Category Archives: 自分自身

懐かしい香り

11月30日(金)

上級の読解テキストに、“鰹節削り”という単語が出てきました。私は親の手伝いで鰹節を削った世代ですから、当然どんな物かわかります。学生は無理だろうなと思いながら、「鰹節は何ですか」と聞いてみると、「お好み焼きにかけます」「ふわふわ」という声がすぐに上がりました。彼らが思い浮かべたのは、“鰹節”ではなく“削り節”です。

鰹節を口で説明するのは難しいので、インターネットの画像検索に引っかかった写真を見せました。「鰹節」で画像検索しても、真っ先に出てくるのは「削り節」です。画面を何回かスクロールして「鰹節」を発見し、それを教室のモニターに映し出すと、クラス全員が「エーッ!!!」となりました。だれも本物を知らなかったようです。「これを鰹節削り」で削ったのが、みんなの知っている『鰹節』だよ」と説明すると、一様に驚いた顔をしていました。

私は、こんなふうに、学生が知らなさそうな物事に当たると、検索してあっさり画面を見せてしまいます。百聞は一見にしかずだし、学生に各自スマホで調べられるとみんな下を向いてしまうし、よけいな話をせずに学生の注意をひきつけたままにできますから。せっかく便利なものがあるのですから、使わなければ損です。

鰹節削りを見せて、「さっきの鰹節をこれで薄く削ったのがみなさんの知っている鰹節です」と説明を付け加えると、みんな感心しつつ納得していました。そんな学生の顔を眺めつつ、“削りたての鰹節は香りが立っておいしいんだよなあ”なんて、半世紀近く昔の子ども時代を思い出していました。

55年ぶり

11月24日(土)

大阪で2025年に再び万博が開かれることになりました。前回が1970年でしたから、55年ぶりの開催となります。東京オリンピックの56年ぶりとちょうど同じくらいの間隔となります。

70年の万博は、当時京都に住んでいた親戚のうちに泊まって見に行きました。夏休みの真っ最中で60万人以上も入場した日だったので、米国館の月の石をはじめ“目玉”はすべて長蛇の列で、数時間待ちと聞き、見るのをあっさりあきらめました。だから、本当に会場に入ったというだけで、人ごみを見て帰ってきたというに等しく、万博に対する思い出はこれといってありません。でも、国全体が万博の熱気で盛り上がっていたことははっきり覚えています。幼心にとにかく万博を見なければと思い、また、親戚も是非見に来いと言ってくれたので、夏休みの京都行きとなったのです。まだ若かった両親も、好奇心満杯で見に行きました。

さて、25年の万博は何が目玉になるのでしょう。AIが何かするのでしょうか。そうだとしても、ちょっとやそこらのことでは、私たちは驚きません。見学者の耳目を引くには、相当なことができなければなりません。私なら、そうですねえ、AI搭載ロボットが頭のてっぺんから足の裏まで、文字通りツボを押さえたマッサージをして快感に浸らせてくれたら、驚いてあげてもいいでしょう。

日本語学校の教師としては、2025年に向けて日本語学習者が増えるかどうかが気になるところです。世界中で日本に興味を持つ人が増え、その一部でもこちらに回ってきてくれたらありがたいところです。通訳は機械がするようになっているでしょうから、外国人を引き付けるだけの魅力がこの国にあるかどうかが問われます。7年後、どんな答えが返ってきているのでしょうか。

手紙はいくら?

11月15日(木)

中間・期末テストの日は、学生の登校時間は早まり、教師の出勤時間は遅くなります。学生はラウンジで教科書を開いて最終チェックをしようと思い、いつもより早く学校へ来ます。教師は前日までに準備した試験問題を粛々とさせるだけで、授業準備が不要なので、のんびりとお出ましになります。定期試験日は、普段とはちょっと違う空気が流れる朝のKCPです。

試験監督は、いつもと違うクラス・レベルの教室に入るので、何かと刺激になります。私はレベル1のクラスの監督でした。監督中に学生が取り組んでいる試験問題をのぞいてみると、“80円の切手を5枚ください”という文を書かせる問題がありました。あれ、今、手紙って80円じゃなかったよねえ…と思いましたが、ちょっと自信がありません。消費税率が8%に上がった時に端数がついたはずだけど、最近郵便料金がまた上がったような話も聞いたし…。つい先日、年賀状を買った時、62円になっていましたからねえ、はがきが。

はがきと封書の郵便料金は、昔は常識でしたが、今はどのくらいの人が知っているのでしょう。先週あたりかなあ、クラスで「電話とメールとどちらが好きか」という話題になり、今はメールよりもLINEだとか、スカイプは電話なのかとかと話が広がりました。そのとき、「先生は手紙を書きますか」と聞かれました。振り返れば、ここ何年も、年賀状以外の手紙は書いていないような気がして、「年賀状だけですね」答えました。学生たちは笑っていました。

その学生たちにしても、出願書類を送る時になって初めて郵便局のお世話になったという例が多いと思います。郵便局という単語はレベル1で勉強しますが、実は学生にとっては縁の薄い存在のようです。そういえば、私も郵便貯金の口座があるはずですが、どうなっているのでしょう。

ネットで調べたら、封書は82円でした。

束の間の好天

9月28日(金)

通勤電車から、わずかにオレンジ色に染まった東の空が見えました。学校に着いたら、青空。1日中快晴で、久しぶりに明るく伸びやかな気持ちになりました。午前中病院へ行きましたが、このままピクニックでもしたくなるような陽気でした。最高気温は26度でしたが、湿度が低くてさわやかでした。きのうとおとといは最高気温が20度を割り、9月に2日連続で最高気温20度未満というのは10年ぶりだったとか。秋らしさの復活といったところでしょうか。

今朝の最低気温は14.1度でした。私が家を出た頃この気温を記録したはずですが、明日はお休みの私にとって夏装束最終日ですから半袖で出勤しました。肌寒さは感じましたが、我慢できないほどではなく、むしろ気持ちがピリッとして、眠気が覚めました。でも、14度といえば3月ぐらいならコートを着ているかもしれません。人間の感覚って、いい加減なものですね。

ただ、この好天も明日の未明までで、その先は台風の接近にともなって雨模様となるようです。なんだか信じられないというか、信じたくないというか、名残惜しいというか、もう少しこのきれいな青空を見ていたいです。それにしても、今年は台風が多いですね。この台風も含めて、異常気象が定番になりつつあるような気もします。長期予報によると暖冬だということですが、暖冬にもすっかり慣れてしまいました。

病院から戻って来て、午後は期末テストの作文の添削をしました。進歩を感じさせてくれる学生もいれば、同じミスを繰り返している学生もいます。そういうことを最後のコメントで指摘しようと思っています。

活力源

9月14日(金)

今週は異常に忙しかったです。連日午前午後みっちり予定が詰まっていて、そのわずかな隙間にスポットのあれこれが入り込み、毎日夕方には精根尽き果てた状態でした。受験の山場はこれからなのにこんな状況では、先が思いやられます。

1人1人の学生は、先生には、例えば自分の書類を作るぐらいの時間はあるだろうと思っているでしょう。実際、本当に1人の書類だけならそれを作る時間は捻出できます。しかし、ちりも積もれば山となるとはよく言ったもので、そういうのが集まると、めまいがするほどの仕事量になります。でも、これを確実に処理していかないと、学生が進学できなくなったり学校全体の仕事が滞ったりしてしまいます。

そんな中、金曜日のレベル1の授業は貴重な息抜きです。いや、授業を息抜きだなどと称してはいけないのですが、学生の力の伸びを肌で感じられるのは何と言ってもレベル1であり、それが快感につながるのです。学生のほうも授業前まではできなかったことが授業後にはできるようになったと実感できるので、その喜びを味わおうと授業に集中するのです。こちらも、今勉強している文法や言葉はこんなところにまで使われているんだよ、これがわかればこんなこともできようになるんだよということを伝え、学生の顔に達成感が浮かぶのを見ると、力が湧いてきます。

しかし、学生たちから得た力を説教に費やすことほどむなしく、同時に力を与えてくれた学生たちに申し訳なく思うことはありません。幸いにも今週はそういうことはありませんでしたが、これからどうなるかまだまだ予断を許しません。無事平穏を祈るばかりです。

逝く

9月1日(土)

今週一番ショックだったニュースは、やっぱりさくらももこさんが亡くなっていたことがわかったというニュースです。サザエさん同様、ちびまるこちゃんも作者が亡くなってもアニメ放送自体は続くでしょうが、どこからともなく寂しさが湧き上がってきます。

さくらももこさんは私より少し若いですが、だいたい同じ世代と言えます。それゆえ、ちびまるこちゃんの1つ1つの場面やエピソードには、非常に強い共感を覚えます。そういう、懐かしさを共有できる人が亡くなったこと、子どものころの思い出を掘り起こしてその中に浸らせてくれる人がいなくなってしまったことが、寂しさの源だと思います。

サザエさんもドラえもんもクレヨンしんちゃんもかつての日本の家族や暮らしを描いていますが、私の世代にドンピシャリなのは、やはりちびまるこちゃんです。舞台設定が、1970年代の清水という、大都会でもド田舎でもない、ほどほどに田舎で人の温かみがあって子どもが街と自然の境目ぐらいで遊んでいてという、私が子供のころに過ごした環境に近いのです。上述のようにちびまるこちゃんは不滅でしょうが、なんだかちびまるこちゃんにも永遠に会えなくなり、郷愁を覚える街も一緒に消え去ってしまったような気がしてなりません。

日本のアニメにあこがれて来日する学生も多いですが、物心ついたのは21世紀という彼らにとっての“さくらももこ”はいったい誰でしょう。彼らが私の年代くらいになったときに子どものころの香りを呼び起こされる作品って何でしょう。そんなことを考えた一週間でした。

歩き心地

8月27日(月)

8月19日(日)14:34、室戸岬近くのバス停にバスが着くはずの時刻ですが、まだ来ていません。田舎のバスは、乗降のない停留所が多いので、終点にちょうど定刻に着くように、途中の停留所へはやや遅れ気味で来ることがよくありますから、数分の遅延は気になりません。14:44、10分経ちましたが、まだ来ません。バス会社に連絡しようかと思いましたが、停留所の時刻表には連絡先が書いてありません。終点で11分の接続で電車に乗る予定ですから、穏やかではいられません。14:50、16分遅れでバスが来ました。私が乗るや否や、バスは猛スピードで走り出しました。国道55号線の、追い越し禁止となっているようなS字カーブも攻めまくって、信号のないことをいいことに直線では思い切り踏み込み、とろとろ走っている軽自動車を追い抜き、見る見る遅れを回復し、駅前には4分遅れで到着。30分強の乗車時間で12分も稼いだのです。

…これが、この夏休み最大のビックリでした。先週はずっと四国にいましたが、室戸の翌日に高松へ移動したため、台風19号20号の影響もほとんどありませんでした。讃岐山脈の偉大さに感心させられました。徳島県では元気だった雨雲も、讃岐山脈にぶち当たると消えてしまうのです。先週は、四国は雨がよく降ったのですが、香川県だけは台風が通過した23日深夜だけでした。だから、最大のビックリがバスの遅延回復だったのです。

室戸岬のほかに、四国八十八か所の結願の寺・大窪寺、讃岐平野の真ん中に盛り上がる讃岐富士こと飯野山と、少々マニアックなところを狙いました。それぞれ、1日に30キロ以上歩きました。それぞれ、山の頂上から下界を見下ろすところがあり、大汗をかいて息を切らせながら苦しい思いをして登ったけれども、この景色が見られるなら苦しんだ甲斐があったと心の底から思いました。

四国は、歩き遍路の伝統があるからでしょうか、歩行者に優しいと思います。横断歩道のところで立っていると、車が止まってくれる確率が本州九州北海道より高いように思います。また、「へんろ道」とかかれた赤い矢印が電柱やガードレールなどに貼られていて、陰から導いてくれます。四国の主だった観光地はほとんど見てしまいましたが、なぜかまた行きたくなるのは、こんなことがあるからなのでしょう。

整理整頓

8月14日(火)

中間テスト。定期テストの日は、いつもとは違うクラスの試験監督をしますから、いつもとは違う教室のパソコンを使います。こういうときに私がすることは、デスクトップの整理です。私は、デスクトップ上にいろいろなアイコンが散らばっていると、気持ち悪くてなりません。自分が入るクラスの教室のパソコンは、週に1~2回チェックしますからデスクトップが満天の星状態になることはありません。しかし、中間テストや期末テストで入るクラスは、そうはいきません。好き勝手なところにショートカットやパワーポイントや動画や音声やワードなどが置かれ、このクラスの先生方はこれで平気なのだろうかと思わずにはいられません。

デスクトップにアイコンがたくさんあると、どれが本当に必要なものかわからなくなると思います。職員室の私のパソコンは、一目で把握できる程度の数のものしかデスクトップに置いてありません。画面左端から3行以内と自己規制しています。それよりも多くなったら、あまり使わないのをどこかにしまいます。たまに早々としまいすぎて、引っ張り出すのに時間を食ったり、またデスクトップに戻したりということもありますが、長期間の平均を取れば、片付けてしまったほうが効率的だと信じています。

じゃあ、ほかは何でも片付いているのかというと、決してそんなことはありません。パソコンの中の仮想的な机の上ではなく、リアルな机の上は書類が積み上がり、パソコンのモニターの横にはファイルが立ち並んでいます。こういうものを思い切って処分できたら気分がいいのでしょうが、なかなかそうもいかないところが辛いところです。

中間テストが終わり、採点すべき答案用紙や原稿用紙が、積み上がってしまいました。

正しい恐れ

8月9日(木)

台風13号は、東京地方には大きな被害を与えることなく、日本のはるか東へと遠ざかろうとしています。昨日のニュースや天気予報では、関東地方を直撃し、大変なことになるかもしれないと言っていました。KCPでも、午前中は休講にしようか、始業を1時間遅らせようかなどとうい話も出ました。でも、私は、各方面からの情報を見て、そこまでする必要はないだろうと判断し、授業は通常通りと決定しました。

今朝、私が家を出る時間でも雨風は収まっており、学生が登校する頃には無風に近く、蒸し暑くなってきました。私の天気予報はよく当たると言われます。それはKCP付近のピンポイントだからであり、関東地方、東京都区部などという広域の予報ではないからです。予報範囲が広がれば、ことに台風など災害が絡んでくる場合は、その範囲内の最悪のケースを予測して予報を発表します。報道機関はその最悪の数値をもとに警戒を呼びかけます。ですから、「それほどでもなかった」と思われることも多いです。

私は、KCP付近だけを考えればよく、銚子は強風、秩父は大雨かもしれないけど、新宿はそれほどでもないと考えたら、「大したことない」と言い切れてしまうのです。それゆえ、当たるように見えるわけです。気象庁などは見逃しを避けるために大げさな発表をし、私は空振りを極力排除するためにぎりぎりまで強気の予報をします。単にどうにかなると思い込むのではなく、上手に高をくくっているのです。適正範囲の恐れを抱くと言ってもいいです。

私の通勤鞄には、いつも折り畳み傘が入っています。毎日適正範囲の恐れを見積もるのが面倒くさく、常に雨に降られるという最悪を想定し、折りたたみを入れっぱなしにしているのです。偉そうなことを言いましたが、実はこんな程度なのです。

神様が冷や汗

7月20日(金)

午前中の養成講座の授業には、昨日私の授業を見学したIさんがいました。他の受講生もいる前で感想を述べてくれたのですが、神様でも見てきたかのような口っぷりでした。もちろん私は神様でも何でもなく、どう考えても4か所は失敗しているのですが、それには気づかなかったようです。また、こういうところにも気を使って教えるんだよという見本をわざと織り込んだのですが、そこも気がついたかどうか…。

初めての授業見学ですから、見るポイントがわからなかったのだと思います。もちろん、事前に何か見学の際のアドバイスは受けていたと思いますが、想像を絶する授業内容だったのでしょう。旅行に行くとき、インターネットやガイドブックなどで下調べをするものの、実際に現地に足を踏み入れると、そういった予習など木っ端微塵に吹っ飛んでしまうほどの迫力に圧倒されてしまうことがあります。そんなのと同じだったのかもしれません。

理論だけではなく、授業の進め方そのものを勉強してからだと、また目の付け所が違ってきて、初めてのときには見逃してしまった点が見えてくるでしょう。その時に昨日の授業見学を思い出してもらえると、なるほどこういう意味でああいうことをしていたのかとか、失敗したというのはあそこのことかもしれないとか、感じられるかもしれません。

そして、午後は一番下のレベルの授業。予定外のことがあれこれ持ち上がり、ほとんど何も準備せずに教室に入りました。この授業を見学されていたら…と冷や汗をかきながらの授業でした。