Category Archives: 自分自身

口元すっきり

5月8日(月)

関西は全体的にマスクの縛りが緩いようで、街を歩く人も、電車の乗客も、お店の中でも、マスクを外している人が目立ちました。インバウンドの皆さんに限らず、日本人も堂々と鼻と口を出しておしゃべりもしていました。私もそれにあやかって、マスクなしで過ごすことが多かったです。もっとも、私は梅田や難波や三宮や清水寺みたいなおおぜいの人が集まるところへは行きませんでしたから、そういうことができたのかもしれませんが。

ホテルの中も、だいたいマスクなしでしたね。私はチェックインの時マスクをしていましたが、マスクなしで話している人の方が多いように感じました。ホテルの従業員は、マスクをしていましたが。お客は、原則マスクなし、でもマスクは持っていて、いざという時は着用といったところでした。

さて、どこをほっつき歩いていたかというと、芥川山城、愛宕神社、清凉寺、天ケ瀬ダム、服部天神などというところへ足を延ばしました(ご存じのところがありましたか)。でも、思ったより人がいましたね。芥川山城、愛宕神社は大阪や京都の人たちのハイキングコースとなっているみたいで、家族連れ、ペット連れ、カップル、気の合う仲間などで歩いている人たちがかなりいました。山の中ですから、その大半がマスクなしで談笑しながら自然を楽しんでいました。私も、マスクをかばんにしまい込んで、思い切り緑の空気を吸いました。もう、2019年に戻っていました。

帰りの飛行機は満席でしたから、マスクをしました。飛行機を降りてからも、なんとなく外すチャンスがなく、結局家まで鼻と口は覆ったままでした。

「さあ、5類だ。マスクを外そう」と思っていたのですが、家の外に出たらなんとなく気持ちがなえて、結局学校までマスクを着けたままでした。教室に入ると、学生たちは全員マスクをしていました。大阪の学校はどうなんだろうと思いながら、出席を取りました。

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外国料理

4月21日(金)

読解テキストに関連した宿題として、学生自身の国の料理で、外国料理をアレンジしたのものを探してくるというのがありました。マクドナルドやケンタッキーが自国風に味付けされているとか、寿司のネタに日本ではありえないようなものを入れているとか、想像できそうなできなさそうな答えが寄せられました。

40年近く前のことですが、私は新入社員として山口県にある工場に配属されました。その工場の食堂のテーブルに、キムチの素という瓶が置かれていました。普通の白菜の漬物にそのキムチの素をかけるだけで白菜キムチができあがるという、オレンジ色のドロッとした半液体の調味料です。

当時は韓流ブームのはるか前でしたから、東日本で生まれ育った私には、キムチはなじみのない食品でした。工場の人たちが、しょうゆの代わりにそのキムチの素を白菜に漬物にかけて、ごく当たり前に食べているのを見て、さすが山口県は韓国に近いだけあるなあと感心していました。

なんとなく好奇心が湧いてきたので、ある日、少し勇気を出して即席白菜キムチを作って食べてみました。これが辛いのなんのって。食べ物を残すのは嫌いですから小皿の白菜キムチをどうにか平らげましたが、二度と手を出すまいと強く心に誓いました。同時に、こんなものを毎食口にしている韓国人の味覚を大いに疑いました。

その数年後、ソウルまで1万円足らずで行けるというチケットが出たので、初めて韓国の土を踏みました。あれ以後キムチの素には一切手を出していませんでしたが、せっかく本場に来たのだからと、食卓の上に合ったキムチを、ほんの一口、記念に味見しました。

口に入れた瞬間辛さが舌を刺激し、失敗したと思いました。しかし、そのうちに辛さ以外の味が広がりだしました。これをおいしいというのであれば、韓国人の味覚って繊細じゃありませんか。あのキムチの素で満足している日本人の方がどうかしていると思いました。

ネットで調べると、現在、某大手食品会社がキムチの素を出しています。それがあのキムチの素なのかはわかりませんが、キムチが一般化した今は、きっとおいしくなっているに違いありません。私がこの読解の宿題をするなら、この話を書きます。

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落ち着いた雰囲気

4月1日(土)

午前中、電気設備の定期点検のため停電でした。停電でもできる仕事、パソコンやコピー機などを使わない仕事ということで、昨年11月のEJU理科の模範解答を作りました。これなら紙と鉛筆でできます。

学期中は授業が最優先ですし、1月期はギリギリのところでの進路指導もあります。ですから、EJUの問題を解くための時間はなかなか作れませんでした。学期が終わったらすぐに新学期の準備ですから、やっぱり時間が取れません。停電でパソコン仕事ができないとなるで、出勤する教職員も少なく、だから鍵もありません。というわけで、停電のおかげで、やっとまとまった時間が取れたというわけなのです。

解いてみると、いくつかオヤッという感じの問題がありました。今までとは傾向の違う問題で、ちょっとした頭の体操になりました。聞いている事柄は同じなのですが、角度を変えて問うているので、新鮮に感じられました。毎回こういう問題がバンバン出てくると、解くにしても教えるにしても、甲斐が出てきます。

残念ながら、“問題のための問題”みたいな問題もありました。毎度のことですが、知識の有無を調べてどうするのだろうと思ってしまいます。また、厳密には成り立たないんじゃないかなという問題もありました。日本人の高校生が受ける共通テストで同じ問題が出たら、騒ぎになったかもしれません。

人が少ないので仕事がはかどりました。新学期は、6月18日のEJU本番に向けての理科の授業をしていきます。Hさん、Jさん、Pさん、バリバリ鍛えていきますよ。覚悟していてください。

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隣の女性

3月31日(金)

昨日の夜、退勤時に乗った銀座線で私の隣に座った20歳代と思われる日本人女性は、堂々とマスクをしていませんでした。電車の中では、外国人観光客らしき人たちがマスクをせずにおしゃべりしているのは何回か見かけましたが、日本語があふれたスマホの画面とにらめっこしているマスクなしは初めてでした。

まわりの乗客も、私と同様に一瞬ぐらいはその人に目をやったかもしれませんが、何事もなかったかのように自分の仕事に没頭していました。ずっとあたりを見張っていたわけではありませんが、眉を顰めたりなどという人もいなかったと思います。少しずつ、社会が復旧しつつあるんですね。

現時点では、半袖で歩くよりマスクを取って電車に乗る方が勇気がいります。私は大勢順応派ですから、ごく当たり前にマスクを着けて電車に乗ります。昨日の女性がどんな考えの持ち主かわかりませんが、そういう行動ができることに対して、うらやましさを感じました。

5月の連休明けに5類に指定替えになったら、マスクなしの顔がぐっと増えることでしょう。マスクを着けたままの人がかなり残るんじゃないかとも言われていますが、梅雨が近づいて蒸し暑くもなるし、マスクなしが思ったより早く広まるんじゃないかな。

KCPでは、新学期から学生教職員に対して、校舎内でもマスク着用を求めないことにします。教室の机の配置も、以前のようにみんなの顔が見えるコの字型に戻します。どのくらいの学生がマスクを外すでしょうか。教室にかつてのにぎわいが復活するでしょうか。始業日は、来週の金曜日です。

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ビッグデータの活用

3月29日(水)

読解の授業でビッグデータに関する文章を読んだので、期末テストの作文はビッグデータに関するテーマにしました。ビッグデータなどに関しては私なんかより学生たちのほうが詳しいだろうと思っていたら、作文を読む限り、そうでもなさそうでした。もちろん、大学院でその方面の研究をしようと考えている学生は、採点に困るような“論文”を書いてきました。しかし、読解の授業をさぼっていたのではないかと思いたくなるような作文もありました。

ビッグデータから個人データの収集を強く連想しすぎ、個人データの盗用・悪用に話題が傾いてしまって、ビッグデータを活用した世界、活用されすぎた社会というところに思いが至らない学生が目立ちました。

私はK書店のポイントカードを持っています。本を買うたびにポイントをためています。ある時、私にお勧めの本のメールが届きました。その中に、紹介文を読んでぜひ欲しくなった本がありました。しかし、私はその本をK書店では買いませんでした。これ以上私の好みをK書店に把握されたくなかったからです。K書店は、悪意がないどころか善意の塊で、ビッグデータに基づいて私にその本を紹介したのでしょう。その情報は、私にとって有意義でした。でも、私は自分の心の中をのぞき見されたような薄気味悪さというか、不快感を禁じえませんでした。結局、K書店はビッグデータでお客を1人失いました。私が自分でK書店に足を運び、その本を見つけたら、疑いなくK書店で買いました。ポイントもたまるし。

こんな話を書いた作文に出合ったら、私はどんな採点をしたでしょう。

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すっきりさわやか

3月24日(金)

学期が終わると、机の周りの掃除をします。3か月間にたまった、授業用のプリントやいろいろなところからもらったパンフレットや参考資料として使った図書などを、捨てたり元の場所に戻したりします。しかも3月は年度末ですから、1年分のそういったものが加わります。中にはシュレダーにかけなければならないものもありますから、結構な時間がかかります。年末にも大掃除をしていますからだいぶ整理したはずなのに、その時に捨てきれなかったものを思い切って捨てるとなると、思いのほかの分量になります。

こういう時は、余計なことを考えてはいけません。直感的に要らないと思ったものはすぐに捨てます。情け心が湧かないうちに処分するところがポイントです。温情はゴミ屋敷ならぬゴミ机に直結します。興味を持ってもいけません。3か月間顧みなかったということは、今後もその書類のお世話になることなど、まずないでしょう。懐かしんでもいけません。せいぜい、シュレッダーに飲み込まれていくとき「さよなら」と手を振るくらいで十分です。

たまりにたまった垢を落としているときに、まれに探していた物が見つかることがあります。でも、私はそんな淡い期待はかけません。それを見つけようと紙を1枚ずつチェックするなんてことはしません。そうです。余計なことは考えないのです。

そういう冷血人間になったおかげで、机の上にそびえていた書類の山も、本棚の本の上にのっかっていた受験講座のプリントの余りも、みんな消えてなくなりました。私の四囲が軽快な装いになりました。

さて、次はパソコンの中です。こちらは“実物”がない分だけ難敵です。来週、腰を据えて整理に取り掛かりましょう。

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別れの日

3月23日(木)

3月は、卒業式が終わっても別れの季節です。期末テストの日をもって退学という学生が、毎年まとまっています。卒業式の後で進学が決まったとか、1月期いっぱいで帰国するとか、そんな学生たちです。

Gさんは帰国組の学生です。A大学には合格しましたが、そこは第1志望からほど遠い大学なので、帰国を決意しました。もう少し力になってあげられたかなと、私自身悔いの残る学生です。そのGさん、私が期末テストの担当クラスの教室で準備をしていたほんの数分の時間に、「明日帰国するので期末テストは受けられません」という電話をくれたそうです。最後に一言、ことばを交わしたかったな。昨日も会っていたのですが、「明日、また会えるから…」と、ごく当たり前に「さよなら」と言って教室から送り出してしまいました。

YさんとZさんは進学組です。この2人は来ないんじゃないかなと思っていたら、案の定でした。次の行き先が決まると、モチベーションを維持するのは難しいのでしょう。Gさんも含めて3人分の空席が、やけに目立ちました。この3人に再び会う日が来るのかな…などということを考えながら、試験監督をしました。

テストが終わり、教室の整備をして、ゴミを捨てに廊下に出ると、Wさんが立っていました。こちらを見てぴょこんとお辞儀をしました。私も軽く会釈を返して教室に戻り、答案用紙などの荷物を持ってまた廊下に出ると、まだ立っていました。明らかに私を待っていた顔つきでしたから、「Wさんにも、もう会えないんだね」と声を掛けました。Wさんは京都の大学に進学します。「これからが、Wさんが本当に勉強したいことが勉強できる時間なんだから、体に気を付けてね」「はい、ありがとうございます。先生に一言挨拶をしたくて…」

うれしいじゃありませんか。先々学期と、おととし、オンライン授業をやっていたころに教えただけの学生が、わざわざお礼を言いに来てくれたなんて。Wさんは、この稿に何回か登場しています(そのたびに仮名が違いますから、これをお読みのみなさんが、Wさんの登場した稿を見つけるのはほぼ不可能でしょうが)。担当じゃないときも、秘かに応援していました。こういう学生だからこそ、応援したくなるのです。この気持ちを忘れなかったら、京都の大学でも、そこを卒業してからも、きっと素晴らしい人間関係が築けることでしょう。

何だか、とても気持ちのいい日になりました。

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マネパ追求

3月18日(土)

タイパという言葉に出合い、その意味するところを知ったとき、ずいぶんシビアな世の中になったものだと思いました。確かに私もそういう発想で動くことがあります。しかし、それに名前を付けて常に意識するというレベルには到底至っていません。せいぜい「時間を大切に」「時間の無駄遣いはやめましょう」という程度です。タイパで動く人たちから見ると、かなり牧歌的に映るでしょう。

ところが、最近は、マネパというのがあるそうです。マネーパフォーマンスの略です。欲しいと思ってから支払い完了までの効率の良さを指すのだそうです。タイパとも密接に関連しているようです。

マネパ追求の人たちは、ECサイトでの支払いをより簡潔にと考えています。クレジットカードの番号入力がうざったいので、BNPLに向かうというわけです。こうなると、そもそもECサイトをほとんど使わない私は蚊帳の外です。たとえそこで買い物したとしても、クレジットカードの番号ぐらい入力するでしょう。少なくとも、入力するためのわずかな時間を目の敵にすることはしませんね。

時間もお金も可能な限り自分のために使いたい、自分の心が燃え立つ物事(だけ)に時間もお金も注入したいという意識の表れだとしたら、理解できないわけではありません。でも、それだと何だか生き急ぎすぎている感じがします。否定や批判はしませんが、私はそこまでする気はありませんね。

私のマネパは、クレジットカードやICカードで止まっています。スマホの“〇〇pay”も使っていません。腕時計でピッとかっていうのも、あんまり魅力を感じませんね。20代から40代くらいで身についた文化が私にとって分相応の文化のようです。とすると、マネパ最前線の若者たちも、21世紀半ばになっても時代遅れのQRコード決済にしがみついてる、なんてことになるのでしょうか。

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油断大敵

2月16日(木)

年を取って血の巡りが悪くなったせいか、最近は手先が冷えていけません。胴体はヒートテックで守ることもできますが、手袋をしていては仕事になりません。私が出勤する朝の職員室は空気が冷えていますから、手指は熱を奪われる一方です。首筋に手を当てたり、お尻の下に手をはさんだりして手を温めます。日中も手先は冷たいままで、かじかむというほどではありませんが、動きがいくらか鈍いような気がします。

そこで、カップにお湯を入れて、そのカップを両手で包んで指先を温めています。給湯室の湯沸かしポットから熱湯を注いだばかりのカップはかなり熱いのですが、その熱さが気持ちいいんですね。指先から手のひらにかけてカップの熱を感じながら、キーボードをたたいたり、作文の添削をしたりしています。カップの中身がぬるま湯以下になったら、また入れ替えて熱さを楽しみます。

カイロでもいいのですが、両手でカップからの熱を受け止めると、手ばかりでなく体中が温まるような気がするのです。温かさは、カイロのほうが長持ちしますが、熱の伝わる面積は、カップを両手で握るようにして持つ方が広く、温まっていく実感が伴います。

午後、職員室で仕事をしているところを学生に呼び出されました。「卒業が近いので先生の写真を撮りたい」というので、モデルになりました。そのあとで、「選択授業の日本の古典で、和歌を教えてもらいました。私は“め”から始まる歌を作りました。『めったに見ない、片手でカップを持つ金原先生』という歌にしました」という報告をいただきました。私がカップを抱えるのは職員室の中だけですが、学生は見ているんですねえ。寒そうに背中を丸めながら大事そうにカップを両手で包む姿が、その学生にとっての“金原先生”なのでしょう。その姿を脳裏に刻み付けてKCPを卒業していくのでしょうか。もう少しシャキシャキしているところを印象に残したかったですね。

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今学期は忙しい

1月28日(土)

今学期は受験講座のほかに、上級の1レベルと選択授業1クラスの授業を全面的に作り上げていかなければなりません。卒業・進学の学期ですから、JLPTのN1の問題集なんかやったところで、学生にとってはありがたくも何ともありません。「進学してから役に立つ授業」を目標に、無い知恵を絞っています。

読解は、市販の教科書も使っていますが、“今”の日本を感じてもらうために、新聞やら動画やらにも触手を伸ばしています。学生たちの興味を引きそうな話題で、少し気合を入れれば読める難しさで、読んだ後で意見交換ができそうな内容で、などと注文を付けていくと、そうそうたやすく手に入るものではありません。

選択授業は、先週この稿で取り上げたとおり、学生に日本の観光ガイドを作ってもらいます。どこかのサイトの丸写しでないものを作らせるには、ターゲットとした観光地に興味を持ち、多角的に調査し、その結果をまとめ上げるという活動が必要です。これには、まず、きっかけを与えなければならないと思い、そのための資料作りをしました。日本国内の地理に関しては、私は1都1道2府43県すべてに足を踏み入れたことがありますから、ある程度のネタは持っているつもりです。いかにしてそのネタに学生を食いつかせるかが主戦場です。

授業に加えて、進路が決まっていない学生を志望校に送り込むという仕事もあります。むしろ、こちらのほうが重要かもしれません。週が明けたらこちらのテコ入れもしていかねばなりません。

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