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花火が見られるかな

7月29日(土)

今晩は隅田川の花火大会が予定されています。雨が降っているので、予定通りに行われるかわかりませんが、浅草方面に向かう電車は混雑のため遅延も出ているようです。

私のうちの最寄り駅も花火の日は大混雑します。花火がはじまって少し経ってからでないと、電車も何も身動きが取れません。また、終了時刻が過ぎると帰宅ラッシュにかち合い、駅からうちまで歩くのが一苦労どころではなくなります。ですから、絶妙のタイミングを見計らって帰らねばなりません。

早く帰ってうちから花火を見ちゃえばいいのにと思われるかもしれませんが、マンションの私の部屋は花火が打ち上げられるのとは逆向きですから、音だけの花火大会という、何とも間の抜けた状況となってしまいます。ですから、毎年この日は、8時過ぎぐらいに駅に着くように時間調整して帰宅しています。

私はこういう花火大会やお祭など、人が大勢集まるところがあまり好きではありません。ラッシュが嫌いだから朝早く出勤するし、連休や夏休み、年末年始休みなど長期休暇も、混雑しないところを選んで出かけるし、昼食もピークの時間帯を避け、店をのぞいて混んでいたら入りません。

今から30年以上も昔、勤めていた会社のある町の花火大会を誰もいないところから見ようと、打ち上げ場所の近くの山に車で登ろうとしました。しかし、同じような考えの人が多かったみたいで、山道は大渋滞を起こし、中腹の林のすき間から打ち上げ花火を見下ろすという、しまりのない結果に終わりました。隅田川花火大会もスカイツリーから見下ろすというのがはやっているそうですが、私の経験からすると、それって楽しいんだろうかって気がします。

先週の浴衣販売で浴衣を買い、今週の着付け教室でき方を覚え、そして、今晩花火を見に行くのを他のlしみにしている学生が大勢いますから、どうにか開催されるといいですね。

車を買ってもらう

7月28日(金)

「大学卒業のお祝いに」に言葉を続けて文を完成させるという宿題がありました。

「両親が腕時計を買ってくれました」ぐらいなら、私の時代にもよくあったことですから、十分理解できます。「新しいパソコンを買ってもらいました」も、理解の範囲内です。しかし、「新車を贈ってくれました」となると、これが実話なら世の中が変わったと思わざるをえません。しかも、「新車」と書いてきた学生が2人いました。教室での様子を見る限り、この2人が答えを見せあったとは思えませんから、大学卒業に新車というのは、この学生たちの国では珍しいことではないのかもしれません。

このように、この仕事をしていると、思わぬところでいまどきの世界の若者の生活の一端や思考回路のかけらを垣間見ることができます。私は外国で暮らしたことはありませんが、こういう小さな「へぇ~」を感じるたびに、心も頭も世界に広がっていくような、大きな刺激を受けます。残念ながら心地よい刺激ばかりではありませんが、それだからこそ、現実の世界を正確に反映しているのだと思っています。

先日、家の中の片づけをしていたらパスポートが出ていました。もしかするとと思ってページを開くと、期限が切れていました。海外に遊びにいくかもしれないと思って取ったのですが、かもしれないで終わってしまいました。でも、KCPにいると毎日海外旅行並みに小さな見聞が少しずつ広がります。グルメでない私にとっては、この程度でも結構満足できちゃいます。

さて、来週の土曜日はスピーチコンテスト。ぐぐっと目が見開かせてもらえることを期待しています。

触媒作用

7月19日(水)

先学期の私のクラスは、学期の最初のころは、授業中はおとなしいし、病弱ですぐ休んじゃう学生や理由もなくなんとなく欠席を続ける学生などもいて、一時はどうなることかと頭を抱えてしまったものです。しかし、学期末は、意見は活発に出るし、なぜか誰も病気をしなくなり、欠けても1名という日が続き、いつになくまとまりのあるクラスになりました。初級のクラスでしたが、違う国出身の学生と学生が、共通言語である日本語を通じてコミュニケーションを取る姿がごく当たり前に見られました。期末テスト後の食事会では、進級してもこのクラスのままがいいという声が上がるほどでした。長欠になりそうだった学生が、クラスメートの力によって遅刻もせずにきちんと出席するようになったというところが、このクラスが学生たちにとっていかに居心地がよかったかを示しています。

他のクラスが何名かの不合格者を出したのを尻目に、このクラスは全員が進級しました。しかし、クラスは解体され、数名ずつの塊となって新クラスに配分されました。各クラスで、彼らが核となってまとめていってほしいという願いも込められていました。

ところが、今学期の初日から、このクラスのメンバーは何人も欠席しました。新クラスの核どころか、お荷物になってしまいました。長欠から立ち直ったと思った学生も、昨日、新旧の担任の先生方からたっぷり叱られていました。それ以外にも、Aさんは欠席とか、Bさんは2日連続とか、よからぬ噂が毎日のように私の耳に届きます。先学期は、惑星直列みたいな奇跡の一瞬だったのでしょうか。

そもそも、先々学期の先生方が先学期のクラスを作るとき、私のクラスがこんなすばらしいクラスになるとは、予想だにしていなかったでしょう。クラスの空気は教師の人知を越えた領域で作り出されるのです。教師のクラス運営がそのクラスの学生たちに与える影響を否定はしませんが、学生がお互いに触媒になって向上していくパワーにはかないません。

スピーチコンテストのクラス代表がほぼ決まりました。今学期は、スピーチコンテストを通して学生が成長していく学期です。

疑惑

7月14日(金)

「先生、私、2人しか合格しなかったテストに合格したんですよ」と報告してくれたのは、今年専門学校に進学したMさん。KCP在学中も目立つ学生でしたが、進学先でも大いに存在感を示しているようです。同じクラスに日本人のライバルがいて、バシバシと火花を散らしながら競い合っている様子を物語ってくれました。今は、間近に迫った実技のテストのために、文字通り日夜技を磨いているそうです。

Mさんの会話力、コミュニケーション能力は、このように専門学校での留学生活を活写できるくらい、十二分にあります。しかし、Mさんの周りの外国人留学生はそれほどでもありません。日本語がしゃべれず周囲に溶け込めない留学生も多いそうです。そのため、ある留学生が、校内で事件が起きた時、疑いの目を向けられてしまいました。義侠心も強いMさんは、理路整然と、時には情に訴えることも忘れずに、学校側にねじ込んで、その留学生を救いました。そのことを語るMさんは、我が事のように怒っていました。

Mさんが進んだ専門学校は、その分野では一流とされ、留学生の受け入れも長年行っています。Mさんのライバルも、一流大学に入れる頭脳を持っていながらも、その専門学校に進んだみたいです。そんな学校ですら、日本語によるコミュニケーション能力が劣ると、学業外でいやな目にあわせられることがあるようです。

胸に手を当てるまでもなく、頭はよかったけれども口のほうはからっきしだった学生、筆記試験の力は高いけれども面接練習はがたがただった学生の顔が思い浮かびました。そういう学生たちが有意義な留学生活を送れているのか、少々気懸かりです。

夕方、SさんとWさんが遊びに来ました。2人はKCPから大学に進学し、今は大学院生です。専門を極めるために、学校に泊まり込むことも辞さず学業に打ち込んでいます。学外の奨学金受給者の会合に参加する道すがら、KCPまで足を伸ばしてくれました。日本語で軽口がたたけるまでになっていますから、コミュニケーション力不足で孤立していることはないでしょう。

留学には、やっぱり日本語力です。

ヒアリが攻めて来た

7月6日(木)

強い毒を持つヒアリが国内で初めて見つかったのは、先月の半ばのことでした。それから1か月もたたないうちに、神戸、岡山、大阪、名古屋と続々発見され、ついに東京でも発見されました。関東以西の太平洋・瀬戸内海沿岸は気温が劇的に違うわけではありませんから、その地域はどこにでもいると思っていたほうがよさそうです。

でも、日本海沿岸は冬の雪のおかげでだいぶ違うんじゃないかと思います。南米原産で、マレーシアや中国の広州あたりに住みついていたとのことですから、寒さには弱そうな気がします。となると、鳥取なんかは緯度的には南のほうかもしれませんが、今年の1月から2月にかけてのような1メートル近い大雪も降ることがありますから、ヒアリにとっては厳しすぎる気象条件だと思います。

こう考えると、雪はその白さで穢れを覆い尽くすという視覚的精神的効果だけでなく、生物学的にも日本人を南方の生命力のありすぎる猛毒生物から守ってきたと言えます。日本人は雪と戦ってきたことも確かですが、雪は人に牙をむくばかりではありません。日本人を優しく包んでいてもくれたのです。

ヒアリはどうやら輸入品のコンテナに伴って侵入してきたようですが、最低気温上昇の影響も見逃せません。グローバル化と温暖化が保護膜を溶かし、日本が丸裸になってきたような気がします。快適な生活を追い求めてきたら、身の回りに危険が忍び寄っていたというわけです。

藤井四段の連勝が止まるとともにヒアリが広がった――なんていうふうに、年末に総括されるような1年になってほしくないです。

10:23入室

6月22日(木)

Yさんは10:23に教室に入ってきました。期末の聴解テストの最中でしたから、テストが終わるまで教室の外で待つように指示しました。遅刻の理由は要するに寝坊で、クラスの先生から注意され続けてきたのに、ついに学期を通して寝坊による遅刻は治りませんでした。

Yさんは大学進学を目指しています。日本語以外にEJUの科目などの勉強に手を出しました。しかし、どれも長続きしませんでした。クラブ活動も、興味の赴くままにあれこれ始めましたが、どれも中途半端に終わりました。アルバイトもしているようですが、遅刻欠席が目立つということは、勉強との両立がうまくいっていないことは明らかです。

Yさんは今年18歳になったばかりです。自分では大人だと思っているのかもしれませんが、私が見る限り、まだまだ子供です。自分を律していけないうちは、大人だとは言えません。国の親御さんは自分たちの下から離れても一人でやっていけるとお考えになったのかもしれませんが、ここのところの生活状況は、独り立ちしたとは言えません。

最近、Yさんのような例が増えています。子供に試練を与えて鍛えていくことも人生においては必要でしょうが、乗り越えられない試練では、子供は挫折しか味わえないでしょう。ライオンよろしく子供を千尋の谷に突き落としたら、さっぱりはい上がってこなかったというのでは、意味がないどころか逆効果です。

Yさんも、国の親元でもう1年ぐらい苦労の練習をしてから留学したほうがよかったんじゃないかな。でも、まだまだ逆転のチャンスがあります。今学期の自分を反面教師にして、一刻も早く実のある留学生活を始めてほしいものです。

出張ついで

6月21日(水)

職員室で仕事をしていたら、雨の中、傘をさしてこちらに向かってにっこり笑いかけるスーツ姿の男性が目に留まりました。もしかして、Jさん?

ロビーに入ってきたその男性の「お久しぶりです」という声は、紛れもなくJさんのものでした。スーツに包まれていることに何の違和感もなく、堂々としたビジネスマンでした。「お変わりなく」と言ってくれましたが、Jさんの変わりようからすると、私もだいぶ年を取ったように映ったことと思います。

Jさんが言うには、2001年に19歳でKCP入学だそうですから、この学校にいた頃のJさんに幼顔が残っていたとしても不思議ありません。その後Jさんは日本の大学に進学し、卒業後いくつかの会社を渡り歩いて、今は国の会社の日本担当です。月に2回、東京まで出張で来るそうです。スーツが似合っているわけです。

同じころKCPにいたDさんは、やはり月2回ぐらい大阪出張で来日しているとか。日本で勉強した専門を生かして、会社の中では結構な実力者になっていると聞き、立派になったものだと感心しました。Facebookで時々消息が知れるHさんは、世界中を遊び歩いているそうです。おとといはカナダの写真を載せていましたが、まさにそういう生活を送っているようです。うらやましい限りです。

Jさんは自分たちがKCPにいたころと比べて学生の様子が変わったと言っていました。確かに、かつては学生と言えば貧乏、貧乏と言えば学生でしたが、今の学生は私たち教師よりもよっぽどお金を持っています。また、Jさんの頃は日本で進学しない学生が少なからずいましたが、今はそういう学生は少数派です。そんなこんなで、Jさんも世代の差、時代の流れを感じたのでしょう。

Jさんのように、日本語を武器に、自分の足で歩み、自分の手で人生を切り開いている卒業生を見ると、うれしくなります。石ころ1個分であれ、そういう人の人生の石垣を築く手助けができたのですから。

受験講座なんつ

6月14日(水)

ある初級のクラスで助数詞を導入したときのお話です。まず、薄っぺらい物を数える時の「枚」、パソコンや自動車のような機械類を数える時の「台」を教えます。これらは、どんな場合でも、数詞も助数詞も音が変化しません。不定数も「なんまい/だい」です。対して、細長い物を数える時の「本」は、「いっぽん」のように、数詞も助数詞も音が変化しますから、最初の導入には不向きです。

「ひとつ、ふたつ、…とお」は、「枚」「台」という一番簡単なパターンとは違って、「いち」とか「に」とかとは全然違う音になります。しかし、カレンダーを思い出せば、「みっつ」と「みっか」、「ここのつ」と「ここのか」など関連が見えてきますから、日付を覚える苦労の何分の一かで身に付けられるでしょう。

さて、あるクラスで、「枚」の“?”は「なんまい」、「台」の“?”は「なんだい」とさんざん練習した後で、「~つ」の“?”はと聞いたところ、クラス全員声を合わせて元気に「なんつ」。普通は1人か2人か国で勉強してきて「いくつ」と答えてくれる学生がいるものですが、たまたまこのクラスにはいなかったのか、忘れてしまっていたのか、「なんつ」の大合唱となってしまいました。

その「なんつ」、久しぶりに聞いてしまいました。進学コースの学生に来学期の受験講座の登録をしてもらっているのですが、Jさんは私の説明を聞いた後に「受験講座の授業はなんつ申し込みますか」と質問してきました。思わず「えっ?」と聞き返してしまいました。聞き返しても同じことばが返ってきました。そこでようやく初級クラスの「なんつ」と結びつき、「3つでも4つでも5つでもいくつでもいいですよ」と答えることができました。

Jさんは事情があってついこの前まで一時帰国していました。そのため、頭の中が国の言葉のモードになっているのかもしれません。今度の日曜日がEJUなのに、日本語を習い始めたころのレベルに戻っているとしたら、非常に困ったことです。EJUの後には期末テストも控えています。「なんつ」では進級も覚束ないでしょう。となれば、受験講座の説明も無駄になってしまいます…。

267億円

6月12日(月)

上野動物園のパンダのシンシンに子供が生まれました。前回は5年前で、このときは1週間足らずで死んでしまいました。それゆえ、上野動物園では今度こそはと思っていることでしょう。

パンダは年に2日ほどしか発情せず、このときに受精しなければ子供は生まれません。また、子供は非常に小さく弱々しい形で生まれてくるため、人間でいう乳幼児死亡率が5割にも上るとされています。こんなふうに、繁殖・生育が非常に難しいため、野生のパンダは絶滅寸前であり、動物園においても生まれたパンダが大きく育つことはなかなかないのです。

今回のパンダが順調に育っていくと、267億円の経済効果が生じるそうです。北陸新幹線に比べたら半分か3分の1ぐらいですが、費用対効果を考えれば、とんでもなくすばらしいのではないでしょうか。新幹線の開業効果は常に何か新しいものを考えていかなければリピーターをつなぎとめられませんが、パンダはその成長そのものが新しいイベントですから、赤ちゃんを1度見た人は自然に2度3度と足を向けることでしょう。それゆえ、大事に丈夫に育っていくかどうかが、一般庶民の最大の関心事となるに違いありません。

でも、2年経ったら赤ちゃんパンダは中国へ行かなければなりません。そういう約束で、上野動物園の2頭のパンダは中国から借りてきているのですから。ということは、赤ちゃんパンダが見られるのも、その成長を喜べるのも、ごく短期間に限られるわけです。里帰り(?)のときに全国民が涙ながらに見送る図が目に浮かびます。

赤ちゃんパンダがいつから公開になるかわかりませんが、ちょうどこの時期に東京にいた記念に見に行く学生たちもいるんじゃないかな。それも267億円のごく一部ですね。

雨の季節の校庭

6月7日(水)

昨日の九州地方に続いて、中国四国近畿東海関東甲信地方が梅雨入りしました。ほぼ平年並みで、梅雨明けも平年並みとすると、これから1か月半ほど雨のシーズンとなります。

そんな中、校舎の隣の敷地が校庭として使えるようになりました。校庭と言っても運動ができるわけではなく、当面は2階のラウンジが拡張されたとして、ラウンジ同様に談笑したり食事したりする場として、学生に使ってもらおうと思っています。

午前のクラスからアナウンスを始めましたが、最高気温が22.6度、しかも梅雨らしい曇り空という、あまりよいお日柄とは言えない1日でしたから、新しもの好きの学生であふれ返るという状況にはなりませんでした。それでも何人かの学生が、テーブルにノートを広げたり、いすにゆったり腰掛けてスマホをいじったり、友達同士でお弁当をつつきあったりしていました。

校庭はラウンジの延長とは言うものの、1つだけ心配があります。それは、自動販売機がないことです。ラウンジの自動販売機でお菓子やパンや飲み物などを買ってその場で友達と一緒に食べるのが楽しいと言っている学生を何人か知っています。そういう学生にとっては、自動販売機のない校庭は魅力半減でしょう。

校庭に自動販売機を置くかどうかはまだわかりませんが、置いたとすると、また1つ問題が発生します。自動販売機の前に並んで自分の順番が来るのを待ちながら友だちとおしゃべりするのが楽しいという学生もいるからです。ラウンジと校庭とで混雑が分散されてしまったら、こういう学生から待つ楽しみを奪ってしまうことにもなりかねません。

そんなことをあれこれ考えても始まりません。何はともあれ、学生に使ってもらいましょう。降られてしまったら校庭開放はできませんが、これからしばらく学生の志向を見て、よりよい利用法を考えていきましょう。