Category Archives: 自分自身

他人の振り見て

3月1日(木)

最近、Jさんを見かけると、挨拶はしてくれるのですが、違和感が残ります。目を合わせていないとか頭の下げ方がぎこちないとか、そういうしぐさそのものではありません。両耳からにょきにょきと突き出しているワイヤレスイヤホンが気になってしかたがないのです。

あれをしたままこちらの目を見て頭を下げられても、心ここにあらずみたいで、かえってこちらが落ち着かないのです。Jさんの笑顔が輝いているだけに、イヤホンが余計に目立ってしまいます。授業中だったら耳からむしり取りもしましょうが、ロビーで会っただけでいきなり耳に手を伸ばしたら、穏やかじゃありませんよね。

Jさんに限らず、電車内や街中でも耳にょき族を見かけます。私はヘッドホンとかイヤホンとかをしたまま歩く習慣がありませんから、そうまでして音楽だか語学レッスンだかに没入しようという気持ちがわかりません。本人は時間を有効に使っているつもりなのかもしれませんが、音による危険察知もできませんし、見栄えがいいとも思えませんし、まあ、独り善がりでしょうね。

…とここまで考えてみて、電車の中でひたすら本を読み、自分の世界に閉じこもっている私も、こういう人たちと同根かもしれないと思えてきました。文庫本などという前時代的なアイテムを手にしている分だけ、かび臭く思われるかもしれません。“ドアの前で本を読んでるオッサン、邪魔くさいで”とかってどつかれても、文句は言えません。私を見てにこやかにお辞儀するJさんのほうが、よっぽど愛想があるじゃありませんか。

演技力

2月23日(金)

講堂の照明が全て消え、次の瞬間、再び明かりが点るとステージ上にはAさんが。観客席からは完成と拍手が湧き起こりました。物語の背景をよく通る声で説明すると、いよいよ演劇部のミュージカル公演が始まりました。

私も、B先生とチョイ役で出演させてもらいました。そりゃあ、セリフ回しでは負けなかったけど、学生たちは体全体の演技で私たちの上を行っていました。また、主役のCさんとDさんは、腹の底から声を出して語り歌っていました。半年間の練習のたまものです。

実は、昨日の夜、演劇部の面々と直前練習をしました。台本はもらっていたのですが、ミュージカル全体を通してどうなっているのかは見当がついておらず、練習に参加して初めて全体像がつかめました。そのとき、セリフをこわごわ言っている私は、講堂中に響く声でのびのびと演じている学生たちに圧倒されっぱなしでした。

そして本番。舞台袖ではみんなが見ているから緊張していると言っていたくせに、EさんもFさんもステージでは落ち着き払っていました。その反対に、私はタイミングを逸してセリフを1つ落としてしまいました。そんなことお構いなしにステージを進めてくれた学生たちには、感謝と謝罪しかありません。

あっという間にエンディングが来ちゃったと思いきや、時計を見ると20分近くも経っていました。それだけ密度が高かったのでしょう。出演者全員の記念写真にも、ちゃっかり入ってしまいました。ステージ前に並ぶと、観客だった学生も何人もスマホをこちらに向けていました。

卒業式にも公演があります。今度は、セリフを落とさないようにしなきゃ…。

使わない

2月8日(木)

授業が終わって自分の席で採点していると、H先生が「これ、Yさんの財布です。連絡取ってもらえませんか」と言いながら、ちょっと高そうな財布を私に手渡しました。ちょっと値の張りそうな財布で、カードも何枚か入っていて、その中の1枚にYさんの名前が書かれていました。数えたわけではありませんが、お札がいっぱい詰まっていて、これを失くしたとなったらYさんはショックだろうなと、容易に想像できました。Yさんにメールを送ると、10分後ぐらいにYさんが財布を受け取りに来ました。財布を渡すと、申し訳なさそうに苦笑い。

Yさんの財布には結構な現金が入っていましたが、私が若い頃は、年齢×1000円分のお札を入れておけと言われたものです。つまり、30歳なら30×1000=3万円、40歳なら4万円は、いざという時のために現金で用意しておけということです。でも、今、私の財布には3万円あるかどうかです。その代わり、nanacoやwaonやpasmoなどの電子マネーに、全部で2万円ぐらいは入っているんじゃないかな。図書カードも1万円のが数枚あり、クレジットカードも持っていますから、現金を使うことが少なくなりました。

今朝のクラスで、学生たちに日本で面倒くさいと感じることを話し合ってもらいました。ごみの分別とか敬語とか食事の準備とか、いろんな意見が出てきました。私だったら現金の支払いって答えるんじゃないかなと思いながら、学生たちの答えを聞いていました。

今は何でも電子マネーや上述のカードのどれかで払います。現金を全く使わない日も珍しくありません。そうなると、財布から現金を出して、代金を支払って、お釣をもらってそれを財布に入れるという一連の動作が億劫に感じるようになってきました。ちなみに、今週は月曜から水曜まで、現金は全く使っていません、

お金は使いませんが、私は財布はなくしませんよ、Yさん。

にじゅうなのか

2月6日(火)

先日、ある手続きをするためにコールセンターに電話をかけました。本人確認で生年月日を聞かれました。「はちがつにじゅうしちにち、にじゅうななにちです」と答えると、向こうの担当者は「はちがつにじゅうなのかですね」と問い返してきました。一瞬、何と聞かれたのかわからず、絶句してしまいました。“にじゅうなのか”とは“27日”のことなのだろうかと、落ち着いて考えたくなりました。でも、そこで妙な間が空くと、本人じゃないと疑われそうなので、“にじゅうななにち”とまでダメ押ししているのだから、“にじゅうなのか”は、きっと“27日”に違いないと信じることにして、「はい、そうです」と答えてしまいました。手続きは滞りなく済ませられましたが、“にじゅうなのか”は手続きをしている間ずっと気になっていました。

“7日”は“なのか”です。しかし、“17日”を“じゅうなのか”というだろうかと考えると、私は絶対にNOです。だからこそ、“にじゅうなのか”と言われて意味をつかみかねてしまったのです。日々、学生たちのへたくそな日本語を聞いていますから、私の日本語感覚がそれに害されていて、“にじゅうなのか”という正しい日本語に違和感を抱いてしまったのかと心配になりました。でも、やっぱり、“にじゅうなのか”は変です。

私の電話を受けたオペレーターは、声の感じからすると20代の女性でした。若い世代には“にじゅうなのか”という言い方が広まっているのかもしれないと、インターネットで調べてみました。すると、レアケースであり、ネット上では否定されてはいますが、“にじゅうなのか”と言う人も存在することがわかりました。どころか、某局のアナウンサーがテレビ番組で“にじゅうなのか”と言っていたそうです。そのアナウンサーの言葉遣いを否定する意味で取り上げられていましたから、“にじゅうなのか”は認められていません。

“にじゅうしちにち”は“にじゅういちにち”と聞き間違えやすいです。それを避けるために“にじゅうななにち”と言い換えることは普通に行われています。“にじゅうなのか”と私に聞いてきたオペレーターは、もしかすると、“にじゅうななにち”ではぞんざいに聞こえると思い込み、丁寧語のつもりで“にじゅうなのか”と言ったのかも知れません。強いて考えれば、こんなところでしょう。

“にじゅうなのか”もいずれ日本語の乱れとして認知され、それが日本語の揺れとなり、いつのまにか日本語の一角を占めるようになるのかもしれません。しばらく観察していくことにします。

5:46

1月17日(水)

23年前、震源から300kmほど離れた山口県徳山市(当時)でもかなりの揺れを感じ、私もその揺れで目を覚まし(そのころは、今ほど早起きはしていませんでした)、テレビをつけました。神戸が壊滅していたのがわかったのが、地震発生からしばらく経ってからだったこともよく覚えています。あの日からしばらく、衝撃的な画像や映像が数え切れないほど目に入ってきました。

神戸とは特別濃密な関係はありませんでしたが、私も何かしなきゃという気持ちになりました。会社が派遣する被災地支援要員に選ばれなかったのが残念でなりませんでした。神戸ほどの街がつぶれたというのは、当時の日本人にとっては、かなりのショックでした。

山陽新幹線が復旧してから神戸を通り抜けましたが、ブルーシートに覆われた町には言葉を奪われました。初夏の陽光に輝く青に、かえって痛々しさを感じました。

超級クラスの授業で、阪神淡路大震災を取り上げました。学生たちの多くは、地震のない地域から来ています。日本は地震とは切っても切れない縁があること、日本文化には地震との共存や地震からの復興も含まれていることを訴えたかったです。事実、阪神淡路大震災後も東日本大震災やおととしの熊本地震をはじめ、死者が出るほどではなくても、多くの人々を恐怖に陥れる強い地震が、毎年発生しています。東海地震をはじめ、相当規模の地震が近い将来襲ってくることが予測されています。日本で暮らすとは、そういうことを前提に生きていくことなのです。

春になったら、野島断層を見に行こうと思っています。

-1.6度にめげず

1月12日(金)

今朝の東京の最低気温はー1.6度で、7:32に記録されています。もちろん今季最低で、“1月下旬並み”とかという言い方はできず、“最も寒い時期を下回る”という寒さの表し方になっていました。ちょうどその頃、駐輪場のシャッターを開けに外に出ましたが、ズボンの裾から入り込んでくる寒気に身を震わせました。風が弱く、底冷えという言葉がぴったりの寒さでした。

その底冷えの新宿を抜けて登校し、ロビーに入ってきた学生たちは、みんな人心地付いたように、氷点下の寒さに突っ張った顔の筋肉を緩めていました。つりあがった眉が下がるんですよね、こういうときは。

その緩んだ顔で、久しぶりに会う友達とおしゃべりしたり、新しいクラスで初めて見るクラスメートに恐る恐る声をかけたりしている学生が、校内のそこここにいました。他の学期の始業日よりも、心を暖めあっているようにも見受けられました。

今年はこれから本命校の受験を迎える学生が多いためか、授業後に進路相談に来る学生や、来週の面接練習の予約を入れる学生が続々とやってきました。来週火曜日からは受験講座も始まりますから、席を暖める暇もない日々が押し寄せてきます。

午後は、早速、指定校推薦入学の希望者の面接をしました。「どうしてA大学に入りたいんですか」「実際に見学に行ったら、A大学はとてもきれいでしたから、A大学で勉強したくなりました」と言われたときにはどうなることかと思いました。でも、大学で学んだことを将来どう生かすかということについては、きっとあれこれ考えて準備してきたのでしょうが、“素晴らしい”の一言に尽きる答えでした。その答えに免じて推薦することにしました。

夕方は、図書室でEJUの勉強をしていたCさんの悩みを聞き、これから出願するYさんの書類チェックをし、興に乗って数学談義に及びました。始業日からフル回転しました。

雪国

1月4日(木)

年末年始は例年通り名古屋に。「先生は毎年名古屋へ行きますが、名古屋ってそんなに面白いですか」と、ある先生から聞かれました。名古屋は毎年行っていますが、年末年始ですから博物館や公共施設などは多くがお休みで、行っているわりには有名なところを見ていないのです。徳川美術館も東山動物園も行っていません。名古屋城に登城したのは日本語教師になる前のことです。

行き場が限られていますが、今回はミッドランドスクエアの一番上まで上ってきました。私が行った大晦日は、朝は雨で、午後は上がりましたが遠見は利きませんでした。でも、名古屋市内とそのもう一回り外側までは何とか見渡せました。そして、次回の割引券をいただきました。

その前に熱田神宮へ行きました。数年前にも一度お参りしたことがありますが、昨年から日本全国の「神宮」を訪ねようと思い立ちましたので、改めて詣でた次第です。私は初詣はせずに、12月30日か31日にその年が無事過ごせたことへの御礼のお参りをしています。そういう名目で祭神である熱田大神に手を合わせました。

その熱田神宮の1900年の歴史を述べ連ねたパネルが参道にあったので熟読していくと、何と、私でもわかる誤記があるではありませんか。“1909年(明治39年)”とありましたが、1900年が明治33年なので、明らかな間違い。これを社務所に知らせたら、いたく感謝されました。

元日は、名古屋から金沢を回って帰京しました。太平洋側と日本海側の天候の違いを1日に2度も体験できるのは、気象マニアとしてはたまらない魅力です。

名古屋は快晴。岐阜も快晴ですが、行く手に雲が。大垣は曇り、あっという間に地面が白くなり、関ヶ原では雪が舞っていました。北陸線沿いの山間部はかなりの積雪でした。金沢は曇り、道路脇には除雪された雪が。糸魚川の海はまさに冬の日本海。大火の後が片付いているようで、復興し始めたのでしょうか。長野は街が白かったですが、トンネルを抜けた上田は快晴。善光寺平と佐久平(上田を佐久平と言ってしまうのは、無理がありますが…)でこんなにも気候が違うものかと、改めて感心させられました。金沢や糸魚川の湿った風景が趣があっていいなどと言えるのは、私が冬晴れ地方の人間だからでしょう。

北陸よりももっと北国から、Sさんが来ました。吹雪になると大変だとか、寒くて起きられずに午前の授業は休みがちだとか、車を買ったとか、近況を伝えてくれました。どうやら北国の地に根付きつつあるようです。卒業する頃には今よりずっと骨太になっていることでしょう。

まだ何も

12月27日(水)

今年はまだ、年賀はがきを買ってもいません。去年までは、発売開始早々に全国各地の地方版年賀はがきを買い求め、各地方独特のお正月風景の点描を楽しんでから、それぞれの人が気に入ってくれそうな絵柄を選んで、一筆したためたものです。ところが、今年は勢い込んで地方版セットを買いに行ったところ、なんと、今年から地方版が廃止になったと言われてしまい、がっくり肩を落として何も買わずに家へ帰り、そのまま元日まであと5日に至ったという次第です。日曜日にウチの近くのスーパーの店先で郵便局の人がサンタに扮して年賀はがきを売っていたのですが、なんとなく通り過ぎてしまったのもいけなかったかもしれません。明日どうにか年賀はがきを手に入れて、年末を過ごす名古屋のホテルの一室で書くことになるのかなあ…。

私が年賀状を出すみなさんは、10年以上も会っていない方々ばかりです。本当に必要最低限の人数にしか出しませんから、手書きでも十分間に合うのです。また、一人ひとりに図柄を選ぶ過程を通して、その方に思いを馳せる時間も確保していました。でも、あて先の住所はその年のお正月にもらった年賀状を見て書きますから、その年賀状を読みながら思い出すことにしましょう。

実は、来年の年賀状を早くも1枚もらっています。先日、写真が趣味というCさんが、来年の干支である戌と遠縁関係にあるレッサーパンダ(どちらも食肉目イヌ亜目に属する)の年賀状をくれました。大学院は写真とは全然関係ない専門に進むのですが、まさにプロはだしの写真です。私はこういう方面にはとんと疎いもので、とてもまねできません。写真の持つ勢いに素直に感心し、愛でるのみです。

ちょうど32

12月6日(水)

この前の日曜日にうちの近くのスーパーでみかんを買ってPASMOで支払い、翌月曜日朝に駅の改札を通ると、オ-トチャージされて残高がちょうど4832円になりました。こりゃあ週のはじめから縁起のいいことだと思い、何だか足取りも軽くなりました。その後、PASMOでは支払いをしていませんから、残高は今も4832円のままで、改札口を通るたびに表示される4832円を見てはニンマリしています。

午後、受験講座の準備をしていると、K先生から「先生、ちょうど32歳って言いますか」と質問されました。友人のお子さんの結婚式で、新郎の父親が挨拶でこう言ったそうです。「え、ちょうど32歳?」「ええ。ちょうど30歳じゃなくて、新郎が32歳ならわかるんですが31歳だし、どうしてかっていうと、32は2の5乗だからって言うんですよ。そういうの、ちょうどなんですか」「あーあ、気持ちはわかりますね。整数の5乗っていうと、3の5乗すら243で、日常生活には縁遠い数になっちゃうんですよ。でも32はわれわれの手が届く範囲の5乗の数なんで、ちょっと特別なんです。だから、ちょうどって言いたくなる心理は理解できますよ」

その方は、大学院で数学を勉強していたそうです。私も理系人間の端くれとして、「ちょうど32」という高揚感は共感できます。その方も、“3:14”なんていうデジタルの時刻を見ると、ちょっとうれしくなるんじゃないかな。また、1999年11月19日には思うところがあったに違いありません。なんたって、西暦の年月日を構成する数字が全て奇数というのは、この日の次が3111年1月1日と、千年以上も未来なのですから。

こういうことを踏まえて、私はなぜ「ちょうど4832円」と思ったのでしょう。そう、“4×8=32(しはさんじゅうに)”です。小川洋子の「博士の愛した数式」を読むと、この辺の機微がもっともっとよくわかると思います。ついでに言うと、私の誕生日は「2の3乗月3の3乗日」です。プレゼントをお待ちしております。

400ppm

12月1日(金)

英国で18世紀後半に始まった産業革命は、人類が化石燃料を大量に消費するきっかけともなりました。化石燃料を燃やすと二酸化炭素が大気中に放出されます。それ以前は約280ppmで一定していた大気中の二酸化炭素濃度はじわじわ上がりだし、50年ほど昔の私の子ども時代には300ppmになりました。理科の時間に、地球温暖化とは関係なく(その頃、そんな言葉はありませんでした)純粋に知識として、そう教えられました。今は、どの教科書も400ppmと記し、温暖化効果ガスをどうにかしなければという流れになっています。この大気中の二酸化濃度変化の曲線を外挿すると、学生たちが私の年齢になることには500ppmになっているかもしれません。

このところ、なぜかこんな話を立て続けに数回しました。すると、何だか歴史の生き証人みたいな気分になるんですねえ。100ppmの変化を日々少しずつ実感してきたわけではありませんが、50年分をまとめて振り返ると、霜柱が少なくなったなあとかって感じることもあります。ベルリンの壁のあっち側とこっち側の話をしても、学生たちにとっては歴史の教科書の写真でしか知らない物を見て触って越えてきているんですから、半分英雄みたいなものです。社会人になる直前、無理してヨーロッパ旅行をし、度胸を決めて東ベルリンに踏み出したおかげで、今の私が形作られているのです。

今上天皇退位の日が2019年4月30日と決まりました。翌日から新しい元号となり、私は昭和平成そして新元号の三代を生き抜くことになります。それから10年もすると、私が明治生まれの祖父母を見ていたような目で、新元号時代生まれの子供から見られるようになるのでしょう。それまでに、祖父母たちのように威厳を備えた人物になっていたいなあと思います。