Category Archives: 自分自身

たちますか

8月8日(月)

「先生、ここ、たちますか」。初級クラスの漢字の授業で、ホワイトボードに書き方を示し、それを練習させ、学生の手元を一人ひとり見て回っていたときのことです。一瞬、何を聞かれたのかわかりませんでした。その学生の指差すところを見ると、「配」の4~6画目の終筆と外側の2本の縦棒とが接するかどうかを聞いているのだと理解できました。確かに、私の字が雑で、接しているかどうか微妙でした。それがわかりましたから、ホワイトボードの字の該当箇所に丸をつけて、この部分は接する旨をクラス全体に伝えました。

それでは、なぜ、「たちますか」などという聞き方をしたのでしょう。その学生は「タッチしますか」という意味でそう発したのです。カタカナ語に不慣れなため、「タッチします」が既習の「立ちます」とごっちゃになってしまったのでしょう。「タッチしますか」は、今まで何回も質問の言葉として聞かされてきました。そのたびに、「はい、くっついていますよ」とか「いいえ、そこはくっつきません」とか、私はかたくなに「タッチ」ということばは使わず、「くっつく」を使ってきました。日本語において、漢字の画と画が接するという意味で、「くっつく」は使っても「タッチ」は使わないと思います。

ただし、この学校は外国人が相手ですから、学生が「タッチ」のほうがわかりやすいとあれば、「タッチ」を使うのもやむをえないと思います。こういう言葉は一種の記号ですから、わかりやすさが第一です。そうは言っても、私は絶対に使いたくないし、「くっつく」のほうが漢字以外にも使い前があると思っています。

しかし、「たちますか」と聞かれると、「タッチ」をこのまま放置しておいていいのかという気になってきます。漢字の習い始めの頃から、「くっつく」「くっつかない」という言葉を入れて、それを使って質問させるべきではないかと思えてきました。まあ、そもそも、私がきちんと丁寧に板書すれば、こんな質もなんか出てこないんでしょうけどね。

ゲリラ豪雨注意

8月2日(火)

朝、私の出勤時間帯は、激しい雨でした。傘があまり役に立たず、ズボンはひざから下がびっしょりで、靴の中も湿っぽくなってしまいました。学生が濡れた傘を引きずって歩くと、校舎内がびしゃびしゃになるなあ…なんて心配していたら、いつの間にかやんでしまいました。学生が登校することは、薄日さえ差していました。

この雨、東京を東北東から西南西へ抜けていったようで、5時から7時にかけて、船橋や大手町、世田谷、相模原などでは結構な雨量が記録されていますが、そのラインをちょっとでもはずれると、その時間帯の雨量はゼロとなっています。新宿であんなに降られて、練馬でゼロなんですからね、ちょっと腹が立っちゃいますよ。

私がずぶぬれになるくらいなら被害は僅少と言えますが、田園都市線などいくつかの路線が一時的に止まったそうです。幸いにもKCPの先生方は無事に出勤されましたが、仕事に影響が及んだ方も少なくなかったのではないでしょうか。電車が止まるほどというと、局地的には100ミリに近い雨が降ったのかもしれません。

日曜日の昼過ぎ、ちょっと買い物に出ようとお天気を確かめるためにベランダの外を見たら、白い空気の塊が北東から迫ってきました。私のマンションが白い空気に包まれると同時に半端じゃない雨に襲われました。あーあという感じでぼんやり外を眺めていたら、白い空気の塊は見る見るうちに西へと移動していき、夏の日差しが復活しました。「ああ、あそこ、今、ひどい雨なんだろうなあ」とはっきりわかるくらい、鮮やかなコントラストでした。

今朝の雨も、都庁の展望台かどこかから見たら、こんなふうに見えたのでしょう。これらの雨をゲリラ豪雨と言っていいかどうかわかりませんが、遭遇した本人にとっては立派なゲリラ豪雨です。週間予報では明日からしばらくよさげなマークが並んでいますが、こういう雨の降り方はしばらく続くものです。今週いっぱいぐらいは、要注意です。

巨泉さんのセミリタイア

7月20日(水)

大橋巨泉さんが12日に亡くなっていたと報じられました。私たちの世代は、巨泉さんの11PMを見て大人になったつもりに浸ったものです。もちろん、その本当の意味を理解していたわけではなく、背伸びしてようやく上っ面だけわかったような気になっていたに過ぎないのですが。11PMという番組の文化的な奥深さを知るのは、それからかなり時間が経ってからです。

その後、クイズダービーや世界まるごとHowマッチでも楽しませてもらいました。これらの番組を毎週のように見ていたおかげで、自分の世界も興味の範囲も広がったと思います。今思えば、私にとっては娯楽番組というよりは教養番組だったと思います。

そういう人気番組を抱えている最中に、巨泉さんはセミリタイアと称して、テレビの世界から引っ込んでしまいました。そして、趣味の世界で生きるようになったのです。世界各地に、それぞれ1年で最も気候のいい時期を過ごすなんていう生活も始めました。就職してまだ数年しか経っていませんでしたが、働くことの意味を強く考えさせられました。また、人生とは誰のため、何のためにあるのかということについても考え込んだ記憶があります。

この、巨泉さんがセミリタイアした年が、ちょうど今の私の年なのです。セミリタイアして好きなことをして暮らしていけるだけの経済的基盤を築いていたこともスゴイの一言ですが、その後の人生を楽しむプランも持てていたことにも注目したいです。私もセミリタイヤしたいのはやまやまですが、巨泉さんのような経済的基盤もなければ、人生を楽しむ趣味もたくさん持っているわけではありません。

日本語について考えることも、自然科学の疑問を深く追究することも、私の趣味の一部分です。だから、今は趣味を仕事にしていると言えないことはありません。でも、私の中では趣味はあくまでも楽しむものであり、それをお金稼ぎの手段に使うというのは、邪道のような気がしてなりません。日がな一日、マッサージチェアに座ってマッサージされながら、文法やことばの意味を考え続けられたら、どんなに幸せだろうと思っています。

マイナス金利

7月6日(水)

今年に入って間もなく始まったマイナス金利政策ですが、長期金利の史上最低更新というニュースが毎日のように報じられています。マイナス金利は、もうすっかり定着したということなのでしょうか。

新聞やネットの解説記事を読めば、マイナス金利の理屈も頭では理解できます。しかし、心の底の部分に何か引っかかるものがあります。借りたお金を満額返さなくてもいいって、やっぱり変ですよ。私は、古い道徳観に毒されているから、お金を借りるのが嫌いだからこんなことを言うのかもしれません。

こんな時、大学や大学院に進学して、こういう方面を勉強・研究している卒業生に講義してもらいたいなって思います。特に、顔見知りの卒業生なら、遠慮なくくだらないことも聞けますからね。彼らがここの学校にいたときには教師と学生という関係でしたが、今は専門家とド素人と、立場はすっかり逆転しました。私の寝ぼけた頭を目覚めさせてくれないものでしょうか。謙虚に教えを乞いたいです。

そうは言っても、実際に話を聞くとなると、教師根性が頭をもたげてくるんでしょうね。今の説明はわかりにくいとか、ここでこういう文法を使うべきだとか、果ては発音がよくないとかって言い出すんじゃないかな。そんな枝葉末節ではなく、国家財政とか世界経済とかを論じ合うつもりで来た卒業生は、戸惑うというよりがっかりするでしょうね。

それはともかく、KCPの卒業生は、芸術でも文学でも理工学でも、各方面で活躍しています。この偉大な力を利用しない手はないなと思いつつ、利用していない自分の手をじっと見ています。

嵐の前の

7月5日(火)

明日は新入生のレベルテストがあります。これ以降はてんてこ舞いになりますから、今日までが束の間の休息です。休息と言っても、もちろん仕事をしなかったわけではありません。学期が始まったら日々の授業に追われてできないことを、この期間にやるのです。

私は受験講座の理科を担当しているにもかかわらず、学期中は日本語教師としての働きが強く求められ、理科については教材の研究をする時間すらなかなか取れません。ですから、私の後ろの本棚に並んだまんまになっている理科の参考書に目を通しました。

理科の参考書、特に難易度があまり高くないものは、ただ単に理論を解説するのではなく、わかりやすさに命を懸けています。どうしても身に付けておかなければならない知識や解法などを読者に印象付けることに、力を入れています。ちょうどそのぐらいのレベルがEJUにぴったりで、私はそれをさらに外国人学生向けにアレンジして、授業に供しようというわけです。

また、学生にやらせる問題も吟味しておかなければなりません。11月のEJUを目指す学生はともかく、各大学の独自試験や口頭試問に臨む学生には、今学期から自分の考えを論理的に表す練習をさせていきます。それにふさわしい問題に目星を付けておこうと思っています。それと同時に、今学期と来学期の授業計画も、ざっと立てておく必要があります。

それから、学生に配るプリントも作りました。パワーポイントは、見栄えもよく、教えるほうも扱いやすいのですが、学生は必要なところをメモしなければなりません。ノートを取る習慣のない学生は、授業中に感心するだけで、何も残らないのです。残念なことに、そういう学生が増えていることは否めません。

明日は新入生がどっと押し寄せます。受験講座を受ける学生もいることでしょう。その学生たちの期待を裏切らないように、しっかり準備しておかなければ…。

ねぼった

6月15日(水)

「先生、Sさんったら、今学校へ来て、ねぼったって言うんですよ」と、前半の授業を終えて職員室に戻ってきたF先生が嘆いていました。Sさんは寝坊したと言いたかったのですが、「ねぼう」を名詞ではなく1グループの動詞だと勘違いし、“買う⇒買った”と同様にた形を作ってしまったのでしょう。

漢字で“寝坊”と記憶されていれば、おかしげなた形を発明することもなかったのですが、読み方の“ねぼう”だけが一人歩きしてしまったため、上述のような悲劇が起きたと考えられます。また、Sさんができる部類の学生だったことも災いしてしまいました。なまじ応用力があったため、ねぼってしまったのです。これが単語レベルのコミュニケーションしかできないJさんだったら、ぶっきらぼうに「ねぼう」と言ったでしょうから、かえって意思疎通が図れたと思います。

これで思い出したのが、私が日本語教師を始めたばかりの頃に教えたMさんです。意向形の作り方を教えたら、しばらく黙り込んでいました。そしておもむろに、「先生、『ごります』は何ですか」と、真剣な顔で聞いてくるではありませんか。もちろん、「ごります」なんて初めて聞く言葉です。内心の動揺を抑えつつ、「どこで聞きましたか、見ましたか」と聞くと、「イトーヨーカドー」という答えと同時に、「ゴリヨー、ゴリヨー」とだみ声で魚売り場かどっかのおじさんのまねを始めました。

「食べます⇒食べよう」という説明を聞いて、よく耳にするけど意味がわからない「ゴリヨー」はこれだと思い、「X⇒ごりよう」という変換方程式から「X=ごります」という解を得て、私に質問したわけです。この変換方程式を解くために、しばらく黙り込んでいたという次第だったのです。

確かにMさんは勘違いしていましたが、私には頭脳の明晰さが印象に残りました。Sさんの間違い方にもMさんの勘違いに通じるものがあります。Sさんの作文には読んでいて引き込まれるような飛躍があります。「ねぼった」と聞いて、Sさんの今後が楽しみになってきました。

同じ地平

6月14日(火)

五行歌を知っていますか。俳句や短歌ほど厳しい縛りはなく、見たもの、聞いたもの、感じたことなどを五行の詩にしたものです。S先生がこの五行歌の創始者の草壁焔太氏と親しく、今までにも五行歌を取り入れた授業が行われたことがありました。今学期は上級の選択授業に五行歌が登場し、このたびゲストとしてお誘いを受けたのです。授業は、いわば句会のようなもので、参加するからには作品を提出しなければなりません。先週苦吟して作品をS先生に送り、いよいよ本番を迎えたわけです。

教室に入ると、見慣れた顔が7割ぐらい。おかげでほっとしたと言いたいところですが、この期に及んで、急に、こいつらに負けたくないと思い始めました。でも、作品を読むと、どこかに私の心をつかむフレーズがあり、あっさり兜を脱いで、作品を楽しむことに徹しました。

授業は自分以外の人の作品に点をつけ、各人がその作品を選んだ理由を述べ、最後に作者がその作成意図を語る形で進められました。4月からすでに2か月こういう合評会を続けているとはいえ、学生たちが堂々と論理的に、合理的に、時に情熱を込めて作品を評する姿に驚かされました。聞いていてひたすら感心するばかりでした。作者の作成意図を聞くと、その深さにさらにうなりをあげました。私の考えなど遠く及ばず、すでに兜を脱いでいますから、頭を丸めねばならないほどでした。

学生たちが他の学生の歌を熱く評する姿にも、自分の歌を語る口っぷりにも、私が今まで見たことのない学生の一面がうかがえて、非常に新鮮でした。これは、一つには、合評会においては学生も私も同じ地平にいたからだと思います。上から目線ではなく、むしろ学生を見上げていたからこそ、見えなかった点が見え、学生の考えが直に伝わり、それが新鮮に感じられたのです。

とても清々しい気持ちで、午後の授業に向かうことができました。

大阪平野を見下ろす

5月6日(金)

連休は高いところへ行きました。まずは大阪北郊の妙見山。寒気団を甘く見ていて、登っている時はいかにも有酸素運動という感じで、汗が吹き出てきましたが、頂上に着いて大阪平野を見下ろす段になったら、風が冷たいのなんの。早々に下山を始めました。

翌日は大阪と奈良の府県境にある葛城山へ。ガイドブックによると登山口から頂上へ登り、ロープウェーで下りてくるというコースで3時間半とのことでした。ここでも有酸素運動をたっぷりして、前を歩く人たちを抜きまくって頂上に立ちました。快晴とはいえ、春霞で淡路島がぼんやり見える程度でしたが、景色の雄大さに疲れも吹っ飛びました。頂上でおにぎりを食べたり水分補給をしたりとけっこう時間をとったつもりでしたが、ロープウェーではなく山道を自分の足で下りて登山口に戻って、2時間半弱でした。

そんなわけで、この日は時間が余ってしまったので、あべのハルカスへ行ってみました。あべのハルカスはおととしの春に開業し、開業当初は大混雑だと報じられていました。2年もたてはだいぶ落ち着いてきただろうという見込みのもと、1時間待ちとかって言われたらあきらめようと思っていました。小走りで入場券売り場まで行くと、10分待ちという表示。チケットを買って展望階行きのエレベーターに並んでみると、5分強で乗れました。

眼下には、大阪の街がジオラマのように広がっていました。地図と実際の景色とをつき合わせて、感心したり感激したり。ついさっき登ってきた葛城山もよく見えました。秋から冬にかけての空気の澄んだ季節にもう一度来てみたいと思いました。「何とかと煙は…」と言われても、私は高いところが大好きです。

大阪は東京に次ぐ大都市ですが、街のすぐ近くに生駒山、二上山、金剛山、葛城山など、手軽に登れる山がたくさんあります。生駒山など、難波から各駅停車でも30分ほどで登山口に着きます。東京では、高尾山でも特急で45分はかかりますからね。そういう意味で、大阪は手ごろな大きさの都市であり、東京というか首都圏は広大な関東平野目いっぱいに都市が広がりすぎている感じがします。

東京に戻ってきて、地下鉄日比谷線が地上に出た時、スカイツリーがこっちにも来いよと言わんばかりに私を見つめていました。

高をくくる

4月11日(月)

私は、コンピューターはなかなか壊れないって信じていますから、わりと度胸よくいろんな操作をします。コンピューターにめちゃめちゃ詳しいわけではありませんから、コンピューターの死命を制するような操作は知りません。自分の入力したデータが消えちゃうぐらいのことは時たまありますが、全体のデータを再起不能にするようなことはありません。コンピューターを物理的に破壊したことなどは、もちろんありません。

というか、どんなことをしたら壊れそうかっていうことは見当がつきますから、そのラインは踏み越さないようにしています。いい意味で高をくくれるのだと思います。ここまでなら冒険できる、たとえ失敗しても損害はこんなもんだろう、そういうことが直感的に見積もれますから、その直感にしたがって、ここまでしたらまずいだろうということを避けています。

カンが働かない人は、プロが予想もしないようなことをしでかしたり、逆に怖がりすぎてごく単純な操作しかしなかったりと、両極端の様相を示します。高がくくれない、言い換えれば危険度を予測できないから、コンピューターに致命的なダメージを与えたり、コンピューターの能力の100分の1も活用しなかったりということになってしまうのです。

今日から新学期で、新しい学生管理・授業管理システムの運用が始まりました。トラブルが全くなかったわけではありませんが、「大過なく」と言っていい初日だったと思います。トラブルに遭った先生にとっては「大過あり」だったでしょうが、皆さん適切に対処してくださったおかげで、全体としては上出来の滑り出しだったんじゃないかと思っています。

初日だから安全運転をしたという面もあるでしょう。慣れてくると悪い方向に高をくくり始めて、どこかで破綻を来たすかもしれません。油断と呼ばれる高のくくり方をしてはいけません。上手に高をくくって、このシステムを120%活用していきたいです。

年間10万円

4月4日(月)

今月から日本経済新聞の電子版の有料会員になりました。日経の記事には日本や世界の情勢を的確につかんだものが多く、教材や授業のネタとしてではなくても、教師として目を通しておきたい内容が毎日のようにあります。無料会員だと読める記事に制限がありましたが、毎月4200円の購読料を払えば無制限に読めます。

私はすでに朝日新聞のデジタル版会員になっており、日経と合わせると毎月8000円以上、年間にすると10万円以上を新聞につぎ込むことになります。高いと言えば高いですが、去年、あまり見ていないケーブルテレビの契約をやめましたから、その視聴料が日経の購読料になったと考えれば、プラスマイナスゼロです。

上級の授業を担当していると、どうしても今の世の中の情勢に通じていなければなりません。その情報の入手方法はいろいろとありますが、日中ほとんど外に出ることができず、また、帰宅してからもテレビはほとんど見ることのない私にとって、電子版の新聞というのが一番アクセスしやすいのです。

それはさておき、年間10万円強という情報料は、高いのでしょうか、安いのでしょうか。1日当たりにすると300円ほどです。1日コーヒー1杯といえば、そんなでもありません。でも、年に10万円といえば、豪勢な旅行1回分であり、高めのスーツ1着であり、ふぐのフルコースなら3~4回分かな。まさに、「ちりも積もれば山となる」です。

旅行1回分を新聞につぎ込んでいると考えるとちょっと悔しい気もしますが、旅行の軍資金を得るための必要経費だと考えれば、納得できないわけでもありません。サラッと流す授業ならここまでしなくてもいいのですが、自分自身が満足できる質の授業をしようと思えば、これぐらいの投資は必要です。

来週の月曜からは、もう授業が始まります。日経電子版の記事をどこでどういう形で使うかはまだ構想段階で明確には決めていませんが、せっかく4200円も払うのですから、その分授業で楽しませてもらおうと思っています。学生がそれに応えてくれたら、言うことないのですが。