熱帯夜じゃない

7月13日(月)

ゆうべは窓を開けたまま寝たのですが、いつの間にかタオルケットがベッドの隅に丸まっていました。外に出ると朝からむっとするような熱気。今シーズン初の熱帯夜の手ごたえ十分だったのですが、気象庁のデータによると東京の最低気温は午前4:40に観測された24.1度。

これは、昨年12月に東京の気象観測地点が移動したからです。竹橋付近の気象庁本庁舎内、ビルとアスファルトに囲まれたところから、緑に囲まれた北の丸公園内に移ったのです。最高気温にはほとんど影響が出ないものの、最低気温は下がるだろうと予想されていたことが、如実に現れました。去年までだったら、ゆうべの最低気温は26度ぐらいだったんじゃないかな。

日中は全国的に気温が上がり、気象庁の観測点928か所中122か所で猛暑日となり、512地点で30度以上となったそうです。この時期は夏至から3週間ほどで、頭のてっぺんから日が差し込みます。ですから、晴れたら気温が勢いよく上がるのです。東京の最高気温は34.2度で、真夏の暑さです。

「梅雨が明けたんですか」とも聞かれましたが、天気図上は梅雨前線が消えて太平洋高気圧に覆われていますから、真夏と同じです。しかし、気象庁は梅雨前線が復活すると読んでいますから、梅雨明けとは言いません。週間予報によると、週の半ば以降はまた曇り空のようです。

外は真夏の暑さでも、校舎内は直射日光も入らず、冷房も効いていますから熱中症などになる心配はほとんどありません。でも、教室に若い体が20も入ると、どことなく暑苦しく感じます。欠席者が多く寒々しい教室は困りますが、熱気がありすぎるのもちょっとね。…なんて思いながら授業を始めるても、いつの間にか自分もその熱気を出す側に回っているんですよね。不思議なものです。

スピーチの原稿

7月11日(土)

昨日学生に書いてもらったスピーチコンテストの原稿を読みました。今回の私の担当は上級クラスなので、先学期の初級クラスのTさんみたいな、文字は日本語だけど文は日本語じゃないっていうような、とんでもない作文はありませんでした。

しかし、確かによく書けているんだけど、スピーチの原稿って考えるとどうだろうかっていうのが多いのです。自分の身の回りで小ぢんまりとまとまっている印象です。独自の意見を述べているんだけど、広がりが感じられません。聞き手が共感するだろうかと考えると、残念ながらNOなのではないかという文章が多かったです。

スピーチコンテストで入賞できなかったとしても、それは学校の中だけの話で、「残念だったね」で済みます。しかし、こんな雰囲気で入試の小論文を書いたとしたら、残念な結果のオンパレードになりかねません。小論文も個人の意見や経験をベースにしますが、そこから導き出されるものに普遍性や読み手の心を動かす何物かがなければ、合格は疑わしいものとなります。

まず、広い視野で多角的に物事をとらえる力をつけさせなければならないでしょう。そのためには良質な読み物を与え、その内容に関して活発に意見交換していくような授業が必要です。教材をいかに料理するか、教師の力量も問われます。その上で、そこで培われた目で見た問題の本質や自分自身の考えを、訴求力のある文章にしていく力も養っていかねばなりません。

教師の側からすると、高すぎる目標ができあがってしまいました。

さわやか?

7月10日(金)

朝は私の家から直線距離で3kmほどのスカイツリーが半分ほどしか見えませんでしたが、日中は久しぶりにきれいな青空となりました。梅雨明けですか、なんて聞いてきた学生もいました。そういってもらいたいところが、ちょっと気が早すぎますね。でも、その学生の気持ちはわかります。どんよりとした空の湿っぽい日が続いて気持ちが暗くなりがちでしたから、一刻も早く夏になって今日みたいな青空が続くことを願いたくなります。

でも、日差しが強いわりには気温は上がりませんでした。外に出たとたん汗が吹き出すことも日向が歩けないこともなく、夏らしさはありません。湿度は結構高いんですが、それが蒸し暑さにつながらず、お昼を食べに出たときにさわやかさすら感じました。新しくできたラーメン屋さんで熱いラーメンをすすりましたが、全く苦になりませんでした。

今年はエルニーニョの影響で冷夏だと言われていましたが、気象庁の最新予報によると、関東地方は冷夏ではなさそうです。日照時間が短めで気温が高めという予報ですが、要するに今年の夏は蒸し暑い日が続くのです。今日みたいに気温が程ほどで青空がパッと広がる日は、あまり望めそうもありません。連日猛暑日・熱帯夜じゃたまりませんが、33度ぐらいのじわーんと暑い日が続くのも、真綿で首を絞められるような嫌な感じです。

さて、今日は多くのクラスでスピーチコンテストの原稿書きをしました。来週初めにクラス内予選をして、代表者を決めます。その頃梅雨が明けて真夏の太陽が照り付けると、グッとムードが盛り上がるのですが、今年はどうなるでしょうか。

壁を突き抜けて

7月9日(木)

各教室に久しぶりに顔を合わせた学生たちの歓声が響き、どの学生も希望で満ち溢れている始業日は、一種独特な雰囲気が感じられます。宿題を忘れたとか授業がわからないとかテストが不合格だったとか友達とけんかしたとか、そういうネガティブな要素がありませんから、今日のような曇り空ないしは小雨という天気でも、校舎内には明るさが感じられます。

私のクラスもそういう空気が詰まっていましたが、受験生の多いクラスで今から浮かれてもいられないので、現実に引き戻す話をたっぷりしました。「みんなの日本語」の文法を完全に使いこなせれば、どんな面接でも恐れるに足りないけれども、「みんなの日本語」に出てくる単語の2倍以上知っていても、JLPTのN3をとるのに必要な単語数にも遠く及ばないなんて話をしました。

すると、学生たちはとたんに意気消沈してしまいました。目の前に突然厚い壁が現れた感じだったかもしれません。でも、この壁を突き抜けた学生だけが、次の学期に中級へと進級できるのです。中級を担当した教師としても、ここをごまかしたままの学生は受け取りたくないです。先学期同じレベルのクラスを受け持ったとき、本当にそれを強く感じました。学期の最初で意気消沈したとしても、それをばねに伸び上がっていく勢いがないと、その人の日本語力はそこで打ち止めです。

ここまで考えると、先学期の私のクラスの学生たちはよくやったと思います。期末テスト直前でも3分の1ぐらいが壁に跳ね返されるんじゃないかと思っていたのですが、期末の日に休んで受けなかった学生以外、かろうじてではあっても合格点を取ったんですから。

はて、今学期の学生たちはどこまでやってくれるでしょうか。

看板

7月8日(水)

Bさんは私なんかと同年代と言っていいくらいの学生で、KCPの学生の中ではかなり年齢が高いです。だから、未成年と同じように扱われるのがどうも嫌なようです。ことにKCPは語学以外の躾も厳しく、学生の行動にあれこれ口を出します。また、Bさんぐらいの年齢となるとクラスの先生のほうが年下のことが多く、そういう先生から細かなことまで注意されることにストレスを感じているように見受けられました。

話し合ってみると、学生には学生の責務があり、学校の中では年下であろうとなんであろうと教師の指示に従うべきだと言います。こちらが訴え続けたことが多少は理解してもらえたようです。ただ、学校の中ではという点を強調していたようにも聞こえましたから、少なくとも学校の近辺ではKCPの看板を背負って歩いているのだということを忘れないでほしいとお願いしました。

昨日の夜、帰宅しようと学校を出て御苑の駅へ向かっていると、「先生、こんばんは」とDさんとLさんに挨拶されました。2人は旧校舎時代の卒業生で、進学先も卒業する頃ではないかと思います。学校の近くではそんな学生からも声をかけられます。また、学校近辺の店で買い物すると、店員から「先生、こんにちは」とにっこり笑いかけられることもよくあります。私の知らない顔の学生がいたるところでアルバイトをしています。

日本人からも、「このごろ学生さん、いませんね。学校、休み?」なんて声をかけられることも。わたしも、KCPの旗ざおを背中に差して歩いているのです。だから、Bさんも学校の中だけ「いい学生」では困るのです。地域の中で育ててもらっていると思ってもらわなければ困ります。Bさんはそのあたりをどこまでわかっているのだろうかと思いました。

さらにBさんは年長者ということで、若い学生に与える影響が強いです。自分は周りから見られているということを意識して行動してもらいたいです。明日から新学期。Bさんはどんな留学生活を送るのでしょうか。

入学式挨拶

7月7日(火)

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように世界の各地から多くの新入生を迎えることができ、非常にうれしく思っています。

皆さんは自分自身のことをどれぐらい知っていますか。自分の長所や短所、思考回路や行動様式、性格や嗜好などをどこまで把握していますか。知っているようで知らないのが自分のことです。

これから始まる留学生活では、今までに一度も経験したことのないことに出くわすことも多いでしょう。幾度もピンチに見舞われることと思います。皆さんが持っている物差しでは測りきれない事態に遭遇することの連続です。そのときに、皆さんが何をどのように考え、どんな結論を導き出し、いかに動くか、これによって皆さんは自分自身を知ることになるのです。意外に打たれ強いとか、一人ぼっちに弱いとか、交渉事が思ったよりうまいとか、そんなことを感じていくでしょう。今まで気が付かなかった自分の一面が見えてきます。こういう経験を通して、新しい自分を切り開いていってほしいのです。

世界を広げるために留学に来ました――こう語る留学生は多いです。確かに、留学によって自分の知らなかった世界を知ることはできます。生の日本文化に触れることを楽しみに来ている方も多いでしょう。KCPの教室で異文化を持った友人と語り合うことは、留学ならではの得がたい経験です。それをきっかけにして、世界に目を見開いていった先輩もたくさんいました。しかし、そんな彼方のことではなく、足元の自分自身を知ることもまた、留学の大きな意義です。

自分を知るとは、自分の適性を見極めるとも言えます。これが皆さんの将来を形作る大きな要素になることもあるでしょう。自分自身に対する新しい発見によって、自分の秘められた可能性を引き出し、それをベースに将来設計をし直すことだってあり得るのです。留学で広げられる世界は、外に向かう世界だけではありません。自分の内的世界、未知の能力の開発のほうが、重要な意味を持っていると私は思います。

孫子の兵法に「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」という言葉があります。敵に勝つには、敵を知ることはもちろんですが、自分自身を知ることもそれに負けず劣らず重要なのです。親元や母国を離れて長期間外国で暮らすのは、多くの方にとって初めての経験でしょう。ただ勉強に追われて漫然と過ごすのではなく、自分自身を直視し、強さも弱さも見極める機会としてほしいのです。これができれば、この留学は皆さんのこれからの長い人生における強固な基盤になるでしょう。その基盤の上に、日本での経験や学問を応用した皆さん自身の人生を築いていってください。

この留学が、10年後、20年後、30年後の皆さんに資するものになることを切に願っています。本日は、ご入学、本当におめでとうございます。

雨降り

7月6日(月)

強い雨ではないけれども傘をささないわけにはいかないぐらいの雨がずっと降っています。天気図を見ると高気圧も台風も勢いよく動く気配はなく、予想天気図でも前線の位置はほとんど動きません。ということは、ここしばらくはこんな天気が続くということです。先週もパッとしない天気が続きました。梅雨だから文句を言ってもしかたがないのですが、そろそろスカッとした青空が恋しくなってきました。

お天気にかかわらず、新学期は着実に近づいています。その準備の一環として、図書室の整理をしました。蔵書の配置換えをしましたが、古い本の多さに改めて驚かされました。古いことが価値につながる本や記録として取っておく必要がある専門書などは捨てるわけにはいきませんが、それ以外にもこんなの誰が読むのっていう本が多数ありました。でも、勝手に捨てるわけにはいかないんですよね、学校法人の場合は。

古新聞や昔のアルバムが出てくると思わずそれに見入ってしまうように、20年以上も昔のガイドブックなんていうと、史料価値といいたくなるくらいの面白さがあります。三条から浜大津に向かう京阪電車なんて、私が学生のころの話です(現在は京都市営地下鉄)。その頃のことを思い出して、涙が出そうになりました。また、ハードカバーの単行本が昭和58年には480円だったなんて、そう簡単にはわかりませんよ。私の感覚だと、昭和58年はついこの前なんですが、実際にはかなり昔なんですね。

夕方は、入学式の会場設営。講堂全体を埋め尽くす椅子は、壮観そのものです。明日もお天気はよさそうにありませんが、ここに期待に目を輝かせた顔が並ぶのでしょう。

手直し

7月4日(土)

今学期は超級クラスを担当しそうなので、教材集めをしています。といっても、新しく見つけ出すのではなく、以前使った教材を再利用しようと考えています。このレベルともなると、外国人向けの市販の教科書をそのまま使うわけにはいきません。それでは易しすぎるし授業が単調になってしまうし、こちらで補助教材を用意するなど、かなり手を加えなければなりません。それをやるのはかなり大変なので、昔の教材のリバイバルとなるわけです。

昔の教材を使うとなると、教材の鮮度が問題となります。3.11より前の教材は、現在では的外れなことになっていることもありますから、ことに要注意です。文法の例文も漢字のテスト問題も、手直しの必要なことがあります。そのときアップ・トゥー・デートな話題であるほど、その時期が過ぎると急に古臭くなってしまうものです。

そういう目で見ていくと、そのまま使える教材のなんと少ないことでしょう。ゼロから作るよりはましですが、やっぱりかなりの労力がかかります。また、教材を作ってから今までの間に、学生の志向や嗜好や思考が変わったという面も見逃せません。進学志向が強まり、多かれ少なかれサブカルを嗜好し、個人主義的な思考法が広まったと思います。そんなことも反映する必要があります。

それから、受験シーズンに入っていきますから、志望理由書の書き方やら面接の受け方やら大学の独自試験対策やらもしていかなければなりません。以前の資料を見ると、われながら甘いなと思うところもありますから、やっぱり何かすることになるでしょう。

来週は新入生の受け入れと養成講座の授業のかたわら、こんなことをしていきます。

魂を込める

7月3日(金)

昨日帰り際に、DさんからW大学の志望理由書が送られてきました。新学期が始まったら程なく出願で、いよいよ今年の受験シーズンが始まったと思いました。

まだ志望理由書を書く練習をしていませんから、Dさんの志望理由書も全然練れたものではありませんでした。まず、制限字数の2倍近くも書いてありましたから、大鉈を振るいました。取り留めのない経験談をばっさり切り捨て、将来計画も大学で何を学びたいかも今一つはっきりしていなかったので、それを書くことに。それ以外の内容も一般的過ぎるので、Dさんに聞き直した上で、特徴的なことを強調した文章に。エキスだけをぎゅっと絞って、何とか最初の半分にし、制限字数をクリアできるレベルにまで切り詰めました。

新学期が始まったら、まずスピーチコンテストの原稿書きですが、それに引き続いて志望理由書の指導をしないといけません。早い大学は今学期中に出願締め切りを迎えますから、もたもたしている暇はありません。学生の意識を自分自身の内面に向け、自分と向き合うことが第一歩です。志望理由書にウソを並べても、面接で簡単に見破られます。ここで心の棚卸しをし、自分の魅力とセールスポイントに気付くことが求められます。始業日から臨戦態勢です。

学生は、よく、志望理由書の雛形をくれと言います。あげてもいいんですが、雛形って自分で作るべきものなんじゃないかな。真に読み手に伝えたいメッセージは何なのか、それこそ追求すべきことですよ。それがいい加減で形だけまねたって、仏作って魂入れずです。

Dさんの志望理由書は、魂が3分の2ぐらい入ったかな。出願までにはもうちょっと時間がありますから、試験官へのメッセージを練り上げていってもらいたいです。

爆弾作り

7月2日(木)

来週の木曜日は始業日なので、先生方の打ち合わせがありました。スピーチコンテストの概要や、進学に関する情報などをお伝えし、新学期への準備を進めました。K先生がスピーチの指導方法について詳しく講義してくださり、また、今までよりぐっとすてきな今年の会場の写真を見せられたりして、ああ今年も夏学期が始まるんだなという気分になってきました。

私は明日も来週も養成講座の授業があるので、そっちに頭を使っていると、ついつい新学期の準備が疎かになってしまいます。別に現実逃避しているわけではありませんが、受講生には全力で立ち向かいたいですから、授業の下調べに力こぶが入るのです。まあ、語彙論とか意味論とか形態論とか日本語の歴史とか、授業内容が私の好きな分野ですから、なおさらそっちのほうに目が向いてしまうのでしょう。

それでも、新学期に私が担当することになりそうなクラスの授業構想を立て始めています。教材集め、教材作りにも取りかかっています。こちらもやり始めると結構熱中してしまうもので、この教材は今学期は難しいかもしれないけど、学生たちが力をつけた来学期ならこなせるかななんて、3か月も先のことまで心配しちゃったりしています。仕事のしかたが散漫でいけませんね。

今度のクラスは進学希望の学生が大半ですが、進学するのに役に立つ日本語だけではなく、進学してから勉強しておいてよかったと思ってもらえるような日本語を教えていきたいと思っています。1年後か2年後に爆発するような時限爆弾を仕込んでいるような感じです。そう考えると、教材作りがおもしろくなります。