Monthly Archives: 7月 2017

脳づくり

7月18日(火)

理科の受験講座が始まりました。前半は先学期以前から勉強してきた学生が対象ですから、EJUそのものからちょっと離れた内容にトライしました。穴埋め問題でも選択肢ではない形式や、簡単な論述問題です。選択肢があると知識や記憶が多少いい加減でも正解を選べてしまうこともありますが、純粋な穴埋めだとそうはいきません。論述ともなれば、いくつかの知識を組み合わせ、それを採点官にわかってもらえる文章にする必要があります。

また、問題文が結構長いですから、読解力も必要です。また、漢字で書かれた専門用語も理解しなければなりません。これは、単語帳を作って覚えるという手もありますが、問題を解くことを通して、問題文をたくさん読むことによって、文脈ごと意味を感じ取ってもらいたいところです。こうすると、専門用語同士の連関も見えてきますから、知識体系が築かれていきます。

学生たちの勉強はEJUで終わりではありません。進学後に今までの勉強や知識をいかに活用していくかが、学問上の勝敗の分かれ目です。それゆえ、丸暗記とか断片的な知識の寄せ集めとかではなく、有機的なつながりのある、1本も2本も筋の通った理科的な頭脳を作り上げていってもらいたいです。

こういう学生に比べると、今学期からの学生が主力のクラスは「まだまだ」という感じが否めません。それだけに鍛え甲斐があるとも言えますが、11月までにそれなりのレベルに持っていかねばならないとなると、プレッシャーも感じます。

授業の最中、教室内にも音が響くほどの雨が降りました。都内には雹だったところもあるそうです。嵐を呼ぶ授業には程遠いですが、学生たちを目覚めさせる授業をしたいです。

聞く耳持たず

7月15日(土)

WさんがS先生に叱られています。「あなたは私の話を聞いていませんね。私が話しているとき、自分が話したいことをずっと考えています。そして、私の話が終わると自分が言いたいことを言います。私の質問には答えてくれません。あなたは日本語を話していますが、会話はしていません」

S先生の言い方はかなりきついですが、こういう学生がいつの学期も必ずいることは事実です。ちょうど去年のこの学期に上級クラスで受け持ったYさんもそんな学生でした。Yさんが進学相談に来た時、私はYさんの話を一言も聞き漏らすまいと集中して耳を傾け、Yさんの疑問点や悩みが少しでも解決するようにと情報を伝えたりアドバイスしたりしました。しかし、Yさんの反応は私の話を受けてはね返ってくるものではなく、あさっての方から新たな球が飛び込んでくるようなものでした。ですから、議論がさっぱり深まらず、私の回答がYさんのためになったのかどうかさっぱりつかめず、それこそのれんに腕押しのような無力感脱力感徒労感に襲われました。

学生たちは会話が上手になりたいと言います。だから話す練習をしたいと言います。しかし、会話の50%は相手の話に耳を傾ける役です。聞き役を務められない人は会話をする資格がないと言えましょう。ですから、S先生のお怒りはごもっともなことであり、Wさんには大いに反省してもらいたいところです。

会話が成り立たない人って、性格なのかなと思うこともあります。上級のYさんだってそうなのですから、単に日本語力の問題ではなさそうです。KCPでは一番下のレベルから「話を聞く」教育をしてきています。それでもWさんやYさんのような学生が出てきてしまいます。S先生のように、粘り強く叱り続けるのが一番なのでしょう。

疑惑

7月14日(金)

「先生、私、2人しか合格しなかったテストに合格したんですよ」と報告してくれたのは、今年専門学校に進学したMさん。KCP在学中も目立つ学生でしたが、進学先でも大いに存在感を示しているようです。同じクラスに日本人のライバルがいて、バシバシと火花を散らしながら競い合っている様子を物語ってくれました。今は、間近に迫った実技のテストのために、文字通り日夜技を磨いているそうです。

Mさんの会話力、コミュニケーション能力は、このように専門学校での留学生活を活写できるくらい、十二分にあります。しかし、Mさんの周りの外国人留学生はそれほどでもありません。日本語がしゃべれず周囲に溶け込めない留学生も多いそうです。そのため、ある留学生が、校内で事件が起きた時、疑いの目を向けられてしまいました。義侠心も強いMさんは、理路整然と、時には情に訴えることも忘れずに、学校側にねじ込んで、その留学生を救いました。そのことを語るMさんは、我が事のように怒っていました。

Mさんが進んだ専門学校は、その分野では一流とされ、留学生の受け入れも長年行っています。Mさんのライバルも、一流大学に入れる頭脳を持っていながらも、その専門学校に進んだみたいです。そんな学校ですら、日本語によるコミュニケーション能力が劣ると、学業外でいやな目にあわせられることがあるようです。

胸に手を当てるまでもなく、頭はよかったけれども口のほうはからっきしだった学生、筆記試験の力は高いけれども面接練習はがたがただった学生の顔が思い浮かびました。そういう学生たちが有意義な留学生活を送れているのか、少々気懸かりです。

夕方、SさんとWさんが遊びに来ました。2人はKCPから大学に進学し、今は大学院生です。専門を極めるために、学校に泊まり込むことも辞さず学業に打ち込んでいます。学外の奨学金受給者の会合に参加する道すがら、KCPまで足を伸ばしてくれました。日本語で軽口がたたけるまでになっていますから、コミュニケーション力不足で孤立していることはないでしょう。

留学には、やっぱり日本語力です。

いいものはいい

7月13日(木)

スピーチコンテストのクラス内予選をしました。昨日原稿を書かせたクラスとは別の上級のクラスでしたから、どんな話が飛び出してくるか楽しみでした。

昨日のクラスは最上級レベルでしたから、自分の日本語を駆使して社会的な問題に切り込んでいましたが、このクラスはそれより少し下のレベルですから、その分自分の身の回りに寄った話題が多かったです。抽象性が低くなったと言ってもいいでしょう。もう少し正確に言うと、独自の思考によって抽象性を高められた学生が少なかったです。参考にしたネットのページなどに振り回されて、十分に咀嚼せずに文を並べているので、スピーチが聞き手の心に響かないのです。

一方、独自の思考で帰納的に議論を深めていった発表は、聞き手の学生たちの顔つきが違っていました。スピーチにひきつけられ、スピーチを聞くことに知的な喜びを感じていることがわかりました。私自身、なるほどと思わせられ、そこまで自分や社会を掘り下げていったその学生に敬意を払いました。

また、発音の良し悪しの差が明瞭に現れました。きれいな発音の学生は、その辺を歩いているバカ高校生よりよっぽどきれいな日本語を話します。その一方で、上級の端くれなのに日本語教師も理解に苦しむ発音しかできない学生もいます。それに加え、原稿の内容を十分に理解しないままスピーチしたとあれば、聞くに堪えるとか堪えないとかの次元ではありません。

私が「これは!」と思ったスピーチは学生も高い評価を与え、発音の悪いスピーチは学生の評価も散々なものでした。学生たちがここまで真贋を見抜く目をもっているとなると、私など学生たちの前で毎日スピーチしているようなもんですから、何だか背筋が寒くなります。

読ませられる

7月12日(水)

先学期は初級クラスの担当でしたが、今学期は超級クラスにも入ることになりました。そして、今学期はスピーチコンテストがあり、今日は超級クラスの学生にその原稿を書いてもらいました。

なにせ、このところ超級の学生の文章を読んでいませんでしたから、ちょっと調子が狂ってしまいました。まず、文章がしっかりしていることに驚かされました。もちろん、文法や語彙のミスはありますが、でも、初級の学生のように、文字は日本語だけど文は日本語ではないという作文はありませんでした。たくさん赤を入れた原稿もありましたが、どうにも直しようがない、いくら考えても意味不明という“名作”はありませんでした。

それから、原稿に書ける意欲も立派なものでした。1時間あれば書けるだろうと思っていましたが、授業時間内に書き終えた学生はクラスの半分もいませんでした。ところが、授業後、図書室かどこかで書いてきた学生が続々と提出してきました。一番遅い学生が出してきたのは、まさに日が暮れるころでしたから、5時間ぐらい頭を悩ませていた計算になります。時間をかければいいという問題ではありませんが、それだけ考え続け、彼らにとっては外国語である日本語でその考えを著した努力には、素直に頭を下げたいです。

そして、社会派の内容が独自の視点で書かれている原稿が多く、これまた立派なものです。さすが超級と感心させられました。この原稿の中から1つだけを選ぶのは至難の業です。でも、スピーチは原稿だけで決まるものではありません。その考えをいかに訴え、そして聴衆の心をいかに捕らえるか、これこそがスピーチの醍醐味です。

クラス予選は、激戦になりそうです。

早朝のお客さん

7月11日(火)

朝7時前、何気なく玄関の外に目をやると、学生と思しき見慣れぬ男の人が立っていました。玄関を開けると、何も言わずにぬっと校舎の中に入ってきました。新入生だろうと思い、2階のラウンジへ連れて行き、ドアの鍵を開けて「ここでしばらく待っていてください」と招じ入れると、これまた無言でラウンジに入っていきました。

在校生なら、玄関を開けるか開けないかのうちに「先生、おはようございます」か「どうもありがとうございます」でしょう。来日間もない新入生は、頭ではそういう日本語を知っていたとしても、それが適切な場面ですぐに口から出てこないものです。午前クラスだということは、全然日本語が話せないレベルではないはずですが、彼は国で話す訓練をほとんどしてこなかったのでしょう。

9時になって、今学期初めての授業の教室に入りました。「おはようございます」とクラス全体に声をかけると、少し恥ずかしそうな小声の「おはようございます」がたくさん返ってきました。これもまた、いつもの始業日の風景。そして、よく見ると、教卓のまん前に今朝の彼が座っているではありませんか。

教師の板書は几帳面に書き写しているようだし、提出してもらった書類の文字も丁寧で読みやすいものでした。日本語をきちんと勉強していることがうかがわれました。でも、話す力はどうなのだろうと、ちょっと怖い気もしましたが、何回か彼を指名して答えさせました。すると、まあまあきれいな発音をするではありませんか。

彼は潜在的には力を持っていることは確かなようです。しかし、しゃべらなかったらその力は認められることはありません。この彼の力をどうやって引き出し、進学につなげていけばいいでしょうか。早くも大きな宿題を抱えてしまいました。

取り扱い注意

7月10日(月)

KCPは、主にA社とB社から学生用の教科書を買っています。新学期の直前はA社からもB社からも教科書が大量に届きます。毎学期、A社からの荷物は、教科書が入った箱がずくずくになって、底が抜ける直前にどうにかこうにかKCPにたどり着いたという感じです。中の教科書が心配になって箱を開けますが、不思議と傷はついていません。それに対して、B社からのは頑丈に梱包され、箱は汚れているかもしれませんが、中身がどうにかなっているという心配は全くありません。もちろん、実際にも輸送中に破損した本はありません。

どちらも教科書がきちんと届くという意味において結果的に同じなら、A社のほうが合理的です。輸送にかかるコストもぎりぎりまで切り詰められますし、B社よりも簡易な梱包ですから、箱も容易に壊せてごみも少ないです。しかし、私はB社のようにがっちり梱包してもらいたいですね。本は丁寧に扱ってもらいたいですから。

子供のころ、本をまたいではいけないとしつけられました。また、本を床や地べたに直接置いてはいけないとも。授業中に学生が教科書を机から落とすと、学生自身が手を出すより先に私が拾い上げることもよくあります。そのため、今にも壊れそうなA社の箱は気になってしょうがないのです。A社が売り物である教科書を粗末に扱っているとは思いません。でも、B社と比べるとA社はちょっと…と思ってしまいます。

学生たちにも教科書は粗末に扱ってほしくはありません。落書きするなとまでは言いませんが、丸めてかばんに突っ込んだり、教科書が厚くて重いからとやたら薄くはがしてしまったり、そんな使いは見るに忍びありません。確かに教科書をどうしようと、しかるべき成績を取ればそれでいいのですが…。

さて、明日から新学期です。教科書は先生の話をばりばりメモして汚して、そこに書かれていることをぐいぐい吸い取って、自分自身の成長の糧にしてもらいたいです。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。毎年7月期はいつもの学期より多くの国々からの学生が入学してきますが、今年もこのように世界中の国々からの新入生を受け入れることができ、非常にうれしく思っています。

今、世界中で、皆さんのように日本語を勉強している人たちはどのくらいいると思いますか。国際交流基金の調査によると、400万人に近いそうです。皆さんはこの数字を多いと思いますか、少ないと思いますか。実は、世界の日本語学習者の実数は、この数倍、数十倍に上るのではないかと言われています。この差異は何に基づくかといえば、インターネットやテレビなどによる学習者を含むか含まないかによります。国際交流基金の調査は、各国の教育機関のみを対象として行われているため、学校などに通わず独学している学習者は把握していないのです。

今、この会場の皆さんの中にも、日本語は、国ではインターネットで勉強したとか、アニメやドラマを見て覚えたとかという方もいることと思います。独学でかなりのレベルの日本語を身に付けてくる新入生も、最近では決して珍しくありません。学校には一切通わず、JLPTのN1を取ってしまう人すらいます。では、そういう人たちはなぜKCPに入学するのでしょう。

まず、自分の身に付けた日本語がどこまで通用するのか試したいという人たちがいます。独学では、「読む」「聞く」という、情報を受け取る技能の習得が中心になりがちです。しかし、独学だけでは「読む」「聞く」は一定のレベルに達したとしても、「話す」「書く」という情報を発信する力を同じだけにするのは難しいものがあります。情報の発信力も含めて、自分の日本語力を正しく知り、新たな目標を立て、それに挑んでいこうという人たちです。

それから、系統立てて日本語を学び直したいという人もいます。これは、日本で進学しようと考えている人に多いです。たとえN1を持っていても、自分の日本語力に不安を感じていたり、さらに力を伸ばそうと思ったりしたときには、勉強した日本語を整理し、応用力をつけていく必要があります。

また、日本語を勉強する過程で教材などを通して触れた日本を実地検分したい、日本人とコミュニケーションしてみたいという動機で入学してくる方も少なからずいます。日本へ来なければ、日本で生活しなければ得られない経験をしてみたい、同時にそういう経験を通して自分の人生を彩りたいと考えている人たちです。

国で、学校で勉強してきた皆さんも、この3つのどれかに近い気持ちなのではないかと思います。KCPはこういう皆さんの期待に応える授業をしていきます。また、クラブ活動や今学期の学校行事・スピーチコンテストを通しても、皆さんの勉強したい、日本を知りたい、自分の視野を広げたいという気持ちを満たしていこうと考えています。皆さんの周りには、経験豊かな教職員が控えています。こんなことをしてみたいということがあったら、是非相談してみてください。

東京の夏は蒸し暑い日が続きますが、それに負けず、実りの多い留学を皆さんの手で作り上げていってください。本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

星に願いを

7月7日(金)

新入生のオリエンテーションがありました。私は、例によって、進学コース全体のオリエンテーションを受け持ちました。この学期に入学する学生は、進学に関して非常に微妙な位置にいます。ある程度のレベル以上なら、翌年の4月の進学も可能ですが、人によっては志望校のレベルを落として早く進学するか、翌々年まで頑張って初志貫徹するかの決断に迫られます。その点も踏まえて、KCPでは楽しいばかりの留学生活にはならないかもしれないと訴えました。

Cさんは国の大学で英語を専攻し、副専攻で日本語も学んできました。自信を持ってレベルテストに臨んだのでしょうが、判定はレベル2でした。もう1つ上のレベルに入りたいと言ってきましたから、私が話を聞きました。しかし、私の日本語が時々理解できず、おかしな答えをすることもあれば、日本語より先に英語が出てきてしまうこともありました。ただ、その英語は、発音がきれいで文法的にも語彙的にも適切なものでした。ですから、語学の素養はあるのでしょう。今は日本へ来たばかりで、耳も口も日本語に慣れていないため、低いレベルに判定されたのでしょう。

Cさんには、レベル2で十分練習して、国で学んだ日本語がすぐに出てくるようになったら、次の学期はレベル4にジャンプすることだって夢ではないとさとしました。もちろん、それはたやすいことではありませんが、挑戦のしがいがあると思ったのでしょうか、Cさんは納得して留学生活の第一歩を踏み出していきました。

七夕の日に、夜までこんなによく晴れたのは久しぶりのことのように思います。東京の夜空じゃ、晴れたとしても織姫も彦星もよく見えないかもしれませんが、Cさんたち新入生が天の川にかかる橋を渡って志望校まで行けるようにと祈っています。

ヒアリが攻めて来た

7月6日(木)

強い毒を持つヒアリが国内で初めて見つかったのは、先月の半ばのことでした。それから1か月もたたないうちに、神戸、岡山、大阪、名古屋と続々発見され、ついに東京でも発見されました。関東以西の太平洋・瀬戸内海沿岸は気温が劇的に違うわけではありませんから、その地域はどこにでもいると思っていたほうがよさそうです。

でも、日本海沿岸は冬の雪のおかげでだいぶ違うんじゃないかと思います。南米原産で、マレーシアや中国の広州あたりに住みついていたとのことですから、寒さには弱そうな気がします。となると、鳥取なんかは緯度的には南のほうかもしれませんが、今年の1月から2月にかけてのような1メートル近い大雪も降ることがありますから、ヒアリにとっては厳しすぎる気象条件だと思います。

こう考えると、雪はその白さで穢れを覆い尽くすという視覚的精神的効果だけでなく、生物学的にも日本人を南方の生命力のありすぎる猛毒生物から守ってきたと言えます。日本人は雪と戦ってきたことも確かですが、雪は人に牙をむくばかりではありません。日本人を優しく包んでいてもくれたのです。

ヒアリはどうやら輸入品のコンテナに伴って侵入してきたようですが、最低気温上昇の影響も見逃せません。グローバル化と温暖化が保護膜を溶かし、日本が丸裸になってきたような気がします。快適な生活を追い求めてきたら、身の回りに危険が忍び寄っていたというわけです。

藤井四段の連勝が止まるとともにヒアリが広がった――なんていうふうに、年末に総括されるような1年になってほしくないです。