Monthly Archives: 10月 2021

東京ドーム

10月18日(月)

今、扱っている読解のテキストに、説明をわかりやすくするには「東京ドーム3個分」などというたとえを使うといいという一節がありました。“A氏は東京ドーム3個分の敷地の大豪邸に住んでいる”と言ったらわかりやすいでしょうか。とんでもなく広いということは伝わりますが、それ以上ではないでしょう。それよりも“うちの敷地の1000倍だ”などという方が、実感が伴うのではないかと思います。東京ドームよりも自分ちの方がはるかに身近ですからね。でも、それでは一般の人にはわかりません。だからこそ、具体的イメージは犠牲にしても、東京ドームなのです。

その東京ドームにしても、伊勢丹新宿本店の延べ床面積の方が広いとなるとどうでしょう。伊勢丹が広いと受け取るか、東京ドームが意外と大したことがないと感じるか、人それぞれでしょう。観客席も取っ払った東京ドーム全体に売り場が広がっていたら、見て回る気がなくなるでしょうね。だから、東京ドームも広いのかなあ。

東京ドームの面積は、200m四方よりももう一回り大きいくらいです。ということは、東京ドーム3個分とは、200m強×600m強ということです。御苑と三丁目の駅間距離が700mですから、御苑の一番西側と三丁目の一番東側で600m強でしょうか。その間を幅200mで占領するとなると、相当なものです。

さて、学生の反応はどうだったかというと、Gさんから「東京ドームって何ですか」という質問が真っ先に出ました。Gさんは野球に関心なさそうだもんね。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

戦略

10月16日(土)

M先生から、今学期受け持つことになったOさんが志望校として超難関大学ばかり挙げているけれども、どうしたらいいだろうかと相談を受けました。Oさんは、先学期、私のクラスの学生でした。まじめでおとなしい学生で、成績はクラスの上位でした。6月のEJUでは上級の学生と比べても遜色のない成績でした。しかし、その成績をもってしても、Oさんが受けようとしている大学では、勝ち目の薄い戦いとなりそうです。

まず、Oさんはどこまで本気でこれら超難関校を志望校としているかです。何が何でもこのうちのどこかに入りたいというのなら、これ以外の大学には絶対行きたくないというのなら、玉砕覚悟で受験するほかありません。来年3月で受験が終わりではなく、長期戦に及ぶかもしれません。2浪か3浪してもいいのなら、絶対に手が届かないとも限りません。

もう少し事態を俯瞰して、自分の将来を支える学問をするために留学したのだと考えるなら、超難関大学に拘泥しなくてもいいはずです。将来Oさんが帰国して就職するときに、日本の超有名校の卒業証書が必要だというのなら、石にかじりついてでもそこに入らなければなりません。しかし、それはレアケースではないでしょうか。

大学研究が進んでいないとも考えられます。Oさんの志望校は誰もが憧れる大学ばかりです。Oさんの勉強したいことが勉強できる大学は、その大学だけではないはずです。調べていけば、掘り出し物の大学が現れるに違いありません。名前を聞いたことがある大学を志望校にしているだけだとしたら、たとえ学力があっても、面接は通りません。

1年前にOさんと同じような志望校を言っていたSさんやTさんは、すでに勝ち目のある戦いに切り替えています。Oさんも、今ならぎりぎり間に合いますよ。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

後輩の就職のために大けが

10月15日(金)

始業日に、作文についてさんざん嘆いたクラスの授業がまたやってきました。中2日で大きく変わるわけがありませんが、授業内でのやり取りを通して、学生がもう少しわかってくるのではないかと思いました。

「じゃあ、Nさん、最初の例文を読んでください」「後輩の就職のために骨を折った」「はい。じゃあ、Nさん、後輩の就職のために骨を折ったって、この人、何をしたんですか」「腕の骨、壊れました」「えっ、けがをしたんですか、この人?」「はい」「どうして?」「頑張り過ぎました」

上級だったらどこまでボケ倒せるかさらに突っ込み続けるところですが、Nさんは、表情からすると、明らかにボケているのではありません。また、他の学生もけが説に傾いています。これ以上、野放しにしては危険だと思い、「骨を折る」の解説をしました。

学生たちは、「後輩、就職、骨、折る」という単語の意味の確認をもって、この文を理解したつもりになっているのです。単語の意味の合計が文の意味として自然かどうかまでは、考えが至っていません。これが、このクラスの学生の現時点における実力です。

突き詰めて言うと、予習が足りないのです。学生たちの母語にも絶対に慣用句はあります。そこまで深く考えずに、先生に言われたからおざなりに意味を調べてきただけです。いや、それさえしてこなかった学生も一大派閥を形成していました。

他の科目も似たりよったりで、予習をしてきたとしても、やり方が甘いです。自分の部屋で授業を受けるのなら、授業中にこっそり検索して予習をサボった部分を糊塗することもできます。しかし、教室での授業となると、そういうわけにはいきません。勉強不足があらわになってしまいます。

それでも、Wさんなどは疑問点をまとめて質問してきましたから、一縷の望みを抱いてもよさそうです。来週に期待しましょう。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

脱帽

10月14日(木)

月木に入るクラスは、半数強の学生が先学期からの持ち上がりです。しかし、先学期は半分以上がオンラインでしたから、どうも顔と名前が一致しません。だいたい見当が付くのですが、確信が持てないのです。オンラインだとマスクなしですが、対面だとマスクありなので、その2つの顔がぴったり重ならないことも少なくありません。それでも、声やしゃべり方で、この人はAさん、その隣はBさんなどとわかるケースもあります。そうそう、ノートの字をのぞき込んで、この字はCさんなんていう例もありました。

対面だと、マイクのオン・オフがない分、テンポが速まります。また、学生が答えに詰まっても、にらみつけて最後まで言わせることができます。WiFiの調子が悪いから、マイクが壊れているからは、答えられない理由にはなりません。机の中に腕を突っ込んでスマホをいじっている学生は、バリバリ指名します。教室の隅っこに潜んでいても、教壇からよく見えちゃうんですよ、学生のみなさん。

オンラインではそういう“追及”ができませんでしたから、学生はとかくわかることしか話さないという方向に流れがちでした。それでは進歩がありませんし、現に学生の発話力には一抹どころではない不安を抱いていました。ですから、“わたしのおすすめ”というテーマで少しまとまった話をするという授業内容も、果たしてうまくいくだろうかと心配でした。考える時間は長めに与えましたが、発表時間は短めに設定しました。中途半端に時間を余らせても嫌でしたから。

最初に手を挙げて発表したDさんがクラスのみんなを引き付ける話をしてくれたおかげで、話しやすい雰囲気ができたようです。どの学生も思いの丈を述べようとしていました。何より、先学期かクラス活動に参加しようとしなかったEさんが、みんなの前でとうとうと語ったことに驚かされました。しゃべりたいけどしゃべるチャンスがなかったというマグマみたいなものがたまっていたのでしょうか。

その結果、ほとんどツッコミを入れる時間もなく、授業終了時刻となってしまいました。いやはや、おみそれしましたと、学生に頭を下げました。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

しんじょく

10月13日(水)

昨日のクラス、実は最後に作文を書かせました。わりと書きやすいテーマでしたから、30分ぐらいあれば書けるだろうと、授業終了約35分前から始めました。しかし、授業内の書き終えた学生はわずかに数名、書き上げるまでに1時間近くかかった学生もいました。また、書いている最中に見回ると、原稿用紙に名前を書いていない学生が何名もいました。もしかすると、この学生たちは原稿用紙に文章を書くことに慣れていないのだろうかと思いました。

その作文を読みました。やはり、手書きで原稿用紙1枚とかの長さの文章を書くということをやってこなかったのではないかという感を深めました。まず、漢字の上に振らせている読み仮名がボロボロでした。「新宿」が「しんじょく」ですよ。「思った」が「おまった」ですよ。中級になったのにひらがなを間違えているとしたら情けない限りだし、実際に「しんじょく」とか「おまった」とかと発音していたら絶望的です。時制がいい加減な文は数限りなく、「見った」のような活用ミスも少なくありませんでした。「ほしいだ」のようにい形容詞に「だ」をくっつけてしまった例も目立ちました。

文のレベルでつまずいていますから、文章で何かを訴えるはるか以前で終わっています。どうにかこうにか400字のマスを埋めたという原稿用紙ばかりでした。この作文は“お手並み拝見”ですから、成績評価対象外です。でも、評価したら大半の学生がCで、最高でもBどまりでしょう。

このクラスの作文は、私が担当します。教え甲斐があると思うことにしましょう。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

お年寄りが多い

10月12日(火)

「中級の目標の1つは、さまざまな社会問題について日本語で話せるように、意見が言えるようになることです。じゃあ、Gさん、今の社会問題って、例えば何ですか」「…お年寄りの人の数が多いことです」

中級に上がったばかりの学生にとっては、ちょっと難しい質問だったかもしれません。「お年寄りの人の数が多いことです」と答えたGさん、社会問題の本質はわかっています。でも、この表現は、いかにも初級ですね。Gさん、教師にとっては絶妙の答え方をしてくれました。心の中で手を合わせました。

「はい、そうですね。お年寄りが増えたので、日本ではいろいろな問題が起きています。でも、中級は『お年寄りの人の数が多い』とは言いません。『高齢化が進んでいる』という表現を勉強します。この言葉、今は難しいと思いますが、ちゃんと勉強すれば、レベル4が終わるころには、誰でも使えるようになります。“ちゃんと勉強すれば”ですよ。勉強しなかったら3か月後も『お年寄りの人の数が多い』のままです」

中級の初日は、このぐらいガツンと言って、今の自分の足りなさ加減を認識させなければなりません。先学期受け持った学生たちも、レベル4の初日は似たようなものでした。しかし、期末タスクでは、「高齢化が進んでいる」ぐらい普通に使っていました。日本で進学したかったら、中級で語彙と文法のレベルを上げ、抽象的な議論に耐えられる日本語力を付けなければなりません。そして、上級では「高齢化が進展している」となるのです。

2か月以上ぶりの対面授業でした。やはり、学生からの圧力が違いますね。そして、学生とのやり取りがポンポン弾むのがうれしいところです。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

お誘い

10月11日(月)

受験講座の教材用に、EJUの数学の問題を解いています。マークシート方式にしなければならないという制約のせいかもしれませんが、解いていて面白みがありません。“14a+9b=147を満たす正の整数a,bを求めよう”などと意向形で誘われても、「そんなの求めたくねえよ」と言いたくなります。誘うなら、解く側の意欲を掻き立てるような問題にしてもらいたいです。

受験生は必死ですから、面白みがなくても意欲が掻き立てられなくても、大学に進学したい一心で解くのでしょう。留学生の心をおもちゃにしているなどと言ったら、EJUの問題を作った先生に対して失礼でしょうか。

でも、私のような年寄りからすると、問題のための問題は出してほしくないです。ひたすら式の変形をし続け、公式を当てはめ、そして正解にたどり着くというのは、注意力と反射力のテストのような気がしてなりません。日本の大学はそういう新入生が欲しいのかというと、決してそうだとは思いません。

今年も元日本人の方がノーベル賞を受賞しました。そういう研究は、注意力と反射力だけからは生まれてきません。数学の基礎的な計算力を否定するわけではありませんが、“14a+9b=147を満たす正の整数a,bを求めよう”が解ける勉強をし続けた学生から創造力が泉のごとく湧き出てくるとも思えません。東北大学や名古屋大学の日本人向け問題は、良問が多いです。そういう問題も、マークシート方式にすると輝きを失ってしまうのでしょうか。

愚痴をこぼしていても受験講座はできません。学生に力を付けさせることが先決です。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

どんでん返し

10月8日(金)

昨夜はひどい目に遭いました。EJUの数学の模範解答を作っていたらすっかり遅くなってしまいました。戸締りをして学校を出て御苑から丸ノ内線に。平時に戻ったとはいえ、夜遅い時間帯の電車は2年前に比べたらずいぶん空いています。私も腰掛けて本を読んでいました。

四谷三丁目を出て程なく、急ブレーキがかかりました。ほぼ同時に、かばんの中のマナモードになっているスマホが精いっぱいのうなり声をあげました。強い地震が発生したので緊急停止したと車内アナウンスがありましたが、揺れは全く感じませんでした。だから、すぐに運転再開するだろうと思っていましたが、結局20分ほど待たされました。でも、おかげで本のページがどんどん進みました。

赤坂見附で乗り換えた銀座線は、運転再開直後だったからでしょうか、けっこう混んでいました。車内で日比谷線は人形町・北千住間で運転見合わせという気になるアナウンスが。上野で降りて日比谷線の改札まで行ってみましたが、入口が閉鎖され、ホームに入れませんでした。まあ、上野まで来ればうちまで3キロちょっと。JRも全線止まっているとのことでしたから、タクシーは遠距離の人に譲って、歩いて帰ることにしました。暑すぎず、寒すぎず、歩くのにはちょうどよかったです。本気で歩いて30分少々。

南千住駅はメトロもJRもTXも止まっているみたいで、いつもは事務所に引っ込んでいる駅員さんが改札口に出ていました。さらに数分歩いてマンションのエントランスに着くと、“地震のためエレベーターは運転停止中”という張り紙が。こんなことなら、四谷から引き返して学校の近くの東横インにでも泊まればよかったと思いました。

自分の足で29階まで上がるほかありません。夏休みに、暇に飽かして1往復だけしましたが、こんな形で必要に迫られるとは…。涼風に吹かれて心地よい夜空の下のお散歩が、ゴール直前で滝のような大汗をかく羽目に陥ってしまいました。階段室って蒸し暑いんですよね。

結局、学校から家まで、普段の倍の時間がかかりました。玄関を入るや風呂場に直行し、シャワーを浴びました。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

語れる日本語

10月7日(木)

午前中、進学コースの新入生へのオリエンテーションをしました。もちろん、まだ入国できませんから、オンラインです。初めて顔を合わせでしたが、遅刻者もなく全員出席で、ZOOMの小さな映像を見る限り、真面目に聞いていたようです。

このまま感染状況が落ち着いて、総選挙後にも入国できたとなると、そして“第6波”も訪れないか小さなピークでやり過ごすことができたとなると、この新入生たちには昨年度入学の学生たちのような“もう1年”などという特例措置はなく、23年4月には進学しなければなりません。それだけに、きちんと学力をつけることのみならず、コミュニケーション力も伸ばしていかねばなりません。来年の今頃は、この学生たちも受験の荒波にもまれる運命にあるのです。

そのためには、聞いたり話したりという、引き上げるのが難しい能力を付けていく必要があります。日本国外にいると、その気になってかなり積極的に動かないと、日本語の音声に触れるチャンスは巡ってきません。上述のように程なく入国できたらいいのですが、そうでないと通常授業や受験講座で何らかの形で補っていくことが必要です。受験講座の小難しい話を聞くというのには、そういうメリットもあるのです。

オリエンテーションの後、続けてSさんの口頭試問の練習をしました。週末にR大学の口頭試問を控えているSさんに、理科系の基礎知識に関する質問をいくつかしました。Sさんがしかるべき知識を持っていることはわかりました。しかし、その表現のしかたには疑問符を付けざるを得ませんでした。Sさんに聞いてみると、頭の中で母語を日本語に翻訳して答えたとのことでした。

新入生のみなさんには、受験に臨む1年後、日本語でストックした知識を滑らかな日本語で語ってもらいたいです。そのための訓練が、来週、すぐに始まります。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

面接に弱い

10月4日(月)

先週末から、奨学金の面接をしています。もう少し正確に言うと、文部科学省学習奨励費受給者として学校が推薦する学生を決定するための面接です。申請した学生は、みな出席率が100%に近く、成績もクラスやレベルの中で上位を占めています。

そう聞かされていたのですが、それにしては学生たちの受け答えがパッとしません。声が小さかったり、語彙や文法が間違っていたり、態度に落ち着きがなかったりと、奨学金をもらうような模範生には程遠い惨状が繰り広げられています。

申請者の多くを受け持っていたT先生によると、ほぼ全員が極度の緊張状態に陥っていて、クラスの授業での様子とは全然違っていたそうです。確かに、今までの奨学金の面接では、私も半分かそれ以上の学生と顔見知りでした。ところが今回は、名前ぐらいしか知らないか、せいぜいオンラインで何回か触れた程度です。

だから、初対面に近い私に対して学生が緊張するのは、わからないではありません。しかし、それにしても限度というものがあります。この面接の場で、授業中の発話力の1/10も発揮できなかったとしたら、この先に控えている志望校の面接試験など、受かろうはずがありません。

面接練習だったらかなり厳しい質問もしますが、奨学金の面接では学生の生活の様子を尋ねるのが中心です。初級の学生でも答えられるような内容ばかりでしたから、中級以上の、しかも成績優秀な申請者たちには、楽勝のはずです。

オンライン授業だと気楽に発言できると言われています。それが、誰の視線も感じることがないという理由だとすると、面接のような知らない人からの視線にさらされるというのは、学生に大きな緊張を強いるものかもしれません。ここまで枕を並べて討ち死にというのであれば、そういうことがあるのでしょう。

これは、学生たちばかりを責めるわけにはいきません。内弁慶を作らない授業の工夫が必要です。岸田新首相の誕生を祝うかのように、東京の新規感染者数が11か月ぶりに2桁になりました。学生が入国できる日が近づいたなどと喜んでばかりではいけません。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ