Monthly Archives: 7月 2015

例文

7月17日(金)

最上級クラスで文法の例文を書かせました。もちろん、ミスがないわけではありませんが、いくら考えても意味不明の文はありませんでした。初級だと複雑なことは書いていないはずなのに、何のことやら見当もつかないという文によく出会います。それに比べると、最上級まで上り詰めただけあって、語学のセンスを感じさせられます。

このレベルにまでなると、勉強が好きか日本語に対する勘が鋭いか生まれつき頭脳が優秀かのどれかでしょう。要するに、曲がりなりにも努力が続けられるか頭が切れるかだと思います。そのどちらでもない人たちは、ふるい落とされてきたと考えていいでしょう。選りすぐりの学生たちですから、文法の例文ぐらいどうっていうことないのでしょう。

このクラスは、それにとどまらず、語彙も漢字もよく知っています。N先生やK先生の話によると、文章もきちんと読みこなせているようです。こう書くとすばらしい学生の集まりのように見えますが、そのすばらしさが全国レベルかというと、未知数のところがあります。KCPの中でどんなに光っていても、他流試合に勝てなかったら学生たち自身の夢を叶えることはできません。他流試合を物にするには、したたかさも必要です。そこがどうなのか、現時点では読みきれません。

授業で志望理由書の書き方もしました。W大学への出願で苦労した人たちを除いて、まだピンと来ていないような顔をしていました。これから継続的に鍛えていかねばなりません。鍛えていけば必ず輝く素材ですから、慎重に、でも、大胆に、力を伸ばしていきたいです。

ふて寝

7月16日(木)

私が文法の説明をしている最中、Fさんの左手はずっと机の下でした。視線もこちらに向けず、その左手に向いているようでした。説明を続けながらホワイトボードの前から離れて、静かにFさんの手元が見える位置に移動すると、やはりFさんの左手にはスマホが握られていました。

「Fさん、教室では携帯電話禁止でしょ」と、掲示板に張ってある携帯電話禁止の表示をたたきながらFさんを注意すると、Fさんは不満そうな表情でスマホいじりをやめました。「Fさん、あなたは昨日も同じことでO先生にしかられたでしょ。それでもまだケータイに触っていたいんですか」と追い討ちをかけると、Fさんはふてくされて机に突っ伏してしまいました。これ以上Fさんのために貴重な授業時間を使いたくなかったので、以後Fさんを無視して授業を続けました。

こういう場面での指導は難しいです。Fさんのためを思えばふて寝を認めず徹底的に注意すべきでしょう。でも、そのために授業時間が失われ、教室内の雰囲気が重苦しくなるのでは、Fさん以外の学生のためにはなりません。また、Fさんが指導をきちんと正面から受けて自分の行動を改める学生なら、授業時間を使う意義もあります。しかし、Fさんは昨日のO先生の指導が全く効いていません。単に注意したりしかったりするだけでは、これからも同じことを繰り返すだけでしょう。授業時間外に教室外でじっくり対処すべき問題です。

終業のチャイムが鳴るや否や、Fさんは脱兎のごとく教室を出て行きました。私は後を追いませんでした。発音チェックに来た学生やEJUの相談に来た学生のために時間を使いました。Fさんを見捨てたと言われれば、まさにその通りです。しかし、意欲のある学生を放置してまでFさんを優先しなければならない理由は見当たりませんでした。

明日、このクラスの担当はK先生です。Fさんはどんな態度を示すでしょうか。

ウザイ役どころ

7月15日(水)

授業が始まり、出席を取って、連絡事項を伝え、宿題を返して、そのフィードバックをしたところで、Kさんが「病気ですから帰ります」と言い残して、早退してしまいました。事務の担当者の話によると、Kさんは来日してからひと月もたっていないのに、気ままな振る舞いが目立つとのことです。

Dさんは宿題をしてきません。漢字の宿題も文法の宿題も、未提出だったり、未完成のまま提出したりと、のらりくらりと宿題から逃げ出そうとしています。月曜日の漢字のテストも、勉強した形跡が見られず、クラスの最低点で不合格。来週水曜の文法テストが思いやられます。

この2人はどうも物見遊山的にKCPに通っているようです。サブカルか何かで日本に興味を持ち、それが高じて日本に留学したのでしょう。大学進学などというしっかりした目標があるわけでもなく、ただ単に日本での生活を楽しんでいることが、行動の端々にうかがえます。

確かに、自分の勉強した言葉が通じる外国を自由に歩けたら、自分の興味を持った文化にどっぷり漬かって暮らせたら、どんなに楽しいだろうと思います。KさんやDさんはそういう生活を送っているのでしょう。でも、貧乏性の私には、学校の授業料を捨てるようなもったいない行為にも見えます。

10年後、20年後、あるいは30年後のKさんやDさんは、自分の人生における2015年日本留学をどう位置づけるでしょうか。教えている側としては、単なる青春の思い出としてほしくはありません。たとえ短い期間であれ、実質的な成果を手にし、自分の人格の太い骨を形作った時期だったと思えるような留学にしてほしいのです。

古いと言われても私はそう考えます。そう考えて授業していきますから、KさんやDさんのような学生にするとウザイ感じがするかもしれません。そんなウザイ人間とも付き合うのが人生だとわかってもらうのが、私の役どころなのでしょうか。

受験講座開始

7月14日(火)

私の今学期の受験講座は、今日が初日。物理をしました。先学期から、教科書の勉強中心のクラスと、問題を解くのが中心のクラスとに分けています。どちらも面倒を見るのですから、理科がある日は忙しいです。

問題を解く演習クラスは、先学期はEJUの過去問が中心でしたが、今学期は過去問に加えて大学独自試験を意識した問題も解かせることにしました。選択肢のあるEJUの選択問題ばかりやっていたら、自分で答案を作る筆記問題の力はつきません。また、口頭試問で物理の原理みたいなものを聞かれても何とかなるようにという気持ちもあります。

こういうことを通して学生たちに本当に学んでもらいたいのは、科学の根幹を成す発想です。順序だてて論理的に考えて結論を得る問題の解決法です。科学者として過ごしていく上でどうしても必要な考え方です。今思い返すと、私も受験勉強のときにそんな発想法の芽となるものを身に付け、それを大学から大学院にかけて育て上げていったような気がします。そしてそれを学生たちにも身に付けてもらいたいのです。

だから、EJUを基準に考えると、私の授業は理屈っぽいでしょう。でも、無駄なことをしゃべっているつもりはありません。ほんのかけらでもいいですから、私が持っている経験や感覚を伝えていきたいと思っています。

熱帯夜じゃない

7月13日(月)

ゆうべは窓を開けたまま寝たのですが、いつの間にかタオルケットがベッドの隅に丸まっていました。外に出ると朝からむっとするような熱気。今シーズン初の熱帯夜の手ごたえ十分だったのですが、気象庁のデータによると東京の最低気温は午前4:40に観測された24.1度。

これは、昨年12月に東京の気象観測地点が移動したからです。竹橋付近の気象庁本庁舎内、ビルとアスファルトに囲まれたところから、緑に囲まれた北の丸公園内に移ったのです。最高気温にはほとんど影響が出ないものの、最低気温は下がるだろうと予想されていたことが、如実に現れました。去年までだったら、ゆうべの最低気温は26度ぐらいだったんじゃないかな。

日中は全国的に気温が上がり、気象庁の観測点928か所中122か所で猛暑日となり、512地点で30度以上となったそうです。この時期は夏至から3週間ほどで、頭のてっぺんから日が差し込みます。ですから、晴れたら気温が勢いよく上がるのです。東京の最高気温は34.2度で、真夏の暑さです。

「梅雨が明けたんですか」とも聞かれましたが、天気図上は梅雨前線が消えて太平洋高気圧に覆われていますから、真夏と同じです。しかし、気象庁は梅雨前線が復活すると読んでいますから、梅雨明けとは言いません。週間予報によると、週の半ば以降はまた曇り空のようです。

外は真夏の暑さでも、校舎内は直射日光も入らず、冷房も効いていますから熱中症などになる心配はほとんどありません。でも、教室に若い体が20も入ると、どことなく暑苦しく感じます。欠席者が多く寒々しい教室は困りますが、熱気がありすぎるのもちょっとね。…なんて思いながら授業を始めるても、いつの間にか自分もその熱気を出す側に回っているんですよね。不思議なものです。

スピーチの原稿

7月11日(土)

昨日学生に書いてもらったスピーチコンテストの原稿を読みました。今回の私の担当は上級クラスなので、先学期の初級クラスのTさんみたいな、文字は日本語だけど文は日本語じゃないっていうような、とんでもない作文はありませんでした。

しかし、確かによく書けているんだけど、スピーチの原稿って考えるとどうだろうかっていうのが多いのです。自分の身の回りで小ぢんまりとまとまっている印象です。独自の意見を述べているんだけど、広がりが感じられません。聞き手が共感するだろうかと考えると、残念ながらNOなのではないかという文章が多かったです。

スピーチコンテストで入賞できなかったとしても、それは学校の中だけの話で、「残念だったね」で済みます。しかし、こんな雰囲気で入試の小論文を書いたとしたら、残念な結果のオンパレードになりかねません。小論文も個人の意見や経験をベースにしますが、そこから導き出されるものに普遍性や読み手の心を動かす何物かがなければ、合格は疑わしいものとなります。

まず、広い視野で多角的に物事をとらえる力をつけさせなければならないでしょう。そのためには良質な読み物を与え、その内容に関して活発に意見交換していくような授業が必要です。教材をいかに料理するか、教師の力量も問われます。その上で、そこで培われた目で見た問題の本質や自分自身の考えを、訴求力のある文章にしていく力も養っていかねばなりません。

教師の側からすると、高すぎる目標ができあがってしまいました。

さわやか?

7月10日(金)

朝は私の家から直線距離で3kmほどのスカイツリーが半分ほどしか見えませんでしたが、日中は久しぶりにきれいな青空となりました。梅雨明けですか、なんて聞いてきた学生もいました。そういってもらいたいところが、ちょっと気が早すぎますね。でも、その学生の気持ちはわかります。どんよりとした空の湿っぽい日が続いて気持ちが暗くなりがちでしたから、一刻も早く夏になって今日みたいな青空が続くことを願いたくなります。

でも、日差しが強いわりには気温は上がりませんでした。外に出たとたん汗が吹き出すことも日向が歩けないこともなく、夏らしさはありません。湿度は結構高いんですが、それが蒸し暑さにつながらず、お昼を食べに出たときにさわやかさすら感じました。新しくできたラーメン屋さんで熱いラーメンをすすりましたが、全く苦になりませんでした。

今年はエルニーニョの影響で冷夏だと言われていましたが、気象庁の最新予報によると、関東地方は冷夏ではなさそうです。日照時間が短めで気温が高めという予報ですが、要するに今年の夏は蒸し暑い日が続くのです。今日みたいに気温が程ほどで青空がパッと広がる日は、あまり望めそうもありません。連日猛暑日・熱帯夜じゃたまりませんが、33度ぐらいのじわーんと暑い日が続くのも、真綿で首を絞められるような嫌な感じです。

さて、今日は多くのクラスでスピーチコンテストの原稿書きをしました。来週初めにクラス内予選をして、代表者を決めます。その頃梅雨が明けて真夏の太陽が照り付けると、グッとムードが盛り上がるのですが、今年はどうなるでしょうか。

壁を突き抜けて

7月9日(木)

各教室に久しぶりに顔を合わせた学生たちの歓声が響き、どの学生も希望で満ち溢れている始業日は、一種独特な雰囲気が感じられます。宿題を忘れたとか授業がわからないとかテストが不合格だったとか友達とけんかしたとか、そういうネガティブな要素がありませんから、今日のような曇り空ないしは小雨という天気でも、校舎内には明るさが感じられます。

私のクラスもそういう空気が詰まっていましたが、受験生の多いクラスで今から浮かれてもいられないので、現実に引き戻す話をたっぷりしました。「みんなの日本語」の文法を完全に使いこなせれば、どんな面接でも恐れるに足りないけれども、「みんなの日本語」に出てくる単語の2倍以上知っていても、JLPTのN3をとるのに必要な単語数にも遠く及ばないなんて話をしました。

すると、学生たちはとたんに意気消沈してしまいました。目の前に突然厚い壁が現れた感じだったかもしれません。でも、この壁を突き抜けた学生だけが、次の学期に中級へと進級できるのです。中級を担当した教師としても、ここをごまかしたままの学生は受け取りたくないです。先学期同じレベルのクラスを受け持ったとき、本当にそれを強く感じました。学期の最初で意気消沈したとしても、それをばねに伸び上がっていく勢いがないと、その人の日本語力はそこで打ち止めです。

ここまで考えると、先学期の私のクラスの学生たちはよくやったと思います。期末テスト直前でも3分の1ぐらいが壁に跳ね返されるんじゃないかと思っていたのですが、期末の日に休んで受けなかった学生以外、かろうじてではあっても合格点を取ったんですから。

はて、今学期の学生たちはどこまでやってくれるでしょうか。

看板

7月8日(水)

Bさんは私なんかと同年代と言っていいくらいの学生で、KCPの学生の中ではかなり年齢が高いです。だから、未成年と同じように扱われるのがどうも嫌なようです。ことにKCPは語学以外の躾も厳しく、学生の行動にあれこれ口を出します。また、Bさんぐらいの年齢となるとクラスの先生のほうが年下のことが多く、そういう先生から細かなことまで注意されることにストレスを感じているように見受けられました。

話し合ってみると、学生には学生の責務があり、学校の中では年下であろうとなんであろうと教師の指示に従うべきだと言います。こちらが訴え続けたことが多少は理解してもらえたようです。ただ、学校の中ではという点を強調していたようにも聞こえましたから、少なくとも学校の近辺ではKCPの看板を背負って歩いているのだということを忘れないでほしいとお願いしました。

昨日の夜、帰宅しようと学校を出て御苑の駅へ向かっていると、「先生、こんばんは」とDさんとLさんに挨拶されました。2人は旧校舎時代の卒業生で、進学先も卒業する頃ではないかと思います。学校の近くではそんな学生からも声をかけられます。また、学校近辺の店で買い物すると、店員から「先生、こんにちは」とにっこり笑いかけられることもよくあります。私の知らない顔の学生がいたるところでアルバイトをしています。

日本人からも、「このごろ学生さん、いませんね。学校、休み?」なんて声をかけられることも。わたしも、KCPの旗ざおを背中に差して歩いているのです。だから、Bさんも学校の中だけ「いい学生」では困るのです。地域の中で育ててもらっていると思ってもらわなければ困ります。Bさんはそのあたりをどこまでわかっているのだろうかと思いました。

さらにBさんは年長者ということで、若い学生に与える影響が強いです。自分は周りから見られているということを意識して行動してもらいたいです。明日から新学期。Bさんはどんな留学生活を送るのでしょうか。

入学式挨拶

7月7日(火)

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように世界の各地から多くの新入生を迎えることができ、非常にうれしく思っています。

皆さんは自分自身のことをどれぐらい知っていますか。自分の長所や短所、思考回路や行動様式、性格や嗜好などをどこまで把握していますか。知っているようで知らないのが自分のことです。

これから始まる留学生活では、今までに一度も経験したことのないことに出くわすことも多いでしょう。幾度もピンチに見舞われることと思います。皆さんが持っている物差しでは測りきれない事態に遭遇することの連続です。そのときに、皆さんが何をどのように考え、どんな結論を導き出し、いかに動くか、これによって皆さんは自分自身を知ることになるのです。意外に打たれ強いとか、一人ぼっちに弱いとか、交渉事が思ったよりうまいとか、そんなことを感じていくでしょう。今まで気が付かなかった自分の一面が見えてきます。こういう経験を通して、新しい自分を切り開いていってほしいのです。

世界を広げるために留学に来ました――こう語る留学生は多いです。確かに、留学によって自分の知らなかった世界を知ることはできます。生の日本文化に触れることを楽しみに来ている方も多いでしょう。KCPの教室で異文化を持った友人と語り合うことは、留学ならではの得がたい経験です。それをきっかけにして、世界に目を見開いていった先輩もたくさんいました。しかし、そんな彼方のことではなく、足元の自分自身を知ることもまた、留学の大きな意義です。

自分を知るとは、自分の適性を見極めるとも言えます。これが皆さんの将来を形作る大きな要素になることもあるでしょう。自分自身に対する新しい発見によって、自分の秘められた可能性を引き出し、それをベースに将来設計をし直すことだってあり得るのです。留学で広げられる世界は、外に向かう世界だけではありません。自分の内的世界、未知の能力の開発のほうが、重要な意味を持っていると私は思います。

孫子の兵法に「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」という言葉があります。敵に勝つには、敵を知ることはもちろんですが、自分自身を知ることもそれに負けず劣らず重要なのです。親元や母国を離れて長期間外国で暮らすのは、多くの方にとって初めての経験でしょう。ただ勉強に追われて漫然と過ごすのではなく、自分自身を直視し、強さも弱さも見極める機会としてほしいのです。これができれば、この留学は皆さんのこれからの長い人生における強固な基盤になるでしょう。その基盤の上に、日本での経験や学問を応用した皆さん自身の人生を築いていってください。

この留学が、10年後、20年後、30年後の皆さんに資するものになることを切に願っています。本日は、ご入学、本当におめでとうございます。