Category Archives: 自分自身

名札

8月19日(土)

特に授業のない土曜日の朝、K先生が「この名札、見てください。私がKCPに入ったときのですよ。物持ちがいいでしょう」と、少し誇らしげに見せびらかしました。そういえば昔は初級、中級、上級って色分けして名札にラインを入れていたっけなあと、K先生の名札を見て懐かしく思い出しました。私も名札を持っていますが、K先生のよりは新しいバージョンで、ラインは入っていません。私が名札を使うのは、新入生のプレースメントテストのときだけです。名札を指差して、名前を解答用紙の所定欄に書くようにと指示するのです。

K先生は授業がありませんでしたが、私は受験講座の授業がありました。学生たちにEJUの模擬試験をさせましたが、Tさんはなぜかなかなか解答用紙に名前を書こうとしません。「あと5分です」と残り時間を告げてもまだ書きません。Tさんはもう1年以上もKCPで勉強していますから、わざわざ名札を持ち出すまでもなく、最後には名前を書くでしょう。でも、本番の試験の時にはしてほしくないですね。集めた解答用紙には、「はい、やめてください」というのと同時ぐらいに大急ぎで書いたと思われるくしゃくしゃの名前がありました。

名札といえば、最初に勤めた会社を辞めたとき、本当は返さなければならない名札を記念にこっそり持ち出したのですが、あれは今どこにあるのでしょう。その時は、この会社に勤めたことを一生の思い出にしようと思っていたに違いありません。でも、今は、今朝K先生の名札を見せられるまで、その存在すら忘れていました。うち中の荷物をひっくり返して探せば見つかるかもしれませんが、そこまでする気力も時間もありません。ま、要するに、私はK先生より物持ちが悪く、淡白なのだということなのでしょう。

復活まで

8月14日(月)

受験講座から帰ってくると、K先生が不機嫌そうにコンピューターの不調を訴えていました。ある操作をするとコンピューターが動かなくなってしまうというものです。普通はそんなことにはなりませんから、まさかと思いつつ気安く私も同じ操作をしてみました。私が操作をするのとほぼ同時に、K先生から「動きました!」と明るい声が。その反対に、私のコンピューターは固まってしまってさっぱりいうことを聞かなくなってしまいました。

あれこれ試みて、やっと復活したのが3時間後。いつもの日なら、テストの採点や宿題のチェックなど、コンピューターを使わない仕事が山ほどありますが、今日は中間テストの前の日なので、そういったものがありません。しなければならない仕事はあるのですが、どれもこれもコンピューターを使わないとできない仕事ばかりで、コンピューターなしでできる仕事は受験講座の問題を解くことぐらい。

自分の仕事がこんなにもコンピューターに頼っているのかと、改めて驚かされました。確かに、授業や学生対応をしているとき意外はコンピューターをいじっていることが多いです。紙ではなく電子的に保存している資料もたくさんあります。バックアップを取っているつもりでも、完全ではありません。ハードディスクがやられていたらどうしようと、コンピューターが復活するまでの3時間、大きな不安に襲われました。

復活しなかったらこうしてブログを書くこともできなければ、救える文書は救わねばなりませんから日付が変わらぬうちに帰れるかもわからなかったところです。むやみに“不調”の荒波に飛び込んではいけません。仕事のやり方をちょっと考えさせられた事件でした。

新たな発見

8月1日(火)

日本語教師養成講座の講師をしていると、やはり自分の教え方を振り返ることが多くなります。ことに今回は、日本語文法全体を概観するというよりは、初級の文法を集中的に講義していますから、なお一層そういう傾向が強くなっています。教科書をもう一度も二度も読み返してみると、講義内容に関連して、教科書の編者の苦労が見えてきたり、逆に教科書の粗が浮かび上がってきたりしています。

そうすると、自分の教室での教え方の過不足も感じられ、思わず反省したりします。ここは私の思い入れが強すぎたとか、こんな突っ込み方じゃ編者が泣きそうだとか、あれこれ思うところがあります。今学期も初級クラスに入っていますが、そこは初級の終わりのレベルで、初級の入口に近いほうは、このところ代講でたまに入るだけです。ですから、せっかく反省してもそれを生かすチャンスがあまりないことが残念なところです。

でも、上級や超級の学生ですら、こっそり初級文法を間違えていますから、それを正したり未然に防止したりする際に、今回の知見が日の目を見るのではないかと思っています。養成講座の講義でも、この文法は初級で勉強しますが実際に使えるようになるのは中級になってからだよとか、これが使いこなせたら上級だねとか、そんな話もします。こういう話ができることこそが、私が養成講座をする意義であり、同時にこの学校の養成講座の特色だとも思います。

私に講義のネタを提供してくれる学生の皆さんに対して、感謝してやみません。

夏はこれから

7月31日(月)

最近、日が短くなったなと思います。と言っても、皆さんと違って、私が感じるのは日の出が遅くなったことです。今朝は久しぶりに晴れましたが、電車から見える朝日の位置がとても低くなったなと感じました。もう間もなく、家から駅までの道の街灯が消えないうちに通り過ぎることになり、朝よりも夜の雰囲気が濃くなっていきます。

とはいえ、日中は夏全開で、校庭でスピーチコンテストの応援練習をしようとしたM先生のクラスは、コンクリートからの照り返しでひどい目にあったそうです。校庭の活用を図ろうとしましたが、もう少し陽気がよくなってからのほうがよさそうです。

蝉もかなり勢いよく鳴いています。小中学校は夏休みですが、夏休みはなんてったって蝉ですよね。でも、午後の授業に外階段を上っていく途中に、大きな蝉の死骸がひっくり返っていました。夏の宴を終えて、命が果てたのでしょう。

夕方、卒業生のNさんが学校に来ていました。「もう夏休み?」「はい、来週の試験が終わったら9月の終わりまで休みです」「えっ、そんなに長い間休んじゃったら、授業料、もったいなくない?」「大丈夫です。ウチの大学、ゴールデンウィークは普通に授業するんです」…なんていう、意味がわかったようなわからないような話をしました。でも、2か月近くも休んでいたら、頭がなまっちゃうんじゃないでしょうか。Nさんは休み中アルバイトに励んじゃいそうな気がしますから、なおさら心配です。

いずれにせよ、KCPの夏はスピーチコンテストであり、夏休みはまだひと月近くあります。まだまだ夏が終わってしまっては困ります。

目標達成

6月30日(金)

「現存12天守」というのをご存知でしょうか。

日本にはお城がいくつもありましたが、その多くが明治維新のときに破却されたり戦災で焼け落ちたりしました。江戸城のように石垣だけの城跡となっているところもあれば、名古屋城のように鉄筋の復元天守や模擬天守が建てられている所もあります。そんな中で、江戸時代までの天守閣が残っているのが、世界遺産・姫路城など12のお城なのです。

列挙すると、弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の12城です。このうち、国宝が松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城で、他は重要文化財に指定されています。

今年の1月1日現在、私はこの12城のうち丸岡城と備中松山城だけ訪れたことがありませんでした。ですから、この2つのお城に足跡をしるすというのが、今年の密かな目標でした。そして、1年の前半のうちにその目標を達成してしまいました。

丸岡城は福井市郊外の平地の真ん中にぽっこり盛り上がった小山の上に建つこぢんまりとしたお城で、現存天守の中でも最古の様式を誇ります。住宅地に囲まれていますが、石垣の下から見上げると、やはり威厳を感じさせられます。

備中松山城は高梁川に沿った急峻な山の上にあり、現存天守の中で登城するのに最も汗を流さなければならないお城です。その代わり、天守の最上階からの景色は絶景というほかはなく、さわやかな風に吹かれながらいつまでも見とれていました。

さて、明日から2017年の後半戦です。今度はもう少し仕事の香りのする目標を達成したいものです。

あなたはすばらしい学生です

6月3日(土)

今週はずっと運動会に時間を取られていたので、火曜日の作文の採点があまり進んでいませんでした。来週の火曜日に返さなければなりませんから、授業のない土曜日に集中してどうにかしようと考えました。

「自分をほめたいこと」というテーマで書いてもらいました。中には、前に勉強した救急法を使ってけが人の応急処置をしたことをほめたいとか、「人間は誰かにほめられるために生きている」などと哲学めいたことを書いてきた学生などもいましたが、頑張っている自分をほめたいという内容が多かったです。

各人各様のほめたい自分を挙げてきましたが、そういうことをしているカッコいい自分、理想的な姿の自分を、教師じゃなくてもいいですから、誰かに認めてもらいたいんだろうなと強く思いました。「ほめて伸ばす」とはよく言われますが、おざなりのほめ言葉ではなく、心の底から感心して声をかけることが肝心なのです。それには、装わずにほめられる箇所を各学生から見つけなければなりません。私はそれに耐えうるほどの鋭い観察眼があるかなあと、思わず自分を振り返ってしまいました。

私がこのテーマで作文を書けといわれたら、何を書くでしょう。一つのことを続けていける点かもしれません。でも、それはバカの一つ覚えでもあります。諦めが悪いと言い換えてもいいでしょう。

「初級から超級までどこのレベルでも教えられる」といっても、プロですからそれぐらいしなきゃ。「日本語教師なのに理科も教えられる」のは確かにそうですが、受けてきた教育訓練がそういうものですから、これすらできなかったらまさに無駄な学歴・経歴になってしまいます。

こうして考えると、自分をほめるのは案外難しいものです。学生の作文がいつもより短めだったのも、致し方ないところかもしれません。この作文を参考にして、各学生を見つめる角度を変え、ちゃんと見ているよというメッセージを送り、学生に自信を持たせて進級させてあげたいです。

逃げ切れそう

5月31日(水)

今週の月曜日くらいまでは雨という予報でしたが、直近の予報によると、あさって金曜日は雨の線が消えつつあるようです。運動会は屋内で行われますが、お昼はみんなでお弁当をつつきますから、体育館の中より体育館の前庭のほうが晴れやかな気持ちになります。ですから、雨にはご遠慮願いたいところです。

昨晩の予報では、予報を出す機関によって「曇り時々雨」から「晴れ」までばらついていました。本州の南にある前線が金曜日にどこにあると判断するかによって、また、前線の強さをどのくらいに見積もるかによって、予報は雨降りにもお天気にもなり得ます。

KCPには温度計すらなく、また、ビルに囲まれているため、風の観測も観天望気も満足にはできません。それゆえ、私は気象庁を始めとする天気予報を発表しているいくつかの機関からの情報を元に、私なりの予報を出します。「情報」とは天気予報そのものだけを指すわけではありません。予想天気図・気圧配置図は、何よりの情報です。気象予報会社が出している洗濯指数などの種々の指数も、参考にすることもあります。

私は学校のイベントがあるときだけ、その1週間か3日ぐらい前から、その日のその土地の予報を出すだけです。前回本気で予報に取り組んだのは日光江戸村へのバス旅行の時、その前は昭和記念公園でのバーベキュー大会…というように、1学期に1回ぐらい、すなわち年に数回です。それでも頭も気も使い、結構疲れます。気象予報士の皆さんは、毎日、広範囲に、多くの人々に向けて発しているのです。さらに顧客からお金をもらって予報を出すとなると、日々胃に穴の開くような精神状態ではないでしょうか。

受験講座をしていると、隣の教室から運動会の最後に全校学生でやるダンスの練習の足音が聞こえます。ダンスで大いに盛り上がって外に出たら雨…じゃあ、文字通り水を差されてしまいますよね。

延長戦か打ち切りか

5月30日(火)

毎学期、中間テストの後にクラスの学生との面接を行っていますが、いつもながらいろいろな声が出てきます。

Jさんは、先生にはあまり授業を延長してほしくないと言ってきました。一生懸命教えてくださるのはありがたいけれども、チャイムがなったら学生たちの心は教室の外に出て行ってしまっているので、それほど効果的ではないという、教師としては耳が痛い言葉もいただきました。

私はチャイムが鳴るのと同時に授業を終わりにする主義ですから、教室の時計を学生に気付かれないようにチラ見しながら、こちらのセリフの長さを調整したり学生の発言・発話をコントロールしたりします。10時半と3時の休み時間は、学生たちは2階の自動販売機に並ぶのに命を懸けています。また、終業後は、私自身予定が詰まっていることがよくありますから、必然的にぴったりに終わらせなければなりません。

そうでなくても、予定の授業内容が予定の授業時間内に終わらなかったら、教師の負けだと思っています。すべての学生がこちらの想定どおりに動き、理想的な授業展開になることなどめったにあるものではありませんが、そういう流動的な要素も織り込んだ上で授業時間内にピシッと終わらせてこそ、プロだと思うのです。質問が百出して授業が進まなかったというのは、こちらの教え方に抜けがあったのかもしれません。授業が盛り上がることは大切ですが、前に進めなくなっては盛り上がりすぎであり、教師の指導力不足を指摘されてもやむを得ません。

もちろん、私も予定ほど進めなかったことは数限りなくあります。ですが、テスト範囲が終わっていない場合でもない限り、授業時間を延長してまで取り返そうとは思いません。負けを認めて、次の授業では同じ失敗を繰り返さないようにします。

学生にとっても教師にとっても、時は金なりです。

下町の甘夏

5月25日(木)

私は酸っぱい柑橘類が好きで、この時季は甘夏を毎日1個ずつ食べています。ところが、最近は伊予柑の勢力が年々強まり、また、新しい柑橘類が次から次へと出てきて、うちの近くの店では甘夏が手に入りにくくなっています。伊予柑も悪いとは言いませんが、私には甘すぎます。新しい柑橘類も、最近の商品開発の傾向からすると、おそらく甘夏より甘いでしょうから、積極的に手を出す気にはなれません。レモンをバリバリ食べたいくらい酸っぱい柑橘類が好きですから、本音で言うと甘夏だって私には甘いのです。

そんな甘夏ですが、学校の近くの八百屋さんに、みずみずしいのが手ごろな値段で置いてあるので、ここ2、3か月、よくそこで買っています。ゆうべ1個食べたら残りが2個になったので、そろそろ買っておかなきゃと、お昼のついでにその八百屋へ行きました。いつもの場所にあった甘夏を2ネット取ってレジへ持って行くと、「こちらはいつもお買いになるのと違いますよ」とレジの店員さんに言われました。よく見ると2ネットのうち1つは紅甘夏という種類のもので、確かに私がいつも買っているのと違っていました。

ですが、私は店員さんが私の顔を覚えていることにびっくりしました。私はその店員さんの顔に見覚えがありませんでした。道であって挨拶されても、キョトンとするだけでしょう。商売人は客の顔を覚えるのが基本だと言いますが、気配を消してろくに口も利かずにお金だけ払って出て行く客の顔まで覚えているものかと、驚きかつ感心しました。

同時に、見られていないと思っていても見られているのだなと思いました。「見られている」というと「監視されている」といった悪い意味にもなりえますが、「見守られている」というと、温かみが感じられます。KCPのある新宿1丁目は、山の手にあるにもかかわらず、昔ながらの下町っぽさが残る町だと思います。みんながみんなを見守る下町のぬくもりが「こちらはいつもお買いになるのと違いますよ」ににじみ出ているように思えます。

日曜日は、花園神社のお祭です。下町パワーが爆発しそうです。

与太話

5月24日(水)

N先生が急病のため、超級のクラスの代講に入りました。今学期はこれまで代講も含めて初級ばかりで、先学期末以来約2か月ぶりの超級クラスでした。

私はその場のひらめき(思いつき?)で授業を進めることがままあります。たとえば文法を教える例文で、予定していたのより面白そうなのが突然思い浮かんだら、それを使ってしまうこともあります。ある単語に関連した語彙に急に思い当たったら、それも紹介してしまうこともあります。また、ついでに触れておきたい日本社会の一面なんかも、授業の最中によく出現します。

しかし、初級ではそれをそのまま学生に披露したら混乱を招きかねません。ですから、ひらめきの大半は涙ながらに葬り去ることになります。それでも何のためにもならない無駄話を1日に何回かはしています。

それに対し、超級ではひらめきをそのまま利用しても、どうにかなってしまうことが多いです。ですから、授業があらぬ方向に進み、話の中の要点を聞き逃さずにつかみ取る訓練と化していることもあります。こちらは好き勝手なことをしゃべってボケ倒すだけですから気楽なものですが、それを聞かされている学生は、つられて笑っているだけでは済まされませんから、苦労が多いことでしょう。今日も、大坂城を造ったのは豊臣秀吉とされるが、秀吉の大坂城は徳川家によってつぶされて、今の大阪城は徳川が諸大名に造らせた城を元にしている…という、どうでもいいにも程がある話題に進んでしまいました。

初級の既習文法で上記のような話をするのは無理ですから、こういう話をしたくなっても自動停止装置が働き、おとなしく教科書に戻ります。でも、可能な限りそのラインを追求し、習った文法や語彙でこんなことまでできるんだ、こんな難しい話もわかるんだという自信を植え付けようと思っています。