Category Archives: 自分自身

新しい勉強

4月9日(木)

オンラインの受験校を続けていますが、学生の反応が見えないのが心細いです。対面授業だと、顔つきとかノートの取り方とか練習問題の解き具合など多面的に学生を観察して、どの程度わかっているか判断できます。これがオンラインになると、パソコンの画面上に出たわずかな顔しか情報がありませんから、自分の授業の手ごたえがつかみにくいのです。どこがわからないのか、何につまずいているのか、そういうのを知る手掛かりが乏しい感じがします。

受験講座の場合、最終目標がEJUでいかに高得点を取るかですから、練習問題の出来具合が気になります。単に答えが合っていればそれでいいというものではなく、解いている最中の学生の様子も理解度を測るヒントになります。また、答えの解説の時にどこでいちばん真剣になったかなんていうのも見逃しません。もちろん、学生の表情を見て解説にメリハリをつけます。それから、お節介を焼きにくいですね、面と向かっていないと。余計なお世話かもしれないけど、君はきっとここが理解できていないんだろうからここを復習しましょうっていうのが、私の授業の進め方です。そういうのが非常にしにくいのが、オンラインの限界のような気がします。

そうじゃなくて、私の発想が旧態依然としているから、このように感じるのでしょうね。どうにかこの壁を打ち破らないと、学生たちに質の高いオンライン授業が提供できそうにありません。授業への取り組みをガラッと変えて、オンラインならではの進め方を模索する必要があります。

いい勉強のきっかけになったと思うべきなのでしょうが、こういう形で勉強するのはしんどいです。

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新人

4月7日(火)

新しい事務職員が入りました。Kさんがほぼ付きっ切りで仕事を教えています。大学を卒業したばかりだそうですから、KCPの学生と年齢は変わりません。先週から始まった日本語教師養成講座の受講生の中にも同じ年頃の方がいます。私から見ると、子ども未満、孫以上の年齢です。

私が新入社員だったのは、今から35年前です。事務系、技術系の新入社員200名ほどが合宿形式で新入社員教育を受けました。周りのみんながライバルでしたが、同時にお互い支え合う仲間意識も芽生えていきました。背伸びしたり素直に尊敬したり、手を差し伸べたり背中を押してもらったり、こいつとは生涯付き合おうと思ったりこいつの顔はこの教育が終わったら二度と見たくないと思ったり、今思うと、それが切磋琢磨だったのでしょうか。

そういう観点からすると、1人だけというのは、気楽なのかな、心細いのかな。KCPのような小さな組織は、OJTにならざるをえず、新人でもどんどん仕事が回されてくることでしょう。泥臭い仕事ばかりで、夢と現実のギャップを感じることだってあるかもしれません。そんな時は、短期的な目でお先真っ暗だと思うのではなく、長期的なビジョンを頭に描いて自分なりに前進していってもらいたいです。自分のすぐそばには同期がいないかもしれませんが、今はSNSでも何でも、以前の友達とつながる手段はいくらでもあります。

さて、緊急事態宣言が出されました。諸外国ほどの強制力はないものの、指定された地域の住民に与える精神的プレッシャーはかなりのものでしょう。そんな日に社会人の第一歩を踏み出したということは、きっと一生忘れないでしょう。

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小心者の授業

4月6日(月)

先週から日本語教師養成講座を、オンラインでやっています。私が担当する文法は、演習とは違って講義ですから、パソコンのカメラに向かって一方的にしゃべるだけでもいいのです。Youtubeなどで公開されている予備校や塾の授業を見ると、多少は視聴している学習者に気を使っているように見えますが、基本は講師が一方的に解説しています。

確かにそうなのですが、オンライン授業に慣れていないせいか、受講生の理解度が気になってしかたがありません。ですから、ときどき指名したり質問ありませんかと聞いてみたりしていますが、どうも調子が出ません。聞き手を目の前にして、顔色やノートの取り方などを見ながら出ないと、やりにくくてたまりません。教材も対面授業を前提にして作ってありますから、空欄にこちらの意図したことをきちんと書き込んでくれたか、板書しなかったこともメモを取ってくれたか、そんなことが気になるのですが、確かめられないので心配になります。

そんなわけで、一方的にしゃべればいいだけのはずなのですが、思ったほど授業が進みません。わかっているかどうか手ごたえがないので、次に進むのに躊躇している面があります。こういう自分と比べると、Youtubeの先生方は大したものだと感心してしまいます。卒業式の直前は超級クラスの学生何十人もに対して行いましたが、それに比べれば養成講座の受講生は全員の顔を画面に映し出せるほどですから、楽なはずです。それでも心配が絶えないというのは、私が小心者だからでしょう。

今回は全く予期せぬ形でオンライン授業を始めねばならなくなりましたが、今後はこういう形の授業をいつでも行えるような対応が求められます。養成講座に限らず、私が持っている教材を少しずつ見直していあなければなりません。

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よく話す仕事

3月18日(水)

卒業生が証書を受け取りに大勢来ました。もしかすると、昨日・おとといよりも多かったかもしれません。私はその一人一人に証書を読み上げて手渡しています。これまで全然接点がなかった学生、名前だけ、顔だけしか知らない学生、だいぶ前に説教した学生、初級で教えたきりの学生、選択授業で週に90分だけ教えた学生、受験講座でさんざん面倒を見た学生、もちろん、今学期の私のクラスの学生、こんなにまで色とりどりの学生がいたのかと、改めて感心してしまいます。

直接教えた学生には、「よくやった」と声をかけてやりたくなります。ことに遠隔地に赴くことになっているとなると、「しっかりやれよ」と激励もしたくなります。でも証書を渡す時は学校組織の機能の一部ですから、ごく普通に「おめでとうございます」と声をかけるだけです。渡した後で時間があれば、機能ではなく人間として接します。称賛も激励もします。

今までに“濃厚接触”した学生の中には、衝突を繰り返してきた学生もいます。こいつにだけは証書を渡したくないと思った学生もいますが、いざそういう学生が目の前に立つと、衝突したことも美しい思い出に昇華されてしまいます。「恩讐の彼方に」などと言ったら大げさすぎますが、共同作業をしてきたような錯覚にすらとらわれます。こういうのは、かえって学生のほうがドライなのかもしれませんね。

週末、マッサージに行きました。足裏と背中をもんでもらって最後の最後に、「お客さん、よく話す仕事をなさっていませんか」と言われました。背中がコチコチだとか、骨盤がゆがんでいるとか、目に疲れがたまっているとか、足が若いとか、数々の言われ方をしてきましたが、足と背中だけで仕事について言われたのは初めてです。しかも、「よく話す仕事」というのも、あながちはずれではありません。

その後3日間、授業こそしていませんが、100名からの証書をフルセンテンス読み上げてきました。今晩帰りに寄ったら、足の小指に触れただけで「昼間、よくしゃべりませんでしたか」とかって聞かれそうです。

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呼びかけられる

3月4日(水)

学校の外を歩いていたら、「校長先生」と呼びかけられました。学生は学校へ来ていないはずだけど、手続きか何かあったのかなと思って振り返ると、ゴーグルにマスクで顔を覆った白髪の方が立っていました。ゴーグルの中の目は明らかに私を見ていますが、はて、この方はいったい誰でしょう?

と考え込んでいたら、「先生、今、お昼ですか」とさらに聞かれました。その声を聞いて、「あ、Hさんだ」とわかりました。Hさんは先週まで毎朝職員室のお掃除をしてくださっていました。お掃除のときはゴーグルもマスクも付けていませんでしたから、一瞬誰だかわかりませんでした。朝は人が少ないから目も鼻も口も出していても平気だけど、人が多い時間帯に街なかを歩くときは用心しているとのことでした。

オンライン授業になってからは、職員室に出入りする人数がぐっと減りましたから、朝のお掃除はお休みになっています。おしゃべり好きのHさんとの世間話の時間がなくなってしまいました。Hさんは世間話の話題を見つけるのがとても上手で、定番のお天気から町内会の様子、花園小学校や新宿御苑など付近の公的機関の動き、安倍さんの話やご自身の身の回りのことなど、ありとあらゆることを取り上げます。地元出身の区議会議員さんも〇〇君ですからね。子供の頃を知っていたらそう呼びたくなりますよね。

このネットワークの広さ緻密さや話の面白さは、私なんか見習いたくても到底無理でしょう。誰に対しても気さくに話しかけられるからこそHさんに情報が集まり、その情報を有効活用することで中心人物になり得るのです。私は、せめてそういう方と知り合いになることで、自分にとって有意義な情報を得ていくことにしましょう。

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初授業

3月2日(月)

朝から何となく落ち着きませんでした。オンライン授業というものを初めて担当することになったからです。若い先生方は、すでにそういう訓練をしてきたようで、金曜日から結構余裕でこなしているようでした。でも、こちらは頭で理解していただけで、実際に自分がその主役となって送信した経験はありませんでしたから、朝からトラブル続きでした。昨今のような事態を想定していなかったのは、危機管理がなっていなかった証拠だと言われれば、返す言葉もありません。

やってみて感じたことは、私は目の前の学生に頼って授業をしてきたのだなということです。たとえ反応の薄い学生たちであっても、目の前にいればいじることができますが、オンラインとなると独り相撲を取っているような気がしてなりません。学生たちがわかっているのかいないのか、どの程度興味を持っているのか、そんなことがつかみづらいなあと思いながら授業を進めました。

それと、脱線がしにくいですね。初級では、脱線してあらぬ方向に授業が進んでしまったら、学生たちのためになりません。しかし、上級では、学生の興味に合わせて予想外の展開になったとしても、それもまた勉強になるものです。というか、私なんかは、むしろ、それを楽しみにすらしていました。それができないとなると、授業が上滑りしているようで、不安さえ感じました。

でも、語学学校は生で顔を合わせて質問に答えたり一緒に声を出したりしなきゃね。キーボードを介して教師とやり取りしても、効果のほどは知れたもののような気がするのですが…。そう考えるのは、私の頭が古いからなのでしょう。次の授業日に向けて、教材を準備しなければ。

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歯が痛くなりそう

2月10日(月)

昨日は歯医者に行ってきました。いろいろな事情で、日曜日に診てもらえるというのもその1つですが、学校の近くでもうちの近くでもなく、うちから電車で通っています。その歯医者、腕もいいし虫歯予防にも力を入れてくれますから気に入っているのですが、事務員や歯科衛生士の言葉遣いがよくありません。言葉が乱暴だというのではありません。そこの先生(歯科医師)に尊敬語を使うのです。日本語教師としては、日本語教師養成講座の講師としては、見逃すわけにはいかない敬語の使い方の間違いです。

昨日は、歯科衛生士による歯周病検査の次に、歯科医師による治療が予定されていました。歯周病検査が終わると、歯科衛生士が「先生がいらっしゃるお部屋にご案内いたします」ときました。「はい」と笑みを浮かべながら歯科衛生士の後をついていきましたが、「“先生がいらっしゃる”だと? ふざけるんじゃねえ!」と思っていました。

いつもこんな調子です。予約を取るときにも、「先生のご都合をご確認します」です。言っている本人に悪気はないでしょうし、言わんとしていることも伝わりますから、表面的にはスルーしています。でも、私の語感では許しがたい使い方ですね。患者である私が、「先生のいらっしゃるお部屋はどちらですか」「先生のご都合を確認していただけませんか」などと聞くのは問題ありませんが、歯医者の事務員や歯科衛生士が、自分サイドの人間である歯科医師に対して「先生」とか「いらっしゃる」とか「ご都合」とかと言ってはいけません。

今学期は敬語を教えるレベルのクラスは担当していませんが、日本語教師養成講座で敬語を扱いました。学校で敬語について触れるたびに、歯医者を思い出します。

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28日を有効に

1月6日(月)

今回のお正月休みは、12月28日から始まりました。この“28日”というのが大きいのです。多くの博物館は29日から年末年始休館に入るからです。28日にどこを見学するか3つほどアイデアがあったのですが、私が選んだのは根尾谷地震断層観察館でした。

根尾谷断層は、1891年(明治24年)の濃尾地震の際にできました。というか、この断層が生じたエネルギーによってマグニチュード8.0の濃尾地震が引き起こされたというべきでしょう。すでに130年近くたっていますから、断層でできたがけには草が生い茂り、一部は崩されて県道が走っています。しかし、観察館に保存されている地下の地層は、6mの断層の存在を明確に示しています。さすが、「根尾谷断層を研究しない地震学者はもぐりだ」と言われるだけのことはあります。断層トレンチの前にしばらく立ち尽くしました。

…という書き方では、この感激は伝わらないでしょうね。日本語教師の方々なら、そうですねえ、て形が一発で完璧に入ってしまった学習者を教えた時のようなものだと言えば、多少はわかっていただけるでしょうか。“28日”を有効に使うことができたと思いました。

翌日は岐阜城へ。岐阜はよく通るんだけどもじっくり見たことのない町でした。今回は年中無休で営業している岐阜城を目指しました。岐阜城は金華山の頂上にあるので初日の出スポットなのです。

普通は麓からロープウェイで3分ほどですが、2019年最後の大汗をかこうということで、歩いて登りました。私が選んだ登山道は健脚者向けだけあって、険しい道が続き、岩場のようなところまでありました。駅から金華山麓までは厳寒装備でしたが、頂上に着いたときは半袖短パンになりたいくらいでした。

岐阜城の復元天守閣最上層からは、抜けるような青空の下、絶景が拝めました。屏風を立てたような伊吹山、神様がつまんで持ち上げたら本州ごと持ち上がってしまうんじゃないかというような木曽の御嶽山をはじめ、乗鞍岳、恵那山、北アルプス、中央アルプスの山々が見渡せました。もちろん、名古屋の高層ビル群なんか楽勝です。「今年1年のご褒美かな」と思いました。

さて、2020年も年末にこんな感激が味わえるように、仕事に精を出しましょう。

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早いもので

12月25日(水)

来週の水曜日は、もう来年です。早いなあと思います。早いなあと思うということは忙しかったということで、忙しかったということが充実していたとつながればいいのですが、そうならないところが今年の大きな反省点です。毎年同じですから、「今年の」というのはうそかもしれません。

相変わらず、授業をたくさんしました。通常授業では、レベル1は代講で1回かそこら入った程度ですが、レベル2と3はクラスにどっぷり入りました。レベル4、5、6は代講も含めて入った記憶がありませんが、7以上は先学期から今学期にかけてげっぷが出るほどやらせてもらいました。

受験講座・理科も、毎学期フル回転でした。でも、そのおかげで、新しい教材作りが思ったほど進まず、来年に積み残しとなってしまいました。こちらは通常クラスよりもずっと小規模で、学生をじっくり見ることを心がけました。心が通じ合った学生がいた一方で、表面的な付き合いで終わってしまった学生もいました。

養成講座はもともと少人数制をうたっていましたから、一人一人の受講生に合わせて理解度を深める工夫をしてきたつもりです。「つもり」が空回りしていたかもしれませんが。

授業の多さを言い訳に使っては負けですが、それ以外の面での学校に対する貢献があまりできなかったと反省しています。あれこれ手を出して食い散らかすばかりでは意味がありませんが、もう少し形を残したかったなあと思っています。

個人的には、今年は風邪を何回も引いたことに体力の衰えを感じました。食事も仕事時間も休みの過ごし方も、去年までと同じように生活してきたはずですが、風邪をひいたということは抵抗力が落ちたのでしょう。そういう意味で、寂しく感じた1年でした。

まあ、でも、無事に年末を迎えることができたのですから、いい1年だったのでしょう。

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力作

12月17日(火)

今週は木曜日と金曜日が出張のため、金曜日の期末テストの問題を明日中に印刷しておかなければなりません。そのため、先週の土曜日と昨日、必死になって問題を作りました。その問題を、授業後、自分自身で解いてみました。解きにくい問題がちょろちょろありましたねえ。作った本人がよくわからないのですから、いくら超級とはいえ、学生がわかるはずがありません。そういう問題は作り直しです。

今学期の私のクラスは、中間テストが難しすぎて点が取れていませんから、期末テストはある程度点を取らせてあげないといけません。まさか全員不合格というわけにもいきませんし、12月卒業生には花を持たせてあげたいです。休んでばっかりのJさんはともかく、クラスへの貢献度の高いMさんには、修了証書ではなく卒業証書を渡したいです。

そんな余計なことを考えていると、テスト本来の役目である学生の理解度を測るとか教えたことの定着度合いを知るとかいうことがかすんでしまいます。もちろん、超級としての最低限度のレベルも示してやらねばなりません。まあ、こちらの方は、授業中の態度を見ていればそこに達しているかどうかは見当がつきますがね。

Sさんは残念ながら達していない学生の代表格です。「先生、トイレ」と言って教室を出ていくことしばしばです。要するに、緊張が90分間続かないのです。指名しても答えられないし、指示を出してもその通りに動けないし、私がテスト問題に多少手心を加えたところで、点が取れないことは見えています。授業中もスマホがお友達のKさんも同類かな。Kさんはこちらの質問にどうにか答えられますから、少しは望みがありそうです。

明日の朝、修正版をもう一度見て、模範解答を作り、印刷してしまいます。再度修正ということはないと思うんですが…。

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