Monthly Archives: 8月 2016

恋心

8月31日(水)

Wさんが志望理由書を持って来ました。そこには経済学部を志望する理由が縷々書き連ねてありましたが、肝心のT大学を志望する理由が見当たりませんでした。正直に言って、経済学部のように多くの大学にある学部を目指すとなると、その大学でないといけない理由はなかなか見つけられません。Wさんも、経済学を学ぶ理由は自然に湧いてきたものの、経済学を学ぶ場としてT大学を選んだ理由には、そんなに思い入れが感じられなかったのかもしれません。

本音ベースでは、背伸びすれば手が届きそうというのが最大の志望理由なのでしょう。でも、それは言わぬが花で、受験生も口に出したり文字にしたりしてはいけないし、大学側もうすうす気付いていたとしてもあえて触れることはしません。とすると、志望理由とは何でしょう。

それは、どこまでその大学にほれ込んだかを表しているのではないかと思います。志願者は、受かったら4年間その大学で暮らすことになります。20歳になるかならないかの若者にとっての4年間は、我々年寄りの4年間よりもはるかに重い意味を持っています。住めば都という面があるにせよ、その生活の場を愛することができなければ、耐えられないでしょう。それゆえ、その大学を隅から隅まで調べ上げて、そこでの勉学に夢を抱き、希望を携え、キャンパスライフを充実させようと自分を盛り上げることが必要なのです。その期待を表明するのが、志望理由書ではないかと思います。誰の目に触れても恥ずかしくないほどの恋心が抱けなかったら、その大学には進むべきではないでしょう。

Wさんは、まだそこまで思いが発酵していないようです。出願締め切りまでまだ間がありますから、これからT大学に熱を上げてもらいましょう。

家族的教室

8月30日(火)

家族的な雰囲気といえば聞こえはいいものの、教室に入って教卓側2列に学生がいないとなると、教師としては大いに調子が狂います。私のクラスだけではなく、他の先生方も欠席者が多いと嘆いていました。

さすがにまだ夏休みだと思っている学生はいないでしょうが、夏休みから脱却できない学生はいるようです。生活のペースは、一度崩すと元に戻すのはかなりの難事業になります。

大学進学には日本語学校の出席書類は不要だからとのたまう学生が毎年出てきますが、今年もそう考えて気安く休んでいるやからがいます。確かに、日本語学校の書類がなくても出願・受験できる大学は多いです。しかし、そこに受かって、進学後にビザを更新する時には日本語学校の書類が求められます。その期に及んで青くなっても、後悔先に立たずです。

台風のせいもあるかもしれません。関東地方は厳重な警戒が必要と報じられていましたから、勝手に休校と決め込んでしまった学生もいました。欠席者に電話をかけたら、まじめにそう答えた学生がいたそうです。

学生たちの母国に比べ、日本は自然災害が多い国だと言えます。地震も台風も襲ってきます。北日本は世界的な豪雪地帯です。台風が来そうだからと休んでしまった学生には、そういう国に留学しているんだという自覚が足りないのではないかと思います。こういうときこそ、日本人はどうやって災害を防ごうとしているか、どのように自然条件と折り合いをつけようとしているかを観察するいい機会なのに、家に閉じこもってニュースを見てるだけじゃ、他人事で終わってしまいます。

家族的な雰囲気の中、濃密な授業をしました。休んだ学生が残念がるような授業を心がけました。

ちょっとマニアック

8月29日(月)

県庁所在地クラスの都市ともなると、どこもしっかりした歴史を持ち、それを裏打ちする史跡があるものです。その地の人々は自分たちの歴史に誇りを感じ、それを後世に伝えていこうという姿勢が感じられます。その中において、長崎は異質な歴史が重層している稀有な街です。金沢は、長崎と同規模の街で、深い歴史もあり、それに根ざした文化もあり、日本人はもちろんのこと、外国人をも魅了してやみません。しかし、それらの大半は「加賀百万石」という大きな括りの中に入れられます。それに対して、長崎には、中国の香り、オランダの色、キリスト教の風、幕末の足音、そして被爆都市としての涙、ざっとこれくらいの歴史が複雑に絡み合って層を成しています。それゆえ、街を歩いていて史跡の案内板を読んでいると、自分が今どこの国の歴史と向き合っているのかわからなくなるという、心地よい錯乱に陥ります。

夏休みは、その長崎を振り出しに、日田、臼杵、高千穂、人吉、大宰府と回って、福岡から東京に戻ってきました。…とあっさり書きましたが、この文章をお読みの方で上記5つの土地をすべて歩いた方はゼロに近いでしょうし、九州の地図の上でその場所を正確に指し示せる方も少ないでしょう。臼杵にいたっては、これを「うすき」と読める方すら珍しいかもしれません。

それはともかく、東日本は台風やらその後の大雨やらで大騒ぎだったようですが、九州はいいお天気が続き、傘を使ったのは高千穂で夕立に見舞われたときだけでした。おかげで、腕の外側だけがこんがり焼けました。

長崎では被爆都市としての一面を見学し、出島でオランダの匂いをかぎました。地学ファンとしては稲佐山を見落とすわけにはいかず、頂上から長崎の地形をたっぷり味わってきました。

日田は幕府天領の町で、豆田町がその面影を残していました。暑さも有名ですが、私が歩いた日は最高気温が35.6度で、日田としては涼しい1日だったようです。

臼杵は石仏を見てきました。臼杵の石仏も心惹かれる表情でしたが、友好都市となっている敦煌の莫高窟には規模も歴史も遠く及びません。

高千穂は神々の里ですが、現代においては橋の町です。そもそも高千穂の神話が、川べりのがけの岩屋にアマテラスが隠れたところから始まるのです。深い谷をまたぐ幾本もの橋が町と町をつなぎ、神々の里に現代文明と観光客をもたらしました。天岩戸もしっかり見てきました。

人吉は平安末期から続く相良氏の街で、立派な歴史博物館と国宝を有する青井阿蘇神社を見学し、そして温泉を楽しんできました。

大宰府は天満宮へは行ったことがありますから、その隣の九州国立博物館を見てきました。展示物は興味深かったですが、学芸員と思われる人に質問しても満足のいく答えが返ってこなかったのが残念でした。そのかわり、大宰府政庁跡にあった無料の大宰府展示館のボランティア解説員が大宰府の歴史を詳しく教えてくれました。そこで教えてもらった水城(みずき)が帰りの電車から見えて、感激しました。

さて、期末テストまでちょうど1か月。学生に気合を入れつつ、私も頑張らなければ…。

2年後、5年後

8月19日(金)

Yさんは、来春、理系の大学院進学を予定しています。志望校の志望する研究室の先生ともだいたい話がついています。非常に好意的な扱いを受けているとのことです。

大学院進学の道筋は何とか付けられましたが、Yさんが心配しているのは、大学院で学位を取った後です。Yさんは研究職に就きたいと考えていますが、ビザの問題があり、大学院出たての外国人が日本国内で研究職を得るのはかなり厳しいとも聞かされています。

日本の民間企業は、博士よりも修士を採りたがりますから、博士課程に進学しないで就職するというのも1つの手です。しかし、Yさんのやりたい研究分野はあまりつぶしが利かないので、民間企業に就職するというのも、決して容易なことではなさそうです。たとえ就職できたとしても、そこでYさんのやりたい研究ができる可能性は非常に小さいです。

研究職を得るには博士を取らねばなりませんが、博士号は研究職のパスポートにはなりません。就職するなら修士のほうが有利ですが、就職先で自分の研究が生かせるかというと絶望的です。Yさんは国へ帰るよりも日本で暮らしていたいのですが、日本の社会のシステムは、Yさんにやさしくありません。

Yさんは、国籍を変えるつもりはありませんが、ずっと日本で働きたい、暮らしたいと思っています。入管の高度人材ポイント制が始まって数年になりますが、恩恵を受けている人はどのくらいいるのでしょうか。Yさんが就職する頃にはこの制度が大きく育っていることを願ってやみません。

明日からの夏休みに何をするかときいたら、うちで英語の勉強をするとのことです。大学院入試対策ではなく、最悪日本で就職できなかったら、アメリカへ渡るかもしれないからとのことでした。

自動翻訳装置

8月18日(木)

昨日に引き続き、指定校推薦の希望者の面接をしました。成績優秀で志操堅固な、学校として胸を張って推薦できる学生もいた反面、推薦したら学校の見識を疑われそうな学生もいました。

Cさんは残念ながら後者の学生でした。人間性がどうのこうのというのではありません。とにかく話せないのです。ちょうど1年前、初級で受け持ったのですが、上級となった今も、話す力はまったく変わっていませんでした。もちろん、聞く力は向上しています。ほとんど手加減をしなかった私の質問を理解していましたから。ただ、その答え方がひどかったのです。

私はCさんを受け持ったこともあり、Cさんの話し方の特徴もよみがえってきましたから、自動翻訳装置が働き、Cさんが言いたいことは見当がつきました。しかし、受験する大学の面接官は自動翻訳装置を持っていませんから、まず間違いなく、Cさんの言いたいことは伝わらないでしょう。そうなったら、「どうしてKCPはこんな日本語の通じない学生を推薦したのだろう」ということになってしまいます。

でも、Cさんは、私が受け持った1年前から先学期まで、試験にパスして進級し続けてきました。EJUでもCさんの志望校が定めた基準点をクリアしています。しかし、話すと単文を連ねるのがやっとで、時に活用を間違えたり単語が思うように出てこなかったりしてしまうのです。

Cさんと同時期に同様に進級してきた学生の中にも、非常に流暢に話す学生もいます。ですから、カリキュラムそのものが悪いわけではないと思います。また、曲がりなりにもきちんと進級し、EJUでもしかるべき成績を挙げていますから、Cさんは努力しなかったわけでもありません。ただその努力の方向が、読み書き方面に偏っていたのではないでしょうか。

KCPは初級から話すことにかなり力を入れているつもりです。進学した卒業生は、よく、他の日本語学校出身者より自分は話す力が高いと自慢げに話します。だからそれなり以上に効果は出ていると思います。それでもCさんのような例が現れるところに、四技能をバランスよく伸ばしていく難しさを痛感させられます。

光明

8月17日(水)

Eさんは今日も学校へ来ませんでした。ずいぶん欠席が続いています。10月に専門学校に入学することが決まっていますが、9月いっぱいはKCPの学生ですから、出席する義務があります。しかし、もう登校する気はないようです。このままでは次のビザ更新ができなくなるおそれがあるのですが、そういうことをいくら話しても、高をくくっているのか、態度を改めようとしません。

KCPが嫌いで登校拒否状態だというのであれば、10月に進学したら状況がよくなるかもしれません。しかし、私が見る限り、Eさんは勉強そのものが嫌いなようで、進学したからといってまじめに学校に通うようになるとは思えません。最初の1か月くらいはもつかもしれませんが、お正月休みが終わったら崩れてしまうんじゃないかという気がしてなりません。

私はEさんのご両親や家庭環境を詳しく知っているわけではありませんが、わがままに育てられたんじゃないでしょうか。いやなことは避けて通ってきたか、誰かが取り除いてくれたかだったのではないかと思います。KCP入学後も、テストや宿題などから逃げ回ってきたふしが見られます。専門学校はそんなに甘くはありませんから、これまでと同じことは続けられません。よほどの覚悟を持たない限り、卒業までたどり着かないでしょう。

勉強が嫌いなだけなら、まだ救いようはあります。でも、Eさんが努力をいとう人間になってしまっていたら、将来に光明を見出すことは非常に難しいです。Eさんがそういう人だとは思いたくありませんが、それを打ち消す状況証拠がなかなか見出せないこともまた事実です。

指定校推薦の希望者・Cさんの面接をしました。Cさんは将来の目標を明確に持ち、それに向かって努力できる人だということがよくわかりました。Cさんの話を聞いているうちに、私もCさんの夢に釣り込まれて、自分の将来が限りなく広がっていくような錯覚を抱いてしまいました。面接を終えてから、とても清々しい気分になりました。

今年も始まりました

8月16日(火)

Gさんは入試の面接が迫っています。授業後、始めて面接練習をしました。私にとっても、今シーズン初の面接練習です。残念ながら、「初」を飾る面接にはなりませんでした。

まず、答えがどれも長ったらしい点です。しゃべればしゃべるほど焦点がぼやけていきました。どこに結論があるのかさっぱりつかめず、熱弁のわりには聞き手に与えるインパクトが弱い答えでした。あれもこれも言わなきゃと思って盛りだくさんにしていくうちに、自分でも何に対して答えているのかわからなくなってしまったんじゃないかと思います。

次に、何とかつかんだ発言内容に具体性が乏しい点です。志望理由も学習計画も将来設計も、すべてがGさん自身の中で熟し切れていませんでした。何かについて突っ込むと、慌てふためいて墓穴掘りに励むという最悪のパターンに陥っていました。こちらがこれ以上追究しても得るものがないだろうというあきらめの境地に至って、Gさんはようやく窮地を脱するのでした。

とどめは発音の悪さです。一生懸命話していることはわかりますが、日本語教師の私が聞いても聞き取りにくいのですから、外国人留学生の話に耳が慣れていない大学の先生方がお聞きになったら、チンプンカンプンかもしれません。このままでは、Gさんの情熱は空回りになりかねません。

こういう点を指摘すると、特に内容については、どう答えればいいかということを盛んに聞いてきました。答える内容があって、それを上手に伝える方法なら教えてあげられますが、答えそのものは自分で考えるべきものです。これができなかったら、大学に進学しちゃいけませんよ。

「初」はいつの年でもこんなレベルでしょう。ここを起点に教授と議論ができるぐらいのレベルにまで鍛え上げていくのが、毎年の私たちの仕事です。明日の上級クラスでは、早速面接の基本について説いていかなければなりません。

頭を垂れる

8月15日(月)

中間テストがありました。終戦記念日とあって、午前中、靖国通りを走る街宣車からの軍歌がわずかに聞こえましたが、中間テストの妨げになるほどではありませんでした。真剣に問題に取り組んでいた学生たちの耳には、届いていなかったかもしれません。

今、船戸与一の「満州国演義」という長編小説を読んでおり、もうすぐ読み終わります。600ページ余りの文庫本全9冊という、船戸与一渾身の遺作です。「砂のクロニクル」を始めとする船戸与一の作品が好きだったので、小説の内容を確かめることもなく読み始めました。登場人物が多く、話の流れが複雑ですが、ぐんぐんストーリーに引き込まれました。

タイトルから想像できるように、大陸における日本軍のありさまが中心となっています。小説ですから書かれていることすべてを事実だとしてはいけないでしょうが、軍の上層部に人がいなかったことが随所に描かれています。最も取ってはいけない手を取り続けた結果が、昭和20年8月15日だったように思えてきました。

無数の兵士が、この上層部の犠牲になりました。「生きて虜囚の辱めを受けず」と兵士にひたすら死を強要し、特攻という、尊い命と、当時の日本において希少資源となっていた金属を使い捨てにする戦術を“発明”したこの人たちは、いったいどういう神経をしていたのかと考えさせられました。

靖国神社は、こういう死を強要した側と生への道を絶たれた側とが一緒に祭られています。私は前者の霊が祭られているという点において、靖国神社で素直に頭を垂れる気になれません。ですから、8月15日は心の中だけで祈りをささげます。

先延ばしの原因

8月13日(土)

月曜日の中間テストの問題作りにいそしみました。でも、昨日までに済ませている先生方も多く、私はちょっとで遅れ気味でした。私が作らなければならなかったのは1科目だけでしたから、そんなに時間を要することなく無事に終わりました。

じゃあ、どうしてそういう作業をぎりぎりまでしなかったのでしょうか。やらなきゃいけないとわかっていつつ先延ばしし続けてきた結果だとも言えますが、今学期は理科の受験講座で答案の添削をしているからという面も見逃せません。EJUよりだいぶ難しい問題を題しているため、解き方を聞きに来たり、とりあえずたどり着いた答えを確かめに来たりする学生が多いのです。また、添削そのものも、各学生に合わせたオーダーメードみたいなところがありますから、何かと手間ひまがかかります。そんなわけで、他の仕事に取り掛かるタイミングが遅くなってしまっているのです。

私は共通一次初年度生で、マークシート時代の初期の頃に受験期を迎えました。マークシートに浸った身として、やっぱり本当に力が付くのは記述式の問題だなと思うのです。マークシートの問題も工夫されてきてはいますが、理数系は、式を立てたり論理を展開したりという力が不可欠であり、それが養えるのは選択式の問題ではありません。

そうはいっても、添削はしんどいです。初回、学生のたくさん問題をやらせようと張り切りすぎたら、返ってきた答案の処理でとんでもないことになってしまいました。それからは反省して、今は「適正規模」にしています。

月曜日は中間テストですが、学生たちには新たな宿題を渡さなければなりません。再来週は夏休みですから、夏休みの宿題を兼ねたものにしましょうか…。

単語が多くて

8月12日(金)

今週は、アメリカの大学のプログラムでKCPに留学している学生のインタビューをしています。学生たちは異口同音に語彙力不足を嘆きます。国ではまあまあ日本語に自信を持っていたのですが、KCPの授業では、単語がわからなくて読み取れなかったり聞き取れなかったり話せなかったりすることが多いのです。

漢字は国でも勉強していますが、たいてい、その漢字を使った熟語までは話を広げていません。しかし、KCPでは日本で進学しようと考えている学生たちと同じクラスで勉強しますから、大学や大学院の入試に出てきそうな言葉も取り上げます。読解や文法でも、ディクテーションでも、次々に新しい言葉が登場します。私がインタビューした学生たちは、そういう言葉の蓄積がまだまだなので、語彙力不足を痛感しているわけなのです。

日本語は語彙が多い言語だといわれます。フランス語は500語覚えれば新聞のかなりの部分が読めるのだそうですが、日本語では「たった」500語に過ぎません。「取り消す」「解約する」「キャンセルする」、どれにも共通する部分もありますが、指し示す意味範囲がちょっとずつ違うこともまた事実です。「こうこう」と読む漢語は、高校、航行、孝行、口腔、後攻など、いっぱいあり、文脈に応じてその中から最適なものを選ばなければなりません。こういうことに直面し戸惑っているのが、今の彼らなのです。

彼らはナチュラルスピードが聞き取れ、ナチュラルスピードで返すこともできます。でも、こちらが語彙のレベルをちょっと上げると、聞き取れなくなったり、聞き取れてもその語彙レベルより一段か二段下の語彙でしか返せなくなったりします。理解語彙、使用語彙ともに大いに拡張していくことが、これからの彼らの課題です。

学生たちの中には、天狗の鼻がへし折られて落ち込んでいる者もいます。新たな目標が明らかになったのですから、それを目指してはい上がってきてもらいたいです。