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大雪

1月18日(月)

朝、結露を拭いて窓の外を見ると、真っ白ではありませんか。目を凝らすと横殴りの降りのようです。午前の授業は大混乱だろうなと思いつつ、いつもの電車で出勤しました。

私が住んでいるところは、地下鉄の車両基地のあるところなので、よほどのことがない限り電車には乗れます。3.11の直後でも普通に通えたくらいですからね。その上一番電車と来れば、地下鉄ですから雪の影響もなく、また、他からの遅れを引きずることもなく、定時に新宿御苑前に着くのです。今朝もまさにそのパターンでした。

しかし、そうはいかない先生方も大勢いらっしゃいました。T先生は最寄り駅を通る線がどちらも不通で、出勤がお昼ごろになりました。それほどではなくても、大回りしたとか車内で缶詰にされたとかという例はかなりありました。新宿に比較的近い駅では、着く電車がすべて超満員で乗り込もうにも乗り込めずに、9時までには来られなかった方もいました。最寄り駅までバスというのはさらに悲惨で、バスがまともに走らず、雪かみぞれかの中を何十分も歩くことを余儀なくされたという例も。

雪のたびに言われますが、東京は本当に雪に対して脆弱です。でも、年に数回もない雪の日のために、札幌並みの備えをしていたのでは、その設備の維持費だけでもとんでもなく費用がかさみ、不経済のきわみと指摘されるでしょう。逆に言うと、札幌は東京の言う「不経済のきわみ」を抱えていないと、生活が維持できないのです。人口が札幌の100分の1,1000分の1の規模でも、雪国においてはそれがインフラの一部なのです。

こうして考えると、東京は贅沢な町です。雪に降られる都度大騒ぎはしますが、片手で数えられる雪の日さえ我慢すれば、軽装でいられるのですから。東京の雪は長続きしません。雪の翌日は、必ず晴れです。夏は確かに暑いですが、それとて連日38度とかということはありません。こういう軽装で住む町だから、雪には脆弱ですが人が集まるのでしょう。

多国籍

1月4日(月)

そのラーメン屋さんに入ると、明らかにベトナム人の名札を付けた店員さんが働いていました。その人が大学生なのか専門学校生なのか日本語学校生なのかまではわかりませんでしたが、なんとなく応援したくなりました。電車に乗っても、スーパーへ行っても、ベトナム語っぽい言葉が飛び交っていることがよくありました。

私が毎年泊まるホテルは、部屋の掃除担当者が名前の入ったカードを置いていきます。その名前に、フィリピン人と思われる名前が書かれていた日がありました。年末年始の名古屋は、今まで以上に多国籍でした。

スペイン語かポルトガル語かよくわかりませんが、その系統の言葉もいたるところで耳にしました。名古屋を中心とする中京地方は、自動車産業を始め、製造業が活発です。そこで働く外国人が大勢住んでいますから、そういう人々の言葉が街にあふれているのも当然です。地下鉄のアナウンスにも、取り入れられていました。

もう一つ、街に外国人の子どもが多いように感じました。もう少し正確に言うと、外国人の親に連れられた子どもが目立ちました。日本人は少子化がどんどん進んでいるのに、日本に定住している外国人は、自国にいるのと同じように子どもを作っているんじゃないでしょうか。言葉の壁もあるだろうし、日本人が嫌がる3K職場で給料も決して高くないかもしれませんが、いや、だからこそ、子どもが宝に思えるのでしょう。

名古屋は毎年年末にしか行きませんから、博物館などがいつも休館中です。名古屋城ぐらいはだいぶ前に行ったことがありますが、主だった博物館は鉄柵の外から眺めるだけです。今回も、東山動物園・植物園を外からのぞき、その周りの「東山1万歩コース」なる6.2キロの散策コースを歩きました。好天に恵まれ、高台の上から名古屋市街が見下ろせて気分はよかったのですが…。今年こそは、どこかの休みで腰を据えて名古屋市博物館や徳川美術館あたりを見学したいものです。

お正月は、エルニーニョの影響か、日本中がぽかぽか陽気で、重装備がまさに重く感じられました。仕事始めの日から面接練習やらわがままな学生の対応やら、正月休みのリフレッシュをすべて帳消しにするような仕事ばかりで…。今年も忙しいんでしょうね。

受験票ください

12月11日(金)

先月からかれこれ1か月近く、受験準備と称して休み続けていたCさんがやって登校しました。昨日の授業後に電話があり、来週末受験予定のT大学の受験票が学校に届いていないかと聞いてきました。届いてはいましたが、学校へ来たら答えるとだけ返事をして、今日です。

CさんとしてはT大学受験のために休んでいるのですから、その受験票を手に入れるためには、どんなに嫌でも学校へ来ざるを得ません。だから来たのですが、教室のドアを開けたのが10:18でした。10:30の休み時間に受験票だけもらって帰ろうという魂胆が見え見えでしたから、授業後に1階の職員室へ来いとだけ言って、後半の選択授業に出させました。

選択授業を終えて職員室に戻ると、カウンターにCさんの顔が。職員室内に呼び寄せ、まず、T大学の受験票を渡しました。そして、「昨日、電話で明日からちゃんと来ると言ったのに、どうして教室に入ったのが10:18なんですか。あなたの『ちゃんと』は10:18なんですか」と、戦闘開始。「全然来ないよりいいと思いました」とCさん。

「今、私には、Cさんの来学期の登録を認める気持ちは全くありません。これは12月いっぱいでいったん国へ帰らなければならないという意味です。国へ帰らずにビザが切れるまで日本にい続けたら、あなたは除籍処分になります。除籍ということは、T大学に受かってもビザの延長ができないということです」

ここまで言われれば、さすがのCさんも多少は事の重大さに気付いたようで、「これからちゃんと学校へ来て、勉強します」と反省の弁を。「そんなことば、信じられませんね。同じことばを、あなたは何回言いましたか」。こういわれて意外そうな顔をしたCさんを見て、やっぱり口先だけだなと思いました。

私は本気です。いい加減な出席状況、授業態度なら、絶対に来期の登録を認めません。Cさんの“自宅学習”が無になろうとも、知ったことではありません。CさんにはCさんの論理があるのなら、KCPにも通すべきKCPの筋があります。日本は法治国家ですから、出入国及び難民認定法の精神に基づいて、粛々と対応します。

不安

12月3日(木)

今週は学生たちにマイナンバーについてのお知らせをし続けています。留学ビザで日本に滞在する学生も、マイナンバーの対象者だからです。私のクラスの学生はみんな進学希望なので、専門学校に入ったとしても、あと2年は日本にいますから、マイナンバーのお世話になることがきっとあるでしょう。

各方面で報じられているように、マイナンバーの配布は遅れているようですが、私のところには先月半ばに配達が来ました。あいにく留守で直接受け取ることはできませんでした。郵便受けには不在通知が入っていて、それに従って受け取りに行きました。いつもの不在通知と同じように所轄の郵便局の窓口へ行ったら、マイナンバーに関しては隣の建物だと言われ、そちらへ移動。そこで簡単な書類を記入し、免許証で本人確認し、受け取りのハンコを押して、ようやくマイナンバー通知書が受け取れました。

学生は、留守中に不在通知が届いていたら、それをきちんと処理して、マイナンバー通知書を受け取ることができるでしょうか。漢字の密度が高く、しかも見慣れぬ単語に満ちている不在通知を読みこなすことは、至難の業に違いありません。案の定、超級クラスでも、よくわからないから捨てたとか、何週間もそのままほうってあるとかいう学生が続出しました。初級の学生の実情がどうであるかは想像に難くありません。いや、想像を絶するものがあるかもしれません。

外国人である学生に限らず、日本人を80年以上も続けている私の母も、マイナンバーをもらったはいいけれども、何をどうしていいやらわからず、非常に不安がっていました。マイナンバーに数々の利点があることは認めますが、私を含めてこの国に住む人々にそれが何物であるかが十分に伝わっていないように思えます。なんか、物事の進め方が雑なような気がしてなりません。

ハンコ

11月10日(火)

2時半頃、代講をお願いしたクラスの学生が提出した例文のチェックを始めようとしたところ、「金原先生、学生が来ています」と声をかけられました。カウンターにはLさんが立っていました。Lさんは今月全然学校に顔を出さず、今日の授業も欠席。本人の携帯に電話をかけても留守電にすらならず、連絡が取れない状態が続いていました。そのLさんが姿を現したのです。

私がカウンターまで出て行くと、「先生、書類をください」と、出席成績証明書の申請用紙を担任である私に出し、ハンコをもらおうとします。学校を休んでいたことについては何も言わず、悪びれる様子もなく、いきなりこれです。カチンと来ましたね。「今月ずっと休んでいましたが、今まで何をしていたんですか」「うちで勉強していました」「あなたが勉強すべき場所はこの学校じゃないんですか」「でも7月のJLPTも合格したし、専門学校も決まったし、学校で勉強することはありません」「じゃあ、国へ帰ったらどうですか。あなたのビザはKCPで勉強するためのビザですから」「それはダメです」「どうしてですか」「卒業する前に帰国したら両親に申し訳ないですから」「両親に対して申し訳ないことをしてきたということですね」「はい。これから頑張ります」「どう頑張るんですか」「毎日学校へ来て、一生懸命勉強して…」「そんな言葉がすぐ信じられると思っているんですか」「…」「学校を好きなだけ休んでおいて、書類が必要だからハンコ押せって言うんですか。ずいぶん自分勝手だとは思いませんか」

…まだまだ続きましたが、思い出すだけでもおぞましいやり取りなので省略します。Lさんは教師を書類作成マシンとでも思っているのでしょうか。連絡もよこさず休み続けている学生の書類に素直にハンコを押せるほど、私は練れた人間ではありません。Lさんの申請書類は預かりました。Lさんが真人間に戻ったら、ハンコを押して返そうと思っています。

寝坊

11月9日(月)

昨日のEJUの話を聞くと苦笑いをする学生が多く、あまり期待しないほうがよさそうです。苦笑いした学生は曲がりなりにも出てきていますから許せますが、休んでしまった学生も結構いました。こいつらは、ちょっと感心しませんね。去年あたりは、一生懸命頑張った自分へのご褒美なんて抜かした学生もいましたが、受験はこれからなんですから、ご褒美は早すぎます。

何かと理由をつけては気を緩めたくなる気持ちは理解できますが、ここで緩めてしまうと、引き締めるのが難しくなります。大きな試験が終わったんだからっていう気持ちが強くなると、1日だけのつもりが、もう1日、もう1日と気の緩みを重ねてしまいがちです。スポーツの世界では1日練習を休むと取り戻すのに2日かかるとよく言われますが、勉強でも全く同じです。

受けて気を緩めるならともかく、受ける前から気が緩んでいて昨日寝坊して受けなかったという剛の者もいます。ここまで来ると、言うべきことばもありません。それでも日本で進学したいと言われると、担当教師はEJUなしで受験できる大学を探します。いろいろと段取りを整えてやっても、そういう学生は、えてして、その教師の努力を無にするものです。今年はどうなのでしょう。

さらに、おととい受験日だったA大学の二次試験を、これまた寝坊で受けなかったという学生もいました。自分でつかんだチャンスをみすみすどぶに捨てるようなまねを、どうしてこうも気楽にしてしまうんでしょう。ほかの大学も受けるからどうにかなると思っているのでしょうが、チャンスを生かそうとしない人間に対しては、世の中そんなに甘くはありませんよ。

そんながっかりさせられるような学生どももいれば、出願準備に余念のない学生もいます。そういう学生にこそ、光が当たってほしいと、切に願っています。

1分差

11月6日(金)

Yさんが久しぶりに登校しました。第一志望の大学への出願が1分差で間に合わなかったためにショックで落ち込んでいたというのがもっぱらの噂でした。電子出願のため、1分差でも冷たくシャットアウトされたのです。先週はその大学への志望理由書を何度も書いては私に添削を求めていました。真っ赤に添削された原稿を入力しているうちに遅くなってしまったのかもしれません。

でも、私はあまり気の毒だとは思っていません。Yさんは初級の頃から自分勝手なところがあり、無理が通れば道理引っ込むを地で行くような学生でした。そのYさんが頭を下げて志望理由書の添削を依頼してきたのですから、今までの行いを少しは悔い改めたのかと思い、手を貸したのです。当然、余裕で間に合うタイミングで原稿を返しました。にもかかわらずアウトになったのですから、同情の余地はありません。

1分差でダメというのは国際標準ですから、Yさんが大人になっても変わりません。むしろ、100分の1秒とか1万分の1秒とかを争う激烈な競争に晒されることすら出てくるでしょう。だから、若いうちに志望校に出願できなかったぐらいの痛みを味わっておいたほうがいいのです。仕事には納期があり、先んずれば人を制すというのが今の世の常識です。

これを薬に、無理が通れば…をやめてくれればいいのですが、それは淡い願いだったようです。出てきたものの、教室に存在していただけで、やる気は感じられませんでした。負のオーラを発散しまくり、クラスの雰囲気を悪くしかねず、それを防ぐのに気を使いました。こちらから慰めの言葉をかけてもらえると思っていたのでしょうか。慰められるなんてYさんのプライドが許さないから、バリアを張っていたのかもしれません。

あさってはYさんもEJUを受けます。まさか、試験に遅刻はしないでしょうね。

コートがいっぱい

10月26日(月)

24日(土)の深夜、東京に木枯らし1号が吹きました。土曜日、帰宅するころは風がちょっと強いという程度でしたが、夜中にかけて次第に風が強まり、寝る頃には音を立てて吹いていました。日曜日の朝はきれいに晴れ上がりましたが、ベランダには隣の家から飛んできたと思われるサンダルが、片足ずつ2種類。私はサンダルを室内にしまっておきましたが、飛んできたのは私のと同じくらい安物の軽いやつでしたから、出しておいたら行方不明になったでしょう。

昨日の日中は陽もあったのでそんなに寒いと思いませんでしたが、家の目の前にあるショッピングモール内のユニクロで冬物のジャケットを買ってしまいました。今朝は、先週よりも厚手のスーツを着たのですが、少々寒さを感じました。気象庁によると、最低気温は11.7度、コートを着るほうが当然の気温でした。そのため、遅くお見えの先生はコートをかけるハンガーを見つけるのが大変そうでした。

でも、学生の中には半袖で平気な顔をしているのがいます。風邪を引きさえしなければ薄着は結構なことですが、半袖を着ていたJさんは受験生ですから、健康管理には十分気を使ってもらいたいものです。

10月は季節がグンと進む月です。新学期の準備をしていた頃は腕まくりをするくらいの陽気でしたが、今朝なんかはとひざ掛けがほしいと思いました。暖房は入れませんでしたが、私がアサイチでする仕事が増えるまでに、そんなに長い時間はかかりそうもありません。

食費はいくら

10月16日(金)

朝刊に日本の大学生の生活費に関する調査の記事が出ていたので、上級クラスでその記事を取り上げました。記事によると、親元を離れて暮らす大学生の場合、全支出の約4割を住居費に使い、食費は2割だそうです。食費を削ってでも、住環境を整えたいようです。

記事を読ませる前に学生に聞いてみたところ、食費は2~3万円ぐらいが相場で、家賃はもうちょっと高いという学生が多かったです。つまり、日本人の大学生と同じ傾向です。学生たちが家賃に振り向けるお金は、食費よりも低いんじゃないかと思っていましたから、学生たちの答えはちょっと意外でした。でも、確かに、学生たちの住所にはマンションっぽい名前が目立ち、ストリートビューで見てみても、こじゃれた建物が多いです。

30年以上も昔の、私の学生時代と比べること自体がナンセンスかもしれませんが、この間に食はさほど変わっていないのに対し、住は大きく変わりました。イタリア料理が流行ったり、韓国料理が広まったり、マクドナルドのメニューもいくらか変わったりってことはありますが、食の基本ラインは同じです。ところが、私が住んでいたバストイレなしの4畳半なんて、もうどんなに探しても見つからないでしょう。

学生たちに家賃にお金をかける理由を聞いてみると、これまた日本人大学生と同じように、いいところに住みたいからという答えです。学生たちの家庭が豊になったのですね。快適な部屋で勉強に集中してもらおうというのが、学生たちの親の考えなのだと思います。

ただ、安くておなかが膨れる食事というと、おにぎり、パン、カップラーメンなど、炭水化物を挙げて来ましたので、太りすぎに注意してもらわなければなりません。そして、ビタミン豊富な果物を、是非、積極的に取って、健康維持に努めてもらいたいです。

四半世紀の時を越えて

9月26日(土)

富久クロスにできたイトーヨーカ堂へ行って来ました。昨日オープンだったので、授業が終わってからでものぞきに行こうと思っていたのですが、あいにくの雨であきらめていたのです。薄曇りの暑からず寒からずのお天気に誘われてか、私と同じ考えの人たちで結構な人ごみでした。オープンセールで何か安い物がないかと探してみましたが、ヨーグルトやキャベツじゃ持って帰るのが一苦労ですから、手を伸ばせませんでした。私より一足先に行ったK先生やS先生は、店内で美味しいものを食べたそうです。

富久クロスの住居部分への入居はもう少し先のようですが、ずっと工事中だった周囲の道路は黒光りしたアスファルトで開通しました。また、内科や歯科などの医療機関も内覧会をしていました。そのうち人が住む街らしくなるのでしょう。

私なんかにとっては、「富久町」といえばバブル期の地上げの象徴です。不動産屋だか開発業者だかがあこぎなやり方で土地を買い占めたあげく、不動産価格の下落で塩漬けになったという印象です。古くからのコミュニティーが破壊され、砂漠のような駐車場になってしまいました。どういうフレームワークの下でか知りませんが、それがようやく立ち直って、富久クロスという形で結実するまでに、四半世紀もの時を必要としました。

その間に日本の経済繁栄は終わりを告げ、富久クロスの最上階は中国人実業家が買ったという噂もあります。3.11の不連続線を越え、社会の様相も人々の考え方も大きく変化しました。地上げ当時の計画よりも成熟した街ができるのだとしたら、それもまた一興です。

イトーヨーカ堂へは、靖国通りを越えねばなりませんから、そうそう行けるわけではありませんが、学校指定の中華料理屋・明京園さんのそばですから、そこで食事したついでにたまには寄ってみましょう。