Category Archives: 自分自身

記録を縮める

8月18日(火)

「記録を3秒縮める」といったら、たとえば2分30秒だったのが2分27秒になったということで、そこは全く問題がありません。ところが、「縮める」をその反対の「伸ばす」に替えても、意味は変わりません。

こんなことを漢字の時間に学生に言ったら、学生たちは不思議そうな顔をしていました。当然、2分30秒が2分33秒になったのはどういうか、という質問がありました。こちらは「記録が下がる/落ちる」でしょう。

どうしてこんなことが起きるかというと、記録に関しての場合の「伸ばす」は、「縮める」の反対、時間を長くするという意味ではなく、良くするという意味だからです。そして、厳密に言うと、「縮める」の反対は「延ばす」なのです。

私が漢字の授業をすると、こんなふうに漢字以外のところでけっつまずいてしまいます。もともと辞書で言葉の意味を調べたり、文法を突っ込んで考えたりするのが好きですから、何かの拍子にその成果(?)が出てきてしまうのです。

昨日は初級クラスで「消しゴムのかす」を教えました。「消しゴムのごみ」なんて言っていたんじゃ、進学してから笑われます。「消しゴムのかす」は、EJUやJLPTにはまず出ないでしょう。大学入試でこれを知らなかったからといって落とされることもないでしょう。そういう意味では全く役に立たない言葉ですが、小学校に上がる前の子供でも知ってるでしょうから、知らなかったらかなり恥ずかしいです。

明日はまた初級クラスです。今度は、どんな場外乱闘を起こそうかな…。

惰性の法則

8月5日(水)

昨日まで5日連続猛暑日というのが、東京では観測史上初とのことでしたが、今日も最高気温は35.2度で、記録更新となってしまいました。単に気温が高いだけでなく、蒸しているのが今年の夏の特徴のような気がします。シャツやズボンの下に冷気をため込んでおいても、一歩外に出たとたん、蒸し暑い空気が足にも背中にもまとわりついてきます。いったい、冷夏の予報はどこへいってしまったのでしょう。

今日はアメリカの大学のプログラムでKCPへ来て勉強している学生のインタビューがありました。2人の学生を担当しましたが、やはり暑さは身にしみているようでした。夜はエアコンのお世話になっているとのことでしたが、エアコンは風邪と背中合わせですから、よほど気をつけないといけません。本当はもう1人担当だったのですが、その学生は欠席でした。エアコン風邪なのかなあと思ってしまいました。

震災の年以降、KCPはクールビズで夏場は半袖ノーネクタイです。最初はちょっと抵抗がありましたが、今はこのくそ暑い日にスーツにネクタイなんてありえないっていう気分です。習慣を変えるのには労力が要るものですが、変えてしまってそこで新たな平衡状態とも言える環境が整うと、その新たな習慣もまた居心地がよくなるものです。物理の慣性の法則に似ているなあってよく思います。私のような怠け者には、慣性の法則ではなく惰性の法則と呼んだほうが、その実態をより正確に表しているように思えます。

さて、明日はスピーチコンテスト。学生たちのフレッシュな感性のシャワーを浴びて、惰性に流されている精神に刺激を与えたいです。

受験講座開始

7月14日(火)

私の今学期の受験講座は、今日が初日。物理をしました。先学期から、教科書の勉強中心のクラスと、問題を解くのが中心のクラスとに分けています。どちらも面倒を見るのですから、理科がある日は忙しいです。

問題を解く演習クラスは、先学期はEJUの過去問が中心でしたが、今学期は過去問に加えて大学独自試験を意識した問題も解かせることにしました。選択肢のあるEJUの選択問題ばかりやっていたら、自分で答案を作る筆記問題の力はつきません。また、口頭試問で物理の原理みたいなものを聞かれても何とかなるようにという気持ちもあります。

こういうことを通して学生たちに本当に学んでもらいたいのは、科学の根幹を成す発想です。順序だてて論理的に考えて結論を得る問題の解決法です。科学者として過ごしていく上でどうしても必要な考え方です。今思い返すと、私も受験勉強のときにそんな発想法の芽となるものを身に付け、それを大学から大学院にかけて育て上げていったような気がします。そしてそれを学生たちにも身に付けてもらいたいのです。

だから、EJUを基準に考えると、私の授業は理屈っぽいでしょう。でも、無駄なことをしゃべっているつもりはありません。ほんのかけらでもいいですから、私が持っている経験や感覚を伝えていきたいと思っています。

計画が進む

7月1日(水)

大阪からお客様が見えて、打ち合わせをしました。今日だからよかったものの、昨日だったら大変なことになっていたかもしれません。新幹線の車中で焼身自殺とは、人迷惑にも程があります。巻き添えで亡くなった方はどんな思いだったのでしょう。

死人に口なしで、自殺した当の本人は何を考えてわざわざ死に場所に新幹線を選んだのかはわかりませんが、死に場所を選ぶという発想自体、精神的に余裕のある人間の考えることなのかもしれません。自分のことしか見えなくなっているから自殺するのでしょう。自分を客観視できたら、そう簡単には死を選ばないんじゃないかな。

そうだとしても、新幹線で死ぬなよ。新幹線に乗る金があったら、迷惑のかからない死に方ができただろうに。いや、どんな死に方でも誰かに迷惑をかけますよ。だから、その金でおいしいものでも食べて、小さくても夢を抱けばよかったんです。

私はそもそも死にたいと思いません。辛いことがあったら、休みに何をしようかと考えます。今は夏休みの計画立案の真っ最中であり、時には年末年始の休みにも思いを馳せます。あれしようこれしようと考えたり、ネットで調べたり予約したりしているうちに、気持ちが前向きになってきます。この辛い場面を乗り越えたらまた一歩夏休みに近づくと思うと、どうしたら乗り越えられるかという方に気持ちが向いてきます。

そろそろ新学期の授業計画を練り、教材をそろえなければならないのですが、これが遅々として進んでいません。進むのは夏休みの計画ばかりで…。

私の周りの時間

6月26日(金)

私の周りには他の先生方と違う時間が流れています。学校の中はアメリカの大学のプログラムで来日した学生であふれていて、昨日から授業が始まっています。教師は総出でその授業をしています。しかし、私は日本語教師養成講座の講義やその準備に明け暮れています。いつもの年なら私もアメリカからの学生の授業をするのですが、今年は養成講座が最優先です。

ここ数年、日本語がほとんどゼロのクラスを担当してきましたから、授業が終わると本当にへとへとでした。でも、スタートがゼロですから、ちょっとでもできるようになったら伸び率無限大なのです。学生もできるようになったことが実感できますから、とてもうれしそうな顔をします。わからない言葉に包まれて教師以上に精神的に疲れているかもしれませんが、きっと心地よい疲れを味わっているのでしょう。

今年はそういう場面に立ち会えないのが残念なのですが、養成講座の授業でそれを補っています。こちらの受講生も、日常普通に使っている日本語や、もう少し大きくいうと言語そのものを、あるいは政治経済、科学技術なんていう角度で眺めてきたこの国を、今までとはまるっきり違う視点から見つめ直す新鮮さを味わっているようです。驚きと感動をもたらしているのだと思うと、アメリカの学生たちに対するときと同じ種類のさわやかな疲れを感じることができます。

私は文法とか言葉の意味とかをねちこちと考えるのが好きですから、養成講座の講義の準備は楽しんでやっています。むしろ、深入りしすぎないようにブレーキをかけているくらいです。あんなこともこんなことも受講生に考えてもらいたいと思いながら授業の計画を立てていると、資料がどんどん膨れ上がってしまいます。今週の3回の講義でも、山ほどあった伝えたいことを泣く泣く切り捨てて、どうしてもっていう内容を厳選しました。来週もそんな感じになりそうです。

さて、来週は新学期の準備もしなければなりません。忙しくなります。

健康診断

6月15日(月)

年1回の定期健康診断を受けました。会場の病院へ行くと、すでに大勢の人が。今年はちょっと出遅れたかな。血液検査では、血管が浮き上がらない人を横目にあっという間に終わってしまい、密かな優越感を味わいました。胃のレントゲンでは、今年はバリウムを飲んでから台の上でいつもより回転させられたような気がしました。肺活量測定の担当者がここ2、3年とは違っていましたが、勢いのよすぎる声のかけ方はおんなじだなと思いました。心電図や超音波の検査の担当者は、落ち着いたトーンで指示を出します。肺活量の人がこの担当だったら、検査を受けた人はみんな異常が出ちゃいそうです。

こんな調子で、私はこれといって緊張することなく検査を受けました。ここ数年、眼底検査で緑内障に引っかかるだけで、あとはきわどいところで不合格という数値があったりなかったりという結果が続いているからです。今年もこれといった自覚症状がありませんから、おそらく今までどおりという結果の落ち着くのでしょう。でも、その今まで同じというお墨付き(?)をもらって安心することが、健康診断の意義だと思います。お墨付きによって、仕事でも日常生活でも前向きにやっていく気持ちになることが大事なのです。

午前中に検査を終わらせ、午後はいつもどおり授業。先週の金曜日にカンニング疑惑を起こしたZさんを捕まえて説教と思っていましたが、その本人が欠席のため、見事に空振りでした。友人のJさんにメールか何かを送ってきたようで、私はJさんから腹痛という理由を聞きました。欠席するときは担任の先生に連絡しろと、クラスの中で何回も注意しています。にもかかわらずそうしないで休むとは、限りなく仮病に近いと踏んでいます。

最近の学生はお金持ちです。学生たちにこそ健康診断を受けさせ、その結果に基づき生活指導も受けさせたいです。そうすれば、腹痛などというどうでもいいような理由で休む学生が、全滅とまではいいませんが、激減するのではないでしょうか。

6月13日(土)

震災、仮校舎移転・新校舎建設といろいろあったためずっとお休みが続いていたKCP日本語教師養成講座の理論コースが、月末から再開されます。私も文法を担当することになっています。以前使っていた資料はあるものの、なにせ久しぶりのことなので、古いデータなどは改めなければなりません。また、私自身の頭もさび付いて勘が鈍っているところもありますから、資料を改訂しつつリハビリもしていかなければなりません。

日本人に日本語の文法を教えるなんて、呼吸みたいな本能に基づく動作に理屈をくっつけていちいち解説するようなものです。しかし、スポーツで本当に記録を伸ばそうとしたら、その本能に基づく呼吸のしかたにもメスを入れる必要があります。日本語教師という日本語のプロになるには、本能的に使いこなしている日本語文法を見つめなおして、最高のパフォーマンスを追求していくことが求められます。

日本人にとって日本語は空気か水のようなものだとしたら、日本語学習者とは空気や水の取り入れ方を知らない人たちです。だから、立派な大人に息の吸い方や、気管に入れないように水をのどに通す舌やのどの動かし方を教えるようなつもりで、日本語文法や言葉の意味などを教えていかなければなりません。

私は、日本語文法やふだん何気なく使っていることばの意味を、そういう観点から考え直したりその考察結果に基づいて学習者に教えたりすることが好きです。そのおもしろさを、ほかの人にも味わってもらいたいと思っています。私にとっての養成講座は、日本語を見つめなおすおもしろさ、楽しさを伝える場です。

幸いにも(?)、今回の講座は定員にまだ余裕があります。これをお読みの皆さん、一緒に楽しんでみませんか。校長ブログのちょっと下をクリックすると、養成講座のページに跳びますよ。

三平方の定理

6月2日(火)

漢字の授業では、教科書に出てくる熟語のほかにいくつかの言葉を紹介します。どの先生がどんな単語を取り上げているかはわかりませんが、私はどうしても理系的な言葉を入れたくなります。たとえば「直」では、直す、直接、正直の3つが「直」の字の用例として挙げられています。理系人間にとって「直」は「直角」「直線」「直流」の直です。初級の学生に対して「直流」の説明は難しいですが、「直角」は絵を描けばすぐにわかってもらえます。

確かに、日常生活において「直角」とか「直線」とかを使うチャンスはありません。そんなのよりも「素直」とか「やり直す」とかなんていうのを教えたほうがよっぽど役に立つでしょう。でも、それじゃあ私は面白くありません。数学アレルギーの学生もいるでしょうけれども、「直角三角形」なんていうのはどこの国でも勉強している事柄ですし、そういう純粋に学問的な言葉を日本語でどういうかを知るというのも、学生たちの喜びにつながっていると思います。学生たちはテストになんか出るわけがないことを承知の上で、板書をノートに書き写しています。

「万有引力」とか「光合成」とかを授業で語彙として取り上げることは、日本語教師としての私のとがっている部分だと思っています。学生も私が受験講座の理系科目を教えていることを知っていますから、そういう言葉が出てくることを半分期待しているところもあります。自分自身仕事を楽しむという面からも、私はこういう授業をやめるつもりはありません。

さて、明日の漢字には「定」の字がありますから、「三平方の定理」なんてやっちゃおうかな…。

梅雨はもう少し待って

5月29日(金)

久しぶりに雨が降りました。日中の雨は、中間テストの日以来じゃないかな。夜中から明け方にかけて雷雨という日はありましたが。アメダス上では大した雨量ではありませんが、外を歩く人はみんな傘を差しています。でも、雨よりも、最近暑い日が続いていたのに日中でも気温が上がらなかったことのほうが、久しぶりの感じがします。クールビズにしてから毎朝感じているひんやり感が、日中でも続いていました。

この時期に雨が降ると、このまま梅雨になっちゃうんじゃないだろうかと、ちょっぴり不安になります。もちろん、雨の季節が来なかったら困るのですが、平年の梅雨入りまで10日ほどともなると、そんな心配も頭をもたげてきます。まだもうちょっと、初夏のさわやかな日差しを浴びて青空を仰いでおきたくなります。今年はエルニーニョの影響で、夏らしい夏にならないかもしれないという予報も出ていますから、余計にそう思ってしまいます。

最近はうちへ帰ると夏休みの計画作りに励んでいます。まだ3か月も先のことですが、その時間を楽しみにしながら仕事をしているというところもあります。計画を立てるときは、晴れて暑い日を思い描いています。汗を拭き拭き町を歩き、史跡を見学し、アイスクリームを食べながら緑陰の風で一息つくっていうのが、夏の旅行の醍醐味じゃありませんか。エルニーニョで曇りがちな日を前提にしていたんじゃ景気が悪くてたまりません。

予報によると、明日はまたいいお天気のようで、気温も30℃まで上がるそうです。さらっとした暑さを楽しんでおきたいです。

スマホを取り戻せ

5月28日(木)

おととい、進学クラスの授業の後で机の中をチェックしていたら、スマホの忘れ物を見つけました。その教室は進学クラスの授業の直前まで初級クラスが使い、午前中は上級クラスが使っています。どのクラスの学生のかわかりませんから、とりあえず私が預かっておくことにしました。しかし、おとといのうちは誰も取りに来ませんでしたから、忘れ物・落し物担当の先生にそのスマホを預けました。

昨日は私がその教室の初級クラスの授業でした。授業が終わると、Mさんが思いつめた顔で私に「先生、電話がありましたか」と聞いてきました。「電話?」「私は昨日教室に電話を忘れました」と、中間テストの直前に習った文法を使って事情を説明するMさん。「あーあ、1階へ行って、事務所の先生に聞いてください」と言うと、Mさんは肩の荷を降ろしたかのような顔になり、「先生、ありがとうございました」という言葉を残して、教室を出て行きました。

Mさんは、私に話しかけて忘れた電話についての情報を得るには相当な勇気が要ったようです。授業中の、いわば、仮想の世界でのやり取りではなく、忘れたスマホを取り戻すという実質の伴った会話をしようというのですから、緊張もするでしょう。

そういうMさんを見ていて思い出したのが、初めての海外旅行、ハワイでのことです。学会がハワイで開かれるというので、大学の研究室をあげてハワイへ行きました。空港で英語に堪能なSさんがレンタカーを借りてくれて、私はハワイ滞在中その車を乗り回しました。最終日にみんなを空港で降ろして車を返そうと思ったのですが、返す場所が見つかりません。同じところをぐるぐる回っているうちに時間がどんどん過ぎて、帰国便の出発時刻が近づいてきました。「明日から現地人」と覚悟もしました。最後に勇気を振り絞って、空港の駐車場のゲートにいた人に英語でレンタカーを返す場所を聞きました。それまで「ハンバーガーアンドコークプリーズ」程度の英語しか使ってこなかった私にとって、現地人になるかならないかの瀬戸際で道を尋ねるというのは非常に高いハードルでした。たとえこちらの英語が通じても、相手の言葉を聞き取る自信は全くありませんでした。

火事場の馬鹿力なのでしょうか、私の英語が通じ、相手の言葉も奇跡的に理解できました。車を返し、何食わぬ顔でみんなのところに戻り、予定の便に乗って無事帰国できました。それ以来、いざとなればコミュニケーションってできるものだという妙な自信を持つようになりました。Mさんはどうだったのでしょう。自分の日本語は通じると思えたでしょうか。