Category Archives: 行事

作戦立案

11月11日(土)

職員室のあちこちから、水上バスを降りた後のお台場ツアーのプランを話し合う声が聞こえます。通常のバス旅行だと、例えば富士急ハイランド内をどう歩き回るか、どんなアトラクションをどんな順番で回るかという話になるのですが、お台場は有料無料のアトラクションが多すぎて、一筋縄ではいきません。また、富士急ハイランドなら絶叫マシンに乗ってしまえばあとはのどがかれるまで叫び続けるだけで、そこには国籍も日本語レベルもありません。しかし、お台場はそういうわけにもいかず、教師の頭を悩ませるところとなっています。

私のレベルは行き先が決まっていますが、予定している昼食会場から約2.4キロあります。私は歩くのが大好きで、しかも速いですから、お台場みたいなまっ平らなところの2.4キロなら、どう考えても30分はかかりません。しかし、学生を引き連れていくとなると、下手をすれば1時間近くかかってしまうかもしれません。学生たちが何十分もの行軍に耐えられるとは思えません。ゆりかもめで移動してもいいですが、あの狭い車内に一気に何十人も乗り込むと、その便だけとんでもない混雑になってしまうことも十分考えられます。

さらに、上級の学生はなまじ日本語ができますから、単独行動に走るおそれも否定できません。富士急ハイランドや日光江戸村などで迷子になると、東京まで帰り着けないかもしれません。しかし、お台場なら、ゆりかもめに乗っているうちに東京タワーや山手線が見えてくることでしょうし、りんかい線だったら気がつけば新宿などというラッキーパターンもありえます。そんなことをされたら、教師の心臓はいくつあっても足りません。だから、私たちと一緒に歩いていくと面白いことに出会えるよという企画を立てねばならないのです。

さて、明日はEJU。対策講座に出た学生たちには、今晩は8時に寝るように言っておきました。すっきりした頭で実力を遺憾なく発揮し、気持ちよく水上バスの旅に参加してもらいたいです。

じゃんけんよりも

11月9日(木)

今学期の学校行事は、水上バスの旅です。浅草から水上バスに乗り、隅田川の川面から東京の町を見ながらお台場まで行きます。お台場でクラスごとレベルごとに食事をして、何か所か見学する予定になっています。私はここ数年お台場へ向かうゆりかもめはよく見かけるのですが、お台場に足を踏み入れるのは数年ぶりのことです。学生引率という大役があるとはいえ、どこか浮き立つものを感じています。

その水上バスの旅も、来週の金曜日に迫ってきましたから、そろそろ準備を本格化しなければなりません。クラスごとの行動になりますから、各クラスでクラスリーダーを2名決めることになりました。浅草やお台場で行方不明を出さないように、リーダーにはしっかり働いてもらわねばなりません。

さて、私のクラスです。「水上バスの旅のリーダーですが、やってくれる人、いませんか」と聞いてみても、無言。自薦がないならと、「じゃあ、だれがいいですか」「……」。この無言にいたたまれなくなったのか、Yさんが「じゃあ、私がします」と言ってくれました。Yさんは、私が密かに候補にしていた学生ですから、“うん、やっぱり引き受けてくれたか”という感じ。

「もう1人は誰がいいですか」「……」「私が勝手に決めてもいいですか」となって、やっといくつか決め方のアイデアが出てきました。でも、何とか自分に回ってこないようにという意識が垣間見えていました。「先生とじゃんけんして負けた人」などという案も出てきて、じゃんけんをやろうとしたところで、Dさんが「私がやります」と言ってくれました。

Dさんは、去年、初級でも教えた学生です。そのクラスではやや自己中的な面が見られましたが、だれも引き受けようとしない役を進んで引き受けてくれるまでに成長したかと、ちょっと感激しました。平坦な道ではなかったはずですが、人間的にも大きく伸びたと思います。

ここまでだったらとってもいい話なのですが、Dさんは2月末のバス旅行では、クラスリーダーになったのに遅刻したとO先生。一抹の不安を感じながらも、Dさんのリベンジ精神にかけるほかありません。

心を動かす

8月5日(土)

今年のスピーチコンテストは土曜日開催とあって、審査員として日本で就職した卒業生が何人も来てくれました。会社名を並べると、結構なところばかりで、みんなKCP卒業後努力を重ねてきたのだなあと思わずにはいられませんでした。顔や声は変わっていなくても、内面は大きく成長しているのです。

初級から上級まで、多種多様なスピーチが聞けましたが、会場全体が盛り上がったのは、わかりやすく共感できるスピーチ、アイデアが豊かでユーモアが感じられる応援でした。また、今年はパフォーマンスを中心にしたスピーチをひとかたまりにして競い合わせましたから、見るスピーチが華やぎを添えました。

もちろん、正統派のスピーチも健在です。社会問題に真剣に向き合うスピーチもまた、多くの学生の心を動かしました。全学生が参加する学生審査にもそれが明確に現れていて、私たちが感心させられたスピーチは、学生をも捕らえていたようです。

ただ一つ気になるのは、審査員のK先生もおっしゃっていましたが、パワーポイントの画像などに頼るあまり、ことばの力だけで聴衆を動かそうというスピーチが少なくなったことです。正統派スピーチで最高点だったJさんは、パワーポイントは使いませんでした。そのスピーチには確かな力強さも感じました。しかし、画像があるスピーチは、わかりやすくなる代わりに、言葉による説得力が弱かったように思いました。この点が、Jさんと他のスピーカーとの差になって現れたのではないかと思いました。

スピーチコンテストを作り上げるまでに、どこのクラスでも幾多の紆余曲折がありました。その紆余曲折を乗り越えたことによって、賞はもらえなくてもさわやかな満足感が得られたのではないかと、コンテスト終了後の学生たちの顔を見て思いました。

夏はこれから

7月31日(月)

最近、日が短くなったなと思います。と言っても、皆さんと違って、私が感じるのは日の出が遅くなったことです。今朝は久しぶりに晴れましたが、電車から見える朝日の位置がとても低くなったなと感じました。もう間もなく、家から駅までの道の街灯が消えないうちに通り過ぎることになり、朝よりも夜の雰囲気が濃くなっていきます。

とはいえ、日中は夏全開で、校庭でスピーチコンテストの応援練習をしようとしたM先生のクラスは、コンクリートからの照り返しでひどい目にあったそうです。校庭の活用を図ろうとしましたが、もう少し陽気がよくなってからのほうがよさそうです。

蝉もかなり勢いよく鳴いています。小中学校は夏休みですが、夏休みはなんてったって蝉ですよね。でも、午後の授業に外階段を上っていく途中に、大きな蝉の死骸がひっくり返っていました。夏の宴を終えて、命が果てたのでしょう。

夕方、卒業生のNさんが学校に来ていました。「もう夏休み?」「はい、来週の試験が終わったら9月の終わりまで休みです」「えっ、そんなに長い間休んじゃったら、授業料、もったいなくない?」「大丈夫です。ウチの大学、ゴールデンウィークは普通に授業するんです」…なんていう、意味がわかったようなわからないような話をしました。でも、2か月近くも休んでいたら、頭がなまっちゃうんじゃないでしょうか。Nさんは休み中アルバイトに励んじゃいそうな気がしますから、なおさら心配です。

いずれにせよ、KCPの夏はスピーチコンテストであり、夏休みはまだひと月近くあります。まだまだ夏が終わってしまっては困ります。

花火が見られるかな

7月29日(土)

今晩は隅田川の花火大会が予定されています。雨が降っているので、予定通りに行われるかわかりませんが、浅草方面に向かう電車は混雑のため遅延も出ているようです。

私のうちの最寄り駅も花火の日は大混雑します。花火がはじまって少し経ってからでないと、電車も何も身動きが取れません。また、終了時刻が過ぎると帰宅ラッシュにかち合い、駅からうちまで歩くのが一苦労どころではなくなります。ですから、絶妙のタイミングを見計らって帰らねばなりません。

早く帰ってうちから花火を見ちゃえばいいのにと思われるかもしれませんが、マンションの私の部屋は花火が打ち上げられるのとは逆向きですから、音だけの花火大会という、何とも間の抜けた状況となってしまいます。ですから、毎年この日は、8時過ぎぐらいに駅に着くように時間調整して帰宅しています。

私はこういう花火大会やお祭など、人が大勢集まるところがあまり好きではありません。ラッシュが嫌いだから朝早く出勤するし、連休や夏休み、年末年始休みなど長期休暇も、混雑しないところを選んで出かけるし、昼食もピークの時間帯を避け、店をのぞいて混んでいたら入りません。

今から30年以上も昔、勤めていた会社のある町の花火大会を誰もいないところから見ようと、打ち上げ場所の近くの山に車で登ろうとしました。しかし、同じような考えの人が多かったみたいで、山道は大渋滞を起こし、中腹の林のすき間から打ち上げ花火を見下ろすという、しまりのない結果に終わりました。隅田川花火大会もスカイツリーから見下ろすというのがはやっているそうですが、私の経験からすると、それって楽しいんだろうかって気がします。

先週の浴衣販売で浴衣を買い、今週の着付け教室でき方を覚え、そして、今晩花火を見に行くのを他のlしみにしている学生が大勢いますから、どうにか開催されるといいですね。

っっっ

7月25日(火)

私が受け持っている初級クラスのスピーチコンテスト代表はWさんです。原稿がほぼ固まったので、読む練習を始めました。自分で書いた原稿とはいえ、声に出して読むとなると、なかなかスムーズにはいかないものです。日本人だって、自分で書いた原稿を読むときにかんでしまったり文の切れ目が見えなくなってしまったりするものです。ましてや外国人、それもまだ初級ですから、一発ですらすら読めるわけがありません。

初めての練習ですから、指摘したいことが山ほどあります。でも、それを全部Wさんに伝えたら、Wさんは混乱の極致に陥るだけでしょう。ですから、手始めとして、小さい「っ」をきちんと発音するようにと指示しました。

でも、厳密に言うと、「っ」は拍を取るだけで、声は出しません。ですから、“きちんと発音するように”ではなく、“きちんと発音しないように”指導したというべきでしょう。

発音をするのかしないのか、何だかよくわからなくなってきましたね。まあ、とにかく、Wさんにとっては「っ」に対して1拍置くということが難しく、「っ」のところだけ寸詰まりというか急ぎすぎというか、聞き手からするとそこだけリズムが狂ってしまうのです。

「っ」のリズムが取れないと、話すときだけでなく、書くときにも悪影響が現れます。上級になっても「帰えて」というミスが減らないのも、ここにその一因があると私はにらんでいます。学生は、とかくこうした地味な練習を嫌がるものです。しかし、「帰えて」と書いたり話したりして“ガイジン”と思われて損をするのは、そういう学生自身なのです。

さて、明日はWさんにどんな指導をしましょうか…。

いいものはいい

7月13日(木)

スピーチコンテストのクラス内予選をしました。昨日原稿を書かせたクラスとは別の上級のクラスでしたから、どんな話が飛び出してくるか楽しみでした。

昨日のクラスは最上級レベルでしたから、自分の日本語を駆使して社会的な問題に切り込んでいましたが、このクラスはそれより少し下のレベルですから、その分自分の身の回りに寄った話題が多かったです。抽象性が低くなったと言ってもいいでしょう。もう少し正確に言うと、独自の思考によって抽象性を高められた学生が少なかったです。参考にしたネットのページなどに振り回されて、十分に咀嚼せずに文を並べているので、スピーチが聞き手の心に響かないのです。

一方、独自の思考で帰納的に議論を深めていった発表は、聞き手の学生たちの顔つきが違っていました。スピーチにひきつけられ、スピーチを聞くことに知的な喜びを感じていることがわかりました。私自身、なるほどと思わせられ、そこまで自分や社会を掘り下げていったその学生に敬意を払いました。

また、発音の良し悪しの差が明瞭に現れました。きれいな発音の学生は、その辺を歩いているバカ高校生よりよっぽどきれいな日本語を話します。その一方で、上級の端くれなのに日本語教師も理解に苦しむ発音しかできない学生もいます。それに加え、原稿の内容を十分に理解しないままスピーチしたとあれば、聞くに堪えるとか堪えないとかの次元ではありません。

私が「これは!」と思ったスピーチは学生も高い評価を与え、発音の悪いスピーチは学生の評価も散々なものでした。学生たちがここまで真贋を見抜く目をもっているとなると、私など学生たちの前で毎日スピーチしているようなもんですから、何だか背筋が寒くなります。

読ませられる

7月12日(水)

先学期は初級クラスの担当でしたが、今学期は超級クラスにも入ることになりました。そして、今学期はスピーチコンテストがあり、今日は超級クラスの学生にその原稿を書いてもらいました。

なにせ、このところ超級の学生の文章を読んでいませんでしたから、ちょっと調子が狂ってしまいました。まず、文章がしっかりしていることに驚かされました。もちろん、文法や語彙のミスはありますが、でも、初級の学生のように、文字は日本語だけど文は日本語ではないという作文はありませんでした。たくさん赤を入れた原稿もありましたが、どうにも直しようがない、いくら考えても意味不明という“名作”はありませんでした。

それから、原稿に書ける意欲も立派なものでした。1時間あれば書けるだろうと思っていましたが、授業時間内に書き終えた学生はクラスの半分もいませんでした。ところが、授業後、図書室かどこかで書いてきた学生が続々と提出してきました。一番遅い学生が出してきたのは、まさに日が暮れるころでしたから、5時間ぐらい頭を悩ませていた計算になります。時間をかければいいという問題ではありませんが、それだけ考え続け、彼らにとっては外国語である日本語でその考えを著した努力には、素直に頭を下げたいです。

そして、社会派の内容が独自の視点で書かれている原稿が多く、これまた立派なものです。さすが超級と感心させられました。この原稿の中から1つだけを選ぶのは至難の業です。でも、スピーチは原稿だけで決まるものではありません。その考えをいかに訴え、そして聴衆の心をいかに捕らえるか、これこそがスピーチの醍醐味です。

クラス予選は、激戦になりそうです。

ガリガリ君

6月2日(金)

昨日の雨が嘘のような、スポーツにはもってこいの抜けるような青空…と言っても、運動会は体育館の中で行われます。1年で一番日が高い時季なので日中ずっと外にいたら紫外線対策が大変ですから、屋内での運動会は、やっぱり正解かな。

会場に定刻よりもだいぶ早く着いたので、付近をしばらく散策し、それでも時間が余ったので、木陰で読書しました。梅雨間近とは思えないさわやかなそよ風が心地よかったです。学生たちがポツリポツリと集まってきましたが、Dさんなどは6時に起きてご飯も食べずに来たとか。学校よりもだいぶ遠く、しかもの場所へ行くから、早め早めに行動しなければと思ったと言いながら、近くのコンビニで買ったパンを食べていました。

毎年のことですが、盛り上がるのは綱引きとリレーですね。選手の高揚が観客席に伝わり、それに反応した観客席の興奮がフィールドに響いてきます。ルールが万国共通、単純明快というのがいいのでしょう。

私は審判ですから、綱引きの選手を間近に見ることができます。1人1人の腕力の合計はチームによって大きな差があるとは思えませんが、勝ったチームにはそれを1つにまとめるさらに偉大な力があるように感じました。これが“神ってる”っていうやつなのかなあなんて思いました。Gさんあたりがその力の源だったかもしれません。

リレーはやっぱり足の速い学生が華です。私が知ってるYさんは勉強熱心ですが、走るのが得意そうには見えませんでした。ところが、リレーでは先頭を切って走っているではありませんか、しかも2位に結構な差をつけて。文武両道なんだと感心させられました。

今年の運動会の締めはダンスでした。今週に入ってからの特訓が実って、学生みんな、それなりのステップは踏んでいました。練習はイヤイヤ参加していた(させられていた)学生が、両隣の学生と手をつないで、大いにはしゃいでいるではありませんか。

閉会式後、勝利チームには賞品としてガリガリ君が配られました。観客席で半ば放心したようにガリガリ君をしゃぶっている学生たちが、印象的でした。

職員室炎上

6月1日(木)

職員室は、朝から明日の運動会の色に染まっていました。各種目で用いる資材の最終チェックやら、競技スタッフの動きの確認やら微調整やら、各教師が明日の動きをシミュレートしながら手を動かしたり頭の整理をしたりしていました。私も競技役員をしてくれる学生に役割を説明したり、先生方に明日の仕事をお願いしたり、明日朝の現地での準備項目を話し合ったりと、“イブ”の慌しさを味わいました。ですが、私はスターターとか審判とかで出ずっぱりですから、そして、私の動きの良し悪しが運動会の成否を左右しかねませんから、当日に気力も体力も温存しておかなければなりません。今ここでヘロヘロになるまで頑張るわけにはいかないのです。

そんな職員室も、お昼前後は面接の学生が大挙して訪れました。運動会の準備もしばらく休戦です。ついさっきまで競技の小道具が広がっていた机で、中間テストの直しや進路の相談や遅刻しないようにするにはどうしたらいいかの話し合いなどが行われました。学校行事だからといって、学生指導の手を緩めるわけにはいきません。

私は、午後は受験講座。6月に突入しましたから、本番までに残された時間はわずかです。知識をぎゅうっと押し込んで、来週からの直前の追い込みにつなげていこうと思っています。本来だったら数回に分ける内容を1度に濃縮してしまったのです。学生たちが目を白黒させたのももっともなことです。

受験講座から戻ってくると、職員室は大変なことになっていました。あっちこっちで準備をしながら盛り上がっており、何だか本番みたいな雰囲気でした。今からこんなにテンションが高くて、明日は燃えかす状態になっちゃうんじゃないかと心配にすらなってきました。同時に、この学校の先生たちは本当にお祭好きなんだなあと思いました。