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思考回路

4月27日(木)

Nさんは、KCPに入学する前に、神戸でホームステイしていたことがあります。国で勉強した日本語は、もちろん共通語ですが、神戸で話されていた日本語は、もちろん関西弁。初めはかなり戸惑ったようですが、ある日突然、関西弁が自然に口をついて出てきたそうです。その日からは、ホームステイの家族とも関西弁でやり取りできるようになったということです。

私も、就職して山口に住むようになってからしばらく後、思考回路が山口弁で回っているのに気付き、自分でもびっくりしたことがあります。「はあ9時じゃけぇ、はよういなにゃあ…」などという自分の声が、頭の中から聞こえてくるようになったのです。東京出張で山手線かなんかに乗ると、そこで聞こえてくる共通語にむずがゆさとも堅苦しさともつかない不安定さを感じたものでした。もちろんなのか残念ながらなのかはわかりませんが、今は思考回路は東京の言葉で回っています。

言葉は、あるクリティカルな量まで浴び続けると、不連続にその言葉の色に染まってしまうことがあります。Nさんは関西弁に包まれて1か月か2か月経ったときに、その“ジャンプ”を味わったのです。これが、よくいう英語耳の関西弁版なのでしょうか。もし、そうだとしたら、Nさんには語学の才があるんじゃないかと思います。

翻って今のKCPの学生たちですが、休み時間のたびに国の言葉で国の友達としゃべっているようでは、日本語耳への道のりは遠いように思えます。私のクラスのCさんなどは、勉強したくない言い訳に過ぎないかもしれませんが、同国人と日本語で話すのが恥ずかしいと言っています。こんなへっぴり腰では、卒業まで勉強しても大した日本語の使い手にならないことは、目に見えています。

ま、いずれにしても、国の環境に守られながらじゃ、ろくな留学はできないということです。

人身事故

4月10日(月)

今朝7時半頃、仕事をしていると電話が鳴りました。「小田急線が人身事故で止まっているので、学校に着くのが遅くなりそうです。すみませんが、2階のラウンジの鍵を開けておいてくださいませんか」とMさんから頼まれました。しばらくすると、今度はF先生から「小田急線が止まっていて、迂回ルートで行きますから遅れます」。

人身事故は、踏み切りで起きたようです。小田急線は代々木上原から登戸までは立体交差化が進み、踏み切りはなくなりましたが、その前後は、新宿駅の南口を始め、数多くの踏切が残されています。ホームでの人身事故は、ホームドアによってほぼ完璧に防げるでしょうが、踏切での人身事故は踏み切りをなくさない限り撲滅できません。これは何十年も前から言われていることですが、いまだに解決できずにいる問題です。

立体交差化には多額の費用を要し、一企業の手には容易に負えません。高架化による立体交差は日照権や騒音の問題が生じ、地下化するには高架化よりも工費がかさみます。路線が通過する自治体の協力なしには計画は進みません。でも、計画を立てたからと言ってすぐに実施できるわけでもなく、工事を始めても短期間に終えることはできません。小田急の立体交差化も、都市計画の段階から考えると、半世紀もの年月が流れています。着工からでも30年以上です。

小田急の歴史を紐解くと、昭和の初期に新宿ー小田原間の80km余りをわずか1年半ほどで一気に開通させています。ですから、たらたらと仕事を進める風土の企業とは思えません。その小田急をもってしても、30年とか半世紀とかという時間を要しているのですから、これがいかに難事業であるかがわかると思います。

小田急が開通したおかげで都市化が進み、都市化が進んだせいで立体交差化が進まなくなったという皮肉な図式があります。小田急にしても、立体交差化が完成しても乗客が増えるという見込みはありません。立体交差化に伴って行われた複々線化によってスピードアップが図られ、それによる乗客増はいくらか望めるでしょうが、小田急の経営にどれだけ資するかはわかりません。

踏切事故は、法律的に見ると、ほとんどの場合、鉄道側に責任はありません。でも、はたから見ると鉄道側が悪く見えてしまうこともよくあります。日々、かげながら恩恵をこうむっているのに、事故が起きると「まったく小田急はどうしようもない」なんて言ってしまうものです。

日本は、鉄道など交通機関を公共財と考える発想が薄いです。小田急は利潤も追求しているでしょうが、儲け第一主義だけでは半世紀にわたって粘り強く立体交差化を進めることなどできません。明日からまた多くの学生たちが電車で学校に通ってきます。鉄道会社には安全運転を望みますが、万一人身事故が起きたとしても、鉄道会社だけを悪者にするような学生には育てたくないです。

不摂生の結果

4月3日(月)

昔、お酒を飲んでいたころは、連夜の午前様や二日酔いでの出勤や、それはそれはとんでもないことばかりしていたものです。でも不思議なもので、記憶をなくすまで飲んでも、電車を乗り過ごすことはありませんでした。どういうわけか、自分の降りる駅ではきちんと目を覚まし、帰巣本能に従ってかろうじて家まで帰りついたものです。

そういう生活の中で、年に一度の年貢の納め時が健康診断でした。γGTPが普通の人の2倍などと言われないように、健康診断の直前は身を慎もうとしたこともありました。いや、それでは普段の健康状態を正確に表しておらず健康診断の意味がないとか言って、健康診断の前日も飲んでいたこともありました。

今はお酒はやめていますから、そういう心配はありません。その代わり、毎日が睡眠不足に運動不足に不規則な食事に目の酷使と、不摂生を絵にしたような生活ですから、やっぱり健康診断は年貢の納め時です。

その健康診断がありました。レントゲンなどは結果がすぐに出ませんが、尿検査、血液検査など、結果がすぐ出るものは結果を聞いてきました。それによると、データ上は健康そのものだそうです。実感としては体中ボロボロなのですが、医学的には問題ないようです。なんと頑丈な体なのでしょう。

若い時にムチャをした人は、私ぐらいの年になると健康診断引っかかり放題のはずなのですが、私はどういうわけか目以外は引っかからず、不摂生が改まりません。いつかガクッとくるんじゃないかと心配なのですが、健康診断の数字が異常なしのなうちは働いちゃうんですよね。

午後からは新学期の準備でした。新入生のプレースメントテストが終わったら、また、不摂生の度合いが深まりそうです。

懐かしくなる?

3月31日(金)

私が毎日通勤に使っている日比谷線の電車が新しくなると、かなり前から駅などで告知されていましたが、今朝、やっと初めてその新しい電車に出会いました。反対方面行きの電車でしたから乗ることはできませんでしたが、駅に止まっている姿をしっかりと目にしました。

日比谷線はラインカラーがグレーですから特別目に鮮やかな色が使われるようになったわけでもなく、新しい電車だからといって劇的な変化はなさそうでした。各車両の北千住寄りに車いすマークが描かれていましたから、きっと車いすが乗れるスペースは増えたのでしょう。銀座線の電車もあれよあれよという間に置き換わりましたから、夏ぐらいには今の電車を懐かしむようになっているのでしょうか。

古い電車を懐かしむといえば、旧国鉄時代に山手線などの通勤区間を走っていた電車が、絶滅危惧種よろしくSL並みに撮影対象になっているそうです。東京地区からはとうの昔に消えてしまい、残っているのは大阪地区だけとのことです。山手線を走っていた通勤電車といえば、お客を詰め込むことを第一に設計され、最初のころは冷房すらついていませんでした。当時は誰もいいイメージを抱いていなかったと思います。文字通りいやというほど見せ付けられていましたから、わざわざ写真に撮ろうなどと考える人もいませんでした。

明日でJRが発足してちょうど30年になります。1987年4月1日の朝は夜勤明けで、工場の敷地から見上げた、JRマークをつけた新幹線がやけに新鮮に感じられたのをよく覚えています。そのときの私と今の私とを比べると、改めて30年という時間の長さを感じさせられます。旧国鉄の電車といえば、それよりもさらに前から走り続けてきたわけですから、表彰状ものかもしれません。

あっちへ行く

3月18日(土)

私が本を読むのは、興味の対象に関してより深く知りたいという知識欲もありますが、小説などの物語の世界に引き込まれたときの快感を味わいたいという面もあります。作家は、よく、小説を書いていくと登場人物がひとりでに動き出して、自然に筆が進んでいくことがあると言います。読者としてこの感覚にはまることがあり、そのときのエクスタシーというか高揚感というか、要はあっちの世界へ行っちゃったような気分が何とも言えないのです。ささやかな現実逃避をしているようなものかもしれません。司馬遼太郎、吉村昭、東野圭吾、有川浩、まだまだいますが、こういった作家の本では必ずトリップします。

いちばん最近思いっきり泳がせてもらったのは、山崎豊子の「約束の海」です。山崎豊子の遺作が文庫本になったので買っておいたのを、今週、ようやく手に取ったのです。400ページあまりを2日ほどで読了してしまいました。朝も夜も電車を乗り過ごしそうになり、お昼のお店ではご飯そっちのけになり、存分に楽しませてもらいました。

でも、それだけに、この本が遺作だということが残念極まりありません。登場人物が歩き出し、感情を持ち、その顔立ちが脳裏にくっきり描かれたところで、彼らは動きを止めてしまいました。山崎豊子自身、壮大な展開を考えていたようなので、なお一層登場人物のその後が気なってなりません。

私の未読の本棚には私を別世界に誘い込んでくれそうな本が並んでいます。来週期末テストが終われば、次々と手を出していこうと思っています。

廊下の寒さに耐えて

3月6日(月)

「先生、廊下がめちゃくちゃ寒いです」と、休憩時間に廊下に出ていたDさんが、後半の授業の出席を取ろうとするや言ってきました。そりゃあ、そうですよ。午前のクラスは卒業生が大挙して出ていったため、学生の数もクラスの数も半分ぐらいになっちゃったんですから。

それに加えて、今朝は4名の先生が卒業旅行に行っていますから、朝礼をするときの職員室はスカスカなんていうもんじゃありませんでした。何だか気が抜けてしまいそうな感じでした。

でも、来学期以降もKCPで勉強を続ける学生たちは、これからが本番です。上級の場合、先週までは卒業生がクラスの主役で、卒業文集とか卒業制作とか卒業認定試験とか卒業式の予行演習とか、二言目には「卒業」という言葉が出てきました。それゆえ、卒業しない学生は何だか居心地が悪かったかもしれませんが、卒業生がいなくなった今は、あなたたちが主役です。何より、これから1年間、KCPの屋台骨を支えていってもらわなければなりませんからね。

私が入ったクラスの学生にも、そういうことを説いて、学生たちの自覚を促しました。この学生たちが、現在の初級や中級の学生たち、4月以降に入学してくる学生たちを引っ張っていって初めて、KCPに新たな歴史が刻まれるのです。運動会やスピーチコンテストや、そういった学校行事の成否も、上級に残った学生たちの双肩にかかっているのです。

何だか頼りないような気がしますが、それは毎年のこと。春の運動会で上級生としての自覚が芽生え、夏のスピーチコンテストで上級生として恥ずかしくないスピーチや応援をするために力を尽くし、秋のバーベキュー大会には頼りがいのある先輩に成長しているものです。そして、卒業の学期を迎え、惜しまれつつ去っていく…。これが、この学校の一年です。

下から上まで

2月27日(月)

午前中が一番上のクラス、午後は一番下のレベルのクラスの代講と、ジェットコースターのような1日でした。午前中は四字熟語とか五行歌とか挫折とは何ぞやとかやっていたのですが、午後は「~てもいいですか」の練習からでした。しかし、このような基礎のいい加減な学生が上級にも山ほどいます。特に、テストの点数だけはそれなりと取るけれども、話したり書いたりすると日本語が崩壊している学生を見ていると、どこでどういう勉強をしてきたのかわからないけれども、こいつの日本語は武器になっていないなと思います。

言語は、ごく少数の例外を除いて、その習得そのものが最終目的ではありません。日本語なら日本語を道具として利用して、高等教育を受けるなり事業を始めるなりして初めて、勉強の成果が現れてきます。ということは、道具としてつかえないような形で日本語を身に付けても、その人の人生に貢献することは薄いのです。点取りゲームの勝者となったとしても、それによってその人の人生が豊になるとは限りません。

残念ながら、ゲームの勝者として上級に属している学生がいます。受験のテクニックにだけは長けていて、まともな文も作れなければろくに話もできないくせに、なぜかN1に受かってしまい、自分は上級者だと勘違いしている困り者が後を絶ちません。そういう学生に限ってプライドが高く、書いたり話したりしたときの誤りを指摘しても、聞く耳を持たないことがよくあります。

初級の段階から上滑りしないように、確実に力を付けていってもらいたいと思っています。このクラスの学生を中級や上級でもう一度教えることがあったら、今日の目の輝きをまた見せてほしいと思いました。

受けたい

2月22日(水)

授業後に教室でテストをやらせているところに、Gさんが入ってきました。真剣な面持ちでしたから、何か大きな問題でも発生したのかと思いました。ところが、話を聞いてみると、先週の金曜日に受けられなかった卒業認定試験を受けさせてくれということでした。

まず、腹が立ったのは、教室のドアの窓からのぞけば、私が試験監督をしているのがすぐわかるのに、その教室に入ってきたことです。緊急を要する用事ならともかく、認定試験の追試を認めてくれという、きわめて個人的な用件ではありませんか。なぜ試験監督が終わるまで教室の外で待てなかったのでしょう。

そういう気持ちを抑えて、なぜ金曜日に試験が受けられなかったのかを聞くと、ケータイの電池が切れてアラームがならなかったと言います。これまた、大した理由もなく遅刻や欠席をした学生がよく口にする言い訳です。それに加えて、今まで追試が受けられなかった事情を縷々述べていましたが、私はもう聞く気をなくしていました。

試験監督中でなければ激怒するところですが、穏やかな中にとげを含んだ口調で、どうして今頃追試を受けようとしているのかと尋ねました。すると、2年間のKCPの生活を「卒業」で締めくくりたいというようなことを言っていました。殊勝な言い分ではありますが、今までさんざん好き勝手なことをやりまくってきたGさんから、終わりよければすべてよしみたいなことを言われたくはありません。

Gさんは、しおらしく頭を下げていれば自分の要求は通してもらえると思っているに違いありません。そういうことを指摘すると、もちろん否定しましたが、私にはその否定を額面どおりに受け取るつもりはありませんでした。「いい加減にやっているとどこかで痛い目に遭うということをここで思い知って、これから先は二度と同じ失敗を繰り返さないでもらいたい」と恩着せがましいことを言って、Gさんの要求を突っぱねました。

でも、これは私の偽らざる気持ちです。KCPの卒業証書がもらえないくらい、人生における失敗のうちでは小さな部類です。この失敗に懲りて大きな失敗を未然に予防できれば、Gさんにとっては実に安い授業料ではありませんか。でも、本当に懲りてくれるでしょうか。

今週の目標

2月1日(水)

2月になりました。今月から、毎月「今月の目標」を掲げ、さらにその月間目標をブレークダウンした「今週の目標」を決め、学生も教職員もその目標を念頭に置いて動いていくということにしました。2月の目標は「健康に気をつけよう!」で、今週の目標は「手洗いうがいをしよう!」です。今、東京ではインフルエンザがはやっていますから、こういう目標を設定しました。

私が入った超級クラスの学生たちに説明すると、思ったより真剣に聞いてくれました。説明資料の中に学生たちが知らない知識や情報があったからかもしれません。このクラスにはこれから本命の国立大学を受けることになっている学生がいますから、受験日に体調不良で力が発揮できなかった、などということのないようにしてもらわなければなりません。学生たちもそう感じているからこそ、この目標に共感を覚えたのでしょう。

実は、昨日の選択授業・身近な科学で風邪について取り上げたばかりでしたから、そこで使ったネタも使い回ししたのです。全校共通の資料より、その分だけ内容が豊富で、ちょっと違った捕らえ方もしていたというわけです。ウィルスの伝播経路を詳しく説明し、このクラスには受験生が多いのだから、みんなで気をつけようと話をまとめました。

とかく学生は健康管理をおろそかにしがちです。そういう方面の知識が足りないのか若さを過信しているのか、いつでも病気みたいな学生や無茶をしまくる学生が目に付きます。この目標を機に、手洗いという健康管理の基本から見つめ直してもらいたいです。

先輩後輩

1月21日(土)

12月に卒業したJさんが、C大学に受かったとメールで知らせてきてくれました。卒業式後の懇親会のときに、面接練習を頼まれ、年明け早々、C大学の試験前日にやりました。はっきり言って危ない状態でしたが、面接の答え方のポイントを訓練し、Jさんを送り出しました。新学期準備や始業直後の忙しさにかまけてC大学の入試のことはすっかり忘れていただけに、Jさんからのメールに喜びもひとしおでした。昨日のこの欄でLさんの不義理を嘆きましたが、Jさんは面接練習のお礼まで、メールできちんとしてくれました。

Jさんはおとなしくて目立たない学生でした。でも、KCPの初級から始めて超級まで上り詰めました。教師が指示したことは確実に実行し、着実に力をつけてきたのです。爆発力や瞬発力はありませんが、持久力に富んだ学生という感じです。C大学は、Jさんにとっては実力以上の大学かもしれませんが、コツコツと努力を続けて、大きな成果を手にしてもらいたいです。

そのC大学に通っているFさんとPさんがひょっこり来てくれました。Fさんは、大変だと言いながらも、好成績で単位を確実に取っているようです。Pさんは、試験微に休んで落とした単位があるとか。KCPにいたときの2人の行動様式そのままです。Fさんは、在校時に演劇部の一員として出演した新入生向けマナービデオの映像と全く変わっていません。Pさんは、勉強はそこそこ頑張っているようですが、顔が丸くなり、おなかはぽにょぽにょの肉に包まれていました。肉が引き締まるくらい勉強に励んでくれるともっといいんですがね。

Jさんのほかにも、C大学には何人かの学生が進学します。FさんやPさんのように、堂々と遊びに来られるくらいのキャンパスライフを送ってもらいたいです。そうすれば、名門C大学ですから、得るものも大きいでしょう。