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最高

2月5日(月)

毎日、ウォーミングアップ代わりに、学生たちにあるテーマについて3分間ペアで話させます。今朝のテーマは「今度国へ帰るときのお土産」。具体的なモノのお土産でも、「私の笑顔」みたいなものでも、何でも構わないから、国のだれかにあげるお土産を語ってくれというタスクです。

3分後に何人かの学生に何を持って行くか聞いたところ、日本のお菓子という答えが多数を占めました。日本のお菓子はおいしいかときくと、教室全体がうなずいていました。

私はビジネスのお付き合いでのお土産を渡した経験しかありませんから、家族にあげる日本のお土産って何だろうと興味がありました。アメリカの大学から来ている学生は、和風の小物をよく買うようです。また、原宿あたりで買ったTシャツなんかも人気があります。でも、お菓子というのは、いても少数派でしたね。

上級はアジアの学生がほとんどですから、好みが多少は変わるでしょうが、お菓子がここまで支持されるとはねえ。中には「白い恋人」などと商品名まで挙げる学生も。商品名はともかくとして、おそらく全員が何らかのお菓子を頭の中に具体的に描いていたここと思います。

お菓子の勉強に日本へ来る学生が毎年何人かいますから、日本はお菓子に先進国なのだと思っていました。ここまで学生たちの国々での支持が強いとなると、お菓子を武器にして日本を再興できないかと考えたくなります。学生たちが持って帰ろうとしているのは、和菓子よりは洋菓子でしょう。洋菓子と言っても換骨奪胎されて、ヨーロッパなど発祥の国へ持って行ってもその地の人々の舌を魅了するに違いありません。

卒業式が終わったら帰国する学生も多いです。その学生たちのスーツケースにはどんなお菓子が入っているのでしょうか。

寒中喫煙大会

2月2日(金)

午前中は雪が結構勢いよく降った時間帯もありましたが、お昼過ぎにはそれも上がり、先週のような大雪にはなりませんでした。低気圧の通過したコースが、先週よりいくらか南だったため、まとまった雪にはならなかったようです。

雪がやんでも気温はあまり上がりませんでした。その寒空の中、学校の前にあるホテルの敷地でタバコを吸っていた学生がいました。しかも10人も。「タバコは喫煙室で」と事あるごとに注意しているのですが、それでもまだこういう学生がいるのです。お恥ずかしい限りです。

教師をバカにしているのか、学校をなめているのか、日本社会を甘く見ているのか、ルールやマナーを守ろうとしない学生は、結局何も考えていないか考えられないかなのです。私が以前捕まえたKさんもそうでした。吸いたくなったから非常階段の踊り場で吸ったのです。「吸ってしまった」という後悔や後ろめたさは感じられませんでした。こいつはまずいなと思いました。でも、厳しく注意したことが効いたのか、その後在学中は問題になることはありませんでした。じゃあ、Kさんはタバコのルールが守れる人間になったのかというと、私は懐疑的です。非常階段はまずいということは学習できたでしょうが、さらに一般化して、吸える場所以外では吸わないという境地にまで至ってはいなかったんじゃないかな。進学先でトラブルを起こしていなければいいがと思っています。

飲食禁止の教室で休み時間にこっそりお菓子を食べたりコーヒーを飲んだりしている学生、「てやまない」は「祈る、願う、期待する、希望する」と何回も注意したにもかかわらず「国に戻ってやまない」などという例文を書いてよこす学生、授業中にせっせと内職する学生、みんな根は同じところにあるような気がします。自分の目の前のことしか見えていないのです。

視野狭窄だからこそ、視野を広げるために日本まで留学に来たのですから、親の育て方が悪いとかっては言っていられません。こういう学生に考える力を付けさせるにはどうしたらいいか考えるのが、私たちの仕事です。

寒!

1月25日(木)

ゆうべ帰宅するために校舎の外に出たら、ほっぺたに冷気が突き刺さるような感じでした。今朝、出勤のためマンションの外に出たら、耳がちぎれんばかりの寒さでした。ずいぶん気温が下がっているなと思って調べてみると、ゆうべ10時の段階で気温は氷点下となっており、冷気が突き刺さるのも無理がありませんでした。今朝はマイナス3度ぐらいからどんどん下がっているころに外に出たのですから、耳も凍えたくなるわけです。

午前6:20に記録した最低気温氷点下4度は、48年ぶりの寒さだとか。東京郊外から通学してくるLさんは、自分のうちの近くがいかに寒いかを力説してくれました。南国出身のBさんは雪の解けなさ加減に驚いていました。その一方で、Sさんは、なんと半袖。生まれ故郷はマイナス40度になるから、マイナス4度は夏の気温だと言って、笑っていました。Kさんも、年末年始に帰った国はこんなもんじゃなかったと、震えている学生たちを甘いなっていう顔つきで見ていました。世界中から学生が集まっているのですから、雪や寒さに対する反応も千差万別です。

東京の最高気温は4度、快晴だったものの気温は上がらず、積雪は7cmから全く減りませんでした。明日も同様の寒さだそうですから、雪かきで築かれた雪の小山は、しばらく消えそうもありません。そうすると、来週水曜日のバザーが気になります。いつもの売り場には雪山、しかもこの寒さ。去年の夏はあまりの暑さでバザーを延期しましたが、今回のバザーも…。

朝のメール

1月24日(水)

今朝、学校に着いてメールを見ると、FさんがC大学に合格したと知らせてきていました。Fさんは7月期に初級で持った学生で、飛び抜けてできる学生ではありませんでしたが、負けず嫌いのところがありました。私のクラスでなくなってからも、志望理由書などの面倒を見ました。それがC大学の合格につながったのかどうかはわかりませんが、御礼のメールを送ってきたということは、貢献度ゼロではなかったのでしょう。

中級までのレベルでC大学ほどの大学に受かる学生には、どこか見所があるものです。Fさんの場合は、自分の弱点を正確に把握していたことでしょうか。聴解が弱いということを自覚し、それを補うためには何でもしていました。足りないところを正視しようとせず、できるふり、わかっているつもりを続ける学生は、結局沈んでいくのです。痛くても辛くても、欠けている部分をしっかり見つめ、そこを補強していく気持ちが、自分を伸ばすには必要なのです。

それよりも何よりも、こうして義理堅く合格を知らせてきてくれることがうれしいじゃありませんか。こういう気持ちは、進学してからも就職してからも、忘れてほしくないものです。もしかすると、人のつながりを大事にする姿勢が、面接か何かの際にC大学の先生方に伝わり、合格に結びついたのかもしれません。尋常ではなく一生懸命面倒を見てくださった先生に合格も知らせずいい気になっていたHさんの合格までの道のりが遠かったのも、そんな神経が相手方に垣間見えてしまっていたのでしょうか。

今年度は、まだまだ世話を焼かねばならない学生が大勢います。

ゆがんだ三分粥

12月21日

午前中のテストが終わった後、EJUの結果がほしいと、Kさんが私を訪ねてきました。EJUの成績通知書はKさんあての信書ですからそれはそのまま渡しますが、Kさんは今月のというか、今学期の出席率がひどいので、そちらについて話をしなければなりません。

今学期、Kさんは本当によく休みました。理由を聞いてもはかばかしい答えが返ってくることはなく、のらりくらりと追及をかわしていました。それで全てが済んでやりたいことがし放題と思っていたら大間違いです。Kさんの今の出席率では、たとえ進学できたとしてもビザが出ないおそれがあります。今までにそういう話もしてきましたが、軽く受け流していたようです。来学期、卒業式までの実質2か月間100%出席したとしても、出席率の危険水域を脱することはできません。事態がそこまで悪化しているのにKさん自身は全く気付いていません。

EJUの成績にしたって、封を開けたとたん顔をゆがめていましたから、思い通りの成績が取れなかったのでしょう。調べてみると、案の定、6月より下がっていました。あんなただれた生活をしていたんじゃ、退化こそすれ進化など望むべくもありません。行き先がまだ決まっていないKさん、果たしてどうなるのでしょう。

期末テストの日の夕方は、いつも、アメリカの大学のプログラムで勉強に来ている学生たちの修了式があります。修了生は、修了証書をもらったらスピーチをすることになっています。みんな、この1学期間、実に濃厚な留学生活を送ってきたことがよくわかりました。3か月と期限が切られているからこそ、オーバーフローしそうになりながらも、貪欲に何でも吸収しようとしてきたのでしょう。その拙い日本語を聞きながら、Kさんだったらどんなスピーチをするのだろうと考えてしまいました。三分粥みたいなうすーい留学生活を送っていたら、なんにも話せなくなっちゃいますよ。

特権階級

12月19日(火)

1年に計は元旦にありと言いますが、KCPではちょっと先走って、年内に来年の目標を書いてもらうことになりました。来学期の初日でもいいのですが、1年の反省をしたこの時期に、その反省を踏まえて次の年の目標を定めてしまおうという考えです。

私のクラスの学生たちは、最初はブーブー言っていたのですが、主旨を説明して書かせると、全員結構真面目に取り組み始めました。そして、一人ひとりの目標を見ると、1年後の自分のあるべき姿を言葉に表していました。このクラスの学生は大半が3月で卒業しますが、ここで書いた目標は進学先にまで持って行って、その実現に向けて努力を続けてもらいたいです。

学生たちが真剣に目標を考えた1つの原因は、この目標を書きっぱなしにしなかったことです。学生証に挟める大きさ(小ささ)の用紙にきれいな字で書かせて、学生証と一緒に肌身離さず持ち続けてもらうことにしたのです。目に付くところに目標が書かれていればそれを再認識することも多く、いい加減なことを書いたら自分自身が恥ずかしくなります。

目標を書くことに集中している学生たちを見ているうちに、彼らがうらやましくなりました。学生たちには今年と違う1年が待っています。大きく進歩する可能性を秘めた1年がもうすぐ始まります。私にも今年と違う来年が待っているかもしれませんが、学生たちに比べたら変化に乏しいものになるでしょう。自分の人生の新局面を切り開くような、胸が躍るような1年を迎えることってあるのかなあって考えると、否定的な答えになってしまいます。

こういうのが、若さの特権なのですが、当の若者は往々にして気付いていないようで、もどかしい限りです。

火消し

12月8日(金)

日本は世界有数の地震国です。しかし、KCPの学生の多くは、地震が少ない国や地域から来ています。「地震が起きたら机の下に入れ」という知識は持っているでしょうが、知識だけでは、実際に地震が発生したとき、ただおろおろするしかできなかったということにもなりかねません。そこで、地震発生という想定で訓練を行いました。

KCPの建物は3.11以降の最新の建築基準で造られていますから、地震でどうにかなることはないでしょう。しかし、学生が住んでいる建物はどうだかわかりません。また、地震には耐えられても、火事が発生したら話は全く別です。煙を吸わないようにハンカチで口を覆いながら外に逃げる訓練もしました。

今回は、それに加えて消火器を使った消火訓練もしました。消防署の方の説明を聞いてから、クラスの代表の学生が消火器で火を消しました。火災を発見したら、大きな声で「火事だ」と叫び、周りの人に知らせるようにという指導を受けた学生たちは、思ったより大きな声でちゃんと「火事だ」と叫んでから、消火器を手にして火元へ前進。近づき過ぎないようにという指示も守り、数メートル離れた所から教わったとおりに消火器を操作して、見事に火を消していました。

教室から非常階段を使って校庭まで避難するときはにやけている学生もいましたが、消防の方の巧みな話術もあり、校庭ではみんな訓練に集中していました。実際に火を消した学生も、それを見ていた学生も、消火器の扱い方は印象に残ったことでしょう。もちろん、机の下に身を隠したり、消火器を使ったりする機会など訪れないに越したことはありません。でも、備えあれば憂いなしです。有意義な留学生活を送るには、自分自身で自分自身を守る術も身に付けておくべきです。

ちょうど32

12月6日(水)

この前の日曜日にうちの近くのスーパーでみかんを買ってPASMOで支払い、翌月曜日朝に駅の改札を通ると、オ-トチャージされて残高がちょうど4832円になりました。こりゃあ週のはじめから縁起のいいことだと思い、何だか足取りも軽くなりました。その後、PASMOでは支払いをしていませんから、残高は今も4832円のままで、改札口を通るたびに表示される4832円を見てはニンマリしています。

午後、受験講座の準備をしていると、K先生から「先生、ちょうど32歳って言いますか」と質問されました。友人のお子さんの結婚式で、新郎の父親が挨拶でこう言ったそうです。「え、ちょうど32歳?」「ええ。ちょうど30歳じゃなくて、新郎が32歳ならわかるんですが31歳だし、どうしてかっていうと、32は2の5乗だからって言うんですよ。そういうの、ちょうどなんですか」「あーあ、気持ちはわかりますね。整数の5乗っていうと、3の5乗すら243で、日常生活には縁遠い数になっちゃうんですよ。でも32はわれわれの手が届く範囲の5乗の数なんで、ちょっと特別なんです。だから、ちょうどって言いたくなる心理は理解できますよ」

その方は、大学院で数学を勉強していたそうです。私も理系人間の端くれとして、「ちょうど32」という高揚感は共感できます。その方も、“3:14”なんていうデジタルの時刻を見ると、ちょっとうれしくなるんじゃないかな。また、1999年11月19日には思うところがあったに違いありません。なんたって、西暦の年月日を構成する数字が全て奇数というのは、この日の次が3111年1月1日と、千年以上も未来なのですから。

こういうことを踏まえて、私はなぜ「ちょうど4832円」と思ったのでしょう。そう、“4×8=32(しはさんじゅうに)”です。小川洋子の「博士の愛した数式」を読むと、この辺の機微がもっともっとよくわかると思います。ついでに言うと、私の誕生日は「2の3乗月3の3乗日」です。プレゼントをお待ちしております。

面の皮

11月27日(月)

私は、面の皮があまり厚くないので、普通の2枚刃のかみそりなどでひげをそると、わりとたやすくかみそり負けしてしまいます。そこで、電気シェーバーを使っています。ところが、最近、何年前に買ったかわからないくらい長期間愛用してきたシェーバーが、スイッチがなかなか入らなくなりました。1回でうなり出すのは稀で、数回から十数回スイッチを押さないと反応しなくなりました。もう寿命だとしても全くおかしくないので、新しいのを買うことにしました。

というわけで、先日、家電量販店でシェーバーを見ていると、「いらしゃいませ」(「っ」が落ちている)「何〇お探しですか」(“〇”は「か」と「が」の中間の発音)と声を掛けられました。こういう場面で、発せられた日本語で値踏みしてしまうのは、職業柄悪いクセだと百も二百も承知しつつ、中国人の店員だと思って振り向くと、それっぽい名前の名札を下げていました。

「こちらはおすすめの機種ですよ」とさらに声をかけてきましたから、「恐れ入りますが、しばらく一人で見させていただけませんか」と言うと、その店員はちょっと怪訝そうな顔をして、去っていきました。こんなばかっ丁寧な言葉遣いをされるのは初めてだったのかもしれません。乱暴な言葉を投げかける日本人ばかり相手にしてきたとすれば、日本人を代表して謝りたいです。

その後もあれこれ見比べて、買うと決めた品物をレジへ持って行くと、レジにはロシア人っぽい名前の店員さんが立っていました。家電量販店へ行くのも久しぶりでしたが、ずいぶんと外国人が働いているものだと感心させられました。KCPの学生たちも、時には私のような悪いお客にいじられながら、精一杯働いているのでしょう。また、進学し、そこを卒業したら、日本社会の構成員として、日本で生活していこうと考えている学生も少なくありません。その時には、少しは面の皮を厚くして、よい意味でふてぶてしく生き抜いてほしいものです。

激務に耐えかね

11月16日(木)

Rさんは国で外科医をしていました。医者をやめて学生に戻るなど、日本では考えにくい進路です。日本で健康管理の勉強をして、そういう方面の仕事に鞍替えするつもりです。日本で働きたいですが、たとえ国へ帰ることになっても医者には戻らないと言っています。

国では、Rさんは毎日朝6時から夜11時まで手術の連続で、5人の患者さんに3時間ほどの手術を施してきました。昼ごはんは、患者に麻酔が回るまでのわずかな時間を利用して軽食をかき込むだけ、夕食はほとんど取れません。糖分不足で倒れてしまったこともあったそうです。もちろん、休日に急患の手術をすることもありました。こんなにハードな仕事なのに、給料は安く、患者やその家族からは尊敬されず、患者が亡くなってしまおうものなら遺族がナイフで刺しに来るなど、身の危険を感じることもしばしばでした。

Rさんは、日本は街の中に小さい病院があって、そこにも患者さんがいると驚いていました。Rさんの国にも街の小さな医院がありますが、多くの人は風邪をひいただけでも大学病院クラスの大病院へ行くそうです。新幹線で100キロ先の大病院まで遠征するのもざらです。そんなことをしたら、かえって悪くなるような気がしますが…。そして、Rさんが勤めていたのはその大病院ですから、並の忙しさではなかったわけです。

日本では、かつてほどではないにせよ、医者の地位は高いです。Rさんの病院のようなブラックな病院はありません。しかし、高齢化により病人は増え、少子化により医者のなり手は減るとなったら、医者の負担は増えていくでしょう。割の合わない仕事だと思われてしまえば、さらになり手が減るという悪循環にも陥りかねません。

東急田園都市線が最近よくトラブルに見舞われているのは、電設会社に社員が集まらず、技術が低下した結果だとも言われています。Rさんの話声とともに、少子化のクリティカルポイントでがけが崩れ落ちる音が聞こえてきました。空耳だといいのですが…。