Monthly Archives: 9月 2016

卒業証書がほしい

9月30日(金)

Lさんが期末テストの追試を受けました。Lさんは大学院に合格し、9月に入ってからオリエンテーションやガイダンスなどがあり、昨日の期末テストが受けられなかったのです。大学院のほうを優先したため、今月はKCPの授業にはあまり出られず、期末テストの範囲の半分ぐらいは勉強していません。こんな場合、期末テストを受けない学生が多いのですが、Lさんは律儀に受けました。

追試を終えたLさんが、「先生、いろいろありがとうございました」と話しかけてきました。「先生、期末テストの成績が悪かったら、私は卒業できませんか」「うん、KCPの規則上は卒業じゃなくて修了になるね」「えーっ、2年近くKCPで勉強した結果がたった1回のテストで決まっちゃうんですか。それはひどいですよ」「でも、毎年3月に卒業する学生たちも、卒業認定試験1回の結果で卒業か修了かが決まるんだよ。条件的にはLさんと同じですよ」「それはそうだけど…」「たとえ修了でも、Lさんの大学院が取り消されたりビザが出なかったりすることはないよ。もし、ビザが出なかったら出席率かなんか、ほかの理由だよ」「でも、一生懸命勉強した証拠として、卒業証書がほしいんです」

大学院の授業が始まった時点でKCPに退学届けを出してもおかしくなかったのですが、今までKCPの学生であり続けたのは、こんな理由からだったんですね。Lさんの心の中で、けじめがつかなかったのでしょう。ありがたいと思います、こんなにまでKCPの卒業証書に価値を認めてくれるとは。

同時に、もっと日本語を勉強しておけばよかったと、早くも反省の弁も聞かれました。「KCPの先生は外国人に話すと思ってわかりやすく話してくれましたが、大学院の先生は全然違います」と、この先授業を受けていくことに不安も抱いているようです。さらに、「成績は、だいたい、レポートと自分が研究したことのプレゼンで決まりますから、留学生には厳しいですよ」と、ビビッている様子もうかがえました。だから、KCPの卒業証書を心のよりどころにしたいのかもしれません。

そういえば、4月に進学した学生たちはどうしているでしょう。顔を見せに来てくれる学生たちは元気そうにしていますが、裏ではへとへとなのかもしれません。元気な頃の自分を思い出したくてここを訪れる学生がいても、おかしくありません。今度来たら、せめて勇気付けてあげましょう。

お客さん

9月29日(木)

期末テストがありました。午後、試験監督に入った一番下のレベルのクラスに、とんでもない学生がいました。

Zさんは今学期の新入生で、3か月間勉強してきたはずなのですが、頭には何も残っていないようでした。助詞を入れる穴埋め問題は、明らかに何も考えずに適当に書いただけですし、質問に答える問題はまるっきり的外れな答えを書いているし、聴解は全く答える気がありませんでした。Zさんが聞き取れるスピード・内容ではないことは、問題の音声を2秒ぐらい聞いただけでわかりました。

漢字のテストにいたっては、名前を書いただけで提出して帰ろうとしましたから、身振りで全部やれと命じました。Zさんは「わかりません」と言って出そうとしますが、私は提出を認めず、すべての問題に答えを書くまでは提出させないということを、これまたジェスチャーで示しました。それまでのZさんの受験態度には腹に据えかねるものがありましたから、早く帰りたがるZさんに対し、制限時間いっぱいまで問題に向かわせました。

Zさんは、今学期の最初のころからずっと何もわからずに期末テストを迎えたのだと思います。Zさんにしてみれば、やっと期末の日が来たといったところでしょう。でも、このわからなさ加減では、来学期もう一度同じ勉強をしても、わかるようになるとは思えません。あの分では、おそらく学期休み中は全く勉強しないでしょうから、来学期もまた、始業日から1週間か10日後には、お客さんになっているに違いありません。

それどころか、卒業までに進級できるかも覚束ないところです。資料を見ると、Zさんは日本で大学進学を考えているようですが、たとえ出席率が100%でも、よほど性根を入れ替えない限り、Zさんを拾ってくれる大学があるとは思えません。どういう背景で来日したかはわかりませんが、これからの苦労を考えると、日本へ来なかったほうがZさんには幸せだったような気がしてなりません。

半分ふてくされて漢字の答案用紙に答え(にはなっていない無意味な言葉)を殴り書きしているZさんを見ながら、いつ引導を渡したらいいだろうかと考えてしまいました。

社会の急速な反映

9月28日(水)

選択授業の期末テストがあり、私が担当した入試問題クラスも某大学の過去問を使って実施しました。

みんな真剣に問題に取り組んでくれたのはいいのですが、試験中に学生の答案を覗き込んでみると、漢字の書き取り問題に間違いが目立ちました。全問答えたからとボケッとしている学生が現れ始めた頃、我慢しきれなくなり、「自分が書いた漢字をカタカナの代わりに文の中に入れて、文全体の意味が通じますか。まだ時間がありますから、本当にその漢字でいいか、もう一度確かめてください」とクラス全体に注意してしまいました。

制限時間が来て、答案を集め、採点してみると、「社会の急速なハンエイ」が「反映」になっていたり、「こどもがカンシンをもつ」が「感心」だったりという誤答がちょこちょこ出てきました。「繁栄」は字が難しいから思い浮かばなかったのでしょうか。「カンシン」という字を見たら条件反射的に「感心」と書いてしまうのでしょうか。

漢字の授業の中で行うテストなら、出題範囲が限られていますから、漢字に置き換える部分だけしか見ていなくても点が取れることもあります。でも、いやしくも大学の入学試験ですよ。出題範囲は狭く見積もっても常用漢字全体ですよ。問われる漢字には“無限の可能性”があるんですよ。なのに「ハンエイ」を自動的に「反映」に変換して何とも感じないのはどうかしています。「繁栄」という単語を知らないのならいざしらず、このクラスの学生は絶対にそんなことはありません。なのに何の迷いもなく「反映」と書いて平然としているのはどうかしています。

そういう困った人たちの中にも、ごく近い将来、本物の大学入試で漢字の問題に取り組む学生がいます。そういう時期に至っても、まだこんな答案を書いているやからがいるということは、担当した私の力不足なのでしょう。

変わりました

9月27日(火)

今日のクラスは、私にとって今日が今学期最後の授業です。1週間前と比べても進歩は感じられませんが、最初の授業のころを思い浮かべると、塵も積もれば山となるで、力の伸びを感じます。

例えば、音読は自然に近いアクセント・イントネーションでできるようになりました。7月あたりは、学生たちに読ませると、根本的なところから直さなければなりませんでした。しかし、今日は重箱の隅をつつくような修正で済みました。また、そういう私の指摘で、自分たちの発音のどこがいけないのかすぐに気づくようになり、そして自分で正しい方向に歩み出せるようになりました。

文法でも、「これは硬い表現ですか」なんていう、勘が働くようになりました。例文はまだまだのところもありますが、中にはクラスの様子を習った文型に上手に取り入れて、思わずニヤッとしてしまう例文も出てきます。学生たちの頭が日本語で回転し始めてきたようです。

今学期の新入生は、良くも悪くも、学校に慣れたようです。最初は気弱そうだったHさんは、いつの間にか堂々と発言しているのと同時に、これまた堂々と9時15分過ぎぐらいに入室するようになり、さすがに教室の隅っこでですが、居眠りするようにもなりました。Cさんは、入学学期の上では大先輩のAさんと授業中におしゃべりしています。Jさんは、今日案内したビジネス日本語能力試験に興味を示しています。本当に受けるかどうかはわかりませんが、学校の予復習以外にそういう勉強をする余裕が生まれたのだとしたら、喜ばしいことです。

次の学期も、教師が学期初めをしみじみ思うくらい力をつけてもらいたいです。でも、新入生には慣れすぎないでもらいたいですね。

祝全勝優勝?

9月26日(月)

昨日千秋楽だった秋場所は、大関豪栄道が全勝優勝を飾りました。初場所の琴奨菊優勝の時は日本人力士として10年ぶりというのが話題となりましたが、豪栄道はカド番大関の全勝優勝は史上初ということです。

大関の全勝優勝ということで、相撲協会も含めて、世の中は来場所は綱取りだと騒いでいます。でも、ちょっと待ってください。そもそも、豪栄道は2年前に甘い審査で大関に上がり、その後、大関としてはぱっとしない成績が続いていました。今場所でカド番は4回目、いずれも15日間皆勤した末で負け越したという不成績によるものでした。ですから、2年前にもし大関に上がっていなかったら、今場所は小結で全勝優勝だったのです。来場所関脇になり、さあ大関取りっていう状況です。豪栄道の実力も、そんなものではないでしょうか。

そもそも、横綱の基準とは何かというと、「力量品格ともに抜群の者」であり、世間で言われている「2場所連続優勝」などというものは、どこにも述べられていません。品格はともかくとして、「力量抜群」の一例として、「2場所連続優勝」があるに過ぎないのです。“力量抜群なら2場所連続優勝ぐらいできる”とは言えますが、“2場所連続優勝すれば力量抜群だ”とは言いかねることは、明らかです。ことに豪栄道の場合、来場所優勝しても、それでやっと大関昇進に過ぎず、一歩譲ってもようやく名実ともに大関になっただけであり、横綱に昇進できるかどうかは、そのまた先のことです。

でも、来場所豪栄道が優勝したら、相撲協会も世論も、きっと豪栄道を横綱に昇進させるんでしょうね。そして、横綱豪栄道は横綱として十分な成績が残せず、精神的に辛い目に遭わされるような気がします。それで引退が早まったら、一番かわいそうなのは豪栄道です。数字による基準は、一見明快なようでも、こんな悲劇を生みかねません。豪栄道が来場所もその次の場所もそのまた次の場所も、全勝とは言わないまでもそれに近い成績を収めたら、私は諸手を挙げて豪栄道の横綱昇進に賛成します。

今週木曜日は期末テストです。教師はテストで点が取れた学生を進級させてしまいますが、本当はテストで測りきれない力も見た上で進級の可否を決めるべきなのです。点数だけで上げた学生が、上のレベルで苦しむ姿をいやというほど見ています。でも、学生を説得しきれずに、説得するのが面倒くさくて、上げてしまうんですよね…。

よく降りますね

9月24日(土)

朝か曇り空でしたが、いつの間にか雨が降っていました。東京は、今月に入ってから雨が全く降らなかった日がわずかに2日だけです。春の終わりごろは夏の水不足に備えてダムの取水制限を始めましたが、それもいつの間にか終わっていました。関東近辺だけではなく、四国の早明浦ダムも取水制限を中止したとかで、全国的によく雨が降っています。今年はすでに6個の台風が上陸し、水はたっぷり補給されたようです。

おそらく、このまま来年の春まではどうにかなるのでしょう。しかし、昨冬は全国的な少雪で、雪解け水が例年よりぐっと少なく、それが取水制限の原因でした。今度の冬はどうなのでしょう。今朝の新聞に、このまま温暖化が進めば今世紀末には日本は北陸や北海道の山沿いを除けば、今よりはるかに雪が少なくなると報じられていました。その代わり、夏を中心に、集中豪雨、ゲリラ豪雨が増えるとも言われています。となると、昨年末から今年にかけての気象の特徴がさらに激しく現れるようになるのでしょう。

そのとき、日本の水資源はどうなっているか、ちょっと心配です。降水量はたくさんあるけど、いつも水不足という状態だとしたら、蒸し暑いばかりでシャワーも満足に浴びられない国になっているのでしょうか。それはかなり不幸なお話です。人口が減り、水の需要も減っているかもしれませんが、人口減は、同時に、山や水を管理する人手が不足していることをも意味しているかもしれません。

今の日本は、少なくとも東日本と北日本は、雪という形で冬の間に水資源を山に蓄え、夏の水需要に対処しています。どうやら、この必勝パターンが今世紀末には崩れてしまいそうです。少子化対策もそうですが、国を支える水をいかに確保するかも、今から考えておかなければならないんじゃないでしょうか。

ニュースの聴解

9月23日(金)

選択授業の聴解の期末テストがありました。私が担当しているのはニュースの聴解です。授業の前半は今までの授業で取り上げた教材から作った問題でテストをしました。こちらは日本語学習者のために作られている教材ですから、言ってみれば、それなりに手加減されています。学生たちにとっては、聞いたことがある内容で、しかも問題も難しくしていませんから、悪い点を取ってもらっては困ります。

テストが終わったら、そういう教材を使って身に付けてきたニュースの聞き方を、本物のニュースで試してもらいました。NHKのニュースを、テレビの画面を消して聞いて、どのくらい内容がつかめるか、学生に実体験してもらいました。

まず、Y社の顧客情報がハッキングされたニュース。聞き覚えのある単語が多く、その単語を元に想像しやすい内容だったこともあり、思ったより聞き取れていました。画面を見せて聞かせると、画面に出てきた文字も読めますから、「ああ、やっぱりね」という顔をしていた学生が多かったです。

次はぐっと難度が上がって、EUの元高級官僚が租税回避地に設立された会社の役員になっていたというニュース。こちらは大苦戦で、お手上げという顔の学生も。背景を説明すると、そういう方面の勉強をしていたり関心を持っていたりする学生が、ようやく線がつながったという顔をしました。

その次は、オリンピックでも活躍したF選手の婚約のニュース。これは内容を知っている学生も多く、自分が知っている事柄を日本語のニュースではどう表現されるか確かめている感じもありました。画面を見せたら、ニュースの内容とは関係のない方面に興味を示す学生も。

さらに、K鉄道の車掌が、人身事故で運転見合わせ中に、突然駅の高架から飛び降りたニュース。大阪で起きた事件で、学生たちは内容を全然知りませんでしたが、音声だけで事件の概略はつかめたようです。画面を見せて補足説明すると、事件の異様さに驚いたようです。

実際に本物のニュースを聞いてみて、今までの訓練で、半分か3分の2ぐらいかは把握できるという自信を持ってもらえたでしょうか。これをきっかけに、進んでニュースを見聞きして、日本語で日本や世界を理解するようになってほしいところです。

実感

9月21日(水)

今学期、毎週水曜日は選択授業の「大学入試対策」を担当しました。いろいろな大学の独自試験の過去問を解かせて、その解説をするという内容です。来週は選択授業の期末テストですから、今日が実質的な最終回です。某上位校の過去問を取り上げましたが、こちらが設定した制限時間内に余裕で終わっている学生がほとんどでした。7月の初回は、これより易しい問題でも制限時間内では終わらなかったのですから、着実に力をつけてきたと言えるでしょう。

でも、中級や上級の学生たちが自分自身で「力が付いた」と実感するのは難しいです。初級なら、昨日までできなかったことが今日はできるようになったという経験がいくらでもできます。ところが中級以上になると、長い目で見ないと実力が伸びたことがわからないものです。そうなると、倦怠期みたいな感じになって、やる気を失う学生もよく現れます。そして、自分の目標も見失ってしまうこともしばしばです。

EJUの点数が上がったとか、JLPTで1つ上のレベルに受かったとか、数字のように目で見える形で成果が現れると勉強した甲斐があったと思えるでしょう。しかし、どちらのテストも半年に1回ですから、そこ至るまでにどうにかして実力の伸びを実感させたいものです。ですから、教師はあれこれ手を使って、学生にその実感を持たせようとします。

今日の私も、初回に比べたら問題を解くスピードが上がった分だけ実力がついたと思うと、すぐにフィードバックしました。すると、学生たちの顔がさっと輝きました。でも、同時に、「これで正解数が多ければね」と釘を刺すのも忘れませんでした。

命綱

9月20日(火)

次から次へと仕事が入ってしまい、もうすぐ夜の8時だというのに朝食以降飲まず食わずです。でも、空腹感はありません。そういう感覚を超越してしまったのです。

ただ、最近、あまりおなかが空かなくなったような気がします。だから、お昼抜きでもお菓子か何かをちょっとつまめば夜までもってしまいます。夏休みも、あれやこれやと見学・見物に忙しくて、昼食は満足に取れなかった日が多かったのですが、別に何ともありませんでした。

年を取って新陳代謝が衰えたせいなのでしょうか。便利な体になったといえば、実にその通りです。授業の合間にパンやらおにぎりやらをぱくついている学生を見ていると、よく入るなあと感心してしまいます。ラウンジの自動販売機に並ぶ学生の列を見ては、そうまでして食べたいかなあと思ってしまいます。

ついこの前までは、お昼を抜くと2時から3時ごろにものすごい空腹感に襲われたものです。近頃はその空腹感がなくなり、むしろ、ご飯を食べると強力な睡魔に襲われるのです。コーヒーでごまかしていますが、病気かなあと心配になることもあります。でも、健康診断のときに相談しても何も言われませんでしたから、単なる怠け癖に過ぎないのかもしれません。

そして、今すぐ家へ帰っても9時過ぎ。そうなると、夕食をとるのも面倒くさくなり、汗を流して、果物(最近は青いみかん)を食べて、メールをチェックして、寝てしまいます。となると、1日1食。それでもどうにか体がもっているのは、朝、ガッツリ野菜を食べているからです。言ってみれば、野菜が命綱なのです。

のんびりしてると台風が迫ってきそうなので、手付かずの仕事はそっくりそのまま明日に持ち越しです。あーあ、明日の準備もまだ全然済んでいないというのに…。

光電効果

9月17日(土)

私が大学受験のころというと、もう40年近くも前のことです。そのころと比べると、各教科の勉強内容は変わっています。世界史や日本史、政治経済は、その後の約40年分がそっくりそのまま加わっています。地理は、東欧を始め、国境線が変わったところがあり、また、産業の新陳代謝により、工業地域にも変化が見られるなど、各国の産業構造も私の頃とは違ってきています。

理科は、40年前も今も、F=maであり、塩化ナトリウムはNaClです。この間、科学技術は大きく発展したものの、高校で習うような基本ラインは、物理や化学は社会科に比べたら変化が少ないのではないでしょうか。理科の中でも生物はずいぶん変わりました。私が大学に入った頃からバイオテクノロジーの進展が著しく、私が大学院や就職してから最新分野として勉強したことが、今は普通に教科書に載っています。

受験講座の理科を担当するに当たり、生物は新たに知識を堆積していく必要に迫られました。それだけに、驚きの連続でした。教科書のページをめくるたびに「へー」と感嘆していました。一方、物理や化学は新たに学び直すと言うよりはカンを取り戻すといった感じで頭を鍛えました。受験生のころ解いた問題のパターンがだんだん呼び起こされ、昔取った杵柄という言葉を実感したものです。

では、物理・化学には全然新しい部分がないのかというと、もちろんそんなことはありません。ことに、昨年から大学入試に適用され始めた新しい学習指導要領に基づく大学入試には、私の頃には取り扱わなかった内容が含まれるようになってきました。

例えば物理の量子力学です。量子力学そのものは私の頃にもあり、もしかすると教科書にも載っていたかもしれませんが、詳しく勉強した記憶がありません。ですから、今、暇を見てはそちらの勉強をしています。受験講座を取っている学生たちも、みんなこの方面が弱いときていますから、なおのこと教える立場の者がしっかりしなければなりません。

今週は予定外の仕事がぼこぼこ入って、やろうと思っていたことがあまり進んでいませんでした。授業のない土曜日にようやく追いついたと思ったら、物理の宿題で出しておいた光電効果の問題がわからないという学生が続出し、彼らがわかるような説明を考えなければならなくなりました。6月のEJUの問題も未着手なのに…。