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返ってきた500円

2月17日(水)

早朝から学校で仕事をしていると、いろいろなことに出くわします。おとといの朝は、まだ夜が明けきらぬうちにAさんが来ました。毎学期、中間・期末テストが近づくと、朝早く学校へ来て、学校で勉強しようと考える学生が現れます。Aさんもそんな1人だろうと思って、2階のラウンジを開けてあげようとしたら、少し恥ずかしそうに、「先生、すみませんが、500円貸していただけませんか」と、とても丁寧に頼み込んでくるではありませんか。

いきなりそう言われてびっくりしていたら、Aさんはさらに続けます。「昨日から両親は旅行に行きました。でも、お金を置いていくのを忘れましたから、今、私は全然お金がありません。だから、何も食べられません」。Aさんの目を見る限り、その言葉にうそはなさそうだと思い、私の財布から500円玉を取り出し、Aさんをラウンジへ連れて行き、ラウンジの鍵を開け、Aさんに500円を渡しました。Aさんは「ありがとうございました」と深く頭を下げました。

その500円が、今朝、返ってきました。授業が始まる30分ほど前にAさんが受付へ来て、またまた「ありがとうございました」と深く頭を下げ、500円を返してくれました。「ご両親は帰ってきたんですか」ときくと、にっこり笑ってうなずきました。Aさんを信じてよかったです。

残念ながら、こういう心温まる話はそう多くありません。先週から今週にかけては、世のインフルエンザ隆盛に歩調を合わせて、インフルエンザだとか、っぽいとかで欠席するという電話連絡が増えました。インフルエンザなら、登校禁止ですから、うちでゆっくり養生してもらわねばなりません。中間テスト直前だからと焦る学生を電話口でなだめるのも、私の仕事になっています。

はなむけ

2月4日(木)

私を毎朝見送ってくれる月が、だいぶやせてきました。この月が消えてなくなったら、春節です。その春節にあわせて一時帰国する学生が、私のクラスにも何名かいます。今のビザの制度では、ビザの有効期間中何回でも出入国が可能ですから、学生たちが帰国すること自体は合法的です。

でも、合法的だ、法律違反じゃないということと、法律以外の面から見てしてもいい、することが許されることには、違いがあります。多くの留学生から羨ましがられるような大学に受かっていても、いや、だからこそ、1ミリでも日本語力を高めておかないといけないのに、里心がついて一時帰国するというのはいただけません。そのレベルに至らぬ学生もばらばら帰っています。むしろ、そういう危なっかしい学生ほど、帰国したがる傾向があるように思えます。

KCPは留学生にとってゴールの学校ではありません。ここを足がかりにして、さらに上を目指すべき学校です。だから、もうすぐ卒業だといってもそれですべて終わりじゃないのです。留学の序章が終わったに過ぎず、ここでほっとしてしまっては本論の内容が貧弱になりかねません。これから始まる本当の学問において、少しでも高いスタートラインに立つんだという気概がほしいところです。

もちろん、「いい大学」に受かっても、勝って兜の緒を締めよとばかりに、それまで以上に熱心に勉強に励んでいる学生も少なくありません。そういう学生と、お気楽ご帰国組とを比べると、人間性の差すら感じますね。先月末ぐらいから授業は上の空で帰国日を指折り数えているような学生には、卒業証書はあげたくないです。お前にはもっと勉強すべきことがあるんだと、最後の鉄槌を加え、それをもって進学のはなむけとしたいです。

目指せ起業家

1月27日(水)

超級クラスの学生はほとんどがこの3月で卒業します。そういうクラスは、卒業文集を書くほかに、クラス全体で撮った動画も文集のDVDに入れます。それは、自分自身やクラスメートにとってはとても記念になり、同時に先生方や後輩へのメッセージにもなります。だから、撮り終わったらみんなそれなり以上の達成感を味わえるのですが、多くのクラスで自分がリーダーとなってクラスをまとめていこうという人物が現れません。

しかし、今年の超級クラスには、そのリーダーに立候補した学生がいました。Cさんです。クラスの中にはやる気のない学生もいますから、みんなをその気にさせて引っ張っていくのは難しいです。友だちがいのないわがままな学生がクラスの結束を乱すことも、しばしば見られます。そういう同級生をなだめすかして1つの作品にまでもっていくことの大変さを、Cさんはどこまで知っているのでしょうか。

リーダーの立候補者が1人しかなく、Cさんがリーダーに決まる時、私は他の学生たちに、これから動画完成まではCさんの命令なら何でも聞けと約束させました。このぐらいの強権がないと、話がまとまりっこありません。

多くの学生たちが、異口同音に、起業したいと将来の抱負を述べます。起業とは人の上に立って指示したり、周りと調整を図ったり、要求を押し通したりって、一瞬たりともじっとなんかしていられません。クラスのリーダーにすらなろうとしない人に務まるわけがないじゃありませんか。勉強さえしていれば自然に社長になれるとでも思っているのでしょうか。ネットで起業するにしたって、どろどろした人間関係をどうにかしなければならない場面があります。

Cさんはやる気のない学生の尻をたたきつつ、自分の思う方向へみんなを引っ張っていこうとしています。Cさんのプロジェクトが成功するよう、私も助力を惜しまないつもりです。

さすが新成年‥‥の一方で

1月20日(水)

先日の成人式で成人の祝福を受けたHさんは、学校の近くのコンビニでアルバイトしています。そのコンビニへKCPの学生が来て、タバコを買おうとしました。Hさんは店の規則に従って、年齢確認のため身分証明書の提示を求めました。その学生が出した身分証明書には1996年8月という生年月日が記されていました。Hさんは、その学生へのタバコの販売を拒否しました。

Hさんの判断は、さすが新成年というものであり、悪いことは悪いと断固拒否するところは、いかにも法学部への進学が決まった学生らしいです。また、店員の立場で客の要求を拒否するのは勇気が要ったでしょうが、よくぞ断ってくれたと感心しました。

それにしても、タバコを買おうとした学生です。20歳未満の喫煙は法律で禁じられているとあれほど注意しているのに、まだあきらめようとしません。耳にたこができて、鼓膜が震えなくなってしまったのでしょうか。違法行為を働くということについていったいどう考えているのか、問い詰めてみたいです。

未成年学生の喫煙は、法律を破るか破らないかですから、見逃すとか妥協するとかということはありえません。でも、これが後を絶たないのは、こちらの指導法に欠けているところがあるからなのでしょう。タバコ以外の面で太陽政策みたいな指導が執れればいいのですが、「タバコは絶対ダメだけど、〇〇は認めてあげよう」という“〇〇”が見つかりません。かといって、「タバコは健康に悪いから…」と理詰めに説いてみたところで、タバコが吸いたくてたまらない、日本語の理解力に難のある外国人未成年の心には響きません。通訳を介しても、五十歩百歩でしょう。

学生と教師とのあいだに確固たる信頼関係が成立していれば、こういう指導もうまくいきます。ここで教師力などという抽象的なファクターを軽々しく出したくはありませんが、1週間で学生の心をがっちりつかむ教師もいれば、1学期経っても学生に名前すら覚えてもらえない影の薄い教師もいることは事実です。その違いが未成年喫煙を始めとする法律、ルール、マナーに対する学生の順法精神の違いにつながっているとすれば、教師が自分自身を磨き続けることが学生の人生に直結しているのであり、責任重大です。

大雪

1月18日(月)

朝、結露を拭いて窓の外を見ると、真っ白ではありませんか。目を凝らすと横殴りの降りのようです。午前の授業は大混乱だろうなと思いつつ、いつもの電車で出勤しました。

私が住んでいるところは、地下鉄の車両基地のあるところなので、よほどのことがない限り電車には乗れます。3.11の直後でも普通に通えたくらいですからね。その上一番電車と来れば、地下鉄ですから雪の影響もなく、また、他からの遅れを引きずることもなく、定時に新宿御苑前に着くのです。今朝もまさにそのパターンでした。

しかし、そうはいかない先生方も大勢いらっしゃいました。T先生は最寄り駅を通る線がどちらも不通で、出勤がお昼ごろになりました。それほどではなくても、大回りしたとか車内で缶詰にされたとかという例はかなりありました。新宿に比較的近い駅では、着く電車がすべて超満員で乗り込もうにも乗り込めずに、9時までには来られなかった方もいました。最寄り駅までバスというのはさらに悲惨で、バスがまともに走らず、雪かみぞれかの中を何十分も歩くことを余儀なくされたという例も。

雪のたびに言われますが、東京は本当に雪に対して脆弱です。でも、年に数回もない雪の日のために、札幌並みの備えをしていたのでは、その設備の維持費だけでもとんでもなく費用がかさみ、不経済のきわみと指摘されるでしょう。逆に言うと、札幌は東京の言う「不経済のきわみ」を抱えていないと、生活が維持できないのです。人口が札幌の100分の1,1000分の1の規模でも、雪国においてはそれがインフラの一部なのです。

こうして考えると、東京は贅沢な町です。雪に降られる都度大騒ぎはしますが、片手で数えられる雪の日さえ我慢すれば、軽装でいられるのですから。東京の雪は長続きしません。雪の翌日は、必ず晴れです。夏は確かに暑いですが、それとて連日38度とかということはありません。こういう軽装で住む町だから、雪には脆弱ですが人が集まるのでしょう。

多国籍

1月4日(月)

そのラーメン屋さんに入ると、明らかにベトナム人の名札を付けた店員さんが働いていました。その人が大学生なのか専門学校生なのか日本語学校生なのかまではわかりませんでしたが、なんとなく応援したくなりました。電車に乗っても、スーパーへ行っても、ベトナム語っぽい言葉が飛び交っていることがよくありました。

私が毎年泊まるホテルは、部屋の掃除担当者が名前の入ったカードを置いていきます。その名前に、フィリピン人と思われる名前が書かれていた日がありました。年末年始の名古屋は、今まで以上に多国籍でした。

スペイン語かポルトガル語かよくわかりませんが、その系統の言葉もいたるところで耳にしました。名古屋を中心とする中京地方は、自動車産業を始め、製造業が活発です。そこで働く外国人が大勢住んでいますから、そういう人々の言葉が街にあふれているのも当然です。地下鉄のアナウンスにも、取り入れられていました。

もう一つ、街に外国人の子どもが多いように感じました。もう少し正確に言うと、外国人の親に連れられた子どもが目立ちました。日本人は少子化がどんどん進んでいるのに、日本に定住している外国人は、自国にいるのと同じように子どもを作っているんじゃないでしょうか。言葉の壁もあるだろうし、日本人が嫌がる3K職場で給料も決して高くないかもしれませんが、いや、だからこそ、子どもが宝に思えるのでしょう。

名古屋は毎年年末にしか行きませんから、博物館などがいつも休館中です。名古屋城ぐらいはだいぶ前に行ったことがありますが、主だった博物館は鉄柵の外から眺めるだけです。今回も、東山動物園・植物園を外からのぞき、その周りの「東山1万歩コース」なる6.2キロの散策コースを歩きました。好天に恵まれ、高台の上から名古屋市街が見下ろせて気分はよかったのですが…。今年こそは、どこかの休みで腰を据えて名古屋市博物館や徳川美術館あたりを見学したいものです。

お正月は、エルニーニョの影響か、日本中がぽかぽか陽気で、重装備がまさに重く感じられました。仕事始めの日から面接練習やらわがままな学生の対応やら、正月休みのリフレッシュをすべて帳消しにするような仕事ばかりで…。今年も忙しいんでしょうね。

受験票ください

12月11日(金)

先月からかれこれ1か月近く、受験準備と称して休み続けていたCさんがやって登校しました。昨日の授業後に電話があり、来週末受験予定のT大学の受験票が学校に届いていないかと聞いてきました。届いてはいましたが、学校へ来たら答えるとだけ返事をして、今日です。

CさんとしてはT大学受験のために休んでいるのですから、その受験票を手に入れるためには、どんなに嫌でも学校へ来ざるを得ません。だから来たのですが、教室のドアを開けたのが10:18でした。10:30の休み時間に受験票だけもらって帰ろうという魂胆が見え見えでしたから、授業後に1階の職員室へ来いとだけ言って、後半の選択授業に出させました。

選択授業を終えて職員室に戻ると、カウンターにCさんの顔が。職員室内に呼び寄せ、まず、T大学の受験票を渡しました。そして、「昨日、電話で明日からちゃんと来ると言ったのに、どうして教室に入ったのが10:18なんですか。あなたの『ちゃんと』は10:18なんですか」と、戦闘開始。「全然来ないよりいいと思いました」とCさん。

「今、私には、Cさんの来学期の登録を認める気持ちは全くありません。これは12月いっぱいでいったん国へ帰らなければならないという意味です。国へ帰らずにビザが切れるまで日本にい続けたら、あなたは除籍処分になります。除籍ということは、T大学に受かってもビザの延長ができないということです」

ここまで言われれば、さすがのCさんも多少は事の重大さに気付いたようで、「これからちゃんと学校へ来て、勉強します」と反省の弁を。「そんなことば、信じられませんね。同じことばを、あなたは何回言いましたか」。こういわれて意外そうな顔をしたCさんを見て、やっぱり口先だけだなと思いました。

私は本気です。いい加減な出席状況、授業態度なら、絶対に来期の登録を認めません。Cさんの“自宅学習”が無になろうとも、知ったことではありません。CさんにはCさんの論理があるのなら、KCPにも通すべきKCPの筋があります。日本は法治国家ですから、出入国及び難民認定法の精神に基づいて、粛々と対応します。

不安

12月3日(木)

今週は学生たちにマイナンバーについてのお知らせをし続けています。留学ビザで日本に滞在する学生も、マイナンバーの対象者だからです。私のクラスの学生はみんな進学希望なので、専門学校に入ったとしても、あと2年は日本にいますから、マイナンバーのお世話になることがきっとあるでしょう。

各方面で報じられているように、マイナンバーの配布は遅れているようですが、私のところには先月半ばに配達が来ました。あいにく留守で直接受け取ることはできませんでした。郵便受けには不在通知が入っていて、それに従って受け取りに行きました。いつもの不在通知と同じように所轄の郵便局の窓口へ行ったら、マイナンバーに関しては隣の建物だと言われ、そちらへ移動。そこで簡単な書類を記入し、免許証で本人確認し、受け取りのハンコを押して、ようやくマイナンバー通知書が受け取れました。

学生は、留守中に不在通知が届いていたら、それをきちんと処理して、マイナンバー通知書を受け取ることができるでしょうか。漢字の密度が高く、しかも見慣れぬ単語に満ちている不在通知を読みこなすことは、至難の業に違いありません。案の定、超級クラスでも、よくわからないから捨てたとか、何週間もそのままほうってあるとかいう学生が続出しました。初級の学生の実情がどうであるかは想像に難くありません。いや、想像を絶するものがあるかもしれません。

外国人である学生に限らず、日本人を80年以上も続けている私の母も、マイナンバーをもらったはいいけれども、何をどうしていいやらわからず、非常に不安がっていました。マイナンバーに数々の利点があることは認めますが、私を含めてこの国に住む人々にそれが何物であるかが十分に伝わっていないように思えます。なんか、物事の進め方が雑なような気がしてなりません。

ハンコ

11月10日(火)

2時半頃、代講をお願いしたクラスの学生が提出した例文のチェックを始めようとしたところ、「金原先生、学生が来ています」と声をかけられました。カウンターにはLさんが立っていました。Lさんは今月全然学校に顔を出さず、今日の授業も欠席。本人の携帯に電話をかけても留守電にすらならず、連絡が取れない状態が続いていました。そのLさんが姿を現したのです。

私がカウンターまで出て行くと、「先生、書類をください」と、出席成績証明書の申請用紙を担任である私に出し、ハンコをもらおうとします。学校を休んでいたことについては何も言わず、悪びれる様子もなく、いきなりこれです。カチンと来ましたね。「今月ずっと休んでいましたが、今まで何をしていたんですか」「うちで勉強していました」「あなたが勉強すべき場所はこの学校じゃないんですか」「でも7月のJLPTも合格したし、専門学校も決まったし、学校で勉強することはありません」「じゃあ、国へ帰ったらどうですか。あなたのビザはKCPで勉強するためのビザですから」「それはダメです」「どうしてですか」「卒業する前に帰国したら両親に申し訳ないですから」「両親に対して申し訳ないことをしてきたということですね」「はい。これから頑張ります」「どう頑張るんですか」「毎日学校へ来て、一生懸命勉強して…」「そんな言葉がすぐ信じられると思っているんですか」「…」「学校を好きなだけ休んでおいて、書類が必要だからハンコ押せって言うんですか。ずいぶん自分勝手だとは思いませんか」

…まだまだ続きましたが、思い出すだけでもおぞましいやり取りなので省略します。Lさんは教師を書類作成マシンとでも思っているのでしょうか。連絡もよこさず休み続けている学生の書類に素直にハンコを押せるほど、私は練れた人間ではありません。Lさんの申請書類は預かりました。Lさんが真人間に戻ったら、ハンコを押して返そうと思っています。

寝坊

11月9日(月)

昨日のEJUの話を聞くと苦笑いをする学生が多く、あまり期待しないほうがよさそうです。苦笑いした学生は曲がりなりにも出てきていますから許せますが、休んでしまった学生も結構いました。こいつらは、ちょっと感心しませんね。去年あたりは、一生懸命頑張った自分へのご褒美なんて抜かした学生もいましたが、受験はこれからなんですから、ご褒美は早すぎます。

何かと理由をつけては気を緩めたくなる気持ちは理解できますが、ここで緩めてしまうと、引き締めるのが難しくなります。大きな試験が終わったんだからっていう気持ちが強くなると、1日だけのつもりが、もう1日、もう1日と気の緩みを重ねてしまいがちです。スポーツの世界では1日練習を休むと取り戻すのに2日かかるとよく言われますが、勉強でも全く同じです。

受けて気を緩めるならともかく、受ける前から気が緩んでいて昨日寝坊して受けなかったという剛の者もいます。ここまで来ると、言うべきことばもありません。それでも日本で進学したいと言われると、担当教師はEJUなしで受験できる大学を探します。いろいろと段取りを整えてやっても、そういう学生は、えてして、その教師の努力を無にするものです。今年はどうなのでしょう。

さらに、おととい受験日だったA大学の二次試験を、これまた寝坊で受けなかったという学生もいました。自分でつかんだチャンスをみすみすどぶに捨てるようなまねを、どうしてこうも気楽にしてしまうんでしょう。ほかの大学も受けるからどうにかなると思っているのでしょうが、チャンスを生かそうとしない人間に対しては、世の中そんなに甘くはありませんよ。

そんながっかりさせられるような学生どももいれば、出願準備に余念のない学生もいます。そういう学生にこそ、光が当たってほしいと、切に願っています。