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梅雨はもう少し待って

5月29日(金)

久しぶりに雨が降りました。日中の雨は、中間テストの日以来じゃないかな。夜中から明け方にかけて雷雨という日はありましたが。アメダス上では大した雨量ではありませんが、外を歩く人はみんな傘を差しています。でも、雨よりも、最近暑い日が続いていたのに日中でも気温が上がらなかったことのほうが、久しぶりの感じがします。クールビズにしてから毎朝感じているひんやり感が、日中でも続いていました。

この時期に雨が降ると、このまま梅雨になっちゃうんじゃないだろうかと、ちょっぴり不安になります。もちろん、雨の季節が来なかったら困るのですが、平年の梅雨入りまで10日ほどともなると、そんな心配も頭をもたげてきます。まだもうちょっと、初夏のさわやかな日差しを浴びて青空を仰いでおきたくなります。今年はエルニーニョの影響で、夏らしい夏にならないかもしれないという予報も出ていますから、余計にそう思ってしまいます。

最近はうちへ帰ると夏休みの計画作りに励んでいます。まだ3か月も先のことですが、その時間を楽しみにしながら仕事をしているというところもあります。計画を立てるときは、晴れて暑い日を思い描いています。汗を拭き拭き町を歩き、史跡を見学し、アイスクリームを食べながら緑陰の風で一息つくっていうのが、夏の旅行の醍醐味じゃありませんか。エルニーニョで曇りがちな日を前提にしていたんじゃ景気が悪くてたまりません。

予報によると、明日はまたいいお天気のようで、気温も30℃まで上がるそうです。さらっとした暑さを楽しんでおきたいです。

久しぶりの揺れ

5月25日(月)

授業中地震がありました。毎度のように私よりも学生のほうが敏感に揺れを感じ取りました。「先生、地震」と言われてしばらく経って、本格的な揺れが来てやっと、地震に感づきました。学生が心配そうな顔をしたので、外を見て電線が揺れていないことを確かめ、大きな地震ではないと宣言し、学生を安心させました。

3.11のときには、KCPの正面のビルが左右に大きく揺れました。あのビルが倒れて隣も倒れて、なんていうことになったら大変だと、とっさに最悪の事態も想像したものです。向かいのビルから見たら、KCPのビル(旧校舎)も心配になるくらい揺れたことでしょう。

しかし、その後、校舎を建て直して、現在の校舎は3.11クラスの地震でもびくともしないビルになっています。へたに外に逃げ出すよりも校舎内のほうがずっと安全です。また、教室で多少なりとも落下する可能性があるものといえば、せいぜい柱にかけてある時計ぐらいです。だから、授業中に大きな地震が起きても、なんらあわてることなく机の下に隠れるなどの行動を取ればいいのです。

揺れが完全に収まってから、そんなことを学生に言いました。この校舎にいる限り安全なのだから、地震が来てもいたずらにおびえることはないのです。また、教科書にちょうど非常袋が出てきたところだったので、それについてもちょっと話しました。非常袋を用意している学生は1人もいませんでした。

地震らしい地震(?)は久しぶりでしたから、クラスの中には来日後初めてどころか、生まれて初めて大地が揺れるのに出会った学生もいたかもしれません。でも、その大地がしょっちゅう揺れる国を留学先として選んでしまったのはあなた自身なのですからね。地震も日本文化を形作ってきた重要な一要素として、体験し学んでほしいですね。

絵を描くのが好きです

5月16日(土)

土曜日は学生の数が少ないからか、顔を出しに来てくれる卒業生の姿が目立ちます。卒業生も平日は進学先の授業が忙しいでしょうから、必然的に土曜日が多くなるという面もあります。さらに、ビザ更新に必要な書類を取りに来る卒業生が多いことも事実です。

午後、美術系の大学に進学したLさん、Yさん、Oさんが来ました。来週の運動会の準備をしていたM先生は、すぐにその3人を捕まえて、初級の学生に説明するときに使う絵などを描いてもらっていました。さすが美術系だけあって、さらさらって描くんですがよく描けているんですね。また、急に頼まれたそういう仕事を楽しそうにしていました。絵を描くことが本当に好きなんでしょう。

美術系の学校に進学する人たちは、ちょっとでも時間が空くとすぐ絵を描き始めます。今学期の私のクラスではGさんがそういう学生です。テストでも、答えを書き終わると、必ず答案用紙の余白に何か描くのです。目に映ったものではなく、頭の中の映像を絵にしているような感じです。それがまたうまいんだな。絵心が全くない私には理解の彼方です。3人も、落書きというにはあまりに上手すぎる絵を描いていましたっけ。

もうひとり、Tさんも書類を取りに来ました。こちらは理科系の大学に進学していますから、私の守備範囲内です。授業は厳しいけれどもおもしろく、授業外でも活躍しているようで、進学した大学には満足しているようです。思ったよりもいい大学に進学できたと喜んでいました。こういう大学に、今年の学生をどんどん入れていきたいです。

私は中間テストの問題を作りました。月曜日にもう一度見直して、印刷します。

さわやかな朝

5月15日(金)

毎朝、学校の玄関の鍵を開けるのと同時に、学校の前の駐車場や道路にごみが落ちていないか見回ります。そうすると、1週間に2日ぐらいは何かが落ちています。吸殻が一番多いですね。お菓子か何かのビニールのフィルム、ガム、コンビニ袋、紙くずなど、大きなものでなありませんが美観を損ねるものが捨てられています。木の葉が飛んでてもそんなに見苦しいとは思いませんが、フィルターだけになった吸殻が1本落ちているだけで、神経に引っかかるものがあります。

学生が学校の敷地内や前の道に吸殻やごみを捨てるとは思えません。そんな学生がいたら放校ものですよ。小さなものが大半ですから、どこかから風邪に飛ばされてきたことも十分に考えられます。でも、吸殻やガムはその場に捨てられたものじゃないかな。

とすると、犯人はおそらく日本人。日中は人目もありますからそんな投げ捨てはしないでしょう。しかし、夜は、職員室の道路に面した窓のロールカーテンも下りているし、人通りも少ないし、ちょうどいい具合に道路から引っ込んでいるから、ポイッといきたくなるんじゃないでしょうか。

そんなことを考えながら、ごみを拾います。同時に、こんな公徳心のない日本人がいることに情けなさを感じます。日本人を見習いたいと言っている学生たちには、恥ずかしくて見せられないなと思います。これは三流の日本人の仕業だと思えば少しは気が楽になりますが、その三流日本人がごみをポイ捨てするときの卑しい顔を想像すると、やっぱり心は曇り空になります。朝、ごみを見つけると、こんなふうに、朝から気持ちが落ち込んでしまいます。

来週の金曜日は運動会。会場の小豆沢体育館は、ごみは原則持ち帰りです。学生たちには卑しい日本人のまねをしてもらいたくないです。

効き目なし

5月8日(金)

Xさんは毎日のように授業中ケータイをいじっては先生に叱られています。今日も私がふとXさんに目を向けるとケータイをいじっている様子でした。

「何をしているんですか。授業中にケータイはダメだと毎日先生が言っているでしょ」「すみません」「どうして授業中にケータイを見るんですか」「すみません」「理由を聞いています。理由を答えてください」「ありません」「理由がありませんがケータイを触ります?」「はい」「じゃあ、病気ですね。病気の人は出て行ってください」「病気じゃありません」「じゃあ、勉強したくないんですね。うちへ帰ってください」「勉強します」「勉強したいんですね」「はい」「じゃあ、立ってください。立っていたらケータイに触れませんね」

ということで、その後Xさんを立たせたまま授業を進めました。かなり本気だったつもりですが、その本気がどうも伝わらなかったようです。周りの学生たちは私が怒っているのを見て相当ビビッたみたいですが、Xさん本人はケロッとしていました。肝が太いと言ってしまえばそうかもしれませんが、こういう肝の太さは周囲の顰蹙を買うだけで、本人に幸せをもたらすとは思えません。

最近この手の若い学生が増えてきた気がします。よく言えばマイペースですが、単にわがままで他人の心を推し量ることができないというのが実情だと思います。こういう学生が日本の大学や大学院に進学したらどうなるのでしょうか。進学先でもトラブルメーカーになるんでしょうね。そうならないようにと、勉強以外の面のしつけにも力を入れてきましたが、力及ばずと感じることもままあります。

Xさんには来週の月曜日にもクラスで顔を合わせます。どんな態度で授業を受けるのでしょうか。連休のリフレッシュがいっぺんに帳消しになってしまったできごとでした。

半袖がさわやかですね

4月30日(木)

昨日は、お天気もまあまあだったので、たんすの中身を完全に夏物にしました。部屋着も半袖短パンにし、冬物は衣装箱の底にしまいました。来月半ばにはクールビズにしますから、それ用の半袖のワイシャツを衣装箱の上のいつでもすぐ取り出せるところに移しました。コートはこの前の日曜日に開店したクリーニング屋の半額オープンセールに出していますから、これで冬のかけらがなくなりました。

学生は私なんかまだマフラーをしているころから半袖を着ていますからあまりあてになりませんが、ここのところ通勤電車の中でも半袖が目立つようになりましたから、季節は初夏になりつつあるようです。日の出はいつの間にか4時台に。朝が早い私は、日没よりも朝日の早さで季節の進み具合を感じます。私は半袖の着始めのころに腕に感じる心地よい空気の冷たさがとても好きです。秋口に感じる半袖の腕のひんやり感は、気を引き締めていかなきゃっていう感じにさせられますが、この時期の半袖の腕には開放感を覚えます。

学校へ出てくると、いつもより早めに出勤したO先生たちが鯉のぼりを飾り付けてくれました。校舎の正面はビルの谷間で若干青空が狭いのですが、それでも風になびく姿には優美かつ雄大なものがあります。半袖の学生が鯉のぼりにカメラを向ける姿は、とても伸びやかですがすがしいです。明日は、学校の中で端午の節句の催しをします。

そして、あさってからは5連休。私は半袖を着て恒例の関西旅行に出かけます。天気がいい日を見て、金剛山に登ってこようかなと思っています。

持ち帰らない

4月28日(火)

明日は昭和の日でお休み。いよいよ大型連休が始まります。学校はカレンダーどおりに休みですが、教職員の中には仕事を家に持ち帰る方もいます。私は仕事を家に持ち帰りません。帰宅が遅くなろうとも、仕事は学校で片付けます。

まず、学生の宿題などの書類を持ち帰ろうとしてその書類をなくしてしまったら、その責任は取れないからです。学生が私を信頼して個人的なことを書いた作文を電車の中で採点していて隣の人に読まれてしまったら、私はその学生に合わせる顔がありません。学校の機密にかかわることだったら、なおさらのことです。私はそう簡単に持ち物をなくしませんが、万が一のことを考えると、気安く持ち帰ろうという気は起こりません。

それから、「私」の時間に「公」を持ち込みたくないのです。「私」が「公」に侵入する公私混同が許されないのなら、同様に「公」が「私」を侵略するのもおかしいです。ほかの人はともかく、私は24時間仕事のことばかり考えていたらいい仕事はできません。かつて、職場も住まいも同じ敷地内という環境だったことがありますが、頭がおかしくなりそうでした。仕事を完全に離れる時間が、私には必要なのです。

もちろん、学校を一歩離れたら日本語教育について全く考えないなどということではありません。毎朝新聞を読んで、教材になりそうな記事はしっかりチェックを入れますし、長期休暇で旅行に出ても、旅先で授業のネタに反応することはあります。ただ、それを義務だと思った瞬間に、日常生活も旅行も重苦しいものになってしまうような気がするのです。それゆえ、“私公混同”を恐れているのです。

午後は受験講座がびっしりつまっていましたから、午前中の授業の後始末がまだ完全には終わっていません。でも全ての仕事が納期に間に合うような計画は立てています。今週末からは、例年通り、思いっきり遊ぶつもりです。

そんなに吸いたいですか

4月27日(月)

北海道や東北地方を中心に真夏日となり、全国的に多くの地点で今年最高の気温が記録されました。学校の前から空を見上げると、春にしては見通しの利きそうな青空でした。できればこの青空は来週の連休まで取っておきたかったのですが…。週間予報によると、私が旅行に行く関西地方は来週の月曜日あたりは曇りがちとか。

授業で教室に入ると、何気に窓が開いていました。気温が高いとは言ってもまだ冷房に頼るほどではなく、また、窓から入ってくる外気のほうが人工的に冷やされたくうきよりも気持ちがいいのでしょう。

そういうわけだかどうだか知りませんが、煙草を吸いに公園まで行ってしまう学生が出てきました。確かに、KCPの喫煙室は狭苦しいです。しかし、だからと言って灰皿もないところで吸っていいということにはなりません。喫煙が規制されるのは世界的な傾向です。本人の健康にも悪いし、煙によって周りの人にも迷惑をかけるし、火事の原因にもなりかねません。まさに百害あって一利なしです。初夏と言ってもよい公園のさわやかな空気を吸おうとしたらヤニ臭い空気を吸わされた、なんてことになったら、腹の一つも立てたくなります。

学校は煙草が吸いにくいから煙草を我慢しようとかやめようとかいう方向に考えないのでしょうか。何が何でも吸ってやろうという気持ちにしかならないのでしょうか。それとも、ゲーム感覚で、スリルを味わうために、公園あたりまで出かけるのでしょうか。そもそも、教師の目の届かないところならどこでも吸ってもいいと思っているのでしょうか。いずれにしても、快晴の青空とは裏腹の、暗澹たる気分です。

新しい環境

4月25日(土)

夕方、立て続けに卒業生が3人来ました。3人ともサークル活動を始めるなど、大学生活にも慣れて、それぞれの専門の勉強に踏み出したことを熱く語ってくれました。大学の講義の日本語は難しいようですが、それを上回る情熱でカバーしている様子がうかがえました。

Yさんは進学したS大学がいたく気に入ったみたいで、図書館や研究室のよさやすばらしい先生がいらっしゃること、友人関係にも恵まれていると話していました。第一志望の大学ではありませんでしたが、完全にS大学のとりこになっていました。

TさんもHさんも、大学の中で友人ができ、新しい人間関係を築きつつあるようです。よいネットワークの中に入れれば、留学生活は半分成功したようなものです。2人は理系学部で、女性が少ないことを嘆いていましたが、大学生は何はともあれ学問ですよ。

3人とも数学が難しいと言っていました。数学は理系の学問の言語ですから、わからないではすまされません。でも、1年生のときに勉強した数学が理解できるのは、数学を言語として書かれている専門書を読むようになってからです。もっと言ってしまうと、研究を始めて自分の頭で理屈をこね出して、「ああそうか、あのときの数学はこういう意味だったんだ」と納得がいくようになります。さらに、就職して大学で学んだことを現場で応用してみると、「あの時はわかったと思ったけど、実はぜんぜんわかっていなかったんだ」ということがわかります。数学って、それぐらい奥深いものなのです。だから、1年生の数学は、単位を落としさえしなければぎりぎりの成績でもいいのです。まあ、本当に優秀な人はこんなことはないんでしょうけどね。

3人の話を聞いていたら、私も大学に入学したばかりの頃を思い出しました。それから今まで、あっという間のような気もしますが、実は40年近い年月が流れているのです…。

ある退学

4月22日(水)

先学期私が担任をしたクラスだったWさんが退学しました。先学期のWさんは成績も学習態度も出席率もどれも芳しくなく、留学を続けられるとはとても思えませんでした。退学勧告も含めてじっくり話がしたいと思っていましたが、本人が姿を現さないため、できないでいました。

漏れ伝わってきたところによると、Wさん自身も自分は勉強があまり好きではなく、日本の生活も大変なので、帰国したいと思っていたようでした。出席しても心ここにあらずという感じのことが多かったですから、うなずける話です。Wさんは3月に一時帰国して話し合ったものの、ご両親からは完全帰国に強力に反対されました。それで意に反して留学を継続したというわけです。

ご両親に帰ってくるなと言われたWさんにとって、この世での居場所はKCPしかありませんでした。そのKCPも、好きではない勉強を続けることが在籍を続ける条件ですから、居心地のよいものではありません。こう考えると、先学期さんざん厳しいことを言いましたが、かなりかわいそうなものがあります。

Wさんのご両親はどういうつもりで子供を留学に出したのでしょう。千尋の谷に突き落として這い上がってこいと子供を鍛え上げようとしたのでしょうか。それだったら、突き落とす谷を間違えていたと思います。Wさんにとって日本留学は手がかり足がかりのある谷ではなく、蜘蛛の糸すら垂れてこない地獄落ちだったに違いありません。もし、外国に送り出しさえすればマルチリンガルの国際人になって戻ってくるなんて考えていたとしたら、それは偉大なる勘違いです。

Wさんがどういう交渉をしてご両親に帰国を認めともらったのかは定かではありませんが、いい形で話しがついたと思います。Wさんが新しい道で大きく成長することを祈るばかりです。