Category Archives: 自分自身

寿司屋

12月7日(水)

初級レベルでは、何月何日に授業をどこまで進めるという進度表がかなりがっちり作られています。クラスによって進み方に差があっては、そのレベル全体でテストをすることすらままなりません。学期が終わった時点でクラスごとに習ったことが違っていたら、次の学期のクラス編成ができません。そもそも、授業の品質ということを考えたら、どのクラスも同じように進んでしかるべきです。

中級から上級でも同じような傾向が見られます。進度表どおりに進むのが大原則ですから、いろいろと紆余曲折はあっても、毎学期ゴールは同じです。また、教材が決まっていますから、学期によってクラスによって着地点がばらばらということはありません。

しかし、上級を突き抜けて超級になると、進度表はありますが、担当教師の自由裁量に任されている内容もあります。超級の場合、クラスごとにレベルが違い、また、進路に合わせてクラスを作ることもあり、毎学期判で押したような進度表というわけにはいきません。時事ネタや日本事情的な内容となると、いつ何を取り上げるかは教師が決めることが多いです。

今学期の私は、水曜日の超級クラスが自由演技の日です。教材が決まっていると楽なことは楽ですが、忙しさにかまけて通り一遍の授業に陥ってしまうこともあります。教材も授業内容もすべて自分で決めなければならないとなると、確かに大変ですが、その分頭を使うので、達成感みたいなものが味わえます。

今日は安倍首相の真珠湾訪問についての社説2編を取り上げました。訪問の意義やその背景などはもちろんのこと、新聞社による真珠湾訪問の捕らえ方の違いについてもディスカッションしました。「新聞によって記事の内容に違いがあってもいいんですか」という質問も出ました。事実は正確に伝えなければならないけれども、その事実の解釈は新聞社によって違っていてもかまわないと答えると、とても不思議そうな顔をしていました。

今日はいいネタが得られましたが、来週はどうなっていることでしょう。いいネタの心配をするなんて、寿司屋さんみたいですね。

本当にあと1か月?

12月1日(木)

12月です。毎年思うことですが、1か月後にお正月を迎えているなんて、とても信じられません。クラス授業も選択授業も受験講座も山ほど残っているし、期末テストも作らなきゃならないし、採点もしなきゃならないし、面接練習も志望理由書も続々と襲い掛かってきます。仕事納めの日までに、そんなこんなを処理しきれるんだろうかと、不安を感じずにはいられません。そうそう、少ないながらも年賀状も書きます。それから、学校でもうちでも、大掃除を忘れてはいけません。

でも、毎年曲がりなりにも年末年始の休みに突入し、旅行に出て、旅先で年越しそばをいただき、見知らぬ町のお寺かお社へ初詣に行くのです。そこで手を合わせ、新年の誓いを立てます。

学生たちも、忙しい1か月を過ごします。受験日が迫っていたり、年内に出願を済まさなければならなかったり、間もなく合格発表だったり、既に合格が決まった学生の中には、入学手続の期限が年内だったりします。受験が年明けだとしたら、この12月をあわただしく過ごすだけではいけません。人生を分かつ1か月になるかもしれないのですから。

Yさん、Lさん、Cさん、Hさんもそんな学生たちです。まだ行き先が決まっていませんから、1校確保してもうちょい高いところを狙うっていう学生より感じるプレッシャーも大きいです。親しい友人の合格の知らせを喜びつつも、胸中に焦りの種を宿していることでしょう。クリスマスソングがボリュームを増すともに、風がどんどん冷たくなります。無所属新人の学生には、落ち着かない季節、体調を崩しやすい時期をどうにか乗り越えて、3月には笑えるようになってもらいたいです。

頼りすぎ

11月30日(水)

韓国の朴大統領が、どうやら任期途中でやめそうです。大統領が任期を全うせずにやめるのは、現行の大統領制が確立してから初めてだそうです。支持率が5%にも満たないというのですから、こうなるのも当然かもしれません。でも、どうしてやめなければならないようなことをし続けたのかなあと思わずにはいられません。大きな権力を握ると誰でも清廉潔白でいられなくなるものなのかと、そんな権力を手にしたことのない私は漠然と想像しています。

それとも、自分が握っている権力の大きさが怖くなって、近しい人を必要以上に頼ってしまったのでしょうか。一国の大統領ともなれば、常に大きな決断を迫られます。どんな道を選べばいいかわからなくても、どれか1つを選んで実行に移さなければなりません。迷いたくても迷わせてもらえません。そして、その決断に対する責任は負わなければなりません。だから、自分の権力の大きさに押し潰されそうになることだってあるでしょう。そのときに、相談に乗ってもらうとまでは行かなくても、誰かに背中を押してもらいたいと思うことがあったとしても、不思議はありません。

だから、朴大統領を許してあげたいというわけではありません。自分の大きさと釣り合わない器の人物を、ブレーンとして頼り続けてしまったように思えます。大統領のお父さんの時代は、そういうことが許されたのかもしれませんが、現在はそのころとは比べ物にならないほど、国の規模も大きくなり、国際的地位も高まり、国を取り巻く環境も激変しました。それがわかっていないはずがありませんが、大統領がしたことはそういう意味で前期代的なことです。

翻って自分自身を見ると、私も学生の人生を左右しかねない、学校の将来の明暗を分かちかねない決定を下すことがあります。そういう決断の際には曇りのない目で見極めているか、常に自問自答しいます。

伝わらない

11月26日(土)

今学期の選択授業・身近な科学は、私が80分ぐらいしゃべりまくって、最後にその内容に関するクイズをするという形で進めています。昨年はノートを取らせてそれを提出させたのですが、ひたすらパワポの文字を書き写すばかりで、こちらの伝えたいことが伝わっていなかったようなので、やり方を改めました。

回答を集めてチェックすると、熱心に聞いていた学生はきちんと答えられているとう、当然過ぎる結果が得られました。身近な科学は受験には利さない内容ですから、理科系志望の学生がクイズに有利だとは限りません。授業で聞いた内容を答えるのが主旨ですから、知識を振り回して小難しい答を書くと、かえって減点されてしまいます。

実際、いつもうなずきながらメモを取っている美術系志望のOさんは、毎回好成績です。前回は、理系のGさんは私がしゃべったことを聞き流し、受験の常識に基づいて答えたので、そこは点数になりませんでした。

別にひねくれた問題を出しているわけではありません。このテーマに関しては、これぐらいは知っておいてもらいたいという内容を学生に問うています。授業で強調した項目、印象に残るように話したことについてクイズを作っています。それでも的外れな答えがボロボロ出てくるのです。受験に関係のない授業ですから、学生たちが気楽に受けている面もあるでしょうが、授業で大事なことを伝えることの難しさを思い知らされています。

同じようなことが読解だ文法だというクラスの授業でも起きているとしたら、恐ろしいことです。受験講座でもこんな調子だったら、非常に効率の悪い仕事をしていることになります。気楽な独演会のつもりが、針の筵が敷かれた茨の道を歩むような次第になりそうです。

感じる

10月28日(金)

もうすぐ11月ともなると、早い時期に入試があった大学は合格発表の時期です。私の身の回りでも笑った学生もいれば泣いた学生もいます。

HさんはD大学に受かりました。Hさんの友人たちはすごいと驚いていますが、私はそうでもありません。面接練習をしたときの感触から、受かって当然と思っていました。面接官役をしていると、HさんのD大学への憧れとか学問に対する夢とか、思わず聞き入ってしまうような話が次から次へと出てきました。そういう内容を記した志望理由書も大いに読み応えがありました。それゆえ、受かるに違いないと思えてきたのです。

私のこのビビビッという感覚は、わりとよく当たります。やっぱり、受かる学生はどこか一頭地を抜いています。その部分が私に電波を送ってくるのでしょう。具体的にどういう受け答えのときにビビビを感じるかと聞かれても、口ではうまく説明できません。これが説明できたら、すぐさま面接練習に来た学生たちに教えられるんですけどね。

そんなHさんに対して、残念組の学生の面接には、引き付けられるものがありませんでした。あれこれ指導はしましたが、学生はピンと来なかったのでしょう。私の説明が悪かったのか、学生に私の指導を受け入れる心のゆとりがなかったのか、そこまではわかりません。私は学生の心に響く指導ができず、学生は、もしかすると、落とされて初めてこちらの言いたかったことが胸にすとんと落ちたのかもしれません。

11月は留学生入試の山場で、EJUが終わったら別の忙しさが襲ってきます。1人でも多くの学生からビビビを感じたいものです。

エレベーターと喫煙所

10月27日(木)

私は、都会のマンション住人の典型で、隣にどんな人が住んでいるのか全く知りません。また、エレベーターで誰かと乗り合わせても、せいぜい目礼をする程度です。1階から自分の階までの数十秒間、お互い無言のまま過ごしますが、その雰囲気が息苦しいとも気まずいとも思いません。

たまに、両手に荷物を抱えて、降りる階のボタンが押せない人が乗ってくることがあります。そんなときは、ためらうことなく「何階ですか」と聞き、「すみません、〇×階です」などというやり取りをします。

こんな、会話などとは到底呼べないような言葉を交わしただけでも、そして、その後エレベーターの中で何もしゃべらなくても、エレベーター内の空気がいくらか和らいだように感じます。お互いがお互いを敵ではないと認識できるからでしょう。

言葉はコミュニケーションの道具です。そして、コミュニケーションとは単に情報を伝えるだけでなく、心を通わせ合うことでもあります。英語のcommunicateやcommunicationには後者の意味がないかもしれませんが、“言葉はコミュニケーションの道具”と言ったら、そういう意味も含まれると思います。

学校の近くのタバコ屋さんから、KCPの学生が店の前の喫煙所で外国語で大声でしゃべりながらタバコを吸って困るというクレームが来ました。喫煙所を汚して立ち去るなど、学生たちのマナーもよくないようですが、店の方が一番嫌なのは、外国語で話されてはコミュニケーションが取れない、心の通わせようがないことだと思います。

学生にしたら、休み時間にタバコを吸う時ぐらい日本語から開放されて、友達と国の言葉で思いっきりおしゃべりしたいのでしょう。しかし、それは同時に、タバコを吸う場所を提供してくれている店の方とのコミュニケーションを拒否することも意味するのです。

店の方にしたら、自分の店の軒先で、顔も知らない学生たちに、自分のわからない言葉でしゃべられたら、恐怖感もするでしょうし、店を乗っ取られたようにも思うかもしれません。すなれば、学生の所属する学校に苦情の一つも訴えたくなります。

だから、かたことであっても、学生が真剣に日本語で話しかけようとすれば、店の方も安心できるはずです。お客さんとの心のふれあいが楽しみで店を開いているとすれば、これは喫煙所を使わせてもらうための必須の条件です。こういうことを教えていくのも、学校の役割なのです。

努力家とは

10月24日(月)

秋が深まるとともに、学生の推薦書のシーズンも最盛期を迎えつつあります。今、私は3人分の推薦書の宿題を抱えています。こういうことになるだろうと思って、始業日に「自己推薦書」なるものをクラスの学生に書かせましたが、それに助けられています。

自己推薦書とは、自分で自分を志望校に推薦するとしたら、自分のどんなところを売り込むかを書いてもらったものです。自分の長所とか、学業に対する姿勢とか、そういったことで私に見えていないことや、学生自身が自分をどう見ているかを知りたかったのです。

3人とも、表現は違いますが、自分は努力家だという意味のことを書いています。他の学生のを見ても、頑張るとか努力とかいう言葉が目立ちました。今の学生は、努力することにかなりの価値を置いていることがわかります。私が推薦書を書く3人は本当に努力家ですが、中にはそうとは言いかねる学生もいます。そういう学生は、努力家を装うというよりは、努力家にあこがれているのではないかと思います。

最後は努力家が勝つという寓話やことわざは、世界中にあります。これは、どこへ行っても努力が続けられる人が少ないことを意味していると思います。一発勝負のギャンブルに出て、それに勝ってしまうことを夢見る人たちが無数にいるからこそ、こういう戒めがあるのです。学生たちも、自分のそういう傾向にうすうす気付いて、こういう心持は他人には見せられないと思って、私は努力家だと言い張りたくなるのでしょう。

私も学生たちのことを笑えません。「努力かたらんと努力している」というのが、精一杯の私の現状です。すきあらば低きにつこうとする自分に鞭打って、かろうじて厳しい世間を生き抜いています。怠けている学生を叱りつつも、その心根にどこか共感してしまう自分がいます。

3人の学生は、無理に下駄を履かせなくても推薦に値する学生です。自己推薦書から学生自身の自分観を読み取り、それを参考にして、推薦書を書き上げました。

青空お預け

10月15日(土)

朝、マンションの外に出ると、思わずぶるっと来ました。あっという間にコートの季節だなあ…などと思いながら駅へ来ると、改札口のところのデジタル温度計が13.6度と表示していました。この温度計はいつも気象庁の発表より2度ほど高い温度を示すので、「今朝の最低気温は11度か12度か。寒いわけだ」などと思いつつ電車に乗りました。車内は、まだ暖房は入っていませんでしたが、乗り込むとちょっぴりほっとしました。それだけ気温が下がっていたのです。

調べてみると、今朝の東京の最低気温は11.8度で、この秋一番の冷え込みでした。多摩地方は10度を割り、北関東の山沿いは氷点下だったようです。鹿児島、沖縄を除いた日本中が、今シーズンで一番低い気温を記録しました。

でも、冷え込んだということは空に雲がないということであり、日中もきれいな青空でした。私はEJU対策の受験講座をしましたが、5階の教室の窓から見える空はあくまでも青く、室内でちまちま授業しているのがもったいなく感じました。学生に問題を解かせている間、こんなに空気が澄んでいるのなら、京都の西山辺りを歩いてみたいなどと、らちもないことを考えていました。

遅いお昼を食べに外に出ると、陽射しがあるおかげで今朝よりもだいぶ気温が上がった感じがしました。この秋は天候不順だったので、なおのこと、青空をじっくり味わいたくなりました。御苑の芝生に寝ころんで、ひなたぼっこ兼昼寝ができたらどんなによかったでしょう。

EJUまであと4週間。それまでは散歩も昼寝もお預けです。EJUが終わったら、羽を伸ばすことにします。

命綱

9月20日(火)

次から次へと仕事が入ってしまい、もうすぐ夜の8時だというのに朝食以降飲まず食わずです。でも、空腹感はありません。そういう感覚を超越してしまったのです。

ただ、最近、あまりおなかが空かなくなったような気がします。だから、お昼抜きでもお菓子か何かをちょっとつまめば夜までもってしまいます。夏休みも、あれやこれやと見学・見物に忙しくて、昼食は満足に取れなかった日が多かったのですが、別に何ともありませんでした。

年を取って新陳代謝が衰えたせいなのでしょうか。便利な体になったといえば、実にその通りです。授業の合間にパンやらおにぎりやらをぱくついている学生を見ていると、よく入るなあと感心してしまいます。ラウンジの自動販売機に並ぶ学生の列を見ては、そうまでして食べたいかなあと思ってしまいます。

ついこの前までは、お昼を抜くと2時から3時ごろにものすごい空腹感に襲われたものです。近頃はその空腹感がなくなり、むしろ、ご飯を食べると強力な睡魔に襲われるのです。コーヒーでごまかしていますが、病気かなあと心配になることもあります。でも、健康診断のときに相談しても何も言われませんでしたから、単なる怠け癖に過ぎないのかもしれません。

そして、今すぐ家へ帰っても9時過ぎ。そうなると、夕食をとるのも面倒くさくなり、汗を流して、果物(最近は青いみかん)を食べて、メールをチェックして、寝てしまいます。となると、1日1食。それでもどうにか体がもっているのは、朝、ガッツリ野菜を食べているからです。言ってみれば、野菜が命綱なのです。

のんびりしてると台風が迫ってきそうなので、手付かずの仕事はそっくりそのまま明日に持ち越しです。あーあ、明日の準備もまだ全然済んでいないというのに…。

暑かったですか

9月1日(木)

9月に入りました。朝の空気には熱気が感じられませんでしたが、日中はまだまだ残暑を感じました。台風10号は秋を運んできてくれたとまでは言えませんが、空は確実に高くなっていました。

お昼に出た帰りに八百屋さんの軒先をのぞいてみたら、緑色の温州みかんが目に留まりました。ハウス物のみかんらしい色の、皮の柔らかそうなみかんはすでに出回っていますが、皮が硬くて口が曲がるほど酸っぱそうな色のみかんは、今シーズン初めてです。8個ぐらい入ったネットが税抜き498円でしたから、お手ごろだと思い、買ってしまいました。うちへ帰ってから味わってみたいです。

暑さ寒さも彼岸までと言いますから、これから多少のでこぼこはあるでしょうが、次第に涼しくなっていくと思います。もう暑い盛りは過ぎましたが、今年の夏は当初予想されていたほど暑い夏ではなかったような気がします。少なくとも東京はそうだったと思います。気象庁のデータによると、熱帯夜がわずかに8日でした。去年は26日でしたから、3分の1以下です。真夏日はほぼ同じですから、夜の涼しさが暑い夏とは感じなかった原因なのでしょう。

ここまで考えて、もしかすると、これは私だけの感想かもしれないと思い始めました。私はエアコンを使わず窓を開けて寝ますから、夜の暑さ涼しさは普通の人より敏感に感じます。一方、日中は、朝の通勤ラッシュのはるか前から日がとっぷり暮れるまで校舎の中にいますから、暑さを感じることがあまりありません。普通の生活をしている人にとっては、長期予報のとおりに暑かったのでしょうか。