Category Archives: 卒業生

就職するには

2月19日(金)

D専門学校の方が、「お預かりした学生のご報告」ということで、KCPからD専門学校に進んだ卒業生の近況報告をしに来てくれました。その方の話によると、2年前に卒業したJさんが、ゲーム業界最大手ともいえる会社に就職したとのことです。ゲームにはあまり関心のない私でも知っている超有名会社に、日本人との競争に勝って就職を決めたのですから、「すごい」の一言です。

なぜそんなすごいことができたのかというと、まず、ゲームを作ることが好きだということ、そのゲーム上に自分の個性やアイデアを表現できること、そして、そのゲームについてプレゼンする能力が高いこと、そんなことが勝利のわけとして挙げられると、専門学校の方は言っていました。就職戦線を勝ち抜くには、「好き」に加えて、いろいろな形の表現力が物を言うようです。

日本で進学して、最終的には日本で就職しようと思っている学生は山ほどいます。でも、進学先で学力や専門性を高めることには目が向いても、表現力を鍛えることを今から考えている学生は皆無に近いんじゃないでしょうか。就活が近づいてからバシバシいじめられ、自分の弱点に気付くというパターンが目に見えます。

今日は中間テスト・卒業認定試験がありましたが、週末に面接試験を控えている3人の学生の面接練習もしました。3人とも日本で就職したいようですが、勉強プラスJさんほどの表現力が求められることには、考えが及んではいないでしょうね。現時点では大学に入ることに精一杯ですから、やむを得ませんけど。

私が先日面接練習で鍛えたMさんがN大学に合格しました。そのMさんにしたって、自分の研究業績を表現する術を身に付けなければ、一生を貧乏研究員で過ごす羽目にも陥りかねません。そう考えると、毎学期超級クラスでやってきた学生のプレゼンの時間は、結構生きてるんじゃないかなと、自画自賛しています。

激しい競争

2月3日(水)

節分。例によって、赤坂の日枝神社へ豆まきを見に行きました。日枝神社の神様の使いは猿ということで、申年の今年は例年よりも人出が多かったです。私のそばにいた警備の人たちは、「去年の倍ぐらいいるね」なんて話していました。

私は超級クラスを引率していきました。Cさんは卒業文集に載せる動画の撮影のチャンスとばかりに、稲荷参道の朱塗りの鳥居をくぐっている様子を始め、クラスメートの素顔を撮りためていました。そうですね、やっぱり朱塗りの鳥居が丘の上にある境内まで続くあの道は、日本人の私でも聖なる世界に誘われるような気分になりますから、外国人である学生たちにとっては、異界に導かれるような不思議な非日常への入口なのでしょう。

正午ごろから豆まきが行われましたが、いつもの倍ぐらいの人がいましたからかなり激しい競争でした。私のクラスは半数ほどが去年の豆まきを経験していましたから、そういう学生は早々に戦線離脱。Hさんにいたっては、去年のミス上智の方がタイプだったと不謹慎な発言。それに対し、今年が初めてという学生は、何とか福豆を手にしようと、乱戦混戦に身を投じていました。

豆まきが終わって興奮気味に報告に来るのは、みんな初めての学生。いつもはおとなしいKさんやBさんも、戦利品を見せに来てくれました。Mさんは景品を引き当ててはしゃいでいました。2度目の学生でもJさんは豆の袋を2つゲットしていました。頭脳派だと思っていましたが、案外に体育会系のようです。進学してから研究成果を残すには、これくらいのガッツも必要です。

豆まきが終わってそろそろ引き上げようかというころ、去年の卒業生のDさんの姿を見つけました。Dさんは正月にこの日枝神社で巫女さんのアルバイトをしていました。「今日も巫女さん?」って声をかけたら、「ううん、遊びに」と。卒業生の元気そうな姿を見るのはいいものですね。これも神様のお引き合わせでしょうか。

日本語力の差

1月12日(火)

小雨の新学期初日でした。教室を間違えたとか事務手続きに手間取ったとか、何名かが遅刻しました。まあ、でも、最終的には欠席1名にこぎつけましたから、よしとしなければならないでしょう。

午前のクラスは上級クラスでしたが、初級で教えた学生が何人もいて、なんだか上級という気分にはなりませんでした。「Tさんがいるなんて、上級もお安くなっちゃったね」なんていう冗談が通じるのですから、まあ彼らも上級なのでしょう。でも、消しゴムで字を消した時にできる黒いものを「消しゴムのごみ」なんて言っちゃうあたり、初級的な発想が抜け切っていないとも言えます。「消しゴムのかす」なんて、日本人なら子どもでも知っています。そういう言葉を知らないと進学してから日本人の同級生にバカにされるよって言ってやったら、妙に納得していました。

こんなのは比較的どうでもいいのですが、このクラスで一番いけなかったのは、自己紹介のときに全員が「〇〇です。◎◎(国)から来ました。趣味は△△です」で済まそうとしたことです。これならみんなの日本語の14課だと怒ってやり直させたら、中級ぐらいの文法は使って夢やら日常やらを語ってくれました。やればできるんですから、やるように仕向けることがこのクラスを教える上での課題です。

一息つく間もなく、午後は代講。そのクラスは一番下のレベルですから、初日は挨拶と教室用語と数字と自己紹介です。自己紹介では「初めまして。〇▲です。△▽(国)の▼◎(都市)から来ました。どうぞよろしく」と、都市名に触れる分だけ午前中の上級の学生より上ではないかっていう自己紹介を練習しました。日本語の発音に慣れていないためにおかしげなイントネーションの学生もいましたが、全体的に見ればよくできたんじゃないでしょうか。

教室の片づけを済ませ職員室に戻ると、C大学に進学したTさんが来ていました。「新学期の初日だからお日柄が悪いんだよなあ」なんて言いながらも、懐かしさのほうが勝って、思わず話し込んでしまいました。4月から3年生で、就職に向けて動き始めるとか。こなれた日本語を話していますが、入学当初は日本人学生との間の日本語力のギャップに悩んだそうです。このねたは、明日の超級クラスで使えそうです…。

第一志望に合格

12月14日(月)

PさんがT大学に合格しました。第一志望の大学なので、Pさんの受験はこれでおしまいで、あとは3月の卒業式まで、悠々自適の生活です。T大学は、無名の大学とまでは言いませんが、全国的に名の通った大学かといえば、そうではありません。Pさんの力なら、T大学よりも有名な大学、国立大学にも十分合格できると思いますが、Pさんはそんなことには頓着しません。

入学間もないPさんから相談を受けた時、T大学以外にもPさんの勉強したいことが勉強できる大学があると思っていましたが、意外なほどに見つかりませんでした。教授の研究レベルならあるのですが、それに関する授業は1つか2つというパターンがほとんどでした。それでも何校かよさそうな大学を選びを出し、その中のいくつかはPさん自らオープンキャンパスなどに足を運んで実地検分してきましたが、T大学に勝る大学はありませんでした。

進学の担当者としては、Pさんほどの実力者には国立大学も受けてほしいですし、そして合格者リストに名を連ねてもらいたいです。失礼を承知で言わせてもらうと、T大学で打ち止めというのは、もったいないです。でも、誰よりもPさん自身がT大学合格を喜んでいて、大学生活に夢を描いているのです。私を含めた周囲の教師のアドバイスを参考にし、かなり綿密に調べた上での進路決定ですから、もはやどうのこうのというべきことではありません。

もう10年ぐらい前ですが、JさんもPさんみたいな学生でした。優秀な学生でしたが、有名大学には目もくれず、私も初めて名前を聞くようなN大学に入りました。在学中何回かKCPに顔を出してくれましたが、目を輝かせながら充実した大学生活を語ってくれました。最近は音信不通でしたが、日本で専門が活かせる職を得て、忙しい日々を送っているという噂を最近耳にしました。Pさんも、何年か後には、きっとこうなるのでしょう。

その一方で、学部は問わずとにかくK大学とか、MARCHならどこでもいいとか言っている学生が大勢います。同時に、進学実績を上げるという名の下に、そういう学生に手を貸している自分がいます。Pさんの純粋さに比べたら、なんと不純かついい加減なのでしょう。自分の将来像など見当もつかないというのが学生の正直な気持ちかもしれませんが、そういう学生に将来像をきちんと描かせることこそ、真の教育だとも思います。

もう一度KCPに入りたい

10月17日(土)

夕方、去年の夏にKCPをやめて帰国したJさんが来ました。国で勉強して、再来日し、専門学校に進学しようか大学に入ろうか迷っているとのことで、その相談が目的でした。

在籍中のJさんは早起きが苦手で、遅刻・欠席が多かったです。学校へ来れば授業に積極的に参加するし、日本語に対するカンも鋭いし、クラスメートに刺激を与える学生でした。でも、いかんせん朝が弱すぎて、退学を決意したのです。

実は、先週、Jさんからメールをもらっていたのですが、文面に誤字脱字がなく、とても驚きました。この調子なら、もしかすると大学にも手が届くかなって思えるほどでした。実際に顔を合わせて話をしてみても、1年余りのブランクは感じられませんでした。

Jさんの今の心配事は、KCP在学中の出席率が低いことです。これがビザを取るときに悪影響を及ぼさないかと悩んでいます。悩んでみても出席率の数字が変わるわけではありません。だから、もう一度KCPに入り直して、今度はまじめに学校に通って、出席率を少しでも上げたいと言いますが、これは無理な相談。なまじKCPに多少在籍したがために、入学してもすぐに出て行かなければならないのです。

去年KCPにいたときに出席率が悪かったのは、Jさん自身の目標がはっきりしていなかったという面もあると思っています。今はそれが明確になったのに、前回の出席率が足を引っ張りかねない状況です。Jさんは日本へ来るのがちょっと早すぎたんじゃないかな。後悔先に立たずといいますが、自分の将来像を固めてからでも遅くなかったと思います。今、KCPに在籍している学生の中にも、なんとなく来ちゃった組がいます。そういう学生を早く何とかしなくちゃって思いながら、Jさんの話を聞いていました。

独立を果たした

5月13日(水)

夕方、テストの採点をしていると、「卒業生のKさんが先生に会いたいって言ってますよ」と呼び出されました。受付まで出て行くと、9年前に卒業したKさんでした。かつての面影も残っていましたが、何より、白くて細かい歯が並ぶ笑ったときの口元が全く変わっていませんでした。

Kさんは、KCP卒業後、B専門学校に進学し、そこを卒業してから日本で就職し、昨年末に独立を果たしたと、今までの歩みを語ってくれました。仕事はきつかったけれども、その合間を縫って起業家セミナーなどにも参加して、知識を得るとともに人脈も築いていったそうです。

進学先を卒業したら日本で就職し、経験を積んで、いずれは自分の会社を作る――学生たちはそんなふうに自分の夢を語りますが、それを実現させられる学生は少ないです。大学や専門学校に入れば自動的に知識や技術が身に付き、就職しさえすれば自然に経験が積めて、自分が思い描いたような社長への道が開けると思っている学生が多いのではないでしょうか。現実がそうではないことは言うまでもありません。

KさんはKCPにいたころから積極的で、授業で習った言葉や文法をすぐにアルバイト先で使ってみたり、スピーチコンテストで賞を取ったり、入学式で在校生代表で挨拶したり、奨学金に応募してそれを勝ち取ったり、卒業生代表に立候補して見事にその務めを果たしたりと、自分の手で自分の道を切り開いてきました。こういう人物だからこそ日本で就職できたのであり、自分の将来に資する知識や経験を選び取り身に付けられたのであり、今は自分1人の事務所とはいえ、独立できたのです。

Kさんの話す日本語は、ら抜き言葉の入り具合まで日本人的であり、同窓会会報に載せる近況報告を書く筆の進みようも非常に滑らかで、ビジネスの世界にしっかり根を下ろしていることがうかがわれました。Kさんの会社で従業員を雇うときにはKCPの学生もよろしくねなんて、頼んじゃったりもしました。Kさんのビジネスが大きく羽ばたくことを祈ってやみません。