Monthly Archives: 1月 2021

超想定

1月29日(金)

昨日、Cさんから、入試面接の想定問答集を直してほしいというメールが来ました。Cさんは、滑り止めには受かっていますが、どうにかもう少し上位校に入りたいと準備をしてきました。

早速その想定問答集に目を通してみると、日本語が中途半端にうまいのです。Cさんの知らなさそうな表現もあれば、生硬な言い回しもあります。Cさん一人で書き上げたのではなく、先輩か友だちに見てもらったのでしょう。もしかすると、コンピューターの翻訳も混じっているかもしれません。

面接でのセリフですから、文法的に語彙的に一字一句に至るまで正確である必要はありません。面接官に誤解を与えたり通じなかったりしそうな表現だけ直していきました。また、内容的に飾り立てても、突っ込まれた時に苦しくなるだけですから、自分で自分の首を絞めるようなものです。しかし、つじつまが合わないお話はいけません。「日本にだいぶ慣れたので、今ではどこにでも旅行に行きます」とありましたが、Cさんが日本に慣れたころからずっと、どこにでもひょいひょい行けるような空気ではなかったはずです。ネットで見つけた模範解答を写したのでしょうか。

こんな調子で朱を入れて、午前の授業前にCさんに返信しました。すると、来週早々面接練習をしてほしいとお願いのメールが来ました。面接練習の相手ぐらいいつでもしますが、そうするとせっかくの想定問答集が無駄になってしまいます。私はCさんの想定外の質問をバリバリしますから。

私が入試直前に面接練習をしたKさんが、立て続けに2校も合格しました。この勢いを持ってCさんの面接練習に臨みます。

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対外関係

1月28日(木)

進学には学生の一生がかかっていますから、あれこれ悩んで当然です。周りの人に相談することも必要です。しかし、ころころと方針を変えてばかりというのは、いただけません。相談した人の意見に流されて、日々言うことが違うとなると、こちらも進路指導のしようがありません。

そんな傾向を見せ始めているのがGさんです。Gさんの希望を聞き、EJUの成績を勘案し、ここなら実のある勉強ができると、いくつかの大学をリストアップしても、翌朝は全然違うことを言い始めます。誰に教えられたのか、とんでもなく評判の悪い大学名を出し、ここなら確実に入れる言い始めたこともありました。“昨日の目の輝きは何だったの?”と追及したくなります。Gさんが相談を持ち掛けた人に言わせれば、KCPは変な進路指導をする、ろくでもない学校なのでしょう。

いつの時代にも、親の言いなりになっている学生がいます。教育熱心なあまり、子供に干渉しすぎる親も、進路指導においては危険な存在です。日本の進学事情を表面的にしか知らないのに、本人も納得ずくで選んだ志望校をひっくり返します。親御さんの提案が妥当な範囲ならそれに報えて指導もしますが、往々にして無理難題に近いものです。Iさんは、今年進学ではありませんが、親が毎日のようにあれこれ指示を出してくるそうです。すでに、親の意見にはついていけないという顔をしています。

「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」とことわざに言いますけれども、最近の茄子は突然変異を起こしたのか、品種改悪が進んだのか、あだ花が増えたようで…。

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何とか押し込まねば

1月27日(水)

まだ行き先が決まっていないJさんが、Y大学の出願書類を持って来ました。最終チェックではなく、これから書類をそろえるのだが、何が必要か確認したいという相談でした。すでに合格して学費も払い込んで後は入学を待つばかりなどという学生に比べると、周回遅れどころの差ではありません。国の親に指示されてY大学を受けるようですから、どこか他人事なのかもしれません。

でも、来週はもう2月ですから、のんびりしている暇などありません。緊迫感が欲しいところですが、「“Y大学はいい大学ですから”という答えは面接でいいですか」などという質問が出てくるようじゃ、まだまだぜんぜんです。かなり尻をたたかないと、Y大学には届きません。これからが、本人にとっても教師にとっても山場です。

Jさんの隣で待ち構えていたのがXさん。こちらはJさんより1周は先に進んでいて、週末に迫ったT大学の面接練習でした。事前に想定問答を綿密に作ってきたのは立派ですが、それからはずれるととたんにしどろもどろになってしまうのも、こういう学生によくあるパターンです。その想定問答も、抽象論になっていましたから、かなり手を入れました。Xさんは私の指摘をちゃんとメモしていましたから、試験日までの追い込みに期待が持てます。

夕方は、外部奨学金受給者として候補に挙がっている学生の面接です。Kさんは先学期の途中からKCPの授業を受け始めた学生ですが、担当したどの先生からもいい学生だと評価されています。確かにいい学生ですが、日本語を聞いたり話したりするのにまだ慣れていない感じがしました。来日してから、ホテルで待機させられたりオンラインでおうち授業だったりと、音声によるコミュニケーション力を伸ばす機会に恵まれていません。こちらも、奨学金を出してくれる機関での面接までにかなり訓練しなければなりません。

気象庁の観測データによると、日中は暖かくなったようですが、それを味わう暇もありませんでした。

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大忙し

1月26日(火)

授業はしませんでしたが、忙しい1日でした。

午前中は、12月のJLPTの結果分析。例年に比べて合格率が高かったのは、実力不足やN1記念受験の学生が受けなかったからでしょうか。昨年は7月が中止になりましたから、本来は7月で受かっているはずの人達が12月に受けて受かったとも考えられます。感染が広まりつつある時期でしたから、出願したものの受験せずに帰国した学生もいました。残念だったでしょうね。

午後一番は、Cさんのオンライン面接練習。受け答えが浅いこともそうですが、音声が途切れることが気になりました。「学校で受けてもいいよ」と水を向けてみましたが、すでに大学によるチェックを受けた後だと言います。よくOKしたなあと思いましたが、Cさんの部屋で受けることに決まっているそうなので、当日の通信状況が良好であることを祈るのみです。

一息ついて、次はNさんの進学相談。2つの専門学校のどちらにしようか迷っています。正直に言って、両校ともしっかりした学校で、勉強内容に大きな差があるとは思えません。学費も年に数百円の差ですから、ないに等しいです。Nさん自身が実際に見に行った時の感じも甲乙つけがたいものだったようです。結局、決め手になったのは、日本人の学生がどれだけいるかでした。日本人ばかりのクラスに放り込まれる方を選びました。

続けてH大学とS大学に受かったAさんの、どちらの大学がいいかという相談です。これまた両校とも名門ですから、1つを選ぶのは難問です。Aさんは真面目な学生ですから、志望校選びをする時点でどうしても行きたい大学に絞っています。それゆえ、受かった中から1つに決めるのは至難の業です。私にできることは、Aさんとは違う角度からの意見を伝えることです。そういうことを総合して、Aさんは大学院に進学する希望を持っていますから、6年計画という要素も加味して最終決定するように言いました。

最後は受験講座の説明です。今学期の新入生で受験講座を取りたいという学生がぽつぽつ出てきています。緊急事態宣言中でこちらにいらっしゃれない先生がいるため、休講中の授業があるのが心苦しい限りです。

明日も、午前中は進学相談です。

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余力があり過ぎます

1月25日(月)

レベル1のクラスの代講に入りました。レベル1の授業そのものは面白いと思いますが、オンラインだとどうもリズムに乗れません。指名して、学生がマイクをオンにして答えがこちらに届くまでのわずかなタイムラグが、その原因です。0.5秒にも満たないくらいの短い時間でしょうが、そのためにペースがなかなかつかめないのです。

私の場合、初級は、何はともあれ、口を開けさせるという考えで授業を組み立てます。上級なら、多少教師が語っても授業は成り立ちますが、初級は、特に一番下のレベルは、一言でも多く話させることが授業の肝です。それが、わずかなタイムラグのせいでつまずいてばかりというのが、私の授業の現状です。

ブレークアウトセッションを多用するというのも一つの解決手段です。しかし、学生が見えないところへ行ってしまうのが、どうも怖いのです。初級のクラスは話したくてたまらない学生たちばかりですから、ブレークアウトセッションでだんまりを決め込むことはないでしょう。でも、こっそり母国語で話しているのではないかという疑心暗鬼を抑えきることはできません。

コーラスをさせても、「はい、今、4人“っ”を言いませんでした。もう一度!」などということができません。個々の学生の発音をいかにチェックしていくかも、大きな課題です。初級なら、助詞の抜け落ちや誤用にも厳しく目を光らせ、間違いを見つけ次第直ちに指摘して訂正させなければ、悪い癖がついてしまいます。それがなかなかできないもどかしさもあります。

オンラインだと、授業後の疲れ具合が対面に比べて、半分どころか一桁違う感じがします。養分を吸い取られたという感じがしないんですねえ。逆の見方をすると、学生たちにこちらが持っているものを与え切っていないんでしょうね。

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朝から受験講座

1月22日(金)

今学期は、受験講座が午前中です。受講生が全員午後クラスなので、受験講座を午前に持って行ったのです。KCPが受験講座を始めたころ、9時からの日本語授業の前に受験講座をやったことがありましたが、9時から理科の授業をするなんて、それ以来です。東日本大震災のはるか前ですから、15年ぐらい前の話です。

さて、2021年理科の受験講座の初回は、オリエンテーションをしました。EJUの理科の出題傾向、平均点の推移、時間配分など試験の心得、勉強のしかたなどを説きました。実際に過去問を解いてもらって、どんなところが難しいか実感してもらいました。毎年つまずく学生が出る、化学物質名などのカタカナ言葉に対しても、覚えるしかないと覚悟を決めてもらいました。

今まだ動き回っている、この4月に進学するつもりの学生たちが何に苦労しているかも、実況中継のごとく伝えました。面接練習などを指導する立場から、早いうちに訓練を始めておいてほしいことを言っておきました。受験講座も大切だけど、それ以上に日本語授業でコミュニケーション力を磨くことが必要だと訴えました。

最後に、日本へ来たばかりの学生はほんとうに日本の大学を知りませんから、大学紹介をしました。東大、早慶、MARCHしか知らなくても平均以上というのが毎年の例ですから、学生の目をそれ以外の大学に向けさせました。資料を出すと、身を乗り出して画面を見ている学生の姿が、zoomの小さなモニターに映し出されていました。例年より少ない受講生を丁寧に育てていきたいです。

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鼻の悦び

1月21日(木)

昨年末に辞書を2冊買いました。三省堂の「新明解」と大修館書店の「明鏡」です。新版の出版が重なりました。どちらもずっとお世話になっている辞書ですから、紀伊国屋ポイントカードでため込んだポイントの有効期限も近いことだし、両方とも買い込んでしまいました。

旧版の辞書と収録語彙や語釈をくらべてニヤッとするほど暇ではありませんが、よりブラッシュアップされた語義解釈は手元に置いておきたいものです。言葉を商売道具にしているのですから、この程度の投資を惜しんではなりません。

すでに約1か月使っていますが、いまだに新刊書特有の、紙のにおいともインクの香りともつかない独特の芳香が、辞書を引くたびに立ち上ります。マスクを通しても感じられるのですから、辞書を開いて鼻を近づけて直接かいだらもっと快感に浸れるかなと思って、今朝、まだ誰もいない職員室で、こっそりマスクを外してその香気を吸い込んでみました。思ったほど強くはありませんでしたが、お上品に私の鼻孔をくすぐってくれました。私が通勤電車の中で読む本は文庫や新書が主力ですから、買ってから1か月も経ったら気が抜けています。新明解にしても明鏡にしても、辞書本体はケースに入っていますから、新刊書の香りは逃げにくいようです。

今どき、紙の辞書を使う人は少ないでしょう。充実した辞書サイトにも簡単に入れます。しかし、紙の辞書は読めますから好きです。調べようと思った単語の語義を見てそれで終わりではなく、その隣の単語を起点に思わぬ大旅行をすることもよくあります。1冊の辞書にとどまらず、数冊の辞書を読み比べるところにも、紙の辞書の魅力があります。今朝も、養成講座の授業準備の際に少々楽しませてもらいました。

次は、岩国あたりが改訂にならないかな…。

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オンライン説教

1月20日(水)

授業後、Kさんを残して説教。担任のO先生に頼まれて、不行状を追及しました。Kさんは3月卒業なのですが、まだ進路が決まっていないのみならず、出席率もいいとは言いかねる数字です。このままでは、3月末に帰国せざるを得ません。

一番悪いのは、本人に切迫感がないことです。出願校を言わせた時、私が聞き取れなかったんですからねえ。自己流の発音ですから、面接官に伝わる可能性はゼロです。それに加えて、文法や語彙の間違いもひどすぎます。聞き手が理解できないような間違え方ですから、致命傷になりかねません。そんな耳を覆わんばかりの日本語をへらへら笑いながら言っているのですから、切迫感ゼロどころかマイナスです。

オンライン授業もカメラをオフにして受けていますから、自分の部屋で何をしているかわかったものではありません。そういう点を指摘しても「ちゃんと聞いています」と反論します。しかし、授業中に指名すると「先生、問題は何ですか」とか「どこを読みますか」とか聞き返しますから、授業に集中していないことは明白です。

出席率だってそうです。「卒業式まで毎日出席しますから大丈夫です」の一本槍です。面接で「どうしてこんなにたくさん休んでいるんですか」と聞かれたら、今のKさんでは何も答えられないでしょう。欠席するたびに自分の将来への窓を狭くしてきたということに、今もって気付いていないようです。

かなり厳しく対処したつもりですが、画面を通しての説教となると、隔靴搔痒の感がかなり強いです。これからは、オンライン説教にの技術も磨かねばなりません。

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話そうぜ

1月19日(火)

オンライン授業の難しい点は、学生の発話をいかに多くするかです。種々の小道具や小技、手練手管を駆使しても、談論風発とまではなかなか至りません。上級や超級ならそれでも少しは得るものがあるかもしれませんが、初級はそれじゃ意味がありません。習った文法を応用して話をすることに、コミュニケーションを取ることに、授業の意義があるのです。そこで、学生の発話練習を促進するために、初級クラスのオンライン授業のサポートに入りました。

文法の導入はS先生が全体をまとめて行い、その後の練習からクラスの半分を私が受け持ちました。日本語を始めたばかりの学生たちのクラスですから、日本語の音に慣れさせ、口を開かせることが私の使命です。少人数になったのですから、名簿と画面を見ながら次々と指名し、怪しい発音を訂正し、無理を承知の上でzoomを通してコーラスさせました。

2020年度は、それまでに比べて、学生の発話力を十分に伸ばせなかったという反省があります。受験期になって面接練習する段に及んで、“おやっ?”“あれっ?”というパターンが少なくありませんでした。それでもどうにか合格を手にしている学生がいるところを見ると、留学生全体の発話力が低下しているおそれもあります。これを結果オーライとしてしまうのではなく、19年度までの水準に少しでも近づける算段を立てなければなりません。

明日の晩から首都圏や関西圏では終電が早まります。まだまだ戦いが続き、授業を従前の形に戻せるようになるには、時間を要しそうな形勢です。オンライン授業の研究開発の余地は、大いにあります。

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暗雲

1月18日(月)

東京の新規感染者数は、「最多更新」ではなく「○曜日で2番目に多い」などという日が多くなっています。ということは、ピークは越えたと見ていいのでしょうか。たとえそうだとしても、高値安定ですから、気を緩めることなどもってのほかです。

力士でさえ何十人も感染していて、休場者同士の方が好取組になるのではないかとさえ噂されています。そもそも、力士は四股で大地を踏みしめ、疫病退散をはかるのが務めのはずです。その力士が大量に疫病に取りつかれているのですから、この疫病がいかに質の悪いものかよくわかります。

日本の国の中全体に、「この先どうなるのだろう」という漠然とした不安と、「私はかからない」という根拠のない自信と、「最終的にはどうにかなるだろう」という思考回避の楽観がないまぜになって漂っています。抑圧的な雰囲気の底に欲求不満のマグマがたまっています。それが所々で噴出し、集団で羽目を外したり、ある特定の対象に向かって憂さ晴らしをしたりという、見聞きするにたえない事件を引き起こしています。

万里の波濤と数々の障害を乗り越えて、今までの学生より一桁上の困難の末に日本にたどり着いた新入生たちは、思い描いた留学生活とは似ても似つかぬ半監禁生活に陥っています。私たちも何とかしてあげたいと思っていますが、新入生だけ対面授業というわけにもいきませんしね。気の毒なことこの上ありません。

オリンピックは返上して、その予算を今困っている人のために使うべきだという意見が、正月の新聞に出ていました。中止でお金が落ちなくなると困る人も出てくるのでしょうが、一考の余地があるのではないでしょうか。

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