Monthly Archives: 1月 2024

形式的に参加

1月30日(火)

火曜日の後半は選択授業です。今学期は久しぶりに身近な科学をやっています。先週は教室がすき間だらけだったのですが、今週は満席でした。でも、授業開始直前に教室に入ってきたKさんは、モニターに背を向けるように置かれた机にそのまま座りました。Kさんは先週も出席していましたから、私がモニターを使うことは知っているはずです。そうじゃなくても普通の神経をしていればモニターが見えるように机を動かしますよね。しかも、席に着くや否や、ノートではなくスマホをかばんから取り出しました。

出席を取り、授業を始めると、Kさんは速攻でスマホにのめり込みました。もちろん、モニターに背を向けたまま。教卓のすぐそばでそういうことをしますから、思い切り肩をたたいてやりました。迷惑そうな眼付きで私の顔を見上げ、とりあえずスマホはやめました。しかし、モニターに目を向けようとはしません。

おそらく、Kさんは、消去法でこの授業を選んだか、第一志望が希望者少数で成立しなかったためこちらに流れてきたかなのでしょう。だから、無気力パワー全開で授業に臨んでいるのです。授業を通して何かを得ようなどという気持ちは、毛ほどもないに違いありません。すでにR大学に合格していますから、卒業式までの授業は消化試合みたいなものなのです。

しかし、Kさんの成績を見る限り、R大学には入れたのは奇跡です。担当教師の話を聞いても、話が通じ得ているとは思えないという意見が大半です。R大学はよくこんな学生を拾ったねと言いたいくらいです。今のうちにまとまった日本語の話を聞く訓練をしておかないと、R大学の授業になんか絶対ついていけません。でも、。Kさんにはそれがわからないんですよね。

授業の最後にテストをしたら、Kさんは答えを出さずに帰ってしまいました。

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バリアフリー

1月29日(月)

足を怪我してからというもの、外に出るたびに何かと不自由を感じています。新宿御苑前駅もその1つで、荻窪行きの電車から降りて階段なしのコースで学校まで来ようとすると、かなり遠回りしなければなりません。階段の上り下りに耐えるか、平坦な道を長距離歩くかの2択となっています。私は、夜明け前の寒空を延々と歩くより階段の上り下りがあっても最短距離ですむコースを選んでいます。

そんなことから、超級クラスの授業でバリアフリーを取り上げました。まず、学生に自分が感じているバリアを挙げてもらいました。すると、健康体の学生たちは、階段とかエスカレーターとかというよりも、不動産が借りにくいとか、アルバイト先で日本人客に信用してもらえないとか、日本人は身分証明書を持たなくてもいいのに自分たちは在留カードを常に携帯しなければならないとか、社会的なバリアをたくさん挙げてきました。

学生たちが訴えたバリアは確かに存在し、バリアを乗り越えなければならない立場だったら辛いだろうなと思えるものばかりでした。「日本の留学生活は楽しいです」と、このクラスの学生に限らず、初級から超級まで多くの学生が口にします。でも、その裏側にはこういうバリアに耐えている、もしかすると涙を流しているかもしれない別の一面もあるのです。

学生たちが挙げたバリアの多くは、日本人側に原因があります。「国際化」という言葉がもてはやされてからかなりの年月が経ちますが、日本はいまだに道半ばのようです。経済力が衰えた上に、このようなバリアを放置したままでは、日本は働いたり勉強したりしに行く国として選ばれなくなるでしょう。

授業の最後に「心のバリアフリー」という動画を見せましたが、本当にこの動画を見る必要があるのは、私たち日本人なのです。

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AIの威力と限界

1月26日(金)

Bさんは、もともと作文が得意ではありません。好きでもありません。ところが、この前の作文の授業で書いた作文は、のっけから高尚で格調高く、今までのBさんとは大違いでした。しかし、文保的な間違いはないものの、読み進んでいってもBさんの意見が出てきません。

おそらく、この文章は、Bさんではなく、AIが考えたのでしょう。作文のテーマと字数を入力し、書いてもらったに違いありません。一般論に終始するのではなく、こういう意見でまとめてくれという指示は出せなかったのでしょうか。もしかすると、作文の時間に配ったプリントも満足に読んでいないのかもしれません。

以前、初級の学生が、作文のテーマをそのまま検索にかけて、引っ掛かってきたページの文章を、一字一句変えることなく原稿用紙に写して提出してきました。妙にうまいと思ったらそんなわけで、返却する時にそのサイトのコピーもつけてやりました、Bさんの所業はこれに匹敵するものです。

作文の授業は、ただ単に文章を書くだけではありません。資料を読み込んで、考えに考えて、自分なりに何らかの結論を出す過程にこそ意義があるとも言えます。特にこの考える過程を身に付けているかどうかは、学生たちが進学してから強く問われる能力です。Bさんは、この力を伸ばしたくないのでしょうか。

学生たちにとって、作文の授業とは何なのでしょう。今学期水曜日に入っている初級クラスでは、スピーチの原稿を書くという課題に対して、配布したプリントに行をつけ足して書いてきた学生も多かったとか。Bさんには初級クラスに戻ってもらって、鍛え直してもらうしかないかもしれません。

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変更直前

1月25日(木)

養成講座・中上級文法の最終日。私は、文法は1つの体系であり、それを「初級文法」「中上級文法」と分けることには反対です。しかし、養成講座の他の授業との兼ね合い上、そういう形で授業をしています。とはいうものの、私の「初級文法」が厳密に初級クラスで扱う文法かというと必ずしもそうではありません。説明の都合上、上級で勉強する内容の一部も含まれています。

さて、最終日。「中上級文法」では教師としての例文の作り方も教えています。例文を作ることを通して、文法項目の理解が深まると信じています。また、例外規定とか場面の制約とか、そういった事柄も見えてきます。例文は学習者に提示するのみならず、教師自身がその文法を研究する際にも有効です。私は例文を作るのが好きですから特にそう感じているのかもしれませんが、受講生のみなさんにもぜひこの感覚を味わってもらいたいと思っています。

例文の作り方のコツを伝授したうえで、中上級の文法、主力はJLPT・N1とN2になりますが、の探検に踏み出しました。どの期もそうですが、「そんなこと、考えたことがなかった」という感想につながります。そりゃあそうですよ。ネイティブだからこそ気が付かないというのの連続です、文法は。

しかし、N1,N2の文法というくくり方は、今回が最後になるかもしれません。文科省や文化庁が日本語学校のあり方について盛んに口出ししていますから、それに合わせるとなると、授業内容の大幅な組み換えが必要となるでしょう。その方が、私の考え方に近づくような気もしますから、多少は期待しておきましょう。

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話す

1月24日(水)

KCPの学生の多くは進学します。そのために日本語を勉強しているわけですが、ともするとJLPTやEJUの対策に向かいがちです。そうすると、読解や文法などには力を入れますが、往々にして発話関連はおろそかにされてしまいます。でも、入試にも面接がありますから、発話がいい加減なままでは学生たちの夢は実現しません。

今学期は水曜日に初級クラスに入っていますから、そこで発音を鍛えてやろうとあれこれ画策しています。私は、初級クラスでは比較的アクセント記号を多用します。このクラスでもディクテーションの時間をはじめ、チャンスを見つけてはアクセント記号を意識させています。

漢字の宿題に「呼んでください」がありました。絶好球と思って、「読んでください」も板書して、アクセントが同じか違うか、それぞれどんなアクセントか聞きました。クラス中大混乱でした。正解を示すと、ぼそぼそつぶやきながら書き写していました。もちろん、最後は「タクシーを呼んでください」「教科書を読んでください」をコーラスしました。

その後も、指名した学生の答えのアクセントが違っていると言い直させたり、教科書に出てくる語彙の関連語のアクセントを聴いたりなど、いじり倒しました。私がこのクラスに入るのは週に1回だけですが、少しでも足跡が残せればと思っています。

私のような上級をホームとしている教師にとって、初級の授業は種まきです。今学期まいた種を夏か秋に刈り取れればうれしい限りです。

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口先と実行

1月23日(火)

超級クラスの短作文の問題です。(   )に適当な語句を入れて文を完成させてください。

口先だけで何もやらないのは信用されない。何事もただ(   )のみです。

…いかがでしょう。これをお読みのみなさんは、どんな言葉を入れましたか。

超級クラスの学生たちは、いろいろな答えを出してくれました。行動する、やる、実行する、行うのような、英語で言えば“do”っぽい答えが多かったですが、「言葉」的な答えも数名いました。

この問題を作った先生も、私も、前者の系統の答えを求めていましたが、決して成績の悪くない学生たちが後者を書き入れていました。口先だけで何もやらないのは信用されない。何事もただ言葉のみです――うーん、理解できません。どういう発想でこの答えが出てきたのか、わかりません。

そこで、学生たちの話をよく聞いてみると、「“口先だけで何もやらない”のは、すなわち、言葉のみで実行が伴わないということだ」と言いたかったようでした。確かにそういう解釈も成り立ちます。多少強引な気がするのは、私がこういう解釈に不慣れだからでしょうか。

もちろんこれでは日本社会において通用しませんから、「口先だけで何もやらないのは信用されない。それではいけないので、言葉にした事柄は必ず実行しなければならない」という解釈を伝えました。学生たちはこの考えを理解しましたが、心からは納得していない顔つきでした。

最近は、「犬も歩けば棒に当たる」にも2通りの解釈があると言います。だとすると、この問題にも2通りの答えがあってもいいのかもしれません。上述の解釈は、私のような年寄りの発想に基づきます。若い人の考えは、学生たちと同じかもしれません。なんといっても、言葉は生ものですから。

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魔法の杖

1月22日(月)

土曜日にK先生からお借りした杖を持って銀座線に乗ると、席を譲ってもらえました。新宿御苑前から赤坂見附までの丸ノ内線は、高々数分ですから、どっしり腰を落ち着けてしまうと立ち上がる時にかえってしんどそうなので、ドアの際に立っていました。

赤坂見附から上野までは20分ぐらいありますから、実質片足で立ち続けるのは避けたいと思っていました。しかし、入ってきた銀座線はいつもより混んでいるくらいでした。ですからドア際の手すりを確保して姿勢を整えたところ、すぐそばに座っていた若い女性が「どうぞ」と声をかけてくださいました。

私もこういう場面で席を譲ろうとして断られてなんとなく気まずい空気を感じたことがありましたから、ありがたく席に着きました。席を譲ってくださった女性は、新橋か銀座で降りたようです。彼女が降りる時にもう一度お礼を言おうと思っていましたが、見逃してしまいました。

金曜日は杖を持っていませんでしたから、優先席のそばに立ったものの、席を譲ってもらえませんでした。杖の威力は偉大です。逆に考えると、杖を持っていないけれども席を必要としている人が、今まで私の周りにも結構いたということになります。席を譲ることはやぶさかではありませんが、私は席に着くと本を読むことに熱中しますから、譲って差し上げるべき人がそばにいても見逃していたことは多々あるに違いありません。

当分はステッキパワーで席を譲ってもらうとして、足が元に戻ったらちょくちょくあたりを見回して恩返しをしていきたいものです。

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やさしい気持ち

1月20日(土)

けがをした足を引きずって交通機関を利用すると、東京はまだまだバリアだらけだと気付かされます。新宿御苑前駅は、私が生まれる前にできた駅ですから、バリアフリーの発想はありません。地下の浅いところにホームがありますが、そこに至るまではすべて階段。朝、荻窪行きから降りると、私がいつも使う改札口に出るには、階段通路で線路の下を潜り抜けなければなりません。これを避けるためには、新宿三丁目まで乗り越して、ホームの反対側の池袋行きで1駅戻るという手を使うほかありません。また、後付けでエレベーターなどが設置されましたが、KCPとの間の往復の場合、それを使おうとすると、かなり遠回りになります。

乗り換えの赤坂見附はホームの反対側へ移動するだけですが、上野駅はまたしても手すりにしがみつかなければなりません。とどめは自宅最寄りの南千住で、後付けのエレベーターは途中で乗り換えが必要です。

どの駅もそうですが、下りのエスカレーターがありません。しかし、足が悪い者にとっては、上りよりも下りの階段に負担を感じます。こういう話は以前から聞いていましたが、今回身をもって痛感させられました。また、エスカレーターがあっても、エスカレーターから降りる時にバランスを崩しそうになります。もうほんの50センチばかり、エスカレーターの平坦部を伸ばしてもらえると、降りるのが楽になるはずです。

これからは、足の悪い方に少しは優しくなれるような気がしてきました。

今朝、K先生が杖を貸してくださいました。杖を使うと歩幅がだいぶ広がります。昨日は御苑の駅まで15分ぐらいかかりましたが、杖を使って校内を歩いた感じからすると、半分ほどの時間で行けそうな気がします。気持ちが少し明るくなりました。

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骨折

1月19日(金)

昨日の夜、家の近くのスロープを下りていたら、左足をくじいてしまいました。「痛い!」と思いましたが、どうにか歩けましたから、足を引きずりながら家まで帰りました。

風呂に入り、寝て、今朝になると、痛みがひどくなっていました。左足に体重をかけると、痛みが走ります。昨日はまだすたすたと歩けましたが、もう無理でした。でも、午前中、代講が利かない授業を2つ抱えていますから、匍匐前進してでも学校までたどり着かなければなりません。いつもの半分ほどの歩幅で駅に向かいました。駅では、いつもは使わないエスカレーターに乗り、ホームに出ました。

電車は、なんたって早朝ですから、楽勝座れました。しかし、乗換駅では、いつもはダッシュしてきわどいタイミングの電車に乗り込むのですが、もちろんそんなことはできません。そろりそろりと歩いて、いつもより1本遅い電車に乗りました。御苑の駅から学校までも、牛歩戦術でした。いつもは、家から学校まで、スマホの歩数計で1700歩あまりですが、今朝は3300歩を超えました。やはり、歩幅が半分なのです。

教室まで行くのも、いつもは絶対に乗らないエレベーターのお世話になりました。どうにか授業をこなし、午後、学校の近くの整形外科へ行きました。靖国通りを渡る時は、次の青信号まで待ちました。通りの真ん中に取り残されたら寿命が縮まってしまいます。

レントゲンを見た医者は、「足の小指の骨が折れてますね」と一言。痛いわけです。靴を脱がされ、足を固定してもらい、帰ってきました。全治4週間。意外と重かったです。「ほっときゃ治るよ」なんて思わないでよかったです。

さて、これから足を引きずりながら帰ります。固定された足には、整形外科で貸してもらったサンダルが。乗換駅の階段が辛そうだな…。

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陰ながら

1月18日(木)

Yさんは、今学期、日本語プラスの文科系の数学に登録しました。残念なことですが、文科系の数学は途中で挫折する学生が多いです。因数分解、2次関数、順列・組合せ・確率、三角比、平面図形など、文科系の学生にとっては高く長い山脈が待ち構えています。これを乗り越えてほしいのはやまやまですが、数学に力を入れるあまり総合科目がお留守になってしまっては、元も子もありません。そもそも日本語に力を入れてほしい学生だっています。ですから、数学の授業の初日に、今までに、いつ、どれくらい数学を勉強してきたか、受験においてどれくらい数学が必要かといったことを確かめることもあります。

Yさんに数式の展開と因数分解の公式を見せると、国の高校で勉強したと言いました。じゃあということで、公式を見ながら展開の問題をしてもらいました。すると、ある意味予想通り、すぐにつまずいてしまいました。勉強したことは確かでしょうが、すっかり忘れてしまっていることもまた事実です。問題を解いていくうちに勘を取り戻すといったこともなく、ギブアップ状態でした。

Yさんの志望校を聞くと、F大学でした。しかも文学部志望ですから、EJUの数学は必要ありません。日本語で1点でも高い点数を取ることに全精力を傾けるべきでしょう。そういうことを話すと、Yさんはほっとしたような顔をして、あっさり数学の授業をキャンセルしました。

ろくに教えもせずに引導を渡した形になり、多少心は痛みました。しかし、しかし、週にたった90分の数学がYさんの重荷になるのだとしたら、全体としてYさんの力を伸ばすことにつながるのだと思います。これから1年間、陰からそっと見守っていくことにしました。

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