Category Archives: 自分自身

心地よい疲れ

11月12日(火)

朝から1日中研修を受けてきました。研修なんて、何年ぶりでしょう。別に勉強が嫌いなわけではなく、私の場合、日本語プラスのいろいろな科目を引き受けている都合上、そう簡単に出られないのです。EJUも終わったことだしということで、特別に1日だけ休講にしてもらい、出かけてきたという次第です。

ゆうべは遅かったので睡眠不足気味ですが、学生に授業中寝るなと注意している手前、自分が居眠りをするわけにはいきません。講義が始まる前にたっぷりコーヒーを飲んでおきました。でも、そんなことは全くの杞憂でした。知らなかったことを知るというのは楽しいものです。自分の仕事に引き付けて考えられる内容でしたから、なおのこと興味が引かれました。

昼食は、食べ過ぎると午後からまぶたが重くなりかねませんから、少なめに抑えました。もちろん、食後のコーヒーはたっぷりと。会場の周りを歩いて、体を動かすことでも目を覚ましました。

午後は、午前中の聴講形式ではなく、グループディスカッションでした。ですから、眠くなっている暇などなく、お昼に補った糖分をすべて脳に回して課題に取り組みました。グループのメンバーの発言も、他のグループの意見も刺激になり、脳が活性化されました。私の意見も、多少は他のメンバーに刺激を与えたようでした。

KCPの午前午後の授業時間に相当する時間、講義を聴き、演習に取り組みました。ずっと座っていましたから肉体的には疲れていないはずなのですが、研修が終わってからしばらくは立ち上がれませんでした。日本語プラスをたくさん受講している学生たちも、こんな感じなのでしょうか。

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短い秋

10月21日(月)

先月の今頃は、“暑さ寒さも彼岸まで”というけど、本当にそうなるだろうかと心配していました。その言葉通り、お彼岸を過ぎたら、確かに気温は高いけれども、肌に粘りつくような暑さではなくなりました。衣替え直後は薄手の夏のスーツを着ていましたが、先週から裏地のついたスーツを着ています。日中に外をたくさん歩かない限り、このスーツでちょうどいい感じです。土曜日は真夏日でしたが、スーツを着なかったので…。

しかし、今朝は、外に出て数歩あるくと、スーツ内の暖気が抜けて、ズボンの裾から寒気が入り込んできました。前に進むとワイシャツを通して寒気が胸に腹に当たってきました。カーディガンぐらい着てくればよかったと、少し後悔しました。朝の電車内にはコートや厚手のジャケットを着こんだ人が目立ちました。今朝の東京の最低気温は11.5度、11月上旬並みでした。

秋冬物のスーツが暑苦しくなく、コートなど他の衣類も必要としないのが秋だと秘かに思っていますが、今年の秋はもう終わりなのでしょうか。9月末まで半袖シャツで出勤していましたからここまでを夏とすると、秋はたったの1か月? 秋がたけなわになる前に冬将軍ですか。それじゃ短すぎますよ。

今週金曜日はバーベキューです。どうやら寒くはなさそうですが、現時点では雨がぱらつく可能性を否定できません。そういえば、今年はきれいな秋晴れの日がないような気がします。ここは一発、お天気の神様に、25日(金)に快晴を恵んでもらえるよう願うばかりです。

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行くべ

10月7日(月)

新学期の準備が着々と進んでいますが、私は毎日のように養成講座の授業をしています。養成講座はオンラインでも受講できますが、わざわざこちらまで足を運んでくださるのですから、オンラインではできないサービスをしています。

その1つが、辞書や参考書の紹介です。最近は何でもネットで調べられますが、ネットでは調べがつかないことが載っている辞書や参考書の実物をお見せします。「日本語類義表現使い分け辞典」などというのは、その代表格でしょう。また、学習者向けの参考書も、普通の日本人が普通に日本語を使う際には全く不要ですが、日本語教師にとっては学習者の視点を知るうえで大いに役に立ちます。「セルフマスターシリーズ」や、「日本語文法演習」のシリーズがこれに当たるでしょうか。まだまだお見せ」していない本がありますから、追い追い紹介していこうと思っています。

もう1つ、方言の日本語文法なんていうのもやることがあります。もちろん、授業で正式に取り上げるのは共通語であり、学習者に教えるのも共通語です。これは東京近辺で使われている日本語が元になっています。しかし、地方地方に方言があります。その文法の根幹は共通語と同じですが、細部において違っていることがあります。

例えば、主に東北地方で使われる「べ」です。「行くべ」(実際の発音は“イグベ”に近いですが、文法解説上“イクベ”にしておきます)といえば、相手に声をかける状況なら「行きましょう」、その場にいない人についていうなら「(彼は)行くでしょう」となります。つまり、東北地方における「べ」は、共通語の「ましょう」と「でしょう」という、接続する動詞の活用形が違う2つの文末表現に相当するのです。さらに、終止形が“る”で終わる動詞に付くときは、「(帰るべ⇒)帰っぺ」「(食べるべ⇒)食べっぺ」のように、音便もあります。

共通語においては、ナ行五段動詞は「死ぬ」しかありませんが、山口県では「いぬ(去ぬ)」もあります。「今日は早ういなにゃいけん(今日は早く帰らなければならない)」「太郎は、はあ、いんだでよ(もう帰った)」のように、ごく当たり前に活用します。

こんな話をすると、その地方出身の受講生は、「ああ、そうだ、そうだ」という顔をされます。そうじゃない方は、「えっ、そんな日本語あるの?」と、目が点になります。

方言の日本語文法を系統的に研究したら、さぞかしおもしろいだろうなあと思います。

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熱帯化

8月31日(土)

台風10号は、潮岬の沖から、三重県、滋賀県、福井県方面に北上しそうな予報が出ています。関東地方へは来ずに低気圧になりそうです。しかし、雨を中心とした影響は、数百キロ離れた関東地方にも及び続けるようです。直撃こそ免れそうですが、油断はできません。

台風10号の元になる熱帯低気圧が生まれたのは、私が福岡を歩き回っていた21日でした。発生の頃は、26日か27日に関東地方を襲うようなことが言われていましたから、福岡のホテルで休校するかどうか判断しなければならないかもしれないと覚悟をしていました。帰りの飛行機が飛ぶかどうかまで心配しました。

しかし、当の台風はのんびりちんたら迷走し出し、九州の南へと向かい、上陸したのは、おととい、鹿児島県薩摩川内市でした。その後も千鳥足の歩みで今に至っています。夏休みが1週間遅かったら、ホテルに缶詰めになっていたかもしれません。

このような台風の進路も地球温暖化の影響だそうですが、私が注目しているのは、日本近海で熱帯低気圧が発生していることです。日本付近においては、寒気と暖気が衝突して発生する温帯低気圧は、四季を問わず佃煮にするほど生まれていますが、高い海水温を必要とする熱帯低気圧は、そう簡単に生まれるものではありませんでした。それが気安く発生するようになったということは、海水面が熱くなっているということです。また、最近頻発しているゲリラ豪雨は、夕立ではなく、熱帯のスコールを思わせます。

仕事の合間に空を見上げると、雲がけっこうな速さで流れていました。今は風も弱く雨も降っていませんが、まだまだ気を抜くわけにはいきません。

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清濁

8月26日(月)

天気予報には毎日のように傘マークが現れていましたが、とうとう1回も降られずに夏休みが終わりました。東京というか、東日本は随所でゲリラ豪雨が発生したようでしたが、先週ずっと滞在していた福岡県筑後地方は、猛暑日&熱帯夜の連続でした。筑後地方ではありませんが、太宰府市は7月19日から39日連続の猛暑日です。福岡市は7月17日以降、気温が25度以下になっていません。

おかげで、世界遺産を見て回ったり、山奥の大型天体望遠鏡で日中の星を観察したり、街中で河童を探したり、元寇の防塁を訪ねたり、普段できないことをたっぷりすることができました。というわけで、毎日2万歩前後歩きました。1万歩に届かなかったのは、大牟田市三池港周辺でレンタサイクルを乗り回した日だけでした。半袖短パンでそんなことをしていましたから、腕と膝から下が真っ黒になりました。

炎天下をかなりの速度で歩きましたから、滝のような汗をかきました。心身にしみこんだ穢れや濁りが、汗と一緒に流れ出ていくような感じがしました。入れ替わりに大きな水筒に仕込んだ冷たい麦茶をがぶ飲みすると、新しい自分が出来上がっていくような気がしました。水筒の麦茶を飲み干し、通りがかりのスーパーで買ったペットボトルの麦茶を一気飲みした日もありました。まるで、製汗装置になったようでした。こういう運動は、体にいいのでしょうか。

一番印象に残ったのは、八女市の山奥の星野村です。山奥でも暑く(付近の八女市黒木の観測所では最高気温36.3度)、山道で大汗を書きましたが、空気の澄み具合は秋でした。本物の秋や冬には、もっと空気が透明になるのだろうと思いました。こんなに空気がきれいなら、立派な天体望遠鏡も置きたくなりますよ。泊まれば夜空の天体観測もできるとのことでしたから、真冬のよく晴れた新月の日に再訪したくなりました。

さて、10日ぶりの出勤。あっという間に浮世の汚泥にまみれてしまいました。

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巨大地震注意

8月10日(土)

おとといの夜は、昨日までにしておかなければならない仕事がたくさんありましたから、遅くまで学校に残っていました。私が帰った時間帯は、さすがの丸ノ内線や銀座線も、お客さんの数がだいぶ少なかったです。

そんなわけで、昨日は早めに仕事を切り上げ、学校を出ました。夜7時台の銀座線は、私のような通勤帰りのくたびれた顔と、いかにも夏休みのこれから夜遊びするぞと顔に書いてある若者と、大きな荷物を引きずっているインバウンドと、その他種々雑多な人々が乗り合わせて混んでいました。私は、上野駅の改札口に一番近いドアのそばに立ち、本を読んでいました。

すると、突然、車内あちこちから一斉に、ピロピロピロという少し不快な感じの電子音が鳴り響きだしました。私のスマホも、鞄の中で騒いでいたことでしょう。時計を見ると、午後7時58分。ほどなく電車のブレーキがかかるとともに、「東京地方で震度4の地震が発生しました」という車内アナウンスが入りました。

“巨大地震注意”なる初めての注意呼びかけが出されています。その巨大地震の影響が東京にも及び、震度4になったのかとも思いました。でも、スマホで情報を調べたと思われる人たちが誰一人として騒ぎ出しませんから、おそらく巨大地震ではないのだろうと推測しました。3分ほど止まっただけで、銀座線は運転を再開しました。

上野駅も、JRなど他の電車が止まっている様子もなく、いつも通りでした。こわいのは、マンションです。数年前、大した地震でもないのにエレベーターが止まり、ひどい目に遭いました。まさか今晩も…と湧き上がる最悪の事態の想像を打ち消しながらマンションの1階まで行くと、ちゃんと動いていました。

“巨大地震注意”といっても、気象庁が言う今後1週間に発生する確率は、1%以下でしょう。でも、もともとがppmで表示するような確率だったのが%で議論するようになったのですから、高くなったことには変わりありません。だから、注意するに越したことはないのです。

ちょうどいい機会です。明日は非常持ち出し袋の中身を点検することにします。

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幸せとは

7月31日(水)

理科系志望のZさんは、6月のEJUで、非常に素晴らしいとは言えませんが、まあまあいい成績を取りました。TOEFLもすでに受けていて、こちらは素晴らしいと言って差し支えない成績でした。このような成績なら、どんな大学に入れそうかという相談に来ました。

“まあまあ”とはいえ、数学は満足できない成績でしたから、11月で更なる高得点を狙います。でも、今の持ち点で受かりそうな滑り止め相当の大学を探しています。過去の進学データを見ると、M大学、R大学、S大学あたりなら勝ち目のある戦いができそうです。K大学は難しいかもしれませんが、英語の成績がいいのでまるっきり可能性がないわけでもありません。

そういった大学で合格を1つ確保しておき、本命の国立大学に勝負をかけるという計画です。T大学やN大学あたりならベストですが、そこまでいかなくてもP大学やQ大学などに入り、大学院でT大学やN大学を目指すという手もあります。

そんな話をした後で、Zさんは、理科系の大学院を出た後にはどんな世界が広がっているのかと質問してきました。これは難しい質問です。

一口に理科系の将来と言っても、大きく科学者と技術者という道があります。暴論かもしれませんが、科学者はノーベル賞を狙い、技術者は社会を支えます。科学者は1つの専門を深く追究し、技術者はつぶしが利いてなんぼの商売です。それぞれに面白さも苦しさもあります。

私は技術者でした。何が専門家はっきり言えないほど、あれこれいろいろなことに手を出しました(出させられました?)。そのおかげで、科学者タイプの同僚に比べて、科学技術(という言葉はあまり好きではないのですが)を広く眺められたと思っています。科学技術にとどまらず、日本語文法まで興味の対象にしてしまったので、今、こんな仕事をしているとも言えます。

最後に、「先生、今、幸せですか」と聞かれました。まるっきり質の異なる人生を2つ経験させてもらいましたから、幸せなのかなあと思います。

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安っぽい?

7月26日(金)

「あ、新札だ」。レジを開けた事務のTさんが叫びました。「どれどれ」と、私も新1万円札を見せてもらいました。7月3日の新札発行より遅れること3週間余り、初めて拝見し、触らせていただけるチャンスが訪れました。

パッと見、安っぽい感じがしました。確かに、偽造防止のホログラムに渋沢さんのお姿が浮かびましたが、“子ども銀行券!”というのが第一印象でした。算用数字の10000というのが、その源のような気がしました。

噂によると、ATMでお金をおろすと新札がザクザク出てくるそうですが、まだ当分その必要はなさそうです。先ほど財布の中を見たら、諭吉さんが4人もいらっしゃいました。夏休みぐらいまで行けるんじゃないでしょうか。

学生たちは新札をどう見ているんでしょうか。私自身、新札にお世話にもなっておらず、興味もありませんから、授業で取り上げることもなく、したがって、学生の意見も聞いていません。学生から新札の話題が出てくることもありませんから、私同様、新札を見にしたり手にしたりしたことがないほうが主流なのかもしれません。でも、Tさんが見つけた新1万円札は、学生が支払ったお金である確率が非常に高いです。とすると、学生は案外新札を使っているということも考えられます。となると、いちばん時代遅れなのは、新札を見つけて叫び声をあげたTさんや、そのTさんにわざわざ渋沢さんのお顔を拝ませてもらった私ということになります。

来週は授業の際に例文か何かで使ってみて、学生がどんな反応を示すか観察してみることにします。

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明るい地下活動

7月25日(金)

午前の授業を終えて、職員室に荷物を置いて地下1階多目的室に下りていくと、学生たちもぱらぱらと集まってきつつあるところでした。8月5日のコトバデーの演劇部公演にチョイ役で顔を出す私にとっては、これが初練習でした。

演劇部担当のN先生から台本をいただいたのは、もう2週間ほど前になるでしょうか。その直後に風邪をひいて声が思うように出なくなり、演劇部の練習に参加するどころではなかったのです。そんなに大量のセリフが割り当てられているわけではありませんから、のどの調子は万全とは言いかねますが、練習に参加して雰囲気だけでも味わっておこうと思った次第です。

私は台本を見ながらセリフを言いましたが、主人公役のDさんや劇中の中心人物の1人であるEさんは、ほぼセリフを覚えていました。丸暗記ではなく感情もこもっていましたから、立派なものです。Fさんは覚え方が中途半端だとN先生に叱られていました。でも、全然何も覚えてこなかった私より数段上です。

自分も仲間に加わって動いてみると、台本を読んだだけでは見えなかったストーリーが、動画で思い浮かべられるようになります。このセリフはこんな流れの中で言うのだとしたら、こんなふうに感情を込めればいいのかな…などというアイデアも湧いてきました。

今度の公演は、今までのよりセリフが多いですから、あと10日余りとなった本番までにセリフをしっかり覚えておかなければなりません。最近物覚えが悪くなりましたから、これが一番つらいです。

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病人の運動

7月16日(火)

急にのどが痛くなったのは、先週の火曜日の授業直後でした。あまりに急だったので、咳払いを何回かすれば思ったのですが、1回やっても2回やっても10回やっても一向に良くなりませんでした。ならばロ龍角散攻勢を仕掛けましたが、敵方の牙城を崩すには至りませんでした。

3連休は、全くの安静というわけにはいきませんでしたが、比較的穏やかに過ごしました。熱いお風呂に入って体を温めて免疫細胞の活性を高め、それよりも至適温度が若干低めの病原菌類の活性を落とし、この差でもって健康を取り戻そうともしましたが、望み通りの結果とはなりませんでした。

午前中の授業を終え、昼休みの進学授業もこなし、午後の化学が終わり、授業の引継ぎも済んだのは5時過ぎ。急いで四谷三丁目にある耳鼻咽喉科へ向かいました。地下鉄1駅分ありますから、さすがに学校から10分では着きませんでしたが、15分後には待合室で問診票を書いていました。

最新の医療機器は進歩しており、医者がカメラを向けると私ののどがモニターに大写しになるのです。自分ののどを初めて見ました。医者に言われずとも明らかに不健康そうな口蓋垂や咽頭の上部が見えました。驚くほかありませんでした。会計を済ませ、処方箋をもらい、うまくすると6時までに学校に戻れるかなというタイミングでした。

ところが。御苑前の出口のところに最近できた薬局には処方箋受付がなく、学校の近くの薬局は、処方箋に載っている4種類の薬のうち1種類の在庫がないので、他の3種類の薬も出せないと言います。処方箋は1枚につき1回(=1店舗)限り有効なので、1種類でも揃えられなかったら、すべての薬がもらえないのです。

これは一般常識なのかもしれませんが、病院から出る薬を飲むなどめったにない私にとっては、初めての出来事で、ただただ驚きました。次に行ったのが全国チェーンの薬局ですが、学校から一番近いところにあった店舗がいつの間にか倉庫になっていました。その次に近い店舗も同じくするがありませんでした。ただし、こちらは、そこから歩いて行けそうな店舗に電話をかけて在庫を確認してくれました。「店の前の道を右に進んで、ファミマの角を、道を渡らずに右に曲がってまっすぐ進んでください」と、店の場所を説明してくれました。

近くにファミマがあったかなあ…と思いながら歩いて行くと、新宿通りの交差点まで行ってようやくファミマがありました。これなら「新宿通りの交差点を…」と言ってもらった方がわかりやすかったです。

そこで4種類の薬を出してもらいましたが、お会計は670円。雨のせいもあり、日没前でしょうが外は夜の雰囲気にたっぷり漬かっていました。御苑の駅から半径500mぐらいを、小1時間歩き回らされたことになります。歩く元気も出ないほど病気が重かったら、薬をもらうのをあきらめたでしょう。

今、日本中で薬が足りないと報じられています。それを強く実感させられました。同時に、この処方箋の制度は、手直しが必要なのではないかとも思いました。

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