対訳

8月7日(金)

受験講座の化学は、今日から有機化学に入りました。有機化学といえば、カタカナの物質名が山ほど出てきます。EJUの問題では、カタカナ名のほかに英語名は記載されますが、中国語や韓国語で名前が書かれることはありません。ですから、カタカナ名とその物質の構造式や性質などを結び付けておく必要があります。

手ごろな資料が見つからないので、私が物質名を中国語訳、韓国語訳した対訳表を配っています。国の言葉の役を見ても何がなにやらわからない、という声もよく耳にします。確かにそうでしょう。その辺を歩いているおじさんやおばさんに、いきなり「ベンゼンって何ですか?」と聞いても答えは返ってこないでしょう。だから、有機化学になじみの薄い学生たちがカタカナ語の対訳を見てもやっぱりわからないままだというのは、当然なのです。

しかし、それで開き直っている暇はありません。国の言葉での名前は覚えずとも、日本語名はきちんと覚えていかなければ、志望校合格の目はありません。そのためのよすがになればと、対訳を配っているのです。対訳表としてではなく、物質名と構造式をつなげる表として使ってもらってもかまいません。いずれにしても、この表が有機化学の入り口ですから、足場をしっかり固めて、高いところに手が届くように体勢を作り上げていってもらいたいです。

リーダーを想う

8月6日(木)

私が一番乗りかと思ったら、「先生、おはようございます」と学生の声。その学生に限らず、全体に学生の出足は早かったようです。スピーチコンテストの会場が、蒲田という、KCPの学生にとってはなじみの薄いところだったので、危険予知していつもより早くうちを出たのでしょう。

スピーチの内容は結構上がってきて、初級といえども、単に日常生活や自分の国の紹介だけで終わることはありません。どこかに考えさせる要素を盛り込んでいます。私のそばで見ていた学生たちは、「へーえ、そうなんだ」「ええっ、ありえない!」「そういうもんかなあ」などと盛んに反応していました。それだけ、学生たちの気持ちに響くスピーチが多かったのでしょう。

私は、今回は、各クラスの応援のリーダーに思いを馳せました。私の担当クラスはどこも応援で苦労していましたから、応援を見ていると、「リーダーは誰だろう」「どんなふうにクラスをまとめたのかなあ」などと勝手に想像してしまうのです。

リーダーになった学生は、使命感、責任感に燃え、クラスの友達に指示を出したりダメ出しをしたりしたことでしょう。時には憎まれ役にもなったでしょう。でも、そうやって20名のメンバーをまとめて応援という1つの仕事を成し遂げた経験は、きっといつか輝きだすでしょう。人の上に立つことを望んでいるのなら、これぐらいの手のひらサイズの経験は、買ってでもしておくべきですよ。

同時に、応援の最後列で、ニヤニヤしながらおざなりに手足を動かしている学生のことも考えました。おそらく、リーダーの苦労をかけらも思わず、クラスでは足を引っ張るような発言や行動を繰り返し、勝手気ままに過ごしたのでしょう。「応援をやりたくないから休む」よりはましでしょうが、本番でやる気のない姿を見せていたやつらには、幸薄けれと呪わずにはいられませんでした。

応援賞をもらったクラスの応援リーダーはもちろん、そうでないクラスの応援リーダーの皆さんも、胸を張って今回の経験を思い出の1ページに加えてもらいたいです。

惰性の法則

8月5日(水)

昨日まで5日連続猛暑日というのが、東京では観測史上初とのことでしたが、今日も最高気温は35.2度で、記録更新となってしまいました。単に気温が高いだけでなく、蒸しているのが今年の夏の特徴のような気がします。シャツやズボンの下に冷気をため込んでおいても、一歩外に出たとたん、蒸し暑い空気が足にも背中にもまとわりついてきます。いったい、冷夏の予報はどこへいってしまったのでしょう。

今日はアメリカの大学のプログラムでKCPへ来て勉強している学生のインタビューがありました。2人の学生を担当しましたが、やはり暑さは身にしみているようでした。夜はエアコンのお世話になっているとのことでしたが、エアコンは風邪と背中合わせですから、よほど気をつけないといけません。本当はもう1人担当だったのですが、その学生は欠席でした。エアコン風邪なのかなあと思ってしまいました。

震災の年以降、KCPはクールビズで夏場は半袖ノーネクタイです。最初はちょっと抵抗がありましたが、今はこのくそ暑い日にスーツにネクタイなんてありえないっていう気分です。習慣を変えるのには労力が要るものですが、変えてしまってそこで新たな平衡状態とも言える環境が整うと、その新たな習慣もまた居心地がよくなるものです。物理の慣性の法則に似ているなあってよく思います。私のような怠け者には、慣性の法則ではなく惰性の法則と呼んだほうが、その実態をより正確に表しているように思えます。

さて、明日はスピーチコンテスト。学生たちのフレッシュな感性のシャワーを浴びて、惰性に流されている精神に刺激を与えたいです。

リーダーになった

8月4日(火)

Aさんは、今、私のクラスのエースです。スピーチコンテストの応援の企画から演技指導、音楽・効果音の準備まで、大車輪の活躍です。クラスのみんながAさんを頼りにしていますし、Aさんもその期待にこたえています。まだ本番が終わったわけではありませんが、私の心の中ではAさんは大いに株を上げました。

今までのAさんは、頭はいいのですがその自分の頭を使いこなせていないきらいがありました。学校も時々休むし、やる気に満ちあふれて授業に臨むのとも違いました。はたで見ていてもどかしさを感じさせられる学生でした。しかし、今学期のスピーチコンテストの応援に取り掛かるや、俄然やる気を見せ、上述のように何でも自分で引き受けました。先週末、わざわざ応援練習に時間を取った日にぽっこり休んだときには、また悪い癖が出て途中で放り出そうとしているのかと心配しましたが、それは杞憂でした。

Aさんは休みがちな学生が出てきたときにしっかり声をかけて、仲間に引き入れました。自分がまず動いたり提案したりして、周りを動かそうとしています。クラスのみんながAさんの指示を尊重し、その通りに動きます。

Aさんは今回の応援を通して、周りの人を動かして何かを成し遂げることを覚えたのではないでしょうか。これはとても貴重な経験で、得がたい財産となるでしょう。Aさんが自覚するかどうかはわかりませんが、この仕事を完成させた暁には、一回り大きな人物に成長しているに違いありません。

人間的に成長するチャンスって、求めて得られるものではありません。めぐってきたチャンスを自分のものにする度胸と集中力が欠かせません。すべての学生にそういうチャンスを与え、学業以外の面でも大人になってもらいたいのですが、なかなかそううまくはいきません。Aさんの成功体験は、私にとってもめったに得られぬ成功体験なのです。

難しい言葉

8月3日(月)

Gさんは初級クラスのスピーカーです。授業の前に学校へ来てもらって、スピーチの練習をしました。初級はスピーチの制限時間が2分ですが、Gさんのスピーチはなかなかその制限時間内に収まりません。それは、Gさんが難しい言葉を使おうとするからです。

最初のGさんの原稿は、張り切りすぎて原稿用紙3枚にも及ぶ“大作”でした。それを半ば強引に削りに削って、1枚ちょっとにまで切り詰めました。Gさんにしてみれば、断腸の思いでせっかく書いた話を削っていますから、残った部分の言葉のレベルは落としたくなかったのです。

ほかの学生が聞いてもわからないからと言って、Gさんの語彙レベルの単語にだいぶ置き換えたのですが、いくつかの単語はどうしても譲ってくれませんでした。でも、原稿を読む段になって、その単語がネックになっているのです。その言葉がスムーズに出てこないために、そこでつっかえたり言い直したりして、時間がかかり、規定時間をオーバーしてしまうのです。

スピーチコンテストのクラス代表ともなると、やっぱり多少は背伸びしたくなるものです。しかし、辞書から引っ張り出してきた言葉は、まだまだ自分の言葉になっていません。多少練習したところで自然に口から出てくるレベルには至りません。

でも、だからと言って、Gさんにすべての難しい言葉をあきらめろとまでは言えません。それではGさんは不満でしょう。何でクラス代表になったんだろうという気持ちにもなりかねません。だから、クラス担当の教師が必死になって指導するわけです。はっきり言って、Gさんが使おうとしている単語があってもなくても、大勢に影響はありません。でも、だからこそ、それをカッコいい言葉でまとめてみてもいいのです。聞いている人にどうしてもわかってもらわなければならないキーワードに近い言葉だったら、強権を発動してでも言い換えさせます。現に、そうやって言い換えた単語がいくつもあります。それゆえ、それ以外の部分で少々のことは目をつぶって、Gさんの満足度を上げる方向に走っているのです。

職員室に中は、各クラスの応援グッズであふれかえっています。Gさんのクラスも、明日、時間をきっちりとって応援練習をすることになっています。スピーチコンテストまで、あと3日。

文法脳

8月1日(土)

毎週土曜日は日本語教師養成講座の授業があります。先週から文法に入りました。日本語学習者に教える文法体系は、日本人が小学校から高校までに勉強する国文法の体系と若干違いますから、頭の中の配線を組み替えていく必要があります。また、そういった文法が、「みんなの日本語」など学習者の使う教科書にどのように反映されているかも見ていきます。座学をダイレクトに教壇に生かそうというわけです。

私は実際の文法のしくみと理論を比較したり、語句の意味を分析したりすることが好きですから、目にしたり耳にしたりした言葉や文章のかけらを起点に、文法の沼にはまり込んでいくことがあります。そして、そういうねちこち考えたことを誰かに語りたくなることがあります。日々の授業で学生相手にそんなことばかりしていたら、たちまちそっぽを向かれてしまうでしょうから、ぐっとこらえています。養成講座だと、そんな“成果”を少しは披露できます。いわば、養成の授業は私にとっては学会発表みたいなところがあるのです。

受講生のOさんは、そんな私の研究発表(?)に耳をじっくり傾けてくれます。また、次第に日本語文法を考える思考回路が築かれつつあり、こちらからの問いかけに的を射た答えが返ってくるようになってきました。急速に力をつけてきたような気がします。この勢いで伸びていけば、きっと修了までに日本語文法脳が確立されることでしょう。

理屈を語るばかりでは日本語教師は務まりませんから、その理論で自分が学習者に伝えるべき日本語を見つめ直し、学習者に伝わる形に噛み砕くことが必要です。伝わる形に噛み砕くほうは養成講座後半の演習コースで学んでいきます。まだ先は長く、苦しい思いもするでしょうが、初志を貫徹してもらいたいと思っています。また、貫徹できる力を持っていると信じています。

大学の模擬授業

7月31日(金)

上級のクラスは、大学の模擬授業を受けました。H大学の先生がいらして、文系・理系別に授業をしてくださったのです。

私は理系志望の学生たちと一緒に講義を聞きました。理系向けの講義と言っても、バリバリに最先端の科学研究のお話ではなく、具体的な事例に基づいたわかりやすい内容でした。また、日本語学校の学生相手ということで、日本語はだいぶ気を使ってくださったようでした。ですから、学生たちは最後まで集中して耳を傾けていましたし、先生からの問いかけにも答えていました。

講義の後、学生に感想を聞くと、やはり日本語はよくわかったといっていました。しかし、学際的分野の話でしたが、理系の学生にとっては内容が社会科学方面に寄りすぎていたように感じたようです。私も、日本語は手加減しなくてもいいですから、もう少し抽象度の高い理系っぽいテーマでもよかったんじゃないかなと感じました。

もちろん、H大学の先生が本気で大学2年生か3年生あたりの専門科目の授業をしたら、いくらKCPの上級の学生の日本語力が高くても、ついてはいけないでしょう。そこまでは望みませんが、大学の講義を聴くにはもっと日本語力を伸ばさなきゃって、学生たちに新たな目標を作らせるくらいのレベルでもよかったと思います。背伸びすれば手が届きそうな高さだと、学生のやる気に火が付いたと思います。

今回は初めてでしたが、これから回を重ねていけば狙いどころも見えてくると思います。こういう企画を通して、日本語学校の教師が生教材かなんかでする授業では味わえない、学問するおもしろさ、難しさみたいなものを学生たちに味わわせていけたらいいと思っています。

書類不備

7月30日(木)

HさんはW大学に出願しましたが、書類不備で受理してもらえませんでした。国の高校の卒業証明書、成績証明書に生年月日が記載されていないという理由です。来週の月曜日までに生年月日の記載された書類を提出しないと、出願は無効になってしまいます。しかし、今、Hさんの出身校は夏休み中で、学校に誰も出てきていないのだそうです。したがって書類の再発行もできず、W大学への出願は絶望的な状況です。

その学校の正式な書類様式に生年月日の記載がなかったら、その学校の卒業生は自動的にW大学に出願できないということなのでしょうか。W大学の出願に関する書類を読む限り、生年月日が必要だとは書かれていません。W大学にとっては、卒業証明書などに生年月日が記載されているのは改めて書き記すまでもない常識なのでしょうか。その常識が通用しない世界の存在は認めないというのでは、了見が狭すぎると思います。

Hさんの学校にとっては、生年月日を記載した卒業証明書などは非正規の様式です。非正規であるという点においては偽造書類と同列だ、というのは極論すぎるでしょうか。私などうかがい知れない事情があるのかもしれませんが、融通が利かないなと思います。悪意に受け取れば、そんなにまでしてでも学生をふるい落とさなければならないのかという気もします。

書類の戦いは、毎年何らかの形で発生します。私は受験生側の人間ですから、そういうトラブルが起こるたびに、もう一歩譲ってもらえないだろうかと思います。受験生たちは、郷に入れば郷に従えで、すでにかなり譲歩しているのですから。

留学生に便宜を図ってくれないW大学は入学しても苦労するだけかもしれないよー―とHさんに言ってやりました。W大学を目指して日本まで来たHさんに対しては慰めにもなっていないでしょうが、私の心の中ではW大学の株は大きく下がってしまいました。無理してまで入る大学ではないっていう評価です。

蝉時雨

7月29日(水)

丸ノ内線四ッ谷駅でドアが開くと、蝉時雨がなだれ込んできます。四ッ谷駅は春は桜を楽しませてくれます。赤坂御所に近いですから、自然が豊かなのでしょう。赤坂御所のほかにも、都心は皇居、新宿御苑、明治神宮など、けっこう緑に恵まれています。そういうところがカラスの供給源になっているという説もありますが。それにしても、今年の蝉の鳴き声は例年になく激しいような気がします。夏らしい夏でいいんじゃないでしょうか。

梅雨が明けて以来、猛暑日になるかならないかぐらいの暑さが続いていましたが、今日は一息ついた感じです。そんな中、毎学期恒例のバザーがありました。湿度は高かったものの、カンカン照りではありませんでしたから、バザーをしていた方々も少しはましかなという顔をしておいででした。

いつものように学生たちはバザーの商品に群がり、掘り出し物はないかとあれやこれやとひっくり返していました。買いたいものがあってそれを探すというよりは、たくさんのものの中から光るものを見つけ出すことを楽しんでいるようにも見えます。誰にとってもすばらしいものでなくても、自分にとっての宝物が手に入れば、それで満足なのでしょう。そこまでいかなくても、友達とわいわいやりながら物を見ることが、学生たちには息抜きであり、時節柄暑気払いなのかもしれません。

新宿御苑のすぐそばは、御苑の木陰から吹き出す風のおかげで多少は涼しいそうですが、KCPの周りは夜でもむっとするような暑さです。これに四ッ谷駅並みの蝉時雨が加わったら、暑苦しくてたまりません。

伸び盛りだから

7月28日(火)

Zさんは中級の学生です。理科系の学生ですが、この前のEJUで思い通りの成績が挙げられませんでした。物理と化学は時間が足りなかったと言っていました。おそらく、問題文の日本語を理解するのに時間がかかりすぎたのでしょう。

Zさんの日本語力は今が伸び盛りです。でもそれは逆からいうと、日本語が未完成だということです。来年の4月入学を狙っていますが、今回の結果で、6月のEJUしか使えないところはほぼ絶望的となりました。

理科系は国立大学を除くと、私立大学の有力校が少ないです。文科系のように、多くの大学の中から併願先を決めるということができません。したがって、その数少ない大学をどう組み合わせるかがポイントとなります。Zさんが相談を持ちかけてきた大学も、その中の大学でした。その大学は入試が比較的遅いので、発展途上のZさんも本気でがんばれば試験日の頃にはどうにか勝負ができるくらいになっているかもしれません。

Zさんにしたら、きっともどかしいことでしょう。国の言葉で出題されていたら十分解けたはずの問題が、日本語で書かれているがゆえに解けずに苦杯をなめたわけですから。日本語の勉強のスタートがもうちょっと早かったら、Zさんの戦いの様相もだいぶ違ったものになったことでしょう。でも、今は所与の条件の中で最善の結果を追い求めることに集中すべきです。

11月のEJUの締め切りは今週金曜日です。今度は失敗は許されません。