Monthly Archives: 12月 2018

結果を気にしない人たち

12月28日(金)

毎学期繰り返されることなのですが、期末テストの結果を教えてくれと連絡してくるのは結果の心配などしなくてもいい学生ばかりで、早く結果を知って早く今学期の復習をしてもらいたい学生はいっこうに連絡をしてきません。成績を気にしてメールをよこしたGさん、Sさん、Rさんは、みんなすばらしい成績で進級が決まっています。しかし、Tさん、Nさん、Mさん、Pさんなどは、大いに成績を気にしなければならないのですが、どうしているんでしょうね。

普段から自分の成績を正視し、長所を伸ばし、弱点を補い、実力をつけることに意欲的な学生と、テストを返されたその時はびっくりしたりがっかりしたりするものの、勉強しなきゃと思うのはその一瞬だけという学生とに分かれているのです。前者はたとえ99点でも、そのマイナス1点をなくすためにはどうすればよいか考えるタイプで、後者は合格点さえ取れれば、残りのマイナス40点には目をつぶってしまう学生たちです。59点と60点の差にはこだわるけれども、60点以上はざっくり“いい点数”でしかありません。

もちろん、テストの点数にこだわりすぎるのはよくありませんが、テストで減点されたところは自分の勉強に何がしか不足のあった箇所ですから、それは謙虚に受け止めなければなりません。アニメの言葉が聞き取れればいいとか語学学習が趣味だとかというのなら話は別です。でも、進学や就職のために勉強しているのなら正確さが求められ、そのためにはミスを減らすという態度が必要です。

年が明けたら、Tさんたちも受験に取り組まねばなりません。他流試合を経て勉強の厳しさを味わうことになるのでしょう。挫折を経験して目が覚めた学生も大勢いましたから、来年に期待することにします。

遅すぎる

12月27日(木)

夕方、とんでもない超大物が現れました。研究計画書の書き方を教えてくれと学校にやってきたDさんです。研究計画書や志望理由書に関する指導は今年に入ってからずっとしてきました。Dさん個人に対してではなくても、Dさんが参加できる授業で取り扱っています。その授業を聞いていなかったのか、聞いてわからなかったことをそのままにしておいたのか、とにかく全く身に付いていなかったというわけです。

私もDさんを受け持ったことがありますが、良く言えば打たれ強いのですが、実態は無反省です。何度注意しても同じ間違いを繰り返し、間違えたことがわかっているから次は大丈夫だと言います。でも、本当に大丈夫だったためしがありません。全く意味不明の作文を書いて出され、添削に半日時間を取られたこともありました。漢字テストで間違えたところを直させようとしたら、間違えた漢字をそのまま書いてよこしてきたこともあります。文法も、勢いで書いたり話したりしているだけですから、不正確きわまる答えばかりでした。

受験もその調子で、どうにかなるとなめてかかっていたのでしょう。私たちに相談することなく、受けては落ちを繰り返してきたのだと思います。だんだん出願できる学校が少なくなり、にっちもさっちも行かなくなったあげくに、救いを求めて来たに違いありません。目を覚ますのが1年、いや、少なくとも半年遅かったです。

私は、Dさんは高等教育を受けるより違う道を進んだほうが幸せになると思います。でも、今さら国には戻れないのでしょうね。それにしても、無反省の超楽天主義はどうにかしたほうがいいと思います。

相談しないほうがいい?

12月26日(水)

学生が教師に進学相談の依頼をするという想定で、「先生、進学について相談しませんか」という言葉を直すという問題を期末テストに出しました。超級レベルの学生たちが、「~相談していただけませんか」などという誤答を書いてくれました。

もちろん、テストにいきなり出したわけではありません。授業で取り上げています。それどころか、中級以降何回もいろいろな教師が手を替え品を替え同じことを注意しています。しかし、学生たちは同じ過ちを飽きもせず繰り返します。実際に学生が教師に相談を依頼するときも、「相談していただけませんか」「えっ?」「あ、相談してくださいませんか」「えっ?」「うーん、相談、いいですか」などというやり取りの末、退歩してしまうのです。

「Aしていただけませんか」は、相手がAすることによって、自分に利益があるときに使います。ですから、「詳しく説明していただけませんか」とか「作文を直していただけませんか」は正しいです。しかし、「相談する」は自分がすることによって自分に利益があるので、このパターンは使えません。

ではどうすればいいかというと、1つは「相談に乗る」を使うことです。これなら「Aしていただけませんか」のパターンに当てはまります。「進学のご相談をしたいんですが、お時間いただけますか」なんて答えてくれたら、5点の問題でも10点あげたいくらいです。せめて、「ご相談したいんですが…」ぐらいは書いてほしいですね。「相談させていただけませんか」は、私はあまり言われたくありませんが、「相談していただけませんか」ではいけないということに気付いただけでもよしとしなければなりませんから、〇にしました。

同じ間違いが頻発するのが「借りていただけませんか」、いや、これは初級の単語なので、「借りてください」です。これだとバブルの頃の銀行みたいですね。「貸してください」がスムーズに出てくると、「コイツ、なかなかやるな」と思います。これだって、超級の学生も油断していると間違えますからね。

「相談していただけませんか」のおかげで、私のクラスは赤点続出でした。来学期は、1問50点ぐらいの問題として卒業認定試験に出して、これができなかったら卒業証書がもらえないようにしようかな…。

気が重いクリスマス

12月25日(火)

“いい学生”というのは、人によって定義は違うと思いますが、出席率がよく、授業に積極的に参加し、もちろん成績もそれない以上というのは共通していると思います。困っている人に自然に手を差し伸べるというのもそのなかに入っているでしょう。

Dさんは地味ですがまじめな学生で、担当したどの先生も“いい学生”として高く評価しています。11月のEJUの成績が規定の点数を超えていれば、O大学に推薦することも決まっていました。しかし、お昼過ぎに学校へ来てEJUの結果通知のはがきを開いて中を見たDさんの表情が固まりました。そして、「推薦はできなくなりました」と、だれに言うともなくつぶやきました。

はがきをのぞき込むと、日本語が約40点下がるなど、マークシートの塗る位置が1つずつずれてしまったのではないかと思えるほどの尋常ではない成績でした。O大学の推薦基準は決して低くはありませんが、Dさんなら十分手が届くと思っていただけに、日本語をはじめどの科目も惨敗という結果に私も言葉を失ってしまいました。

試験は水物といいますが、中級で受けた6月よりも大きく実力を伸ばしたと自信を持って受けた11月で、まさかの大失敗を犯したDさんの心情はいかばかりでしょう。Dさんと同じぐらいの力の学生が330とか350とかの点数を取っているのを、Dさんはどんな目で見ていたでしょう。しかも、受験のためにDさんに残された時間は決して長くはありません。

期末テストの翌日に届いたEJUの成績通知のはがきが、事務所の棚に積み上がっています。そのなかにDさんみたいな学生がいないとも限りません。

2年前の宿題

12月22日(土)

12月の卒業式は対象者が少なく、入学の学期がみんな同じなので、毎年暖かい雰囲気になります。多くの学生が初級から上級まで経験していますから、多くの先生の手を経ており、先生の顔とそのレベルでの思い出が直結しています。同じ行事や経験を共有していますから、不思議な連帯感も流れています。

今年もそういう感覚が色濃く現れた卒業式となりました。私にとっては、2年前の入学式での校長挨拶の内容を覚えていてくれたことがうれしくもあり、驚きでもありました。2年前、私は入学生に宿題を出し、その答えは卒業するときに教えると挨拶の中で述べました。その宿題について聞いたら、何名かが2年間ずっと気に留めていてくれたのです。

その宿題とは、日本人は映画のエンドロールを最後まで見る人が多いが、それはどうしてかというものでした。まあ、留学生は日本で映画を見る機会はそんなにありませんから、答えにたどり着けなかったのはやむをえないところがあります。でも、それを考え続けることで日本人の心のひだの一端にでも触れることができたとしたら、宿題を出した側としては大満足です。

さて、その答えですが、日本人は物作りに携わる人に敬意を払う文化が根付いているというのが、私の意見です。映画ならカメラを回した人やタイムキーパーや衣装さんや、監督や俳優以外の映画作りに携わった人にもしっかり拍手を送ります。これ以外にも、物事を陰で支えている人にも注目する人は多いです。これは、日本の美風だと思います。近頃、その美風が損なわれてきているのではないかと、少々心配しています。

卒業生たちは、明日からそれぞれの道を歩き始めます。

押し詰まってきましたが

12月21日(金)

期末テストの日は午前午後とも試験監督ですが、面接練習の学生は容赦なくやって来ます。午前と午後の試験の合間にやってきたのはAさん。明日、S大学の面接を控えています。S大学は厳しいところを突いてくることで有名な大学ですから、私もAさんの答えの隙を鋭く刺しまくりました。練習終了後、「どうだった」と聞くと、「いや、厳しいですね」と一言。答えのポイントを教えたところで、試験監督に行かなければならなくなったので、タイムアウト。あとは、「ご健闘ご活躍をお祈りいたします」ということになってしまいます。

Aさんの面接練習をしているすぐ隣で、Fさんが担任の先生に進路相談をしていました。Fさんは去年の1月入学で、明日が卒業式です。それにもかかわらず、進学先がまだ決まっていません。受けたところ全てに落ちているのです。自分を信じて前に進むことは大切ですが、Fさんの場合は過信でした。私も初級で受け持ちましたが、Fさんは教師のアドバイスを素直に受けず、聞き流すだけでした。日本語力の伸び悩みが目立ってき始めた頃でしたが、自己流を改めようとはしませんでした。これを1年半ずっと続け、実力の裏づけがないまま夢ばかりを追い、高望みをしては玉砕し、卒業式前日となったのです。

Fさんとは対照的に、朝一番に、かなりの競争率となったT大学にBさんが合格したという知らせが入りました。Bさんはきちんと努力もしていたし、アドバイスにも耳を傾けたし、T大学合格は当然の結果かもしれません。いや、Bさんほどひたむきにならないと受からないほど、T大学は難関だったとも言えます。

夕方は、Yさんの志望理由書チェック。2/3が自分の生い立ちに費やされていたので、ダメを出しました。残りの1/3もありきたりなので、ほぼ全面書き直しです。期末テストも終わったことだし、そっちに注力してもらいましょう。

崩れたものです

12月20日(木)

今学期最後の、今年最後の授業でした。といっても、このクラスの学生の大半は来学期も私のクラスになると思われますから、湿っぽく別れの言葉を交わすわけでもなく、いつものように授業を進め、「じゃあ、これで終わります」「ありがとうございました」と、これまたいつものように終業時の挨拶を交わし、明日もまた顔を合わせるかのごとく、学生たちは去っていきました。

職員室で進学資料を眺めていると、Cさんが私を呼びます。何かと思って行くと、P専門学校に入りたいので推薦書を書いてくれと言います。Cさんの出席率は入学から現在まで92%、ビザ更新後は83%、今学期は77%です。P専門学校の募集要項によると、出席率の推薦基準は90%以上です。微妙なところなので、P専門学校に電話で確かめました。

すると、90%以上とは入学から出願時までの出席率とのことでした。「入学から現在までは90%を超えているのですが、更新後の出席率や今学期の出席率は90%を下回っていても推薦入学で出願できるのですか」「はい、できますよ」と確認を取って、Cさんの書類に判を押しました。

Cさんは入学してから1年ほどは出席率100%でした。しかし、ちょっとしたことでつまずいてからは、ガタガタに崩れていきました。皆勤の時は何が何でも学校へ行かなければという義務感・使命感みたいなものがあったのでしょう。ですが、1度休んだら、何回休んでも同じと思うようになってしまったのです。

P専門学校の推薦基準も満たし、KCP側の内規もかろうじて満足していますから、ちょっと説教をして判を押しましたが、本当は推薦したくはありません。このままP専門学校に合格してしまったら、確かにそこで勉強することはCさんが大好きなことに関する技術や知識ですが、こんなに安易に休むようになってしまった学生が、果たして卒業までの2年間もつのだろうかという心配は消え去りません。

入試の前の面接練習で、たっぷりいじめてやらねばなりません。

寝る子は育たない

12月19日(水)

ああ、また寝ているなあ…。初級クラスのTさんは、毎日授業の後半になると居眠りを始めます。指名すると、当然答えられません。隣の学生に教えてもらって、かろうじてつじつまを合わせます。Tさんは口移しで答えるだけですから、勉強にはなりません。教えてもらえるだけの人間関係を作っているのは偉いと思いますが、その人間関係を有意義な形で活用してもらいたいです。

Tさんは早朝ホテルでアルバイトをしています。朝5時からですから、4時ぐらいには起きているのでしょう。ですから、午後授業の後半、3時過ぎは眠い盛りだというのは容易に想像が付きます。朝が早いので、授業後は食事・入浴だけで寝てしまいます。早寝早起きは健康にいいのですが、勉強の時間がほとんどありません。

そんな調子ですから、成績だっていいはずがありません。いや、健闘はしていると思います。でも、合格点には及びません。暗記問題、選択肢の問題はどうにかなりますが、応用問題、筆答問題となると、まるっきりです。現状では次学期の進級は見通しが暗いです。

国のご家族や親戚は、Tさんが日本の大学に進学してくれることを期待して、留学に送り出しました。しかし、Tさんの生活や成績は、それとは反対方向に進んでいます。生活が大変なことはわかりますが、それに流されて勉強をする時間を作ろうとしなくなっています。安易な道に進もうとしています。それを何とか食い止めようと担任のK先生も手を尽くしていますが、壁は厚いようです。

Tさんは、このままでは日本語力も伸び悩み、進学も難しくなるでしょう。現に、今学期は明らかに伸び悩んでいます。どうやら、徹底的な生活指導から始めなければいけないようです。

もう一度

12月18日(火)

先週から私が担当している上級クラスで実習してきた養成講座のKさんが、教壇実習で読解の授業をしました。授業の最初に「初めて教壇に立ち、緊張で膝ががくがく震えています」と言っていました。そういえば、私も教師なりたてのころは心臓がドキドキしたりのどがからからに渇いたりしたものだと思い出しました。もう、久しくそんな感覚とは縁が切れています。

昨日まで毎日のように教案を書いてきて私が手を入れるというやり取りをしてきました。今朝、最新版をいただき、Kさんはそれに沿って授業を進めます。私は教案の各項目に実施時刻を書き入れます。Kさんは、最初のところで予定をオーバーしてしまい、最後のほうをはしょわざるをえなくなってしまいました。Kさんの偉いところは、はしょったにせよ、予定時間内に授業を終わらせたところです。時計が一切目に入らず、長時間の大演説をしてしまう実習生を今まで大勢見てきました。そういう方々に比べれば、この点だけでも評価に値します。

授業後、Kさんに聞いてみると、「もう一度同じところの授業をしてみたい」と、開口一番感想が出てきました。自分で自分の教案の不備に気付き、自分のパフォーマンスの不足を感じ、そこを直して再挑戦したいというのです。その意気やよしといったところでしょうか。教案の通りに進める難しさ、教案の通りに進めても押し寄せる未達成感、こういったことを乗り越えた先に本職の日本語教師があります。

私だって、毎日予定とは違った授業をし、ああすればよかった、これはするんじゃなかったなどと思いながら職員室に戻ります。でも、Kさんとは違って「予の辞書に“反省”という文字はない」とばかりに、すぐに忘れてしまいます。Kさんは伸び盛りですから、しっかり反省して次の実習に臨んでもらいたいです。

勝ち抜くために

12月17日(月)

授業後、Sさんが面接練習を申し込んできました。Sさんはすでに何校か受けていますから、何を勉強するかとか将来どんな仕事をするかとか自分のアピールポイントなどは、心配する必要がありません。残るは、多くの大学の中からその大学を選んだ理由です。

パンフレットやインターネットのページなどから大学が考えたキャッチフレーズを利用してもいいですが、それでは他の受験生と差が付きません。ですから、Sさんのように同じような系統の学部学科を多数の大学で受験する場合、その大学の裏情報というか、ネットのページなどに記されていない特徴を教えます。比較的新しい学部学科ならそれが生まれた経緯を、新しいキャンパスならその大学とそのキャンパスがある地域とのつながりなどということを、学生の頭に注ぎ込みます。

東京以外の大学ならその地方の特色なども教えて、大学やその地域を見る目に新しい視点を加えます。もう10年近く昔になりますが、私のクラスの学生がある県の国立大学を受験しました。その県には全国的に有名な、その県の名前を聞いたら誰もが真っ先に連想する特産物があります。それを面接で口にしてもあまり意味がありませんから、もう1つ、知る人は少ないけれども私たちの生活に欠かせない特産物を教えました。その学生は、面接でその特産物に触れたとたん、面接官の目つきが変わったと報告してくれました。もちろん、合格しました。

要するに、その大学やその大学がある地方にどれだけほれ込んでいるかをアピールすることが肝心なのです。通り一遍の知識ではなく、きちんと調べて面接に臨んでいるのだと、前向きの姿勢を示すことができれば、面接官に認めてもらえます。

Sさんにも志望校のマル秘情報を教えました。本番は年明けです。正月休み中にその情報を膨らませられれば、合格が見えてきます。