Category Archives: 自分自身

歩き心地

8月27日(月)

8月19日(日)14:34、室戸岬近くのバス停にバスが着くはずの時刻ですが、まだ来ていません。田舎のバスは、乗降のない停留所が多いので、終点にちょうど定刻に着くように、途中の停留所へはやや遅れ気味で来ることがよくありますから、数分の遅延は気になりません。14:44、10分経ちましたが、まだ来ません。バス会社に連絡しようかと思いましたが、停留所の時刻表には連絡先が書いてありません。終点で11分の接続で電車に乗る予定ですから、穏やかではいられません。14:50、16分遅れでバスが来ました。私が乗るや否や、バスは猛スピードで走り出しました。国道55号線の、追い越し禁止となっているようなS字カーブも攻めまくって、信号のないことをいいことに直線では思い切り踏み込み、とろとろ走っている軽自動車を追い抜き、見る見る遅れを回復し、駅前には4分遅れで到着。30分強の乗車時間で12分も稼いだのです。

…これが、この夏休み最大のビックリでした。先週はずっと四国にいましたが、室戸の翌日に高松へ移動したため、台風19号20号の影響もほとんどありませんでした。讃岐山脈の偉大さに感心させられました。徳島県では元気だった雨雲も、讃岐山脈にぶち当たると消えてしまうのです。先週は、四国は雨がよく降ったのですが、香川県だけは台風が通過した23日深夜だけでした。だから、最大のビックリがバスの遅延回復だったのです。

室戸岬のほかに、四国八十八か所の結願の寺・大窪寺、讃岐平野の真ん中に盛り上がる讃岐富士こと飯野山と、少々マニアックなところを狙いました。それぞれ、1日に30キロ以上歩きました。それぞれ、山の頂上から下界を見下ろすところがあり、大汗をかいて息を切らせながら苦しい思いをして登ったけれども、この景色が見られるなら苦しんだ甲斐があったと心の底から思いました。

四国は、歩き遍路の伝統があるからでしょうか、歩行者に優しいと思います。横断歩道のところで立っていると、車が止まってくれる確率が本州九州北海道より高いように思います。また、「へんろ道」とかかれた赤い矢印が電柱やガードレールなどに貼られていて、陰から導いてくれます。四国の主だった観光地はほとんど見てしまいましたが、なぜかまた行きたくなるのは、こんなことがあるからなのでしょう。

整理整頓

8月14日(火)

中間テスト。定期テストの日は、いつもとは違うクラスの試験監督をしますから、いつもとは違う教室のパソコンを使います。こういうときに私がすることは、デスクトップの整理です。私は、デスクトップ上にいろいろなアイコンが散らばっていると、気持ち悪くてなりません。自分が入るクラスの教室のパソコンは、週に1~2回チェックしますからデスクトップが満天の星状態になることはありません。しかし、中間テストや期末テストで入るクラスは、そうはいきません。好き勝手なところにショートカットやパワーポイントや動画や音声やワードなどが置かれ、このクラスの先生方はこれで平気なのだろうかと思わずにはいられません。

デスクトップにアイコンがたくさんあると、どれが本当に必要なものかわからなくなると思います。職員室の私のパソコンは、一目で把握できる程度の数のものしかデスクトップに置いてありません。画面左端から3行以内と自己規制しています。それよりも多くなったら、あまり使わないのをどこかにしまいます。たまに早々としまいすぎて、引っ張り出すのに時間を食ったり、またデスクトップに戻したりということもありますが、長期間の平均を取れば、片付けてしまったほうが効率的だと信じています。

じゃあ、ほかは何でも片付いているのかというと、決してそんなことはありません。パソコンの中の仮想的な机の上ではなく、リアルな机の上は書類が積み上がり、パソコンのモニターの横にはファイルが立ち並んでいます。こういうものを思い切って処分できたら気分がいいのでしょうが、なかなかそうもいかないところが辛いところです。

中間テストが終わり、採点すべき答案用紙や原稿用紙が、積み上がってしまいました。

正しい恐れ

8月9日(木)

台風13号は、東京地方には大きな被害を与えることなく、日本のはるか東へと遠ざかろうとしています。昨日のニュースや天気予報では、関東地方を直撃し、大変なことになるかもしれないと言っていました。KCPでも、午前中は休講にしようか、始業を1時間遅らせようかなどとうい話も出ました。でも、私は、各方面からの情報を見て、そこまでする必要はないだろうと判断し、授業は通常通りと決定しました。

今朝、私が家を出る時間でも雨風は収まっており、学生が登校する頃には無風に近く、蒸し暑くなってきました。私の天気予報はよく当たると言われます。それはKCP付近のピンポイントだからであり、関東地方、東京都区部などという広域の予報ではないからです。予報範囲が広がれば、ことに台風など災害が絡んでくる場合は、その範囲内の最悪のケースを予測して予報を発表します。報道機関はその最悪の数値をもとに警戒を呼びかけます。ですから、「それほどでもなかった」と思われることも多いです。

私は、KCP付近だけを考えればよく、銚子は強風、秩父は大雨かもしれないけど、新宿はそれほどでもないと考えたら、「大したことない」と言い切れてしまうのです。それゆえ、当たるように見えるわけです。気象庁などは見逃しを避けるために大げさな発表をし、私は空振りを極力排除するためにぎりぎりまで強気の予報をします。単にどうにかなると思い込むのではなく、上手に高をくくっているのです。適正範囲の恐れを抱くと言ってもいいです。

私の通勤鞄には、いつも折り畳み傘が入っています。毎日適正範囲の恐れを見積もるのが面倒くさく、常に雨に降られるという最悪を想定し、折りたたみを入れっぱなしにしているのです。偉そうなことを言いましたが、実はこんな程度なのです。

神様が冷や汗

7月20日(金)

午前中の養成講座の授業には、昨日私の授業を見学したIさんがいました。他の受講生もいる前で感想を述べてくれたのですが、神様でも見てきたかのような口っぷりでした。もちろん私は神様でも何でもなく、どう考えても4か所は失敗しているのですが、それには気づかなかったようです。また、こういうところにも気を使って教えるんだよという見本をわざと織り込んだのですが、そこも気がついたかどうか…。

初めての授業見学ですから、見るポイントがわからなかったのだと思います。もちろん、事前に何か見学の際のアドバイスは受けていたと思いますが、想像を絶する授業内容だったのでしょう。旅行に行くとき、インターネットやガイドブックなどで下調べをするものの、実際に現地に足を踏み入れると、そういった予習など木っ端微塵に吹っ飛んでしまうほどの迫力に圧倒されてしまうことがあります。そんなのと同じだったのかもしれません。

理論だけではなく、授業の進め方そのものを勉強してからだと、また目の付け所が違ってきて、初めてのときには見逃してしまった点が見えてくるでしょう。その時に昨日の授業見学を思い出してもらえると、なるほどこういう意味でああいうことをしていたのかとか、失敗したというのはあそこのことかもしれないとか、感じられるかもしれません。

そして、午後は一番下のレベルの授業。予定外のことがあれこれ持ち上がり、ほとんど何も準備せずに教室に入りました。この授業を見学されていたら…と冷や汗をかきながらの授業でした。

声が若い

7月14日(土)

「はい…」「N先生のお宅でしょうか」「はい、いつもお世話になっております」「こちらこそお世話になっております。KCPの金原と申しますが、先生はご在宅でしょうか」「はい、少々お待ちくださいませ」…という電話のやり取りをした翌日、N先生から「家内が金原先生ってずいぶん声がお若いって言うんですよ」と言われました。自分では、最近声がかすれることもあり、年相応の声じゃないかと思っています。

N先生の奥様以外の方が聞いても声が若いとしたら、それは、ひとえに、毎日教室で発声特訓をしている(させられている?)からにほかなりません。20人を向こうに回して3時間クラスを仕切りまくるとなると、ただ単に大きな声を出せばいいというわけではありません。よく通る声、響く声を出さなければなりません。意識しなくてもそういう声が自然に湧いてくるくらいでなければ、日本語学校の教師は務まりませんね。

午前中、受験講座のEJU読解を担当しました。通常クラスよりも若干多めの学生を若干広めの教室に入れて、試験問題の解説をしました。その後、今年の大学入試の傾向などについて話しました。無意識のうちにいつもよりも声を張っていて、でもまだ出力に余裕がある自分に気が付き、だからやっぱり本当に声が若いのかなあなんて、うなずいている学生を見渡しながら、そんなことを考えていました。

私は普段はそもそもあまりしゃべらないし、しゃべっても大きな声は出しません。携帯電話の声も必要最小限です。だから、もし、この仕事をしていなかったら、元気なくぼそぼそとしゃべるおじいさんだったかもしれません。

火曜日から受験講座の理科が始まり、のど全開の日々が続きます。明日とあさってはぼそぼそと省エネで過ごしましょう。

厳しい目

7月6日(金)

「ここに名前を書いてください」と「ここで名前を書いてください」の意味の違いは、日本人なら全く問題なくわかるでしょう。でも、これを英語に訳したらどうなるでしょう。どちらも、私の英語力では、“Please write your name here”なってしまいます。ですから、「に」の意味にしたかったら申込用紙か何かの名前を書く欄を指差し、「で」なら筆記台の上に用紙を置いて、相手をその前に案内するでしょう。つまり、文字以外の身体動作によって訳し分けることになると思います。

学期休み中ですが、養成講座の授業は行われています。私の担当は文法で、毎回このような屁理屈をこねくり回しています。当たり前すぎて私たちが全く注意を払わないことばの使い方や文構造に目を向け、それをどう説明すればいいかを考えるのは、私にとっては無上の喜びです。まあ、今シーズンは少々力が入りすぎ、講義の進度がいくらか遅れ気味なのですが…。

「観客を沸かす」と「お湯を沸かす」の2つの「を」の違いはどうでしょう。日本語では同じ助詞で表現しますが、学習者の母語では別の形式で表すかもしれません。日本語教師になるには、日々使っている日本語を、幽体離脱したような視点から冷静に見つめて分析しておく必要があります。養成講座の受講生の方々には、私の講義を通してそういう目を養ってもらいたいと思っています。

幽体離脱といえば、オウム真理教の松本死刑囚ほか6名の死刑が執行されました。あぐらをかいた麻原彰晃が空中に浮かんでいる写真を思い出しました。国は、平成の悪夢を平成のうちに決着をつけようとしたのでしょうか。

違う頭

6月2日(土)

来週は養成講座の講義があるので、そこで使う資料の点検をしました。今までに何回か使ってきた資料ですが、読み返すたびにちょこちょこ手を入れたくなります。もう少し正確に言うと、しばらく動かしていなかった頭の部分に血を通わせながら資料に目を通すと、あれこれ疑問点が浮かび上がってくるのです。新鮮な目で見ると、前回まで使ったときには気づかなかったあらが見えてくるのです。

こういう説明やデータが足りないんじゃないかとか、これは回りくどい表現だとか、半年ぐらい前にその資料を作った自分自身に突っ込みを入れつつ作業を進めます。これは決して面倒くさい、できれば避けたい仕事ではなく、修正のために調べ物をすることは、心地よい脳みその体操です。

私の場合、日本語のほかに理科も教えています。午前中が日本語で、午後から理科というパターンもしょっちゅうです。そのたびに、脳の切り替えというか、頭を作り上げていく感じがします。日本語を教えているときは大脳の言語野が活性化されていて、理科のときは別の部分が働いているのでしょう。養成講座の講義では、これらとはまた違う部位を活動させているようにも感じます。一度、脳の血流を測る装置でも装着して授業をしてみたいです。

さらに私は、学校を一歩出たら読書人になります。朝の電車の中か昼の食事のときかに読んだストーリーを思い出し、電車に乗るや否やそこに没入します。頭のいろいろなところを使うとボケないとかいわれていますが、私の場合はどうなのでしょう。このごろ忘れっぽくなったり根気が続かなくなったりしています。マルチタスクでそういう劣化を何とか押さえ込みたいです。

マニアの旅行

5月7日(月)

連休は、今年も関西へ。10年以上も毎年通っていると、姫路城や東大寺など有名なところは行き尽くし、だんだんマニアックになってきます。

今年は武庫川沿いのハイキングをしました。と言っても、河原の石ころ道を歩いたわけではありません。国鉄(JRではありません)福知山線の廃線跡を歩いてきました。レールだけがはがされた枕木が並んでいるところもあったのですが、これが意外と歩きにくいんですね。私の歩幅は枕木の間隔の1.5倍ほどで、枕木の上に足を置こうとすると歩くリズムが崩れ、歩幅を優先すると足元が枕木の上になったり線路の砂利に取られそうになったりと安定しません。また、トンネル内には照明がまったくなく、家から持ってきた懐中電灯が唯一の明かりとなります。蒸気機関車時代から使われていたため、トンネルの入口のレンガや内壁には黒いすすがこびりついています。川筋に忠実な羊腸の線路を、煙を吐きながらあえぎあえぎ進んでいく機関車と客車が目の浮かびました。

景色は、お天気にも恵まれたこともあり、渓谷美や新緑が目に鮮やかでした。尼崎や西宮あたりの平地をどよーんと流れるのとはわけが違います。昔は車窓からこの絶景が拝めたのでしょうが、今のJR宝塚線(「福知山線」とも呼ばなくなりました)は新幹線並みにトンネルで山を直線的に貫き、車窓の楽しみは失われました。

私は上流から下流に向かって歩きましたから、廃線跡の出口は宝塚の市街地の末端でした。突然交通量の多い国道に放り出され、前後左右はこじゃれた住宅地。自然に溶け込み、時間をさかのぼり、身も心も透明になりかけたところで、急に現実に引き戻されました。

そのほか、南朝の余韻に耳を澄ませてみたり、長岡京の栄華に思いを馳せたりしました。長岡京については、来年以降集中的に見学していこうと思いました。そういう、魅力的な話も聞けた連休でした。

さて、連休明け。Kさんはゆうべ飲み過ぎて二日酔い、Lさんはまだ連休だと思っていたとかで大遅刻でしたが、大学の卒業式に出るために一時帰国しているHさんを除いて全員来ました。今週金曜日は運動会。競技のルールの説明をしたら、学生たちも少しずつその気になってきました。

長い休み

5月1日(火)

学校の近くにあるH医院は、4月29日から5月9日まで休診です。日曜祝日と水曜日が休診日ですから、今週は火曜日だけ病院を開けてもしょうがないと思ったのでしょう。でも、来週の月曜日と火曜日はどうなのでしょう。勢いで休んじゃったのかなあ。それにしても11連休とは豪勢ですね。

来年の5月1日は、新天皇の即位日であり新元号の初日です。この日が正式に祝日となれば、祝日と祝日に挟まれた平日は休日とするという特例により、4月27日から5月6日までの10連休が実現します。そうなれば、私も遠出を考えたくなります。海外はパスポートも切れちゃってるし、飛行機代なども跳ね上がるでしょうから、とりあえず置いときます。国内も、北海道は高くなりそうですから、やっぱり関西でしょうか。関西は、新幹線との競争がありますから、連休でも航空運賃が比較的安いのです。

関西だとすると、宿も早く押さえなきゃ。私が関西の定宿としているホテルは、ここ2~3年、競争率が高くなっていますから、毎日ホームページを見て予約が始まったらすぐに取らなければなりません。関西は、行きたいところがまだまだたくさんありますから、宿さえ確保しておけば、行ってから退屈することはありません。私の場合、日本全国各地に、行きたいところ、見たいものがありますから、足と宿を確保しさえすれば10日ぐらいどうにでも過ごせます。

気が早いかもしれませんが、なんたって夏休みよりも長い連休になるんですよ。東京でボーっとしてるわけにはいかないじゃありませんか。まあ、休みにあれこれ予定を盛り込んで疲れ果ててしまうというのは、貧乏性の最たるものという考えもありますが…。

来年は、H医院は何日休みつもりでしょう。

花より日本語

4月27日(金)

実は、昨日は歯医者へ行くため早退しました。月曜の午後ぐらいから下の前歯の根元がうずきだし、歯に力が入らず、前歯でうまくかめなくなってしまいました。それでも火曜の朝まではどうにか普通の食事をしたのですが、昼食は何も取れなくなり、今通っている歯医者に電話を掛けました。私の症状を聞いた歯医者は、歯根に膿がたまっているのだろうと診断ました。しかし、予約はすぐに取れず、翌々日木曜の夕方となってしまいました。

膿を注射できゅーっと吸い出すくらいのことをしてほしかったのですが、歯医者は、歯も磨けずうがいでごまかしていた私の歯を見て、歯が汚れていたら雑菌が入って歯茎が膿みやすいとか言って、プラーク除去をし、これ以上ひどくならないようにと抗生物質を出しただけでした。

火曜水曜はおかゆしか食べられなかったのですが、ゆうべから今朝にかけては比較的調子がよかったので、普通の食事をしました。しかし、朝9時過ぎぐらいから、昨日までとは違う種類の痛みが波状攻撃を掛けてきました。午後から初級の授業なのに困ったなあと思いながら、眉間にしわを寄せつつ仕事をました。

一番下のレベルのクラスで授業を始めると、むしろいつもより大きな声が出ました。しかし、後半から御苑へ行くというのが本日のメインディッシュで、御苑へ行く時間になるとまた波状攻撃が始まりました。不機嫌そうな顔をしないようにとはしましたが、無口にはなってしまいました。

ところが、一番下のレベルはみんな日本語がわからず、みんなが力を合わせて楽しまなければ、置いていかれないようにしなければという気持ちが強いようで、無口な私は学生たちの自助精神に助けられました。教室内では全然活躍しない学生が生き生きとクラスの集合写真を撮ってくれました。御苑は花のシーズンの谷間で緑ばかりが目立っていましたが、学生たちは片言の日本語を使うことに燃えていて、花より団子ならぬ花より日本語でした。