Category Archives: 自分自身

夜明けの雷

5月21日(木)

今朝は雷で目が覚めました。半分寝ぼけていた私の目に稲光が突き刺さり、起きてしまいました。雷鳴はそうでもなかったのですが、稲光はだんだん勢いを増してきました。朝刊がビニール袋に入っていましたから、雨も降ってきたんだなと思いました。その朝刊を読みながら食事をしていると、腹に響くような雷鳴も聞こえてくるではありませんか。電車が動いてくれるだろうかと、心配になってきました。

家を出る頃は結構な降りでした。気温も半袖の腕がひやんとするくらいまで下がり、寒冷前線の通過を感じさせられました。だから雷も発生したのでしょう。4時半といえばいつもはもう明るいのですが、今朝は厚い雲の下でまだ夜の帳の中という雰囲気でした。しかし、風はさほどひどくなく、雲の切れ間も見えてきました。

丸の内線が地上に顔を出す四谷ではすでに雨が上がっている気配で、新宿御苑前駅で降りて外に出ると、もう傘は不要でした。そして、7時半ごろいらっしゃったN先生は、開口一番「今日はさわやかですね」。日が高くなるにつれて湿度はどんどん下がり、気温は25度をちょっと超えた程度でしたから、気持ちのいい1日でした。

おとといは奄美地方が、昨日は沖縄地方が梅雨入りし、雨の季節の足音が次第に近づいてきました。それだけにこのさわやかさを存分に味わっておきたかったのですが、授業だなんだかんだで、校舎の外には出られませんでした。

明日は運動会。屋内だからお天気は関係ないとはいえ、やっぱり青空を仰ぎたいです。

幸せの分け前

5月7日(木)

朝一番にもかかわらず、河内長野駅発のバスは座席がさらっと埋まるほどの乗客がありました。その大半が30分の乗車、金剛登山口バス停で降り、私以外の人たちはみんな登山口へ。私は千早城跡へと向かう急な階段へ。楠木正成が立てこもり、自軍の数十倍になる北条の大軍を引き付け、鎌倉幕府滅亡のきっかけを作りました。城跡にはそんな生々しい戦いのあとを示すものはありませんでしたが、そこに至るまでの急峻ながけを登っていると、楠木正成の知略のかけらが見えるような気がしました。

千早城跡は標高が600mあまりで、そこからさらに500m登ったところが金剛山の山頂です。お天気は下り坂という予報でしたから大急ぎで登った甲斐があり、山頂からは大阪平野はもちろん、関西空港や淡路島、明石海峡大橋まで望めました。キンキンに冷やしやお茶がおいしかったです。

ロープウェイで下山すると、上りのロープウェイは定員いっぱい、麓の駅は乗車待ちの人たちであふれていました。駐車場は満車になりつつあり、バスも立ち客が出る満員でした。しかも、小雨がぽつぽつと。まさに早起きは三文の得です。

春日大社は式年造替で、御神霊が仮殿に移っているので、ふだんは近づけない御本殿が間近で拝観できます。また、神が宿っているともされる磐座(いわくら)も見られました。日本の神は実体が明らかになっているわけではなく、気配(神気)を感じてその存在を悟るものです。御本殿や磐座は視覚的には印象が強いものではありませんでしたが、私のような凡人でも“何か”を感じました。

ここで、ちょっとした事件が。ある参拝者が撮影禁止領域でカメラを構えたのです。それを見つけた神職は烈火のごとく怒り、データを消せと厳しく命じました。その参拝者は撮影はしていないと言い訳していましたが、神職はなぜ疑われるような行動をしたのかと怒りを納めませんでした。神職の怒りは当然だと思います。デジカメになってからは気軽にとって気安く消すという、写真の無駄遣いというか真剣みのない撮影が横行しています。怒られた参拝者は無意識にカメラを向け、起こられてもおそらく反省はしておらず、今後もまたどこかで同じことをするでしょう。こういう何でも見境なく撮ろうとする人を見かけると、無関係なこちらまで不愉快になってきます。

その後、若草山に登りました。若草山は標高342mですが、山頂からは奈良盆地や大和三山が一望でき、前々日に登った金剛山もかすかに見えました。西方面は生駒山、信貴山、二上山、葛城山が連なり大阪平野までは見えませんでしたが、その穏やかな山並みもまた心を和ませてくれます。

大阪には、こういうふうに気軽に登れる山がたくさんあります。そしてその頂上からは絶景が望めます。大阪から金剛山まで直線距離で35kmほど。新宿ー筑波山はその倍の約70km。高尾山は40km強。大阪―生駒山はわずかに20km弱。大阪の人たちは幸せだと思います。今年の連休は、大阪の人たちの幸せを少し分けてもらいました。

半袖がさわやかですね

4月30日(木)

昨日は、お天気もまあまあだったので、たんすの中身を完全に夏物にしました。部屋着も半袖短パンにし、冬物は衣装箱の底にしまいました。来月半ばにはクールビズにしますから、それ用の半袖のワイシャツを衣装箱の上のいつでもすぐ取り出せるところに移しました。コートはこの前の日曜日に開店したクリーニング屋の半額オープンセールに出していますから、これで冬のかけらがなくなりました。

学生は私なんかまだマフラーをしているころから半袖を着ていますからあまりあてになりませんが、ここのところ通勤電車の中でも半袖が目立つようになりましたから、季節は初夏になりつつあるようです。日の出はいつの間にか4時台に。朝が早い私は、日没よりも朝日の早さで季節の進み具合を感じます。私は半袖の着始めのころに腕に感じる心地よい空気の冷たさがとても好きです。秋口に感じる半袖の腕のひんやり感は、気を引き締めていかなきゃっていう感じにさせられますが、この時期の半袖の腕には開放感を覚えます。

学校へ出てくると、いつもより早めに出勤したO先生たちが鯉のぼりを飾り付けてくれました。校舎の正面はビルの谷間で若干青空が狭いのですが、それでも風になびく姿には優美かつ雄大なものがあります。半袖の学生が鯉のぼりにカメラを向ける姿は、とても伸びやかですがすがしいです。明日は、学校の中で端午の節句の催しをします。

そして、あさってからは5連休。私は半袖を着て恒例の関西旅行に出かけます。天気がいい日を見て、金剛山に登ってこようかなと思っています。

持ち帰らない

4月28日(火)

明日は昭和の日でお休み。いよいよ大型連休が始まります。学校はカレンダーどおりに休みですが、教職員の中には仕事を家に持ち帰る方もいます。私は仕事を家に持ち帰りません。帰宅が遅くなろうとも、仕事は学校で片付けます。

まず、学生の宿題などの書類を持ち帰ろうとしてその書類をなくしてしまったら、その責任は取れないからです。学生が私を信頼して個人的なことを書いた作文を電車の中で採点していて隣の人に読まれてしまったら、私はその学生に合わせる顔がありません。学校の機密にかかわることだったら、なおさらのことです。私はそう簡単に持ち物をなくしませんが、万が一のことを考えると、気安く持ち帰ろうという気は起こりません。

それから、「私」の時間に「公」を持ち込みたくないのです。「私」が「公」に侵入する公私混同が許されないのなら、同様に「公」が「私」を侵略するのもおかしいです。ほかの人はともかく、私は24時間仕事のことばかり考えていたらいい仕事はできません。かつて、職場も住まいも同じ敷地内という環境だったことがありますが、頭がおかしくなりそうでした。仕事を完全に離れる時間が、私には必要なのです。

もちろん、学校を一歩離れたら日本語教育について全く考えないなどということではありません。毎朝新聞を読んで、教材になりそうな記事はしっかりチェックを入れますし、長期休暇で旅行に出ても、旅先で授業のネタに反応することはあります。ただ、それを義務だと思った瞬間に、日常生活も旅行も重苦しいものになってしまうような気がするのです。それゆえ、“私公混同”を恐れているのです。

午後は受験講座がびっしりつまっていましたから、午前中の授業の後始末がまだ完全には終わっていません。でも全ての仕事が納期に間に合うような計画は立てています。今週末からは、例年通り、思いっきり遊ぶつもりです。

翻訳が難しい

4月6日(月)

昨日の雨が花散らしになったようで、今朝の桜は明らかに盛りを過ぎたようすでした。式が始まる1時間近く前から、教職員よりも早く新入生がぽつぽつ来始めました。そして、6階の講堂に目いっぱいの新入生が集まったところで、入学式が始まりました。

毎回入学式では挨拶のときに全入学生をざっと見渡すチャンスがあります。1月期は、私の話にとってもよく反応する学生がいました。その学生は上級クラスに入って優秀な成績を残しました。大変快活な学生で、どの教師にも好印象を与えました。今学期は、残念ながらそういう学生はいませんでした。でも、妙にしらけている学生もいませんでしたから、まあ、平均的な新入生というところでしょうか。

卒業式に挨拶は翻訳が入りませんから、その場で好きなことが言えます。学生たちも日本人の思考回路にある程度慣れていますし、半分ぐらいは実際に教えたことがある学生たちですから、翻訳しづらいことも理解してもらえます。しかし、入学式はそういうわけにはいきません。翻訳がディスプレイに映し出されますから、そこからかけ離れたことは言えません。また、日本も日本人も初めてという学生が大半ですから、きちんと翻訳できる内容でないと、こちらの真意がうまく伝わらないおそれがあります。

今日の私の挨拶は、英訳してくださったS先生によると、訳しにくい言い回しがあったそうです。演題からディスプレイは見えませんから、私の挨拶がどう訳されたのかはわかりません。いずれにしても、日本人や日本に長いこと住んでる人にしかわからないような挨拶をしているようじゃ、まだまだ私はインターナショナルな人間じゃないようですね。

あさってからの新学期を控えて、学校の中はばたばたしています。明日は進学コースの学生たちへのオリエンテーションで、また忙しくなりそうです。

熱がない

3月26日(木)

久しぶりに風邪をひきました。今週になってから咳が出て、本人はそれほどでもないと思っているのですが、周りの先生方によると、明らかに鼻声だそうです。おとといぐらいから、私にとっての風邪の万能薬・龍角散を飲んでいます。墨汁くさいとかいう声にもめげず、1日に数回、いやもっと多いかもしれません、粉を口に放り込んでいます。

ゆうべ帰り際に、「そんなにひどい鼻声なんですから、きっと熱がありますよ」と言われたので、熱っぽい感じはしませんでしたが、家で熱を測りました。熱があったらどうしようと思いながら目盛りを見ると、36度ちょうど。あれ、いつもより低いじゃないかと思い、測り直してみましたが、やっぱり36.0度。ということは、平熱はもしかすると35度台ってこと?

去年ぐらいから冬が寒く感じられるようになりました。数年前までは夏でも冬でも同じ下着で平気だったのですが、今は冬はヒートッテクで完全防備じゃないともちません。朝一番で職員室に入ると、以前は他の先生方のために室内を暖めておこうと思って暖房を入れましたが、最近は自分のためにエアコンのスイッチを押します。家でも、暖房を入れる時間が一冬ごとに長くなっているような気がしてなりません。

子供の頃、祖母の平熱が35.5度ぐらいでした。その当時の祖母の年齢にはまだ10年ほど足りませんが、体内のエネルギー発生状況はその域に近づきつつあるようです。昨日あたりも半袖で期末テストを受けている学生がいましたが、腕のぴちぴちした力こぶがうらやましかったです。

明日は老化に起因する慢性病のチェックのため、病院へ行ってきます。

腰痛の原因

2月19日(木)

このところ、腰が不調です。立って歩いたり授業をしたりしているときには何ともないのですが、椅子に腰掛けようとしたりちょっと振り向いたりと、姿勢を変えようとすると、ピリッと電気が走ることがあります。

腰痛との付き合いは30年近くになります。病院やらマッサージやらに通ったこともありましたが、あまりよくはなりませんでした。これが今の私にとっての定常状態なのかなって、あきらめ半分、悟り半分の気持ちです。

人は眠っている間に成長ホルモンが分泌され、傷が治るのだそうです。睡眠不足に陥ると、体組織の修復力が低下し、老化が進行してしまいます。私なんか慢性の睡眠不足ですから、体を細かく見ていけばかなりの老化が観察されるんじゃないかと思っています。腰痛もその一症状に違いありません。

腰痛がひどくなったということは、その他の部分にもダメージがあるかもしれないということです。消化器系や循環系などに外から観察できないガタが来ているとなると、それが表面化したときに体が一気に弱ってしまうおそれがあります。それがとても怖いです。昔は大酒を飲んで内臓に無理をかけてきましたから、なんだか他人事じゃすまないのです。

先日、学生へのお願い事を訴えるための動画を撮りました。それを見たとき、左肩が下がり窮屈そうにしている自分の映像に愕然としました。ひどく年寄りじみた画になっているのです。左肩を意識して上げて臨んだ撮り直しの映像も、しゃべっているうちにだんだん左肩が下がっていきました。こんなひどい姿勢じゃ腰も痛くなりたくなるよなあ。

さて、だんだん卒業式が近づいてきました。左肩下がりじゃない自然ないい姿勢で証書が渡せるように、今から何かしなきゃ…。