Monthly Archives: 9月 2015

何も決まっていない

9月1日(火)

Pさんはいわゆるモラトリアム人間で、自分は何がしたいのか、自分自身にもわかりません。何かを作る技術を身に付けたいということで、理科系の大学進学を目指しています。もう少し正確に言うと、周りから進路を決めろと言われて、なんとなくそういう方面に進もうと思い始めたところです。何が何でも「技術」じゃありません。

実は、今までに何回も、Pさんはこういう決心をしました。しかし、その決心が長続きしたためしがなく、いつの間にかぐうたらな生活に戻ってしまいました。確たる目標や夢がないのですから、勉強しようという意欲が湧いてきません。外から何かインセンティブを与えたところで、Pさんの心に火がつくわけでもありません。

Pさんほどではなくても、有名大学を受ける学生の中にも、「有名大学生」という身分がほしい以外の動機がない学生がいます。志望理由を見ても美辞麗句ばかりで地に足が着いていません。あれこれ問い詰めても自分の心の底からの言葉がなく、抽象論精神論ばかりになります。それでも、そこに向かって進もうとする分だけ、Pさんよりはましです。

翻って、私に高校時代はどうだったでしょう。つぶしが利くからって工学部を選んだ記憶もあります。専門を1つにキメ打つのが怖くて、将来を絞りきらずに進学できる大学を選んでいました。そしてなんとなく流れで大学院に進学し、ろくな就活もせずに就職先を決めて、社会人になりました。

Pさんに対して胸を張れるような進路の決め方をしてきたわけではありません。しかし、自分が選んだ道を後悔はしていません。そのときそのときは厳しくても、後から誇れるような経験を積んできたつもりです。時代が違いますから今は同じようにはいかないでしょうけどね。

留学生は日本人ほどいい加減な道の決め方は許されません。Pさん、何とかしようね。

台風にも負けず

8月31日(月)

夏休みは九州へ行ってきました。台風に直撃されて、25日は身動きが取れませんでしたが、それ以外はいい旅行ができたと思います。

九州は韓国に近いため、東京よりも韓国人が目立ちました。最近では大久保でも押され気味という韓国人ですが、博多をはじめ九州の町では元気でした。

私が博多駅から特急に乗ろうとしていたら、いきなり切符を目の前に突き出して、「イゴ、イゴ」と声をかけてきた若い女性2人組がいました。「イゴ」とは「イゴ オルマエヨ(これはいくらですか)」の「イゴ」ではないかと私の乏しい韓国語知識がささやきかけ、要は“この切符の席はどこか”ということだろうと判断しました。いきなり「イゴ」と来るのだから、日本語はゼロ、“Excuse me”でもなかったということは英語もゼロに違いありません。ここまでわかれば、日本語が全然わからない人への対処法はKCPで日々鍛錬しておりますので、難なくこなせました。最後もこの2人は深々とお辞儀をするだけで、「ありがとう」も出なかったということは、やはり、日本語全然だったのでしょう。

でも、こういうのに限って、国へ帰ってから、「日本語、全然できないけど日本を旅行してきちゃった。ボディーランゲージができれば、ケンチャナ、ケンチャナ」なんて言うんでしょうね。その話を聞いて、次々と言葉の壁を乗り越えて日本へ観光に来てくれたら、私も多少は日本の国に貢献したことになります。

それにしても、なぜ、あの2人組は私に話しかけてきたのでしょう。当日の私は、真っ赤なポロシャツにくすんだ青の短パン、ショルダーバッグを提げていました。どう見てもJRの駅員や車掌のいでたちではありません。唯一可能性があるとすれば、真っ赤なシャツが博多の街かどこかのボランティアの制服で、その制服の人に親切にしてもらって、その同じ色のシャツを特急の車内で見かけたのでまた声をかけたのではないかということです。

中国人も目立ちました。通潤橋なんていう山奥の観光地にもバスを仕立てて大勢の中国人が来ていました。しかし、私が泊まったホテルには、中国語だけの注意書きが貼られていました。私の乏しい中国語知識でそれを読み取ると、大浴場の中で飲み食いするな、バイキングで一度取った料理は元に戻すな、部屋のドアを開けて大声で話すな、などなど、はたで見ていたら傍若無人と感じるだろうなということばかりでした。

通潤橋、祐徳稲荷、軍艦島、田川市石炭・歴史博物館など、若干マニアックなところを巡ってきました。どこも感激しました。半年も前から計画を練り続けた甲斐がありました。