Category Archives: 自分自身

新春のおもてなし

1月4日(火)

元日は、朝2時半ごろに目が覚めました。いつもの起床時刻です。LINEを見ると、KCPの先生方から「あけましておめでとう」が届いていましたから、私も新年のあいさつを送りました。

そして、大晦日のうちに調べておいた、ホテル近くの神社へ初詣に行きました。ホテルのフロントの人に「この辺の人は、初詣はどこへ行くんですか」と聞いたところ、「熱田神宮まで行きますね」という答えでした。熱田神宮は密に決まっていますから、地元の人しか行きそうもないところを探りに出ていたのです。

行ってみると、境内にはたき火がありましたが、参拝者は、0時ちょうどぐらいにはいたのでしょうが、3時ごろだと誰もいませんでした。お参りをすますと、町内会の方と思われる人が、「粗品がありますが、お持ちになりますか」と声をかけてきました。ポテトチップスとお酒だったので、ポテチだけいただいてホテルに戻りました。

朝風呂に入り、朝食をいただいて、チェックアウト。東京へ帰る前に、日中、明治村を見学しました。とにかく広いので、人が少々多くても密になることはありませんでした。ボランティアガイドツアーなるものがあるので、それを利用して村内をめぐりました。

さて、午後1時からのツアーの出発点がわかりません。それらしきところを見て回ったのですが、それらしきガイドさんも客もいませんでした。やむを得ず、売店に入って尋ねたところ、店員さんもわかりませでした。しかし、その店員さんは八方手を尽くして調べてくれて、しかもツアーの集合場所まで連れて行ってくれました。1時が迫ってきたので小走りになると、「お客様は走らなくても結構です。私が先に行って話をしておきます」と言ってくれるではありませんか。とにかく、おかげさまで、ツアーに間に合いました。

名古屋からは東京行き最終のこだまのグリーン席。驚くなかれ、N700Sという最新型の車両ではありませんか。新年早々、なんと縁起のいいことか。ぷらっとこだまという超割引切符のおかげでいい思いをさせてもらいました。腰がふわんと沈み込むようなリクライニングシートを十二分に満喫しました。のぞみなら1時間半ぐらいのところ、2時間40分も最高級シートを堪能できたのですから、すばらしいお年玉でした。

うちに着いたのは、ほぼ0時ぴったり。明治村のお問い合わせページのご意見・ご感想のところに、昼間の店員さんにとても感謝していると書きました。勝手に持ち場を離れて変な年寄りを案内したということで、逆に叱られちゃうのかなあ。でも、あなたのおもてなしの精神は、私がしっかり受け止めましたよ。

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ゆとりの時間

12月11日(土)

今学期私が担当しているレベルの読解の教科書で使われている文章のうち、2つは私が書いたものです。理科系的な内容を、専門性も損なわず、中級の学生でも理解できる日本語で表すというのは、決して楽な仕事ではありませんでした。

同じ内容を理科系の受験講座を受けている学生に話すのなら、ある程度のところまでは暗黙の了解みたいな共通認識に基づいて進められます。むしろ、多少の専門用語を織り込んだり、数式で表現したりした方が、聞き手の学生の勉強になります。しかし、文科系や芸術系の学生も相手だとなると、いや、そちらの方が主力だとなると、専門用語や数式を振り回すのは慎まなければなりません。それでいて、専門的技術的な事柄を、可能な限りはしょらずに、中級の日本語で伝えていくのです。私自身、ずいぶん勉強し直しました。

最近、「文系のためのめっちゃやさしい○○」というシリーズの本を読んでいます。“○○”には、化学、物理、微分積分、人体などの項目が入ります。新しい知識を得るというよりは、知識の表現のしかたを勉強しています。その“表現”は文章に限らず、視覚への訴え方も含まれます。つまり、どんな図を見せればこちらの思いが伝わりやすいかも勉強させてもらっています。

このシリーズであれこれ勉強したら、次は何を書きましょうかねえ。受験講座の資料もいくらか見直したくなりました。かみ砕いて説明するという点においては、日本語教師養成講座にも通底するものがあります。先月EJUが終わってから、私が担当する受験講座が激減しました。その時間的余裕を、こういう面に振り向けています。

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マイナスの広告

12月10日(金)

だいぶ前にこの稿で取り上げたO先生が沖縄にいた時に働いていたホテルについて、学校のパソコンで調べたら、その直後から、そのホテルの広告が、ネットで何かするたびに出てくるようになりました。天気予報を見ても、辞書を使っても、感染状況を調べても、化学反応の検索をしても、何をしてもまとわりついてくるのです。

そのホテルは、1泊で私が旅行で泊まるホテルの4泊か5泊分のお金がかかります。でも、サイトを見る限り、その宿泊料に見合う高級さが漂っていました。来年、ほかの旅行は我慢して、このホテルに泊まるためだけに沖縄まで行ってもいいかなとさえ思いました。ホテル付近の見所や、おいしい食べ物などを調べてみたりもしました。

しかし、広告をしつこく浴びせかけられ、そういう気持ちは全く失せてしまいました。私が見ようとする画面ごとに出現するのですから、鬱陶しいこと、邪魔くさいこと、この上ありませんでした。DMならゴミ箱か古紙回収箱直行で後腐れありませんが、ネットの広告は来る日も来る日も追いかけ回されるのでたちが悪いです。

私はネットの広告が直接の動機となって消費活動に向かったことはありません。上述のように、ネットで調べた結果、興味を掻き立てられ、それに対してお金を使ったことは何回もあります。これをお読みのみなさんは、ネット上でストーカー並みに付きまとわれても、その商品やサービスを購入するのでしょうか。

このホテルの広告が、最近、ようやく止まりました。それに代わってどこかの広告が入っているはずなのですが、何社かに分散しているからなのか、印象に残りません。だから、やっぱり、何も買いません。要するに、私はドケチだということなのでしょう。

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仕事の進め方

12月8日(水)

月曜日のこの稿に、文法テストの出来がありよくなかったと書きました。その原因の一端がわかりました。テスト用紙に記された配点で採点すると、94点満点だったのです。2点×6問の問題が、実は3点×6問でした。その問題はさほど難しくなかったので、多くの学生が全問正解でした。その答案がみんな6点低く点が出されていたのですから、クラス全体の成績が悪く感じられたのも、無理からぬところです。

ところが、この配点表記ミスで被害甚大だったのは、私のクラスだけでした。他のクラスの学生はみんなこの問題ができなかったのかというと、そんなことはありません。先生方の採点方法が違ったのです。

私は、加点方式で採点します。問題Ⅰが15点、問題Ⅱが18点、…というふうに点を出し、最後にそれらを合計して、86点などと集計します。ですから、本来18点満点の問題を12点に計算してしまうと、そのマイナス6点がもろに合計点に響くのです。

ところが、私以外の先生方は、ほぼ全員、減点方式で採点されます。問題Ⅰがー3点、問題Ⅱがー7点、…というように間違えたところの点数を集計して、全部でー14点だから、86点とします。ですから、2点×6問でも3点×6問でも、全問正解ならー0点なので、影響はありません。この問題を間違えたわずかな学生だけ、-4点がー6点になるなど、減点幅が大きくなったに過ぎません。

加点方式は足し算だけで計算できます。これに対し、減点方式は、引くべき点数を足し合わせて合計を出し、それを100からマイナスします。足し算と引き算を駆使しなければなりません。何でそんな面倒なことをするのだろうと思っていたら、マイナス点の合計もそれを100から引くのも、全部電卓でするんですね。だから面倒も何もないのです。暗算で点数を出そうとする私とは、根本から違うのでした。

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40年前に

11月22日(月)

現在、私のクラスの読解は、日本人の消費活動がどのように変遷してきたかという文章を教材として扱っています。戦後の復興から高度成長期、バブル期、バブル崩壊後から現在に至るまでとなります。テキストに出てくる内容のうち、三種の神器は、物心ついたころにはうちにありました。新三種の神器、3Cがうちに来たときは感激したものです。バブル期の騒動は社会人として経験し、その後の沈没具合は国の行く末を心配しつつ、その真っただ中にい続けています。

学生たちが生まれたのは、2000年前後です。私が語るバブルや高度成長は、歴史の中の話でしかありません。私の場合に当てはめると、先生から戦前や戦時中の話を聞かされたのと同じです。“今からは想像もつかない時代があったんだなあ”と思ったものですが、学生たちはどう感じたことでしょう。やはり昔話ですかね。

学生たちが次の世代の子供たちに自分の若かりし頃を語るとなると、どんな話をするのでしょうか。「世界中にそれまでにないタイプの肺炎が広がってね、何百万人っていう人たちが亡くなったんだよ」「初めてスマートフォンを持った時は感激したなあ。手のひらにコンピューターが載ってるんだもんね」とかってところですかね。

学生たちは、良くも悪くも日本が輝いていた時代と今の日本とで、どちらに留学したいと思うでしょうか。もちろん、留学生の受け入れ態勢は、今の方が格段に整っています。外国人に対する偏見や差別も今以上に強かったです。そんな中でも、いや、そういう条件だからこそ、そのころの日本に留学してみたかったと思ってくれるかな。昔を懐かしむ老人としては、若い頃の私と一緒に学生生活を送ってほしいですがね。

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突発事故

11月5日(金)

授業をしていたら、突然マスクのゴムが切れました。そんな張り切って口や顔を動かしたわけではないんですがね。ワクチン接種済みとはいえ、感染状況がかなり落ち着いてきているとはいえ、マスクなしで、立ったまま、座っている学生に向けて大きな声で話すのは考えものです。何より学生が嫌がるでしょう。とりあえずハンカチで口を押えながら授業を進めました。幸いにも、作文のテーマを説明している最終局面でしたから、それを話し終わったら学生に作文を書かせ、その間に職員室まで予備のマスクを取りに行ってきました。

実は何か月か前にも同じようなことがあり、それ以来、かばんに予備のマスクを忍ばせていました。図らずもそれが役に立ちました。職員室にも学校のマスクが置いてありますから、学校にいる分にはそんなに神経質にならなくてもいいんですがね。

でも、これを外でやらかしたら大変です。例えば、電車の中でくしゃみをした瞬間にマスクがぶっ飛んだりでもしたら、大ヒンシュクでしょう。たとえ予備のマスクを持っていたとしても、いたたまれなくてその電車に乗り続けることはできないに違いありません。いや、マスクが壊れなくても咳やくしゃみをしたら白い目で見られます。私もそばにそんな人がいたらちょっと顔を背けたりしますが…。そう思うと、教室の学生たちはおおらかでした。最後まで私の話を聞いてくれましたから。それどころか、かばんから自分のマスクを出そうとしてくれた学生すらいました。始業日から1か月ほどの間に、学生たちとの間に信頼関係が築けたなと思いました。

でも、まず、安物のマスクはいけませんね。それから、来週から、かばんではなく、スーツのポケットに予備のマスクを仕込んでおくことにします。

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疲れ目

10月30日(土)

1か月ぐらい前から、ドライアイがひどくて困っています。眼科で診てもらったら、目に塗る軟膏を処方されました。小さなチューブに入った軟膏ですが、薬剤師さんに塗り方を尋ねても、「さあ、どうやって塗るんでしょうかねえ」と言いながら、軟膏に添付されている説明書をくれました。その薬剤師さんも、実際に患者に目の軟膏を渡すのは初めてだったんでしょうね。

もらった説明書によると、あかんべえをして、その“あか”の部分を目がけてチューブから軟膏をほんの少し押し出し、軟膏が“あか”に載ったら瞬きをして伸ばすのです。やってみると、“あか”に軟膏を載せるのは、思ったよりずっと簡単でした。目に何かを入れるということに対して、初回は恐怖心を覚えましたが、今はもう平気です。しかし、軟膏を入れて瞬きをすると、目がかすんで視界がうすぼんやりとしてしまいます。そりゃあそうですよ、軟膏なんてしょせんは脂薬なんですから。だから、軟膏は寝る直前に入れることにしています。

そんな苦労をしてドライアイが改善したかというと、そうでもありません。日中はしょっちゅう目薬を差しています。ドライアイがよくならない最大の原因は、学生たちからの提出物です。テストの採点、例文や宿題のチェック、作文の添削など、日々目を酷使しています。きれいな字ならまだしも、汚くて乱暴な字を解読しなければならない場合がほとんどです。濁点があるのかないのか、漢字がきちんと書けているか、ふりがなは間違っていないか、文法的に正しいか、文脈がちゃんと通っているか、そういったことを細かく見ていき、誤りがあれば訂正していくとなると、目も疲れますよ。

さて、これからおとといの文法テストの採点再チェックです。それが終わったら、学生の出願書類のチェックが待っています。

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どんでん返し

10月8日(金)

昨夜はひどい目に遭いました。EJUの数学の模範解答を作っていたらすっかり遅くなってしまいました。戸締りをして学校を出て御苑から丸ノ内線に。平時に戻ったとはいえ、夜遅い時間帯の電車は2年前に比べたらずいぶん空いています。私も腰掛けて本を読んでいました。

四谷三丁目を出て程なく、急ブレーキがかかりました。ほぼ同時に、かばんの中のマナモードになっているスマホが精いっぱいのうなり声をあげました。強い地震が発生したので緊急停止したと車内アナウンスがありましたが、揺れは全く感じませんでした。だから、すぐに運転再開するだろうと思っていましたが、結局20分ほど待たされました。でも、おかげで本のページがどんどん進みました。

赤坂見附で乗り換えた銀座線は、運転再開直後だったからでしょうか、けっこう混んでいました。車内で日比谷線は人形町・北千住間で運転見合わせという気になるアナウンスが。上野で降りて日比谷線の改札まで行ってみましたが、入口が閉鎖され、ホームに入れませんでした。まあ、上野まで来ればうちまで3キロちょっと。JRも全線止まっているとのことでしたから、タクシーは遠距離の人に譲って、歩いて帰ることにしました。暑すぎず、寒すぎず、歩くのにはちょうどよかったです。本気で歩いて30分少々。

南千住駅はメトロもJRもTXも止まっているみたいで、いつもは事務所に引っ込んでいる駅員さんが改札口に出ていました。さらに数分歩いてマンションのエントランスに着くと、“地震のためエレベーターは運転停止中”という張り紙が。こんなことなら、四谷から引き返して学校の近くの東横インにでも泊まればよかったと思いました。

自分の足で29階まで上がるほかありません。夏休みに、暇に飽かして1往復だけしましたが、こんな形で必要に迫られるとは…。涼風に吹かれて心地よい夜空の下のお散歩が、ゴール直前で滝のような大汗をかく羽目に陥ってしまいました。階段室って蒸し暑いんですよね。

結局、学校から家まで、普段の倍の時間がかかりました。玄関を入るや風呂場に直行し、シャワーを浴びました。

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新兵器の威力

9月11日(土)

朝から、水曜日にやった作文の添削をしました。作文を提出しない不届き者が多かったおかげで、思ったより早く終わりました。“おかげ”だとは思っていますが、今週分の成績はもちろん0点。最終成績がどうなっても、入試などでどんなに苦労しても、自己責任ですよ。

教室で作文の授業をする際は、出口のドア前に陣取って、授業時間内に書き終わらなかった学生は授業後も残して書かせます。しかし、オンラインだと、そういうわけにはいきません。ZOOMから抜けられたら、それで終わりです。メールで書け、出せと命令したところで、教室内監禁に比べたら効果は極めて薄いです。

実は、作文の添削がわりと早く終わったのには、もう1つ理由があります。今までとは眼鏡が違うのです。

夏休みの最終日に、新しい眼鏡を作りました。それが出来上がったのが先週で、この前の日曜日に眼鏡屋まで取りに行き、今週から利用しています。この眼鏡は手元作業用で、レンズから数十センチが守備範囲です。事実、この眼鏡でテレビを見ようとすると、画面がぼやけてしまいます。私のうちは大邸宅ではありませんが、それでも私がいつも座る位置からテレビの画面まで、メートル単位の距離があります。そこは、これまでの遠近両用レンズの守備範囲なのです。

この手元作業用眼鏡の威力は強大で、タブレットに映し出された学生の原稿用紙が実にはっきり見えるのです。今までは眼鏡をはずして細かい字を読んだり、それに朱を入れたりしていましたが、その煩わしさ、もどかしさがなくなりました。作文だけではなく、テストの採点や例文チェックも、授業中に教科書を見る時も、具合がよくなりました。

私の祖父も、外を歩くときと、室内で新聞などを読むときとで眼鏡をかけ替えていました。数年を経ずして、私が初めて祖父に会った年になります。二世代の時間が流れたのです。老いを感じて当然ですね。

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450mから

8月23日(月)

お正月の時点では、夏休みは九州へ行く予定を立て、宿も足も全て押さえました。王塚古墳、秋月城址、大牟田と荒尾の炭鉱跡、バルーンミュージアム、善導寺、うきはのかっぱ、志賀島一周、香椎宮、余裕があれば平尾台か英彦山…どうです、絶対に一緒に行きたくないでしょう。すべて知っている人は、相当な九州オタクですね。

しかし、そんなものは緊急事態宣言の前に雲散霧消しました。たとえ強行したとしても(私が預託していた飛行機は、定刻で飛んだようです)、先週前半の九州は大雨でしたから、福岡空港と、そこから地下鉄で通じている博多・天神から一歩も出られなかったでしょう。そうなると毎日博多駅か福岡空港のマッサージ屋さんに入り浸って、大散財を繰り返したに違いありません。

結局、休み中に「出かけた」と言えるのは、東京スカイツリーだけでした。私のうちからスカイツリーまで、直線距離で3キロ、道のりで4キロですから、「不要不急」ではあったかもしれませんが、「遠出」ではありません。電車で行くと四角形の3辺を回ることになるので、電車賃のわりには乗換えばかり多くて時間短縮にはなりません。そこで、九州へ持って行くはずだった水筒に冷たい麦茶を仕込んで熱中症に備え、徒歩45分の旅に出ました。

遠見が聞きそうな晴れた日を選びましたから、スカイツリーに着いた頃には汗びっしょり。麦茶がおいしかったです。350mの天望デッキからでも十分東京やその近郊まで見渡せましたが、450mの天望回廊まで上がると、見え方が全然違いました。羽田空港が、その差が一番大きかったと思います。見下ろす角度の差なんでしょうね。御苑がずいぶん広々しているのに驚きました。その御苑をはじめ、東京には案外緑が多いんだなとも思いました。私のマンションも、とてもよく見えました。たった3キロ先なのですから。

帰りに、スカイツリーから徒歩数分のたばこと塩の博物館に寄りました。こちらは、製塩の子供向けの解説と、喫煙や喫煙具の文化的展示が中心で、理系人間には若干物足りない内容でした。それでも隅から隅まで2時間近く見学しましたかねえ。

夏休みは、穏やかに過ぎ去っていきました。

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