Category Archives: 学生

書くのを忘れた?

1月16日(火)

このところ、養成講座の授業で上級の文法について話しています。N1の文法項目を淡々と解説するのでは能がありませんし、受講生の方々も退屈極まりないでしょう。ですから、日本語を様々な角度から眺め、それを通じて上級の学習者が身に付けていくべき事柄に触れています。

KCPの上級の学生にとっての難関の1つに、複合動詞があります。食べ始める、持ち上げる、歩き回る、書き直す、走り切るなど、2つの動詞を組み合わせてできている動詞です。例えば、「会議室に大型モニターを 付ける/置く/設置する」などとは言えますが、“取り付ける”は、まず出てきませんね。ましてや“据え付ける”なんて、夢のまた夢です。こんな話をしたら、みなさん不思議そうな顔をしていました。日本人にとっては、「取り付ける」よりも「設置する」の方が難しいですからね。

上級クラスに入るたびに、この学生たちの弱点は複合動詞だと意識して、説明の言葉の中に使ったり、板書したり、学生が複合動詞に触れるチャンスを作っています。作文の添削でも、複合動詞に書き換える形で赤を入れることがよくあります。かなり力を入れているつもりですが、「先生、宿題に名前を書くのを忘れたかもしれません」などという発言が一向に減りません。「書き忘れた」ぐらい、言えて当然だと思うんですけど。

今、目の前に上級クラスの作文の束があります。複合動詞の芽を見逃さず、直していきますよ。学生の作文は、養成講座の教材の宝庫でもあるのです。

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20歳のお祝いの言葉

今日は1月15日です。この1月15日は、昔は小正月と呼ばれていました。小正月には、小豆粥を食べたり豊作祈願をしたりなど、それぞれの土地で、その土地ならではの多種多様な行事が行われてきました。その中で、江戸時代までどの土地でも行われていたのが、元服でした。

元服とは、男子の場合は、名前を幼名から大人の名前とし、髪型や服装も大人のものへと変える儀式でした。女子は、元服の際に初めて大人の服を着て、母親などに教えてもらって大人と同じ化粧をしました。要するに、子どもが大人になったことを周りの大人がお祝いするのが元服でした。

1999年までは、1月15日は成人の日と呼ばれ、全国各地で新たに20歳になった若者を祝福してきました。その後、成人の日は1月の第2月曜日となり、今年はちょうど1週間前の8日でした。また、2022年から成人年齢が18歳に下げられ、成人の日の対象者も18歳の人たちにしたところも多いです。

しかし、伝統的な意味での成人の日は、今日、1月15日です。KCPでは、20歳になった、あるいはもうすぐなるみなさんの大人の仲間入りをお祝いしようと、このような式を開いた次第です。

大人になったということは、自分の意志で自由に動けるということです。自分の意志で自由に動くということは、その結果に対する責任も自分で負うということです。江戸時代のさむらいは、切腹という形で最終責任を取りました。みなさんもそれぐらいの厳しさを持って、自分自身を律していってほしいものです。

ですから、寝坊して遅刻したとか、宿題やテストから逃げ回るとかというような、責任ある大人の行動とは到底思えないような行いは、直ちに改めてください。大人の振る舞いの積み重ねが、みなさんを成功へと導きます。若者らしいみずみずしい頭脳と大人としての自覚があれば、鬼に金棒です。

以上が、43年前に成人を迎えた私からみなさんへのはなむけの言葉です。

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力を合わせて

1月11日(木)

始業日はどの先生も、新入生に追加のオリエンテーションをしたり、お情けで進級させた学生に出した宿題のチェックをしたり、忙しく立ち回ります。私は、新入生に日本語プラスの登録をさせました。オリエンテーションは昨日の入学式の後に済ませていましたが、どの受験科目を取るかなどの手続きをしてもらいました。

そういうデータを入力していたら、Kさんに呼ばれました。実は、Kさんは昨日私に電話で、年末に合格したO大学の手続き締め切り日が迫っているが、手続きがうまくできないと相談を持ち掛けてきました。期末テストの翌日ぐらいに一時帰国し、昨日戻ってきたら「あっ、締め切り日!」となってしまったのです。

そもそも、相談先を間違えています。入学金の振り込みがうまくいかないなどと訴えられても、私にはどうしようもありません。O大学に電話して事情を説明し、頭を下げまくって、振り込み方を説明してもらうなり、締め切りを延ばしてもらうなりしてもらうことこそ、まずなすべきことです。そんな伏線があったのです。

どうやら光が見えたようで、Kさんも昨日の湿っぽくとがった声ではなく、明るい笑顔で私を呼びました。話を聞くと、予想通りO大学との交渉は順調で、お金関係のやり取りも進んでいるようでした。もう1校G大学も受験しますが、行先が確保できていますから、力を存分に出して戦えることでしょう。

考えてみれば、この騒動の根本は、入学手続きをほったらかして一時帰国していたということです。やるべきことを片付けてから一時帰国するとか、クリスマスを家族と過ごすならお正月を端折って日本に早く戻るとか、それが受験生として取るべき態度でしょう。

1月期は、クラスの学生をどこかにどうにか押し込むことが私たちの役割です。そのためには全力を傾けます。でも、学生の側にもしかるべき行動をとってもらわないと、このプロジェクトはうまくいきません。学生と教師の協力態勢があって初めて、お互いの願いが成就するのです。

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入学式挨拶(2024年1月10日)

みなさん、ご入学おめでとうございます。私たち教職員一同、新たなメンバーを迎えられたことを非常にうれしく思っています。

先学期、上級のクラスで、「なくてもいいもの」というテーマで作文を書いてもらいました。現金、婚姻制度、動物実験、国、暴力など、いろいろな意見が出てきました。その中で、ある学生―仮にAさんとしましょうーは「人間」と答えました。どうしてAさんは人間などなくてもいいと主張したと思いますか。

人間は、地球上の一生物種に過ぎないのに、ほかの動物を殺したり、自然環境を破壊したり、生態系に悪影響を及ぼしたりしています。だから、人間はなくてもいいとAさんは訴えました。他の学生の「なくてもいいもの」は、自分にとって、ないしは人間にとって「なくてもいい」物事や事柄でしたが、Aさんは地球にとって、地球上の生物にとっての「なくてもいいもの」として、人間を取り上げました。他の学生とは着眼点の次元が違う、斬新な発想だと思いました。多少文法の間違いもありましたが、評価はAにしました。

人間が絶滅に追いやった生物種は、産業革命以降でも100種を軽く超えます。日本に限っても、ニホンオオカミ、ニホンカワウソなどは絶滅、コウノトリ、トキなどは野生絶滅となっています。絶滅危惧種に指定されているイリオモテヤマネコやクロマグロなどからすると、自分たちの命を脅かす人間は百害あって一利なしで、一刻も早く地球上から消え去ってもらいたいでしょう。「なくてもいい」どころか、「あってはならなない」ものかもしれません。

さらに、人間が化石燃料を消費し続けた結果地球温暖化がもたらされ、その影響で生存の危機にさらされている生物も数多くあります。温暖化による気象災害によって命を落とす人も少なくありません。人間は自分自身の生命すら危うくしているのです。まさしく、「なくてもいいもの」の最たるものでしょう。

これに加え、昨今はAIが急に賢くなってきましたから、このままでは人間の頭脳も「なくてもいいもの」になりかねません。みなさんが知識を覚える勉強を続けていく限り、AIに負けることは火を見るより明らかです。知識を覚えることにかけては、AIは人間の手が届く存在ではありません。みなさん自身が「なくてもいいもの」になりたくなかったら、知識を覚える以外の土俵でAIと勝負する必要があります。これから始まるみなさんの留学は、その土俵探しの第一歩です。

日本語を身に付けただけでは、まだAIの土俵です。翻訳通訳こそ、AIの最も得意とするところですから。身に付けた日本語で何をするかが肝心なのです。大学・大学院で勉強や研究をする、専門学校で技術を学ぶ、あるいはすでに持っている自分の知識や技術や経験を生かして就職をする、そういった確固たる目標、将来計画がありますか。言葉を換えると、自分自身をどのように成長させようと思っていますか。KCPに在籍している間は、みなさんにとって、こういったことをじっくり考えられる最後のゆとりの時間になるかもしれません。

将来、「なくてもいいものはAIだ」などと泣きわめきながら、AIに対して敗北宣言をすることなどないようにしてください。そのためには、向き合うべき問題から目をそらさず、真剣に考え抜き、そしてそこで得られた結論を行動に移してください。私たち教職員は、時には厳しい言葉をみなさんに投げつけるでしょう。しかし、そこには、今私が述べたような事情があるのです。最後まで見放さずにみなさんをフォローしていきますから、安心して私たちを頼ってください。

みなさん、本日は、ご入学おめでとうございました。

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元に戻る

1月5日(金)

学期休み中に学校へ来る学生は、何か問題を抱えている場合がほとんどです。特にこの学期休みは、進路相談が目立ちます。SさんやTさんのようにサクサク話が進み、先生からしかるべきアドバイスをいただいて帰っていく学生がいる一方、HさんやIさんやJさんのように、話がなかなか進まない学生もいます。

どうして話が進まないかと言えば、日本語を忘れてしまっているからです。HさんもIさんも、お正月は同国人の友達と楽しく過ごしたそうです。その間日本語を使うことはほとんどなく、ものの見事にきれいさっぱり忘れてしまったのです。面接練習に来たIさんは、志望理由どころか「お正月、何してた?」といった雑談にも満足に答えられませんでした。Hさんもしかりで、出願書類を書くのに一苦労どころではありませんでした。Jさんは、年末に合格した大学名が言えませんでした。

SさんやTさんは、思考回路が日本語で回っているのです。だから、情報を得て、どうするか考えて、反応するという一連の情報処理をすべて日本語で行っています。もちろん同国人の友人との付き合いもあるでしょうが、生活の土台が日本語なのです。校内で国の言葉を使うのは、教師から新入生などへの通訳を頼まれた時ぐらいじゃないでしょうか。

それに対してHさんたちは、授業のとき以外に日本語を使おうとしません。それでも毎日学校に通ってくれば、24時間おきに日本語の思考回路のスイッチが入ります。ところが、お正月休みの1週間余りは、そのスイッチがずっとOFFでした。こういう生活をしていたら、日本語は伸びませんよ。せめて最後の1学期ぐらい、日本語にどっぷりつかろうよ。

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悩める子羊

12月25日(月)

夕方、先週A大学に出願したPさんが進学相談に来ました。先週末に発表された11月のEJUの結果から、新たな出願校を考えたいということでした。でも、Pさんの成績は6月とほとんど変わりませんでした。それだったら、今までに話してきた大学の中からどこか1校か2校選べばいいのにと思いながら話を聞きました。

よくよく話を聞くと、11月の成績から30点ぐらい下の点数でも入れそうな大学を教えてくれということでした。30点ぐらいの差なら、面接でも逆転可能な場合が多いです。ですから、そんな大学を調べて出願しても、滑り止めになるとは限りません。11月と6月と、点数がほとんど変わらないのですから、すでに出願したA大学に確実に合格できるよう手を打っていくべきです。

そういう話をすると、心配の種が今度は面接の受け答えに移りました。Pさんが出願したのはS学科ですが、N学科の勉強もしたいと面接で言ったら印象が悪くなるだろうかとかと言い出しました。どちらにするか出願の際に悩んだことは確かですが、S学科の方が自分の将来の勉強に役立つと考えて、S学科に出願したのです。今更そこまで立ち帰って迷っても、どうしようもありません。S学科の先生方に、自分はどうしてもS学科で勉強したいと訴えることが肝心だと私が何度言っても、N学科の勉強も必要だという方向に考えが行ってしまいます。私が何か言うと、その瞬間は納得するのですが、いつの間にか考えが一周してN学科に戻ってしまいます。

S学科もN学科も同じ学部ですから、S学科の必修と授業時間が重なりさえしなければ、N学科の授業だって取れます。自分で勉強して、どうしてもわからないことがあったらN学科の先生に聞きに行くことだってできるでしょう。そういう話をしても。Pさんの心配は一向に解消されませんでした。

帰り際にはS学科に受かるための面接の受け答えを考えるということで納得した体ではありましたが、うちへ帰って一人で考えているうちにどう変わるかわかったものではありません。

この間2時間。作文の採点を終わらせようと思っていたのですが、5人分残ってしまいました。

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苦労の末

12月23日(土)

昨日から期末テストの作文の採点をしています。作文の採点とは残酷なもので、おもしろい作文、読み応えのある作文、感心させられる作文、つまり「いい作文」は、採点がすぐに終わってしまいます。論旨が明確であり、誤字誤文も少なく、だから添削もあまりする必要がありません。読後の余韻に浸る間もなく、次の作文へと移らなければなりません。

一方、出来の悪い作文は、「読書百遍意自ずから通ず」ではありませんが、何度も何度も読み返さないと、書いた学生の言わんとすることが見えてきません。主張がわからなければ、添削のしようがありません。誤字ぐらいなら直せますが、それ以上の直しは、安易にはできません。中国人学生の作文の場合は、中国語の辞書まで動員して、日本人からすると変な使われ方をしている漢語や、よくわからない単語をどうにかしていきます。

そうやって頭をひねり続けて、作文の全容を浮かび上がらせます。それで「うん、なるほど、その通りだ」と納得したり、「うーん、この考えには同意できないな」などと反発を覚えたりできれば、時間をかけた甲斐もあるというものです。しかし、理解できた内容がしょうもないものだったら、徒労感、疲労感、寂寥感、無力感、絶望感、嫌悪感、脱力感、閉塞感といった感覚がないまぜになって襲い掛かってきます。

今回は、YさんやZさんのが読解に苦労した作文でした。原稿用紙1枚半にそれぞれ1時間ぐらいかかりました。それでもYさんの言いたいことは理解できたという手ごたえがありましたが、Zさんのは真ん中辺に大きな”?”を残したまま、撤退せざるを得ませんでした。

この2人の作文をAIに要約させたらどうなるだろうと思いましたが、入力する元気もなく、あきらめました。でも、全員分の作文が読み終わり、どうにかお正月が迎えられそうです。

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どこで影を見るのやら

12月2日(金)

お昼に学校の近くを歩いていると、「本日は冬至です」というアナウンスが繰り返し聞こえてきました。そうかと思って振り返ると、ずいぶん長い影がアスファルトに伸びていました。杜氏の日の南中高度30.9°から計算すると、身長の1.7倍ほどの長さだったはずです。稚内は南中高度が21.9°なので、影の長さは身長の2.5倍近くに及びます。夕方の雰囲気ですね。

以前、夏至近くの沖縄へ行ったことがあります。影なんかほとんど見えませんでした。計算すると、私の身長で影の長さは5センチほど。見えるはずがありません。というか、影が見えない体験をしたくて、わざわざ日を選んで行ったのです。沖縄の梅雨明けは夏至の前後ですからお天気が心配でしたが、頭の真上からの日差しを味わえました。

さて、期末テストが終わると学校は静かになりますが、今朝はちょっとだけにぎわいました。おとといの期末テストの追試が行われたからです。にぎわったと言っても1クラス分の人数にも及ばないほどですがね。でも、残念ながら、その中に私のクラスのKさんの姿はありませんでした。噂によると、Kさんは、おとといの朝、布団の中で「あと3分だけ」と思っていたら、3時間寝てしまって、テストが受けられなかったそうです。追試が始まる時間になっても姿を現さなかったので、担任のM先生がメールや電話で連絡を取ろうとしましたが、応答はありませんでした。

Kさんは、来週、受験校のオンライン面接があるのに、一時帰国を計画していました。「オンラインですから国からでもできます」と言って、私たちが止めるのも聞こうとしませんでした。上述のように時間にルーズなKさんのことですから、時差を忘れて面接が受けられないということだってあり得ます。連絡がつかなかったということは、学校に提出した届よりも早く一時帰国してしまったのかもしれません。

Kさんの出身地は、鹿児島と同じくらいの緯度です。とすると、影の長さは身長の1.4倍程度。東京より多少短い影を引きずって街の中を闊歩しているのでしょうか。それとも家の中でゲームでもしているのでしょうか。面接の準備をしているような気は、全くしません。

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安全確実?

12月20日(水)

期末テストの試験監督から1階に戻ってくると、Fさんが職員室の前で待ち構えていました。昨日から進学相談がしたいと言われていたのですが、昨日の午後は代講でしたから、「明日、期末テストが終わったら1階まで来てね」ということにしていました。

まず、「先生、592点で入れる大学、ありますか」と聞かれました。592と点は、Fさんの6月のEJUの読解(記述を除く)+数学(コースⅡ)+物理・化学の成績です。A大学ならこの成績で十分勝負できるとして出願するのですが、さらに安全・確実な大学はどこかというわけです。

もうすぐ11月の成績が出るじゃないかと聞くと、今、自分が手にしている成績で確実なところを知りたいと言います。堅実なのか、11月の結果に自信がないのかわかりませんが、リクエストにお応えすることにしました。

データを見せながら、B大学やC大学など、いくつか紹介しました。そのたびにFさんが気にするのは、その大学を卒業すると東大や東北大など、一流大学の大学院に進学できるかということでした。入学したばかりの頃のAさんは、何が何でも東大と言っていました。それが収まり、現実的な選択ができるようになった、大人になったと思っていたら、根っこのところは全然変わっていませんでした。

確かに、私は「理科系は大学院入試でもう一度勝負できる」と言いました。だから、東大にこだわるなとアドバイスしました。しかし、それは学部生として入学する大学を東大大学院の予備校として考えろという意味ではありません。大学院は研究内容が合うかどうかが一番です。研究計画書が東大の先生の心をとらえられるかどうかです。それを無視して名前だけで大学院を判断したら、不幸な留学生活を送ることになるでしょう。

そもそも、「592点の大学」として私が提案したD大学、E大学は、志望理由書を書かなければならないから出願したくないなどと言っているようでは、東大の先生の心を動かす研究計画書など、100年かかっても書けるわけがありません。

さらに、これからA大学の出願書類を書くと言います。そのお手伝いならやぶさかではありませんでしたが、なんと、明日必着というではありませんか。何で先週のうちに仕上げておかないんだよと思いながら、履歴書から宛名カードまで、書き方を指導しました。

昨日の初級の代講以上にexhaustedでした。

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必死に聞く

12月19日(火)

午前中は養成講座の授業でした。落ち着いた雰囲気の中で、日本語教育の歴史を語りました。歴史となると脱線ネタがたくさんあります。しかし、午後の予定を考えると力をセーブしておく必要があったので、ほどほどのところで抑えておきました。

午後は、代講で初級クラスに入りました。会話のテストをしました。普段受け持っていないクラスですから、学生の顔と名前が一致しません。ですから、ロールプレイをしている様子は録画しておき、本来の授業担当のY先生に見ていただくことにしました。そう伝えると、学生も安心したようでした。

その場でペアを発表し、課題を与え、セリフを書き、それを練習し、そして発表という段取りです。ペアと各ペアの課題を発表すると、教室中が喧騒に包まれました。会話”テスト“ですから、教師を利用するのはご法度です。私は教室中をうろちょろ歩き回って、母語で相談していないか監視します。喧騒の中でも日本語以外の言葉は耳に違和感が残りますから、案外わかるものです。“Aさん、国の言葉が上手になりますよ”というと、学生は恥ずかしそうに下を向いて、再び顔を上げた時から日本語に切り替えます。

さて、発表です。自然な発話をしてもらうため、ノートやメモを読み上げるのは禁止です。そうすると、文法がまだそんなに複雑ではないこともありますが、多くの学生が自然な発話に近づきます。このクラスも、自分たちが作ったストーリーを、情感を込めて演技してくれました。観客側の学生も、友達の演技を少しでも理解しようと、真剣に耳を傾けていました。

発表は時間を10分オーバーしました。それだけ長く会話を続けられるようになったと評価したいです。学生たちには、その点は褒め、今のうちから日本語を日本語で聞き、日本語で考え、日本語で反応するように、要するに、母語を介在させるなとアドバイスしました。今のうちからそういう訓練を積んでいけば、上級になるころには素晴らしい日本語話者になっているはずだと励ましました。

授業が終わったら、やっぱりexhausted状態でした。

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