Monthly Archives: 7月 2016

根くらべ

7月19日(火)

今週から受験講座が始まりました。今までは毎学期学生に時間割や教室を通知するのに苦労していたのですが、今学期は新システムの時間割通知メール機能のおかげで、大きなトラブルもなく通知が済みました。先学期も同じ機能を使ったのですが、使う側もメールを受け取る学生の側も準備が不十分で、その機能を遺憾なく発揮するところには至りませんでした。

1学期間新システムを使ってみて、学生側に、学校からの連絡は学校からもらったメールアドレスに届くんだという意識が定着しました。そのメールを見ないと不利な扱いを受けることもある、見ると有用な情報が得られるから毎日必ずチェックしようという方向に動きました。それゆえ、今回もしかるべき時刻にしかるべき教室にしかるべき学生が集まりました。

しかし、スタートがよくても竜頭蛇尾ではいけません。最後まで続けさせることが大切です。そのためには、受講する学生の力に合わせた授業をすることも大切ですが、それだけでは学生の力は伸びません。難しいことを承知で、背伸びもさせなければいけません。

また、時には、引導を渡すこともしなければなりません。好きこそ物の上手なれと言いますが、受験に関しては好きなだけでは済みません。もう大人なのですから、単なる憧れで将来像を描くことは許されません。自分の能力と冷静に向き合って将来を決めることが求められます。受験講座の教師は、こういう役目も負うことがあるのです。

さて、今学期の学生はどこまでついてきてくれるでしょうか。彼らとも力くらべ、根くらべが始まります。

光栄

7月15日(金)

各クラスともスピーチコンテストのクラス内予選が終わり、クラス代表が決定し、クラス全員に伝えられました。私のクラスはXさんです。予選の段階でみんながXさんだろうなと思っていたらしく、「クラスの代表は…」と言いかけた時点で、Xさんに向かって拍手が起きました。私に名前を呼び上げられたXさんは、ちょっとはにかむように下を向きながらも、光栄そうな表情をしていました。

クラス代表となった学生は、だいたいXさんと同じような反応を示します。何だかんだと言いながらも、やっぱり誇らしい気持ちは隠せません。クラス代表になるくらいの学生は選ばれる喜びを知っており、みんなの期待に応えることで自分自身を伸ばしていけるタイプの人たちなのです。

クラス代表になった学生は、これからスピーチコンテスト本番までの間、発表のしかたをがっちり訓練されます。授業が終わってから、毎日のようにスピーチの練習をします。原稿を全部覚え、規定の時間内に発表できるように、そして、聞き手の印象に残るような話し方やパフォーマンスも身に付けていきます。

それ以外の学生は、応援に命をかけます。1人の代表をクラスみんなで盛り上げるにはどうすればいいか、全員で知恵を絞ります。音楽や映像プロデュースなどを勉強してきたまたは勉強しようと思っている学生たちは、この応援が自分の作品だともいえます。本番のステージ上で恥ずかしがらずに堂々と演技ができるようになるまで、これまた日々練習を重ねていきます。

これからスピーチコンテストまでの半月ほどの間、学校中に普段とは違った努力があふれます。

不安です

7月14日(木)

初級クラスでスピーチコンテストの原稿を書かせました。上級に比べ使える語彙が少ないからなのか、似たような文章が多かったです。やはり、自分の身の回りのことが中心になり、「日本の生活は大変ですがおもしろいです」とか、「頑張って日本語を勉強します」とかという結論が続出でした。せいぜい、自国と日本の文化を比べてあれが違いとかここが違うとかいう程度です。

学生たちは一番若くても18歳ぐらいですから、もっともっと深い思索があってしかるべきです。しかし、学び始めたばかりの外国語である日本語でその深さを読み手に感じさせることは不可能です。だから、自分の手が届く範囲で妥協しようというのでしょう。

それはやむをえないことではありますが、クラスのすべての学生に妥協されちゃったら、教師としては立つ瀬がありません。2人ぐらいは無理を承知で分不相応の難しいテーマに取り組んでもらいたい気持ちもあります。みんながみんな、書ける範囲でとなってしまうと、チェックは楽でいいのですが、拍子抜けの感は免れません。

書ける範囲といっても、学生にしたら精一杯背伸びしているのかもしれません。現に、Cさんなどは途中まで書いた文章を何度も私に見せて、これで合っているかと聞いてきました。習ってはいるけれども、自分の考えを表す文章で使うのは、おそらく、初めてだったのでしょうから、不安でたまらなかったのだと思います。

私のクラスに限らず、どこも同じような話だったみたいです。スピーチコンテスト本番までの間に、スピーカーをどこまで鍛え上げるかが、勝負の分かれ目です。

何のために進学?

7月13日(水)

Yさんは私立のG大学と国立のM大学を志望校として挙げています。どちらの大学も、就職しやすいと言われている商学部とか経済学部とかではない学部を狙っています。卒業したら日本で就職しようと思っていますが、就職を優先して学部を選ぶのはいやだという気持ちも強いのです。

Yさんが考えている学部は、学問的にはおもしろいと思います。そういう学部で自分の興味の赴くままに勉強し、充実したキャンパスライフを送りたいというのが、Yさんの近未来の構想です。「大学に残るつもりがなかったら、そんな学問より就職後に役に立つ勉強のほうが、結局Yさん自身のためになるよ」ってアドバイスも可能です。でも、Yさんにはそんなアドバイスはしたくなくなりました。

Yさんは、就職のためではなく、学問を通して自分の青春を楽しむために大学に進学しようと考えているのです。それだったら、本気で大学生活を味わい尽くせば、それが就職のときのアピールポイントになるのではないでしょうか。普通の留学生とは一味も二味も違う留学生活を通して得たものを企業の面接官の前に示せれば、きっと面接官の心を動かせるはずです。また、何ごとにも前向きなYさんなら、口先だけではなく、本当にそういう4年間を送ることでしょう。そう考えると、そう考えると、Yさんの計画がなおさら輝いてきました。

確かにG大学やM大学は簡単に入れる大学ではありませんが、入試面接でこういう考えを強く訴えれば、十分に勝ち目があります。Yさんの背中を強く押しました。

紫雲

7月12日(火)

昨日超級クラスの学生に書かせたスピーチコンテストの原稿を読みました。初級だったら日々の暮らしや自分の出身地の紹介で立派なスピーチと言えなくもありません。しかし、超級なら社会的な事象に対する自分の意見や、独自の視点から物事に切り込む姿勢が必要です。「日本人は親切です」でもいいですが、その結論に至るまでの過程において、ステレオタイプではない新鮮な議論を展開してほしいのです。

もちろん、これはたやすいことではなく、これができる人は限られていると思います。数多の在校生の中には、1人ぐらいは天性の鑑識眼が備わっている人もいるでしょう。そういう具眼の士ではなくても、社会を自分の皮膚で感じ取り、感じたことを材料にして考え続ける訓練をしていれば、他人とは一味違う香りを醸し出すことができるのではないでしょうか。

残念ながら、そういう風格の漂ってくる文章はありませんでした。私のクラスの学生は大半が大学進学希望で、高校出たてぐらいの人が多いですから、そこまで求めるのは酷かもしれません。しかし、明らかに何かのパクリだと思われる文章を書いていた学生がいたことには、いささかがっかりさせられました。

いや、オリジナリティがないわけではありません。あるんですが、オリジナルの部分はパクった部分よりも、文章的にも内容的にも数段落ちなので、言ってみれば、マイナスのオリジナリティでしかありません。そういう学生は、日本語の勉強はしているけれども、日本語の勉強しかしていないのでしょう。彼らが進もうとしている「大学」とは、日本語で学問を成すところです。将来に暗雲が立ちこめています。

私たちは、毎年こういう学生を鍛えて、曲がりなりにも大学の授業に耐えられるレベルにまで引き上げて、進学先に送り出しています。「進学先で困らないような日本語力」と言っていますが、その中には日本語でこうした思考ができることも含まれています。卒業式までと考えると、あと8か月ほどで彼らの目の前の雲を紫雲か斗雲にしなければなりません…。

懐かしい文字

7月11日(月)

私が担当する新しい超級クラスの名簿に、Lさんの名前がありました。Lさんは、新入学の学期に初級クラスで受け持った学生です。発言が多かったり成績がすばらしくよかったりしたわけではありませんが、授業に集中し、勉強したことを確実に物にしていくタイプの学生でした。その学生がこつこつと勉強を続けて、超級まで上り詰めたのです。

会うのを楽しみにしていたのですが、教室に入ってもLさんの姿がありません。チャイムが鳴り終わっても、全員の出席を取り終わっても、現れませんでした。Lさんのことを気にしつつオリエンテーションを進めていたら、Lさんは、20分後ぐらいに、遅延証明書を手に申し訳なさそうに入ってきました。そうだよね、Lさんがそう簡単に休んだり遅刻したりしないよねと安堵しました。

今学期は8月1日にスピーチコンテストが迫っているため、始業日にいきなりスピーチコンテストの原稿を書いてもらいました。週末にその旨を連絡しておいたのですが、多くの学生が自分の思いを原稿用紙上に表現するのに苦しんでいました。Lさんもそういう学生の1人で、授業中には書ききれず、図書室などで書いて持ってくるようにと伝えて授業を終えました。

午後の授業の後、机に戻ると、何人分かの原稿が置かれていました。その中に、懐かしい文字が。Lさんの原稿です。初級のときと全く変わらぬ、私より数倍上手で几帳面な楷書で埋められた原稿用紙がありました。初級からここまで、順調なことばかりではなかったでしょうが、その大波小波を乗り越えて、よく育ってくれたと思いました。

初級で教えた学生に中級や上級で再び出会うのは、教師として非常に大きな楽しみです。「初級の頃はいい学生だったのに…」とぼやきたくなる学生が少なくない中、順良な心を保っているLさんは、ひときわ光る存在です。そのLさんも、今学期は自分の大きな方針を決めなければならない学期です。今まで続けてきた努力で、もう1歩進んでもらいたいです。

1クール

7月9日(土)

4月に新しい事務教務システムが稼働して1クールになります。この3か月間、教職員一同、便利になったと感動したり、機械というかコンピュータープログラムの融通の利かなさを嘆いたりしてきました。

私は、自分たちの仕事をシステム製作者に伝えることの難しさを痛感しました。どんな作業をしているかを伝えるのですら、暗黙の了解の余地がない人が相手となると、その作業を細かく分解せねばならず、けっこうな負担となりました。さらに、個々の作業が有機的にどうつながり、どんな仕事が形作られるのかとなると、私たちにとっては自明のことでも、外部の人にとってはチンプンカンプンです。私たちがシステムに対して「まったくもう!」と思ったことの大半は、実は私たちの側に原因があったのです。

学生の要望にきめ細かく対応しようとすると、そのきめ細かさに比例して判断項目、判断基準が増え、部外者にはわかりにくい仕事の進め方になってきます。じゃあ、そういうこまごまとしたことをばっさり切り捨てられるかというと、そういうわけにもいきません。物ではなく人を相手にしていますから、その心に訴えかける仕事となると、機械的な割り切りばかりではすみません。

いってみれば、私たちの仕事の進め方は名人芸であり、伝統芸能です。それはそれで価値のあるものではありますが、それで自己満足に陥ってはいけません。合理的な仕事の進め方ができれば、さらに仕事を進化させられるはずです。そのための新システムであり、この構築のために自分の仕事を振り返ったことを、学校全体の発展につなげていかねばなりません。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。世界中からこのように多くの若者を新入生として受け入れることができ、とてもうれしく思っています。

皆さんもご存知のように、先月、英国が国民投票の結果、EUから離脱することになりました。英国のEU離脱の是非やその影響をここで論じようとは思いませんが、私が注目したいのは、英国民各自の1票1票という非常に小さな力の積み重ねが、このような世界史に残るかもしれない大きな結果をもたらしたということです。世界中のマスコミや政府機関、金融機関、企業、研究所などは僅差で残留派が勝つと予想していました。それを覆したのが、個人の微力の集積なのです。

一つ一つの力は目に見えないほど小さいけれども、それを合わせたら誰の目にも明らかな大きな仕事が成し遂げられる――とはよく言われますが、その好例を目にすること、体験することは、そうそう頻繁にはありません。しかし、今学期入学のみなさんは、このような経験がすぐにできるのです。それは、スピーチコンテストです。クラスの代表になることではありません。そのクラス代表を、クラス全体で応援し、盛り立てることです。クラス全体で応援を考え、それをひとつの形にし、実際に全校の学生が見ている前で披露するという一連の活動を通じて、協力し、共同して何かを作り上げる苦しみと喜びを感じ取ってください。自分たちの応援に感動している満場の観客をステージ上から眺めると、達成感がひしひしと湧いてくるものです。一度その達成感を味わった人は、その味を忘れることができず、次々と新たな仕事に取り組み、幾度も、その快感に浸るのです。

それからもう一つ、小さな力を時間的に蓄積していくことにも挑戦してください。今日から皆さんがこのKCPを去る日まで、何かを続けてください。毎日漢字を一つ覚えるでも、日本語で日記を書くでもいいです。煙草をやめるでも、寝る前に腹筋10回でもいいです。簡単なことでいいですから、毎日続けていってください。ここで肝心なことは、例外を設けないことです。熱があってもお酒を飲んでも、自分で決めたその何かを、必ず毎日するのです。継続は力なりと言います。今、この場にいる皆さんは、短い人でも1か月半ほど、長い人は1年9か月にわたって、このKCPで過ごします。この留学期間中、本当に毎日続けられた人は、KCP最後の日に、得られたものの大きさに驚くことでしょう。

スピーチコンテストのクラス応援をまとめ上げることも、毎日何かをやり続けることも、決してたやすいことではありません。しかし、だからこそ、挑戦する価値があり、挑戦し成功することが皆さんの成長につながるのです。自分で自分を鍛え、自分に克つことのできる人が、この先の長い人生における勝利を手にすることができるのです。皆さんがその道を歩もうとするのなら、私たち教職員一同は、喜んでそのお手伝いをいたします。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

短期間で上達

7月7日(木)

新入生のレベル判定のためにインタビューしていると、日本語の勉強を始めてから短期間のうちにかなりのレベルにまで到達していて驚かされることがよくあります。

Hさんは去年の夏に勉強を始めたと言っていましたから、ちょうど1年です。それなのに中級と上級の境目ぐらいの実力で、会話も非常に滑らかでした。レベル判定のついでに、どんな勉強をしてきたんですかと聞いてみました。日本語の本を読み、インターネットの授業を聞いて勉強したと答えてくれました。また、ネットを通じて日本人の友達と話をして、会話の練習をしたそうです。

去年の12月のJLPTでN2をとり、この前の日曜日はN1を受験したそうです。つまり、勉強を始めて1か月かそこらでN2の受験を申し込んだことになります。Hさんは、1か月ほどの勉強で、その数か月後に自分の日本語力がN2という、ある程度の仕事も学問もできるレベルに到達すると踏んだのでしょうか。それが手の届く目標だと思えたのでしょうか。今学期、KCPの一番下のレベルに入学した日本語ほとんどゼロの学生が、果たして12月のN2に申し込むでしょうか。申し込んだとして、受かるでしょうか。否定的な答えにならざるを得ません。それだけに、Hさんの能力や、インターネットを上手に活用した勉強法に驚かされるのです。

でも、それならずっと国で勉強を続ければいいのに、どうしてわざわざ日本へ、KCPへ来ちゃったのでしょう。日本で進学したいという気持ちもありましたが、生の日本の文化に触れたい、日本語を使ってコミュニケーションしたい、日本人以外の外国人とも交流したい、という意欲に駆られて留学することにしたそうです。それならKCPで勉強する価値がありますね。

Hさんが私のクラスになるかどうかはわかりませんが、今学期も有望な学生が入ってきてくれたようです。

マイナス金利

7月6日(水)

今年に入って間もなく始まったマイナス金利政策ですが、長期金利の史上最低更新というニュースが毎日のように報じられています。マイナス金利は、もうすっかり定着したということなのでしょうか。

新聞やネットの解説記事を読めば、マイナス金利の理屈も頭では理解できます。しかし、心の底の部分に何か引っかかるものがあります。借りたお金を満額返さなくてもいいって、やっぱり変ですよ。私は、古い道徳観に毒されているから、お金を借りるのが嫌いだからこんなことを言うのかもしれません。

こんな時、大学や大学院に進学して、こういう方面を勉強・研究している卒業生に講義してもらいたいなって思います。特に、顔見知りの卒業生なら、遠慮なくくだらないことも聞けますからね。彼らがここの学校にいたときには教師と学生という関係でしたが、今は専門家とド素人と、立場はすっかり逆転しました。私の寝ぼけた頭を目覚めさせてくれないものでしょうか。謙虚に教えを乞いたいです。

そうは言っても、実際に話を聞くとなると、教師根性が頭をもたげてくるんでしょうね。今の説明はわかりにくいとか、ここでこういう文法を使うべきだとか、果ては発音がよくないとかって言い出すんじゃないかな。そんな枝葉末節ではなく、国家財政とか世界経済とかを論じ合うつもりで来た卒業生は、戸惑うというよりがっかりするでしょうね。

それはともかく、KCPの卒業生は、芸術でも文学でも理工学でも、各方面で活躍しています。この偉大な力を利用しない手はないなと思いつつ、利用していない自分の手をじっと見ています。