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名誉

11月18日(金)

各クラスで、来週のBBQの日程説明やメニューをどうするカなどの話し合いが行われました。私のクラスでは、Mさんがどんどん決めていってくれたおかげで、当日はおいしいものが食べられそうな感じです。Mさんは去年のBBQを経験していますから、何をどうすればいいか把握しています。しかも、はきはきと発言しますから、話がどんどんまとまりました。MさんにつられてFさん、Jさん、Zさんたちが、進んでいろいろな役割を引き受けてくれました。

クラスにMさんみたいな学生がいると、教師は楽です。むしろ、張り切りすぎて食材を買いすぎないように、ブレーキ役になることすら必要です。そういう学生がいないと、笛や太鼓で盛り上げなければなりませんから、教師は大変です。こちらがたきつけても、学生側に燃え上がる材料がないと、教師の独り相撲に終わりかねません。まあ、どのクラスも1人ぐらいはイベントに強い学生がいるものですから、たいていはどうにかなります。

午後からは初級クラスでBBQの説明がありました。一番下のレベルのクラスはまだて形すら入っていませんから、教師の言葉が十分に通じません。そこで活躍するのが、上級の学生たちです。各国の上級の学生に通訳を頼み、教師の説明を学生に伝えてもらいます。通訳の学生は、自分の経験にも照らし合わせて、自分がよくわからなかったことを手厚くフォローするようです。初級の学生にとっても、教師の言葉より同国人の先輩のことばのほうが身近に感じると見えて、耳を傾ける態度が違います。

この通訳、学生にとっては名誉な仕事のようです。頼まれた学生は、ほぼ間違いなく二つ返事で引き受けてくれます。わざわざアルバイトの時間をずらしてまでも引き受けてくれることさえあります。どうしても都合がつかなかった学生は、とても残念そうな顔をします。

さて、今年はどんな料理が食べられるのでしょうか。今から楽しみです。

晴れるかな

11月17日(木)

学校行事が近づくと、胃が痛くなる日々を迎えます。天気予報担当としては、行事をする土地の行事の時間帯のお天気を予測しなければなりませんから。来週火曜日にBBQが迫っていますから、学校のパソコンで得られる情報をかき集めて、当日の日中のBBQ会場方面におけるお天気をあれこれ予測しています。

お天気は自分の手で変えることができませんから、他力本願の最たるものです。「悪い」という予報になったら、もうどうしようもありません。気圧配置が変わるのを祈るほかありません。私にできるのは、どのくらい悪いのか、何とか行事が実施できる目があるのかないのか、そんなことを予測するぐらいしかありません。

来週のBBQはどうかというと、今のところお天気はどうにかなりそうな雰囲気です。ごく弱い低気圧が発生するおそれは残っているものの、BBQに支障をきたすようなお天気にはならないだろうと読んでいます。11月も下旬となれば初冬であり、東京地方は冬晴れパターンに入るころです。多少寒いのは着込めば済むことだし、料理の最中は煮炊きをしますから、そこそこ暖かくなります。心配なのは、風です。冬の季節風が吹き荒れると、BBQ日和とは言えなくなります。当日は火付け担当として火がつけられないクラスの火おこしのお手伝いもしますから、強い風が吹くと商売繁盛しすぎて困ってしまいます。

さて、明日のクラスでは、BBQで何を作るか話し合います。盛り上がりすぎて、週末に大量の食材を買い込んでしまうなんてことのないように、手綱を引き締めなければなりません。

黒板

8月1日(月)

午前10時、入場したばかりで落ち着きがない場内に、O先生渾身の力作のオープニング映像が流れました。すると、単なるざわめきが支配していた会場がウォーッというどよめきに包まれました。スピーチコンテストなんてうざってえなあと思っていた学生も、この映像で一気に気持ちが吸い寄せられたようです。

今年の司会は最上級クラスのLさんとKさん。時々かむことはありましたが、さすがに最上級クラスだけあって、聞き取りやすい安定した話し方でした。特にLさんの声はよく通り、マイクがなくても会場中に響くんじゃないかと思えるほどでした。

例年のように、各クラスとも応援+スピーチという形で進んでいきました。今年は先生方のご指導が行き届いていたようで、ほとんどのクラスが応援もスピーチも制限時間を超えることなく収めていました。応援は、もう少し練ってくれると訴えるものが強かっただろうなと感じるクラスもありました。そういうクラスに限って、よくできた他のクラスの応援を見て、自分たちももうひと頑張りすればよかったと後悔するものなのです。教師が鉦や太鼓をいくらたたいても、学生たちがその気にならなければ観客を引き付ける応援はできません。

今年のスピーチコンテストは、最優秀賞が、なんと、レベル1のDさんでした。日本語を勉強し始めてからわずかな期間ですが、自分のわかる単語や文法で、自分の気持ちや考えを、実に的確に表現しきっていました。「最優秀賞はDさんです」というアナウンスに対して、会場全体が納得していました。かつては、ただひたすらみんなにわかるという点だけがウリの初級のスピーチでしたが、ついに大会を制覇するに至りました。

コンテストが終わって後片付けをしていると、スピーカー控え室からステージに向かう通路にかかっている黒板に、メッセージがいくつも書かれていました。スピーカーがお互いを励ましあうために書いたのでしょう。日本語だけでなく、自分たちの母語での一言もありました。スピーカーたちはライバルであると同時に、同志でもあったのです。

梅雨明け10日

7月30日(土)

梅雨明け当日のおとといはパッとしないお天気でしたが、昨日から梅雨明け10日の言葉通り、好天が続いています。しかも、熱帯夜にはならず、朝晩はけっこう過ごしやすいです。今晩は隅田川の花火大会です。夏の夜空のキャンバスに、美しい光の芸術が描かれることでしょう。

それは非常に結構なのですが、梅雨明け10日を裏切り、明日から湿っぽい天気が続くとか。関東の南に低気圧が発生し、それが悪さをするかもしれないと言います。月曜日はスピーチコンテストなのに、気懸かりです。予想気圧配置を見ると、低気圧というよりは低圧部という程度ですから、降られてもそんなにひどいことにはならないと踏んでいるのですが、果たしてどうでしょう。

今年のスピーチコンテストは、私の地元・サンパール荒川で行われます。じゃあ、雨に降られても大したことないじゃないかと言われそうですが、自転車に荷物を載せて行くつもりをしていますから、雨は困ります。また、サンパール荒川は駅からちょっとありますから、応援グッズを抱えて傘をさしながら歩くとなると、そこに集まる学生も雨を恨めしく思うでしょう。

教師は朝から最終準備に余念がありません。コンテストを盛り上げようと、あれこれ小技を考えているようです。私は審査担当ですから、審査に使う書類を準備したり集計方法のチェックをしたりしました。司会の学生もお昼過ぎに来て、最終打ち合わせをしていました。スピーカーの皆さんは、きっと家で練習しているのでしょうね。クラスの学生以外にも、受験講座などでかかわりのある学生が何名かクラス代表になっています。千数百の多様な瞳に見つめられてスピーチするのは、緊張のきわみかもしれませんが、それを乗り越えた先にある快感に、是非、浸ってもらいたいです。

荒波にもまれて

7月29日(金)

どこのクラスにも自分のことしか見えない学生はいるものです。外の世界に関心を示さないと言ってもいいでしょう。そういう学生は、スピーチコンテストのような学校行事に進んでかかわろうとはしません。他の学生が応援の話し合いをしているのに、自分だけ英単語を覚えようとしたり、宿題に手をつけたりして、その話し合いの輪に加わろうとはしません。応援の役割を振られても、それを果たそうとしないかあからさまにいやいやながら鈍く体を動かします。

彼らは、自分のことにしか関心がないくせに、自分が周りからどう見られているかには無頓着です。非協力的な態度に冷ややかな視線が浴びせられているのに気付きません。他人の目が気にならないのか、それを気にしようとしないのか、要するに家の外にはいますが、引きこもりと同じです。

引きこもりクンたちは自分のペースを貫き通せばそれでいいかもしれませんが、クラスの応援リーダーは引きこもりクンたちを引っ張り込もうと努力します。人を小ばかにしたような態度に腹を立てつつも、一緒にやろうと誘いの手を差し伸べます。教師からもギャーギャー言われて、ようやく重い腰を上げて練習に参加した引きこもりクンは、スピーチコンテスト当日、あっさり裏切って本当の引きこもりになることもよくあります。そういうやつに限って、応援賞の商品だけはしっかりもらっていくんですねえ。

引きこもりクンと応援リーダーと、このスピーチコンテストまでの期間、いい勉強ができたのはどちらでしょう。もちろん応援リーダーです。人を動かすことの難しさ、その難しさを乗り越えて何かを成し遂げる胆力、何かを得たはずです。今年もそういうややこしいクラスを背負っているリーダーの苦労を見聞きしています。日本語のほかに、世間の一端も知ることができたリーダーたちに幸あれと、心の中で祈っております。

恥ずかしがるな

7月25日(月)

来週の月曜日がスピーチコンテストですから、どのクラスも応援練習に熱が入ります。私の午前のクラスも午後のクラスも、授業時間を少し割いて応援練習をしました。

応援の大筋は決まっているのですが、それを実際に体を動かしてやってみるとなると、なかなか当初思い描いたようにはなりません。その原因は明らかであって、みんな恥ずかしがって小さな演技しかしないからです。クラスみんなで思いっきり体を動かしてステージ上であばれれば、大きく立派に見えます。それに対して、縮こまった動きしかしなかったら、何をしているかわからない、かえって恥ずかしいことになってしまいます。しかし、この単純な原理が、学生にはわからないんですねえ。

暗い顔から飛び切りの明るい顔になると、クラスみんなで決めたのに、それができたのはわずかに3名ほど。もう少し基準を甘くしても、せいぜいその倍程度でしょうか。他の学生は、暗い顔をしなければならないところでも照れ笑いしてしまい、暗から明への劇的な変化にならないのです。それをみんなで見て、恥ずかしがりながらする演技は本当に恥ずかしいということをわからせようと思ったのですが、私の思いは通じませんでした。

そのくせ、私が見本の演技をすると、「先生、すごい」とか言いながら、拍手をしやがるのです。私に拍手するんじゃなくて、自分が拍手を取れるようになれって、声を大にして言いたいです。

あと4日間、猛特訓です。

光栄

7月15日(金)

各クラスともスピーチコンテストのクラス内予選が終わり、クラス代表が決定し、クラス全員に伝えられました。私のクラスはXさんです。予選の段階でみんながXさんだろうなと思っていたらしく、「クラスの代表は…」と言いかけた時点で、Xさんに向かって拍手が起きました。私に名前を呼び上げられたXさんは、ちょっとはにかむように下を向きながらも、光栄そうな表情をしていました。

クラス代表となった学生は、だいたいXさんと同じような反応を示します。何だかんだと言いながらも、やっぱり誇らしい気持ちは隠せません。クラス代表になるくらいの学生は選ばれる喜びを知っており、みんなの期待に応えることで自分自身を伸ばしていけるタイプの人たちなのです。

クラス代表になった学生は、これからスピーチコンテスト本番までの間、発表のしかたをがっちり訓練されます。授業が終わってから、毎日のようにスピーチの練習をします。原稿を全部覚え、規定の時間内に発表できるように、そして、聞き手の印象に残るような話し方やパフォーマンスも身に付けていきます。

それ以外の学生は、応援に命をかけます。1人の代表をクラスみんなで盛り上げるにはどうすればいいか、全員で知恵を絞ります。音楽や映像プロデュースなどを勉強してきたまたは勉強しようと思っている学生たちは、この応援が自分の作品だともいえます。本番のステージ上で恥ずかしがらずに堂々と演技ができるようになるまで、これまた日々練習を重ねていきます。

これからスピーチコンテストまでの半月ほどの間、学校中に普段とは違った努力があふれます。

不安です

7月14日(木)

初級クラスでスピーチコンテストの原稿を書かせました。上級に比べ使える語彙が少ないからなのか、似たような文章が多かったです。やはり、自分の身の回りのことが中心になり、「日本の生活は大変ですがおもしろいです」とか、「頑張って日本語を勉強します」とかという結論が続出でした。せいぜい、自国と日本の文化を比べてあれが違いとかここが違うとかいう程度です。

学生たちは一番若くても18歳ぐらいですから、もっともっと深い思索があってしかるべきです。しかし、学び始めたばかりの外国語である日本語でその深さを読み手に感じさせることは不可能です。だから、自分の手が届く範囲で妥協しようというのでしょう。

それはやむをえないことではありますが、クラスのすべての学生に妥協されちゃったら、教師としては立つ瀬がありません。2人ぐらいは無理を承知で分不相応の難しいテーマに取り組んでもらいたい気持ちもあります。みんながみんな、書ける範囲でとなってしまうと、チェックは楽でいいのですが、拍子抜けの感は免れません。

書ける範囲といっても、学生にしたら精一杯背伸びしているのかもしれません。現に、Cさんなどは途中まで書いた文章を何度も私に見せて、これで合っているかと聞いてきました。習ってはいるけれども、自分の考えを表す文章で使うのは、おそらく、初めてだったのでしょうから、不安でたまらなかったのだと思います。

私のクラスに限らず、どこも同じような話だったみたいです。スピーチコンテスト本番までの間に、スピーカーをどこまで鍛え上げるかが、勝負の分かれ目です。

ラジオ体操とリレーと綱引き

5月17日(火)

運動会のたびに思うんですが、日本の学校教育って、捨てたもんじゃありません。開会式直後に準備体操代わりにラジオ体操をします。日本人の教職員は、年齢に関係なくスムーズに体を動かします。学生たちのを見ていると、そのぎこちないこと。学生たちの国では日本のラジオ体操が行われていませんから当然のことなのですが、その裏返しとして、日本人が小中学校でいかにラジオ体操をがっちり訓練されているかがわかるのです。

それから、リレー。バトンパスがめちゃくちゃなんですね。バトンゾーンなんかお構いなしにバトンの受け渡しをしようとするのです。それゆえ、毎年ここでの違反が絶えず、失格とされたチームから必ずクレームが来ます。また、次の走者が立ち止まったままバトンをもらいますから、前の走者のリードが有効に生かせないのです。日本人を4人集めて、突然リレーをしろと言っても、バトンゾーンをそれなりに有効に使い、もう少しカッコいいリレーをするんじゃないかな。今年はバトンゾーンにちょいと工夫を凝らしましたから、バトンパスでの反則はなくなりましたが、日本の体育の先生がご覧になったら、目を覆われることでしょう。KCPにも体育の時間を作って、そこで練習すれば白熱したレースが見られるんでしょうけどね。

これに対して、綱引きは、気持ちが先走って試合開始前に引っ張ってしまうところまで、万国共通なのか、毎回力のこもった戦いが見られます。今年もまた、いつもは温和なGさん、Pさん、Cさん、Eさんなどが口をひん曲げて目をひんむいて腕の筋肉を躍動させて綱と勝利を引き寄せようとしていました。

綱引きをはじめる前に、みんなでKCPの応援歌を歌いました。先週の金曜日と月曜日に練習した甲斐があり、“KCP、KCP”というサビの部分は、体育館中に大きな声が響き渡りました。こういうところで聞くと、この応援歌ってみんなの気持ちを一つにする不思議な力があるなって思います。

忘れてはいけないのが、選手にはならずに裏方に徹してくれた超級の学生たちです。それぞれの持ち場で自分の役割を果たしてくれました。彼らの力がなかったら、運動会は全く進行しなかったでしょう。感謝にたえません。

さて、運動会が終わったら中間テストは目前です。EJUを受ける学生は、本番まで1か月です。今度は、勉強で勝利を引き寄せなければなりません。

尽くす

5月14日(土)

来週火曜日の運動会の準備を進めました。教職員総がかりで、当日使う小道具類を揃えたり、競技の進行の最終チェックをしたりしました。KCPにはこういうイベントの時に燃える教職員が多く、準備を楽しんでいるようにも見受けられます。運動会の企画会議の際も、アイデアを出し合っているうちに異様に盛り上がっていったことが幾度もありました。運動会の主役は学生たちであり、教職員は裏方に回りますが、企画の時はこっちが主役だっていう意気込みでしょうか。企画倒れの意見もたくさん出るんですけどね。

私は、運動会では毎回主審を務めますから、一見すると一番目立ち、私が運動会を動かしているかのように思われますが、実は操り人形みたいなものです。各競技担当者の意向に沿い、競技する学生にも、それを見ている学生にも、みんなに楽しんでもらえるように動いているだけです。他の教職員も、おそらく同じような気持ちでしょう。

これは運動会に限ったことではありません。つい先日の端午の節句でも、毎年夏のスピーチコンテストでも、卒業式直前のバス旅行でも、いつでも同じような考えに基づき、企画し、運営していきます。主役に喜んでもらう、楽しんでもらうには、自分はどう動くのが最善かということを常に考えています。

どんな仕事にも、多かれ少なかれ裏方の要素があると思います。仕事とは主役に尽くすことだと言ってもいいでしょう。尽くすとは、サービス業だけに限りません。製造業は、生活を豊かにする製品を供給することで、主役である消費者に尽くしています。こういう意識の強い工場が生き残り、尽くす気持ちの希薄なところは淘汰されます。

消費者としての私たちは、製品やサービスの中の「尽くす」成分を無意識のうちに感じ取ります。そして、十二分に尽くされたと思えれば喜んでその対価を払い、そう思えなければ「高い」と不満を抱くのです。不満を抱くだけでなく、二度と買うまい、行くまいと心に決めることでしょう。

今、S先生が月曜日に学生たちに配る運動会のしおりを印刷している音が聞こえます。私たちの珠玉の志をこめて…。