Monthly Archives: 1月 2017

種まき

1月31日(火)

私にとっての1月期は、3月に進学する学生たちへの最終の進学指導と、次の年の進学を目指す学生たちの基礎の勉強を並行して進める時期です。

まず、授業後、Wさんの面接に関する相談。Wさんはもうすでに何校かに受かっていますから、面接そのものについての相談ではなく、志望理由をどのようにまとめると試験官へのインパクトがより強くなるかという話でした。Wさんが考えてきたストーリーだと回りくどくて焦点がぼやけていましたから、内容をばっさり削ってすっきりさせました。

次はLさん。こちらはまだどこにも受かっていませんから、何とか次の大学に受かってもらわなければなりません。Lさんは話が局地戦になりがちで、受け答えから大学での学問という大きな流れが見えてきません。抽象的な話ばかりする学生も困りますが、Lさんは自分が将来作る店の細かな間取りの話をとうとうと始めてしまいました。「大学で学んだことを将来どう生かすんですか」と聞くと、とたんに口をつぐんでしまいます。受験日までもう少しありますから、考えるヒントを与えて、自分なりの答えを見出してもらうことにしました。

その次は先学期から受験講座に参加している学生たちの授業。半分ぐらいの内容が終わりましたから、まとめのテストをしました。本番並みの広い範囲のテストは初めてだったこともあり、みんな苦戦していました。それでも、答え合わせで次々と質問が出てきましたから、私は手応えを感じることができました。

最後は今学期から勉強を始めた学生への受験講座。こちらはまだカタカナの専門用語が定着していません。でも、科学的なカンのよさがありますから、私は密かに期待しています。理系科目はどうにかなるとして、EJUの日本語をどこまで伸ばせるかが鍵です。

Wさんは、1年前にまいた種が大輪の花を咲かせた例です。今勉強している学生たちも、1年後にそうなっていることを祈っています。

甘くないぞ

1月30日(月)

去年の卒業生でJ大学法学部に進学したHさんがフラッと訪ねてきてくれました。単位は順調に取れているようですが、J大学の中では法学部が一番成績評価が厳しく、GPAはどうしても低めに出てしまうそうです。法学部といえばJ大学の看板学部ですから、しょうがないですね。でも、そのため、GPAで勝負が決まる奨学金などでは不利な立場になってしまうと嘆いていました。そうは言いながらも、そんな厳しい世界を自分なりにしっかりした足取りで歩んでいるんだという、自信のようなものが表情にあふれていました。

Hさんはよくfacebookに写真やら近況やらを載せていますから、大学での勉強は大変だと感じつつも学生生活を楽しんでいることは知っていました。実際に顔を見て話を聞いて、本当にリア充のキャンパスライフを送っているんだなと思いました。どうやら順調に滑り出したようですから、心に太い柱が一本通っているHさんなら、このまま学業に励み続けてくれるんじゃないでしょうか。

しかし、J大学にも勉強の意欲を喪失してしまったような学生もいるそうです。日本人の学生なら、たとえ退学してもどこかに居場所はありますが、留学生はそうはいきません。次の居場所を確保するまでは、いやでもその大学にい続けなければなりません。J大学ともなると、名前にあこがれて入ったはいいけれど…という留学生がいても不思議ではありません。残念ながら、KCPにもそうなりかねない学生がいます。大学の名前につられて自分のやりたいことはどこかに置き忘れてしまっている学生です。

Hさんは、1年間大学生活を送った先輩として、KCPの学生に戒めの言葉を残してくれました。進学してからの勉強は、真に自分の人生を決めるものです。いい加減な気持ちで進学先を決めてほしくないし、生半可な心構えで進学先での学問に臨んでほしくもありません。

玉砕もせず

1月28日(土)

12月のJLPTの結果をまとめました。まず気になったのが、出願したのに受験しなかった学生が多かったことです。中には体を壊して帰国を余儀なくされた学生もいますが、大半はろくな理由などなさそうな学生たちです。この敵前逃亡組のおかげで、出願者に占める合格者の割合は、野球の打率並みとなってしまいました。

次に、得手不得手のはっきりしている学生代わりと多いということです。JLPTには、言語知識(文字・語彙・文法)、読解、聴解の3分野が設定されていますが、合格者でもこの3分野間の得点差が大きい学生が目立ちました。学習者の四技能を満遍なく伸ばしていくのがKCPのカリキュラムの基本方針です。しかし、絶対値の高さは別として、どの分野も平均的に得点した学生は少なかったです。

聴解が他の2分野よりも図抜けて高得点の学生は、名前を見ただけで声が聞こえてきそうな面々です。読解が飛び抜けている学生たちは、カリカリコツコツ勉強している様子が目に浮かんできます。しかし、言語知識ががくんと落ちる学生がいつも漢字や文法の再テストを受けているかというと、そうでもありません。

得意分野をより一層伸ばす勉強をすれば不得意分野は自然消滅するとも言われていますが、JLPTについて言えば、苦手を克服することが不可欠だと思います。全体的な底力があれば、たとえば読解が他に比べて弱くても合格点は確保できるでしょう。しかし、合格点付近の実力だと、足を引っ張る科目が命取りになります。JPLT自体が、一芸に秀でた受験生よりも、各分野に平均的に力を持っている受験生を好んでいるように見えます。

何より困るのが、敵前逃亡のやつらです。受験料をどぶに捨てるのは本人の勝手ですが、どういう精神構造を持っているのでしょう。玉砕すらできないのだとしたら、これからの人生、明るくないんじゃないでしょうか。

世界一

1月27日(金)

超級で使っている読解テキストに「新宿駅の一日の乗降客数は世界一」という文があるので、世界の駅の乗降客数を調べました。「世界の」といいつつも、統計データが揃っている国となると、どうしても先進国に偏ってしまいます。でも、それ以外の国は鉄道があまり発達していないので、大した乗降客があるとは思えず、上位のランキングには影響を与えないだろうと判断しました。

日本の駅が上位を独占するだろうとは予測していましたが、best(most?)100駅の80駅余りを日本が占めているとは予想以上でした。アムステルダム中央駅が御徒町駅といい勝負、ローマ・テルミニ駅やパリ北駅が町田駅や川崎駅並みと、その国を代表する駅が東京近郊のちょっとした乗換え駅と同程度の乗降客数でした。新宿駅は町田駅や川崎駅の7倍ほどの乗降客数ですから、いかにとんでもないことになっているかがわかります。

鉄道は大量輸送機関で、多くの乗客を同一方向に運ぶとき、その力を発揮します。東京のように一極集中の極みみたいな都市は、この条件にぴったりです。私が上述のヨーロッパの駅で乗り降りしたのはかなり昔のことですが、その当時の新宿駅など東京のターミナル駅と比べるとずいぶんのどかだなという印象を持ちました。見方を変えると、東京圏は世界で最も鉄道を有効活用している町なのです。

駅舎にしても、新宿駅・渋谷駅・池袋駅の“三横綱”は実用一点張りで、ヨーロッパの都市の中央駅のような建物としての芸術性は皆無に等しいです。わずかに東京駅の丸の内側駅舎にいくらか芸術の香りを感じるのみです。また、今学期の読解では、パリの駅は構内にピアノが置いてあって誰でも弾けるようになっているという内容の教材も扱いました。残念ながら、東京圏の駅は利用者が多すぎて遊び心を楽しむどころではないのです。

どこ出身の学生も、多かれ少なかれ、朝の身動きが取れないほどのラッシュにはショックを受けるようです。でも、日本、特に東京で留学生活を続けようと思うなら、これに打ち勝たなければなりません。そういう意味でも、頑張れ留学生!

欲がない

1月26日(木)

SさんがH大学の出願をどうすればいいか聞きに来ました。H大学から大学案内を取り寄せたけれども、参考になる資料が少なくて困っているとのことでした。自分の勉強したいことが本当に勉強できるか確認したいのに、肝心なことがさっぱり書いていないと言います。

どこの大学も学生の確保に必死なのに、Sさんのように本気で勉強したがっている受験生を取り逃がしかねないパンフレットなどあるのだろうかと思いながら、そのパンフレットを見ました。そうしたら、本当に書いていないんですねえ。これじゃあSさんが私のところに相談に来たのも無理はないと思いました。

ないないと言っていても始まらないので、H大学のホームページを見てみました。パンフレットよりはましでしたが、依然として受験生が大学を知るのには大いに不足です。Sさんが狙っている学科にどんな専門の先生がいるのかさえも、最後までわからずじまいでした。研究上協力関係にある機関のホームページに飛ぶのはいいのですが、H大学自身の言葉でその研究について語ってもらいたかったです。他機関のホームページでは、H大学の立ち位置やその研究にかける熱意がわかりません。

それでも、SさんはH大学に行こうと考えています。A大学受験の際に、少し足を伸ばして訪れたHの町に引かれてしまったようです。こんな強力なファンが生まれたのに、そのファンの気持ちを揺るがすような学生募集資料しかないH大学は、欲がなくおおらかでもあり、商売下手で時流をつかみ損ねてもいます。

私もHの町が好きで、その町の人々に尊敬のまなざしで見つめられているH大学の学生はさぞかし幸せだろうと思っていました。それだけに、この広報力の低さにはがっかりさせられました。

代講

1月25日(水)

代講で初級クラスに入りました。初級で教えるときは、いつも上級の学生になってもなかなか定着しない初級の学習事項に力を入れます。というか、力が入ってしまいます。

今日のクラスでは、発音練習で長音がきちんと長音になっていなかったので、そこでまず爆発。学生は、とかく速く話せば上手だと思いがちですが、そんなことより丁寧に発音することが通じる日本語に近づく一歩です。話し言葉には「~してる」みたいな音の脱落や、「~しちゃう」みたいな2つ以上の音がくっついた形もありますが、それにもしかるべき規則があります。やたらとリエゾンさせてはいけません。

文法の時間は「~てくれます」「~あげます」でした。昨日の先生から「~てくれます」の復習をしてほしいと引継ぎを受けていましたから、それをいいことに、ここでもちょっと熱くなってしまいました。おかげで進度の遅れを少々増幅させてしまいました。「~てあげます」も、コンピューターの中に格好の教材がありましたから、それを使って練習していたら、結構時間を食ってしまいました。

上級の学生は必ずしもKCPの初級を通ってきているわけではありませんが、国の学校などで同じことを勉強してきているはずです。それでも「~てくれます」や「~てあげます」が正確に使えないということは、どこの日本語学習機関にせよ、そういった文法項目がきちんと教え切れていないということです。語学には間違えながら覚えていく側面がありますが、学習者がいつまでも同じ間違いを繰り返すということは、教え方か学び方に欠陥があるからにほかなりません。学び方は各学習者独自のスタイルもあるでしょうが、それをよりよいものに改良していく際には教師の力が欠かせません。

私が心ゆくまで文法の復習や導入や練習や発音指導などをしていたら、進度が今の半分になってしまうかもしれません。完璧主義はいけませんが、上級の学生から「願書を見せてもいいですか」などと願書チェックを依頼されると、初級のうちにそういう芽をつぶしておきたくなるのです。

横綱昇進

1月24日(火)

稀勢の里が横綱になります。稀勢の里にとって、一番いい形で初優勝ができ、横綱昇進もつながってきたと思います。いい形とは、心理的負担がかからなかったという意味です。

稀勢の里は、これまで何度もここぞというときに星を落として、優勝や横綱昇進を逃してきました。ところが今回は、場所前は稀勢の里の綱取りなど全く話題に上がっておらず、少なくとも終盤戦を迎えるまでは、自分自身でも昇進がかかっているという意識はなかったでしょう。さらにまた、優勝は14日目に白鵬が敗れるという形で決まりました。好成績とはいえ、平幕下位の力士に白鵬が取りこぼすとは誰が予想したでしょう。千秋楽に1差で直接対決し、雌雄を決すると、本人も思っていたはずです。もし、そうなっていたら、結びの一番で稀勢の里は実力を発揮できたでしょうか。苦杯をなめて、優勝も横綱昇進も泡のごとく消え去ってしまったかもしれません。

つまり、優勝も横綱昇進も、稀勢の里が手を伸ばしてつかんだというよりは、向こうから転がり込んできたのです。おかげで、稀勢の里は何らプレッシャーを感じることなく、その両方を手にすることができました。こう書くと「棚からぼた餅」のように見えるかもしれませんが、私はそうだとは思いません。精進を重ね、実力も有り余るほど持っていながら、長い間それを十分に発揮できない憾みがあった稀勢の里に、天の神様も仏様も一斉に微笑みかけたような感じがします。

KCPにもいるんですよね、力がありながら出し切れない学生が。今年も2、3人ほど顔が浮かびます。そういう学生も、稀勢の里のおこぼれにあずかれるといいんですが…。

稀勢の里は頭の上を押さえ込まれていたつかえが取れたので、これからぐんと伸びるような気がします。30歳と年齢的には遅い昇進ですが、大器晩成を地で行くような活躍を期待しています。

請うた

1月23日(月)

超級の漢字の時間に「許しを請う」という文が出てきました。超級の学生たちはこれくらいの漢字はどうにかなりますから、ちょっと意地悪してみたくなり、「昨日許しを…」だったらどうなるかと聞いてみました。まず、当然のごとく、た形を作る規則どおりに「請った」という答えが出てきました。でも、学生たちは規則どおりだったら私がわざわざ聞くわけがないと訓練されていますから、半信半疑の顔つきです。スマホで調べた学生もいたみたいですが、正解にはたどり着けませんでした。

「請うた」と正解をホワイトボードに書くと、大学院の日本語教育専攻を目指す学生たちも含めて、「えーっ」という表情になりました。「大阪弁みたい」という感想もありました。「買うた」は学生たちも耳にするチャンスがありますからね。「請うた」を使った例文1つと、「問う―問うた」も同じパターンだと紹介すると、みんなノートにしっかり書き込んでいました。

KCPの超級の教材は、難関大学と言われている大学の留学生向け日本語教材よりもずっと難しいと、実際に進学した学生に言われたことがあります。そのぐらいの教材を平気な顔してこなしてしまうやつらに驚きと新鮮さを与えるとなると、こちらも相当な覚悟を持って臨まなければなりません。毎日「請うた」みたいなネタがあればいいですが、そうとも限りません。日々新しいことの連続のレベル1も大変ですが、超級も苦労が絶えません。

学校へ行ったけど何も学ぶことがなかった――では、授業料がいただける授業をしているとは言いかねます。かといって、小難しい理屈を教科書に盛り込めばいいというものでもありません。そんなバランスを取りながら、毎日授業しています。

先輩後輩

1月21日(土)

12月に卒業したJさんが、C大学に受かったとメールで知らせてきてくれました。卒業式後の懇親会のときに、面接練習を頼まれ、年明け早々、C大学の試験前日にやりました。はっきり言って危ない状態でしたが、面接の答え方のポイントを訓練し、Jさんを送り出しました。新学期準備や始業直後の忙しさにかまけてC大学の入試のことはすっかり忘れていただけに、Jさんからのメールに喜びもひとしおでした。昨日のこの欄でLさんの不義理を嘆きましたが、Jさんは面接練習のお礼まで、メールできちんとしてくれました。

Jさんはおとなしくて目立たない学生でした。でも、KCPの初級から始めて超級まで上り詰めました。教師が指示したことは確実に実行し、着実に力をつけてきたのです。爆発力や瞬発力はありませんが、持久力に富んだ学生という感じです。C大学は、Jさんにとっては実力以上の大学かもしれませんが、コツコツと努力を続けて、大きな成果を手にしてもらいたいです。

そのC大学に通っているFさんとPさんがひょっこり来てくれました。Fさんは、大変だと言いながらも、好成績で単位を確実に取っているようです。Pさんは、試験微に休んで落とした単位があるとか。KCPにいたときの2人の行動様式そのままです。Fさんは、在校時に演劇部の一員として出演した新入生向けマナービデオの映像と全く変わっていません。Pさんは、勉強はそこそこ頑張っているようですが、顔が丸くなり、おなかはぽにょぽにょの肉に包まれていました。肉が引き締まるくらい勉強に励んでくれるともっといいんですがね。

Jさんのほかにも、C大学には何人かの学生が進学します。FさんやPさんのように、堂々と遊びに来られるくらいのキャンパスライフを送ってもらいたいです。そうすれば、名門C大学ですから、得るものも大きいでしょう。

報告

1月20日(金)

「先生、聞いてくださいよ。Lさんったら、M大学に受かってたんですよ」「え、本当ですか」「ええ、私が聞かなかったら、ずっと黙ってたかもしれませんよ、あの調子じゃ」と、授業から戻ってきたR先生は怒りをぶちまけていました。

確かに、学則上も、もちろん法律的にも、学生には学校や担当教師に大学合格の報告をする義務はありません。しかし、Lさんは受験前にさんざんR先生から指導を受けていましたから、R先生に受験の結果を報告するのが1人の大人として取るべき態度です。古い言葉でいえば、仁義です。

ところが、これができない学生がけっこういるんですねえ。調べてみると、M大学の合格発表は先週の金曜日でした。R先生は、その日も含めて、Lさんのクラスに3回入っています。それなのに自分から合格を伝えなかったのは、いったいどういうつもりなのでしょう。学生が教師や学校を踏み台にして、より大きく高く伸びていくことに異存はありません。でも、踏み台にも五分の魂と言いましょうか、不義理をはたらかれちゃあ、いい気持ちはしません。

落ちてもきちんと報告に来る学生がいますから、学生たちの国にはこういう文化がないわけではなく、個人の資質なのだと思います。そして、それを形成するのは、学校や家庭で受けてきた教育です。ここまで考えると、KCPにおけるしつけがいい加減だと、卒業生が進学先で低い評価を受けかねないことが見えてきます。他山の石などと言ってしまったら親御さんたちに申し訳ありませんが、戒めとしなければなりません。