、進学コースの学生と一緒に勉強を始めました。しかし、すでに挫折し、大学進学はあきらめてしまいました。受験勉強を続け、最初に考えていた大学に入ることは無理だということがわかったと、少し寂しげに言っていました。Oさんもそうなってしまうのではないかと心配しているのです。今は意気込んでいますから何でも「大丈夫」と言ってしまえますが、1年半後も同じ気持ちでいられるでしょうか。

若者が成長するには挫折も必要です。しかし、味わわなくてもいい挫折まで引き受ける必要はありません。大学受験は単なる勢いや流れで首を突っ込むと、無用のダメージを受けるおそれがあります。Oさんにはじっくり考えて、最終判断するように指示を出しました。

三平方の定理

6月2日(火)

漢字の授業では、教科書に出てくる熟語のほかにいくつかの言葉を紹介します。どの先生がどんな単語を取り上げているかはわかりませんが、私はどうしても理系的な言葉を入れたくなります。たとえば「直」では、直す、直接、正直の3つが「直」の字の用例として挙げられています。理系人間にとって「直」は「直角」「直線」「直流」の直です。初級の学生に対して「直流」の説明は難しいですが、「直角」は絵を描けばすぐにわかってもらえます。

確かに、日常生活において「直角」とか「直線」とかを使うチャンスはありません。そんなのよりも「素直」とか「やり直す」とかなんていうのを教えたほうがよっぽど役に立つでしょう。でも、それじゃあ私は面白くありません。数学アレルギーの学生もいるでしょうけれども、「直角三角形」なんていうのはどこの国でも勉強している事柄ですし、そういう純粋に学問的な言葉を日本語でどういうかを知るというのも、学生たちの喜びにつながっていると思います。学生たちはテストになんか出るわけがないことを承知の上で、板書をノートに書き写しています。

「万有引力」とか「光合成」とかを授業で語彙として取り上げることは、日本語教師としての私のとがっている部分だと思っています。学生も私が受験講座の理系科目を教えていることを知っていますから、そういう言葉が出てくることを半分期待しているところもあります。自分自身仕事を楽しむという面からも、私はこういう授業をやめるつもりはありません。

さて、明日の漢字には「定」の字がありますから、「三平方の定理」なんてやっちゃおうかな…。

くっつく?

6月1日(月)

「『歩く』の「止める」と「少ない」はくっつけませんよね」「ええっ、くっつけますよ」「でも、私の見た本にはくっつけないって書いてありましたよ」「漢字の教科書ではくっついてますよ」と、初級のS先生とT先生がやりあっていました。上級のテストだったら、くっついていようがいまいが、上に「止」が、下に「少」が書いてあったら〇だけどなあと思いながら聞いていました。

今学期は初級クラスに入っていて、私も漢字を教えます。はねるとかくっつけるとかいうのを自分なりにチェックしてはいるのですが、学生から細かいところを突っ込まれて苦しくなることもあります。私は、画数が違っていなければいい、読めればいいと思っています。「土」と「士」は違う字ですから上が長いか下が長いかを厳密にチェックしますが、「本」の1画目が多少長かろうと短かろうと気には留めません。「見」と「貝」はきっちり区別しなければなりませんから、脚の部分の曲がり具合は厳しく目を光らせます。しかし、その脚と上の「目」の部分がくっついているかいないかは、どうでもいいと思っています。

ところが、中間テストの採点を見ると、私などどこが間違っているのかわからないのに不正解とされている答えがあります。なんで×なのか学生に聞かれたら、「上級なら〇なんだけどね。初級は字の形をきちんと覚えなければなりませんから、もう一度教科書をよ~く見てください」と言って逃げます。ま、半分は本当のことですからね。

外国人留学生に漢字の基礎をたたき込まなければならないことは疑いのない事実です。中国人には中国語の漢字と日本語の漢字が微妙に違うことをうんと強調しなければなりません。しかし、そういう子細にわたる部分にこだわり過ぎると、漢字に対する苦手意識を持たせてしまうのではないかと思うのです。それが高じて漢字アレルギーになってしまったら、元も子もありません。

言葉はコミュニケーションの道具です。文字であってもそれは変わりません。誤解を生まない範囲であったら、多少字形が不細工であっても、〇なんじゃないでしょうか。私自身がいい加減な漢字を書いているから、自己弁護のためにこんなことが言いたくなるのかな…。

上流の開発

5月30日(土)

作文の採点をしました。もうすぐ中級というクラスを担当していますが、クラス全体を平均すると、このまま中級に上がってこられたら困るなという作文力です。

学期初めに比べて、表記の間違いは減りました。濁点や「っ」の有無、原稿用紙の使い方の間違いなどは、絶滅には程遠いですが、だいぶ少なくなりました。しかし、文法の間違いや、習った文法を使うべきところで使わなかったことによる減点は、それほど減っていません。もちろん、個人差があります。できる学生は勉強したばかりの文法や単語を果敢に使おうとして失敗するという、積極的なミスが多いです。その一方で、自分が使える文法で何とか表現しようとして表現しきれずに減点という、後ろ向きのミスを重ねる学生もいます。

表記や文法は、文章表現という川の下流にあります。水源地には、文章を作る発想というものがあります。与えられた課題に対して貧弱な発想しかできなかったら、読み手(=教師)の心を揺さぶることはできません。発想はそこそこでも、因果関係や順接逆接の関係がつかめていないと、理解不能の文章になってしまいます。また、単文を羅列しただけでは、自分の意見や考えや感想が伝わりません。残念ながら、上流部分に問題のある学生が少なからずいます。

Rさんもそういう学生です。原稿用紙上で添削していたら何がなんだかわからなくなりそうでしたから、別紙に書き直したほどです。言いたいことはなんとなくわかりますが、読んでいて疲れてしまいました。文と文との関係をつかむために想像力をフル回転させなければならなかったからです。

そういうRさんたちを何とか中級に上げるのが私たちの仕事です。期末テストまで3週間あまり。そこまで伸ばせるでしょうか。

梅雨はもう少し待って

5月29日(金)

久しぶりに雨が降りました。日中の雨は、中間テストの日以来じゃないかな。夜中から明け方にかけて雷雨という日はありましたが。アメダス上では大した雨量ではありませんが、外を歩く人はみんな傘を差しています。でも、雨よりも、最近暑い日が続いていたのに日中でも気温が上がらなかったことのほうが、久しぶりの感じがします。クールビズにしてから毎朝感じているひんやり感が、日中でも続いていました。

この時期に雨が降ると、このまま梅雨になっちゃうんじゃないだろうかと、ちょっぴり不安になります。もちろん、雨の季節が来なかったら困るのですが、平年の梅雨入りまで10日ほどともなると、そんな心配も頭をもたげてきます。まだもうちょっと、初夏のさわやかな日差しを浴びて青空を仰いでおきたくなります。今年はエルニーニョの影響で、夏らしい夏にならないかもしれないという予報も出ていますから、余計にそう思ってしまいます。

最近はうちへ帰ると夏休みの計画作りに励んでいます。まだ3か月も先のことですが、その時間を楽しみにしながら仕事をしているというところもあります。計画を立てるときは、晴れて暑い日を思い描いています。汗を拭き拭き町を歩き、史跡を見学し、アイスクリームを食べながら緑陰の風で一息つくっていうのが、夏の旅行の醍醐味じゃありませんか。エルニーニョで曇りがちな日を前提にしていたんじゃ景気が悪くてたまりません。

予報によると、明日はまたいいお天気のようで、気温も30℃まで上がるそうです。さらっとした暑さを楽しんでおきたいです。

スマホを取り戻せ

5月28日(木)

おととい、進学クラスの授業の後で机の中をチェックしていたら、スマホの忘れ物を見つけました。その教室は進学クラスの授業の直前まで初級クラスが使い、午前中は上級クラスが使っています。どのクラスの学生のかわかりませんから、とりあえず私が預かっておくことにしました。しかし、おとといのうちは誰も取りに来ませんでしたから、忘れ物・落し物担当の先生にそのスマホを預けました。

昨日は私がその教室の初級クラスの授業でした。授業が終わると、Mさんが思いつめた顔で私に「先生、電話がありましたか」と聞いてきました。「電話?」「私は昨日教室に電話を忘れました」と、中間テストの直前に習った文法を使って事情を説明するMさん。「あーあ、1階へ行って、事務所の先生に聞いてください」と言うと、Mさんは肩の荷を降ろしたかのような顔になり、「先生、ありがとうございました」という言葉を残して、教室を出て行きました。

Mさんは、私に話しかけて忘れた電話についての情報を得るには相当な勇気が要ったようです。授業中の、いわば、仮想の世界でのやり取りではなく、忘れたスマホを取り戻すという実質の伴った会話をしようというのですから、緊張もするでしょう。

そういうMさんを見ていて思い出したのが、初めての海外旅行、ハワイでのことです。学会がハワイで開かれるというので、大学の研究室をあげてハワイへ行きました。空港で英語に堪能なSさんがレンタカーを借りてくれて、私はハワイ滞在中その車を乗り回しました。最終日にみんなを空港で降ろして車を返そうと思ったのですが、返す場所が見つかりません。同じところをぐるぐる回っているうちに時間がどんどん過ぎて、帰国便の出発時刻が近づいてきました。「明日から現地人」と覚悟もしました。最後に勇気を振り絞って、空港の駐車場のゲートにいた人に英語でレンタカーを返す場所を聞きました。それまで「ハンバーガーアンドコークプリーズ」程度の英語しか使ってこなかった私にとって、現地人になるかならないかの瀬戸際で道を尋ねるというのは非常に高いハードルでした。たとえこちらの英語が通じても、相手の言葉を聞き取る自信は全くありませんでした。

火事場の馬鹿力なのでしょうか、私の英語が通じ、相手の言葉も奇跡的に理解できました。車を返し、何食わぬ顔でみんなのところに戻り、予定の便に乗って無事帰国できました。それ以来、いざとなればコミュニケーションってできるものだという妙な自信を持つようになりました。Mさんはどうだったのでしょう。自分の日本語は通じると思えたでしょうか。

わかってるつもり

5月27日(水)

中間テストの結果をもとにした面接が始まりました。

Hさんは芸術系の大学を目指している初級の学生です。中間テストはかなり自信を持っていたようですが、かろうじて合格点を超えたという点数に愕然。面接の直前まではにこやかだったのに、成績を見たら顔つきが暗くなってしまいました。授業中の様子を見ても、Hさんはできない学生ではありません。しかし、すばらしくできる学生かというとそうではなく、自分を過大評価しているところが感じられました。ですから、やっと合格という今回の成績は相当ショックだったに違いありません。

間違い方を見ると、濁点がないとか小さい「っ」がないとか、単語や活用を正確に身に付けていないことによるものがほとんどでした。その間違い方が、Hさんの話し方そのものなのです。テレビドラマやバラエティーで日本語を覚えたといいますから、不正確にとらえた音をそのまま口から出したり文字にしたりしていたのです。

多少発音が狂っていても、意思疎通はできるものです。しかし、1点を争う入試の場となると、その不正確さが「なんだかこいつ、日本語がヘタだな」という印象をもたらし、不合格につながらないとも限りません。ショックを受けている今こそと思い、多少の脅しもこめて、その点をうんと強調しておきました。

もちろん、落ち込ませることが目的ではありませんから、その後きちんとフォローをしました。こういう勉強や練習をすれば今回のようなミスは防げる、という前向きな結論にもっていきました。さて、これからの後半戦、Hさんは、心機一転、巻き返してくれるでしょうか…。

クラス替え

5月26日(火)

レベル1の進学コースは、今日からクラス替え。今までの成績によって、メンバーの入れ替えをしました。レベル1は日本語がゼロに近い学生が入ってきますから、国でちょっとでも勉強してくると、学期の初めはいい成績が取れてしまいます。しかし、中間テストも終わったとなると、本人の地力や理解力、あるいは努力の多寡が物を言うようになってきます。ですから、能力別のクラスにしたときクラスのメンバーが大きく入れ替わることも不思議ではありません。進学しようと思っている人たちで、しかも入学間もない人たちですから、この時点で努力をしていないようだと先の見込みはありません。ということは今回のクラス分けが本当の実力を反映したものだと言えます。

そんなことを考えて授業に臨みました。いきなりテストをしましたが、思ったより差がつきました。先週までのクラスが上だった学生が必ずしも上位に入ったわけではありません。トップは先週まで上から3番目のクラスだったOさんでした。Oさんは、おそらく、日本へ来てから本気で日本語の勉強を始め、この1か月半ほどで基礎知識が堆積し、頭の中に日本語のネットワークが構築されつつあるのでしょう。

Oさんはペーパーテストではよかったのですが、口頭の質問にはあまりうまく答えられませんでした。こちらは先週まで上位クラスにいた学生のほうが上でした。でも、だからと言って焦る必要はありません。Oさんたちは2017年の進学を目指していますから、これから長丁場が待ち構えています。大化けする可能性もあれば、再逆転されるおそれもあります。照る日曇る日、大波小波、いろいろあるでしょうが、一時的な追い風向かい風に惑わされることなく自分の道を進んでいってもらいたいです。