Category Archives: 自分自身

たたずむ

5月23日(月)

今週は、アートウィークです。腕に覚えのある学生が、作品を展示したり演奏などを披露したりしてくれます。去年はなかった、クラブ活動の発表も予定されています。

展示会場で作品を見てみると、私の知っている名前もいくつか。Aさんってこんな趣味を持っていたのか。Bさんの感性はなかなか鋭いなあ。Cさんは芸術系志望だから、これくらいは当然かな。…などと、勝手な感想を抱きつつ、鑑賞させてもらいました。

私には芸術的素養というものが欠如していますから、絵を描くとか写真を撮るとか動画をつくるとか、そんな活動は一切しません。でも、ほかの人の力作を見るのは好きです。私の「素晴らしい」と、多くの人たちの「素晴らしい」とが一致するかどうかはわかりませんが、私なりのポイントで芸術作品や文化財を見てきました。

そういったものを見てしばらくその前から動けなくなったのが、ルーブル美術館のモナ・リザと、吉野の金峯山寺の金剛蔵王権現です。モナ・リザは、ルーブルの中では小さい部類に入る絵ですが、オーラというよりは引き付けて放さない何物かを強く感じました。金剛蔵王権現は、青い仏像です。数年前の御開帳で見て、その前に座り込んでしまいました。何かを願ったり祈ったりするのではなく、ただその前から離れがたかったのです。

そんな私の目で見て、じっとたたずんでしまったのが、Dさんの写真とEさんの絵です。この手の作品をもっと見てみたいなあと思いながら、会場を後にしました。明日もまた、見に行くつもりです。

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50年

5月16日(月)

昨日は、沖縄の日本復帰50周年の日でした。報道機関の論調は、基地負担や経済面での格差が埋まらないままだと、厳しいものが多かったです。

沖縄へは何回か行ったことがありますが、一番印象に残っているのは旧海軍司令部壕です。那覇市と豊見城市の境界線上の小高い丘にあります。地下壕にこもって戦っていたのですが、本土決戦を引き延ばすためのような戦いは悲惨を極めました。そして、ここを守っていた大田實少将は、昭和20年6月13日、沖縄戦終結の10日前、自決しました。その際に海軍次官に宛てて打電した電文が、壕の中に掲示されています。

電文の最後に、食料もない中必死に戦った沖縄「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ 賜ランコトヲ」という文があります。現状を見る限り、“御高配”は米軍基地です。大田少将の最後の言葉は全く無視され続けてきたと言っても過言ではありません。これを読んだ時、本土に住む日本人として恥ずかしかったです。

摩文仁の丘もひめゆりの塔も行きました。それほど有名ではなくても、沖縄はいたるところに戦跡があり、街角でよくハッとさせられます。同時に、米軍基地も普通にあります。首里城から普天間基地まで、どう測っても10キロ弱、琉球王国の陵墓・浦添ようどれからなら5キロ足らずです。皇居を基準に考えると、新宿が5キロを少し切るくらい、お台場が7キロ、高円寺で10キロです。

50年前の日本は上り坂でした。その時に“御高配”ができなかったかなあと思います。“御高配”をしなかったことで某国の覚えがめでたく、繁栄が多少なりとも長続きしたのでしょうか。昨日はニュースを聞きながら、そんなことを考えました。

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過ぎたるは

5月9日(月)

マイナンバーカードの手続きができるというので、昨日、家の近くの会場まで足を運びました。だいぶ前に番号をもらってからほったらかしにしてありました。マイナポイントとか保険証の代わりになるとか、よくわからないこともありますから、ついでに聞いて来ようと思いました。

会場の区民センターみたいなところは行ったことがありますから、すぐわかりました。案内に従ってそこの会議室に入ろうとすると、「マイナンバーカードのご申請のお手続きにいらっしゃられたのでしょうか」と声を掛けられました。うなずくと、「まず、お写真をお撮りします。こちらの椅子にお掛けになられてください。お荷物はそちらのかごに入れられて、マスクは取られてください」と指示されました。言われた通りにすると、「では、こちらの赤い点をご覧になられていただけますか」と新たな指示が。

写真の次は、書類作成。「こちらとこちらにご記入されてください。お写真の裏側にお名前と生年月日を書かれてください。そうしたら、お写真をお貼りになられてください。こちらののりを使われて大丈夫です。はい、では、こちらの封筒に入れられて、こちらにご住所とお名前を書かれてください」「はい、ありがとうございました。お帰りの際にポストにお出しになられてください。1か月ぐらいしましたら、区役所からご連絡がありますから、取りに行かれてください」

なあんだ、その場でもらえるのかと思ったら違うんだ。世の中、そんなに甘くないよね。写真代が浮いただけでも、よしとしなければ。

いかにもアルバイトという感じの若者が世話をしてくれましたが、言葉遣いには辟易しました。私のようなはるかに年上の人を相手にするのですから、失礼のないように丁寧に話さなければという気持ちは伝わりました。でも、居心地は悪かったですね。この人にマイナポイントとか聞いても絶対にわからないだろうと思い、あきらめました。

会場出口に立っていた案内の人に、「ここから一番近いポストはどこですか」と聞いたら、「少々お待ちください」と言って誰かに聞きに行ったきり、5分ぐらい戻ってきませんでした。会場でポストに投函と言っているんだから、ポストの位置ぐらい調べておけよ。

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北の海に想う

4月25日(月)

私が知床半島へ行ったのは学生時代ですから、もう40年ぐらい昔のことです。斜里(今は「知床斜里」というそうです)駅からバスで知床五湖まで言った記憶があります。さわやかな好天に恵まれ、知床連山をバックに、気持ちよく五湖めぐりができました。さらに奥地まで進みたいという気持ちが湧き上がったのと同時に、これ以上奥に進んだら自然の神秘を侵すことになるとも思いました。私が足を踏み入れることによって知床の自然が破壊されたら、何の意味もないではないかと思ったのです。

だから、白神山地も屋久島も、行ってみたいですが行っていません。縄文杉のパワーに打たれてみたいです。青池の青さに吸い込まれてみたいです。でも、それは、気持ちだけにとどめておきます。富士山にも登りたいです。日本の最高峰を極めたいですしまし、登山者数はすでに飽和以上だと聞いていますから、冬晴れの日に東京から拝むだけにしています。

知床の海に散ったみなさんのご冥福を心からお祈りするとともに、行方不明の方々が一刻も早く救出されることを願ってやみません。でも、このニュースを耳にした時にまっ先に感じたのは、観光客も船会社も一線を越えちゃったのかなということです。ここには近づいてはいけない、見てはいけないという領域に踏み込んでしまったので、反撃のパンチを食らったのではないかということです。一線を越えた人は今までにも大勢いたのに、あの船に乗り合わせた人たちだけがこのような目に遭うとは、一罰百戒的で理不尽な気もします。

それ以上に理不尽な目に遭っているのが、ウクライナの人たち…。

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しっかり身構えて

3月17日(木)

寝入りばなを襲われました。ミシミシという音とベッドの揺れで目が覚めました。あ、地震だと思って、時刻を確認しました。異常事態が発生したら、まず時計を見ます。何時何分と確かめることで、落ち着きを取り戻すのです。

程なく揺れのピークは過ぎ去りましたが、揺れが収まるまでにはしばらく時間を要しました。しかし、物が落ちたとか倒れたとかという気配は感じませんでしたから、震度2か3かなと思いながらそのまままた寝てしまいました。

朝起きて家の中を改めて見てみると、いつも開け放っておくドアが半分閉まっていました。1階まで新聞を取りに行こうとエレベーターホールまで出たら、「地震」という表示が出てエレベーターが止まっているではありませんか。私が寝ぼけた頭で感じたよりはるかに激しく揺れたようでした。

新聞を読みながら朝食を取るのが日課なのですが、新聞を取りに行けないのでテレビをつけました。すると、「宮城・福島震度6強」「津波注意報」という言葉が躍っているではありませんか。慌ててネットで調べたら、私のうちのあたりは震度4でした。エレベーターが止まってもおかしくはありません。LINEを見てみたら、地震の直後にKCPの先生方は連絡を取り合っていたようでした。

1階まで階段で下りるなんて朝からしんどいなあと思いつつ、早めに家を出て非常階段に向かうと、エレベーターが復旧していました。おかげで、エントランスのベンチに腰掛けて新聞を読む時間すらありました。

東京メトロは平常運転で、四ツ谷で外に出た時、空の明るさに驚きました。このところ、朝曇っているパターンが続いていましたからね。学校の中は異状なしでした。

3.11に比べれば桁違いに少ないとはいえ、犠牲者や負傷者が出たことには胸が痛みます。日本で暮らす限り、1日たりとも油断はできません。

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一足お先に

3月5日(土)

先週の初めぐらいからでしょうか、朝出勤して御苑の駅からの道をこちらへ曲がると、空の下の方がかすかにオレンジに染まるようになりました。その染まり具合が、日々少しずつ大きくなってきています。もう、空がどれぐらい雲に覆われているかわかるほどになりました。朝が早まるのを毎日実感できる今ぐらいが、1年で一番楽しみです。逆に、朝がだんだん暗くなっていくのを感じさせられる10月下旬あたりは、寂しさが募ります。

もう少し経つと、丸ノ内線が外界に顔を出す四ツ谷で朝を感じるようになり、程なく桜がちらほら咲き始めます。東京の予想開花日は22日だとか。そんなニュースを耳にしたので、この前の日曜日、うちの近くのお花見の名所の桜の枝を、ちょっと背伸びをしてじっくり観察してみました。確かに花芽はついていますが、近くで見ても木肌色でしかありませんでした。気が早すぎたかな。明日、また見てみましょう。

今シーズンは大雪のニュースがよく耳に入ってきます。北海道や北陸、山陰などは交通機関がマヒし、日常生活に影響も出ています。東京も何回か雪に見舞われましたが、新千歳空港から身動きができなくなるほどの雪に比べたら、小雪にもならないでしょう。その北海道も、平年ならば今月下旬には、少なくとも都市部は、積雪が消えます。

東京は春一番が吹いたそうです。最高気温は17.9度、4月上旬並みでした。メートル単位の雪が積もっている地方のみなさんには申し訳ありませんが、東の空だけではなく、肌でも春を感じさせてもらいました。

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なんとなく不調

2月28日(月)

昨日、3回目のワクチンを打ってもらいました。1回目と2回目は去年の夏の暑い盛りでしたから、半袖シャツで行って袖をひょいとまくり上げるだけで準備完了でした。しかし、昨日は、2月としては暖かかったとはいえ、長袖のシャツでしたから、肩を出すのも一苦労でした。接種は、去年の夏同様、あっという間に終わり、15分の安静時間を読書で過ごし、特に何ともなかったので、そのまま帰ってきました。それでも一応副反応を気にかけて、ゆうべは早々に床に就きました。

今朝も別段何ともなく、いつもと同じように出勤しました。仕事に取り掛かりましたが、どうも手先が冷えていけません。お湯を入れたカップを手で包みながらキーボードを打ちました。お昼ごろから、何となく体がぞくぞくし始めました。悪寒というほどではありませんでしたが、何となく落ち着きません。ネットで調べてみると、接種30時間後ぐらいが副反応のピークだそうです。まさにピークに向かっているところです。

ワクチンを打ってもらった箇所は、痛くはありませんが、かゆいです。腕が上がらないとか動かしにくいとかはありませんが、かゆみのせいで意識がそれてしまいます。夏だったら間違いなくポリポリかいていることでしょう。それに、熱っぽいまではいきませんが、背中が痛いです。

どうやら、頭脳労働は明日にしろということのようです。確かに、養成講座の資料を作り直していますが、うまい例文が浮かんできません。演習問題のアイデアも枯渇状態です。これをアップしたら、潔く帰ることにしましょう。

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久しぶりの大口

2月21日(月)

朝、食事をとっていたら、前歯に違和感が。そして、舌に硬いものが当たりました。慌てて吐き出すと、なんと、差し歯がころりと出てきたではありませんか。鏡を見てみると、下の前歯が1本抜けています。何ともマヌケな顔になってしまいました。でも、食べ物がかめないわけではありませんから、食事はそのまま続けました。

幸いにも、令和4年2月21日現在、マスクが必須アイテムですから、しゃべっても笑ってもマヌケ顔をさらす心配はありません。しかし、放っておくわけにもいかず、学校の近くの歯医者で応急処置をしてもらうことにしました。抜けた差し歯はしっかり確保してありますから、それを持って行けば、多少は治療期間も短くなるでしょう。

その差し歯を入れたのは、私がKCPにお世話になる前からかかっていた歯医者です。しかし、そこは遠いので、ネットで探してみると、学校の近くにはけっこうたくさんは医者がありました。評判のよさそうなところを選んで予約しました。

予約の時間に行くと、問診票の記入が最初の仕事なのはどこの医者でも同じですが、この歯医者は麻酔についての質問がありました。ここの先生は麻酔の専門医らしく、普通の歯医者が治療で使う局部麻酔よりも本格的な麻酔を使う治療も選べるようでした。そういう治療もいいかなと思って、○を付けておきました。

患者が結構多く、待合室の椅子が全部ふさがるくらいいました。しかし、診察台も3台で、3人の先生が診ていますから、回転も速いです。程なく私の順番が来ました。以前は3か月おきに歯科定期検診を受けていたのですが、おととしから、人が多いところで大口を開けて仰向けに寝っ転がるのはあまりにも不用心だと思い、中断しています。久しぶりにその体勢を取るのは少し勇気が要りましたが、治療が始まってしまえばどうということはありませんでした。

20分ほどの治療で歯は元通りに戻り、治療費は1000円余りでした。数か月、数万円を覚悟していましたから、あっけないほどの時間と費用でした。しばらく、これで様子を見ます。

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天国で論戦中?

2月16日(水)

瀬戸内寂聴さんの「わたしの源氏物語」を読み終えました。文庫本で500ページ余りを、3日半ほどで読み切りました。寂聴さんの現代語訳源氏物語は文庫本で500ページとはいかないようですから、私にとってはこのあたりが分相応でしょう。

「わたしの源氏物語」は、時期的に源氏物語の現代語訳に取り組んでいる頃に書かれたのではないでしょうか。源氏物語の登場人物や紫式部の筆致について、寂聴さん流の解釈が述べられています。登場人物の中にも、紫式部が熱を入れて丁寧に描いた人から、冷たくあしらわれた人まで、けっこう濃淡があるそうです。ここは描き足りないとか、ここは彼女の実体験が生きているとか、このストーリーは当時の読者を引き付けただろうとか、寂聴さん自身がかなり読み込んでいたことがよくわかる書きっぷりです。

私は、高校時代、古文漢文はまるっきり手も足も出ませんでしたから、源氏物語は教科書に載っていたごくごく短い部分を読んだに過ぎません。古文の時間に行われた解釈では内容が全然わからず、源氏物語がなぜ不朽の名作なのか、世界に誇るべき文学なのか、さっぱりわかりませんでした。でも、「わたしの源氏物語」を読んだら、光源氏も藤壺も紫上も六条御息所も桐壺帝も、みんな生き生きとしてきました。

昨年、寂聴さんが亡くなった直後に、どなたか忘れましたが、「寂聴さんは今ごろ天国で紫式部と語り合っているでしょう」という意味のコメントをしていました。それに接した時、「ああ、死ぬのもいいなあ」と思ってしまいました。まあ、私が天国に上れても、私が会いたいと思っている有名人には見向きもされないでしょうけどね。でも、寂聴さんなら紫式部は会ってくれるだろうし、もうすでに、「紫式部さん、ここは感動したけど、ここはこういう筋もあるんじゃない?」などと楽しい議論を戦わせているかもしれません。

私も、現代語訳ぐらいは読んでみようかな。

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2月14日(月)

去年の秋から、NHKBSの刑事コロンボの再放送を見ています。放送時間が土曜日の日中なので家にいないことが多く、録画しておくのですが。他の番組の録画もありますから、ただいま1か月遅れぐらいになっています。

刑事コロンボがNHKの総合テレビで放映されたのは、かれこれ50年近く前のことでしょうか。確か、私が中学生から高校生の頃だと思います。土曜日の夜に、家族みんなで集まってみたものです。半世紀近くたっていますから、ストーリーなんか覚えていません。今も、コロンボがどうやって犯人を追い詰めるかドキドキしながら画面に引き付けられています。

あら探しをしているわけではありませんが、伏線が回収しきれていないんじゃないかと思うことが何回かありました。まあ、これは私の考えすぎかもしれませんが。何より目立つのは、ガソリンをまきながら走っているのではないかと思えるほどの、重厚なアメ車たちです。コロンボも犯人も、地球温暖化に大いに貢献しています。

それから、コロンボをはじめ、みんなよく煙草や葉巻を吸いますね、そこいらじゅうに灰を散らしながら。周りの人達も、迷惑がっている様子がありません。さらに不思議なのは、コロンボが留守宅に平気で入り込んでいることです。この当時のアメリカは、戸締りという概念がなかったのでしょうか。

何より時代を感じるのは、電話です。固定電話しかないことは当然として、“自宅やオフィスを離れる=連絡が取れない”という公式に則ってストーリーが展開されます。SNSやネットで何かするということがありませんから、実にオープンな感じで話が進みます。

これらは、もちろん、刑事コロンボの価値を損なうものではありません。でも、私は楽しめますが、今の中学生はどう見るのでしょう。中学生の私がチャップリンを見るような感じなのでしょうか。

今の中学生が50年後に今のドラマの再放送を見たら、「そういえばガキの頃、スマホなんてもんがあったねえ」などと懐かしむのでしょうか。いや、そのころにはテレビなど、過去の遺物になっているかもしれませんね。

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