Category Archives: 卒業生

得がたい経験

9月15日(木)

卒業生のOさんが顔を見せに来てくれました。地方の国立大学に進学したOさん、大学院は東京でと思っていて、その偵察も兼ねて東京まで出てきたとか。

Oさんは、大学院は東京といっても、地方の大学に進学したことは、まったく後悔していません。数少ない留学生ですから、大学の先生方や地域の方々から非常に貴重な存在として目をかけてもらっています。そのおかげで、東京で留学していたらありえなかったような得がたい経験をいくつもしました。東京で暮らすのとはまったく別な意味で、刺激的な日々を送ってきたようです。

また、大学の偏差値は低くても、そこで教える教授陣の力量は高く、学生が努力すればいくらでも応えてくれるそうです。教授の懐に飛び込めば、どんどん高度な課題を与えてくれて、偏差値の高い大学とまったく遜色のない勉強ができます。もちろん、Oさんの人柄が先生方の心をつかんだ点は大きいですが、ここでも、数少ない留学生という希少価値が有利に働いています。

私は常々学生たちに地方の大学も考えてみることを勧めていますが、Oさんの体験談はまさに私が学生たちに知ってもらいたいことです。東京の名のある大学に進学したとしても、Oさんほど充実した学生生活が送れる人はほとんどいないでしょう。

Oさんが来るちょっと前に、2人の学生の進学相談に乗りました。2人とも東京の大学に進みたがっています。M大学はチャライとか言いながら、自分のEJUの成績でM大学への合格可能性はどのくらいだろうかと心配しています。W大学の面接の受け答えをあれこれ考えながら、やっぱり国立大学だよねなどと言っています。

それならもっと目を広げようよ。地方で中身の濃い青春時代を送ろうよ。

ただ、そんなOさんでも、大学院は東京を考えるのです。大学の先生から、就職まで考えたら大学院は東京だねとアドバイスされたそうです。それが、今の日本の限界なのでしょう。

空白じゃないよ

9月7日(水)

時々、卒業生から書類作成の依頼が来ます。その申請書には書類の使用目的を記入する欄がありますから、それを見ることで卒業生の消息を知ることもよくあります。しっかり勉強しているようだと安心したり、意外な転身に驚いたり、結構波乱万丈の人生を歩んでいるんだなあと感心させられることもあります。

Wさんは、苦労して入学したK大学をあっさりやめてしまったようです。送り出した側としては、小論文の添削をしたり、面接練習をしたり、落ち込んでいたときに励ましたり、WさんがK大学に受かるまで精一杯世話を焼いたつもりです。それなのに専門の勉強もしないうちにやめて帰国して、今度は調理の専門学校に進もうとしているようです。

無理をしていたのかなとも思います。“日本の大学で勉強する”と漠然と思っていただけで来日し、周りの友人が名の通った大学を志望校とし、実際にそこを受けて受かって喜んでいる様子なんか見ているうちに、自分にもできそうな気がしてきたのでしょう。そして、勉強してみると、そりゃあ辛い時もありましたが、K大学に受かってしまい、自分も歓喜する側にまわることができました。

しかし、入学してみると、浮かされていた熱も冷め、改めて自分自身を見つめてみると、これで自分の人生が決まってしまっていいのだろうかと思ったのかもしれません。そして、調理の専門学校を選び直したのです。

Wさんにはあれこれ手をかけただけに、もったいないという気持ちもありますが、こういう決断は早いほどいいです。Wさんだっていつまでも若いわけじゃないんですから。また、今度こそは、自分の将来を冷静に設計したのだと信じたいです。履歴書の上では、2016年はWさんにとって空白の1年になりますが、実際には今までの人生の中で一番真剣に自分自身と向き合った充実した有意義な1年になることでしょう。

お買い得

8月3日(水)

F大学の方がお見えになり、いろいろと話を聞かせていただきました。F大学には数年前に卒業生・Bさんを送っています。Bさんが非常に活躍していたので、またそういう学生を送ってくださいということです。

BさんはF大学が第一志望ではありませんでした。他大学に落ちて私のところへ進路相談に来たとき、F大学を薦めたのです。F大学でもBさんが勉強しようと思っていたことが勉強できそうだということで、F大学に出願し、幸い受かったのです。

F大学は、少なくとも首都圏に住んでいる日本人なら知らない人がいないと思います。でも、留学生の間での知名度は著しく低いです。Bさんにしても、最初にF大学の名前を耳にしたときの反応は鈍いものでした。しかし、ネットなどで調べ、実際にF大学まで足を運び、F大学の研究を深めていくと、Bさん自身F大学に引かれていきました。

入学後、たびたびこちらに顔を出してくれましたが、いつもF大学の自慢でした。こんなすばらしい大学だから、是非、後輩にも薦めてくれと言っていました。私もそういう話を学生に伝えましたが、その後F大学を志望する学生は現れませんでした。入学した学生がすばらしいと言っているのですから、これほど確かな情報はないはずですが、なぜかF大学を志す学生は出てきません。

学生たちは、国立大学や早慶MARCHなど、ごく一部の大学を集中的に志望します。国へ帰ったときにそういう大学の卒業証書が必要だとあれば、それもやむをえないでしょう。しかし、何を学ぶか、どんな人間関係を築くか、もう少し大きく出で、自分の青春時代をいかに形作るかまで考えると、誰にとっても上述の大学が最高とは言えないでしょう。F大学は早慶MARCHほど有名ではありませんが、Bさんを見ているとそれに劣らぬ勉強も就職もできるのです。

今のところ、F大学を志望している学生はいません。それだけにF大学はお買い得だと思います。こういう大学を学生たちに紹介していきたいです。

マイナス金利

7月6日(水)

今年に入って間もなく始まったマイナス金利政策ですが、長期金利の史上最低更新というニュースが毎日のように報じられています。マイナス金利は、もうすっかり定着したということなのでしょうか。

新聞やネットの解説記事を読めば、マイナス金利の理屈も頭では理解できます。しかし、心の底の部分に何か引っかかるものがあります。借りたお金を満額返さなくてもいいって、やっぱり変ですよ。私は、古い道徳観に毒されているから、お金を借りるのが嫌いだからこんなことを言うのかもしれません。

こんな時、大学や大学院に進学して、こういう方面を勉強・研究している卒業生に講義してもらいたいなって思います。特に、顔見知りの卒業生なら、遠慮なくくだらないことも聞けますからね。彼らがここの学校にいたときには教師と学生という関係でしたが、今は専門家とド素人と、立場はすっかり逆転しました。私の寝ぼけた頭を目覚めさせてくれないものでしょうか。謙虚に教えを乞いたいです。

そうは言っても、実際に話を聞くとなると、教師根性が頭をもたげてくるんでしょうね。今の説明はわかりにくいとか、ここでこういう文法を使うべきだとか、果ては発音がよくないとかって言い出すんじゃないかな。そんな枝葉末節ではなく、国家財政とか世界経済とかを論じ合うつもりで来た卒業生は、戸惑うというよりがっかりするでしょうね。

それはともかく、KCPの卒業生は、芸術でも文学でも理工学でも、各方面で活躍しています。この偉大な力を利用しない手はないなと思いつつ、利用していない自分の手をじっと見ています。

レポートが大変

7月4日(月)

夕方、J大学に進学したLさんが顔を見せてくれました。今週から語学、一般教養、専門科目の試験が始まるそうです。他の学部と比べてレポートが少なくてよかったと思っていたけど、試験が近づき教科書を開いたらさっぱりで…と少し不安そうな顔も。レポートが少ないとは言っても、3000字とか5000字とかのレポートがばらばらあり、レポートの提出はすべてパソコン上、文献からの丸写しはただちにチェックされて、そのレポートは0点になるとか。私が学生のころは、「真実は一つ」とか言いながら、文献丸写ししたり、その丸写しのレポートを丸写ししたりするのが横行していました。いい時代に学生時代を過ごしたものです。

手書きの丸写しは、コピペより勉強になるのでしょうか。手書きは、写す時に文献を少なくとも一度は読みますからね、多少は勉強になっていると思いますよ。著作権の点では大いに問題がありますが。コピペは、読むことすら省略しているとしたら、何の勉強にもなりません。でも、3000字とか5000字とかって言われたら、何かをよりどころにしたくなるのが普通の心理じゃないかな。きちんと出典を明らかにすれば引用も認められるはずですが、おそらくある特定の文献に依拠しすぎてはいけないという規定があるのでしょう。

Lさんはこうした試練に何とかしのいでいるようですが、同級生には授業のレスポンスシートにも苦労している人もいるそうです。Lさんが優秀だという面が多分にありますが、KCPはけっこう文章を書かせる授業が多いですから、大学の授業に耐える下地ができているのかもしれません。教師としては、書かせる授業は後処理が大変なのですが、Lさんのように順調に育っている卒業生を見ると、そんなことも言っていられないなという気にもなります。

来週の月曜日は、始業日です。

卒業生たち

6月30日(木)

夕方、おととしの3月に卒業した卒業生が3名来ました。久しぶりに会って食事に行く途中に、KCPに寄ってくれたそうです。もう3年生で、大学院進学やら就職やらを心配し始めています。大学院進学というと、大学進学の時以上にTOEFLのスコアが物を言います。もちろん、専門の試験や面接もおろそかにはできません。また、就職は、お金も人生もかかってきますから、さらにもっと考えるべきことが多くなります。進学か就職か迷っているとなると、その両方を考えて、そんなに長い時間が経たないうちに結論を出さなければなりません。

ですが、3名はそんな悩みを吹き飛ばすような勢いで、近況を面白おかしく語ってくれました。最上級クラスにいた学生たちですから元々日本語はうまかったのですが、それにさらに磨きがかかって、ボケとツッコミが自然にでき、こっちが気圧されそうなくらいでした。これぐらいになっていないと、彼らが入った大学では授業にも何にもついていけないでしょう。

同時に、みんな、「ウチの大学」って言うようになっていました。それぞれの大学に自分の居場所を見出し、愛着を感じていることがわかります。「ウチの大学、志望している学生、いますか」なんてセリフには、いっぱしの先輩として後輩を是非受け入れたい、この大学はすばらしい大学だから是非入ってもらいたいという、ある種の愛校心を感じさせられます。

そんな彼らも、来年の今頃は内定が出ていたり院試の直前でピリピリしていたりするのでしょう。KCPという1つの幹から出た人生が、どんどん枝分かれしていきます。

社長の貫禄

5月18日(水)

午後、職員室で学生のタスクの添削をしていると、「金原先生に会いたいって言ってるだいぶ前の卒業生が来ているんですけど…」と呼ばれました。目を上げてカウンターの向こう側を見ると、ちょっと記憶にない顔がこちらを向いて軽く会釈をしていました。

首をひねりながらカウンターまで行くと、「先生、覚えていますか」と言われましたが、覚えがありません。「2002年の卒業生のBです」「あ~あ、Bさんか。あの頃は中国の学生が少なかったよねえ」「ええ、そうでした。進学のことで先生にずいぶん怒られました」というわけで、今から14~15年前の学生でした。

Bさんは地方の大学に進学し、その地元で就職し、今は仕事で東京や横浜などへちょくちょく来るそうです。「じゃあ、もう社長?」「いえいえ、とんでもないです。仕事でスーツ着てるだけですよ」と言いますが、スーツの下からのぞいたおなかは、社長の貫禄十分でした。

BさんはKCPにいたとき、特別に優秀な学生ではありませんでした。入った大学も、いわゆる有名大学ではありません。でも、ちゃんと日本で就職し、10年も仕事をしているのです。1人で仕事を任せられているということは、会社からの信頼も厚いのでしょう。もう、どっしりと日本に根を下ろしています。

もちろん、KCPを卒業してからのBさんの道のりは平坦ではなかったでしょう。その山あり谷ありの道を歩きぬいて、今の地位にたどり着いたのです。日本で進学したい、就職したい、ずっと暮らしたいという学生には、Bさんのそういう人生を知ってもらいたいです。有名大学に入ったからといって、日本で就職し、ずっと暮らし続けられる保証が得られたわけではありません。そういう競争のスタートラインに立ったに過ぎないのです。

縁起いい

5月13日(金)

今日は13日の金曜日でしかも仏滅、洋の東西を問わず縁起の悪い日となっております。そのせいかどうかわかりませんが、私のクラスのKさんは地下鉄の車内に傘を忘れてきてしまいました。降りてすぐに気がついたのですが、その地下鉄は郊外へ向かう私鉄に乗り入れているため、地下鉄と乗り入れ先の両方の遺失物担当者に連絡しなければなりませんでした。しかし、その説明がうまくいかなかったけれどもどう説明すればよかったかと、授業の時に私に相談に来ました。

地下鉄に忘れた傘はちょっとおしゃれなデザインで、Kさんのお気に入りでした。でも、そのおしゃれなデザインが災いして、傘をうまく説明できなかったのです。よほど気に入っていたのでしょう、Kさんはスマホに写真を残していました。その写真を見ながら、私がその傘の特徴を説明する言い方を教えてあげました。

それを聞いたKさんは、もう一度電話してみますと、明るい顔で宣言しました。よくできるとはいえ、Kさんは初級の学生ですから、電話をかけてくれと言われたら断れないだろうなと思っていました。でも、Kさんは私に頼らず自分でこの問題を解決しようとしていました。こういう積極性を持ち続けられれば、これからもKさんは実力を伸ばしていき、進学という大きな目標に到達できるだろうと思いました。

夕方、G大学に進学したHさんがビザ更新の書類を申し込みに来ました。大学の授業は大変だと言いながらも、第一志望の大学で勉強できる喜びのオーラを全身から発していました。そのオーラをずっと浴びていたくて、ずいぶん長い時間立ち話をしてしまいました。学問の喜びってこんなにまで人を輝かせるものなのかと感心しながら、KCPにいたときよりも張りの感じられる声に耳を傾けていました。Hさんと同じくらいの年に戻れたらどんな勉強をしようかななんて、できるはずもないことまで考えていました。

結局、13日の金曜日の仏滅は、私にとって、さわやかで、明るい希望の感じられる、むしろ縁起のいい一日になりました。

なすび

4月26日(火)

卒業生のYさんがお母様を連れて来校しました。Yさんのお母様は、国で大きな日本語学校を営んでいらっしゃいます。ですから、お母様は仕事の関係で、Yさんはお母様の案内がてら近況報告に来たという次第です。

Yさんは現在就活中といいます。卒業生のそういう声を聞くたびに月日の経つのは早いものだと痛感させられます。でも、震災直後に入学し、建て直す前の旧校舎を知る最後の世代というYさんの経歴から計算すると、確かに今年4年生で、今就活に励んでいなければならないのです。

YさんがJ大学を蹴ってS大学に入学した時は、親と大喧嘩をして、勘当同然になったと言っていました。お母様の秘書官的役割を果たして来校した姿を目にして、J大学よりもS大学を薦めた私としても一安心です。知名度では断然J大学でしたが、Yさんの目指す姿に近づけるのはS大学だということで私はS大学を推しました。Yさんもその気になり、親に話したら、一時は学費も出さないというほどの険悪な状態に陥りました。親御さんは、最初は渋々だったのでしょうが、最後はわが子が心からやりたいと思っていることを認めてくださったのでしょう。

親の意見となすびには千に一つの無駄もない――と言われますが、親の意向だからとあっさり進路変更してしまう最近の留学生を見ていると、そこに危うさすら感じます。Yさんのような葛藤がないということは、自分がないということなのかもしれませんから。

Yさんは就職でも自分の意見を通しているようです。親の意見に従えば、自分の頭では何も考える必要がありません。自分で決めた道を進むとなると、責任もリスクも全部自分が背負うということになります。思い負担ではありますが、自分の手で選び取ったという手応えがあれば、その負担はやがて快感へと変わっていくでしょう。

来年の今頃、Yさんはどうしているでしょう。希望に燃えた新入社員なのか、五月病発病寸前の亡霊みたいな姿なのか、それとも就活で尾羽打ち枯らし帰国しているのか…。吉報を待っています。

初泳ぎ

4月25日(月)

朝、作文の採点をしていると、「先生、お時間、ちょっといいですか」とO先生。「はい、いいですが」「じゃ、鯉のぼり、上から下ろすんで…」ということで、毎年恒例の鯉のぼりの飾り付けを手伝いました。まあ、私のしたことは、O先生が上の階から投げ下ろした鯉のぼりが取り付けられたロープを、校舎の前で受け取って仮止めしただけですが。

鯉のぼりが泳ぎだすと、一気に初夏という感じがしてきます。ついこの前、桜が咲いたの満開だのって騒いでたのに、もう半袖が珍しくないですからね。今年もまた、順調に季節が進んでいます。学校の前の道を歩く人たちも、鯉のぼりを見上げたり指差したり、中には写真に収めたり。1年で一番明るく清々しい季節を味わっているようでした。午前中は青空でしたから、なおのこと、鯉のぼりが映えたことと思います。

夕方、妙齢の女性が、鯉のぼりにチラッと目をやりながら、受付に。専門学校か大学の方かなと思っていたら、声が聞こえてきました。その声を聞いた瞬間、何年か前の卒業生のCさんだってわかりました。仕事で来ていて、国へ帰る前のわずかなすき間を縫って、こちらに顔を出してくれました。仕事を持ったから顔つきが変わったのか、幼顔から大人の顔になったからなのか、たぶんその両方でしょうが、学校のパンフレットに載っていたCさんの顔を比べると、落ち着いた雰囲気の有能なビジネスパーソンになっていました。

鯉は立身出世を象徴する魚だとも言われています。ちょうど鯉のぼりを出した日に来るなんて、Cさん、きっと、これからますます商売繁盛、どんどん大きな仕事をしていくようになりますよ。