Monthly Archives: 1月 2017

病院にて

1月6日(金)

3か月に1度の目の定期検診のため、病院へ行きました。私が通っている病院は電子化が進んでいて、再診の場合は診察券を機械に通すだけで受付が終わり、その足で眼科の診察室前まで行くと、ほとんど待つことなく名前が呼ばれ、予備検査を受けるという流れになっています。

しかし、診察を受けない月が3か月以上続くと、機械が診察券を受け付けてくれません。前回の診察が9月末でしたから、10・11・12月と診察を受けない月が3か月続いたため、今回は人間のいる受付窓口で手続をしなければなりませんでした。保険証と予約のチェックが済めばOKなんだろうと思っていましたが、一向に名前が呼ばれません。持って行った雑誌を何ページも読んだころに、ようやく名前が呼ばれました。その後はいつものペースで診察が進みましたが、融通が利かない話だなあと思いながらまぶたをひっくり返されたりしていました。

受付が機械化されていなかったら、9月末の次の受診が12月末だろうと1月初めだろうと、待ち時間は、ほどほどに待つという意味においては、変わらなかったはずです。厳密には窓口の方のチェック項目が1つか2つ増えているのかもしれませんが、それが患者の待ち時間に影響を及ぼすほどのことはありません。通常の受付業務が機械化されると人間による受付に比べて待ち時間は短縮されます。しかし、通常ではないと判定された受付は、通常の受付に比べて待ち時間が大きく延びることになります。

大多数の患者が通常の受付ですから、機械化による時間短縮効果は非常に大きいです。私もいつもはその恩恵に浴しています。しかし、通常でなくなると、待ち時間の長さがとてつもなく長く感じられるのです。実際には機械化以前の受付時間と大して変わらないと思いますから、感覚的な問題にすぎません。ですから、病院トータルとしては、患者の待ち時間は大幅に短縮されているはずです。そうは言っても、いや、それだからこそ、通常ではない場合の「待たされた」感が強調されてしまい、そればかりが記憶に残ってしまいます。

通常ではない場合などそう頻繁にあるわけではありませんから、そのときは我慢すればいいのでしょう。でも、それは我慢である限り、機械化の負の側面であることには変わりありません。通常受付ではない患者の犠牲の上に、多くの患者の利便性が図られていると言えないこともありません。

新学期の超級の教材探しをしているからでしょうか、頭の中が理屈っぽくなっています。

お金持ち

1月5日(木)

年明け早々から、学生がひっきりなしに訪れてきます。面接練習とか、出願書類のチェックとか、これから受験や出願の大学などにかける学生たちが、まだまだたくさんいます。さすがにここまで来ると出願の段階で教師に怒鳴られるような間抜けはいないと思いきや、Hさんなどは経費支弁の書類が全然整っていなくて、やり直しを命じられていました。

そんな中で悠然と構えているのがGさんです。Gさんは現時点で3勝3敗、つまり行き先は確保してありますが、これから私立の本命校と国立大学を狙います。予定通りに出願・受験するとなると、全部で14校になるとか。ここまで来ると、受験が趣味なのではないかと疑いたくなります。

でも、Gさんは決して闇雲に受けているのではありません。勉強したいことが勉強できる学部学科に焦点を定め、理想とする学校から滑り止めまで、それぞれ狙い撃ちしています。それにしても14校です。受験料だけでも数十万にも及び、既に支払った入学金や遠隔地受験の交通費などまで計算に入れると、100万円にも達するのではないでしょうか。私はGさんの経済状況についてとやかく言う立場にありませんが、こういう受験を許してくださるGさんの実家は、かなり裕福なんだろうなと想像しています。

本当に、学生というかその実家というか、あるいはその出身国が豊かになったと思います。KCPのほかに塾にも通う学生のほうが普通になりましたし、アルバイトをしなくても生活できる学生がほとんどで、Gさんほどではないにせよ、併願校の数も増えました。投資の配当で生活費を出している学生もいます。かつては「学生=貧乏」と自他共に認める方程式が成り立っていましたが、今は教師よりもいい生活をしている学生も多いんじゃないでしょうか。

学生の学習環境もよくなったはずですが、学生が平均的に優秀になったかというと、そうでもない感じがします。塾に通っている学生がすばらしい成績を収め、“いい学校”に進学しているかというと、そうでもありません。厳しく接しても優しく接しても、勉強に向かおうとする姿勢を見せようとしない学生が増えました。Gさんなんか、お金を有効に使っているほうだと思います。

新学期も、そういう学生がたくさん入ってくるのでしょう。心して指導に当たらねばなりません。

名古屋の山

1月4日(水)

年末年始の休みは、名古屋へ。いかにも旅行者然としたいでたちだったのですが、名古屋駅のホームで「すみません。この電車は松本へ行きますか」と聞かれました。まさか、こちらが日本語教師だと気付いて聞いてきたわけではないでしょうが、私は旅先でも不思議と外国人からモノを聞かれます。発音の感じからすると、中国人や韓国人でも、東南アジアの人でもなく、ブラジル人ではないかと思いました。

名古屋の市営地下鉄の主な駅では、日本語、英語のアナウンスに続き、中国語、韓国語、そしてポルトガル語のアナウンスが流れます。それぐらいポルトガル語話者≒ブラジル人が多いのです。いや、愛知県に住んでいる外国人の絶対数で言えば、ブラジル人は中国人や韓国人よりも多いですから、英語の次にポルトガル語が流されてしかるべきなのです。

愛知県は、人口に対する外国人の割合が、東京都についで2番目に高い県です。東京は首都という特殊事情で外国人比率が高い面が見逃せませんから、実質的には愛知県が一番だとも考えられます。元日は泊まったホテルのすぐそばの神社へ初詣に行きました。そこにもブラジル人と思しき人たちが焚き火にあたっていました。この人たちがどんな宗教観を持っているかまではわかりませんが、焚き火に手をかざす姿は周りに溶け込んでいました。

行きの新幹線からはまっ白な富士山が見えました。「幸せの左富士」も見えました。松阪まで足を伸ばしたとき、方角と形から富士山だろうと思われる山の頂上部が見えました。名古屋の街中からは、富士山は見えませんでしたが、御嶽山を始め、木曽の山々が見えました。こういう山々を見て、ブラジル人は故郷の山を思うのでしょうか。それとも、雪をいただいた山など見ても、ブラジルの山とはあまりにも違うので、何も感じないのでしょうか。