Category Archives: 自分自身

3回目は率先垂範で

2月10日(木)

昨晩帰宅したら、郵便受けに封書が届いていました。最近はDMすら来ないのにと思いながら見てみると、ワクチン接種のお知らせでした。昨年の7月と8月、どちらもとても暑い日に、2回のワクチン接種を済ませました。3回目の接種券がようやく来たというわけです。

中の案内を読むと、1つには、私は2回目の接種から6か月が経過したので3回目を申し込むことができると書いてあり、別のには、8か月後から接種可能と書いてありました。政府の方針がころころ変わりましたから、現場は混乱しているに違いありません。多くの感染者の対応もしなければなりませんから、通知内容の矛盾に気づかずに発送してしまったのでしょう。同情を禁じえません。

早速接種予約サイトに入りました。ファイザーとモデルナとどちらか選べることになっていましたが、2月、3月はモデルナの枠しか残っていませんでした。昨年は2回ともファイザーでしたから今回もファイザーがよかったのですが、わがままを言っているとだいぶ先になりそうでしたから、モデルナで妥協しました。尾身さんもファイザー、ファイザー、モデルナみたいだしね。

モデルナってあんまりいい噂を聞きませんから、公表されているデータではファイザーと大差なくても、積極的に選ぼうという気にはなれませんでした。でも、尾身さんが注射を打ってもらいながらクロスでも問題ないと言っていた映像を見て、気持ちが多少動きました。率先垂範って、こういうことを言うのでしょうかね。

でも、安倍さんや菅さんや岸田さんが腕まくりしてモデルナと言っても、モデルナで予約したかなあ。率先垂範になる人とならない人と、分析してみたら面白いかもしれませんね。

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資料を作り直しているんですが

2月7日(月)

養成講座の資料を作り直しています。先週末から「んです」に関わる部分に手を付けています。「んです」は、私たち日本人は無意識に使っていますから、日本語教師でもない限り、その存在には気づいていません。私のこの仕事を始める前までは、「んです」という言葉の区切りを全く知りませんでした。

しかし、日本人はこの「んです」を上手に使って、自分の心のひだを相手に伝えたり、相手の気持ちの微細な部分まで理解したりして、コミュニケーションを深めています。小学校に上がる前の子供ですら、「んです」を巧みに使っています。だからこそ、日本人は「んです」に意識を回すことができないのです。

これに対して外国人は、「んです」の機微を知りません。教わってもすぐに理解できる代物ではありません。また、自分が使うとなると、これほど難しいものもありません。使い方を間違えると、コミュニケーションが進むどころか、誤解を与えることにもなりかねません。私たちのような誤用に慣れている者でも、耳にした「んです」に一瞬カチンと来てしまうことが少なからずあるのですから。

正しく使えるようになるには習うより慣れろなのですが、学生にとってはこれが難問なのですね。N1の問題集に取りつかれているような学生は、いつまで経っても「んです」抜きの、不細工な話し方しかできません。逆に、日本人の友達がいるとか、アルバイト先で鍛えられているとかという学生は、漢字の読み書きは全然できないくせに、妙にこなれた話し方をするものです。

さて、ここまでに、かぎかっこでくくった「んです」以外の「んです」及びその活用形はいくつあったでしょう。意識して抑えたので、そんなに多くはありませんよ。

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まだまだ先だけど

2月1日(火)

区のお知らせの中に、3回目のワクチン接種の案内がありました。私の年代は、2回目の接種から7カ月経過したら対象となるとのことですから、もう1か月少々待たなければなりません。そもそも、ワクチン接種のチケットがまだ来ていません。昨年夏の初めての接種の時はわりと簡単に予約が取れましたが、今回もそうあってほしいと願っています。

ただ気になるのは、2回目の接種後、半日間だるくなって何もできなかったことです。副反応の一種でしょうが、3日目の接種ではさらに強い症状が出るのでしょうか。今学期は時間割に余裕がありますから、接種日を選べば、たとえ翌日立ち上がれなくても、影響は最小限に抑え込めます。ワクチンを打ったから万全とは言えませんが、少しでもそれに近い状態に持って行きたいものです。

学生たちはどうなんでしょうね。今はオンライン授業ですから、生身の学生と顔を合わせることがほとんどありません。私に伝わってくるのは、超楽観的かお先真っ暗なくらい悲観的か、両極端の学生の噂です。2年前に感染が広まり始めたころから「正しく恐れる」ということが言われ続けていますが、学生たちにとってそれはなかなか難問のようです。学生たちは、生まれてから今まで規範を示してくれてきた両親をはじめ家族と離れて暮らしていますから、リスクを見極めきれないのではないでしょうか。

逆の見方をすると、この荒波を乗り切ったら、無事に感染が恒久的に下火になる日を迎えられたら、この経験が学生たちの大きな自信になるに違いありません。その日はまだだいぶ先のことでしょう。でも、その日に得られる果実を信じて、よい意味での緊張を続けていってほしいです。超楽観組のEさん、わかってるね。

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期待の新人

1月29日(土)

先日、スウィートスプリングという柑橘類の一種をスーパーで発見しました。八朔と温州みかんをかけ合わせてつくったと説明板に書いてありました。確かに、小ぶりの八朔、3Lぐらいの温州みかんという大きさでした。八朔も温州みかんも好物ですし、値段も手ごろでしたから、5個入り1袋を買いました。

皮は、けっこう硬くて八朔よりも厚く、むいてしまうと中身はずいぶん小さくなってしまいました。肝心のお味は、残念ながら期待外れでした。八朔や温州みかんよりも濃厚な感じがしましたが、いよかんに近い味がしました。八朔のようなすっきりした酸っぱさを想像していましたが、私にとっては甘い方向に偏った味でした。果汁はたっぷり過ぎるくらいあって、口の周りもテーブルも、汁だらけになってしまいました。強力な甘さからすると、こぼした汁を拭かないでおいたら後でべとべとになりそうな気がしました。

私は一袋ずつばらして食べたのですが、ネットで調べてみたら、ナイフで8つぐらいに切って(割って)食べるのだそうです。ジャムにしてもおいしいと出ていました。あの甘さならきっとそうでしょうね。

そして、気になったのが“幻の”という修飾語です。栽培面積が少なく、市場にはほとんど出回っていないそうです。私が見つけたのは、本当に偶然だったようです。確かに、その後、どこへ行っても見かけることはありません。

だから希少価値は高いのでしょうが、私の口には合いませんでした。どちらかというと、八朔寄りの味にしておいていただけるとよかったのですが…。

聞き慣れぬ名前の、見慣れぬ新しい種類の柑橘類が増えたと思います。私は八朔・甘夏系を愛してやまないのですが、こちらは出回る数が少なくなる一方のようです。今シーズンは、昨シーズンに比べて、甘夏の値段が倍ぐらいしているような気がします。なかなか手が出せなくて、口が寂しい限りです。

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更新

1月21日(金)

日本語教師養成講座の講義資料を再構成しています。最初に資料を作ってから軽く10年以上経っていますし、その間にあれこれ継ぎ足してきましたから、かなり不細工になっています。目にしたり耳にしたりした日本語の用法をもとに調べたことを付け加えたり、専門書を読んで得た情報や知識から新しい文法のとらえ方を編み出してみたりということをしてきた結果、真に重要な事柄が埋もれがちになっています。そういう点を修正し、伝えるべきことがきちんと伝わるように教材を作り直しているのです。

文法をはじめ、いろいろな科目を担当していますから、科目間で内容が重複しているところや、有機的に連携した方がいいところも見えてきました。最近買い込んだ専門書も研究して、どこかに組み込みたいとも思っています。これらの事柄を整理整頓して、すっきりまとめたいところです。

日々、日本人は日本語を使っていますが、助詞の「に」の用法を10以上に細分して考えるなどということはしていません。そんな必要もありません。しかし、日本語教師は、日本語とは言語体系の違う言葉を操ってきた人たちに、日本語という新たなシステムを導入するのですから、日本人の気が付かない日本語の裏面まで知りつくしておかなければなりません。そのお手伝いをするのが、養成講座です。

半年ごとぐらいにこの講義資料を使って講義をしてきたのですが、作り直すつもりで講義資料を読み返してみると、今まで気づかなかった発見もあります。私もパワーアップしなきゃね。

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何も書かない

1月13日(木)

私は、仕事柄、人前で話す機会が多いのですが、きっちりした原稿はあまり書きません。おとといこの稿に書いた修了式にしても、Aさんの人となりを思い浮かべつつ、こんなことを話そうといくつかのポイントを頭の中に入れておいただけでした。卒業式をはじめ、学校行事での挨拶も、まあこんなもんです。時事問題も織り込みつつ、持ち時間にも合わせて、話の内容を決めていきます。唯一、原稿をしっかり書くのが入学式での挨拶です。こちらは各国語に翻訳されて画面に映し出されますから、書かないわけにはいかないのです。

今、日本語教師養成講座の講義資料を作り直しています。こちらは、話そうと思ったことをワープロベタ打ちにしたメモがパソコンのそこかしこに散らばっています。そういうのを結集し、再編し、受講生の理解の助けになるようなパワーポイントなんかも作ろうという魂胆です。几帳面な方なら、パワーポイントのノートの欄に、せめて話の要点ぐらいは書き込むのでしょうが、私はしません。受講生の興味対象や、その時々の話題なども織り込んで、オーダーメイド感たっぷりの講義にしたいのです。

だから、出来上がったパワーポイントを使って講義のシミュレーションをすると、さっきと今とでセリフがかなり違うということが起きます。もちろん、根幹をなす部分は同じですよ。でも、そこまで持って行く部分とか、そこから派生した話とか、そんなあたりがやるたびに違ってくるんですねえ。講義の品質を管理するという意味においては困った現象かもしれませんが、そういうしゃべりが楽しくてこの仕事を引き受けている面も見逃せません。入学式は原稿通りに話さなくてはという意識が強く、セレモニーを楽しむ境地には至っていないのです。

資料を作りながら、私の講義って与太話が半分だなって思いました。入学式のようにきちんと原稿を書いて無駄を省いたら、講義の時間が半分になるかもしれません。短期集中で、受講生からは歓迎されるかな。でも、パワーポイントの真っ白なノート欄が、私の個性なんだと思っています。

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新春のおもてなし

1月4日(火)

元日は、朝2時半ごろに目が覚めました。いつもの起床時刻です。LINEを見ると、KCPの先生方から「あけましておめでとう」が届いていましたから、私も新年のあいさつを送りました。

そして、大晦日のうちに調べておいた、ホテル近くの神社へ初詣に行きました。ホテルのフロントの人に「この辺の人は、初詣はどこへ行くんですか」と聞いたところ、「熱田神宮まで行きますね」という答えでした。熱田神宮は密に決まっていますから、地元の人しか行きそうもないところを探りに出ていたのです。

行ってみると、境内にはたき火がありましたが、参拝者は、0時ちょうどぐらいにはいたのでしょうが、3時ごろだと誰もいませんでした。お参りをすますと、町内会の方と思われる人が、「粗品がありますが、お持ちになりますか」と声をかけてきました。ポテトチップスとお酒だったので、ポテチだけいただいてホテルに戻りました。

朝風呂に入り、朝食をいただいて、チェックアウト。東京へ帰る前に、日中、明治村を見学しました。とにかく広いので、人が少々多くても密になることはありませんでした。ボランティアガイドツアーなるものがあるので、それを利用して村内をめぐりました。

さて、午後1時からのツアーの出発点がわかりません。それらしきところを見て回ったのですが、それらしきガイドさんも客もいませんでした。やむを得ず、売店に入って尋ねたところ、店員さんもわかりませでした。しかし、その店員さんは八方手を尽くして調べてくれて、しかもツアーの集合場所まで連れて行ってくれました。1時が迫ってきたので小走りになると、「お客様は走らなくても結構です。私が先に行って話をしておきます」と言ってくれるではありませんか。とにかく、おかげさまで、ツアーに間に合いました。

名古屋からは東京行き最終のこだまのグリーン席。驚くなかれ、N700Sという最新型の車両ではありませんか。新年早々、なんと縁起のいいことか。ぷらっとこだまという超割引切符のおかげでいい思いをさせてもらいました。腰がふわんと沈み込むようなリクライニングシートを十二分に満喫しました。のぞみなら1時間半ぐらいのところ、2時間40分も最高級シートを堪能できたのですから、すばらしいお年玉でした。

うちに着いたのは、ほぼ0時ぴったり。明治村のお問い合わせページのご意見・ご感想のところに、昼間の店員さんにとても感謝していると書きました。勝手に持ち場を離れて変な年寄りを案内したということで、逆に叱られちゃうのかなあ。でも、あなたのおもてなしの精神は、私がしっかり受け止めましたよ。

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ゆとりの時間

12月11日(土)

今学期私が担当しているレベルの読解の教科書で使われている文章のうち、2つは私が書いたものです。理科系的な内容を、専門性も損なわず、中級の学生でも理解できる日本語で表すというのは、決して楽な仕事ではありませんでした。

同じ内容を理科系の受験講座を受けている学生に話すのなら、ある程度のところまでは暗黙の了解みたいな共通認識に基づいて進められます。むしろ、多少の専門用語を織り込んだり、数式で表現したりした方が、聞き手の学生の勉強になります。しかし、文科系や芸術系の学生も相手だとなると、いや、そちらの方が主力だとなると、専門用語や数式を振り回すのは慎まなければなりません。それでいて、専門的技術的な事柄を、可能な限りはしょらずに、中級の日本語で伝えていくのです。私自身、ずいぶん勉強し直しました。

最近、「文系のためのめっちゃやさしい○○」というシリーズの本を読んでいます。“○○”には、化学、物理、微分積分、人体などの項目が入ります。新しい知識を得るというよりは、知識の表現のしかたを勉強しています。その“表現”は文章に限らず、視覚への訴え方も含まれます。つまり、どんな図を見せればこちらの思いが伝わりやすいかも勉強させてもらっています。

このシリーズであれこれ勉強したら、次は何を書きましょうかねえ。受験講座の資料もいくらか見直したくなりました。かみ砕いて説明するという点においては、日本語教師養成講座にも通底するものがあります。先月EJUが終わってから、私が担当する受験講座が激減しました。その時間的余裕を、こういう面に振り向けています。

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マイナスの広告

12月10日(金)

だいぶ前にこの稿で取り上げたO先生が沖縄にいた時に働いていたホテルについて、学校のパソコンで調べたら、その直後から、そのホテルの広告が、ネットで何かするたびに出てくるようになりました。天気予報を見ても、辞書を使っても、感染状況を調べても、化学反応の検索をしても、何をしてもまとわりついてくるのです。

そのホテルは、1泊で私が旅行で泊まるホテルの4泊か5泊分のお金がかかります。でも、サイトを見る限り、その宿泊料に見合う高級さが漂っていました。来年、ほかの旅行は我慢して、このホテルに泊まるためだけに沖縄まで行ってもいいかなとさえ思いました。ホテル付近の見所や、おいしい食べ物などを調べてみたりもしました。

しかし、広告をしつこく浴びせかけられ、そういう気持ちは全く失せてしまいました。私が見ようとする画面ごとに出現するのですから、鬱陶しいこと、邪魔くさいこと、この上ありませんでした。DMならゴミ箱か古紙回収箱直行で後腐れありませんが、ネットの広告は来る日も来る日も追いかけ回されるのでたちが悪いです。

私はネットの広告が直接の動機となって消費活動に向かったことはありません。上述のように、ネットで調べた結果、興味を掻き立てられ、それに対してお金を使ったことは何回もあります。これをお読みのみなさんは、ネット上でストーカー並みに付きまとわれても、その商品やサービスを購入するのでしょうか。

このホテルの広告が、最近、ようやく止まりました。それに代わってどこかの広告が入っているはずなのですが、何社かに分散しているからなのか、印象に残りません。だから、やっぱり、何も買いません。要するに、私はドケチだということなのでしょう。

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仕事の進め方

12月8日(水)

月曜日のこの稿に、文法テストの出来がありよくなかったと書きました。その原因の一端がわかりました。テスト用紙に記された配点で採点すると、94点満点だったのです。2点×6問の問題が、実は3点×6問でした。その問題はさほど難しくなかったので、多くの学生が全問正解でした。その答案がみんな6点低く点が出されていたのですから、クラス全体の成績が悪く感じられたのも、無理からぬところです。

ところが、この配点表記ミスで被害甚大だったのは、私のクラスだけでした。他のクラスの学生はみんなこの問題ができなかったのかというと、そんなことはありません。先生方の採点方法が違ったのです。

私は、加点方式で採点します。問題Ⅰが15点、問題Ⅱが18点、…というふうに点を出し、最後にそれらを合計して、86点などと集計します。ですから、本来18点満点の問題を12点に計算してしまうと、そのマイナス6点がもろに合計点に響くのです。

ところが、私以外の先生方は、ほぼ全員、減点方式で採点されます。問題Ⅰがー3点、問題Ⅱがー7点、…というように間違えたところの点数を集計して、全部でー14点だから、86点とします。ですから、2点×6問でも3点×6問でも、全問正解ならー0点なので、影響はありません。この問題を間違えたわずかな学生だけ、-4点がー6点になるなど、減点幅が大きくなったに過ぎません。

加点方式は足し算だけで計算できます。これに対し、減点方式は、引くべき点数を足し合わせて合計を出し、それを100からマイナスします。足し算と引き算を駆使しなければなりません。何でそんな面倒なことをするのだろうと思っていたら、マイナス点の合計もそれを100から引くのも、全部電卓でするんですね。だから面倒も何もないのです。暗算で点数を出そうとする私とは、根本から違うのでした。

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