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薄く広く

5月9日(月)

文部科学省学習奨励費受給者の推薦者を決める面接をしました。自薦で名乗りをあげた学生の中から、教師の目で厳選された学生だけが最終面接を受けます。そういう手続を経てきているので、出席率はほぼ100%、成績もそれなり以上の学生たちばかりが残っています。ですから、毎年、この面接には苦労します。だれを落としても悔いが残りそうな気がするのです。

学習奨励費とは、要するに奨学金ですから、いい学生であるかと同等かそれ以上に、経済的にどんな状況であるかが大きな問題になります。経済的に苦しくても勉学に励んでいる学生にもらってほしいと思っていますが、最近はかつてのような苦学生が少なくなりました。生活状況を聞いても、赤貧洗うが如しという学生はいません。奨学金なしでも生活していける仕送りを受けている学生ばかりです。

そう考えると、日本人の高校生のほうがよっぽど貧しいかもしれません。大学進学率は私の頃の倍ぐらいになっていますが、学費が工面できずに退学したり危ない仕事に手を染めたり、そもそも進学をあきらめたりしている若者も多いです。そういう人たちに比べると、今回の候補者の面々は恵まれた生活を送っていると思います。かつては「日本は物価が高いです」という例文が学生たちの生活実感を表していましたが、今はさほどに感じていないように見受けられます。

文部科学省がこういう学生たちの生活状況を知っているのか、学習奨励費の支給額も年々下がって、薄く広くという意図を感じます。ありがたみがなくなったという声も耳にしますが、私は時宜を得た施策だと思っています。今の学生は、お金そのものよりも、学習奨励費受給者という名誉をもらいたいのかもしれません。

ある退学

4月21日(木)

昨日付けで、Sさんが退学しました。自分自身で勉強が続けられないと判断したようです。

Sさんは去年10月の入学生です。出席状況を見ると、最初の3か月はよかったものの、先学期は大きく下がりました。今学期は、今週の月、火、水と3日連続欠席したあげくの退学です。入学した時に学校に提出した写真のSさんは髪が黒かったですが、ゆうべ退学手続に訪れた時のSさんはまっ黄色の髪でした。髪の色だけで人柄を判断してはいけませんが、日本へ来てからSさんの心の内に大きな変化があったと考えるほうが普通じゃないでしょうか。

いい判断だと思います。出席率とともに成績も落ちていましたから、勉強を続けていっても、Sさんが思い描いていたような進学ができたかどうかは疑わしいものがあります。私たちだって指導を続けていきますが、学生は、一度楽しいことや遊びを覚えてしまうと、再び勉強道に戻るのは並大抵のことではありません。

勉強や進学に関しては目を閉じ耳をふさぎ、在籍はするけどまともに勉強しないという、自分自身を生殺しの状態に落とし込む学生を今まで何人も見てきました。そういう学生に比べると、Sさんは潔く思い切った決断をしました。帰国したら今よりも厳しい生活が待っていることでしょうが、その道にあえて進もうとしているのです。KCPのコース満了まで、日本でだらだらとしまりのない留学生活を送っていくことが許せなかったのでしょうか。

Sさんが私ぐらいの年齢になったとき、この半年の留学生活はどんな思い出になっているでしょう。期間は短くても、あるいはネガティブなものでも、自分の人生を形作る経験になりうるものです。Sさんには、これからの人生で、この留学をそういうものにしていってもらいたいと思います。

入学式が終わって

4月5日(火)

今週は入学式が花盛りで、入学式を終えた学生が何人か報告に来てくれました。Yさんもそんな1人で、S大学の入学式後、スーツ姿を見せに来てくれました。

「入学席でどんな話を聞いた?」「うん、いろいろ」なんていう受け答えには若干不安も感じますが、「S大学に進学できてよかったです」と言っていましたから、きっといい話が聞けたのでしょう。明日から早速授業だという声には、これからの勉学に希望を抱いている確かな響きがありました。

Yさんの学科の新入生には留学生が5人いるそうですが、Yさんの国からはYさんだけで、先輩も1人いるだけだとか。でも、おかげで、入試の面接官だった先生が顔と名前を覚えていてくださったそうです。「だから悪いことはできないよ。欠席なんかしたらすぐわかっちゃうからね」っていってやったら、ちょっとビビッていました。

私だって、少数派の国の学生は顔と名前をすぐ覚えます。まして、学科でたった2人しかいない国の学生だったら、学科の先生方全員の注目を集めるはずです。目をかけてもらえるとも言えますが、期待を裏切ったらその反動も大きいんじゃないかな。良きにつけ、悪しきにつけ、国旗をまとってキャンパスを歩いているようなものですから、公私にわたって心して行動しなければなりません。

Yさんは早くもサークルに入ったそうです。そこでも少数派の国からの留学生ということで、けっこう声をかけられているそうです。先輩や同輩がいないことを、今のところはハンデとは感じず、ウリにしているみたいです。Yさんは敵を作るキャラじゃありませんから、頼りになる仲間、将来につながる友人も得られるんじゃないかな。

とはいえ、あまり張り切りすぎても、息切れしてしまいます。いきなりたくさん履修登録しすぎて、レポート・試験の時期に青息吐息どころか、共倒れになってしまったら、楽しいはずの留学生活が、挫折感にまみれてしまいます。頑張り屋のYさんが一番気をつけなければならないのが、この点です。「また大学の様子を報告に来ます」というYさんの言葉に期待して、もう一回り大きくなったYさんの姿を思い描いています。

年間10万円

4月4日(月)

今月から日本経済新聞の電子版の有料会員になりました。日経の記事には日本や世界の情勢を的確につかんだものが多く、教材や授業のネタとしてではなくても、教師として目を通しておきたい内容が毎日のようにあります。無料会員だと読める記事に制限がありましたが、毎月4200円の購読料を払えば無制限に読めます。

私はすでに朝日新聞のデジタル版会員になっており、日経と合わせると毎月8000円以上、年間にすると10万円以上を新聞につぎ込むことになります。高いと言えば高いですが、去年、あまり見ていないケーブルテレビの契約をやめましたから、その視聴料が日経の購読料になったと考えれば、プラスマイナスゼロです。

上級の授業を担当していると、どうしても今の世の中の情勢に通じていなければなりません。その情報の入手方法はいろいろとありますが、日中ほとんど外に出ることができず、また、帰宅してからもテレビはほとんど見ることのない私にとって、電子版の新聞というのが一番アクセスしやすいのです。

それはさておき、年間10万円強という情報料は、高いのでしょうか、安いのでしょうか。1日当たりにすると300円ほどです。1日コーヒー1杯といえば、そんなでもありません。でも、年に10万円といえば、豪勢な旅行1回分であり、高めのスーツ1着であり、ふぐのフルコースなら3~4回分かな。まさに、「ちりも積もれば山となる」です。

旅行1回分を新聞につぎ込んでいると考えるとちょっと悔しい気もしますが、旅行の軍資金を得るための必要経費だと考えれば、納得できないわけでもありません。サラッと流す授業ならここまでしなくてもいいのですが、自分自身が満足できる質の授業をしようと思えば、これぐらいの投資は必要です。

来週の月曜からは、もう授業が始まります。日経電子版の記事をどこでどういう形で使うかはまだ構想段階で明確には決めていませんが、せっかく4200円も払うのですから、その分授業で楽しませてもらおうと思っています。学生がそれに応えてくれたら、言うことないのですが。

早朝の楽しみ

3月9日(水)

卒業生を送り出して授業時間が減ったので、久しぶりに理数系科目に時間がかけられます。今朝は誰もいない静かな職員室で、EJUの数学の問題を解きました。ただ答えを出すのではなく、答案を作り上げていくと、他人に読ませることを前提に思考経路を文字化するわけですから、頭の訓練になります。

生物の問題も解きました。こちらもまた、なぜそういう答えが導き出せるのかということを説いていくとなると、あれこれ調べて裏づけを取ることが必要です。このあれこれ調べる過程であちこち寄り道するのが、私にとっては幸せなひとときなのです。生物なんかは、教科書の隅々まで読むと、意外な知識やエピソードなどが得られることがよくあるのです。

先週までは授業に追い立てられていましたから、なかなかこういう時間が取れませんでした。というか、今朝といた数学の問題は、去年のうちに済ませておくべきものだったのです。数学や理科の問題は、頭のさえている早朝に解きたいのですが、午前中に授業があると、そちらの準備に時間が取られがちで、こちらの仕事は後手に回ってしまうのです。

でも、こういう幸せが味わえる時間は長くはありません。新入生の受け入れ準備を始め、4月期に備えての動きが始まると、まっ先に犠牲になるのがこの時間です。とは言え、4月期が始まるまでに何とかしておかないと、残った分は4月期が終わるまで手付かずになりかねません。しかし、6月のEJUの直前には学生たちに問題をやらせて、その解説をしなければなりませんから、持ち越しは許されません。

結局仕事に追われることになりそうですが、それでもしばらくは春の気配が濃くなっていく早朝のひとときを楽しみたいです。

気温変化

3月8日(火)

目を覚ますと、目の前のマンションすらぼやけるほどのひどい霧。そして、部屋の空気がなんだか暖かく感じられました。天気予報の予想気温は20度。コートを着ていこうかどうしようか迷いましたが、明日はまた気温が下がるとのことなので、着ていくことにしました。さすがに、マフラーはしていく気がしませんでした。

外に出た瞬間、失敗したと思いました。コートが重く、夜帰るとき多少寒く感じても、コートは着るべきではなかったと思いました。でも、またエレベーターに乗って家まで戻るのもかったるいので、そのまま駅へ。

3月のまだ上旬ということで、暖かさが信じられなかったのです。もう2週間も後だったら、確実にコートを着ずに出かけたでしょう。自分の肌の感覚ではなく、頭の中のデータを基に行動したわけです。肌感覚からの結論を日付データで修正したとも言えます。今日はどうやらそれが失敗のようですが、肌感覚にしたがって痛い目にあうこともしばしばです。頭脳も野性のカンもあてにならない凡人は辛いものです。

週間予報によると、明後日あたりから最高気温が10度に届かない日が続くようです。今日の最高気温が20.8度ですから、明後日まで一本調子で下がり続けるイメージです。こうなると心配なのが、風邪を引く学生が増えることです。今日の私のクラスは実質全員出席でしたが、今週末はどうなっていることでしょう。学生たちも私に負けず劣らずいい加減な肌感覚で、しかも私よりひ弱ときていますから、これからの急激な温度変化に耐えられるか気がかりです。

返ってきた500円

2月17日(水)

早朝から学校で仕事をしていると、いろいろなことに出くわします。おとといの朝は、まだ夜が明けきらぬうちにAさんが来ました。毎学期、中間・期末テストが近づくと、朝早く学校へ来て、学校で勉強しようと考える学生が現れます。Aさんもそんな1人だろうと思って、2階のラウンジを開けてあげようとしたら、少し恥ずかしそうに、「先生、すみませんが、500円貸していただけませんか」と、とても丁寧に頼み込んでくるではありませんか。

いきなりそう言われてびっくりしていたら、Aさんはさらに続けます。「昨日から両親は旅行に行きました。でも、お金を置いていくのを忘れましたから、今、私は全然お金がありません。だから、何も食べられません」。Aさんの目を見る限り、その言葉にうそはなさそうだと思い、私の財布から500円玉を取り出し、Aさんをラウンジへ連れて行き、ラウンジの鍵を開け、Aさんに500円を渡しました。Aさんは「ありがとうございました」と深く頭を下げました。

その500円が、今朝、返ってきました。授業が始まる30分ほど前にAさんが受付へ来て、またまた「ありがとうございました」と深く頭を下げ、500円を返してくれました。「ご両親は帰ってきたんですか」ときくと、にっこり笑ってうなずきました。Aさんを信じてよかったです。

残念ながら、こういう心温まる話はそう多くありません。先週から今週にかけては、世のインフルエンザ隆盛に歩調を合わせて、インフルエンザだとか、っぽいとかで欠席するという電話連絡が増えました。インフルエンザなら、登校禁止ですから、うちでゆっくり養生してもらわねばなりません。中間テスト直前だからと焦る学生を電話口でなだめるのも、私の仕事になっています。

はなむけ

2月4日(木)

私を毎朝見送ってくれる月が、だいぶやせてきました。この月が消えてなくなったら、春節です。その春節にあわせて一時帰国する学生が、私のクラスにも何名かいます。今のビザの制度では、ビザの有効期間中何回でも出入国が可能ですから、学生たちが帰国すること自体は合法的です。

でも、合法的だ、法律違反じゃないということと、法律以外の面から見てしてもいい、することが許されることには、違いがあります。多くの留学生から羨ましがられるような大学に受かっていても、いや、だからこそ、1ミリでも日本語力を高めておかないといけないのに、里心がついて一時帰国するというのはいただけません。そのレベルに至らぬ学生もばらばら帰っています。むしろ、そういう危なっかしい学生ほど、帰国したがる傾向があるように思えます。

KCPは留学生にとってゴールの学校ではありません。ここを足がかりにして、さらに上を目指すべき学校です。だから、もうすぐ卒業だといってもそれですべて終わりじゃないのです。留学の序章が終わったに過ぎず、ここでほっとしてしまっては本論の内容が貧弱になりかねません。これから始まる本当の学問において、少しでも高いスタートラインに立つんだという気概がほしいところです。

もちろん、「いい大学」に受かっても、勝って兜の緒を締めよとばかりに、それまで以上に熱心に勉強に励んでいる学生も少なくありません。そういう学生と、お気楽ご帰国組とを比べると、人間性の差すら感じますね。先月末ぐらいから授業は上の空で帰国日を指折り数えているような学生には、卒業証書はあげたくないです。お前にはもっと勉強すべきことがあるんだと、最後の鉄槌を加え、それをもって進学のはなむけとしたいです。

目指せ起業家

1月27日(水)

超級クラスの学生はほとんどがこの3月で卒業します。そういうクラスは、卒業文集を書くほかに、クラス全体で撮った動画も文集のDVDに入れます。それは、自分自身やクラスメートにとってはとても記念になり、同時に先生方や後輩へのメッセージにもなります。だから、撮り終わったらみんなそれなり以上の達成感を味わえるのですが、多くのクラスで自分がリーダーとなってクラスをまとめていこうという人物が現れません。

しかし、今年の超級クラスには、そのリーダーに立候補した学生がいました。Cさんです。クラスの中にはやる気のない学生もいますから、みんなをその気にさせて引っ張っていくのは難しいです。友だちがいのないわがままな学生がクラスの結束を乱すことも、しばしば見られます。そういう同級生をなだめすかして1つの作品にまでもっていくことの大変さを、Cさんはどこまで知っているのでしょうか。

リーダーの立候補者が1人しかなく、Cさんがリーダーに決まる時、私は他の学生たちに、これから動画完成まではCさんの命令なら何でも聞けと約束させました。このぐらいの強権がないと、話がまとまりっこありません。

多くの学生たちが、異口同音に、起業したいと将来の抱負を述べます。起業とは人の上に立って指示したり、周りと調整を図ったり、要求を押し通したりって、一瞬たりともじっとなんかしていられません。クラスのリーダーにすらなろうとしない人に務まるわけがないじゃありませんか。勉強さえしていれば自然に社長になれるとでも思っているのでしょうか。ネットで起業するにしたって、どろどろした人間関係をどうにかしなければならない場面があります。

Cさんはやる気のない学生の尻をたたきつつ、自分の思う方向へみんなを引っ張っていこうとしています。Cさんのプロジェクトが成功するよう、私も助力を惜しまないつもりです。

さすが新成年‥‥の一方で

1月20日(水)

先日の成人式で成人の祝福を受けたHさんは、学校の近くのコンビニでアルバイトしています。そのコンビニへKCPの学生が来て、タバコを買おうとしました。Hさんは店の規則に従って、年齢確認のため身分証明書の提示を求めました。その学生が出した身分証明書には1996年8月という生年月日が記されていました。Hさんは、その学生へのタバコの販売を拒否しました。

Hさんの判断は、さすが新成年というものであり、悪いことは悪いと断固拒否するところは、いかにも法学部への進学が決まった学生らしいです。また、店員の立場で客の要求を拒否するのは勇気が要ったでしょうが、よくぞ断ってくれたと感心しました。

それにしても、タバコを買おうとした学生です。20歳未満の喫煙は法律で禁じられているとあれほど注意しているのに、まだあきらめようとしません。耳にたこができて、鼓膜が震えなくなってしまったのでしょうか。違法行為を働くということについていったいどう考えているのか、問い詰めてみたいです。

未成年学生の喫煙は、法律を破るか破らないかですから、見逃すとか妥協するとかということはありえません。でも、これが後を絶たないのは、こちらの指導法に欠けているところがあるからなのでしょう。タバコ以外の面で太陽政策みたいな指導が執れればいいのですが、「タバコは絶対ダメだけど、〇〇は認めてあげよう」という“〇〇”が見つかりません。かといって、「タバコは健康に悪いから…」と理詰めに説いてみたところで、タバコが吸いたくてたまらない、日本語の理解力に難のある外国人未成年の心には響きません。通訳を介しても、五十歩百歩でしょう。

学生と教師とのあいだに確固たる信頼関係が成立していれば、こういう指導もうまくいきます。ここで教師力などという抽象的なファクターを軽々しく出したくはありませんが、1週間で学生の心をがっちりつかむ教師もいれば、1学期経っても学生に名前すら覚えてもらえない影の薄い教師もいることは事実です。その違いが未成年喫煙を始めとする法律、ルール、マナーに対する学生の順法精神の違いにつながっているとすれば、教師が自分自身を磨き続けることが学生の人生に直結しているのであり、責任重大です。