Monthly Archives: 4月 2023

遅れてきた有望株

4月14日(金)

Cさんは、事情があって遅れて入国してきた新入生です。午前のクラスの授業後に、通常の日程で入国した学生たちはすでに済ませている日本語+のオリエンテーションをしました。大学院進学を目指していますから、研究計画書作成など、個別指導に関する説明が主でした。

楽でしたね。まず、こちらの言うことを一発で的確に理解してくれますから、話がトントントンと進みます。言葉のレベルを落としたり、具体的な例を示したり、筆談に及んだりなどということなく、説明が通じました。また、ノートを取っていましたから、要点をつかんでいることもよくわかりました。そして、Cさんが発する質問が実に的を射ているんですねえ。私が次に説明しようと思ったことを聞いてきたり、最重要ポイントを再確認したりという調子で、無駄な質問がありませんでした。こうまでスムーズにわかってもらえると、話すつもりのなかったことまで話してしまいます。Cさんの立場から見ると、理解が早いおかげで、他の学生が得られなかった情報まで手にできたということになります。

Cさんは、物事をてきぱきと進められるという意味で、頭のいい人だと思いました。それもそのはずです。国の大学を出てからしばらく、日本人なら誰でも知っている会社に就職し、最前線でバリバリ仕事をしてきたのですから。その経験から研究したいことが出てきて、日本の大学院に進もうとKCPに入学したという次第なのです。

志望校までは聞きませんでしたが、きっと説得力訴求力のある志望理由書や研究計画書を書くことでしょう。大学院の先生方にも好印象を与えることは疑いありません。来年の今頃は、どこかの大学院で研究を始めているに違いありません。

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どんな勉強?

4月13日(木)

昨日のこの稿で取り上げたHさん、数学のS先生によると、数学に関しては先学期から勉強しているPさんやWさんよりよくできるそうです。理系の数学が難しすぎるのではなく、本当に基礎を再確認したいのかもしれません。私の担当している物理も、解けると思った問題が解けず、前に戻って勉強し直すと言っていました。

学生は、とかく先へ先へと進みたがります。わかったつもりを繰り返したあげく、基礎がガタガタのまま、入学試験のような範囲の広い試験を受け、跳ね返されることがよくあります。「間違えた問題は間違えなくなるまで何度でも解いてみること」と言うと、Pさんは「同じ問題を何回も解きますか」とびっくりしたような顔で聞き返してきました。「日本の受験生はみんなそうしているよ」と答えると、不思議そうな顔をしていました。

Hさんがそういう学生ではなく、やり直しを厭わず勉強していくのなら、今後に希望が持てそうです。6月のEJUに間に合うかどうかは微妙なところですが、確実な前進を積み重ねれば、いずれ大きな力を身に付けるに違いありません。日本語も、過剰に未知への挑戦を続けるようなことがなければ、きっと芽を出しますよ。私たちも、そういう発想でHさんを指導していくことを考えるべきかもしれません。

ただ1つだけ気になるのは、「公式を覚えます」と言っていることです。公式を覚えれば、あるレベルの問題までは解けるようになります。しかし、公式のよって立つ原理や自然現象などを切り捨てて暗記にばかり走ると、それ以上の問題には太刀打ちできませんし、ましてや進学してからの勉強においては戸惑うばかりでしょう。そういうところも含めて、見守っていくつもりです。

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やっぱり日本語力?

4月12日(水)

文系数学の日本語+の授業を終えて一息ついていると、Hさんに呼び出されました。Hさんは今学期から理系の数学と物理、化学の日本語+の授業を受け始めた学生です。昨日の化学は、顔をゆがめながら私の話を聞いていましたから、受講を取りやめたいという相談かもしれません。

出て行って話を聞くと、理系の数学のほかに、数学の基礎の勉強として、文系の数学も受けたいと言います。基礎というと、つい先ほどまでやっていたクラスは、先学期から受講している学生対象ですから、Hさんの意図する授業内容ではないでしょう。かといって、月曜日のクラスは今週から始まったクラスで、基礎の基礎をやっていますから、理系志望の学生にはどう考えても易しすぎます。

そういうことを伝えてみたのですが、どうも伝わり方がよくありません。半分筆談になってしまいました。とりあえず、来週月曜日の授業に出てもらうことにしました。

そんなことがあってからしばらくして、A先生が「この学生は午後のクラスに戻した方がいいと思いませんか、金原先生」と、ある学生の例文ノートを持ってきました。見ると、確かにひどい間違え方です。午後クラスに差し戻すという判断もありでしょう。で、その例文ノートの名前を見ると、Hさんではありませんか。ということは、理系数学のS先生の日本語が難しすぎてわからなかったのかもしれません。昨日私の授業で顔をゆがめていたのも、理解するのに悪戦苦闘していたのでしょう。

理系の授業は数式や反応式など、日本語以外でどうにかなる部分もあります。しかし、根幹をなすのは日本語の資料を読んだり、教師の日本語の話を聞いたりすることです。Hさんの日本語力では難しすぎたのでしょうか。Hさんだって、来年の4月には進学しなければなりません。日本語力を養ってからなどとのんびり構えている暇はありません。

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違いがわかる

4月11日(火)

火曜日は上級のクラスです。顔と名前が一致する学生が半分くらいいましたから、昨日のクラスよりはいくらか気が楽でした。

「みなさんは今学期から上級クラスになりましたが、このクラスの上に、もっと上級のクラスがあります。そのクラスの学生とみなさんの日本語を比べると、読解も文法も会話もすべてあちらのクラスの方が上ですが、何が一番大きく違うと思いますか」と聞いてみました。当然のごとくいろいろな答えが返ってきました。

「知っている単語の数、使える単語の数が一番違います」と言うと、意外そうな顔をする学生はあまりいませんでした。上のレベルの学生たちは、抽象概念を表す単語が自然に出てきます。同じ単語を私のクラスの学生が発すると、気負ってるなとか、ネットで見つけたのをそのまま言ってるなとか思ってしまいます。

同じことが、このクラスの学生と昨日のクラスの学生の間にも言えます。ほんの入り口とはいえ上級クラスですから、日本語学習歴で半年ほど差のある学生に対しては、語彙面で差をつけています。複合動詞などがひょこっと出てくると、中級とは一味違うなと思ってしまいます。1~2分ほどのニュースを聞かせてみたら、大部分が理解できたみたいでした。頭の中に蓄積された語彙が多いからこそ、聞いてわかるのです。まあ、事前に多少種をまきましたけどね。

授業の最後に「んです」を取り上げました。「んです」は初級で勉強する文法事項ですが、定着するのは上級になってからです。「んです」がどのくらい過不足なく使えるかで、その学生の実力が推し量れるとさえ思っています。残念ながら、このクラスの学生の「んです」は、上級とは言いかねます。今学期の強化のポイントは、この辺にありそうです。

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人は第一印象?

4月10日(月)

やっぱり、学期の最初の授業、しかも顔見知りの少ないクラスとなると、緊張するものです。4月期は、顔見知りの大半が卒業してしまっているので、毎年緊張もひとしおです。

月曜日のクラスには、先学期数学や理科を教えた学生が3人います。もう1人、2か月ほど前に説教をした学生もいます。それから、卒業式の演劇部の発表で一緒に練習した仲の学生が1人。顔を知っている学生は5人いましたが、親しく話をしたことがあるのは2人だけです。他の学生たちは、ほぼ初顔合わせです。また、顔を知っているとか、話をしたことがあるとか言っても、日本語力まではわかりません。授業の時に戦力になるかどうかは、全くの未知数です。ですから、全員に対してお手並み拝見というのが、最初の授業です。

学期はじめは自己紹介タイムがありますから、これが各学生の日本語力を推し量るのに役に立ちます。全員のを聞いて、これはと思えたのは、Tさん、Nさん、Cさん、Sさんなど、クラスの半分弱。ちょっとひどいなと思ったのは、Jさん、Zさん、Pさんあたりでしょうか。授業中に書いてもらった例文を見ても、Tさんたちは、間違っているにしても意欲的ですが、Jさんたちは教科書の例文をちょっといじってお茶を濁したという感じです。

初回の授業で、つまりは第一印象でクラスの学生を判断してはいけません。でも、クラスの授業を形作っていくうえでは、そういう情報も必要です。もちろん、この第一印象が学期の最後まで変わらないというわけではありません。「第一印象は悪かったけど…」という学生もいれば、竜頭蛇尾的な学生もいます。

教師の方だってそうですよね。第一印象が「いい先生」でも、だんだん評価が下がっていったのでは、信頼関係は築けません。このクラス、3か月後はどうなっているでしょうか。

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4月は始まりの月

4月8日(土)

今学期から、KCPの「受験講座」は、名称を改めました。日本語+(プラス)としました。クラスにおける通常の日本語授業に加えて(プラスして)、各学生が、KCPを卒業した後の進路に合わせて、多様な勉強ができるようにメニューをそろえました。従前の受験講座と同じ内容の授業もありますが、取り扱い方は新しくしていこうと思っています。

そういう趣旨が伝わったからなのかどうかわかりませんが、私が担当するEJUの数学コース1は、新しく始める学生がおおぜいいます。先学期からの学生は6月のEJUを目指しますから、それに向けた授業をしていかなければなりません。新しい学生がそういった授業についていけるかとなると、大きな疑問符が付きます。数学コース1には、数学の基礎から勉強したいという学生が少なからず入ってきます。そんな学生にいきなり2次不等式や確率、平面図形などの問題をやらせたら、すぐに逃げて行ってしまうでしょう。

そこで、今回は、レベルテストをすることにしました。先学期に取り扱った内容から問題を出し、そのテストでそこそこの点数が取れたら、受講継続の学生と同じクラスにします。白紙に近いようだったら、11月を目指して基礎から勉強するクラスで勉強してもらいます。

文科系の数学の授業は、引導を渡すのが仕事だという面もあります。下手に引き留めて、総合科目の足を引っ張ってしまっては、元も子もありません。でも、学生が思い描いている“いい大学”に合格させるには、茨の道を歩いてもらわなければなりません。その辺の見極めが難しいのです。

これから、日本語+には新しい授業が加わっていきます。数学みたいにやるべきことが明確に決まっている授業ばかりとは限りません。学生よりも前に、教師が鍛えられそうな日本語+です。

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マスクなし

4月7日(金)

始業日は教科書販売があります。その日のクラス担当の教師が学生を1階の事務カウンターまで学生を連れて来ます。その学期に使う教科書をかわせたら、また連れて帰ります。

今学期金曜日はクラス授業がない私は、販売担当としてカウンターに立ちました。先学期受け持ったBさんが、新しいクラスの一員になって現れました。神妙な顔つきで新しい教科書を手に取っていましたが、同じクラスにしたはずのYさんとGさんがいません。「ほかの2人、どうした?」と小声で聞くと、「欠席です」という答えが返ってきました。「悪い学生だなあ。Bさんは休んじゃだめだよ」「はい、わかりました」という感じで、自分のクラスだった学生の“その後”は気になるものです。

他のクラスでも、KさんやSさんの姿がありませんでした。授業の後で担当の先生に伺うと、やはり欠席でした。金曜日1日だけ学校へ行くのは面倒くさいと考えて、自主休校にしたのでしょうか。2人とも、先学期の出席率は若干問題ありだっただけに、ちょっと心配です。こんな調子だとあっという間に1年が過ぎて、行先が決まらないままKCPを出なければならなくなることだって考えられます。

今学期の特徴は、3年3か月ぶりに、校内でマスクを強制しなくなったことです。教科書を買いに来た学生にも、ノーマスクの学生がちらほらいました。Jさんなんか、声を聞かなかったら気が付きませんでしたよ。でも、とてもさわやかな感じがしました。

東京の新規患者数は増えたり減ったりしていますが、教室でも街中でも、じわじわとマスクなしが増えていくんじゃないでしょうか。私も衣替えを機にはずしちゃおうかな。そのころには5類になっていることだし…。

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+3.5度

4月6日(木)

東京の桜は、もうすっかり普通の木になってしまいました。丸ノ内線四ツ谷駅からちらっと見える桜も、すっかり若葉です。花園小学校の桜も、先週あたりはかろうじて木の下のベンチでお花見をしながらランチとしゃれ込んでいるグループもいましたが、今はもう、うつむいてスマホをいじっている人ばかりです。

気象庁の発表によると、東京の3月の平均気温は、平年より3.5度も高く、史上最高だったそうです。東京に限らず、全国的にかなり暖かな3月だったようです。もちろん寒い日もありましたが、私も早々に真冬装束を解き、卒業式のころから春の装いです。もうコートをクリーニングに出しても後悔することはないでしょう。

昨日の入学式も、新入生を歓迎に来てくれた在校生の中には、半袖の学生が何名かいました。私はさすがに半袖を着る気にはなりませんが、半袖の学生を見ても寒そうだとは思いませんでした。通訳をしてくれたMさんなんかも余裕の表情でした。

平均気温が1度上がるだけでも大変なことになると世界中で大騒ぎしているのに、3.5度も上がってしまった東京はどうなるのでしょう。半袖姿の学生が自然に見える程度で済むとは思えません。7月、8月あたりに3.5度高くなったら、暑さのために臨時休校などということもあり得ます。今年の夏も電力に余裕がないと言いますから、みんなが一斉にエアコンを使って、東京がブラックアウトなんて悪夢すら考えられます。

明日から新学期です。学期の後半は、クールビズでノーネクタイです。まさか、連休のころから蒸し暑くて夜も眠れない…などということはないでしょうね。

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入学式挨拶(2023年4月5日)

みなさん、ご入学おめでとうございます。いつの学期もそうですが、新入生の、意欲あふれる、希望に燃えた顔を目の前にすると、私も心が浮き立つと同時に、気が引き締まる思いがします。

これからみなさんの留学生活が始まるわけですが、留学生活を続けていくうえで一番難しいことは何だと思いますか。それは、今みなさんが抱いている意欲や希望を抱き続けることです。2023年4月5日の、好奇心に満ちた新鮮な心を、みなさんがKCPを去る日までずっと持っていることが、何より難しいのです。

今更言うまでもないことですが、親元を離れ、自分の生まれ育った国の外で、ましてや言葉も満足に通じない環境で、生活するのみならず、今後のみなさん自身の人生の成否をかけて勉学に集中することは、並大抵の難しさではありません。この困難を見事に乗り越えて志望校に進学したり日本で職を得たりした先輩たちも大勢います。その反面、いろいろな要因で挫折を余儀なくされた先輩方がいたこともまた事実です。

かつては、学費や生活費を稼ぐためのアルバイトに追われて勉強どころではなくなってしまった学生をよく目にしました。しかし、今はみなさんの国が裕福になりましたから、そういう学生はめっきり少なくなりました。その代わり、精神的に追い詰められて留学の目的を果たせなくなってしまう学生が増えてきました。優秀な頭脳を持ちながら、その頭脳を活かすことなく不本意な選択に甘んじざるを得なくなってしまった学生の姿は、見るに忍びないものがあります。

こうした学生の多くは、視野狭窄に陥り、近視眼的な発想しかできなくなっています。今、この場にいるみなさんは、視線を、漠然とした形ではあっても、「将来」に向けています。それがみなさんの意欲の原動力であり、希望の源です。逆に、「将来」を忘れてしまって、目の前の愉悦に逃避したり恐怖におびえたりしているようだと、留学生活に息苦しさしか感じられなくなるでしょう。

そんな時は、私たち教職員を頼ってください。私たちは、今までの留学生の成功例も失敗例も数限りなく見てきました。その経験をもとに、なにがしかのアドバイスをして差し上げられるでしょう。時には、そのアドバイスはみなさんにとって耳の痛い話になるかもしれません。しかし、その耳の痛さを避けていては、自分の現状と入学式の日の心意気との落差から目を背けていては、問題は解決しません。危ない状態から立ち直った学生は、私たちの意見に耳を傾けています。あるいは友達の差し伸べた救いの手にしっかりつかまって這い上がってきました。

私たち教職員はみなさんを見守っています。スランプだなと思ったら、遠慮なく頼ってください。みなさん自身が気づかなくても、様子がおかしいなと思ったら、こちらから声をかけることもあります。そして、私たちと語り合うことをきっかけにして、留学の第一歩を力強く踏み出そうとしている今のみなさんを取り戻してください。これが、みなさんがご自身の留学を成功に導く鍵です。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

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教授を目指す

4月4日(火)

私が受験生のころには、すでに「駅弁大学」などと大学の大衆化を揶揄するような言葉がありましたが、昨今は大学進学率が50%を超え、東京に至っては高校生の8割近くが大学に進学しています。しかし、それでも韓国などと比べると大学進学率が低く、「日本は低学歴国」と嘆く声もよく耳にします。

進学率は上がっても、それ以上の勢いで少子化が進んでいるのでしょうか、閉学する大学も出てきています。つい先ごろも、恵泉女学園大学が学生募集停止に至ったというニュースがありました。そこそこ名の通った大学でしたから、驚かされました。全国を見渡すと、私立大学の半数近くが定員割れです。そもそも、日本に800校もの大学は多すぎるという意見もあります。駅弁を売っている駅は、800よりもはるかに少ないでしょう。

ちょっと前までは留学生などには見向きもしなかったのに、急に留学生の募集に熱を入れ始める大学が時々あります。そんな大学の担当者がKCPまで留学生の実情を聞きに来ることもたびたびです。誠心誠意留学生に向き合ってくれればと思い、私も好意的に答えています。しかし、中にはあまりに留学生について知らなさすぎるというか、想像力が欠如しているとしか言いようのないところもあります。日本人学生の募集に行き詰ったから留学生に手を伸ばしてみようかというのでは、安易すぎます。

夕方、何年か前の卒業生が来ました。ある大学の大学院の修士を出た後、今は別の大学院の修士で別の専門を学んでいます。博士まで進んで、末は大学教授を目指すそうです。こういう気概のある学生が、日本人には少ないのかなと思うと、少し悲しくなりました。こういう学生の期待に応えられる大学が日本にどれだけあるのだろうかと思うと、心もとなく感じました。

国立大学の予算を削ってばかりだと、世界中の学生から見放されます。大学の研究を金もうけに直結させようというさもしい根性は、捨て去るべきです。

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