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逃げ切れそう

5月31日(水)

今週の月曜日くらいまでは雨という予報でしたが、直近の予報によると、あさって金曜日は雨の線が消えつつあるようです。運動会は屋内で行われますが、お昼はみんなでお弁当をつつきますから、体育館の中より体育館の前庭のほうが晴れやかな気持ちになります。ですから、雨にはご遠慮願いたいところです。

昨晩の予報では、予報を出す機関によって「曇り時々雨」から「晴れ」までばらついていました。本州の南にある前線が金曜日にどこにあると判断するかによって、また、前線の強さをどのくらいに見積もるかによって、予報は雨降りにもお天気にもなり得ます。

KCPには温度計すらなく、また、ビルに囲まれているため、風の観測も観天望気も満足にはできません。それゆえ、私は気象庁を始めとする天気予報を発表しているいくつかの機関からの情報を元に、私なりの予報を出します。「情報」とは天気予報そのものだけを指すわけではありません。予想天気図・気圧配置図は、何よりの情報です。気象予報会社が出している洗濯指数などの種々の指数も、参考にすることもあります。

私は学校のイベントがあるときだけ、その1週間か3日ぐらい前から、その日のその土地の予報を出すだけです。前回本気で予報に取り組んだのは日光江戸村へのバス旅行の時、その前は昭和記念公園でのバーベキュー大会…というように、1学期に1回ぐらい、すなわち年に数回です。それでも頭も気も使い、結構疲れます。気象予報士の皆さんは、毎日、広範囲に、多くの人々に向けて発しているのです。さらに顧客からお金をもらって予報を出すとなると、日々胃に穴の開くような精神状態ではないでしょうか。

受験講座をしていると、隣の教室から運動会の最後に全校学生でやるダンスの練習の足音が聞こえます。ダンスで大いに盛り上がって外に出たら雨…じゃあ、文字通り水を差されてしまいますよね。

にわか雨

5月1日(月)

明日、学校内で端午の節句をするため、午前中からその準備に取り掛かりました。まずは、五月人形を見て、柏餅をいただく場に敷く敷物を屋上で干しました。私も屋上に出るのは久しぶりでした。朝9時半だというのに結構高いところから日が差し、初夏を思わせるような陽気でした…と書こうと思いましたが、もう5月ですから、初夏で当然ですよね。まあ、いずれにせよ、虫干し日和でした。

その後は面接やら授業やらで時間がつぶされ、次は受験講座の学生も引き揚げた夕方から、会場のセッティングに取り掛かりました。机やいすを片付けて、午前中に干しておいた敷物を敷いて、会場は完成です。五月人形は既に飾られていました。飾ったりしまったりするたびに部品が少しずつ傷み、ついには壊れてしまいます。ところが、今年は壊れた部品の一部に補強がなされていました。それも非常に気の利いた方法で。何がどうなっているかは、明日見てのお楽しみ。

さて、何気なく「敷物を敷いて」と書きましたが、9時半ごろは気持ちのいい青空だったものの、お昼が近づくにつれて雲が広がり、1時過ぎには雷も鳴り出し、音を立てて雨が降り出しました。今朝の天気予報で「お昼過ぎににわか雨」と言っていたので、午前中に屋上に出たときに、そうなりそうかどうか空を見てみましたが、風もあまり強くなく、そういわれれば雲の流れが怪しいかなという程度でした。予備知識なしだったら、にわか雨があるとは言い切れなかったでしょう。

気象庁の観測記録によると、このにわか雨は局地的なものだったようですが、私に言わせると、だからこそすばらしい予報だったと思います。「雨が降る」という予報を当てるのは一般に難しいものですが、今回は時間的な面においても満点と言っていいでしょう。

明日が端午の節句で、明後日から連休です。連休中はいいお天気という予報が出ていますが、こちらも当たってほしいものです。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。世界の各地からこのように多くの方々がKCPに入学してくださったことをうれしく思います。

皆さんはどういう夢を持ってこのKCPに入学したのでしょうか。そして、その夢を実現するために、どういう目標を立てているのでしょうか。これからその目標に向かって進んでいこうとするでしょうが、その道は決して平坦ではないことを予告しておきます。向かい風の中、坂を上っていくような場面もあることでしょう。また、悪魔のささやきに負けて道ならぬ道に迷い込むこともあるかもしれません。残念なことですが、こうして夢をどこかに置き忘れ、目標がいつの間にかすり替わってしまう学生が後を絶ちません。日本で一流大学に進学し、一流企業に就職するつもりだったのが、今日のアルバイトをどうこなそうかということしか考えられなくなる、などという学生が現実にいるのです。

これは、立派な挫折です。しかし、挫折を味わったからといって、がっかりする必要はありません。生まれてから生涯、挫折がない人などいません。問題は、その挫折からいかに立ち直るかです。早く立ち直らなくてもいいですが、その挫折から何かを学ぶことが肝心です。挫折から何かを得るたびに、その人の人格は厚みを増し、その人の人生は豊かになります。人は挫折によって鍛えられるものです。そして、いつの日か、挫折をものともせずに成功へとつなげていける人物に成長していくのです。

4月から大学生になったGさんは頭のいい学生で、学校の授業に出なくてもまずまずの成績が取れてしまいました。東京の有名大学の一角を占める大学への進学も決まりました。しかし、KCPの卒業試験の日に欠席したため、「卒業」とは認められなくなりました。Gさんは、私に何とか卒業試験を受けさせてくれと頭を下げてきました。Gさんの実力なら卒業試験に合格することはたやすいです。しかし、私はGさんに卒業試験を受けさせませんでした。ここで卒業試験に合格してKCPの卒業証書を手にしてしまったら、今後Gさんは世間をなめてかかるだろうと思ったからです。

KCPの卒業証書がもらえないくらい、Gさんのこれからの長い人生の中では小さな挫折です。この挫折を通して何かをつかむほうが、卒業証書をもらうより重い意味があります。頭を下げればどうにかなると思うようになるより、頭を下げても願いが通じないことがあるのだということを、身をもって学んでほしかったのです。

このように、KCPは、時には皆さんに挫折を強いることすらある学校です。皆さんがこれから味わう挫折を乗り越えて目標に向かって進み、夢を実現させることで、より強い人間に成長してください。挫折から立ち上がる際に私たちの支援が必要だとあれば、私たち教職員一同は喜んで力をお貸しします。

皆さん、本日はご入学本当におめでとうございました。

卒業式

3月3日(金)

今年の卒業式は午後からということで、午前中は教師から卒業生に贈る歌の特訓を始め、ぎりぎりまで卒業式の準備をしました。時間があればあるだけ何かしてしまうのがKCPの伝統みたいなもので、9時からの卒業式とは違った質の忙しさがありました。

証書を受け取る練習をしたはずなのに(もしかすると練習日に休んだのかもしれませんが)、ろくにお辞儀もせずに私の手からひったくるように取っていく学生がいる一方で、きちんと礼にかなった受け取り方をして、小さい声で「ありがとうございます」と言い添える学生もいます。毎年のことで慣れてはいるのですが、やっぱり前者の学生は最後に汚点を残したような印象は拭えません。

これまた毎年のことですが、正装した学生のりりしさに驚かされました。普段はろくに入浴もしていないのではという疑惑のあるRさんのこざっぱりとした姿には思わず目を奪われて、証書を渡すタイミングがちょっと遅れてしまいました。いつものめがねをコンタクトにしたCさんは顔つきががらりと変わってしまい、声を聞いてCさんだとわかりました。

Oさんは、その正装が重荷になって、卒業式を休みたいと電話をかけてきました。進学希望ではないため受験の面接もないからラフな服しかないので、会場の外でこっそり証書をもらいたいと言います。ここまで卒業式を立ててくれたその気持ちはよくわかったから式に出ろと答えましたが、Oさんはなかなか納得しませんでした。どうにかこうにか説得を聞いてくれて、ステージに上がって証書をもらってくれました。Oさんも、自分よりラフな服装の学生が何名かいたことに安心したかな…。

今年の卒業生に贈る歌はKCP48(?)の「365日の紙飛行機」でした。歌詞をかみしめればかみしめるほど、味わい深さを感じてきました。聞いていると、証書を渡した学生たちの入学したてのころの顔や、学校行事で活躍した姿や、授業のときの眠そうな目つきや、そういった映像が次々に浮かんできました。来週から寂しくなりますが、来年の卒業式には同じような感動の別れが待ち構えていることでしょう。

タイムスリップ

2月23日(木)

東北道を快走していくと、やがて左手に白銀に輝く日光の山々が見えてきました。新宿を出るときは、空の底が低く、弱い南風に流される雲がはっきり見え、わずかに雨滴も感じました。首都高走行中は時折ワイパーが動くこともありましたが、北へ行くにしたがいだんだん空が明るくなってきましたから、お天気はいいほうに傾いてくれそうかなという予感がしていました。日光宇都宮道路に入ると、頂上は雲の中でしたが、青白い男体山が車窓を占めました。さっそくスマホにその姿を収める学生も。

日光江戸村は、薄日が差していました。駐車場横の休憩所でおなかを膨らませた私のクラスの学生は、入場するや左右の道標やお地蔵さんや水車や、ありとあらゆるものに突っかかって、写真を撮ったりあれこれ感じたことを言い合ったり、さっぱり前に進みません。私は日光江戸村での“大仕事”が控えていますから気が気ではなく、ついに彼らをおっぱなして“仕事場”へ向かいました。

花魁ショーの行われる若松座は、開演直前には桟敷が文字通りすし詰めの満席。この花魁ショーでお大尽を務めるのが、私にとってのバス旅行最大の任務です。学生たちのコールもあって首尾よくお大尽役に選ばれ、舞台袖で衣装とかつらをつけ、幕が開くのを待ちました。舞台上のお大尽の座に就くと、おひねりが飛んで来るのがわかりましたが、めがねをはずした私は桟敷で見ている学生たちの様子がさっぱりわかりません。そばにいる花魁の顔も衣装もぼんやりとしか見えません。

介添え役の太鼓持ちのいっぱちさんに言われて背筋をピンと伸ばすと、桟敷がどよめきました。やっぱり、偉い人は胸を張ってあたりを見渡すような威厳がないといけないんだなあと思いました。ここから先は、これで3回目か4回目のお大尽役ですから、まあ、慣れたものです。会場の気配しか感じられませんが、その空気や熱を盛り上げるほうへと演じるだけです。演じている最中におひねりが飛んでくるのは、意外と気持ちのいいものですね。

花魁ショーが終わって外に出ると、風がちょっと出ていましたが、青空も広がり始めていました。そんな中、「先生、とっても面白かったです」などと言われると、いつもながら少々気恥ずかしいものです。変身処でサムライや町娘などの衣装を着させてもらった学生たちも、友だちにからかわれながら江戸時代にタイムスリップした自分自身を楽しんでいるようでした。私のお大尽も、この一種なのでしょう。

帰りのバスが中野長者橋のランプから山手通りに出ると、学生を現実に戻さなければなりません。今年のバス旅行は諸般の事情で木曜日に実施しましたから、明日は通常授業です。テストがあるレベルもあれば、宿題が出されているレベルもあります。「はい、新宿駅につきました。江戸時代は終わりですよ」というアナウンスで、バス旅行を締めくくりました。

C予報

2月17日(金)

バス旅行が来週の木曜日に迫ってきましたが、週間予報によると、どうもお天気が思わしくないようです。気象庁の予報によると、栃木県は曇り時々雨ですが、日光江戸村は山沿いですので、もう少し悪いかもしれません。他のサイトの気圧配置予想によると、木曜日は低気圧が本州に中央部のさばっていて、悪天候オーラを発散しまくっています。

数年前のバス旅行で日光江戸村へ行ったときは、いろいろなデータから曇りという予報を出しました。確かに、東京は曇りで、東北道も厚い雲の下でした。このまま逃げ切れるかなと思ったのですが、もう少しで江戸村というところから雨が降り出しました。江戸村の背後の山に雲が登っていくのがはっきり見えました。山沿いは雨が多いという気象の基本をいやというほど感じさせられました。

だから、今回の予想気圧配置の低気圧は、とても不吉な予感が伴うのです。1週間先ですから、これから変わる可能性も結構高いという点だけを頼りにしているのです。気象庁も、あまりあてにならないという意味の「C」ランクをつけているのだけが救いです。

雨が降ると、江戸村内のそぞろ歩きができなくなりますから、とても辛いのです。室内のアトラクションも楽しいのですが、学生たちに江戸時代の暮らしの一端を感じ取ってもらうとなると、ぶらぶら歩き回るのが一番なのです。だから、せめて曇りで踏みとどまってもらいたいのですが、一体どうなるのでしょう。

中間テストが終わりました。来週がバス旅行で、再来週は卒業式です。1月期は、毎年、駆け足で過ぎ去っていきます。

玉砂利を踏みしめて

2月3日(金)

例によって、日枝神社へ豆まきを見に行きました。コートにマフラーで出かけましたが、陽だまりは結構暖かく、スーツだけで行ってもよかったかも。暦の上だけでなく、本当に春が来たかのようにも感じられました。

新宿御苑前駅で乗り遅れた学生を待って引き連れて行ったこともあり、例年よりも遅い時間に現地に着きました。既に中級や上級の他のクラスは豆まきが始まるのを今か今かと待っているところでした。しかし、Jさんを始め何人かの学生は、豆まきをする舞台のそばへ行くどころか、そちらを見ようともせず、ひたすらスマホをいじっていました。そういう学生を見るたびに、どうして自分で自分の世界を狭めてしまうのだろうと思います。

その一方で、Hさんなどは日枝神社の祭神を調べてくるといって、由緒書きを探しに境内を歩き回っていました。SさんとEさんがおみくじ売り場を探していたので、案内してあげました。また、K先生はクラスの学生からどうして神社には玉砂利(学生は「小さい石」と言ったそうですが)が敷き詰められているのかと聞かれたそうです。こういう学生は、これからの留学生活でも多く物を得ることでしょう。

豆まきが始まると、いつの間にかHさんも豆の取り合いに参戦し、戦果を私に分けてくれました。今年は力士のほかに晴れ着の女性タレントが多いように思いました。また、ゆるキャラが2体(2人?)いました。どこかで見たような木がするのですが、なんのゆるキャラか思い出せませんでした。

豆まきが終わり、お客さんが引くと、舞台の解体など、後片付けが始まりました。係員が灯籠を保護していた覆いをはずすと、舞台からまかれた豆袋が出てきました。それを見るや、どこかのオジサンがさっと拾い集めました。あんな豆にご利益があるんだろうかと首をかしげながら、あんなオジサンにだけはなりたくないと思いました(もう十二分にオジサンですが)。

さて、神社の玉砂利ですが、神聖なところを清浄にし、それを踏みしめることによって心身ともに清めて神前にまかり出て祈りをささげられるようにと敷き詰められているそうです。

大人になる

1月13日(金)

卒業文集の下書きがまだ完成していない学生を図書室へと追い出し、職員室に駆け下り、荷物を置いて、学生に捕まる前に6階講堂へ急ぎました、講堂には新成人が三々五々集まってきていて、友だちとおしゃべりしていました。定刻から数分遅れて、成人を祝う会が始まりました。

私の成人式は30年以上も前のことで、来賓の祝辞の際に聞き手である新成人がざわざわとおしゃべりを続けていたため、来賓が起こって話を途中でやめてしまいました。子供っぽい成人のさきがけだったのかもしれません。

これに比べれば、KCPの新成人たちは実に礼儀正しかったです。私の話の時も、ずっと耳を傾け、真剣なまなざしでこちらを見つめていました。私の成人式の新成人たちよりも、ずっと大人の態度でした。まあ、私の成人式の来賓氏よりも、私のほうが聴衆との距離が近いということもあるでしょうが。

私は大学入学とともに家族のもとを離れましたが、同じ国内でしたから、その気になればいくらでも会えました。私と同じ成人式に出ていた新成人の多くは、親元にいました。親元から海を越えて来ているKCPの新成人たちよりも、ずっと子供だったと思います。今は情報機器によって海の向こうにいる家族の顔は見られるでしょうが、生身で見られない心細さは決して消え去ることはないでしょう。何でも自分でしなければというプレッシャーが、成長の原動力になっているのです。

大人になることとすれっからしになることは違います。行動や考え方は大人になっても、歓談の時間に見せていたみずみずしい笑顔をいつまでも忘れてほしくはありません。

入学式挨拶

1月10日(火)

皆さん、ご入学おめでとうございます。世界の各地からこのように多くの若者がこのKCPに入学してくださったことをうれしく思います。

昨年末のことです。ある学生(仮にAさんとします)の大学入試の面接練習をしました。その質問の一つとして、「あなたの国と日本とで一番違っていることは何ですか」と聞きました。Aさんは「日本人は映画のクレジットを最後まで見ます。私の国ではクレジットを見る人はほとんどいません」と答えました。日本で映画を勉強したいというAさんらしい観点からの答えだと思いました。そこで、さらに、「では、どうして日本人は映画のクレジットを最後まで見るのだと思いますか」と突っ込んでみました。Aさんは、胸を張って、「それがマナーですから」と答えました。

私はこの答えを聞いてがっかりしました。おそらくAさんの頭の中では、日本人はマナーやルールをよく守る国民性を持っていて、それが映画鑑賞の場面でも発揮されたというストーリーができあがっていたのでしょう。Aさんは来日してから約9か月、日本で映画を何本も見て研究に励んできたそうです。そんなに映画をたくさん見てきたのに、君の目には日本人はマナーを守るためにクレジットを最後まで見ているとしか映らなかったのかと言いたくなりました。しかも、それで日本や日本人を理解したかのような答えっぷりが、とても気に障りました。Aさんの志望校は相当レベルの高い大学ですから、この程度の答えなら、面接官はニヤリと笑ってAさんの名前に×を付けるだけでしょう。

私はAさんの日本に対する見方は底が浅いと思います。表面から見えるものだけを見て、触れるものだけを触って、それで日本や日本人を理解したかのように思ってほしくはありません。潜在成長率が0.5%もないと言われている日本において、世界に売り出していけるものといったら、文化ぐらいしかないかもしれません。しかし、その文化は、決して浅薄なものではなく、汲めども尽きぬ井戸のごとく、一朝一夕で理解が及ぶものではありません。私はAさんにそういうことを伝え、映画を含めた日本や日本文化をもう一度捕らえ直すようアドバイスしました。

今日、ここにいらっしゃる皆さんは、短い人でも3か月、長い人はこれから進学先を卒業するまで何年もの間、あるいはその後日本で就職するのなら何十年もの間、日本で暮らしていくことになります。ツアーで日本に立ち寄ったのなら、映画のクレジットを最後まで見る日本人はなんとマナーがいいのでしょう、で十分です。しかし、日本で生活する、生きていく、日本人と何かをしていくつもりなら、映画のクレジットを最後まで見る日本人の心性を追究していく必要があります。

今、この入学式の場においては、日本人がなぜ映画のクレジットを最後まで見るのかの答えは申し上げません。それは、皆さんがこの学校を卒業するときまでの宿題です。私たち教職員一同は、皆さんとこういう議論を日本語でするのを楽しみに待っています。そして、卒業の日に、皆さん自身が見つけたその答えを私にささやいてください。その答えが正鵠を射ていることを祈ってやみません。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

青赤黄

11月22日(火)

明け方まで雨だったところもかなりあったようですが、集合時刻を迎えた国営昭和記念公園西立川口は快晴となり、雪をかぶった富士山がマンションのすき間から拝めました。園内は、錦秋という言葉がぴったりの紅葉と黄葉が抜けるような青空に映えて、目を楽しませてくれました。「京都なんかまで行かなくてもここで十分ですね」とMさんが言っていましたが、まさにその通りでした。

やはり最大のネックは、着火剤1つで炭に火をつけることでした。火のつけ方は各クラスで指導していましたが、着火剤に火をつけてから炭に火が移るまで待つことがなかなかできず、焦ってあおいでかえって火を消してしまうクラスがけっこうありました。火付け役の私は、あおぐのを思いとどまらせたり、消えかけた火を復活させたり、火が起こったクラスには炭を足すタイミングを知らせたり、日差しの強さもあり、この時点でずいぶん汗をかいてしまいました。ヒートテックがちょっと邪魔くさくなってきました。

料理が始まると、各クラスから持ち込まれた料理コンテストの作品の味見に没頭しました。どのクラスも、味にも盛り付けにも工夫を凝らしていて、目で引き付けられ、舌で驚かされ、濃密な審査時間でした。じゃがいも料理というお題でしたから、カレーライスや肉じゃがばっかり出てきたらどうしようと思っていましたが、よくぞまあこんなにいろんなじゃがいも料理を考え出したものだというくらい、バラエティーに富んでいました。自分の発想の貧困さを思い知らされました。

火付け役で見回ったときに、各クラスで串焼きやら焼肉やら、色とりどり素材とりどりの料理が用意されていましたから、じゃがいも料理以外にも舌鼓腹鼓を打ったことでしょう。その一部が差し入れされてきましたが、どれもおいしくいただきました。審査があったのでほんの一口ずつでしたが、クラスの学生の満足げな笑顔が目に浮かぶ料理ばかりでした。

昨日までの空模様と天気予報からは想像もつかない、もしかするとこの秋一番の青空に恵まれ、食後の園内散策から戻ってきた学生たちは、いい1日を過ごしたという顔をしていました。私も、快い疲れを感じました。