Monthly Archives: 3月 2019

修了式と同窓会

3月29日(金)

養成講座の修了式が終わり、会場の設営を手伝っていると、Mさん、Nさん、Tさん、Oさん、Kさんなど、懐かしい面々が次々と姿を見せてくれました。名前だけではピンとこなかった方々も、顔を見たら「ああああ!」という感じで、瞬時に線がつながりました。養成講座の同窓会は、互いに久闊を叙するところから始まりました。

養成講座を修了したMさんがKCPで先生をしていたのは、10年以上も前になるといいます。確かに、震災の前ですから、そういう計算になります。でも、顔はしわが増えたわけではなく、声の張りや艶も変わることなく、でも、お話を聞くと間違いなく歳月は流れており、なんだか不思議な気がしました。

Nさんは私がKCPに入る前にお世話になっていたところでしばらく教えていたそうです。そこは震災をきっかけに日本語を教えなくなってしまったという話を聞き、少し寂しくなりました。でも、Nさんはほかで仕事を見つけ、日本語教師として立派に独り立ちしていて、表情には自信がみなぎっていました。

KCPが日本語教師養成講座を始めたのは2001年のことです。調べてみると、私は2003年ごろから養成講座に携わっていますから、かなりの数の同窓生とどこかで接触があったはずです。今回出席できなかった方たちも、送られてきたメッセージによると各方面で活躍しているようです。その活躍に微力ではあっても貢献できたんのかと思うと、なんだか誇らしいです。

もちろん、KCPの養成講座出身者は、KCPでも多くの方が貴重な戦力となっています。今期の修了生からも、3名が4月からKCPで働き始めます。同窓会でつながりができた先輩方を目標にして、ぐんぐん成長していってもらいたいと思っています。

いろいろ頑張っていい飛躍をする

3月28日(木)

初級クラスの作文の採点をしています。中間テストは中級クラスの作文でした。吐き気を催しつつ採点しましたが、初級の作文を見ると、曲がりなりにも中級だったなあと思います。

何が違うかというと、まずは語彙です。初級は、「いろいろ」とか「頑張る」とか「いい」とか、境界があいまいな単語が次々と出てきます。「大学に入ったらいろいろなことを頑張るつもりだ」などと書いてあっても、読み手は書き手が何をどうしようと思っているのかさっぱりわかりません。でも、初級の学生は、頭の中にはやりたいことの具体像があっても、それを表現する言葉を持ち合わせていないため、“いろいろ”となってしまうのです。だから、訂正しないか、書いた学生にとっては難しいことは承知の上で、その学生が言いたいことを中級以上の言葉で書き直します。

中級の学生がそんな文を書いたら、赤線を引っ張って“?”で終わりです。中級までに身に付けた語彙や文法を駆使すれば、学生が大学でしようと思っていることなどたいていは書き表せます。それをしない(できない)のは、怠慢か実力不足かです。

それから、論理性です。逆接とすべきところを順接とするくらいでは驚きません。困るのは、論理の飛躍です。「いい大学に入りたいから頑張っている」ならまだわかりますが、「いい大学に入りたいからおもしろい」となると、理解するのにかなりの想像力を要します。「いい大学に入ろうと思って苦手の数学の勉強を始めたら、問題が解けるようになってきて、今は数学がおもしろい」を思いっきり省略して先ほどの文になったとしたら、いかがでしょう。

中級は、なまじ語彙や文法を知っているので、それをこねくり回しすぎて自滅するケースが目立ちます。こちらのほうが難解になる場合もよくありますが、前向きの失敗ですから、多少は温かい目で見えたげます。まあ、「いい大学に入りたいからおもしろい」とかと書いてきたら、速攻でFですね。

採点は一通り終わりました。一晩寝かせて、明日の朝、もう一度見てみて気が変わらなかったら、それで最終決定です。

五分咲き? 満開? 八分咲き?

3月27日(水)

気象庁から、東京の桜が満開になったと宣言が出されました。ソメイヨシノでは、今年全国で一番早い満開宣言です(奄美沖縄地方の「ひかんざくら」は2月に満開)。21日の開花から、けっこう暖かい日がありましたからね。でも、朝の四ッ谷駅の桜は、まだ五分咲きぐらいに見えました。

そんなニュースを聞いていたので、お昼に出たついでに、花園小学校の桜を見に行きました。私と同じ考えをした人が多かったみたいで、花見に具合がいいベンチは満席でした。だから立って枝をしげしげと見ると、花はかなり開いているものの、つぼみもまだだいぶ残っていて、七分咲きから八分咲きといったところだと思いました。ここの桜は日陰になる時間帯が案外長いですから、靖国神社の気象庁標準木より咲くのが遅れているのでしょう。

午前中から風が強かったので、花びらに分解する前に、花そのままの形で吹き飛ばされているのもあり、なんだかもったいない感じがしました。拾って洗ってお茶か和菓子の上にでもそっと載せれば風流なのでしょうが、私にはそんな趣味はなく、砂ぼこりと一緒に舞う落ち花を見ているだけでした。いずれにせよ、今週末が東京のお花見ハイシーズンでしょう。お天気はパッとしなさそうな予報が出ていますが…。

桜といえば、数日前の新聞に、さいたま市に20キロにわたる桜並木があるという記事が出ていました。地図を見ると、さいたま市の南北を貫く形で数千本もの桜の木が、見沼田んぼを縁取るように植えられています。端から端まで歩いてみたい気にもなりますが、そんなことをしたら、3年ぐらいもう桜は結構ですなんてなるのでしょうか。

首席卒業

3月26日(火)

午前中の期末テストが終わり、午後のクラスの試験監督に向かおうとしていた時、N先生が採点担当になっている答案を受け取りに見えました。そして、「こんなのが入ってきたんですよ」と言いながらN先生が差し出したスマホを見ると、S大学に進学した卒業生からのメッセージがありました。学科首席で卒業し、4月から大学院に進学するそうです。

それは非常にめでたいのですが、N先生も私も周りの先生方も、みんなその卒業生の名前が思い浮かびません。顔は覚えているのですが、名前はどうしても出てきません。そのメッセージが名無しの権兵衛というのが一番いけないのですが、でも、みんな優秀な学生だったことだけは覚えているのです。

名前が気になりながら試験監督をし、戻ってきてから数年前の古いデータを当たりました。「N先生、Tさんですよ」と告げると、N先生始め名前をどうしても思い出せなかった面々が、みんな膝を打ちました。

Tさんはレベル1でKCPに入り、着実に進級を重ね、国立のS大学に進学しました。S大学よりも偏差値的に上の大学も狙えましたが、Tさんのしたいことに関してはS大学は定評があるので、あえて上位校は受けませんでした。でも、こうして学科首席で卒業となると、S大学は本当にSさんに合っていたのだと思います。私もこういう進路指導をしたいと常々思っています。名の通った大学に進学することだけが、その学生にとって幸せだとは限らないのです。

学生は情報を持っていません。私たちだって何でも知っているわけではありませんが、学生よりは大きな目を持っています。それをいかに学生のために生かしていくか、さあ、4月になったらまた新しい学生の進路指導をしていかなければなりません。

それよりも前に、卒業生の顔と名前を忘れないようにしなきゃね。

覚えたつもりでも

3月25日(月)

期末テストの前日は、今学期のまとめが授業の中心となります。私のクラスでも、今学期全体とはいかないまでも、中間テスト以降に勉強したことを応用する練習をしました。学生はできたりできなかったり、一喜一憂していました。

今、私が受け持っているクラスは初級の一番最後のクラスで、期末テストに通れば中級になる学生たちが勉強しています。私は中級に上げてよい学生を見極めるためにクラスに入っているという触れ込みになっていますから、多少はいいところを見せようとします。しかし、そう簡単に習ったことが自由自在に使えるわけがありません。どこに使うか明らかな場合は、もちろん使えます(使えなかったら困ります)。しかし、一ひねりして迷彩を施すと、とたんに使えなくなります。使うべきところで使えるようになるまでには、レベル2つ分ぐらいかかるものです。

しかし、漫然と勉強しているだけでは、そうはなりません。話した言葉を聞き返され、わからないと言われ、誤解され、作文を真っ赤に添削され、テストで細かく点を引かれ、時には再試となり、そんな辛い道を歩んで、使うべき場面、使ってはいけない状況を体で覚えていくのです。マークシート方式のテストならわりとすぐに点が取れるようになるものですが、コミュニケーションツールの一要素として文法や語彙を正しく扱えるようになるには、習ってからしばらく時間がかかります。

実際に、今、このクラスの学生たちが私にさんざん注意されているのは、先学期やその前に勉強した項目が中心です。予期せぬところで予期せぬ文法を使えと言われ、「ああなるほど、この文法はこういうときに使うんだ」という発見を繰り返し、何か月か前に習った文法や語彙を身に付けていくのです。

泣いても笑っても明日は期末テストです。しかし、学校のテストは終わっても練習や勉強は続きます。文法などは、むしろ、この後が本当の勉強なのです。

わからないですか

3月22日(金)

今学期受験講座を受けてきたYさんは、わからないと如実に顔つきが変わります。日本語クラスのように20名も学生がいると、わかっていなさそうな顔をしていてもスルーしてしまうこともありますが、受験講座、特に理科は受講生が少ないですから、学生の“?”に付き合うことができます。

Yさんがわからなかったら、他の学生もわかっていないでしょうから、そこは言葉を変えたり付け加えたり身近な例をあげたり式の誘導を丁寧にしたり練習問題を通して考えさせたりしながら、理解を深めていきます。そういう意味で、Yさんは眉根を寄せて首をかしげた顔は、教師の暴走抑止装置となっているのです。実にありがたい存在です。

今学期はYさんにとって初めての受験講座でしたから、知識体系が未完成だったでしょうから、授業についていくだけで精一杯だったかもしれません。しかし、来学期は、問題を読めば正解への道筋がおぼろげながらも見えてくる程度にはなっていなければなりません。6月の本番で7割は確保してもらわないと、私立入試以降有利な戦いが進められませんからね。

そういうわけで、来学期は、もう、Yさんも疑問顔をしている暇はありません。学期休み中に今までの復習をがっちりやって、その範囲には何も疑問が残っていない状態で新学期の受験講座に望んでほしいです。また、頭の中に理科のネットワークを築いて、1つのことから連鎖的にあれこれ思い浮かべられるようになっていてもらいたいです。Yさんには理系のセンスが備わっていると思っていますから、ぜひとも伸ばしていってあげたいです。

暖かい

3月20日(水)

朝、コートを着ないで外に出ると、やっぱりまだ寒さを感じました。しかし、身にしみるような寒さではなく、駅まで歩いていくうちに体が温まってきました。最高気温21度などという予報を見たら、コートもマフラーも置いていきたくなりますよね。午前クラスの教室に入ると、窓が開いていました。入り込んでくる外気が心地よく感じられました。

「明日はどうして休みですか」「春分の日ですから」「春分の日ってどんな日ですか」「昼と夜の時間が同じになる日です」といったやり取りをした後、「暑さ寒さも彼岸まで」と板書しました。初級だと、さすがに彼岸を知っている学生はおらず、言葉の意味を説明すると、感心したようにノートに取っていました。漢字の時間に「咲」を取り上げたこともあり、春らしい授業日でした。

期末テストまで1週間を切り、授業語は追試や再試を受ける学生が数名いました。ためこむと期末前に受けられなくなり、進級できなくなってしまいます。学生のほうも必死です。みんな勉強してきたと見えて、受けた学生は全員合格点を取りました。問題は受けていない学生どもです。最後には救いの手が差し伸べられるだろうと、みょうちくりんな楽天主義に支配されて、こちらが受験をせかしても1日延ばしにするのです。こういう学生に春を訪れさせてはいけません。

東京地方の最高気温は21.5度で、5月上旬並み、もちろん今年最高でした。桜の開花宣言が出された長崎市は20.8度、やはり今年最高を記録しています。先週の開花予想によると、東京は明日です。果たして本当に咲くでしょうか…。

伸びていくには

3月19日(火)

自動詞と他動詞のペアで例文を書いてくる宿題がありました。このクラスの学生たちは、順調に行けば来学期中級に上がることになっていますが、順調とは言いかねる人もいます。

できるだけ長い例文を書くようにという指示を出していますが、そんなのは全く無視して、「財布が落ちています/財布を落としました」などという、教科書の導入例文をそのまんまもってきたようなのを書いてきた学生もいます。一方、今まで習った文法を駆使してプリントの幅いっぱいに書いてきた学生もいます。前者はもう一度同じレベルをしなければならないかもしれませんし、後者は進級してもかなりの成績を残すでしょう。もう3か月を切った6月のEJUでも上級の学生に迫る点数をたたき出すかもしれません。

選択肢の問題や穴埋めで文を作る問題だと、文を作る能力がなくても、カンや教科書丸暗記でもある程度の点は取れます。しかし、そういう支えがなくなったときに、カンや丸暗記だけでは対処できない問題にどれだけ答えられるかで、その学生の実力が見えてくるものだと思います。これをさらに発展させると、入試の面接や口頭試問につながっていくのです。

今シーズンの入試結果を振り返ると、どうもこの辺の指導が甘かったように思えてなりません。ですから、今のクラスの学生たちを厳しく鍛えたいのです。今のうちからたたいていけば、そして学生たちがそれについてきてくれれば、来年の今頃、笑っていられることでしょう。

そう思って、例文の宿題は隙間なく朱を入れました。動詞の自他の間違いだけにとどまりません。習った文法を使うべきところで使うように、初級レベルのミスを繰り返さぬように、そして、できる学生にはちょっと背伸びした添削もしました。学生たちが受け止めてくれるのは、この数分の一か数十分の一かもしれませんが、ゼロではないと信じて、直し続けていきます。

力の差

3月18日(月)

授業後、WさんとCさんが会話テストを受けました。こちらから与えた話の骨格に肉付したものを発表します。もちろん、話の内容も見ますが、“会話”テストですから、台本棒読みのような話し方は減点です。

さて、この2人、Wさんは気持ちのこもった、イントネーションに起伏のある話し方をしました。週末にかなり練習したのだろうと容易に想像できました。それに対し、Cさんはスクリプトを暗記しただけで、見事な棒読みでした。その対比がおかしく、聞いていてちょっと笑ってしまいました。やっている本人たちは、棒読みのCさんにしろ真剣でしたから笑っては失礼なのですが、でも、コントを見ているような感じがするくらい、落差がありました。

Cさんはできない学生ではありません。先週の文法テストはWさんよりいい成績でした。でも、この会話テストは、15点差でWさんのほうが上だと判定しました。もし、入試の面接だったら、Cさんは自分の志望理由書か大学のホームページを丸暗記してきたと見られてもしかたがありません。Wさんは、自分の言葉で語っていると思われるに違いありません。同じことをしゃべったとしても、Wさんは合格、Cさんは不合格になるでしょう。

今シーズンの入試は、こういう最後の一息で落とされてしまった学生が多かったように感じています。EJUの成績や提出書類では甲乙つけがたくても、面接で“乙”をつけられて涙を呑んだ例が少なからずあったと見られます。こういう反省に基づいて、“話す”力というよりも、自分を“語る”力を伸ばしていきたいと思っています。

平常心?

3月15日(金)

「緊張がほぐれたら教室へ行ってもいいですか」「ええ、いいですよ」。日本語教師養成講座の受講生Oさんが、担当のT先生に一声かけてから教室に向かいました。今週は、養成講座の方々の実習ウィークです。Oさんは、午後の初級クラスで教壇実習をするのです。先学期、中上級クラスで実習していますから教壇に立つのは初めてではないのですが、かなり気が高ぶっているようです。肝が据わっているほうだとお見受けしたOさんですら、職員室を離れてリラックスする必要があるのですから。

Oさんを見ていて、授業前に緊張するなんて、絶えて久しくしていないなあと思いました。駆け出しのころは、どんなに下調べをしても、頭の中でシミュレーションをしても、綿密に計画を立てても、不安に駆られたものでした。予想外の展開になったら、学習者にわからないと言われたら、時間を食いすぎてしまったら、…というふうに、心配の種があちこちで芽吹いていました。

でも、いつのまにか、失敗してもどうにかなるさと思うようになってしまいました。経験を積むことによって授業の質が上がってきたというよりは、高をくくれるようになったと言うべきでしょう。取り返しのつかないミスを犯すことはないだろうという自信とともに、小さなミスなら1学期というタームで捕らえればいくらでも挽回可能だと思えるようになったのです。

Oさんの実習はどうだったのでしょう。授業後は私も忙しく、話を聞く時間がありませんでした。今月末に養成講座を修了し、4月からは、担当教師の見守られながらではなく、一人前の教師として学習者を引っ張っていきます。この実習で、そのための何かをつかんだと信じています。