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彼岸の入り

3月17日(木)

「暑さ寒さも彼岸まで」ということばの通り、彼岸の入りの今日は、最高気温が20度を上回る暖かな日になりました。風も弱く、「うららかな」という形容詞がぴったりの1日となりました。暖房の入っている教室もなく、気の早い学生は半袖姿で、先生方の装いも春らしい明るい色合いが目立ちました。

春のお彼岸のちょっと前は、私の通勤時間帯に日の出を迎える時期でもあります。毎日ほぼ同じ時間に同じ道を歩くのですが、この時期は日ごとに道が明るくなり、なんだか未来が開けてくるような、勇気が湧いてくるような気持ちになります。朝型人間の私にとって、夜明けの静かな道を太陽に向かって歩くというのは、この上もない幸せです。先週末から今週初めにかけて曇り勝ちの日がつづき、この時間帯が夜に逆戻りしたようでしたが、昨日、久しぶりに晴れた朝を迎えると、明るさがずいぶん進んでいて、驚かされました。

私も、実は先週から、真冬の装備から春装束に替えているのです。コートは着ていますが、スーツは裏地のないものにしています。マフラーも取りたいのですが、のどを冷やすと風邪をひきやすいので、そこまではしていません。そんなに一気に春にならなくても、春は確実にやってくるのですから。

週間予報によると、来週はまた寒い日が控えているようです。コートには今シーズン最後のご奉公に励んでもらわねばなりません。でも、春のマジックナンバーは、確実に減っています。期末テストが終わったら、桜が咲き始めるでしょう。その頃が、脱皮の日かな…。

再び、金曜日

3月11日(金)

あの日も、金曜日でした。午前中の授業を終え、旧校舎の5階にあった職員室で学生に漢字テストの追試を受けさせようとした時です。小刻みな揺れが始まり、学生は「先生、地震」と私を見上げました。「大丈夫、大丈夫」とテストを始めるように促しましたが、揺れは収まらず、「結構来ますね」なんて言っているうちに、揺れが本格的に。学生は机の下にもぐり、私は机の上のパソコンや本や書類が落ちないように手で押さえました。目の前のビルが大きく左右に揺れて、「頼むから倒れないでくれ」と心の中で強く祈ったのを今でもよく覚えています。

その日は卒業式の翌日で、あるレストランのクーポン券を持っていたので、夕食はそこで美味しいものをいただこうと思っていました。揺れの最中も、そのレストランが営業を中止するのではないかという、今思えば実にみみっちい心配をしていました。もちろん、地震後の諸対応で、たとえ営業していても行くことはできなかったでしょう。

上級クラスのN先生は、3.11関連の生教材か何かの授業を入れるようにとお願いしておきましたから、映像資料なども活用して、そういう授業をしてくださいました。しかし、私はといえば、地震や原発事故の記憶を風化させてはいけないとは思いながらも、午後2時46分は来週の教材を考えているうちに過ぎ去っていました。原発をバンバン再稼動させる政策に疑問を感じながらも、こんなことでは言行不一致ですね。

昨年末、思わぬ休暇が得られたので、仙台へ行きました。仙台駅などは震災前よりにぎやかになった気さえしましたが、海岸に近づくにしたがって、更地やプレハブの建物が目立ってきました。新築の家が固まって建っているところは復興が進んでいると考えられますが、私の目にはかえって震災の傷跡が浮かび上がってきました。

日本は地震大国です。「震災」が意味するところは、地域によって、人によってそれぞれです。どんな震災であれ、私たちにはその記憶を後の世の人に伝えていく責任があります。そして、日本を知ろうとしている世界の若者たちにそれを伝えていくことが、この学校の使命です。

早朝の楽しみ

3月9日(水)

卒業生を送り出して授業時間が減ったので、久しぶりに理数系科目に時間がかけられます。今朝は誰もいない静かな職員室で、EJUの数学の問題を解きました。ただ答えを出すのではなく、答案を作り上げていくと、他人に読ませることを前提に思考経路を文字化するわけですから、頭の訓練になります。

生物の問題も解きました。こちらもまた、なぜそういう答えが導き出せるのかということを説いていくとなると、あれこれ調べて裏づけを取ることが必要です。このあれこれ調べる過程であちこち寄り道するのが、私にとっては幸せなひとときなのです。生物なんかは、教科書の隅々まで読むと、意外な知識やエピソードなどが得られることがよくあるのです。

先週までは授業に追い立てられていましたから、なかなかこういう時間が取れませんでした。というか、今朝といた数学の問題は、去年のうちに済ませておくべきものだったのです。数学や理科の問題は、頭のさえている早朝に解きたいのですが、午前中に授業があると、そちらの準備に時間が取られがちで、こちらの仕事は後手に回ってしまうのです。

でも、こういう幸せが味わえる時間は長くはありません。新入生の受け入れ準備を始め、4月期に備えての動きが始まると、まっ先に犠牲になるのがこの時間です。とは言え、4月期が始まるまでに何とかしておかないと、残った分は4月期が終わるまで手付かずになりかねません。しかし、6月のEJUの直前には学生たちに問題をやらせて、その解説をしなければなりませんから、持ち越しは許されません。

結局仕事に追われることになりそうですが、それでもしばらくは春の気配が濃くなっていく早朝のひとときを楽しみたいです。

早くも課題

3月4日(金)

今年の卒業式は例年より早いので寒空の中で行われるのかなと思っていましたが、天がKCPに合わせてくれたのでしょうか、ここに来て急に暖かくなりました。今朝も、遅刻して教室に入ってきた学生があっさりエアコンのスイッチを切ってしまいましたが、誰も文句を言わず、授業終了までエアコンなしでも全く寒くありませんでした。卒業式の予行演習ということで、体を動かしたからかもしれませんが…。

最上級クラスの卒業式前日の授業ということは、KCPで一番レベルの高い授業ということですから、その名に恥じることのないように、日本人でも骨の折れそうな漢字のパズルをやらせました。いかに最上級クラスとはいえ、さすがに一人でやるのは難しかろうと思い、周りの友達と協力してやってもいいことにしました。しかし、多くは独力で答えを出そうとしていました。

辞書やスマホを参考にしながらでしたが、途中で投げ出す学生はおらず、むしろ、私の予想よりもだいぶ早くできてしまった学生が次々と。改めて学生たちの能力の高さを感じました。一流の大学院に進学することになっている学生も多いクラスですから、当然といえば当然ですね。

ただ、論理的に推論して答えを導き出す学生がいる一方で、行き当たりばったりに解いている学生もいました。来年進学予定の学生に後者のタイプが多かったことが少々気懸かりです。でも、明日卒業する学生だって、去年の今頃はそんなもんだったかもしれません。1年間もまれ続けたおかげで、きちんとした仕事の進め方ができるようになったとも考えられます。要するに、これから1年の課題が突きつけられたわけです。

「明日、卒業パーティーの後、一緒に食事をしてくださいませんか。YさんもHさんもMさんも、みんな来ますから」と、授業後、完璧な日本語で明日のお昼のお誘いを受けました。春の陽気に釣られて、ふらっと出かけることにしました。

はなむけ? 遺言?

3月2日(水)

卒業間近の最上級クラスといえば、KCPに入学した学生が到達できる最高の日本語レベルだと考えられます。逆に考えると、そういう学生たちでも間違える点は、日本語を学ぶ外国人が一番難しく感じる点であり、教師が最も教えにくい事項であるとも言えます。

その最上級クラスで短文を書かせたら、「TOEFLで40点しか取らなかったから…」という文が続出しました。これでは、本当は80点ぐらい取る力があるのに、わざと間違えて40点に点数調整したと受け取られかねません。

可能動詞は「みんなの日本語Ⅱ」の27課で勉強します。それ以後、中級や上級の教師は、可能動詞の作り方や活用にミスには厳しく目を光らせてきましたが、その使い方については系統立てて教えていないんじゃないでしょうか。日常的にめったに使わないN1の文法項目よりも、こっちを優先してあげたほうが、学生のためになるのではないかと思います。ためにはなっても、初級の文法項目を深めるのって、学生にとっては一見退屈に感じられるんじゃないかな。

教えるのが難しいって、まさにこの点だと思います。学生を引き付ける魅力的な教材、学生の頭にすっと浸透していく効果的な練習、そういったものを作り出し、実行していくのが難しいのです。それを避け続けてきたから、最上級クラスの学生が上述のような例文を作ってしまうのです。

私が間違いを指摘し解説すると、学生たちは、これはまずいと言わんばかりにノートを取っていました。今学期は初級の文法項目なんだけど奥が深いものを選んで、それを掘り下げてきました。私から卒業していく学生たちへのはなむけの言葉(いや、遺言かな?)として訴えてきたつもりです。

花園神社のテント

2月27日(土)

お昼に出た時、花園公園の横を通ったら、公園内にテントが張られ、オレンジと白のコーンがいくつも重ねて置かれていました。何だろうと思ってコーンにつけられている標識を読むと、東京マラソンのための交通規制をするためのものでした。都庁前を出発し、靖国通りを通って市ヶ谷へ抜けるコースですから、花園公園のコーンは明日の朝、靖国通り上に置かれるのでしょう。ホームページによると、このあたりは8:35から10:40まで交通規制が行われるとのことです。

東京マラソンは、KCPでは、Y先生が以前お出になったことがあります。K先生も毎年応募しているのですが、まだお呼びがかかったことはないそうです。Y先生が出られた時、K先生がうらやましそうになさっていたのを覚えています。市民ランナーにとって、それぐらい憧れの的なのです。

私は、42.195kmを走り抜くことは到底できません。でも、都庁から東京ビッグサイトまで歩いてみたいとは思いますし、歩けるとも思います。ただ、東京マラソンは9時スタートで16時ごろまでにゴールしなければなりませんから、平均時速6キロで歩き続ける必要があります。それはちょっと苦しいかなって思います。

コースも、欲を言うと城南地区を回ってくれたら、私の若かりし頃の思い出の場所も通るのですが…。でも、下手に渋谷あたりを通ると、アップダウンが激しすぎて、いい記録の出にくいコースになってしまいますね。新宿からビッグサイトまでなら、基本的に下り坂です。品川・浅草間は往復していますが、そこは平坦な土地です。よく考えられていますね。

明日は歯医者の予約を入れていますから、東京マラソンは結果だけニュースで聞くことになりそうです。

すらすら

2月24日(水)

最上級クラスの読解をしました。読解授業のお決まりのパターンで、テキストを数行ずつ音読させました。教材を配り、ざっと黙読させて、すぐに指名して読ませたのですが、ほとんどつっかえないんですね、どの学生も。もちろん、私たちとは違うイントネーションやアクセントになることはありますが、明らかに文字ではなく文を読んでいます。昨日は上級クラスだったのですが、そこの学生とは段違いです。授業内容が3、4レベル違いますが、音読のレベルもちょうどそれくらい違います。

彼らは日本語を母語同様にとらえ、母語と同じシステムで処理しているのでしょう。我々が文章を音読するときと同じように、目だけ少し先に進ませて、次にどんな流れがあるかを把握しながら声を出しているので、滑らかに読み進められるのです。昨日のクラスの学生たちは、そこまでは至らず、いわば自転車操業で読み上げているから、滑らかさに欠けるのだと思います。

昨日のクラスの学生たちだって、曲がりなりにも上級クラスですから、全日本語学習者の中で位置づければ相当高いところになるはずです。今日の学生たちは、そのはるか上を行っているのですから、N1とかっていうのを超越しています。そういう学生たちを教える私って、かなりすごいのかな……。

授業見学をした方たちからはしきりに感心されますが、やってる本人は学生たちをいびりたおして楽しんでるところもあります。一見隙のなさそうな学生たちの弱点も知っていますし、それが同時に学生たちの求めているものでもありますから、それを学生たちにちらつかせながら授業をしているのです。

卒業式まで10日、最後の最後まで楽しませてもらいます。

冷たい南風

2月23日(火)

寒い日が続いています。日曜日は例外的に暖かかったですが、それ以外は10度にやっと届くかどうか、あるいは数字は高くても体感的にはパッとしない日々です。心配なのは、バス旅行の日、金曜日の鴨川の気温です。お天気はまあまあみたいですが、予想気温が10度と出ています。目的地のシーワールドはその名の通り海っぱたですから、風が強いでしょう。ということは、10度といっても5度か7度かそんな感じかもしれません。

以前バス旅行で鴨川シーワールドへ行ったときは夏でしたから、風が心地よいくらいでした。でも、今は2月ですからそうはいかないでしょう。気温で20度近くまで上がってくれないと、暖かいって感じはしないでしょうね。

海っぱたの風で思い出すのが、新入社員の実習で行った北海道の工場です。その工場は北海道に南岸にありましたから、海風は南風でしたが、あんなに冷たい南風は、あとにも先にもあの時だけです。5月とはいえ、海から吹き込む風はかなり強く、私にとってはブリザードに近いものがありました。

さすがに鴨川ではブリザードにはならないでしょうが、ある程度の覚悟はしていかないといけません。南房総の2月といえば菜の花のイメージですが、そんなつもりで行くと1日中震え上がっていなければならないでしょう。

問題は、学生たちにそれをどうやって伝えるかです。彼らは若いですから、私のような年寄りよりもずっと寒さへの耐性があるのかもしれません。でも、私よりもずっと風邪を引きやすいということは、それは耐性ではなく、寒さの感受性が鈍いだけかもしれません。

明日は各クラスでしおりを配って日程などの説明をします。卒業直前に集団風邪なんてことがないように、がっちり注意していきたいです。

言霊

1月9日(土)

始業日に渡す、先学期の成績表を作っています。単純に中間テストや期末テストの点数を記入し、合格か不合格かを伝えるだけなら楽なのですが、1人1人にコメントを書くのが頭脳的に重労働です。「頑張れ」だけならどうということはありませんが、先学期の3か月間を振り返り、伸びた学生はほめ、出席率の芳しくない学生は叱り、合格が決まった学生にはお祝いのことばを送り、成績の思わしくない学生を励ましてって考え、しかも私の気持ちが効果的に学生に伝わるような表現を探していくとなると、1人の学生のコメントを書くのに意外と時間がかかるのです。

私も最初からこんなに力を入れていたわけではありません。コメントの言葉を選ぶようになったのは、もうだいぶ前に卒業したHさんがきっかけです。Hさんは卒業式の後のパーティーで、「先生が成績表に書いてくれた言葉が励みになって志望校に合格できました。その成績表、これからもずっと取っておきます」と、これだけは伝えなくちゃっていう顔つきで言ってきました。

これはとても名誉なことでしたが、同時に自分が発した言葉の重みをひしひしと感じさせられました。教師の言葉ってこんなにも強い影響力を持つのかと身の引き締まる思いがしたことが、Hさんの笑顔とともに今でも私の頭に深く刻み込まれています。

それ以後、成績表のコメントにはいい加減なことがかけなくなりました。先学期も、非常に腹立たしい学生が数名いましたが、そういう学生にも、いや、そういう学生だからこそ、コメントに知恵を絞りました。

言霊っていうくらい、日本では昔から言葉の力は畏れられていました。言葉を教えることを職業にしている私は、二重の意味でこのおそれを感じなければならないわけです。来週から、このおそれに立ち向かっていきます。

多国籍

1月4日(月)

そのラーメン屋さんに入ると、明らかにベトナム人の名札を付けた店員さんが働いていました。その人が大学生なのか専門学校生なのか日本語学校生なのかまではわかりませんでしたが、なんとなく応援したくなりました。電車に乗っても、スーパーへ行っても、ベトナム語っぽい言葉が飛び交っていることがよくありました。

私が毎年泊まるホテルは、部屋の掃除担当者が名前の入ったカードを置いていきます。その名前に、フィリピン人と思われる名前が書かれていた日がありました。年末年始の名古屋は、今まで以上に多国籍でした。

スペイン語かポルトガル語かよくわかりませんが、その系統の言葉もいたるところで耳にしました。名古屋を中心とする中京地方は、自動車産業を始め、製造業が活発です。そこで働く外国人が大勢住んでいますから、そういう人々の言葉が街にあふれているのも当然です。地下鉄のアナウンスにも、取り入れられていました。

もう一つ、街に外国人の子どもが多いように感じました。もう少し正確に言うと、外国人の親に連れられた子どもが目立ちました。日本人は少子化がどんどん進んでいるのに、日本に定住している外国人は、自国にいるのと同じように子どもを作っているんじゃないでしょうか。言葉の壁もあるだろうし、日本人が嫌がる3K職場で給料も決して高くないかもしれませんが、いや、だからこそ、子どもが宝に思えるのでしょう。

名古屋は毎年年末にしか行きませんから、博物館などがいつも休館中です。名古屋城ぐらいはだいぶ前に行ったことがありますが、主だった博物館は鉄柵の外から眺めるだけです。今回も、東山動物園・植物園を外からのぞき、その周りの「東山1万歩コース」なる6.2キロの散策コースを歩きました。好天に恵まれ、高台の上から名古屋市街が見下ろせて気分はよかったのですが…。今年こそは、どこかの休みで腰を据えて名古屋市博物館や徳川美術館あたりを見学したいものです。

お正月は、エルニーニョの影響か、日本中がぽかぽか陽気で、重装備がまさに重く感じられました。仕事始めの日から面接練習やらわがままな学生の対応やら、正月休みのリフレッシュをすべて帳消しにするような仕事ばかりで…。今年も忙しいんでしょうね。