Category Archives: 自分自身

掲示板

10月4日(水)

お昼を食べに外に出たら、学校のすぐそばの公園に衆議院議員選挙のポスターを貼る掲示板が立てられていました。公示が10日ですから、そういう準備が始まっていても当然です。

それにしても、今回の選挙は、いろんな意見を総合して私なりに公平に判断しても、安倍さんのわがままのような気がしてなりません。「大義がない」とよく言われていますが、そういう面が多分にあると思います。だから、安倍さんのチームに1票を入れたくはありません。

野党のほうも「希望の党」が、急に湧いて出たように現れて、いつの間にか結構な支持を集めています。それにあおられて民進党が実質的に解党してしまいましたが、前原さんは何のために党の代表になったんでしょうね。前原さんは以前民主党の代表になったときも、偽メール事件で党の足を引っ張ったあげく、辞任していますよね。何だかひ弱な感じがして、いまひとつ信頼できません。まあ、民進党というか旧民主党は選挙のための互助組合みたいな性格がありましたから、解党して各人が自分自身の政治思想をしっかり固め、それに一番合う政党を選ぶか、それを実現していく力になる政党を作るかしたほうが、政治家として正直な生き方ではないでしょうか。

小池さんも、動けば動くほど都知事に当選したころの清新なイメージが薄汚れていく感じがします。だんだん都民ファーストじゃなくなっていく気もします。むしろ、石原さんのほうが、豊洲を始めいろいろと問題もありましたが、“都民ファースト”だったとも思えてきます。

夕方、1日中ラウンジで勉強していた学生が質問に来ました。こういう留学生に光が当たる世の中を作ってくれる人に、私の1票をささげたいです。でも、そういう人が見つかるかなあ…。

伝える伝わる

10月3日(火)

この学期休み中は、通常授業はありませんが、養成講座の講義が何回かあります。通常授業とは違って日本人相手ですから、言葉が通じない心配はありません。でも、私が担当している文法の場合、受講生が小さい頃からずっと勉強してきた学校文法の枠組みを一度壊して、日本語文法として再構築していきますから、聞き手にとって新たな何事かを理解させていくという点においては、通常授業と変わるところがありません。

そうすると、やはりただ単に知識を垂れ流ししていくだけでは仕事をしたことにはなりません。私が有している知識や経験を、いかに生き生きとした形で伝えていくかを考えねばなりません。そのためにはどんな論理構成で話すのが一番わかりやすいかを考え、どんな資料を用意すれば効果的か頭をひねり、どんな問いかけをすれば受講生の刺激になるか作戦を練り、ようやく1つの講義を作り上げます。

ところが、こうして作り上げた講義を、当日あっさり壊してしまうことがよくあります。迷った末にこの方法でいこうと決めたのに、受講生とやり取りしているうちにまた気が変わって、没にしたのが復活させたり全く予定外の進め方をしたりすることも一再ならずあります。自分の作った台本にとらわれていては、受講生の要求に応えていることにはなりません。臨機応変というか、行き当たりばったりというか、こういう思い切りの良さみたいなものが、何が起きてもびくつかないところが、私の特徴じゃないかと思っています。

受講生には、こういうところも盗んでほしいものです。私があと30年この仕事を続けることは考えられませんが、今の受講生が30年後も日本語教師をしていることは十分ありえます。30年後に、今の私のように後進に何事か伝えているかもしれません。その時に、今の私の言葉をほんの一部でも思い出してくれたら、私の知識や経験がその人に伝わっていくことになります。そんなこともちょっぴり考えながら、講義をしています。

誕生プレゼント

9月4日(月)

8月26日の天気予報によると、愛媛県中予地方は29日まではお天気がよさそうですがそれ以後は曇りがちとのことでしたから、早いほうがいいと思って、27日に予定を決行することにしました。それに、27日は私の誕生日なので、自分で自分を盛り上げるという意味も込めようと思いました。

27日朝、高い雲がかかっていて抜けるような青空ではありませんでしたが、まだ夏の名残の水蒸気が多いこの時期に秋の澄んだ空気を求めるのが無理なお話です。西条駅前のバス乗り場でバス待っていると、ご同業と思われる人々が10人ほど集まってきました。数分遅れで出発したバスですが、地元の人の乗り降りはわずかに1回だけで、実質的にロープウェイ乗り場までノンストップ直行便でしたから、ロープウェイ乗り場には逆に数分早く着きました。おかげで、予定より1本早いロープウェイに乗れました。

ロープウェイの終点は「山頂」と名乗っていますが、手前の山の頂に過ぎません。終点から15分ほど歩いたところに成就社という諸願成就のお宮様があります。そこで無事に登頂してこられることを祈り、お守り代わりに竹の杖を1本借りて、山頂を目指しました。

山頂という矢印に沿って歩いているのですが、道はどんどん下っていきます。楽な道なのは結構なのですが、せっかくロープウェイで稼いだ標高を吐き出してしまうのがもったいなく感じました。また、事前の予習で成就社からしばらく下りが続くと知っていましたが、実際に下り道を歩くとなると、このまま麓まで下りていってしまったらどうしようと不安にさえなってきました。

下り道が尽きると、今度は当然上り道です。登山道が整備されているとはいえ、やはり息が弾んできます。樹林帯の中を歩くことが多いので直射日光を浴びることはありませんでしたが、だんだん汗も流れてきました。途中で休もうと思っても、休むのに都合のよさそうな岩には誰かが腰掛けていて、頂上近くの有料トイレまで歩き続けました。この間ずっと「お先に失礼します」と追い越す一方でした。。

ガイドブックによると成就社から山頂まで3時間あまりなのですが、2時間弱で着いてしまいました。四国最高峰にとどまらず、西日本最高峰である石鎚山の山頂には、成就社に対する頂上社があり、そこで登頂できたお礼に手を合わせました。360度の眺望を楽しんでいるうちにサーッとガスがかかってきたので、予定より早めに下り始めました。すると、一緒のバスに乗って一緒のロープウェイに乗った人たちが上ってくるではありませんか。ちょっとしんどかったけど、早く上ってしまったおかげで絶景が拝めたのです。

下りは上りより時間がかからないはずですが、結果的にはほぼ同じ時間がかかりました。成就社で借りた杖が、帰り道になって役に立ちました。持って行った水の量が少なく、成就社に帰り着いたときには脱水症状気味でした。かき氷で細胞を生き返らせ、ロープウェイで麓に下りてバスが来るまでの1時間ほど、ボーっとしているうちにどうにか復活してきました。

西条の町に戻ったら夜は美味しいものをいっぱい食べようと思っていましたが、それほどの食欲も湧かず、狙っていたラーメン屋さんで790円也の、味がよーくしみたチャーシュー麺をいただいただけで、今年の誕生日は終わりました。

免許更新

8月21日(月)

昨日、運転免許の更新をしました。といっても、5年前の更新以来、ハンドルを握っていないような気がします。最後に運転したのは、たぶん、夏休みに四国の最西端・佐田岬まで行ったときで、それは5年前よりももっと昔だったような気がします。そんなわけで、ペーパードライバーゆえの優良運転者ということで、5年の有効期間がいただけました。

もっとも、これは東京に住んでいるからであって、就職して間もないころ、山口県に住んでいた時は、暇さえあれば車を運転していました。夜明け前に出発して、トイレとガソリン補給以外はずっと運転し続け、日がとっぷり暮れてから戻ってくるなんていうことも1度や2度ではありませんでした。その時は、自分が5年も運転しなくても平気でいられるなんて、夢にも思いませんでした。

車の運転も、体で覚えるとことがありますから、たとえ10年ぶりだろうと、運転席に座って交差点を3回ぐらい曲がれば、カンが戻ってくるのではないかと思っています。今は腰痛を抱えていますから、若い時のように1日中運転し続けることは無理でしょうが、運転を楽しむぐらいはできると思っています。

免許の更新といえば、一時期騒がれた教員免許の更新はどうなっているのでしょう。運転免許の更新は視力検査と講習が30分だけでしたが、教員免許のほうは30時間の講習が義務付けられています。日本の次世代を担う人材を育てる役目を果たすのですから、30分というわけにはいかないでしょう。でも、だからこそ、更新のときだけでなく、常にそれに相当するくらいの研究を続けていてほしいと思います。

さて、日本語教師は日本語教育能力検定試験に受かってしまえば、あとは野放し状態です。市場原理が働き、実力のない教師は淘汰されていくだけです。しかし、これも市場任せですから、教師の需要が高まれば、実力の伴わない教師も教え続けることになります。また、運転と違って2、3回角を曲がればそれなりの運転ができると言うものでもありません。長いギャップがあると、リハビリの期間も長くなります。

私が日本語教育能力検定試験に受かったのはかれこれ20年近く前のことです。でも、養成講座を担当しているおかげで、勉強し直すチャンスはいただいています。今、もう一度受けてもどうにか合格できるんじゃないかなと思っています。でも、私が合格すると、誰か1人、本当に合格したい人が落ちてしまいますから、受けないことにしています。…というのは、言い訳に過ぎませんよね。

名札

8月19日(土)

特に授業のない土曜日の朝、K先生が「この名札、見てください。私がKCPに入ったときのですよ。物持ちがいいでしょう」と、少し誇らしげに見せびらかしました。そういえば昔は初級、中級、上級って色分けして名札にラインを入れていたっけなあと、K先生の名札を見て懐かしく思い出しました。私も名札を持っていますが、K先生のよりは新しいバージョンで、ラインは入っていません。私が名札を使うのは、新入生のプレースメントテストのときだけです。名札を指差して、名前を解答用紙の所定欄に書くようにと指示するのです。

K先生は授業がありませんでしたが、私は受験講座の授業がありました。学生たちにEJUの模擬試験をさせましたが、Tさんはなぜかなかなか解答用紙に名前を書こうとしません。「あと5分です」と残り時間を告げてもまだ書きません。Tさんはもう1年以上もKCPで勉強していますから、わざわざ名札を持ち出すまでもなく、最後には名前を書くでしょう。でも、本番の試験の時にはしてほしくないですね。集めた解答用紙には、「はい、やめてください」というのと同時ぐらいに大急ぎで書いたと思われるくしゃくしゃの名前がありました。

名札といえば、最初に勤めた会社を辞めたとき、本当は返さなければならない名札を記念にこっそり持ち出したのですが、あれは今どこにあるのでしょう。その時は、この会社に勤めたことを一生の思い出にしようと思っていたに違いありません。でも、今は、今朝K先生の名札を見せられるまで、その存在すら忘れていました。うち中の荷物をひっくり返して探せば見つかるかもしれませんが、そこまでする気力も時間もありません。ま、要するに、私はK先生より物持ちが悪く、淡白なのだということなのでしょう。

復活まで

8月14日(月)

受験講座から帰ってくると、K先生が不機嫌そうにコンピューターの不調を訴えていました。ある操作をするとコンピューターが動かなくなってしまうというものです。普通はそんなことにはなりませんから、まさかと思いつつ気安く私も同じ操作をしてみました。私が操作をするのとほぼ同時に、K先生から「動きました!」と明るい声が。その反対に、私のコンピューターは固まってしまってさっぱりいうことを聞かなくなってしまいました。

あれこれ試みて、やっと復活したのが3時間後。いつもの日なら、テストの採点や宿題のチェックなど、コンピューターを使わない仕事が山ほどありますが、今日は中間テストの前の日なので、そういったものがありません。しなければならない仕事はあるのですが、どれもこれもコンピューターを使わないとできない仕事ばかりで、コンピューターなしでできる仕事は受験講座の問題を解くことぐらい。

自分の仕事がこんなにもコンピューターに頼っているのかと、改めて驚かされました。確かに、授業や学生対応をしているとき意外はコンピューターをいじっていることが多いです。紙ではなく電子的に保存している資料もたくさんあります。バックアップを取っているつもりでも、完全ではありません。ハードディスクがやられていたらどうしようと、コンピューターが復活するまでの3時間、大きな不安に襲われました。

復活しなかったらこうしてブログを書くこともできなければ、救える文書は救わねばなりませんから日付が変わらぬうちに帰れるかもわからなかったところです。むやみに“不調”の荒波に飛び込んではいけません。仕事のやり方をちょっと考えさせられた事件でした。

新たな発見

8月1日(火)

日本語教師養成講座の講師をしていると、やはり自分の教え方を振り返ることが多くなります。ことに今回は、日本語文法全体を概観するというよりは、初級の文法を集中的に講義していますから、なお一層そういう傾向が強くなっています。教科書をもう一度も二度も読み返してみると、講義内容に関連して、教科書の編者の苦労が見えてきたり、逆に教科書の粗が浮かび上がってきたりしています。

そうすると、自分の教室での教え方の過不足も感じられ、思わず反省したりします。ここは私の思い入れが強すぎたとか、こんな突っ込み方じゃ編者が泣きそうだとか、あれこれ思うところがあります。今学期も初級クラスに入っていますが、そこは初級の終わりのレベルで、初級の入口に近いほうは、このところ代講でたまに入るだけです。ですから、せっかく反省してもそれを生かすチャンスがあまりないことが残念なところです。

でも、上級や超級の学生ですら、こっそり初級文法を間違えていますから、それを正したり未然に防止したりする際に、今回の知見が日の目を見るのではないかと思っています。養成講座の講義でも、この文法は初級で勉強しますが実際に使えるようになるのは中級になってからだよとか、これが使いこなせたら上級だねとか、そんな話もします。こういう話ができることこそが、私が養成講座をする意義であり、同時にこの学校の養成講座の特色だとも思います。

私に講義のネタを提供してくれる学生の皆さんに対して、感謝してやみません。

夏はこれから

7月31日(月)

最近、日が短くなったなと思います。と言っても、皆さんと違って、私が感じるのは日の出が遅くなったことです。今朝は久しぶりに晴れましたが、電車から見える朝日の位置がとても低くなったなと感じました。もう間もなく、家から駅までの道の街灯が消えないうちに通り過ぎることになり、朝よりも夜の雰囲気が濃くなっていきます。

とはいえ、日中は夏全開で、校庭でスピーチコンテストの応援練習をしようとしたM先生のクラスは、コンクリートからの照り返しでひどい目にあったそうです。校庭の活用を図ろうとしましたが、もう少し陽気がよくなってからのほうがよさそうです。

蝉もかなり勢いよく鳴いています。小中学校は夏休みですが、夏休みはなんてったって蝉ですよね。でも、午後の授業に外階段を上っていく途中に、大きな蝉の死骸がひっくり返っていました。夏の宴を終えて、命が果てたのでしょう。

夕方、卒業生のNさんが学校に来ていました。「もう夏休み?」「はい、来週の試験が終わったら9月の終わりまで休みです」「えっ、そんなに長い間休んじゃったら、授業料、もったいなくない?」「大丈夫です。ウチの大学、ゴールデンウィークは普通に授業するんです」…なんていう、意味がわかったようなわからないような話をしました。でも、2か月近くも休んでいたら、頭がなまっちゃうんじゃないでしょうか。Nさんは休み中アルバイトに励んじゃいそうな気がしますから、なおさら心配です。

いずれにせよ、KCPの夏はスピーチコンテストであり、夏休みはまだひと月近くあります。まだまだ夏が終わってしまっては困ります。

目標達成

6月30日(金)

「現存12天守」というのをご存知でしょうか。

日本にはお城がいくつもありましたが、その多くが明治維新のときに破却されたり戦災で焼け落ちたりしました。江戸城のように石垣だけの城跡となっているところもあれば、名古屋城のように鉄筋の復元天守や模擬天守が建てられている所もあります。そんな中で、江戸時代までの天守閣が残っているのが、世界遺産・姫路城など12のお城なのです。

列挙すると、弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城の12城です。このうち、国宝が松本城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城で、他は重要文化財に指定されています。

今年の1月1日現在、私はこの12城のうち丸岡城と備中松山城だけ訪れたことがありませんでした。ですから、この2つのお城に足跡をしるすというのが、今年の密かな目標でした。そして、1年の前半のうちにその目標を達成してしまいました。

丸岡城は福井市郊外の平地の真ん中にぽっこり盛り上がった小山の上に建つこぢんまりとしたお城で、現存天守の中でも最古の様式を誇ります。住宅地に囲まれていますが、石垣の下から見上げると、やはり威厳を感じさせられます。

備中松山城は高梁川に沿った急峻な山の上にあり、現存天守の中で登城するのに最も汗を流さなければならないお城です。その代わり、天守の最上階からの景色は絶景というほかはなく、さわやかな風に吹かれながらいつまでも見とれていました。

さて、明日から2017年の後半戦です。今度はもう少し仕事の香りのする目標を達成したいものです。

あなたはすばらしい学生です

6月3日(土)

今週はずっと運動会に時間を取られていたので、火曜日の作文の採点があまり進んでいませんでした。来週の火曜日に返さなければなりませんから、授業のない土曜日に集中してどうにかしようと考えました。

「自分をほめたいこと」というテーマで書いてもらいました。中には、前に勉強した救急法を使ってけが人の応急処置をしたことをほめたいとか、「人間は誰かにほめられるために生きている」などと哲学めいたことを書いてきた学生などもいましたが、頑張っている自分をほめたいという内容が多かったです。

各人各様のほめたい自分を挙げてきましたが、そういうことをしているカッコいい自分、理想的な姿の自分を、教師じゃなくてもいいですから、誰かに認めてもらいたいんだろうなと強く思いました。「ほめて伸ばす」とはよく言われますが、おざなりのほめ言葉ではなく、心の底から感心して声をかけることが肝心なのです。それには、装わずにほめられる箇所を各学生から見つけなければなりません。私はそれに耐えうるほどの鋭い観察眼があるかなあと、思わず自分を振り返ってしまいました。

私がこのテーマで作文を書けといわれたら、何を書くでしょう。一つのことを続けていける点かもしれません。でも、それはバカの一つ覚えでもあります。諦めが悪いと言い換えてもいいでしょう。

「初級から超級までどこのレベルでも教えられる」といっても、プロですからそれぐらいしなきゃ。「日本語教師なのに理科も教えられる」のは確かにそうですが、受けてきた教育訓練がそういうものですから、これすらできなかったらまさに無駄な学歴・経歴になってしまいます。

こうして考えると、自分をほめるのは案外難しいものです。学生の作文がいつもより短めだったのも、致し方ないところかもしれません。この作文を参考にして、各学生を見つめる角度を変え、ちゃんと見ているよというメッセージを送り、学生に自信を持たせて進級させてあげたいです。