Monthly Archives: 10月 2016

暗雲

10月31日(月)

「Lさん、今日の面接練習、2時半からでどうかってK先生がおっしゃってたけど…」「すみません。今日は無理だと思います。志望校のイベントがあるんです」。

今日は無理だと思います??? “だと思います”って、あんた、他人事じゃないんだよって言いたくなります。Lさんは超級の学生ですが、こんな程度のやり取りになってしまいます。もちろん本人に悪気はありません。K先生のご好意を断るにあたって、精一杯気を使っているつもりなのです。でも、それがかえって裏目に出ています。私たち日本語教師はこういうのに慣れていますからスルーしてあげられますが、普通の日本人だったらどうなのでしょう。

午後、Yさんの面接練習をしました。ひと通り模擬面接をしてからのフィードバックでのことです。「ディテールを表現するというのがYさんの答えの特徴になっているから、ここをもっと強調したほうがいいと思うよ」「でも先生、そうすると、私の日本語力では、面接の先生に全体像をつかんでもらえなくなるかもしれません」「そう考えるんなら、ディテールの話は思い切ってカットしたらどう?」「でも先生、そうすると、私の答えの特徴はどこにありますか」という調子で、心配ばかりしてさっぱり先に進みません。

能天気に行き当たりばったりというのも困りますが、Yさんのように物事を否定的に見てばかりいたら、何もできません。Yさんのクラスでは、今日の授業で「敢然」という言葉を取り上げました。しかし、今のYさんの心理状況は「敢然」とは対極にあるようです。

2人とも、受験が近づいてきていますが、果たして面接が通るでしょうか。少々不安にさせられました。

感じる

10月28日(金)

もうすぐ11月ともなると、早い時期に入試があった大学は合格発表の時期です。私の身の回りでも笑った学生もいれば泣いた学生もいます。

HさんはD大学に受かりました。Hさんの友人たちはすごいと驚いていますが、私はそうでもありません。面接練習をしたときの感触から、受かって当然と思っていました。面接官役をしていると、HさんのD大学への憧れとか学問に対する夢とか、思わず聞き入ってしまうような話が次から次へと出てきました。そういう内容を記した志望理由書も大いに読み応えがありました。それゆえ、受かるに違いないと思えてきたのです。

私のこのビビビッという感覚は、わりとよく当たります。やっぱり、受かる学生はどこか一頭地を抜いています。その部分が私に電波を送ってくるのでしょう。具体的にどういう受け答えのときにビビビを感じるかと聞かれても、口ではうまく説明できません。これが説明できたら、すぐさま面接練習に来た学生たちに教えられるんですけどね。

そんなHさんに対して、残念組の学生の面接には、引き付けられるものがありませんでした。あれこれ指導はしましたが、学生はピンと来なかったのでしょう。私の説明が悪かったのか、学生に私の指導を受け入れる心のゆとりがなかったのか、そこまではわかりません。私は学生の心に響く指導ができず、学生は、もしかすると、落とされて初めてこちらの言いたかったことが胸にすとんと落ちたのかもしれません。

11月は留学生入試の山場で、EJUが終わったら別の忙しさが襲ってきます。1人でも多くの学生からビビビを感じたいものです。

エレベーターと喫煙所

10月27日(木)

私は、都会のマンション住人の典型で、隣にどんな人が住んでいるのか全く知りません。また、エレベーターで誰かと乗り合わせても、せいぜい目礼をする程度です。1階から自分の階までの数十秒間、お互い無言のまま過ごしますが、その雰囲気が息苦しいとも気まずいとも思いません。

たまに、両手に荷物を抱えて、降りる階のボタンが押せない人が乗ってくることがあります。そんなときは、ためらうことなく「何階ですか」と聞き、「すみません、〇×階です」などというやり取りをします。

こんな、会話などとは到底呼べないような言葉を交わしただけでも、そして、その後エレベーターの中で何もしゃべらなくても、エレベーター内の空気がいくらか和らいだように感じます。お互いがお互いを敵ではないと認識できるからでしょう。

言葉はコミュニケーションの道具です。そして、コミュニケーションとは単に情報を伝えるだけでなく、心を通わせ合うことでもあります。英語のcommunicateやcommunicationには後者の意味がないかもしれませんが、“言葉はコミュニケーションの道具”と言ったら、そういう意味も含まれると思います。

学校の近くのタバコ屋さんから、KCPの学生が店の前の喫煙所で外国語で大声でしゃべりながらタバコを吸って困るというクレームが来ました。喫煙所を汚して立ち去るなど、学生たちのマナーもよくないようですが、店の方が一番嫌なのは、外国語で話されてはコミュニケーションが取れない、心の通わせようがないことだと思います。

学生にしたら、休み時間にタバコを吸う時ぐらい日本語から開放されて、友達と国の言葉で思いっきりおしゃべりしたいのでしょう。しかし、それは同時に、タバコを吸う場所を提供してくれている店の方とのコミュニケーションを拒否することも意味するのです。

店の方にしたら、自分の店の軒先で、顔も知らない学生たちに、自分のわからない言葉でしゃべられたら、恐怖感もするでしょうし、店を乗っ取られたようにも思うかもしれません。すなれば、学生の所属する学校に苦情の一つも訴えたくなります。

だから、かたことであっても、学生が真剣に日本語で話しかけようとすれば、店の方も安心できるはずです。お客さんとの心のふれあいが楽しみで店を開いているとすれば、これは喫煙所を使わせてもらうための必須の条件です。こういうことを教えていくのも、学校の役割なのです。

整理整頓

10月26日(水)

「先生、ちょっとお時間、いいですか」「うん」「この問題、教えてほしいんですけど…」と、GさんがEJUの理科の問題を持って来ました。Gさんが持ってきた問題用紙には、Gさんの字で計算式が書き散らされていました。Gさんが問題文に引っ張ったアンダーラインやキーワードを囲んだ〇や□も入り乱れていますから、問題文を読むだけでも一苦労です。

私が問題文を読むそばで、Gさんが自分の考えを披瀝します。自分なりの考えを伝えようとする点は評価できますが、そのときに、すでに字やら記号やらがあふれている問題用紙に、さらに何か書こうとするのです。こうなると問題用紙は混沌そのもので、Gさんでさえ何がなにやらわからなくなっています。

私もGさんがどこでつまずいているのかわかりませんから、新しい白い紙を渡して、そこに式や図を描くように言いました。すると、「あ、そうか。ここで2倍するのを忘れたんだ」と、Gさんは自分の間違いに気がつきました。

だから、式をきちんとわかりやすく書き直せばいいのに、次の問題に取り掛かるや否や、Gさんは私が渡した新しい紙もあっという間に混沌の渦の中に巻き込んでしまいました。そして、考えの筋道が本人にもわからなくなり、自滅へと突き進んでいきました。

「こんなことしていたんじゃダメだ。ノートにきちんと式を丁寧に書いて、それでもわからなかったら、私のところへ聞きに来い。こんな問題の解き方をしてたんじゃ、EJUで絶対いい点数は取れない」と言って、Gさんの質問を打ち切りました。「でも、先生、EJUのときは式を書く場所がありません」「ある。なかったら自分で作れ」というやり取りの末、Gさんを追い返しました。

自分の間違いに気付くことができるのですから、Gさんは理科系のセンスがない学生ではありません。でも、問題用紙に無計画に式を書き殴って、読解不能に陥っているようじゃ、そのすばらしいセンスも宝の持ち腐れです。式をわかりやすく書くだけで、間違いは半分どころかそのまた半分ぐらいになるでしょう。それができなかったら、いや、そんなことすらできなかったら、理系の勉強をする資格がないと思います。実験記録もまともに残せないでしょうし、データ整理も満足にできないでしょう。

Gさんは、いつ再質問に来るでしょうか…。

ずるいですか

10月25日(火)

私がこの学校で教えている理科は、「受験」講座ですから、純粋な理科だけではなく、時には受験のテクニックも教えます。EJU対策として、マークシート方式の特性を利用したずるい解き方を教えることもあります。

このずるい解き方の説明となると俄然目を輝かせるのがCさんです。ずるい解き方を覚えて、お手軽に点数を稼ごうという魂胆なのですが、なかなかそういうわけにはいきません。

確かに、ずるい解き方を使えば、まじめに考えて計算するより早く答えにたどり着きます。しかし、ずるい解き方は万能ではなく、その問題に使えるかどうかの見極めが必要です。つまり、しっかりした基礎があって、問題の本質をつかむだけの実力を持っている人だけが、ずるい解き方を使うことができるのです。

学問に王道なしというとおり、EJUの本番で楽をしようと思ったら、その前に血のにじむような努力が必要なのです。Cさんのように、おいしい果実だけ盗み取ろうとしても、そうは問屋が卸しません。

私がある程度の実力を持ったが学生にずるい解き方を教えるのは、ずるい解き方の根底に物理や化学や生物の真髄が隠されているからです。正攻法とは違った角度から問題となっている現象を見ることで、今まで気づかなかったその現象の一面が浮かび上がってくることがあります。それを学生たちに感じ取ってもらいたいのです。そして、それを感じ取ることで、勉強した項目の意外なつながりを発見することもあります。

実力がある臨界点を超えると、このずるい解き方を自在に活用できるようになり、さらに点数が伸びていきます。強い人がより強くなるのです。お金持ちのところにお金がさらに集まるのと似ていなくもありません。Cさんは臨界点まであと一歩のところまで来ています。3週間を切った本番までに、超えられるでしょうか。

努力家とは

10月24日(月)

秋が深まるとともに、学生の推薦書のシーズンも最盛期を迎えつつあります。今、私は3人分の推薦書の宿題を抱えています。こういうことになるだろうと思って、始業日に「自己推薦書」なるものをクラスの学生に書かせましたが、それに助けられています。

自己推薦書とは、自分で自分を志望校に推薦するとしたら、自分のどんなところを売り込むかを書いてもらったものです。自分の長所とか、学業に対する姿勢とか、そういったことで私に見えていないことや、学生自身が自分をどう見ているかを知りたかったのです。

3人とも、表現は違いますが、自分は努力家だという意味のことを書いています。他の学生のを見ても、頑張るとか努力とかいう言葉が目立ちました。今の学生は、努力することにかなりの価値を置いていることがわかります。私が推薦書を書く3人は本当に努力家ですが、中にはそうとは言いかねる学生もいます。そういう学生は、努力家を装うというよりは、努力家にあこがれているのではないかと思います。

最後は努力家が勝つという寓話やことわざは、世界中にあります。これは、どこへ行っても努力が続けられる人が少ないことを意味していると思います。一発勝負のギャンブルに出て、それに勝ってしまうことを夢見る人たちが無数にいるからこそ、こういう戒めがあるのです。学生たちも、自分のそういう傾向にうすうす気付いて、こういう心持は他人には見せられないと思って、私は努力家だと言い張りたくなるのでしょう。

私も学生たちのことを笑えません。「努力かたらんと努力している」というのが、精一杯の私の現状です。すきあらば低きにつこうとする自分に鞭打って、かろうじて厳しい世間を生き抜いています。怠けている学生を叱りつつも、その心根にどこか共感してしまう自分がいます。

3人の学生は、無理に下駄を履かせなくても推薦に値する学生です。自己推薦書から学生自身の自分観を読み取り、それを参考にして、推薦書を書き上げました。

手応えはあてにならない

10月21日(金)

KさんがD大学に合格しました。Kさん自身は面接の手応えが悪くダメだと思っていただけに、喜びも一入だったようです。私は、EJUの持ち点も高いし、直前の面接練習の受け答えもしっかりしていたし、十分に勝ち目があると思っていました。

こんなふうに、試験を受けた学生の感覚は、えてしてあてにならないものです。Kさんとは逆に、「絶対大丈夫」なんて言っている学生に限って、落ちてしまうものです。学生は面接でたくさん話せると自分の思いが伝わったと思い込んでしまうようですが、実は、それは非常に危険です。往々にして空回りしているのです。

面接練習の時には、他の受験生でも話せるようなことはいくらたくさん話したところで評価されないと指導しています。具体的な内容、独自の考えや感想などを語らなければ、評価に値しないとされてしまいます。「将来、自分の会社をつくりたいです」の類は、点にならないのです。

Kさんは面接では自分の思いが語りきれなかったので手応えを感じなかったようです。しかし、KさんのD大学に対する思いは非常に深いものがあり、面接官としては、その一端を知るだけで、我が校で学ぶに値する学生だと判断できたのでしょう。

午後、T大学の大学院の入試面接を明後日に控えたHさんの面接練習をしました。大学院を目指す学生だけあって、一から指導しなければならない答え方ではありません。それでも、脇の甘さが見られて、私に問い詰められると言葉を失う場面もありました。こちらの注意は十分理解できていると思いますから、本番までに軌道修正してくれるでしょう。

受験シーズンはこれからが山場です。他の学生も、Kさんにどんどん続いてもらいたいです。

初雪、地震、睡眠

10月20日(木)

北海道の各地で、平年よりやや早い初雪が降りました。気圧配置を見ると立派な東高西低で、雪が降ってもおかしくない等圧線の込みようです。山間部ではこれから15センチの積雪になりそうだといいますから、本格的な冬景色に染まるのでしょう。

今年の北海道は夏に多くの台風に見舞われ、山間部を中心に、その被害の爪あとがいまだに癒えていません。雪が降り積もったら復旧作業どころではありません。来年の春まで約半年間、作業は中断を余儀なくされます。気になるのは、雪の時に頼りになる鉄道が不通のままだということです。大雪によって陸の孤島が出現しないことを祈るばかりです。

さて、東京はというと、最高気温が27.7度で、冬の気配どころか夏の名残を感じるほどでした。10月にはいってから、最高気温が25度以上の夏日がこれで9日目です。約半分というのは、平年に比べるとかなりの多さだと思います。11月に入ったらすぐコートかなと思っていましたが、果たしてどうでしょう。

選択授業が始まりました。例年通り「身近な科学」を担当します。暇な学生ばっかりなのか、いつもより受講者が多くて、気温の高さと相まって、教室は上着がうっとうしいほどでした。初回は、“居眠りこいたら許さねえぞ”というメッセージも込めて、「睡眠」について話しました。毎年、寒さが厳しくなったら当日の冬型の天気図を示して、「日本の気候」を取り上げるのですが、今のところ、しばらくお預けのようです。授業中地震があって(私は気がつきませんでした)学生たちは騒いでいましたから、こちらが優先ですね。

体験型旅行

10月19日(水)

9月の訪日外国人客数が、190万人余りと、9月としては過去最高を記録しました。1~9月の累計訪日外国人客数も約1800万人となり、過去最高だった昨年の記録まで200万人弱に迫っています。昨年は9月より10月のほうが外国人客数が多かったので、今月中に昨年の記録を上回ることでしょう。

外国人観光客といえば、中国人による爆買いがつとに有名ですが、その爆買いは影を潜めつつあり、今年はモノではなくコトにお金を使う傾向が顕著になっているそうです。確かに、日本が2回目、3回目というリピーターにとっては、そう毎回毎回買い物ばかりでは飽きてしまうでしょうし、それ以前に、買うもの、ほしいものがなくなってくるでしょう。体験を重視する旅行に人気が集まるのもよくわかります。

留学は、その体験型旅行が究極に発展した形ではないかと思います。旅人ではなく住人になり、さらには、単なるレジャーではなく、その後の人生を左右する学問を身に付けるんですからね。得がたい経験だけでは不足で、何かを確実に得る経験を積まなければなりません。

しかし、残念ながら、そういう覚悟の学生ばかりではありません。ほんの腰掛け、物見遊山の域を出ないお気楽な、ビザは留学だけど気持ちは観光の学生もいます。目をつぶらずともそういう学生の顔が浮かんできます。彼らにとっては、日本は巨大なテーマパークで、日本語学校の学費は年間パスポート代なのかもしれません。また、最近はだいぶ数が減りましたが、勤労青年もいます。身も心もすり減らす方面での究極の体験は、してほしくないです。

学生たちには、留学ビザでこそ味わえる青春に、どっぷり身を浸してもらいたいです。

メタンを乗り越えて

10月18日(火)

世界中には数千かそれ以上の言語があると言われています。しかし、その中で、その言語だけで高等教育までできるのは、ほんの一握りにも満たないとも言われています。日本語はその稀有な言語の一つだとされており、日本人は、それを意識することなく、その恩恵をこうむっています。

だから、留学生も日本語を勉強しさえすれば日本で高等養育が受けられるかといえば、残念ながらそうでもありません。入試科目に英語を課するところが増えてきていることもそうですが、留学生にとってはカタカナ言葉は日本語でも英語でも他の言語でもない、何とも扱いにくい存在のようです。

私が受験講座で扱っている理科の場合、まず、化学に出てくる物質名が厄介の元です。メタン、トルエン、マレイン酸などなど、わけても有機化学は英語の発音とも全然違う、不思議な名前のオンパレードです。化学は理系志望の学生のほぼ全員が受けるだけに、被害は広範に及びます。生物もカルビン・ベンソン回路、ランゲルハンス島など、随所にカタカナの用語があふれていますが、受験生が少ないことと、その受験生が生物に強い学生が多いので、化学ほど甚大な被害はありません。物理は図や式で勝負できますから、被害は比較的軽微です。

有機化学の授業を受けたCさんは、冗談めかして死にたいと言っていました。理科のカンが鋭いだけに、カタカナ語のおかげでそのカンを働かせられないもどかしさを人一倍感じているのでしょう。同情はしてあげられますが、私にできるのはそこまでです。メタンがCH4であることは、自分で覚えるしかないのです。死にたいではなく、死ぬ気で頑張らなければ、日本留学の道は開けてきません。