Category Archives: 自分自身

声が若い

7月14日(土)

「はい…」「N先生のお宅でしょうか」「はい、いつもお世話になっております」「こちらこそお世話になっております。KCPの金原と申しますが、先生はご在宅でしょうか」「はい、少々お待ちくださいませ」…という電話のやり取りをした翌日、N先生から「家内が金原先生ってずいぶん声がお若いって言うんですよ」と言われました。自分では、最近声がかすれることもあり、年相応の声じゃないかと思っています。

N先生の奥様以外の方が聞いても声が若いとしたら、それは、ひとえに、毎日教室で発声特訓をしている(させられている?)からにほかなりません。20人を向こうに回して3時間クラスを仕切りまくるとなると、ただ単に大きな声を出せばいいというわけではありません。よく通る声、響く声を出さなければなりません。意識しなくてもそういう声が自然に湧いてくるくらいでなければ、日本語学校の教師は務まりませんね。

午前中、受験講座のEJU読解を担当しました。通常クラスよりも若干多めの学生を若干広めの教室に入れて、試験問題の解説をしました。その後、今年の大学入試の傾向などについて話しました。無意識のうちにいつもよりも声を張っていて、でもまだ出力に余裕がある自分に気が付き、だからやっぱり本当に声が若いのかなあなんて、うなずいている学生を見渡しながら、そんなことを考えていました。

私は普段はそもそもあまりしゃべらないし、しゃべっても大きな声は出しません。携帯電話の声も必要最小限です。だから、もし、この仕事をしていなかったら、元気なくぼそぼそとしゃべるおじいさんだったかもしれません。

火曜日から受験講座の理科が始まり、のど全開の日々が続きます。明日とあさってはぼそぼそと省エネで過ごしましょう。

厳しい目

7月6日(金)

「ここに名前を書いてください」と「ここで名前を書いてください」の意味の違いは、日本人なら全く問題なくわかるでしょう。でも、これを英語に訳したらどうなるでしょう。どちらも、私の英語力では、“Please write your name here”なってしまいます。ですから、「に」の意味にしたかったら申込用紙か何かの名前を書く欄を指差し、「で」なら筆記台の上に用紙を置いて、相手をその前に案内するでしょう。つまり、文字以外の身体動作によって訳し分けることになると思います。

学期休み中ですが、養成講座の授業は行われています。私の担当は文法で、毎回このような屁理屈をこねくり回しています。当たり前すぎて私たちが全く注意を払わないことばの使い方や文構造に目を向け、それをどう説明すればいいかを考えるのは、私にとっては無上の喜びです。まあ、今シーズンは少々力が入りすぎ、講義の進度がいくらか遅れ気味なのですが…。

「観客を沸かす」と「お湯を沸かす」の2つの「を」の違いはどうでしょう。日本語では同じ助詞で表現しますが、学習者の母語では別の形式で表すかもしれません。日本語教師になるには、日々使っている日本語を、幽体離脱したような視点から冷静に見つめて分析しておく必要があります。養成講座の受講生の方々には、私の講義を通してそういう目を養ってもらいたいと思っています。

幽体離脱といえば、オウム真理教の松本死刑囚ほか6名の死刑が執行されました。あぐらをかいた麻原彰晃が空中に浮かんでいる写真を思い出しました。国は、平成の悪夢を平成のうちに決着をつけようとしたのでしょうか。

違う頭

6月2日(土)

来週は養成講座の講義があるので、そこで使う資料の点検をしました。今までに何回か使ってきた資料ですが、読み返すたびにちょこちょこ手を入れたくなります。もう少し正確に言うと、しばらく動かしていなかった頭の部分に血を通わせながら資料に目を通すと、あれこれ疑問点が浮かび上がってくるのです。新鮮な目で見ると、前回まで使ったときには気づかなかったあらが見えてくるのです。

こういう説明やデータが足りないんじゃないかとか、これは回りくどい表現だとか、半年ぐらい前にその資料を作った自分自身に突っ込みを入れつつ作業を進めます。これは決して面倒くさい、できれば避けたい仕事ではなく、修正のために調べ物をすることは、心地よい脳みその体操です。

私の場合、日本語のほかに理科も教えています。午前中が日本語で、午後から理科というパターンもしょっちゅうです。そのたびに、脳の切り替えというか、頭を作り上げていく感じがします。日本語を教えているときは大脳の言語野が活性化されていて、理科のときは別の部分が働いているのでしょう。養成講座の講義では、これらとはまた違う部位を活動させているようにも感じます。一度、脳の血流を測る装置でも装着して授業をしてみたいです。

さらに私は、学校を一歩出たら読書人になります。朝の電車の中か昼の食事のときかに読んだストーリーを思い出し、電車に乗るや否やそこに没入します。頭のいろいろなところを使うとボケないとかいわれていますが、私の場合はどうなのでしょう。このごろ忘れっぽくなったり根気が続かなくなったりしています。マルチタスクでそういう劣化を何とか押さえ込みたいです。

マニアの旅行

5月7日(月)

連休は、今年も関西へ。10年以上も毎年通っていると、姫路城や東大寺など有名なところは行き尽くし、だんだんマニアックになってきます。

今年は武庫川沿いのハイキングをしました。と言っても、河原の石ころ道を歩いたわけではありません。国鉄(JRではありません)福知山線の廃線跡を歩いてきました。レールだけがはがされた枕木が並んでいるところもあったのですが、これが意外と歩きにくいんですね。私の歩幅は枕木の間隔の1.5倍ほどで、枕木の上に足を置こうとすると歩くリズムが崩れ、歩幅を優先すると足元が枕木の上になったり線路の砂利に取られそうになったりと安定しません。また、トンネル内には照明がまったくなく、家から持ってきた懐中電灯が唯一の明かりとなります。蒸気機関車時代から使われていたため、トンネルの入口のレンガや内壁には黒いすすがこびりついています。川筋に忠実な羊腸の線路を、煙を吐きながらあえぎあえぎ進んでいく機関車と客車が目の浮かびました。

景色は、お天気にも恵まれたこともあり、渓谷美や新緑が目に鮮やかでした。尼崎や西宮あたりの平地をどよーんと流れるのとはわけが違います。昔は車窓からこの絶景が拝めたのでしょうが、今のJR宝塚線(「福知山線」とも呼ばなくなりました)は新幹線並みにトンネルで山を直線的に貫き、車窓の楽しみは失われました。

私は上流から下流に向かって歩きましたから、廃線跡の出口は宝塚の市街地の末端でした。突然交通量の多い国道に放り出され、前後左右はこじゃれた住宅地。自然に溶け込み、時間をさかのぼり、身も心も透明になりかけたところで、急に現実に引き戻されました。

そのほか、南朝の余韻に耳を澄ませてみたり、長岡京の栄華に思いを馳せたりしました。長岡京については、来年以降集中的に見学していこうと思いました。そういう、魅力的な話も聞けた連休でした。

さて、連休明け。Kさんはゆうべ飲み過ぎて二日酔い、Lさんはまだ連休だと思っていたとかで大遅刻でしたが、大学の卒業式に出るために一時帰国しているHさんを除いて全員来ました。今週金曜日は運動会。競技のルールの説明をしたら、学生たちも少しずつその気になってきました。

長い休み

5月1日(火)

学校の近くにあるH医院は、4月29日から5月9日まで休診です。日曜祝日と水曜日が休診日ですから、今週は火曜日だけ病院を開けてもしょうがないと思ったのでしょう。でも、来週の月曜日と火曜日はどうなのでしょう。勢いで休んじゃったのかなあ。それにしても11連休とは豪勢ですね。

来年の5月1日は、新天皇の即位日であり新元号の初日です。この日が正式に祝日となれば、祝日と祝日に挟まれた平日は休日とするという特例により、4月27日から5月6日までの10連休が実現します。そうなれば、私も遠出を考えたくなります。海外はパスポートも切れちゃってるし、飛行機代なども跳ね上がるでしょうから、とりあえず置いときます。国内も、北海道は高くなりそうですから、やっぱり関西でしょうか。関西は、新幹線との競争がありますから、連休でも航空運賃が比較的安いのです。

関西だとすると、宿も早く押さえなきゃ。私が関西の定宿としているホテルは、ここ2~3年、競争率が高くなっていますから、毎日ホームページを見て予約が始まったらすぐに取らなければなりません。関西は、行きたいところがまだまだたくさんありますから、宿さえ確保しておけば、行ってから退屈することはありません。私の場合、日本全国各地に、行きたいところ、見たいものがありますから、足と宿を確保しさえすれば10日ぐらいどうにでも過ごせます。

気が早いかもしれませんが、なんたって夏休みよりも長い連休になるんですよ。東京でボーっとしてるわけにはいかないじゃありませんか。まあ、休みにあれこれ予定を盛り込んで疲れ果ててしまうというのは、貧乏性の最たるものという考えもありますが…。

来年は、H医院は何日休みつもりでしょう。

花より日本語

4月27日(金)

実は、昨日は歯医者へ行くため早退しました。月曜の午後ぐらいから下の前歯の根元がうずきだし、歯に力が入らず、前歯でうまくかめなくなってしまいました。それでも火曜の朝まではどうにか普通の食事をしたのですが、昼食は何も取れなくなり、今通っている歯医者に電話を掛けました。私の症状を聞いた歯医者は、歯根に膿がたまっているのだろうと診断ました。しかし、予約はすぐに取れず、翌々日木曜の夕方となってしまいました。

膿を注射できゅーっと吸い出すくらいのことをしてほしかったのですが、歯医者は、歯も磨けずうがいでごまかしていた私の歯を見て、歯が汚れていたら雑菌が入って歯茎が膿みやすいとか言って、プラーク除去をし、これ以上ひどくならないようにと抗生物質を出しただけでした。

火曜水曜はおかゆしか食べられなかったのですが、ゆうべから今朝にかけては比較的調子がよかったので、普通の食事をしました。しかし、朝9時過ぎぐらいから、昨日までとは違う種類の痛みが波状攻撃を掛けてきました。午後から初級の授業なのに困ったなあと思いながら、眉間にしわを寄せつつ仕事をました。

一番下のレベルのクラスで授業を始めると、むしろいつもより大きな声が出ました。しかし、後半から御苑へ行くというのが本日のメインディッシュで、御苑へ行く時間になるとまた波状攻撃が始まりました。不機嫌そうな顔をしないようにとはしましたが、無口にはなってしまいました。

ところが、一番下のレベルはみんな日本語がわからず、みんなが力を合わせて楽しまなければ、置いていかれないようにしなければという気持ちが強いようで、無口な私は学生たちの自助精神に助けられました。教室内では全然活躍しない学生が生き生きとクラスの集合写真を撮ってくれました。御苑は花のシーズンの谷間で緑ばかりが目立っていましたが、学生たちは片言の日本語を使うことに燃えていて、花より団子ならぬ花より日本語でした。

朝のおしゃべり

4月26日(木)

職員室のお掃除に来てくださるHさんはとてもお話好きな方で、毎朝雑談に花が咲きます。今朝は…

「来週は月曜日がお休みなんですね。火曜水曜は学校があるんですか」「はい、カレンダーどおりです」「4月29日はえーと…」「天皇誕生日じゃなくて、みどりの日…じゃなくて、あ、そうそう、昭和の日」「そう、昭和の日ですね。でも、来年になったら、私も昭和、平成、それから新しいのはなんていうかわからないけど、三代生きちゃうんですからね、すごいことになっちゃいますね」「そうですよね。子供のころ、明治、大正、昭和を生きてきたなんていったら、とんでもないおじいさんおばあさんって感じでしたけど、来年になったら自分もそうなっちゃうんですもんね」

考えてみれば、今の私の年齢は、私が子どものころの明治末生まれに相当します。尊敬の対象であると同時に、敬遠すべき存在でもありました。自らを振り返るに、尊敬や敬遠とは程遠く、ずいぶん軽いなと思います。サザエさんの家族でいえば、カツオ君のつもりでいたのが、いつのまにか波平さんよりも年上になってしまいました。でも、波平さんほどの威厳もなく…。

平成元年生まれは来年30歳。もう中年に片足を突っ込んでいる年代です。「近頃の若いもんは…」などと愚痴をこぼしかねないお年頃です。高校野球の選手が平成生まれだといって驚いていたのがついこの前でしたが、今年は平成生まれの監督が甲子園で勝利を挙げました。平成生まれが社会のリーダーに取って代わりつつあるのでしょう。

不易流行といいます。私が若かった頃に明治生まれの方々から引き継いだ「不易」の部分を、平成生まれの学生たちにいい形で伝えて生きたいです。そこに「流行」を重ねていってくれれば、明るい未来が開けそうな気がします。

最優先課題

4月6日(金)

学期中は授業や学生対応を最優先にしなければなりませんから、どうしても目の前の仕事を1つずつ確実に仕上げていくことが中心になります。ですから、学期休み中に長期的な視野を要する仕事をしようということになります。しかし、今回の学期休みは養成講座の授業がたくさん入っているため、思うように仕事が進みません。

養成講座も、次の世代の日本語教師を育てるという意味ではスパンの長い仕事です。私自身の反省も込めて、新しい人たちにより高い位置からスタートを切ってもらおうと思いながら授業をしています。朝、出勤してから9時に授業が始まるまで、その日に何を教え、何を考えてもらうか、そのために何を語るかなどに頭を悩ますことは、非常に知的かつ心地よいひとときです。毎日だとしんどいかもしれませんが、養成講座がある日は心が弾みます。

でも、日本語のクラス授業のために隅に追いやられがちな受験講座理科に頭と時間を使えるのは学期休み中なのですが、今学期はそれができそうにありません。11月のEJUの問題を解いて解説を作るところまではしたものの、それまでです。授業で使う資料をばりばり作りたかったのですが、そこまでには至っていません。学校全体に目を配って方向性を示すのも私の仕事ですが、これもまた当初の計画どおりに進んでいません。

そんなに時間がなかったら、こんなブログなんぞ書いていないで本来の仕事をすればいいじゃないかと言われそうです。でも、こういう駄文を草することも、私にとっては、その日一日を振り返り、社会全体を眺め回し、学校や自分のあり方を見つめ直す貴重な日課なのです。

お久しぶり

3月23日(金)

代講で初級クラスに入りました。今学期の受け持ちクラスはみな上級でしたし、先学期も中級以上でしたから、半年ぶりです。不思議なもので、初級の教室に入ると、上級クラスの省エネモードとは違って、挨拶から大きな声が出るのです。文法の説明も、理屈をこねくり回す気はまったく起こらず、練習して体で覚えてもらいたくなってくるのです。学生が変な答えを出すと、あなたの言ったことはこういうことだよとアクションで示して、その不自然さに気づいてもらいます。それがすらっと出て来てしまうんですねえ、初級の教室だと。

単語の意味ならともかく、文法を言葉で説明してわかってもらうのは、初級では厳しいです。私はもっぱら印象付けることに徹します。そのためにアクションで示したり、その日の教室に即した例文を考え出したりします。もちろん、口頭練習がその最たるものです。代講に入ったらクラスの雰囲気を読んで、おとなしそうなクラスだったらこちらが引っ張って何とか盛り上げますし、ほうっておいてもしゃべるクラスだったらそのパワーを最大限利用します。

初級のクラスのいいところ、おもしろいとこと、やりがいのあるところは、手ごたえが感じられることです。上級だとクラスの作り方をちょっと間違えると、のれんに腕押しの毎日になってしまいますが、初級はこちらがその気で立ち向かえば必ず何かはね返ってくるものです。はね返ってくるときは、印象付けがうまくいったときです。毎日初級だとパワーを吸い取られて体がもたないでしょうが、たまになら授業が楽しめます。

さて、このクラスの学生たちも、今年の後半には私のテリトリーに上がってくるかもしれません。そのときの成長ぶりを見るのが楽しみです。

コートを脱いで

3月14日(水)

今朝は何ら迷うことなく、コートを着ずに家を出ました。外に出ても全然寒くなく、ホームで電車を待つ間も風に震えることもありませんでした。先週までは、丸ノ内線が四ッ谷駅で一瞬外に出るときは夜の帳の中に突っ込む感じで、トンネルの中と何ら変わるところがありませんでしたが、今週月曜日に窓の外の空がほのかに明るくなっていることに気づきました。火曜日、水曜日と、日に日にその明るさが増しています。

外よりも、むしろ教室内のほうが寒さを感じたほどです。授業中、学生に暖房をつけてくれとせがまれました。その一方で、昼は復習か宿題かをしている様子の学生で校庭のテーブルがサラッと埋まっていました。東京の最高気温は21.5度で5月の連休の頃並みでしたから、外で何かするのに最適です。

まだ3月中旬ですから本格的な春になるまでには2、3回寒波に襲われるでしょうが、このまま桜の季節を迎えてしまうのではないかという予感すらします。卒業式までに進路が決まっていなかった学生の合格通知もいくつか舞い込んできています。そういう方面からも、暖かさを感じます。

でも、逆に、Cさんは今週から急に理科の受験講座に来なくなりました。理系に見切りをつけ、文転したのかもしれません。Cさんにとっては、春の日差しどころか先の見通せぬ吹雪の中なのかもしれません。でも、今からだったらまだ間に合います。文系に進むにしても厳しい戦いであることには変わりはありませんが、来年は穏やかな春を迎えられると信じて努力を重ねていってください。