Category Archives: 自分自身

練習

3月5日(水)

ちょうど1週間で卒業式です。だからというわけでもありませんが、卒業式での証書のもらい方の練習をしました。学生たちにとっては、日本式の証書のもらい方は、それこそ見たこともない、だから全くなじみのない儀礼です。何の指導もないと、少なくとも日本人にとっては頭を抱えたくなるような、目を覆いたくなるような惨状が繰り広げられてしまいます。

演台の前に立ち、授与者である私と向き合い、軽く一礼するあたりまでは、学生も想像がつきます。その後、私が差し出した証書を両手で受け取るというところが、学生たちの生まれ育った文化にはないようです。「両手で受け取る」というと、手のひらを上に向けて、私がその上に証書を載せるのを待っているというイメージになるようです。授与者が証書を差し出したら、自ら腕を伸ばして証書の両脇を持って…という手順をしっかり教え込まなければなりません。

私のクラスも含めて数クラスの卒業予定者が1人ずつそういう動作を繰り返すと、学生たちの目にもそれが当たり前のことのように映り始めたようです。しかし、どのクラスにも欠席者がいましたからねえ。そういう学生にもきちんと伝わるといいのですが…。

大学などに進学すると、2年後か4年後にKCPなんかよりもはるかに盛大な卒業式が待ち受けています。学長から直接証書・学位記を手渡されるかどうかはわかりませんが、そんなチャンスがあったら、ふっとKCPの卒業式を思い出してもらいたいですね。

1週間後には、目の前で証書の受け渡し練習をしたメンバーがみんないなくなっちゃうんですよね。一抹の寂しさを感じるのが、私にとってのこの季節の風物詩です。

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まだ週末じゃないよ

2月26日(水)

今週は月曜日が振り替え休日で、金曜日がバス旅行ですから、1週間が早いです。午前中の授業で学生にバス旅行の予定を説明し、その後に、同じバスに乗り合わせる先生方と打ち合わせをしたら、今週の仕事の大半が終わってしまったような錯覚にとらわれてしまいました。もちろん、バス旅行が今週の最大の仕事ですから、実際には半分どころか半分の半分も終わっていません。

仕事が終わってしまったように感じる1つの原因は、選択授業がないからだと思います。昨日の火曜日は卒業認定試験、金曜日はバス旅行ですから、今週は週に2日の選択授業がどちらもつぶれてしまうのです。選択授業の授業内容はすべて自分で考えなければなりませんから、それがないというのは私にとって結構大きな意味を持つのです。でも、来週は両方ともありますから、バス旅行の帰りは居眠りなんかせずに選択授業で何をするか考えなければならないかもしれません。

選択授業の代わりに、バスの中で学生たちに出す箱根クイズを考えました。私の趣味で問題を作ってしまうと、箱根の火山を形成している岩石の主なものは何かなどということになり、だれも興味を示さないことでしょう。ですから、学生が食いつきそうな事柄を見つけ出し、問題にしました。

バス旅行で立ち寄る大涌谷の名物「黒たまご」はなぜ黒いのかというのを加えようとしました。温泉中に含まれる鉄や硫化水素が反応して黒い化合物をつくると言われていました。一応ウラを取ろうとネットで調べてみると、そうではないということが、つい最近わかったそうです。勉強になりました。高校生が定説に疑問を抱き、実験を繰り返し、答えにたどり着いたとのことです。立派なものです。

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やさしい日本語に挑戦

2月20日(木)

理科の日本語プラスを取っているCさんは、とてもまじめな学生です。中級になったばかりですから日本語力はまだまだですが、授業から何かを学び取ろうという気持ちは、今学期私が多少なりとも関わりを持っている学生たちの中で1番でしょう。

「日本語力はまだまだ」と言いましたが、このごろ、EJUの理科の過去問や、物理や化学の授業内容について、日本語で質問してくるようになりました。特に、問題の解き方を詳しく説明してほしいという質問が増えました。これは、理科の学術用語を日本語で理解し、図表や式などを参考にしながら、抽象度の高い議論についていけるようになったということです。話し方が拙いですから“まだまだ”などと評されてしまいがちですが、それ以外の面ではかなり高い能力を有しているのかもしれません。こういう、グンと伸びそうな予感のする学生は、思わず応援したくなります。

EJUの過去問には、必ず模範解答を作っています。解説も兼ねていますから、大学入試の答案より多少詳しく正解を得るまでの道のりを書いています。この模範解答、どうしても格調高く作りたくなるんですねえ。そうすると、自ずとCさんのような“まだまだ”にとってはわかりにくくなってしまいます。やさしい日本語に背を向ける形なのですが、型がある程度決まっていますから、書くのが楽なのです。表向きは格調高くなどと言いながら、内実は学生のためになる教材づくりを怠っているに過ぎません。

B社のページによると、去年のEJU2回分の過去問集は、3月下旬に刊行されるそうです。それが出たら、今年こそ、やさしい日本語で答案を書きたいものです。Cさんがすぐわかる解説を心がけます。

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ご利用いただけます

2月15日(土)

「当店では、各種QRコード決済がご利用いただけます」という表示を見かけたら、あるいは店員さんからこのように言われたら、みなさんはどうお感じになりますか。私は苦笑いしながらスマホの操作を始めるでしょう。

国文法の問題です。“いただきます”は、尊敬語ですか、謙譲語ですか。高校までの国語の時間に、謙譲語だと習ってきたはずです。謙譲語の主語(動作主)は誰ですか。“私(たち)”ですね。

ここで、もう一度「当店では、各種QRコード決済がご利用いただけます」を見てください。誰が“ご利用いただけ”るのですか。素直に解釈すれば、来店したお客さんですよね。つまり、この文は謙譲語の動作主がお客さんになっているのです。何と失礼なことでしょう。これが、私の苦笑いの原因です。

もちろん、店の側にそんな気持ちなどみじんもないことは百も承知しています。だから苦笑いしつつもスマホを操作し、支払おうとするのです。でも、文法の誤りは見逃すわけにはいきません。

この手の誤りは、至る所にあります。「こちらから富士山がご覧いただけます」「こちらにキーを差し込んでいただくと、部屋の電気がつきます」「特急券のないお客様は、ご乗車いただけません」…。なぜ、みんな平然と同じ誤りを犯しているのでしょう。

文化庁は、2007年に謙譲語を2つに分けました。謙譲語Ⅰは、申し上げる、伺うなど、謙譲語Ⅱは、参る、申すなどです。謙譲語Ⅱは丁重語とも呼ばれ、物事を相手(多くの場合、目上)に向かって丁重に伝える時に用います。「社長、お時間です。会議室に参りましょう」「社長、お時間です。会議室に行きましょう」の2つを比較すると、前者の方が丁寧な感じがしますね。参るのは、私だけではなく、社長もです。会議室にいるのがお客様ではなく、社長にとっては部下ばかりでも、“参る”という謙譲語Ⅱが使えるのです。物事を丁重に伝えるのですから、同僚に対して“おい、佐藤、時間だから会議室に参ろうぜ”などとは使えません。“おい、佐藤、時間だから会議室に行こうぜ”なら問題ありません。“参ろう“は、丁寧さのない普通体の1つであり、終助詞“ぜ”は、丁重さとは正反対の雰囲気をもたらします。

“いただく”は、本来、謙譲語Ⅰですが、これを謙譲語Ⅱと勘違いして使っているのが“ご利用いただけます”だと考えられます。“ご利用いただけるよ”は丁寧さのバランスが悪いですよね。

でも、全国津々浦々にこのような誤用が浸透しているとなると、もはや誤用ではなく、“いただく”に丁重語としての機能が加わったと考えるべきでしょう。とはいえ、学生には“ご利用になれません”と教えるでしょうね。JLPTなどで間違えられちゃったら困りますから。

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気の迷いをなくせ

2月5日(水)

久しぶりに推薦書を書きました。昨日、私が担任をしているクラスのHさんから頼まれたのですが、ゆうべはドライアイがひどくて書く気になれず、今朝、授業の準備を終えてから取り掛かりました。しばらく書いていなかったのですぐに筆が進むだろうかと心配していましたが、書き始めたら1行目が終わるころにはペースを取り戻していました。自転車と同じで、体で覚えているんでしょうか。

HさんはKCPに入学してからN2とN1に合格しました。これは、「志願者Hは、当校入学以来、精力的に日本語の習得に努め、JLPTのN2、N1にも合格するなど、順調に日本語力を伸ばしてきた」なんていうふうに推薦書に反映させました。これでペースをつかみ、クラブ活動で活躍したことも書き、読み手にHさんの特徴が見えてくるような推薦書の下書きができました。

これをすぐ清書するかというと、1日置いておきます。明日の朝読み直して違和感がなかったら、本物の用紙に丁寧な字で清書します。こういうのは、書き上げた余韻に浸りながら読み直したって、文章のアラは見えてきません。そういう熱が冷めて、公平かつ冷静に文章を見つめられるようになってからでないと、本当の意味でのチェックはできません。でも、1晩おいてから読み直すと、新しいエピソードを付け加えたくなることもしばしばです。

さて、明日の朝はどんな気持ちでこの下書きを読むのでしょう。あまり迷わずに仕上げたいですが、Hさんはまじめないい学生だけに、推薦書にとっては余計なことを思い出してしまうかもしれません。

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言葉の変化?

1月20日(月)

今学期は、月曜日と水曜日は最上級クラスを担当します。中には1年間ずっとこのクラスで勉強してきたというツワモノもいます。話すときに手加減する必要がないというのが、教師にとってやりやすいところですね。だからといって、気が緩んで山口弁全開などとなったら、最上級クラスでもさすがに通じないでしょうけどね。

初級や中級では、学生たちが知っている文法や語彙を組み合わせて話さないと、意図していることが通じません。それを補うために、時にはジェスチャーなどを交えたり、パワーポイントや板書を活用したりと、あれこれ頭を使います。最上級クラスは、それが省けます。

しかし、その代わり、学生は何でも知っていますから、学生たちの知識欲や向上心を満足させるにはどうしたらいいかという点に気を回さなければなりません。何か考えてもらう、考えさせる、そういう授業を作り上げるにはどうしたらいいかという点が、授業を計画する上での最重要点となります。

初回は、復習ということで、敬語を取り上げました。“書く⇒書かれる”というように、まずは尊敬動詞へお変換。ですが、“降る”みたいに目上の人が動作主になりえないものや、“盗む”みたいに非道徳的な動作で、そんなことをする人は尊敬に値しないようなものも混ぜ込んでおきました。このトラップには引っ掛かりましたね。「“雪が降られます”と言ったら、あなたは雪を尊敬していることになるんですよ」「社長に財布を盗まれた時、社長を尊敬しながら“社長は私の財布を盗まれました”と言うんですか」と指摘したら、気づいたようでした。

謙譲語も引っかかりましたね。目上の人にかかわる動作でないと謙譲語にならないのですが、“お起きする”なんていうのを作っちゃいました。“私は毎朝6時にお起きします”なんて言ってはいけないのですが、学生たちは“毎朝6時に起きる”を非常に丁寧に言うとこうなると思っていた節がありました。

それ以上に、どの言葉に“お”や“ご”を付けるかということを聞いた時に、意外な答えが返ってきました。学生たちが“お”や“ご”を付ける範囲は、私たちより狭いようです。お野菜、お車、ご休憩といったあたりも、付けないと判定していました。学生たちが付き合っている若い日本人はそうなんでしょうかね。

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2通りの読み方

1月17日(金)

授業が終わって職員室に戻り、メールをチェックすると、T先生から昨日から話題になっていたある学生に関する報告が入っていました。それをずっと読んでいくと、最後に「…今日本人に確認します」と書いてありました。

さて、みなさんは、この「今日本人に確認します」をどう読みましたか。私は、最初、「いまにほんじんにかくにんします」と読んで、“???”となってしまいました。その後、「きょうほんにんにかくにんします」と読むんだと気付き、腑に落ちました。「今日、本人に確認します」と読点をしっかり打っておいてくれればすんなり読めたんですがね。

つまり、「今日本人に確認します」は、読点の打ち方によって2通りの意味の取り方が可能です。これを英訳ソフトにかけたらどうなるかなと思って、実際にやってみました。

DeepLは、“I’ll check with the Japanese today.”と訳しました。todayが気になりますが、「いまにほんじんにかくにんします」派です。代案として出された訳も、にほんじん派でした。Google翻訳も同じでした。みらい翻訳も“I will check with the Japanese now.”と、にほんじん派。

しかし、Weblio 翻訳は“I confirm it to the person today.”でしたから、「きょうほんにんにかくにんします」派でした。

このように、翻訳ソフトでは、にほんじん派が優勢なようでした。T先生の意をくんでくれたのは、Weblio 翻訳だけでした。私の頭はコンピューター並みということにもなりますが、これは喜んでいいものでしょうか。

それ以上に、こんな不思議な挙動を示す文はほかにないものか、作れないものかと考えてみました。残念ながら、簡単には見つかりませんでした。もう少し、考えてみます。

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早く治りたいです

1月11日(土)

病気にかかっている人やけがをしている人が、「早く治りたいです」と言ったら、みなさんはどう感じますか。もちろん、その人の気持ちは理解できますよね。元気になったら、仕事や勉強をしたり趣味に打ち込んだりしたい、好きな物を好きなだけ食べたい、子どもとスキンシップしたい…、そんな心の叫びを思い描くことは容易なことでしょう。

しかし、ここで問題が生じます。一般に、「~たいです」の“~”の部分には、意志動詞が入ります。ところが、「早く治りたいです」は“治る”という無意志動詞が入っています。“治る”に対応する主格は、“私”ではなく、“病気”とか“けが”とかです。“私が治る”のではなく、“病気/けがが治る”のです。

意志動詞は“治す”です。でも、上述のような状況において、「早く治したいです」とはあまり言わないんじゃないでしょうか。「早く治したいです」と言うと、薬みたいなまだるっこしい治療法ではなく、臓器移植でもしそうな勢いを感じてしまいます。医者が言うなら、「患者の病気/けがを早く治したいです」に何の違和感もありません。

患者では、「私は病気/けがが治りました」は言えます。この望ましい状態に一刻も早く到達したい、そのためには何でもする(“到達する”は意志動詞)という意味で、「早く治りたいです」と言っていると解釈すれば、この言い方もセーフと考えられます。

むしろ、「早く治したいです」は、患者としては意志が強すぎます。数時間にも及ぶ大手術を目前にして、医者が「しっかり治しましょう」声をかけ、患者が「私も早く治したいと思っています」というような状況なら許せますが、普通はそれほどのことはありません。風邪程度なら「早く治りたいです」で十分でしょう。

昨日の夜、電車の中で本を読んでいたら「早く治りたいです」が目に留まり、その後、ずっと上のようなことを考えていました。来週、私は精密検査のため入院します。「早く治したいです」ほどのことがなく済むことを願っています。

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遅れを乗り越えて

1月6日(月)

こだま号が新富士駅に停車し、その横を全速力で走り抜けるはずののぞみ号が速度を緩め、ついには止まってしまいました。ほどなく、「山陽新幹線の相生駅と岡山駅の間で沿線火災が発生したため、ただ今、運転を見合わせています。運転再開までしばらくお待ちください」という車内放送が入りました。

年末年始の連休初日で、新幹線は臨時列車がフルに運転され、新幹線各駅に電車が止まっていることが予想されます。運転が再開されても、岡山の方から順番に動き始めることでしょうから、新富士駅までそれが及ぶには時間を要するかもしれません。でも、目いっぱい運転されているからこそ、どうにかしないと混乱の極みに陥りかねませんから、岡山も新富士も同時に動かすかもしれません。

私は予定に余裕がありましたから、1時間ぐらいの遅れなら許容範囲でした。ですから、比較的すいていたこだま号の車内でうとうとしながら開通を待っていました。すると、45分遅れぐらいで運転が再開されました。目的地の掛川駅にもほぼそのままの遅れで到着し、乗り継ぎが予定より1本遅い電車になりましたが、次の目的地でも時間的に十分余裕がありましたから、穏やかな気持ちでガラガラのローカル線に盛り替えました。

初日の目的地は、天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅です。国の登録有形文化財になっている施設を見学しました。昭和15年に建てられた駅舎や、蒸気機関車時代の機関士たちが煤で汚れた体を洗った浴場や、その蒸気機関車の向きを変えた転車台などを見せてもらいました。私ぐらいの年代になると、こういったものに懐かしさというか、心のよりどころみたいなものを感じるんですねえ。

そんなこんながありましたが、無事名古屋郊外の宿に着き、大浴場で存分に手足を伸ばし、普段ならまだ仕事をしている時間に寝てしまいました。翌日からは、名古屋近郊の野山を駆け巡り、毎日2万歩以上も歩いたというのが、この年末年始でした。

新年学校初日は、養成講座の授業でした。確か、去年も新年最初の日が授業だったような気がします。またよく働く1年が始まったみたいです。

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初めて見ました

12月26日(木)

年末年始の休みの軍資金を下ろしにATMへ。休みが迫っているから混んでいるかなと思ったら、お客さんは1人しかいませんでした。待つこともなく、用が済みました。ATMから出てきたお札をよく見ると、なんと渋沢栄一さんがいるではありませんか。北里柴三郎さんの1000円札は10月ぐらいにお目にかかりましたが、新しい1万円札は、来週はもう来年という押し詰まったこの時期に及んで、ようやく出会えました。

ずいぶん前から、現金を使わなくなりました。1万円札を使うのは、nanacoのチャージの時ぐらいでしょうか。万単位の買い物はカード払いだし、それよりもう少し少額だったらnanacoやpasmoだし、結局現金を使うのは神社仏閣のお賽銭と八百屋さんと金券ショップで図書カードを買う時ぐらいのものです。とはいえ、いざという時役に立つのは現金だといまだに信じていますから、お金を下したというわけです。

私が新入社員の頃は、社会人になったら年齢×千円の現金を常に財布に入れておけと教えられました。つまり、25歳なら2万5千円、30歳なら3万円となります。今の私なら、6万円以上財布に入れておかなければならないという計算です。そんなにあったら、半年ぐらいはもっちゃいそうです。

年末年始休みはまた名古屋まで行ってきますが、交通費や宿泊代はカードで済ませます。この時期は、博物館などはお休みですから、野山を歩くことになります。そうすると、また現金を使うチャンスがなさそうです。

新しい千円札と一万円札は手にすることができましたが、五千円札は、一万円札を使って三千円ぐらいの買い物をし、そのおつりとして受け取る以外にお目にかかるすべがありません。発行一年後の来年七月三日までに出会えるでしょうか。

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