Category Archives: 生活

遠隔授業、本領発揮?

8月24日(水)

KCPは原則対面授業で、市中感染が怖いという人に限って自宅でのオンライン授業を認めています。Xさんもその1人で、夏休み前からオンラインで授業を受けています。

授業後、Xさんの書類を友人のZさんが取りに来ました。個人の書類を、親友とはいえ、気安く他人に渡すわけにはいきません。そこで、担任のT先生は、Xさんに電話をかけました。Xさんは学校からそんなに遠くないところに住んでいますから、出願用の書類を受け取ることは食料品を調達するのと同じくらい必要なこととして、取りに来させようと考えたのです。

すると、Xさんは、今すぐは学校へ来られないと答えました。あれこれ追及していくと、今、名古屋にいるというではありませんか。確かに、Xさんの志望校は名古屋にもあります。9月1日にその大学の教授との面談があるとも言っていました。つまり、感染が怖いと言いつつも、面談日の1週間以上も前から現地に乗り込み、授業だけは東京にいるふりをしてオンラインで受けていたのです。

感染が怖いのなら、必要最低限の外出しかしてはいけません。教授との面談はその必要最低限に相当するとしても、そのはるか前から現地に居座っているというのは、必要最低限とは認められません。下手をすると、夏休みからずっと名古屋暮らしかもしれません。親戚宅かホテルか知りませんが、どうせ1か所にじっとしてはいないでしょう。オンライン授業の主旨から大きく逸脱しています。

T先生はすぐに帰ってこいと厳命しました。Xさんが書類を取りに来るのがいつになるかわかりませんが、いずれにしてもただでは済ませられません。

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茄子の花

8月8日(月)

「親の意見と茄子の花は千に一つも仇はない」といいます。親の意見はいつか必ず役に立つから聞いておくものだという意味です。私が子の立場だった時代ぐらいまではそうだったでしょうかねえ。それから1.5世代くらい隔たった今はどうでしょう。世の中の変転が激しく、価値観も行動様式も、平成中盤と比べてすら、大きく違ってきています。私の若い頃から今まで、時間的には1.5世代かもしれませんが、変化の大きさを軸としたら、3世代ぐらい進んでしまったと言っても過言ではありません。

これは、学生の親にとっても同じはずです。学生の親と学生とは、時間的にはまさしく1世代です。しかし、上述の比例計算で行くと、2世代差ということになります。そして、多くの親にとっては実地体験のない異国・日本で、子は暮らしているのです。戦っていると言ってもいいでしょう。

そういう親の意見が、果たして茄子の花だろうかと思うと、大きな疑問を感じざるを得ません。「親が心配しているので、オンライン授業にしたいです」と申し出る学生が増えてきました。親御さんの気持ちはわかりますが、「日本はあなたの国とは感染症への対処法が違うんだよ」とも言いたくなります。この稿ですでに何回も述べたように、現状では対面授業の方が、学習効果が上がります。

進路に関してもそうです。確かに、親はスポンサーです。だから、子の進路に口出しする権利はあります。子が日本の悪しき風潮に流されそうになったら、それを押しとどめるのも親の果たすべき役割です。しかし、子が冷静かつ真剣に考えて出した結論には、いたずらに反対しないでもらいたいと思います。その結論が国を発つ時の考えとは違っていたとしても、それは子の成長の証です。むしろ喜ぶべきことです。

Aさん、Cさん、、Eさん…、親に振り回されている、あるいは親と戦っている学生が何人かいます。でも、自分の意見を通し、険しい道の果てに成功をつかんだ暁には、親を越えた存在となるのです。その姿を親に見せることは、子にできる最大の親孝行でもあります。

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秋の気配を感じる

8月1日(月)

先週末あたりから、梅雨明け直後のような暑さが復活してきました。今朝からずっと、KCPの玄関の体表面温度計は、学生が出入りするたびにアラームを鳴らし続けています。足止めを食った学生は、ノートで体をあおったり玄関前の日陰に座り込んだりして、衣服や髪にたまった熱気を放出し、再挑戦しています。それでもアラームが鳴りやまない学生もいます。幸い、どうやってもアラームが止まらない、つまり本当に体温が高くなっている学生はいませんでした。週間予報によると、ここしばらくは熱帯夜+猛暑日の最強コンビが東京を覆い尽くすようです。

そんな、今年2度目の盛夏を迎えたような東京ですが、私は秋を感じています。梅雨明け間もない6月下旬の1度目の盛夏の頃は、私が家を出る時分には外が明るくなっていました。部屋の電気をつけずとも身支度を整えられました。しかし、先月上旬から中旬にかけて、夏の中休みと言いましょうか、戻り梅雨と言いましょうか、天候不順な日々は、日が照らないので薄暗かったです。そして、第2盛夏ともいうべき最近は、空に雲がないのは感じられても暗いのです。日の出の時間が20分あまり遅くなっているからです。

夏至の頃は、私が乗る電車から見える朝日は、ビルの6階か7階ぐらいの高さでした。しかし、8月の朝日は、かろうじて水平線上にその全身を現す程度です。ずいぶん低くなったなあと思います。KCPの夏休み明けには、日の出前の薄明の時間帯になってしまいます。

毎年のことですが、車窓からの朝日が低くなると秋を感じ、一抹の寂しさも覚えます。今年は第1盛夏が強烈でしたから、もうエネルギーが尽きてしまったのかと、半月ほど前までは心配もしていました。でも、どうやらもうひと働きしそうです。とはいうものの、働き過ぎないようにしてもらいたくもあります。

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本当にするの?

7月14日(木)

安倍さんが亡くなって(ご本人の無念さを思うと、“暗殺された”と表現すべきかもしれません)1週間になろうとしていますが、政府は国葬にする方針を固めたと報じられています。安倍派の下っ端議員が「国葬、国葬」と騒いでいたのに乗せられたのでしょうか。

私は、国葬はふさわしくないと思います。だって、戦後は吉田茂元首相だけですよ、国葬は。安倍さんは、首相の在任期間は史上最長でしたが、業績は吉田さんに比べたら3段落ちぐらいじゃないかな。ノーベル平和賞の佐藤栄作元首相ですら、国葬じゃありませんでした。リオでマリオになったくらいじゃ追いつきませんよ。

モリカケ桜は不問に付すとしても、安倍さんの仕事の評価はまだ定まっていません。せめてあと10年長生きしてくれれば、国葬に値するという声が自然発生的に湧き上がったかもしれません。誰かが変な忖度をした結果だとしたら、泉下の安倍さんも苦笑いじゃないでしょうか。いずれにしても、早すぎる死です。

安倍さん自身は、10年と言わずもっと長生きして、中曾根さんみたいになりたかったのではないかと思います。中曾根さんは、衆議院議員を引退してから自由な立場でのびのびと言いたいことを言っていたような気がします。中曾根さん自身、けっこう気分がよかったと思いますよ。亡くなる直前まで血色もよかったし。毎日何時間もかけて、新聞を隅から隅まで熟読していたと言います。安倍さんがそういう立場から歯に衣着せずに政治を斬りまくる激辛評論を聞いてみたかったですね。

当時の小泉首相(自民党総裁)に言われて、中曾根さんに国会議員引退の話を持って行ったのは、幹事長だった安倍さんです。

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大成長

7月9日(土)

午後、パソコンに向かってうなっていたら、「金原先生、きれいな女子大生が会いに来てくれましたよ」と声を掛けられました。職員室の入り口に、2年前の卒業生のGさんとWさんが立っていました。KCPにいた頃と比べてすっかりあか抜けていて、掛け値なしに”きれいな女子大生“でした。

話を聞くと、KCPに入学したのは高校卒業直後だったとのことですから、失礼を承知で言わせてもらえば、山出しだったわけです。右も左も日本語もわからず入ってきて、KCPでがっちり訓練され、進学先でさらにもまれて、気が付いたらすっかり大人になっていたのです。そうそう、「あか抜けたね」と言ったら、「そうですか。あんまり変わった気がしないんですが」と、明らかに言葉の意味を理解している反応が返ってきました。

2年前の卒業生ということは、第1波で卒業式が中止になった代です。密にならないように、予約制で証書を取りに来てもらった時にも、GさんとWさんは一緒でした。進学してからはオンライン授業で苦労もしたようです。2人とも授業は対面が好きだと言っていました。

Gさんは、もうすぐインターンシップをします。もう3年生ですから、それぐらい不思議ではありません。就職前提じゃないと言っていましたが、全然考えていないわけでもないでしょう。でも、大学院進学の目もありそうなことを言っていました。

Wさんは、自分の大学の学生課でアルバイトをしています。たくさん書類を提出し、面接に通って採用されたそうです。80%は日本人学生を相手に話を聞いたり指示を出したりで、留学生相手に母国語を使うのはせいぜい20%だとか。日本人学生のアルバイトと同列に扱われているようです。それから、学部で2人しかもらっていない奨学金ももらっているとか。KCPにいた時から頑張り屋さんでしたから、らしいなっていう感じでした。

KCPへ来たのは、別の用事で曙橋まで来て、地図を見たらすぐそばだと気がついたからだそうです。うれしいじゃありませんか。そうやってわざわざ足を延ばしてくれるのは。

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ささやかなセレンディピティ

7月2日(土)

(この稿は臭いがプンプンしそうなお話ですから、お食事前またはお食事中の方は、お食事を済ませてからお読みください)

もう何年も前のことですが、ある日、「大」の用事を終えて水を流そうとしたところ、うっかり「小」のボタンを押してしまいました。あちゃっと思いましたが、まさか手で流れを止めるわけにもいかず、成り行きを見守るほかありませんでした。水が止まり、便器の中を見てみると、きれいさっぱり流れているではありませんか。ペーパーの切れ端一つ残さず、澄んだ水がたまっていました。「小」って、けっこう強力なんだなあと思いました。

それ以後、学校のトイレを始め、「大」を致すたびに「小」で流していますが、ブツが流れ切らなかったためしがないと言っても過言ではないと思います(歯切れが悪いのは、「小」のさらに下の「極小」とかいうのを押したときには残念な結果に至ったからです)。レストラン、スーパー、駅、大学、図書館、ホテル、東京でも西日本でも北日本でも、「小」で「大」が流れてしまいます。お腹の調子が悪くて若干緩くても、だから大量のペーパーを使っても、お腹が快調でよくぞこんな大量にというときでも、黄土色のかけらも残すことなく、始末してくれます。今では、何の躊躇もなく、「大」のときでも「小」を選びます。こういうのも、一種のセレンディピティなんでしょうか。

「小」と「大」の使用水量の差を1リットルとしましょう。おむつと便秘の人を除いて、日本で1億人が1日に1回「大」して、それを「小」で流すようにすると、1億リットル=10万立方メートルの節水になります。ダムの総貯水量って何億立方メートルですから、1日に10万立方メートルなんて誤差にもならないでしょう。でも、異常に早い梅雨明けによって渇水が懸念されていますから、何もしないよりはましです。これをお読みのみなさん、「大」は封印して、「小」を活用しましょう。

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前に立った2人

6月30日(木)

先日、電車の中で本を読んでいると、誰か私の前に立ちました。ふっと見上げると、私の目の前にいるのは、別に知った顔でもなく、健康そうな大学生ぐらいの2人でしたから、私が席を譲る筋合いはないと思い、また、視線を本の上に移しました。

ところが、視野の上辺ぎりぎりぐらいのところで、何かがうごめいているような感じがするのです。気になってしかたがありませんから、またもや見上げると、例の2人が盛んに「手」を動かしていました。腕も指も手のひらも、一瞬たりとも止まることがありません。時には相手をつついたり体を揺らしたりもしています。そうです。手話で会話をしていたのです。相手をつつくという手話表現があるかどうかまではわかりませんが…。

たまに政府発表や政見放送などで手話を目にすることはありますが、それは一方的に情報を伝えるだけです。しかし、この2人の手話はまさに会話で、相手の話が終わるか終わらないかのうちに自分の話を始め、手の動きから想像するに、かなりの早口です。お互い目を真剣に見つめ合い、だから目にも物を言わせ、会話を弾ませていました。

見ていてほのぼのとしてきました。とても楽しそうでしたから、私も加わりたくなりました。でも、私が知っている手話は「ありがとう」ぐらいですから、仲間入りできる由もありません。

健常者はマスクで口を封じられ、どんなに仲が良くても電車の中では会話はできません。一方、この2人は、マスクをしなくてもよかったころと変わることなく、おしゃべりを楽しんでいます。耳には補聴器らしきものが入っていましたが、最近の若者はみんな耳に何か突っ込んでいますから、ちょっと見では違いがありません。健常者って、不便ですね。

2人は2駅ぐらい先で降りました。ようやく、本に集中できるようになりました。

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暖房?

6月29日(水)

トイレに立ち、職員室出入り口のドアの所まで行くと、半袖の腕と首筋に風が柔らかく当たりました。冷房特有の、肌を刺すようなひんやりとする風ではありません。暖房のように体をふわっと包み込むような生暖かい風でした。“えっ、この部屋、暖房入ってんの?”と、思わず天井を見上げてしまいました。見上げたところで、暖房か冷房かなんてわからないのにね。

換気用に開けてある本棚の上の窓から入った空気が、ドアからロビーを吹き抜けて玄関から出ていく、その風に襲われたのです。夕涼みの風なら“気持ちいい”となるところですが、明らかに不快感を伴う温風とも熱風ともつかない中途半端な風でした。涼風なら風の通り道で仕事をしたいところですが、こんな風だったら仕事の能率がかえって下がってしまいます。

私がトイレに立ったころ、東京は最高気温を記録したようです。またもや猛暑日で、この分だと明日もそうでしょうから、6月末は6連続猛暑日で締めくくられそうです。梅雨明けが異常に早かったのも、その後半端じゃない猛暑が続いてるのも、ラニーニャ現象が原因です。ラニーニャ現象は、エルニーニョ現象の裏返しで暑い夏になります。でも、その影響がこれほど顕著に現れるとなると、地球の破滅に1歩近づいたのではないかと、心配にもなります。

このところ、最高気温の予報に40度というのがよく現れます。明日の熊谷もそうです。私は中国の砂漠で40度を超える気温を味わったことがあります。砂漠だけに乾燥していたせいか、それに短時間だったので、どうしようもないという暑さではありませんでした。でも、日本の40度はどうでしょう。その気温に長時間さらされるとなると、体が受けるダメージは相当なものに違いありません。

これから2か月半ぐらい、こういう暑さに加えて電力綱渡り状態も続くのかと思うと、げんなりしてきます。でも、受験生にとっては実力を伸ばす夏です。そのお手つだをしなければ…。

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1日早いです

6月22日(水)

参議院選挙が公示されました。投票日の7月10日から逆算すると、公示日は明日・6月23日になるはずでした。みなさんは6月23日が何の日かご存知ですか。沖縄慰霊の日です。1945年6月23日に、太平洋戦争における沖縄での組織的な戦闘が終わりました。心静かにこの日を迎え、犠牲になった方々に思いをはせるべきだと考えたのでしょう。明日の沖縄本島地方の予報は晴れ。すでに梅雨が明けていますから、夏至の翌日の、まさに頭の真上から照り付ける太陽の下で、慰霊の儀式が行われるのでしょう。

沖縄戦は、もっとずっと早く終わってしかるべきだったと言われています。最後の何か月間かは、本土決戦を遅らせようと、米軍を足止めするために降伏せずに戦ったとのことです。この、しなくてもいい戦いによって、多くの一般庶民が道連れにされました。沖縄戦が2か月ぐらい早く終わっていれば、原爆も落とされなかったのでしょうか。

学校の近くの、40枚ぐらい貼れるポスター掲示板は、10枚分ちょっとが埋まっていました。東京選挙区の立候補者は34名だそうですから、半分弱と言ったところでしょうか。34名がどんな考えを持ち、どんな政策を掲げているか、私にはよくわかりません。なぜ公示日が1日前倒しになったか知っている人がどれだけいるでしょうか。そもそも選挙戦が1日長くなったことに気付いていない方も少なくないんじゃないでしょうか。

東京選挙区選出とはいえ国会議員なのですから、沖縄のことにも真摯に向き合ってくれそうな人に票を投じたいです。

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倒れた鳥居と、暑さに耐える

6月20日(月)

能登半島で地震が相次いでいます。震度5~6ですから、“ちょっと揺れたね”ぐらいでは済みません。現に、昨日の地震では震源地近くの神社の鳥居がばったり倒れました。崩れ落ちたのではなく、根元からぽっきり折れて、そのまま90度のめったみたいですね。志賀原発は異状なしとのことですが、震度6弱だったらねじ1本緩んでも困ります。

地震、原発と言えば3.11ですが、先週、あの事故で国には責任はなかったという最高裁判決が出ました。国や原発推進に関わる人たちは喜んでいるようですが、それは皮相的な物の見方だと思います。考えようによっては、国には責任能力がなかったという判断だとも言えます。つまり、国には原発に対してどうのこうのと言えるだけの知識も判断力もなかった、当事者能力が備わっていなかったということです。

あれから11年余り、国はそういった能力を磨いてきたか、許認可を与える責任能力をつけたかと言ったら、大いに疑問です。そういった方面においては何の進歩もなく、温暖化防止には原発がいちばんと旗を振っているに過ぎません。私にはそう見えます。

原子力発電は、原理的にはすばらしいと思います。デコピンをしただけで巨大なエネルギーが生まれるのですから。しかし、現在の科学技術をもってしても、その制御ができているとは言いかねます。エンジニアリング的には非常に大きな不安があります。つまり、原理の高尚さにエンジニアリングが追いついていないのです。

国が原発に責任を負えるようになるのがいつなのか、私にはとんと見当がつきません。この夏は電力事情がひっ迫するとのことですが、だれも責任が負えない怪しげな電力に頼るよりは、汗をだらだら流しながら、猛暑日と熱帯夜に耐えましょう。

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